自然豊かなところで、身体のリズムを取り戻す体験記の6番目。
前回はロビン・ウォール・キマラーの本が今後の指針になりそうだということを書きました。
今回は、札幌までSEのセラピーに行ってきた内容を書きますが…なかなか更新する気になれなかったことからもわかるように、あまり良い体験ではありませんでした。
だけど、無駄な体験だったわけではなく、今後の方針につながる試金石になった重要な出来事だったとも思います。そのあたりの感想を含めて、記録として残しておきます。
都市を体が思い出す
2月の半ばごろ、一度さっぽろ雪まつりに行ってみたいということもあって、SEセッションと兼ねて札幌まで泊りがけで出かけることにしました。北海道はなぜか、札幌近辺にSEのセラピストが多いんですよね。
札幌までは、高速バスで4時間くらいかかります。同じ北海道と言っても、端から端までだと大阪-東京間より広いわけなので、おいそれと札幌まで出かけられるわけではありません。汽車(電車ではない)でも行けますが、バスのほうが安い。
ただ、北海道は景色もよく、渋滞もほとんどないため、長距離移動のストレスをあまり感じにくい。だから二週間に一回程度なら、SEのためにバスで札幌まで通ってもいいかなーと思っていました。まあ自動車学校が終わってからの話ですが。
高速バスに乗ってみると、意外と混んでいて、リクライニングできない。やっぱり高速バスは拘束バスなのか(笑) 座席の座りにくさが気になったので、もし次回があるとすれば、クッションなど持ってくるべきですね。四時間は長かったものの、行けない遠さではないな、という感じでした。
いよいよ札幌市内に着いてみると、バスの窓から、都市のビル群が立ち並ぶ景色が見えます。10年以上前、学生のころに札幌に来たことがありましたが、当時に比べて劇的に発展しすぎていて驚きました。ビルに囲まれて窮屈そうな時計台が悲しい。
ターミナルについてバスを降り、建物の中に入ると、いきなりショッピングセンター。あまりに情報量の多い空間に、一瞬、目がまわりそうになりました。
ショッピングセンターと言っても、都会生まれ都会育ちのわたしには見慣れた光景。札幌よりもっと都市化された場所で何十年も生活してきた。
だけど、今まで気づかなかったけれど、自分はこんなに情報過多すぎるとんでもない空間を「ふつう」だと思って暮らしていたのか…!
一瞬のうちにそんなことが頭を駆け巡りました。道北に引っ越して、数ヶ月暮らして、わたしは初めて「ふつう」の感覚とは何かを知りつつあったのだ。
ロビン・ウォール・キマラーが、植物と叡智の守り人 でこう書いていたとおりだった。
白状すれば、私は都会に行くと同じような不安を感じる―人、人、人ばかりの場所で、どうすればいいのかわからず、ちょっとしたパニック状態になるのである。だから違いに慣れるのが大変なのはわかっている。(p286)
しかしわたしは、わざわざ「違いに慣れる」必要はなかった。情報過多に圧倒されつつも、わたしはすぐ気づきました。自分はここで生活してきたのだから、「体がそれを記憶している」と。
いまこの瞬間は圧倒されているが、次の瞬間にはすぐに体がこの空間で生きるすべを思い出し、感覚が麻痺してしまって、苦にならないようになっていくのだと。
現に、圧倒されたのは数秒ほどで、すぐに都会での生き方を思い出しました。言葉によらず感覚によって。わたしの感覚はシャットダウンされ、この空間に合わせて神経系が配線しなおされ、人混みをかきわけて歩く方法を思い出したのでした。
そういえば、あこがれの?-40℃の都市ヤクーツクについての記事を読んでいるときに考えさせられる記述があったのを思い出します。
マイナス40℃の町で人々はどう暮らしているのか? 写真11点 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
イウンカー氏は、毎年10日間、同じ予算で世界各地の「記録を持つ町」を訪れている。ヤクーツクを訪れたのも、そのプロジェクトの一環だった。
これまでに、東京(人口密度が最も高い)とイランのアフワーズ(大気汚染が最もひどい)を訪れた。
これらの経験から、その土地の環境にどう対応するかを学んだ。ホテルに泊まるか。屋外でどれくらいの時間過ごすか。それが自分の仕事にどう影響するか。
そのなかで再確認したことは、「シベリアの人々も、私たちと同じように寒さを感じるということです。ただ、私たちよりもずっと備えができているというだけです」
東京ってヤクーツクとかアフワーズとかに並ぶほど過酷な都市って認識だったんですね…。
そこに住んでると感覚が狂ってしまうけれど、実はわたしは、都会から氷点下の極寒の土地に引っ越したはずが、過酷度ランキングではより厳しい地方から穏やかな地方に引っ越したということなのかもしれない。
もともとわたしは生物が住むにはあまりに過酷すぎる、普通ではない世界で生活していたので、その感覚をまだ体が記憶しているのだ。
今年は暖冬だからか、あるいは札幌の雪が少ないせいか、路面はアスファルトがむき出しになっていました。そういえば冬じゅう路面が圧雪になっているのって北海道でも道北とか一部地域ぐらいだと聞いたこともあったような。
冬場にアスファルトが出ているとかえってアイスバーンになりそうで怖いんです。前に「北海道の人は滑らないようにペンギンみたいな歩き方が染み付いてしまう」というのを読んだ記憶がありますが、あれは道北の人にはあまり当てはまらないかも。雪が積もっていると滑らないので、特に歩き方を意識したりしませんから。
あまり感動しなかったさっぽろ雪まつり
ホテルに着いて荷物を置いてから、大通り公園のさっぽろ雪まつり会場へ。最終日だけあって、ものすごい数の人混み! 自衛隊によって作られた圧巻の雪像! ひしめく屋台!
昔行っていた地元の花火大会ほどではありませんでしたし、新宿や渋谷ほどでもありませんでしたが、それでもかなりの人混みでした。
通路が交通整理されていて一方通行で歩かないといけないので、立ち止まってしまうとじゃまになる。ゆっくりじっくり雪像を鑑賞する余裕はありませんでした。連日の暖気のために、小さい雪像はすでに表面が溶けていて、わざわざ鑑賞するほどでもなかったというのもありますが。
自衛隊制作の大雪像は確かにすばらしいものでしたが、ふだん見ている大雪原や雪山や、壮大な空に比べたら、なんだか小さくて迫力がなくて、つまらないものに思えました。
途中で立ち寄った札幌市資料館で過去の雪まつりの写真展(調べたらネット上でも見れた)を見てみたら、過去のほうが今より予算が多くて、自衛隊の雪像が立派だったことにもがっかり。
昔は彫刻像みたいな立体的な傑作が多いのに、近年は壁画や箱型みたいな崩れにくいものが多くなっているような。
それに、さっぽろ雪まつりの雪像の多くは、協賛企業のPRになっていることが多くて、あちこちにスポンサーの宣伝があったり、ゲームやキャラクターとコラボしたグッズばかり売られていたりして、なんだか興ざめでした。
今回の大雪像は、キリスト教会とボカロキャラというのもな…。すぐ現実に引き戻されて、幻想的な世界をまったく感じられない。
大雪像がすばらしい芸術品なのはわかるけれど、わざわざ札幌くんだりまで雪像を見に来なくても、地元の近場をサイクリングしているほうがよっぽど印象的な景色に出会えるし心が揺さぶられると思いました。
札幌市資料館では、「さっぽろ垂氷まつり」という つらら展が同時開催されていたんですが、暖冬のせいか、人口つらら製造機はまったくつららができていない。資料館の建物の軒下のつららは立派でしたが。
でもこれくらいのつららだったら、うちの地元で、そこらへんに普通にできまくってるしなーというのが率直な感想。
気温は地元より暖かく、氷点下ひと桁でしたが、風がそこそこ吹いているせいで、肌寒さは感じました。大通り公園の会場を端から端まで歩きましたが、寒い中をぞろぞろと行進させられて、さながらナチスの死の行進のようだった。
ひととおり見て回ったあとは、駅に引き返して食事をしてホテルに帰りましたが、アスファルトや舗装された道路ばかり歩いたせいで足が非常に痛い。引っ越してからずっと草地や土や雪の上ばかりを歩いていたので、硬い路面を歩くのは辛かったです。
むかし、アフリカのマラソン選手が日本に走りにきたとき、アスファルトの路面で足を傷めたという話を思い出しました。自然界の地面は天然のクッション素材で圧力を分散しているというのに、都会はつくづく体に悪い場所だなとがっかりしました。
感想としては、さっぽろ雪まつりは、一回来たらもういいかなーという感じ。わざわざ来年もリピーターするほどの良さを感じられなかった。ここに来るくらいなら、スノーシューで雪山登りツアーのリピーターやっているほうがよっぽど楽しい。
つくづくわたしはもう都会には縁のない人間になったんだな、という気持ちになりました。
北海道に引っ越そうという話になったとき、最初は、まずスモールステップがてら札幌に引っ越しして、それから数年後、寒さに体が慣れたらもっと田舎に、という段階的な案があったんだけど、それを選ばないで本当によかった。
札幌でのSE体験
一日目の札幌観光の印象があまり良くない中、二日目はSEのセラピーへ。
札幌のSEセラピストは大勢いるけれど、その中の一人の方のセラピーをとりあえず受けてみることに。前回のセラピストがとてもよかったので、そうそう当たり外れはあるまい、と思っていました。
個人名を特定されないように、ここからは、かなりぼかした内容で書きたいと思います。
セラピールームについて、まずはここに来た目的などを聞かれます。前のSEセラピストのときは、ほとんど個人的な背景については聞かれず、SEはカウンセリングじゃないからそういうものだと思っていましたが、今回は少し違った。
個人的な背景について軽く婉曲的に話すと、それはどういうことなのか、ともっと具体的にずかずかと聞かれる感じ。たとえば「家庭内でのストレスが…」と言うと、それはどういったストレスなのかと具体的に尋ねられる。
根掘り葉掘り、というほどのものではまったくないのだけど、こっちがあえて婉曲的に言っているところを突っ込まれるのはあまり気分がよくない。
しかも、それに回答したときのセラピストの相槌ちが、「あー、そう」みたいな感じで丁寧さが欠けていて、共感的でない。この時点で事前のイメージと違っていて嫌な予感がしてくる。
それでもまあ、あくまでカウンセリングではなく、SEのセラピストなので、問診はほどほどに切り上げ、実践的な内容に入っていく。そしてここからの手腕は圧巻だった。
まず、椅子に座っている感覚や、地面に足がついている感覚を確かめさせ、グラウンディングを確保。わたしは、確か、ちょっとふわふわしてよくわからない、と答えたはず。体が固まって、息苦しさがあるとも述べたか。
それから安全な場所の感覚を確かめるために「体の中で楽に感じる部分」を探させる。
わたしは、前回までのセラピストとのセッションで、安全な場所を探すのに慣れていたので、左肩だと答える。
相変わらず、全身いたるところに痛みとかきしみとか不快感のようなものを感じますが、左肩は良くも悪くもないニュートラルで、不快感も心地よさもない空白な感じです。
わたしは、左肩の部分は楽だけれども、からだのほかの部分は固まっていて、切り離されているようだと訴える。
すると、セラピストは、体の楽な部分と辛い部分の境界はどこかと尋ねてきたので、左肩のところだけを斜めに区切って伝える。
セラピストはではその境界線の部分に意識を向けてみるように言う。境界線すれすれの固まっている部分に少し意識を向けて凍りつきを感じたら、すぐに左肩のニュートラルな部分に意識を戻すことをくり返す。ペンデュレーション(振り子運動)だ。
そうこうしているうちに、ちょっと心臓がドキドキしてくるが、セラピストは、その感覚は悪いものではないので、ちょっとドキドキをそのまま感じてみるようにと言う。
そうやってペンデュレーションをくり返しているうちに、体の緊張感がとれてくるのを感じ、別の感覚が浮かび上がってくる。
セラピストは今どんなふうに感じているか尋ねてくる。わたしは緊張していた境界線が下にずれて、左肩のほうの安全な部分が拡大してきたことを伝える。
すると、さらにペンデュレーションの位置をずらして、さっきは意識を向けられなかった奥のほうの感覚に注意を向けては引き返すことをくり返すよう言われる。
このあたりの手腕の手際良さがすばらしく、まったくよどみなかった。段階的にどこに意識を向けるべきかを指示するタイトレーションがとても細やかで、最初は左肩付近の、いわば安全な浜辺に近い浅い海底に注意を向けさせ、そこに慣れてきたらもっと深い海底へと連れ出していくプロセスがうまい。
前回までかかっていたセラピストは、おそらく経験が少ないために、このあたりの移行があまりスムーズではなく、クライアントとして、次にどうすればいいのか立ち止まって悩んでしまうことが多かったけれども、今回のセラピストは確実によどみなく誘導してくれる。
やがてわたしは、今まで感じていなかった、とてつもない重さを右上方向から感じていることに気づく。
ペンデュレーションを繰り返して体への気づきがある程度深まったことで、覆い隠されていた感覚に気づくことができた。
わたしは何か右上から覆いかぶさっているものを押しのけたい衝動に駆られました。
その感覚は右上からわたしに覆いかぶさり、押しつぶそうとしている。わたしの上半身はペンデュレーションとともに、文字通り傾いていって、左下へうつむくような姿勢になった。
セラピストは、その右上の覆いかぶさる物体について、「コンクリートのように硬いか」、などと質感を尋ねる。わたしはそうではなくて、ビロードのような、分厚いじゅうたんやカーテンのような重いものだと答える。色は真っ黒だ。
セラピストは、「ではその重いじゅうたんに対して語りかけてみてください。それはあなたのためにどんな助けになってきたのかって」と意外な方向に誘導する。「覆いかぶさられて苦しいと思うかもしれないけれど、あらゆる感覚は、あなたを助けるために存在しているので」と。
わたしは、もともと、最初からその感覚に対して、敵対的な意図は感じていませんでした。だから、コンクリートのような硬いものではなく、じゅうたんのようにやわらかいイメージでした。ただひたすら重かっただけ。
わたしはそれが自分を「守っている」ものだと思いました。そう伝えるとセラピストでは、「ではそれがもしなかったらあなたはどうなってしまうか」と聞いてきます。
わたしはちょっとためらいながら、「裸になって恥ずかしくて放り出されてしまう」と答えました。
あれはトラウマ性の悪夢だったのか?
そういえば、そういう恥ずかしい悪夢を前々からよく見るんです。人前で服がなくなって裸にさらされるような夢。
前に、ナショジオの悪夢障害についての記事で三島先生が、「人前で裸になる、露出する」夢を、よくある悪夢トップ10として紹介してたから、そんな珍しいものではないと思っていたのだけど、これってもしかしてトラウマ由来だったのか?
「悪夢障害」を知っていますか|ナショジオ|NIKKEI STYLE
閉じ込められる、身動きがとれない
愛する人の裏切り
死
迷う、迷子
けが、傷つく
歯が抜ける
人前で裸になる、露出する
試験に落ちる
追いかけられる
落下するこれらは、ある米国人ブロガーのサイトに載っていた「よく見る悪夢トップ10」だそうである(注)。
出典が示されていないので調査方法も対象者も、したがって真偽も分からない。それでも「あるある」と感じた方は多いだろう。
個人的には「歯が抜ける」がランクインしているのがいかにも歯並びを大事にする米国人っぽくて面白かった。日本人の悪夢ではランクインしないのではなかろうか。
わたしは、このランキングの悪夢は、複数のものをよく見ます。思い当たるのは、「身動きがとれない」「迷う、迷子」「歯が抜ける」「人前で裸になる、露出する」「追いかけられる」「落下する」。
このうち、「身動きがとれない」は、何度か過去にも説明しているコンクリートで固められるような恐ろしいもので、オリヴァー・サックスの左足の夢と同様、明らかにトラウマ由来の神経学的悪夢だと思われる。
「歯が抜ける」については、三島先生の考察はたぶん間違っている。歯を気にしすぎるからそのような悪夢を見るのではなく、歯医者で拘束されて歯を抜かれる体験が、一種の医療的トラウマとなっているのだと思う。
わたしの場合、歯がねじ切られるような、リアルな感覚を伴う夢をよく見るので、おそらく実体験の手続き記憶的な夢だと思う。手足を切断された人が幻肢として幻の手足の悪夢を見るのと同じことが、体の器官の1つである歯を抜かれたことによっても起こっているのだろうと推測する。
だから、これは米国人特有のものではなく、(おそらくは子ども時代に)あまり腕のよくない歯医者で歯を抜かれる経験をする現代人すべてに見られる普遍的な悪夢であろうと思う。
「迷う、迷子」は、わたしの場合、激烈な感情を伴うことが多く、他の悪夢はおもに身体的なトラウマと思われるのに対し、迷子になる夢はひどい心細さや不安に駆られ、夢の中で大泣きしてしまうこともある。ふだん失感情症ぎみの抑圧された感情が戻ってくる夢だ。
「追いかけられる」「落下する」は、わたしの場合少々特殊で、なぜか無事に終わることが多い。何か恐ろしいものに追いかけられてサバイバルするが、結果的に逃げおおせる、あるいは大地震で足元が崩れるが、奇跡的に傷一つなく着地するという夢なので、必ずしも悪夢とはいえない。
そして「人前で裸になる、露出する」だが、これもそこそこ頻繁にあって、人前に服がなくなってひどく恥ずかしい思いをするシチュエーションが多い。もともと恥に対して敏感だからこんな夢を見るのかと思っていたが、確かに頻度が多いので何かしらトラウマ由来な可能性はありそう。
今回のSEセラピーで右肩の上に感じた重いじゅうたんのようなものは、わたしの裸を覆い隠して、人から見られないようにするものなのだ、と感じた。それくらい分厚いじゅうたんやカーテンのようなもので、全身を覆い隠していないと、恥ずかしくて安心できないのだ。
それは普段からわたしが感じている「見られている」ことへのひどく敏感な恐れとも一致している。「見られている」ことが怖いので、今でもわざわざ暗くなってからサイクリングしに行くことが多かったりする。暗くて見えないほうが落ち着くからだ。
TwitterやFacebookなどSNSの露出をやめたり、目だつブログに個人的なことを書いたりしないのも、全部こうした恐れや敏感さによるものだと思う。目立ちたくないし、注目されたくない。真っ暗な闇の中にいたい。
セラピストは、その真っ黒な覆いかぶさるじゅうたんの重さをただ感じてみるように指示する。それほど重いものがずっとそこにあったら、体はどれだけストレスを感じているでしょうか、と。
確かにそうだと思う。わたしはこれほどの見えない重荷を24時間抱えて生活していたのだろうか。そうなのかもしれない。それだけ重いものが四六時中かぶさっていたのなら、慢性疲労症候群のような体調になるのも当然ではないだろうか。
最初のセラピーで、ここまで内奥の問題を明らかにできる手腕には驚きました。
スポーツのコーチのようなセラピスト
だけど、そこからがあまりよくなかった。
セラピーの途中で、そのじゅうたんに対して、あなたはどうしたいですか、と言うので、わたしは押しのけたい、という衝動を感じると述べた。するとセラピストは、頭の中のイメージでそれを押しのけてみるように言う。
なぜか文字通り体を使って押しのけるのではなく、イメージで、とのこと。実際に動くのではなくて、イメージの中で行うことでタイトレーションしているのだろうか。
そういえば前のセラピストがそんなことを言っていたけれど、あのときもそうだったが、わたしはイメージがうまくできない。頭の中で押しのけようとしても、同じ動作が反復して繰り返し再生されるようになってしまってうまくいかない。
そのことを伝えたけれど、あまりうまく理解された感じがしなかった。なんだか解離が強くなってきて、頭がフリーズしてしまう。ここらへんの経緯をあまり覚えていない。
セラピーの終わりに、その黒いじゅうたんは最初と少し変わりましたか、と尋ねられたので、はじめより薄く、軽くなったように感じる、と答える。
では目を開けてみて、それで周囲を見回して大丈夫かどうか確かめてください、と言われる。その薄さになっても、まわりの世界に異常は起こっていませんか。なんともないですか、と聞かれる。
わたしは「異常」とは果たして何を意味するのかわからなかったので、「うまくイメージできない」と答える。すると、「イメージするんじゃなくて感じてください」と怒られる。
あれ?さっきはイメージの中でやれと言ったじゃないの、と混乱する。ますます解離が強くなって、何がどうなっているのか意味がわからない。体がガチガチに凍りついてしまってロボットのようになる。
「頭で無理やり変えようとしちゃだめ、体の感覚が変わらないと意味がないから。脳では体は変えられなくて、わたしたちにはただ体の状態に気づくことしかできないのよ。体が変わったときに気づいてあげることが大事」と。
いや、言ってることはわかるけど、そうじゃない。わたしが困っているのはそこじゃない。
でも何がどうなっているのかよくわからないので、問いかけにも適当にうやむやに答えてしまって、セラピー後しばらくは刺激の強いことは避けるように、と言われて、そのままセラピーが終わってしまった…。
わたしが最終的に最初よりもガチガチに凍りついていたことは、セラピストにはわからなかったのかな?
体の状態を読み取ることができれば、いくらわたしが平静を装っていたところで、ぎこちない動きになっていたり、リズムの同期がうまくいっていないことがわかると思うんだけど。
なんかうまく噛み合わないまま、お金を払ってセラピールームを出る。最後までドライな印象で、心地よく送り出された感覚はなかった。
たぶん二度とここにはこないだろうと確信しつつ、呆然とセラピールームを後にして、帰途につく。
帰りの地下鉄のなかで、ちょっとずつ冷静に振り返れるようになってきて、今日のセラピーの内容を判断しました。
セラピストのスキル面はものすごくよかった気がします。たった一回のセラピーで、今まで気づかなかったことがわかったし、ペンデュレーションやタイトレーションのよどみない手腕も見事でした。まさに「プロ」のセラピストという印象を受けました。
しかしその「プロ」っぽさがよくない印象もありました。常に、どことなく上から目線で威圧的に感じられたこと、誘導が早すぎてついていくのが難しかったこと。
セラピストは、質問に対してわからない場合はそう言うように言ってくれて、わたしも実際、何回か「わからない」と答えたんですが、質問の仕方を変えられるだけで、結局答えさせられるのは変わらなかったように思います。
セラピストにしてもカウンセラーにしても、頭が切れて能力のある人は誘導質問型になりやすい。何を答えてもいい、とは口では言うけれど、何かしら想定しているものがあるのだと思う。
後から振り返ってみた冷静な実感は、「まるでスポーツのコーチから指導を受けているようだった」というものでした。
前にわたしは身体思考のセラピーについて、セラピストは話に耳を傾けるカウンセラーではなく、スポーツのコーチのような役割をして、身体的な習慣を変える手伝いをする、と書いた記憶がありましたが、まさにそのようなセラピストでした。
スポーツのコーチのように指導してくれるので、感覚をどこに向けたらいいかが的確でわかりやすい。だけど、あくまでスポーツのコーチだから、共感的ではなくて、ドライでストイックさがある。(もちろんスポーツのコーチがみんなそうではないだろうが)
前のセラピストはカウンセラー寄りなところがあったのに対し、今回のセラピストはコーチに寄りすぎているように感じます。
本当は、前のセラピストのような優れた共感力と、今回のセラピストのようなコーチ力があれば最高なんだろうけれど、なかなか難しい。
両方を望めない場合、コーチのような指導力と、カウンセラーのような共感力のどちらを取るのがよりよいのか。
SEの特性上から言えば、コーチのような指導力のほうが大事だとは思うんですが、今回みたいにセラピー中に解離するようなことがあっては元も子もないから、結局は共感力のほうが大事な気がしました。
たとえ指導技術があるセラピストだったとしても、そもそもセラピー中についていけなくて、威圧感を感じて解離が起こっているようでは、セラピー自体がトラウマの再演になりかねない。
ポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」 によれば、まずは何より神経系が「安全である」と感じられる環境が大事。トレーニングがうまくいくのは、安全であると体が確認できた環境でのみ。
だとすれば、長い目で見れば、今回みたいな経験豊かでストイックなセラピストよりも、たとえ経験不足であったとしても共感力豊かで、クライアントの状態に合わせるよう努力してくれる以前のセラピストみたいな人のほうがうまくいくんじゃないか、と思いました。今になってわかる、前のセラピストのすばらしさ。
この違いがどこに由来するのかはわからないけれど、直感的な印象でいえば、前のセラピストはHSPだったのに対し、今回のセラピストは非HSPだったんじゃないかな、という気がしました。
この前も主治医と話していたことですが、相手がアスペルガーなのか、定型発達なのか、HSPなのか、といったことは、だいたい初対面でなんとなくわかります。
たぶん、これらの違いって、スティーヴン・ポージェスがポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」 で言っている高周波音や低周波音の音域の聞き取りの違いから来ているので、HSPの人は非常に感情表現豊かで耳に心地よい話し方をするし、アスペルガーの人は平板で抑揚のない、あるいは奇妙な抑揚の話し方をします。
人は自分の耳で聞き取れる音域でしか会話できないので、HSPの人は感情表現の乗った高周波音域豊かな話し方をするし、それが聞き取れないアスペルガーの人は低周波音域だけの話し方をするようになります。
つまり、その人の会話の仕方は、その人がどれだけ感情がこまやかかを知る手がかりになります。
たとえば絵本などの朗読を聞けば、HSPをある程度判別できるはず。HSPの人の読み方には、感情表現豊かな抑揚がある。定型発達のようなただ丁寧な読み方ではない、アスペルガーのような周期的な強調や、不自然な感情表現でもない。
このとらえ方からすると、今回のセラピストは、最初の第一印象からして、HSPらしくなかった。声質の好みは別として、繊細で情緒豊かな話し方ではなく、さばさばとしたドライな話し方だと感じました。
HSPの人ならそのうような感情成分に乏しい話し方にはならないと思います。かといってアスペルガーほど平板だとも思いませんでしたが。
といっても、これは別に悪いことではなく、たぶん、HSPの人は話し方の感情成分に敏感すぎて、非HSPの人が普通に感情を込めて話しているくらいのレベルでは、感情が欠如していると感じてしまうんでしょう。これってわりとよくあることだと思います。
結局のところ、セラピストの相性なんでしょう。HSPの人にはHSPのセラピストがいいし、アスペルガーの人にはアスペルガーのセラピストが適しているのかもしれない。
アスペルガーの人はアスペルガーのセラピストが相手でも、配慮が足りないとは思いません。二人ともそれがない世界が当たり前なので。
しかしアスペルガーの人が、HSPのセラピストにかかったら、声はともかく、別のところの配慮が欠けていると感じるかもしれない。アスペルガーの優れた視覚的能力をHSPは持っていないでしょうから。
つきつめていえばセラピストの相性とは同じような神経系の構造かどうかによるんじゃないでしようか。そのようなセラピストが一番、すんなりと鏡のような役割を果たしやすいですから。
だから、わたしは、今回のセラピストの技量の高さを思えば、とても残念なのですが、継続してセラピーを受けるのはやめました。もう一回くらい行ってみようかとも悩みましたが、こうして振り返るたびにデメリットのほうが大きいと感じるので。
本当にセラピーは必要か?
札幌には他にもセラピストが大勢いるので、次は別のセラピストを当たってみるべきでしょうか。
そこのところは決めかねています。今回はセラピーだけでなく、札幌という都市そのものの印象がよくありませんでした。わざわざこんなところに来たいとは思えなかった。場所も人もよくなかったのであれば、わたしの直感はもうここには来るなと告げている。
もっと近場の別の都市でボディワークのセラピストがいないかと尋ねてみましたが、ヨーガの人くらいしかいないようでした。ヨーガはボディワークらしくないエクササイズ的なものが多いので、あまりいい選択肢には思えない。
とりあえず、今考えているアイデアは、以前お世話になっていたセラピストに遠隔でのセラピーをお願いできないか聞いてみようかなということ。でも、まだちょっとためらっていて、それが本当に良いのか悩んでいます。
ずっと悩み続けているのは、セラピールームで施されるセラピーは、本当に回復するのに必要なものなのか、というところです。
もちろん、わたしはいまだに解離したり凍りついたりすることがよくあって、症状は軽減したものの治っていません。セラピーの助けが必要でないと言っているわけではない。
そうではなくて、回復のためにセラピールームでのセラピーという形態の助けを受ける必要があるのか?ということです。
前回の第5部の一連の記事で何度も考えたように、自然界の動物はセラピーなどなしにトラウマから回復します。
わたしにとっては、セラピールームでのセラピーは、学校教室での教育と同じものに思えてならない。どちらも自然の在り方から逸脱していびつに発展したものに思える。
わたしが、本当のセラピーだと思うのは、やっぱりあなたの子どもには自然が足りない に書いてあるようなやり方です。
自然はどんな形をとろうと、親とは離れたところにある、年を経た、大いなる世界を子供たちに差し出してくれる。
テレビとは違って、自然は子供たちの時間を盗んだりはしない。むしろ、自然は時間を大きく引き伸ばしてくれる。
自然は、荒れた家庭環境で生きる子供たちを癒やしてくれる。
自然は何も描かれていない石版なのだ。子供たちはそこに絵を描き、自分の周りの世界を自分なりに解釈しなおす。
自然は、心に思い浮かべることと五感をフルに使うことを要求することによって、子供たちの中に創造性を吹き込む。
機会さえあれば、子供は浮き世の悩みを森に持ちこんでくる。そして川でそれを使えば、それまで気づかなかった新しい一面が見えるようになるのだ。
自然はときに子供を脅かすが、それも目的あってのこと。
自然の中で、子供は自由に振る舞い、空想をほしいままにし、自分だけ時間を持つことができる。そこは大人の世界から遠く離れた、自分だけの安らぎの場だ。(p22)
良いカウンセラーやセラピストは、クライアントの問題を映し出し、気づけるようにする鏡のような役割を果たす。でも、それは自然界がわたしたちにやってくれることの模倣である気がしています。
他の例としては、アメリカ景観設計者協会の会長賞を受けた、マサチューセッツ州ウェルズレーにある青少年発達協会「庭園セラピー」というものもある。
1999年に専門誌《マサチューセッツ心理学》誌が行なったインタビューで、この協会の理事であるセバスティアーノ・サントステファーノは、自然に精神を形作る力がある、そしてトラウマに苦しむ子供を助ける、重要な役割を果たしているとの見解を述べた。
野外で遊ぶことにより、それが川沿いであれ、路地であれ、「子供たちが問題解決の能力をもつようになる」ことがわかったというのだ。
「セラピーで使う庭園には、小さな丘というか、丸く高くなっている場所があります。治療中のある子供にとっては、それは墓ですし、別の子供にとっては妊婦のお腹です。
はっきりしていることは、子供たちは風景のいち部分を解釈し、それに意味を持たせる、ということです。そして同じ自然の部分でも、子供によって意味は違うのです。
伝統的な人形やゲームを使った場合、たいていは限界があります。警官の人形なら、それは警官でしかありません。警官以外のものにしてしまう子がいたとしても、稀でしょう。
しかし、風景なら、ずっと自由に操れます。そして、子供たちに心の中にあるものを表現するすべを与えることができるのです」(p72)
わたしは人間のセラピーは自然界から得られる癒やしの模倣だと思っています。
現代人にセラピストが必要なのは、現代人が自然界から離れすぎて、動物的本性を失ったから。もし本能とのつながりを取り戻せればセラピーなどなくても人はトラウマから回復できるだろう。すべての動物がそうであるように。
セラピストが必要なのは、人は自分の内面を映し出す鏡がなければ、解離されている感覚に気づけないからだと思いますが、もともと自然界はそうした鏡として機能していたと思います。
その意味ではセラピストがいらない、というのは正確ではなく、より正しくは、母なる自然がセラピストだったと言うべきか。
人類が母なる自然から切り離され始めた時期(産業革命前後)に、フロイトらの精神分析が現れ、セラピーが模索されるようになったのは偶然ではないはず。
人間が母なる自然から乳離れしたから、その分離不安を鎮めるセラピストが代理母として必要になったとは言えまいか。
わたしにとって必要なのは、また都会に引き返して人が作ったセラピールームの中での体験に後戻りすることではなく、どうすれば、もっと自然界をセラピーに活用できるか探ることではないのか?
今はまだ寒いので、単純にスポーツとしてサイクリングするような体験が中心だけど、もっと穏やかな季節になったら、自然の中でペンデュレーションやマインドフルネスをじっくり訓練すればいいのでは?
問題はこの場合、前回も書いたように、わたしにやり方を教えてくれる専門家がいないことです。キマラーの本などは教科書にはなるけれど、直接手取り足取り教えてくれる先生はいない。
だから自分で試行錯誤して、やり方を見つけていくという長い道のりになりそう。その合間に並行してSEなどボディワークのセラピーを受けて参考にするという選択肢はありそうです。
自然界こそ最良のセラピストだと考えてはいても、現代人はそのセラピストの力を借りれないほど、自然から切り離されている、とも実感していますから。
でも、究極的にはわたしは、やっぱりセラピールームでのセラピーは、人間にとって異質なやり方だと思えてなりません。
自然界のなかで体験から学んでいた動物が、都市で暮らし始めたとき、閉鎖空間での学校という異質な教育を必要としはじめたように、自然界のなかで体験から癒されていた動物が、それから切り離されたとき、自らを癒すすべを失い、セラピールームという閉鎖空間での異質な治療を作り出したのだと。
自然界の中で癒やされる
このような失望に至った、札幌での雪まつりやセラピー体験と対照をなす、素晴らしい身体的な経験を、わたしはこの冬、たくさん味わってきました。
劇的な体調の改善につながったりはしていませんが、まだ引っ越して4ヶ月なのだから、もっと時間が必要なだけかもしれません。
企業PRばかりのさっぽろ雪まつりはひどくがっかりしましたが、地元のアイスキャンドルのお祭りはとても楽しかったです。
アイスキャンドルを作るのは、まったくお金がかかりません。必要なのは、寒さと水とバケツだけ! ここに住んでいる人なら。だれでも手軽に作れます。
夜中に氷点下10℃以下まで下がるような日に、ふつうのバケツに水を張り、家の外に置いておきます。
朝になると凍っているので、バケツを風除室に30分ほど入れて、少しだけ表面を溶かします。
それをひっくり返し、中心部の凍っていない水を捨てれば、アイスキャンドルのできあがり。
最後に、底の部分を少しくり抜いて、ろうそくを置いて火を灯せば、温かいアイスキャンドルの明かりを楽しめます。
このあたりは日中でも氷点下なので、たとえアイスキャンドルの氷の中で火をともしていても、不思議なことにアイスキャンドルそのものはほとんど溶けません。
氷点下以下の気温、よく晴れる、風が少ない、というこの土地ならではの幻想的なお祭りです。
お祭りが終わったら、アイスキャンドルはただの氷なので、やがて自然界に帰っていきます。商業主義にまみれた都会のおまつりみたいに有害なゴミだらけにならないのもエコ。本来、お祭りってこういうものじゃないでしょうか。
別の日には、道北の最大の人造湖である朱鞠内湖まで足を運びました。人造湖といっても、もうほぼ自然の湖そのものになっていて、イトウなどの希少種も泳いでいる、とても雰囲気たっぷりのの湖です。
だけど、今回は真冬に行ってみたので…
湖全体が凍っている!
凍った湖に穴を開けてワカサギ釣りをするなど聞いていたので、当たり前といえば当たり前なんですが、湖一面が凍っている景色なんて、映像以外では生まれてはじめて見たものですから、度肝を抜かれました。
これ一帯すべてが凍った湖で、自分は今、水の上を歩いているんだ、足の下を魚が泳いでいるんだ。こんなに凍った湖の上にわっさわっさと雪が降り積もっても割れないんだ、と鳥肌が立つような感動が押し寄せてきました。
札幌の時計台とか、渋谷のハチ公とか、スカイツリーとか、今まで見に行った人工物はみんな、写真で見たほうが立派で、実物を見ると大したことなくてがっかりしました。人工物の観光名所はみんな誇大広告です。
だけどこちらに来てから、自然界は真逆だと実感しています。あまりにスケールが違いすぎ、雄大なので、写真より実物を見たほうがよほどすばらしい。自然界の景色は五感に訴えかけます。空間そのものが芸術なのです。
ちなみに朱鞠内湖は、日本最寒の-41.2℃を記録した場所だとか。この日は幸い、真冬でも比較的暖かくて氷点下ひと桁でしたが、想像を絶する場所です。
ほかにも、こんな体験もしました。自動車学校があった日、神経が高ぶって、夜眠れなかったので、夜の街中を自転車で散策していました。そういうことが気軽にできるのが、ここの良いところだし、引っ越してきた理由でした。
引っ越し前に書いたように、神経が高ぶってどうにもならなくなったとき、家を出てすぐ目の前が大自然だったら、人は駅のホームで電車に飛び込もうとは思わないんじゃないでしょうか。
この日は特に気持ちがかき乱されていたので、夜中に2時間も、自転車でうろうろしていました。さすがに山の中にいくと野生動物がいて危険なので、比較的安全そうな公園などを走っています。それでもキツネの足跡とかは普通にありますけどね。
そんな中、初めて夜中に名寄川に架かる橋の方面に行ってみました。川べりではなく橋の上なので、安全だと思いますが、見下ろす橋の下は野生動物たちの領域であるのは明らかです。
あちこちに、野生動物の足跡がくっきりと残っていて、そこかしこから何かの物音が聞こえ、わたしは神経を研ぎ澄まします。
ふと、橋の下の雪原、闇の中で何かが動くのを見つけます。そっと近づくと、ウサギがいました。いつも足跡は見かけるのですが、姿を目撃したのは初めて!
慎重に近づいて録画したつもりでしたが…
橋の上が凍っていて、一歩一歩ゴリゴリと氷を砕く足音がしてしまうので逃げられてしまいました。自転車に乗ったまま走ったほうが足音がせず静かだったかもしれない。
でも、はじめて夜の野生動物をこの目で見れたのは興奮します。ウサギだからよかったわけで、シカとかヒグマとかが出る季節にはこんなことはやってられませんが。
それから、橋の上をもう少し進んで、川の真上まで来たとき、川の中州に立ち並ぶ木々のあたりで、何かがガサガサっと動き、ものすごい水音を立てて飛び去って?行きました。
突然のことにびっくりして思わず立ちすくみました。そこにいたのが鳥だったのか魚だったのか、ほかの何かだったのか何もわからず。ただ羽音と水音のようなものが同時に響いただけでした。
もしかするとミミズクみたいな野生動物がいたんでしょうか。わたしの目では何もとらえられませんでした。ただ自然界の神秘を味わっただけでした。
こうしてサイクリングに行った後は、ぐっすりと寝られます。あえて寝る前にちょっと出かける習慣を持ったほうがいいのかもしれません。自然には神経を鎮めてくれる力があります。
この冬は、やりたいことを全部できたわけではありません。本当は凍った湖をスノーシューで歩きたかったし、真っ暗な山を自動車で登って、星空を鑑賞したかった。ドライスーツを使って流氷の海にも浮かんでみたかった。スキーやスノボーの練習も結局できなかった。
体調がものすごくいいわけではなかったし、冬中ずっと自動車学校のストレスがありました。まだもうちょっと卒業まではかかりそう。だから、まだまだ体験したいことは来シーズンに持ち越しです。
でも、その中でこれだけのことを体験できたのだから、一年生としては十分すぎる成果だったのかも。
わたしは自分の回復を急ぎすぎているだけじゃないでしょうか。セラピールームのセラピーが異質で、自然界のなかのソマティックな体験こそが本物だと主張するのなら、もっと自然界を信頼すべきです。
そして、ピーター・ラヴィーンが、ゆっくり進めば進むほどいい、と述べるように、焦ることなく自然界とじっくり親しみ、ゆっくり時間をかけて自分が変わっていくのを楽しむとよいのかもしれない。
わたしはまだ自然セラピーの旅をはじめたばかり。これからきっと、まだまだ学ぶことはある。必要なのはただ五感を研ぎ澄ませて日々を感じることだけなのです。
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