豊かな自然のもとで、感覚的体験の豊かさを取り戻そうとする体験記の4番目。前回は昨一年をふり返って今後の方向性について考える内容でしたが、今回は最近の心境の変化について。
北海道に引っ越してきてから、早いもので三ヶ月半が経ちました。とても充実している毎日で、以前なら考えられないほどあちこち行っているのに、こんなにも時間が早く過ぎて不思議な感じです。
これはちょうどファスト&スロー(下) でダニエル・カーネマンが言っている2つの自己認識、「経験する自己」と「記憶する自己」の対立の例のひとつですね。充実した時間は、「経験する自己」(今この瞬間の自己認識)とっては長く感じられますが、「記憶する自己」(後からふり返る自己認識)にとってはあっという間に感じられます。「記憶する自己」は持続時間を無視するからです。(p267)
この三ヶ月のわたしは、後からふり返る自己にとっては短い三ヶ月だった。けれども、今この瞬間を感じる自己にとっては充実した三ヶ月だった。そういうことなら、感覚的体験を取り戻すという目的は達成しているといえます。
トラウマにこだわらなくなった
こっちに引っ越してきてから三ヶ月が経ちましたが、その中で、いちばん大きな変化はというと、「トラウマが自分にとって重要ではなくなった」ということでしょうか。
今シリーズ第一回の最後の項目で書いた、「あのころの洞察はもう書けないけれど」の気持ちがさらに発展したものですが、関東にいるころには、あれほど自分にとって主要な関心事であり、取り憑かれていると言っていいほど執着していたトラウマや解離の研究と考察が、なんかもうどうでもいいような気持ちになってきました。
簡単にいえば、NATURE FIXの巻末で、訳者の栗木さつきさんが書いている、この感覚じゃないのかな。
大自然のなかで感じる「畏敬の念」こそが、わたしたちを生き返らせるからだ。
山の稜線で眼下に雲海を望んだとき、水平線に沈みゆく燃えるような太陽を見たとき、古代からただどっしりと存在する巨岩を目の当りにしたとき……。
そんなときに「畏敬の念」を覚え、なにか大きなものに包まれているような気がして、自分の存在が取るに足らないものに思えたという経験がある方も多いだろう。(p162)
「畏敬の念」というほど強大な衝撃を感じているかというと、そこまで内面が揺り動かされたわけではない。
でも、毎日毎日、ちょっと家の外に出るたびに、息を呑むほど美しい凍てついた山稜に目を奪われ、スノーシューで誰の足跡もない真っ白な大海原のような雪原をただ歩き、星空の下を小さなライトだけを頼りにサイクリングする。
そんな毎日を送っているうちに、「自分の存在が取るに足らないものに思えた」、もっと正確に言えば、自分の抱えていた悩みや執着が取るに足らないものに思えてきました。
トラウマ? 解離? そんなこともうどうだっていいじゃない、だって今、目の前にこれだけの壮大すぎる景色が広がっているんだから。そんなちっぽけな過去にとらわれるより、今、この瞬間を楽しもう。
これって、もしかすると一番理想的な、マインドフルネスのあるべき姿なのかもしれません。何一つ努力もせず、意識することすらなしに、今この瞬間の楽しさを実感させられる。
わたしはトラウマの影響からすっかり解放されたわけではありません。前回と前々回で繰り返し書いたように、自律神経の耐性領域の狭さそのものは、ほとんど改善していません。
現在のわたしの体調の良さは、あくまで「環境依存的」です。外出して、自然界のなかをサイクリングしたりスノーシューで歩いているときは、かなり元気になる。
そのときはまったくトラウマの影響など感じないし、1時間でも氷点下をうろうろできる。実際にサイクリングで町を東西南北一周して、雪原をスノーシューで散策してから帰ってきたりもする。
だけど、家に帰ってきたり、都市部のほうに外出したりするとしんどい。全身が痛くなったり、解離を起こして眠くなったりする。自動車学校も綱渡り。(だけど、あと残り8時間まできました!)
最近気づいたのは、同じようにサイクリングしても、「運動」になってしまってはリラックス効果が薄れる、ということです。せっかくだから筋力を鍛えようと坂道を含むルートをサイクリングしていると、気持ちがいい日もあるんですが、逆に、ちょっとイライラしてしまう日もあった。
あなたの子どもには自然が足りない に載っていた、1970年ごろの自然の効果に関する初期の研究を思い出しました。
1970年初め、カプラン夫妻は合衆国森林局の依頼のもと、九年間にわたる研究を始めた。
カプラン夫妻が対象として調べたのは、人々を最長で二週間自然の中に連れていく、〈アウトワード・バウンド〉に似たトレッキングの参加者である。
問題の参加者たちは、トレッキングのあいだからその後にわたって、心の安定という感覚が得られ、物事をより明確に考えられるようになったと報告している。
彼らはまた、ただ自然の中にいるだけのほうが、こうしたプログラムにつきもののロッククライミングのような、肉体を追い込むような活動よりも元気回復に役立つと感じたという。(p114)
この初期の研究によると、「ただ自然の中にいるだけ」のほうが、激しい運動をするよりも活力の回復を実感できました。
理由はよくわからないけれど、たぶん、自然界のリラックス効果は、自然のリズムによって自律神経を耐性領域内にとどめることで効果を発揮しているように思えます。激しい運動は交感神経を活性化させてしまうので、耐性領域を突き抜けてしまい、せっかくのリラックス効果が発揮されなくなるのではないでしょうか。
わたしの場合だと、そこそこ体調のいい日は、坂道サイクリングしても、上がったぶんの交感神経を自然界のリラックス効果が上回って、耐性領域内に戻ることができていた。しかし体調がいまひとつの日は、坂道をサイクリングして交感神経が上がると、耐性領域に戻りきらず、かえって疲労感が増してしまう。ということなのかもしれない。
特に、トラウマと身体 に書かれているようにトラウマ的な背景がある場合は、「それが身体的なエクササイズによるものだとしても」交感神経系の活性化=危機と解釈されてしまうから。
未消化なトラウマの体験が調節不全をもたらすため、通常の感覚を意識的に気づくことでさえ、トラウマの活性化を引き起こすことがあります。
例えば、心拍数が上昇してドキドキする、それが身体的なエクササイズによるものだとしても、無力感やパニックを引き起こします。
なぜなら、正常な身体的活動の反応としてではなく、恐ろしいものと戦ったり逃げたりすべきだという兆候として体験するからです。(p292)
このようにわたしのトラウマ的な耐性領域の狭さは改善されておらず、あくまで環境依存的な体調ではあるものの、かつてよりはずっといい。以前は、このような体調がよくなる環境というものが身の回りにまったくなかった。
以前からきっとわたしは、ずっと環境依存的な体調だったのでしょう。それがスイッチングを起こしやすいということだし、耐性領域が狭いということでもある。
しかし都会、とくに首都圏に住んでいたころは、身の回りに悪い環境しかありませんでした。だから、体調もずっと延々と悪いままだった。ずっとシャットダウン状態にあり、慢性疲労症候群と呼ぶにふさわしい体調だった。
こちらに来てからは、環境がよくなったおかげで、良いときと悪いときの「ゆらぎ」が生じています。コントロールに振り回されるのはたいへんだけど、それはきっと、そんなに悪いことではない。
たった三ヶ月でこんなにもトラウマが気にならなくなり、自分の抱えていた問題がちっぽけなものになってしまうのなら、以前書いたような、1年半くらいここに住み続けた先には、もっと気にならなくなっているのかもしれない。
ここ三ヶ月のわたしは、あのお気に入りの本のタイトルどおり、NatureによってFixされてきました。
たった一日の体験に畏怖の念を覚えて劇的に人生が変わるようなことはまったくなかったけれど、しんしんと降り続ける軽い雪がいつのまにか腰の深さまで積もり、建物を埋めてしまうように、わたしのトラウマも、いつの間にか雪に埋もれて見えなくなっていました。
わたしが今抱えている問題は、「トラウマ」や「解離」といった過去の亡霊の色彩を帯びている辛い記憶ではなく、純粋な自律神経の耐性領域の狭さ、あるいは望ましくない手続き記憶のパターンといった、生理的な体調不良であるように思えます。
確かにこれはやっかいで、特に自動車を運転していて緊張で耐性領域を抜けそうになってしまうようなときには、もっとしっかりした自己コントロール技能を身に着けなければ、と痛切に感じます。
だから、この2月から、SEにセラピーにまた通ってみることにしました。当初は自動車学校の卒業後の3月ごろのつもりでしたが、前倒しの予定にしました。札幌の雪まつりを一度見てみたかったので(笑)
予約は来週なので、第六回目くらいの体験記からセラピーの内容を書くことになると思います。ずっと通い続けることにするかどうかも、今の時点ではわかりません。
トラウマ治療のため、というよりは、純粋に自己コントロール能力を拡張したいため、という名目で通うことになるのかも。SEよりフェルデンクライス・メソッドやアレクサンダー・テクニークのほうが今の自分の向いているのでは?と思うこともあります。
いずれにしても判断するのは一回セラピーを受けてみてからになります。
もしかするとセラピーを継続する過程でまた再度、重いトラウマ的過去と向き合うことになるかもしれませんが、きっと以前ほど追い詰められたりはしないでしょう。今のわたしには安全な避難場所があるんですから。
医学への失望を生んだ3つのバイアス
トラウマとか解離とかがわりとどうでもよくなってきた、という背景には、前々から断続的に書いている、医学への失望感もあります。
ここ数年間、自分の病気について調べれば調べるほど、世間一般に受け入れられている医学って非常に根深いバイアスがかかっているのではないか、と感じられるようになりました。それもひとつだけではなく複数の。
まず1つめは、商業主義のバイアス。
わたしはもともとけっこう科学や論文を信頼する人間だったので、医学文献やインターネット上の専門ニュースにおいて、薬物療法や心理療法ばかりのエビデンスが挙げられているのは、薬物療法や心理療法には効果があり、それ以外の自然療法などは眉唾や疑似科学である、という意味であるわけではない、ということを理解するのにかなり時間がかかりました。
ヴァン・デア・コークやオリヴァー・サックスみたいな良識ある医者がはっきりと指摘してくれていたおかげでやっと目が覚まされましたが、けっきょく医学の世界も商業主義なので、大学や製薬会社などの利益にならない研究には資金が提供されません。身体はトラウマを記録するにはこう書かれている。
過去10年間に、アメリカで最も権威のある医学専門誌「ニューイングランド・ジャーナル・オヴ・メディシン」の2人の編集長、マーシャ・エンジェル医師とアーノルド・レルマン医師が辞任している。医学研究や病院、医師に対して製薬業界があまりに強大に力を持っているからだ。
2004年12月28日に「ニューヨーク・タイムズ」紙に寄せた書簡で、エンジェルとレルマンは、前年、ある製薬会社が収益の28パーセント(60億ドル超)をマーケティングと経営に費やす一方、研究と開発にはその半分しか回さなかったこと、3割を純利益として取っておくのが製薬業界では典型的であることを指摘した。
2人はこう結論している。「医療従事者は、製薬業界への依存を断ち切り、自らを教育しなければならない」。
あいにくこれは、政治家が選挙運動の資金を出してくれる献金者と縁を切るのと同じくらい、ありそうもない。(p671-672)
大きな権力を握る製薬会社が主導する薬物療法は、実際よりもメリットが大きいように報道されるし自然セラピーやボディワークのような製薬会社の儲けにならない手法は評判を貶められていることが多い。そもそもの土台からして医学は人道主義ではなく商業主義の上に成り立っていることを思い知らされました。
薬から多額の利益が挙がるようになったので、主要な医学専門誌は、メンタルヘルス上の問題のための非薬物治療に関する研究はめったに掲載しない。
さまざまな治療法を探求する専門家は、主流から外れた「代替療法」(オルタナティブ)としてたいてい無視されてしまう。非薬物療法の研究はほとんど資金提供を受けることがない。(p71)
本当に効果的な治療が何かを知るには、医学情報を鵜呑みにするのではなく、生物学や自然科学、歴史学など、製薬会社と利害関係にない分野の情報を調べる必要がある。
(土と内臓 によると、同じことが農業界にも言える。モンサントなどの大企業が実権を握っているので、比較的好都合なデータしか論文として世に出ることがなく、デメリットについての研究は日の目を見ることがないかもしれない。医学が抗生物質の乱用で人体内部のマイクロバイオームを破壊してきたのとまったく同時期に、農業は農薬の乱用で土壌のマイクロバイオームを破壊してきた。そして今、両方が同時期にその結果を健康被害として刈り取っているが、商業主義による乱用も、人々の意識も変わっていない)
2番目は、デカルト的心身二元論のバイアス。
「身体の病気」とは別の「心の病気」なるものが現実に存在するという、時代遅れも甚だしい不可思議な理解が、医者側にも当事者側にもまかりとおっています。
わたしが間近で見てきた、慢性疲労症候群患者が主張するような「自分たちは身体的・器質的疾患であって、うつ病のような精神疾患ではない」という考え方はまさにその典型。
あまりにこうした考え方が深く根付いてしまっていて、身体疾患を扱う医者たちと、精神疾患を扱う医者たちのあいだのベルリンの壁になっているので、それぞれの研究のあいだの深い溝を見るたびにバカらしくなります。
たとえば、最近のニュースで、自律神経のバランスが脳脊髄液の産生と関係していることが指摘されていたのは興味深いことでした。
脳脊髄液減少症、診療ガイドライン改定へ 「事故で発症」理解されず(1/3ページ) – 産経ニュース
28年度から学会の神経内科医らも臨床を本格化。研究チーム代表の荒木信夫・埼玉医科大教授によると、外傷が自律神経に作用して髄液をつくる力が低下するケースがあると分かってきた。
これら症例はブラッドパッチで完治しないこともあり、多くの保険会社は事故後の賠償をめぐる交渉で発症を否定する。
前々から「脳脊髄液減少症」とは、事故などで髄液が漏れているケースだけではなく、自律神経の変動で髄液産生が低下しているケースもある(たとえば思春期の起立性調節障害など)と言われていたけど、かなり研究が進められている様子。
でも、これは、いわゆる「身体疾患」の側の研究なので、「精神疾患」の側の研究に輸入されたり当てはめられたりすることはない。
実際には自律神経障害による髄液産生不全は、当然トラウマや他の理由による自律神経の異常においても起こっているだろうから、髄液減少による症状は、単に事故と結びつけるだけでなく、もっと多分野で研究してほしいなーと思うのに。
だけどいまだに、(心の病である)トラウマと(身体疾患である)脳脊髄液減少症や慢性疲労症候群は別物だ、みたいな心身二元論に基づく考え方が医者にも当事者にも浸透しているのに、両者の研究が出会うことがめったにない。トラウマは心的外傷ではなく生命の危機の体験だから、当然事故のときにも当てはまるはずなのに。
最後の3つ目は、人類が今いる環境が当たり前だとみなすバイアス。
医学は、現代社会という異常な環境を当たり前だとする前提のもとに、健康とは何かを定義している。
わたしたちが生まれ育つ都市は、生物の生きる環境としてはあまりに異質です。でも、生まれたときからそこにいて、それが当たり前だから、何かがおかしいと気づくことさえできない。いくら本来の人間のありようとはずれていても、生まれ育った文化の歪みに気づくのはとても難しい。
学校の環境にしてもそうです。立ち上がって歩きたいという自然な感覚や衝動を抑制して、くしゃみやあくびを我慢して、緊張感のなか半日以上狭い教室の中でひたすら座って過ごし、知識だけを詰め込む、という方式が、まったく生物的に考えて異質で奇怪すぎることはもう説明するまでもないことです。
それなのに、子どものときからそう育てられ、親の世代も祖父母の世代もそう育てられているがために、都市や学校をおかしいと考えることができない。(数世代にわたって異常な環境にいるため、もはや正常とは何かを知っている人がほとんどいないことから起こっている、大規模な「環境性・世代間健忘」である)
その結果、何が起こっているか。現代社会で不適応を起こす人たちのほうが発達障害だと診断され、学校社会に適応できない子どもの方が不登校やら起立性調節障害だとか診断される。
生物学的に見れば、おかしいのは明らかに環境のほうのに、環境に適応できない個人の方が病気だとみなされ、薬物を投与される。異質な環境に適応させるためにです。
わたしは、最近、いわゆる「定型発達者」は、昔からずっと存在してきたのかどうか、かなり疑問に思っています。
「定型発達者」とは、現代のこの生物学的に歪んだ都会や学校の環境に順応できる人たちであり、「発達障害者」とは、それらに順応できず自然豊かな環境でならいきいきとする人たちです。
この現代社会に適応できるかどうか、だけの観点で考えれば、定型発達者は「正常」で、発達障害者は「障害」に見える。でももしここが産業革命前の時代だったら? 遊牧民族の社会だったら? いま発達障害とみなされている人たちのほうが生き生きとしていて、定型発達者のほうが適応不全を起こしていたかもしれない。
そうだとすると、昔と今とでは、人口における定型発達者と発達障害者の割合が違っていたのでは? と思えるわけです。
人類の遺伝子をさかのぼって調べることはできませんが、現代において多数派を占める定型発達と呼ばれている人が、本当に何千年も前から多数派だったのか、わたしは疑問をはさむ余地があると思っています。
発達障害の専門医師は、「発達障害の遺伝子を持っている人は昔からいました。エジソンやモーツァルトがそうだったと言われています」なんて言うけれども、そんなレベルの問題ではないような気がする。
というのは、ダーウィンの自然淘汰という生物学的視点をここに当てはめてみると、生き物は、その時々の環境に最も適応した種が栄え、適応できない種は少数派になる。そして有名なダーウィンフィンチがそうだったように、環境が変わると、種の割合もまた変化する。
現代において、定型発達者が多数派なのは、彼らが現代社会という文明化された都市(自然不足の環境)に適応した種であり、自然淘汰の圧力が働いているからではないか? ということになる。
産業革命以降、現代社会は高度に都市化、工業化されました。すると環境が大幅に変化するので、ダーウィン的自然淘汰が起きます。産業革命以前に適応した遺伝子を持つ人は少数派になり、産業革命後のまったく異質な環境に適応した人が多数派になるはずです。
産業革命前の、「感じること」を重視する社会から、産業革命後の「感じること」を抑制する社会に転換したとき、自然淘汰によって感じる能力が強い人間は少数派になり、感じる能力が弱い、人工的社会でも不具合を感じにくく、自然欠乏の影響をあまり受けない、悪く言えば鈍感な人間が多数派に入れ替わったのではないか?
もし都市が存在していない時代にタイムスリップしたら、真逆の自然淘汰圧が働いていて、いま発達障害だとみなされている遺伝子を持つ人(たとえばADHD)のほうが多数派で、いま定型発達とみなされている人は少数派だったのではなかろうか。(たとえばモンゴル帝国なんかはADHD多数派の社会だったのでは?)
ちょうど、最近読んでいるコケの自然誌の著者が、それを思わせるようなことを次のように書いていました。
私も含め、都会には決して住めない人がいる。私が街へ出かけるのはどうしても必要なときだけで、できるだけ早く街を後にする。
田舎の人間はコバノエゾシノブゴケに似ている。たっぷりのスペースと、木陰の湿気がなければ元気が出ず、忙しい都会の道路よりも静かな小川沿いの道に住むことを選ぶのだ。生活のペースはゆっくりとして、ストレスにはからきし弱い。
都会ではそんな生き方では障害をきたす。ニューヨークの街角では、ヤノウエノアカゴケのような、ペースが速く、常に変化し、集団の中にいることを最大限に利用する生き方が必要とされる。
都会という環境は、コケにとっても人間にとっても生来のものではなかった。だが双方とも、その適応能力とストレス対応能力のおかげで都会の断崖を住処にした。(p156)
都会という環境は、生物にとっては「生来のものではなかった」。しかしコケにヤノウエノアカゴケのような都会への適応種が現れたように、人間にも定型発達と名付けられた都会への適応種が現れ、都会において多数派をしめる代表的な種となった。
だが、生物の種としては都会に適応しても、個々の個体をみれば、適応以前の遺伝的特徴をもつ種が、都会で育つこともありうる。だから、「私も含め都会に決して住めない人がいる」。そうした人は都会では体調を崩すので、発達障害とみなされてしまう。
しかしそうした人たちは、発達障害などではなく、もともと生きものが住んでいた環境のほうに適応した旧来の種であり、田舎で多数派をしめているコバノエゾシノブゴケのようなものなのだ。
ヒトもまた産業革命以前はおそらく、コバノエゾシノブゴケのような旧来の種(現代では誤って発達障害と呼ばれている)が多数派であり、ヤノウエノアカゴケのような都会に特化した種(現代では定型発達と呼ばれている)は少数派だったのではないか。
とすると、「発達障害者は昔からいた」なんて言う医者の主張はまったくおかしなことになる。むしろ「定型発達者は昔からいた」と言うほうが正しいのだ。産業革命前の自然豊かな時代にも、定型発達の遺伝子を持つ現代的な人間がごく少数ながらいて、適応不良を起こしていたかもしれないのだから。
ちなみに都市に生えるコケや、やはり都市に多いネズミ、ゴキブリ、ハトなどの種は「アーバンクリフ仮説」によると昔からいたらしい。ただし森ではなく岩壁などの場所に。
顰蹙を買いそうだから、あんまり大きな声で言いたくないのだけれど、種として見れば、自然界ではまれなのに都会では反映しているという意味で、定型発達者とは、ヤノウエノアカゴケやギンゴケ、ゴキブリ、ハト、イエスズメなどは同じタイプなのではないか、と感じる。ストレスや公害に強く、混み合った環境で元気な種なのだ。(p145)
異質な刺激の多い都会ではストレスに強い種が繁殖し、ストレスに弱い敏感な種は淘汰される。人間においてはそれが、定型発達者の増加と、敏感なタイプが精神疾患や不登校になるという形で表れている。
動植物においては、ゴキブリやハトやある種のコケや雑草ばっかり増え、その他の多様な種は淘汰されて都会からいなくなる。人間は病気になっても福祉でかろうじて生き残ることができるが、動植物は病気になったら淘汰されきってしまう。
それゆえに、「現代は発達障害者が増えている」異常な時代だというのも、まったく間違った観点であって、「現代は定型発達者が増えている」異常な時代だ、と言い換えるべきだということになる。
発達障害者が増えているのは、生物としてまともでない居住環境が増加していることに対する敏感な個体の普通の反応であって、本当に危惧すべきは、そのような環境でも一見して不具合を見せない定型発達者が増加しているほうにあるのだから。現代社会に適応した定型発達者たちは、「感じること」が麻痺してしまっているストレスに強い種のようなものなのだ。
もちろん、ダーウィンフィンチやコケの植生を引き合いに出すのであれば、どちらが異常だと言うことはできず、現代社会に適応した定型発達者たちもまたヒトという種のひとつの可能性にすぎないわけだけど、さらにもう少し踏み込んだ考え方が必要なのかもしれない。
生物学的には、多様性こそが種のあるべき正しい姿だけど、現代の「定型発達者」に色とりどりの多様性をわたしは感じない。むしろ発達障害とみなされている人たちの側に多様性を感じる。
(実際に、自閉症「スペクトラム」はそのような色とりどりの多様性を意味してつけられた用語であり、脳磁図だったかでその多様性は証明されていたはず)
自然科学や微生物学においては、現代は、動植物や微生物の種の多様性が非常に損なわれている時代だとされている。前にも引用したけれど、メイヤーの腸と脳によれば、都市部に生きる人たちの腸内細菌の多様性はアマゾン熱帯雨林の人たちの腸内細菌に比べると非常に貧しい。
気になるのは、彼らの発見によれば、典型的なアメリカの食生活が身についている人は、先史時代の生活様式を保持する人々に比べて、腸内微生物の多様性が最大で三分の一ほど失われていることだ。
それに関連するさらなる気がかりな事実がある。私たちの体内の生態系のこの劇的な変化は、ヤマノミ族が住むアマゾン川流域の熱帯雨林を中心に、地球の生物多様性が1970年以来30パーセントほど失われてきたという概算とほぼ同じ数値を示しているのだ。(p210)
現代の世界では、わたしたちの内なる微生物の生態系においても、外なる動植物の生態系においても、多様性が減少している。
それならば、ヒトという種そのものにおいて、多様性が減じていても不思議ではないのでは? あらゆる種の中で、ヒトだけが多様性の減少による影響を免れることができていることなどありえないのではないか?
腸内細菌において種の多様性が減少して、特定の種ばかりが増加していることと、人類社会において定型発達者が増加していることは生物学的なフラクタルなのではないのか? 現代社会に生きるヒトという種において、多様性が損なわれていることの表れが、定型発達者という均一種の増加なのではないのか?
都会において多様な虫や動植物が見られず、ハトやゴキブリやネズミなどストレスに強い特定の種のみが存在している貧しい生態系になっているのと同じだ。
そう考えれば、この前に書いたような、オリヴァー・サックスが詳細な医学的観察を探すために、毎度毎度18世紀や19世紀の文献に戻らねばならなかったと述べていた理由が説明できると思う。
産業革命前の人たちは、現代社会の人間と違い、感受性豊かな性質の人がもっと多かったのではないだろうか。
そして、オリヴァー・サックスやわたしのようなタイプはその時代の遺伝子を受け継ぐ生き残りであり、同様に現代社会で不適応を起こし、発達障害やら不登校やら精神疾患やら診断されている人たちもまた、その時代の人々の特性を強く受け継いでいる、産業革命前の人種なのではないか? 彼らはもしタイムマシンによって何百年か前に戻ることができれば、かえって当時の環境に適応できるのでは?
さっき「私も含め都会に決して住めない人がいる」と述べていたロビン・ウォール・キマラーの母親が、植物と叡智の守り人 の中でこう述べていたのは、たぶん生物学的現実なのだと思う。
母は科学者という仕事が大好きだったが、生まれてくるのが遅すぎた、ともしょっちゅう言っていた。
本当は19世紀の農家の主婦というのが天職だったに違いないと言うのだ。
トマトを瓶詰めにしたり、桃を煮たり、パン生地のガス抜きをしたりしながら母は歌を歌い、そういうことを私にも是が非でも覚えさせようとした。(p101)
サックスの家系にしてもキマラーの家系にしても、さらにはわたしの家系にしても、こういう感受性豊かな人たちは、「本当は19世紀の」遺伝的要素を持っていて、産業革命以前ならば多数派だった人たちなのだと思う。
だから、今日の都市環境においては「都会に決して住めない」けれども、現代社会という狭い視野の中でしか考えていない医学の専門家たちが言うような発達障害だとみなすのはまったくの誤りであり、かつて多数派だった種の生き残りであるに違いないのだ。
…こうした説明は、精神医学とか製薬会社の観点からすればバカげた説明に思えるかもしれませんが、人類を生物の一種とみなす生物学的な観点から、環境によって多数派と少数派が入れ替わるダーウィンフィンチと同じものだとみなせば、これはまったくおかしな説明ではないと思います。
以上のような、これら3つのバイアスについて考えてみたとき、医学、とりわけ精神医学という学問は、(1)本当は環境の問題であり、個人の病気ではないものを (2)身体の病気とは別に存在する「心の病気」が存在するという幻想のもとに (3)製薬会社の利益を第一に考えた治療法によって治療しようとしているように、わたしには思えます。
調べれば調べるほど幻滅するし、こんなバイアスまみれの歪んだ学問や、そこにどっぷり入り浸った当事者たちとこれ以上かかわり合いになるくらいなら、さっさと縁を切って人間らしい本来の暮らしをしたい、もっと有意義な自然や人間そのものについての科学を学びたいと感じてしまうのは極端すぎるでしょうか?
医学から何も学ぶことがない、とは言いません。わたしだってそこからたくさん学んできて、今の理解に至るわけなので。だけど時間は有限なので、混乱しきった泥沼の中ではなく、もっと澄みきった大自然の中を探検したいと思うのは、それほどおかしなことではないと思います。
ゲームよりもはるかに楽しいもの
そういえば、わたしはもともとかなりのゲーマーでしたが、こっちに来てから、ほとんどゲームをしなくなりました。ゲーマーのたしなみとしてプレイしておきたいゲームはちらほらあるんですが、そんなことより何より、外に遊びに行くのが楽しい。
ゲームするのがめんどくさくなっている自分がいます。この場合もやっぱり、そんなちっぽけなゲームの世界に閉じこもるより、この氷点下の壮大な世界を、自分の足で探検に行こう!って思ってしまいます。バーチャルな冒険の何倍も、リアルの冒険のほうが楽しいし、リラックスできるし、癒やされる。
NATURE FIXにあった韓国の社会が抱えているゲーム依存の原因についての記述が思い出されました。ああ、たぶん、書かれていたとおりなんだろうな、と。
こうして韓国の子どもたちのようすを見ているうちに、わたしはあることに気がついた。韓国の子どもの大半にとっては、ゲームしか遊ぶ方法がないのだ。
さらにゲームは、親に監視されずにできる唯一の遊びであるに違いない。
「学校以外の場所で遊ぶことは禁じられているんです」と、ひとりの母親が話してくれた。
ソウルにも緑の多い公園がないわけではないが、数が少ないうえ、そうあちこちにあるわけではない。校庭はほぼアスファルトでおおわれているうえ、狭く、閉所恐怖症を起こしそうなほどだ。
そもそも子どもたちは放課後、学習塾に通うため、運動をする時間などまずない。アメリカの子どもより悲惨な状況だ。
とはいえ、アメリカでも学校の休み時間が短くなり、子どもが大人に管理されずに遊んだり、のんびりすごしたりする時間が減っている。韓国よりはるかにましだなどと高をくくっている場合ではない。
それを思えば、韓国とアメリカの子どもたちが、はるか銀河の彼方にあるゲームの世界で顔をあわせているのも当然の成り行きかもしれない。(p114)
わたしは自分の実体験から、この言葉どおりだと思います。わたしは本当は大自然のなかで遊びたかった。でもそれができない環境、現代社会の都会という捕らわれの身に置かれていた。だから、せめてものゲームの世界のなかで、その楽しさを擬似的にバーチャルに味わおうとしていただけだったのだと。
でも、ある人は言うかもしれない。たとえ首都圏でも、新宿御苑のような大きな公園はあるし、ちょっと秩父のほうにでも足を伸ばせば雄大な自然を体験できるじゃないかと。
でもそんな人たちはわかっていない。都会で公園に遊びに行くことや、自然の多い観光地にまで行くことが、どれほどハードルが高いことなのかを。
人間は結局のところ、楽なほうを選びます。いくら健康にいいとわかっていても、わざわざ殊勝にも遠くまで通ったりしない。そもそも、そこまで行くという努力が必要な時点でだめです。
わたしがこっちに引っ越してきて一番よかったのは、ちょっとでもストレスを感じたら、すぐに外に出て、そこがそのまま大自然のただ中だ、ということだった。カップラーメンを作るより早い。ゲーム機のソフトを起動するよりも早いかもしれない。
たとえ自然の中に行くのが、健康にいい、リラックスできると思っている人でも、自然の多いところに行くのに1時間かかるなら、自宅ですぐに起動できるゲーム機で楽しむほうを選ぶ。少なくともわたしはそうでした。
前に住んでいたところは近くに大きな公園があったけれど、自転車で10分かかるからめったに行かなかった。何より、その自転車で10分というのは、都会の人混みと自動車の海をかきわける10分でした。
たとえ公園でリラックスできるにしても、公園に着くまでのわずか10分にどれだけ自律神経が疲れ果てるか。ましてや電車で一時間かけて行かねばならない山岳地方などなおさらだ。帰りもそこをまた通ってこなければいけないのだし。
このような場所では、「自然界を楽しむ」という活動が、その前後の「混雑した交通道路を自転車で走る」「電車で一時間かかって行く」といった、ストレスが非常に多い行為と条件付けされてしまいます。
そうなれば、不快感が条件付けされた自然を楽しむよりも、家で不快感なしに楽しめるゲームのほうを選ぶに違いない。
たとえゲームの楽しみより、自然界のリラックス効果が勝っているとしても、努力して行って帰ってくる過程で、自然界の勝ったリラックス効果は打ち消されてしまうのだから、トータルではゲームのほうがリラックス効果が高いということになるでしょう。
ゲームと自然界は、トラウマや発達障害の当事者にとっては、「セルフメディケーション」の手段として競合関係にあります。
自律神経が不安定なトラウマや発達障害の当事者にとっては、なんとかして自律神経をリラックスさせる外部刺激が必要であり、自傷行為をする人もいれば、ゲーム中毒になる人もおり、過食で摂食障害になったりギャンブル依存になったりする人もいる。どれも、不快感を和らげるセルフメディケーションの手段として興じています。自然界のリラックス効果はそれらと競合関係にある。
これらのうち、どの手段が選ばれるかは、本人にとって、どれがもっともハードルが低いか、つまり最小限のデメリットでメリットを得られるかという「手軽さ」や「即効性」にかかっています。一番ラクにリラックスできるものが選ばれます。
そうすると、都会に住んでいる大半の人にとって、自然界のリラックス効果は選択肢から消えます。だって服をわざわざ着替えて、何十分もかけて公園に行くことのどこが「手軽」なのか。とりわけ「即効性」という意味では最悪です。途中の交通騒音などで神経が興奮するし、もし公園に着いても、都会のど真ん中の公園のリラックス効果なんてたかが知れています。
なら、選択肢としては、自傷行為やゲーム、ギャンブルなどのうちから、もっとも本人にとって「手軽」で、「即効性」があるものが選ばれることになる。わたしの場合は、それがゲームだったということ。ゲーマーとしての言い分を述べさせてもらうと、ゲームには教養や想像力、反射神経を鍛えられるというメリットも大きいですし。
ところが、こっちに引っ越してきてみると、その構図が逆転してしまった。ゲームを起動するより外に出て自転車で走りにいくほうが手軽になってしまった。なんのデメリットもなしに、ゲームよりリラックス効果がはるかに大きい大自然の恩恵を受けられるのであれば、それを選ばない手はない。
わたしは自分がゲーム依存だったかどうかはよくわかりません。自分ではそんなはずはない、良識あるゲーマーだと思っていました。しかし、依存症の人はみんなそう言うらしい(笑) わたしはADHD傾向が強いから、ゲーム依存だったとしてもおかしくはない。
わたしがこんなふうにしてゲームをほとんどやらなくなった話を主治医にすると、自分の患者の少なくとも8割くらいは、同じような環境があればゲームしなくなるかもしれない、と言っていました。
一方で、この話を地元の人にすると、ここらへんの子どもでもゲームばっかりやっている子はけっこういるよ、と言われたので、必ずしも当てはまるわけじゃないのかもしれません。
けれども、たぶんわたしの認識では、その子がどの程度、自然界の中で遊ぶことを教えられてきたか、によると思います。たとえ自然豊かなところで育ったとしても、親がほとんど自然に関心がなく、どこにも連れて行かなかったら、子どもが自然を積極的に楽しむようになるとは考えにくい。
わたしの場合も、雪道用の自転車やスノーシューを持っているからこんなに手軽に遊びにいけるようになりました。でも地元の人たちは、案外こうした道具を持っていないことが多い。
地元の人たちは学校で習ったスキーのようなウィンタースポーツは得意ですが、それだけでは、こんなに手軽に自然を楽しむことはできません。スキー場に行ってレジャーとして自然を楽しむのは、都会で言うところの公園に行くのと同じほどハードルが高いからです。
もっと身近な自然を、ただ自転車で走って、ただスノーシューで歩いて楽しむというようなことは、移住してきた人たちのほうが積極的なように思えます。もともと住んでいた人たちは、都会のようなコンクリートジャングルを経験したことがなく、自然豊かな環境が当たり前すぎて、それをただ楽しむことができないのかもしれません。どちらの世界も知っているからこそ、自然があるということのありがたみがわかります。
そもそもの話、わたしが今住んでいる土地は、日本の都市の基準からすれば「自然豊かな場所」ですが、あくまでそれは都市と比較した場合の話です。もっと普遍的なものさしでみれば、ここは「半都会」にすぎず、大自然の真っ只中とはいいがたい。少なくとも娯楽としてのテレビは都会とまったく同じようにある。うちはテレビないけれど。
だから、ここはゲームに転ぶ子もいれば自然での遊びに転ぶ子もいるという境界線上の土地ではないかと思います。わたしも本当なら、ラップランドみたいなさらに大自然の真っ只中に移住したいんだけど、まだそこまではできないので、準備を整えるスモールステップとしてここに来たんです。こんなものじゃまだ自然が足りない。
こういう境界線上の土地では、レイチェル・カーソンがセンス・オブ・ワンダー で書いているように、やっぱり親が子に自然との親しみ方を積極的に教えなければ、自然と親しむことはハードルが高くなってしまい、どこかでテレビやゲームに負けてしまうでしょう。
まだほんの幼いころから子どもを荒々しい自然のなかにつれだし、楽しませるということは、おそらく、ありきたりな遊ばせかたではないでしょう。
けれどもわたしは、ようやく四歳になったばかりのロジャーとともに、彼が小さな赤ちゃんのときからはじめた冒険―自然界への探検―にあいかわらずでかけています。そして、この冒険はロジャーにとてもよい影響を与えたようです。
わたしたちは、嵐の日も、おだやかな日も、夜も昼も探検にでかけていきます。それは、なにかを教えるためにではなく、いっしょに楽しむためなのです。(p10)
親が子どもに自然と親しむことを教える、というのは、前に書いた自然界との愛着関係を築く、ということです。
愛着について言えば、ただ親が近くにいれば良い関係が築けるというわけではありません。愛着障害になっていたら親がそばにいても親に頼ることはできません。
同じように、自然が近くにあれば、必ずその恩恵を受けられるというわけではありません。まず、自然界との愛着関係というソマティックな経験の土台があってこそ、自分から進んで自然を楽しめるようになります。
家のなかでただテレビを見るよりも、あるいはゲームするよりも、自然界のなかを探検するほうが楽しい、ということを知るには、自分の身体で経験して味わい知ることが必要です。
未完了の手続き記憶を完了させたのか?
なら、わたしはそうした体験を子どものころにしたから、いまこうして自然界を楽しめているのか、というと、それがよくわからない。
生まれも育ちも都会ぐらしだったので、そんな原体験があったかと言われると、まったく思い出せません。親に聞いても、とりたててそんな体験があったようには思えません。
そこそこ旅行などで自然豊かなところに連れて行ってもらっていたおかげなのでしょうか。でもそれくらいのことは、ほとんどの子が体験していると思うんですが。
不思議なのは、わたしが、これだけ目の問題に悩まされているのに、近視はほとんどないということです。メガネ屋さんによると若干近視が入ってきているとのことですが、いまだに視力は0.8から1.0付近です。両親ともに近視であり、子どものころからあれだけゲームばかりしていたのに、どうしてなんだろう。通っていた進学校のクラスでは、わたし一人だけメガネをかけていませんでした。
NATURE FIXによると、近年、近視は子どものころにどれだけ屋外で過ごしたかが関係している問題だと考えられるようになっているそうです。
東アジアの一部では、インドア志向が蔓延し、ティーンエイジャーの近視率が90%を超えている。
近視は本の読みすぎが原因だと考えられていたが、いまではハダカデバネズミのように日光を避けて暮らしているせいではないかと言われている。
日光は網膜のドーパミン受容体を活性化させ、目の形状に影響を及ぼす。屋内でばかり生活していると網膜細胞にどんな影響が及ぶのかに関しては、目下、研究が行われている。(p16)
田舎に暮らす人と比べて、都市部に暮らす裕福な人たちの近視率は二倍に達したのだ。上海では高校生のなんと86%が眼鏡を必要としている。
またオハイオ州、シンガポール、オーストラリアで実施された最近の研究によれば、近視の人と近視でない人のほんとうの違いは、戸外ですごす時間の長さだということだ。
日光が網膜にドーパミンの放出をうながし、その結果、眼球が楕円形になりにくくなるからだという。(p175)
わたしは、同じ学校のクラスの他の90%以上よりも、日光の下で遊ぶという幼少期体験をしていたということなんでしょうか。まったく記憶にないんですが。
だけど、それを示唆する証拠がほかにないわけではない。さっき書いた自然界との愛着関係についての話と一致して、あなたの子どもには自然が足りない によると、環境保護に携わる人たちの多くは、幼少期に自然から良い影響を受けた人たちである、という研究があるという。
1978年、アイオワ州立大学の環境学教授、トーマス・タナーは、人が環境保護論者となる過程で受ける影響についての研究を行ない、調査対象の人々が環境運動に目覚めるきっかけとなったものを調べた。
…「最も多く引き合いに出されたのが、子供時代に自然や田舎、その他の野生環境での経験から影響を受けたというものだった」
彼らのほとんどが子供のころに、ほとんど毎日のように自然のなかで勝手気ままな遊びをしていた。
「私が発表した結果は、その後のいくつかの研究によっても裏付けられました」とタナーは言う。
ケンタッキー州やノルウェーといった多様な場所での環境運動家の研究から、子供時代の経験が、大人になってからの環境運動にとって重要であることが示されたのだ。(p167)
大人になってから、自然に引き寄せられ、その価値を認める人のほとんどは、子ども時代に自然と触れ合う原体験を持っているということです。
わたしがトラウマについて調べていくうちに、自然欠乏障害という概念に引き寄せられ、一般的なかたちのトラウマ医療ではなく、自然セラピーをより重視するようになったのは、もともとそういう経験的下地があったからなのではないか、ということになるでしょう。
わたしは、意識的な自覚においては、もともと自然好きだったとは思っていません。コンセントがなければ生活できない人ですし、どちらかというば都心のような文明社会の中心地に惹かれていました。
けれども、根本の部分においては、文明より自然界を求めていたような傾向はずっとありました。
たとえば、自分に影響を及ぼした本を振り返ってみるときに気づくのは、明らかにわたしは医学とか科学好きな人ではなかった、ということです。トラウマ医学は、わたしに大きな発見をもたらしてくれた。しかしそれは知識として興味深かったというにすぎず、わたしの魂までをも揺さぶるには足りなかった。
わたしが読んでいて幸せに感じたのは、NATURE FIXであり その次に読んだあなたの子どもには自然が足りない であり、オリヴァー・サックスの本の中でも一番好きなのはシダ植物を求めてオアハカにまで行った旅行記のオアハカ日誌 だったりするくらいですから。
NATURE FIXの訳者の栗木さつきさんは、あとがきの冒頭でこんなことを書いていたけれど、わたしにとっては本当にそうだった。
人生を変える本がある。いえ、おおげさな売り込み文句じゃありません。
読書をしていると、これからの生き方を変え、光が射すほうに連れていってくれるような本と出会うことが、ごく稀にある。本書は、まさしくそんな作品だ。(p357)
この本に出会わなければ、ここ北海道にいるなんてことはなかったはずなので、まさに人生を変えてくれた本でした。
それに、わたしが自然を求めていることは、表層の意識には隠されていたけれど、潜在意識は間違いなくそれを知っていたはずです。なぜそういえるのか。
そんなことは、わたしの絵を見れば、はじめから明らかだったのではないでしょうか? 芸術は、そして作品は千の言葉よりも雄弁に、その人が何者であるかを語ります。
わたしの絵はずっと自然界が題材だった。人工的なビルや構造物、自動車などは描かなかった。それらに魅力を感じないだけでなく、それらの存在が、絵の調和(ハーモニー)を破壊すると感じたからです。
わたしの絵に登場する人工物や建物は、必ず背景と調和した有機的なデザインでなければならなかった。現代社会の無機質なコンクリート製のビルであってはならなかった。そこに自然界と調和したメロディは感じられないから。
わたしの夢の風景、わたしの子ども時代からの安全基地、それはいつも自然界の雄大な風景と、そこに生きる動植物たちでした。それがわたしの魂のふるさとであり、苦難を生き延びるために心のなかに保ち続けたイメージだったのです。
わたしは日本の大都会にいながら、つねに自分の故郷である大自然の風景を空想しつづけていた。自分の居場所はここにではなく、自然豊かな幻想郷にあることを、無意識のうちに知っていたから。
わたしがなぜそんなイメージを子どものときからずっと抱いていたのかはまったくもって謎です。わたしは生まれも育ちも都会であり、大自然など経験したことがないので。
あたかも、これは「解離」が働いていたように思えます。心はそれに気づいていない、でも身体は知っている。あるいは顕在意識はそれに気づいていない、しかし潜在意識はそれを知っている。またはエピソード記憶からは忘れ去られているが、手続き記憶としては記憶している。
これってまんま解離の定義じゃないですか。
わたしはどうも、原体験としての自然との密接なふれあいをどこかで経験していたように思われる。しかしその顕在記憶は存在しておらず、ただ身体的な手続き記憶としてだけ記憶していた。
だから、自分が自然好きだとは、意識の上では露ほども思ってはいなかったけれども、潜在的にはそれをしっかり保っていて、わたしの本の好みや、わたしの描く絵には、それが反映されていた。そして実際に自然豊かなところを訪れたとき、身体がそこに反応して、体調が上向いたのだ、ということになります。
なぜその原体験の記憶が「解離」されていたのか。全然わかりません。物心つく前の体験だったから、そもそも顕在記憶として残りようがなかったのでしょうか。それとも、都会での暮らしの中で、かなうべくもない理想的な環境についての記憶を抑圧してしまったのでしょうか。
ただひとつだけ言えるのは、わたしにとっては、自然豊かなところに来るということが、身体の記憶に従うことであり、失われた過去を取り戻すことであり、解離された自分を取り戻すことだったのだろう、ということです。
SEのセラピーは、非常に変則的だと思える経緯ではあったけれども、確かにわたしの身体の記憶を呼び覚まし、未完了の手続き記憶を完了させるように働きかけていたのです。
おそらくはかつてトラウマ的状況から逃げたくても逃れられなかった行動を実行に移し、自らの安全基地である自然豊かな場所への逃避行動を完了させるという形において。
今回の記事はここまで。続きはこちら。