大自然のゆらぎによって凍りついたリズムを回復させる道のり(8)

自然豊かなところで、身体のリズムを取り戻す体験記の8番目。

前回の7番目の記事は、たとえ興味の対象が変わったとしても、トラウマに対する考察は続けていきたいといったことを書きました。

また断食療法への関心についても書きました。こちらのほうは、過去と同じことをやるより、せっかく野菜がたくさん採れる地方なので、ゲルソン療法のようなものに挑戦してみようかと検討中。

今回の8番目の記事では、わたしが自然の治癒効果を受けられるようになるのに、やっぱりSEのセラピーが重要な役割を果たしていたんじゃないかなぁ、というメモなど。

ここ数年間、あまり表に出したくない私秘的な体験が多かったので、長らく、こちらの「My Life History」の中で、自分の体験記を書いてきました。特にセラピー関係の記事はそうでした。

しかし、ここ最近は、自然の中での体験が主になっていて、わざわざ読みにくい場所で書く必要性を感じないので、表のほうで記事にすることが増えました。だから、最近書いた以下の記事などは実質的に前回の体験記の続きです。

その影響から、こちらの「My Life History」内で書く体験記が減っていますし、内容も薄くなっています。

でも、今後もまたボディワークのセラピーを受けるかもしれませんし、あまり表に出したくない体験記を書くこともあるかもしれないので、引き続きこの場所は残しておきたいと思います。

自然だけじゃダメでSEが必要だった理由

最近、表のほうで、自然に親しむことでだいぶ動けるようになってきたというような記事を書いていましたが、改めて考えると、本当にそうなのか、若干何か間違っているのではないか、という気がしていました。

というのも、うまく説明することが難しいのだけど、いくつかの意味で、SEのセラピーなくしては、自然の恩恵を受けるというのが難しかったのではないかと思うからです。以下にそれらしき理由を箇条書きしてみる。

1.麻痺した感覚のマスクが取れなかった

これはSEに限らず、その前のアーレンレンズのフィッティングも含みますが、自分の感覚のマスクを解除するソマティックなセラピーなしでは、そもそも自分が都市の刺激に圧倒されていることに気づけませんでした。

今でこそ都会ではサングラス&耳栓なしでは行動できませんが、長年のあいだそんなものなしで行動していたわけです。もともと凍りつきと解離の傾向が強かったから、過敏性がマスクされていました。

そこへ、感覚に注目するソマティックなセラピーで解離が少なくとも部分的に解除され、感覚のマスクがとれたおかげで、自分が刺激過多な環境にいることに初めて気づけました。

最近の研究にもありましたが、そもそも凍りつきの緊張は、通常は無意識下で起こっている(=意識から解離されている)ので、解離を解除するセラピーをはさまなければ原因にたどり着けません。

だから、セラピーなくしては自分が凍りついていることがわからなかったし、刺激過多な環境を逃れて移住する必要性に迫られることもありませんでした。

もともとのわたしは自分の身体の声を聞けない状態にあったので、まずセラピーによって身体の声を聞けるようにならなければ、その後の一連の行動などありえませんでした。

2.森林セラピーの効果を感じないこともあった

もともとわたしは自然豊かなところに行くことによるリラックス効果を、感じていたのか感じていなかったのか、どうにもあいまいなところがあります。

いくつか効果があったらしい記憶はあります。子どものころに八ヶ岳や富士山に行ったとき元気だったこと、若狭湾のあたりの名もなき山の上の神社が心地よかったこと、病気になってからも、たとえば沖縄の熱帯ドリームセンターなどに行ったときそこそこ元気だったこと、モンゴル旅行でウランバートル郊外の大自然の中では動けたことなど。

これらはいずれも、自然のリラックス効果など何も知る前のできごとなので、プラセボとは関係ないでしょうし、身体感覚レベルの心地よかった記憶として残っているように思います。

一方で、自然豊かなところに行ってもリラックスしなかった記憶もあります。

最近思いだしたのは、化学物質過敏症の友人に自動車で都会近くの山の中に連れていかれたこと。友人は、それによって元気になると言ってくれましたが、わたしは全然何も感じず、不快だったのですぐに帰りたいと言いました。

未だに、この体験のときは、何が問題だったのかよくわかっていません。

考えうる点としては、

(1)自動車の不快感
第一に、当時のわたしは自動車で非常に体調が悪くなることが多かったので、その気分の悪さを引きずっていたのかもしれないということ。もっと長時間そこにとどまれば、感想は違っていたかもしれません。

(2)友人への反発心
第二に、友人に対して、「この人は、わたしの体調のひどさが、ただちょっと森林セラピーをしたら良くなるくらいのものだと思っているのか?」という心理的反発があったことが影響していたかもしれない。

(3)自然の総量が足りなかった
第三に、絶対的総量としての自然がまったく足りなかった可能性。どこに連れていかれたのかは覚えていませんが、わたしは旭川市の都市近辺の自然でもダメで、今住んでいる北海道の果ての町でも国道沿いではしんどくなるほどなので、都市の近くのちょっとした山くらいでは、騒音などがまだ多すぎたのかも。

(4)感覚が麻痺していた?
第四に、まだセラピーを受ける前だから感覚がマスクされていた、という可能性もありますが、それだと上に挙げたような他の状況では良い感覚が得られた理由が説明できないため、これは違うでしょう。

セラピーはあくまで、「意識的に」感覚に気づけるようにしてくれただけ。たとえ解離が起こっていても無意識的にはニューロセプションの作用によって環境からの情報を取り込んで緊張したりリラックスしたりしているはずなので、セラピーを受ける前でも理想的な環境に行けば無意識的にリラックスできたはずです。

(5)未知の環境に対する恐れ?
第五に初めて行く環境で、虫などが不快だったという可能性は無きにしもあらずですが、それだとやはり、別の自然の中ではリラックスできた理由が説明できません。

この5つの理由の中で、一番ありそうなのは、1と3の複合で、わたしがそのとき体験した森林は、規模も足りなければ、体験する時間も足りなかったのではないかと思います。でも、それだけでなく、2も重要な意味があると考える理由が以下です。

3.人間への恐怖心について気づけなかった

わたしはどうも、他に人間がいるような環境では、たとえ自然の中にいてもリラックスできないようです。

これは、SEのセラピーの中で明らかになった、たとえ友好的なセラピストが相手でも、人間の存在に対して恐怖心があり、凍りつきが起こってしまう傾向から説明がつきます。

また、興味深いことに、これはやはりわたしと似たような傾向を持っていて、わたしより「自然原理主義者」を自認する、わたしの主治医の場合もそうらしい。

主治医はストレスを感じると、ただ独りで田舎にサイクリングに行くと行っていました。少しでも都市が見えるような場所はだめで、だれか他の人がいてもいけない。たった独りで自然の中に入らなければリラックスできないのだと。

そう考えると、上記の森林セラピーが効果なかった理由で、にわかに2番目の理由が重要だったのではないか、という気もしてきます。そのとき、友人が一緒にいたから警戒していたのではないでしょうか。

友人なのに警戒というとおかしな気もしますが、わたしにとって「友人」とは、「他の大多数に比べれば比較的警戒心が少なくてすむ相手」の意味ですので。

わたしは自然療法の専門家による森林セラピーを受けたり、化学物質過敏症を治療する施設のあらかい健康キャンプ村に行きたいと思ったことがありましたが、この点からすると行かなくてよかったと思います。見知らぬ人と一緒になれば、絶対リラックスなんて感じられなかったからです。

わたしはこちらに旅行に来たとき、たった一人で森のそばをサイクリングすることによってリラックスできました。引っ越してからもそうです。普段から他人に出会うことが少ない町ですが、人間がいないというのがいいんだと思います。

以上の3点、

    • 自分が刺激過多であると意識的に気づく
    • 自然の総量が足りないことに気づく
    • 同じ自然でも他人がいるとだめ

というポイントに気づくには、SEセラピーが不可欠でした。これらを知らなければ、自然から恩恵を受けるなんてできなかったでしょう。

これに加えて、いまだによくわからない傾向も少しあります。

わたしは引っ越してからは基本的には以前よりかなり具合がいいほうですが、それでも健康ではありませんし、なぜか外出した後で元気にならずぐったり疲れてしまうようなこともあります。

これを書いている今日がそうでした。こうして記事にまとめてみると、おもな要因は、1.国道沿いの刺激の多いところに行ってしまったこと、および2.他人と一緒にいたこと、の二点だとわかりました。

やはり、ただ自然に親しむだけでは不十分で、いつも自分の身体の声を聞くこと、言い換えれば、全身の感覚をスクリーニングしたり、モニタリングしたりするスキルが不可欠なように思いました。

引っ越し前から何度か書いているように、何らかのボディワークによって自分の身体反応を観察できるようトレーニングすることと、大自然に親しむことは、鳥の両翼のように補い合うもので、どちらが欠けても、十分な効果が現れないような気がしています。

相変わらず、このボディワークをこちらでどうやって継続していくか、という点は、以前の記事の時点から進捗がないのですが、少なくとも自己流で継続を続け、徐々に行動範囲を広げる中でいい先生を見つけたいなと思っています。

バラバラになっていた自己が結ばれる

冒頭で書いた話に戻りますが、わたしは最近、この「My Life History」の中ではなく、表のほうで体験記を書くことが増えてきました。最初に書いたようにそれは私秘的な話題が減ったせいですが、それだけではないとも思います。

それは、自分の体験を、わざわざこんな奥深くに「隔離」しなくても、自然体で表に書けるようになってきた、ということです。

この「My Life History」のブログや、他のブログは、わたしの解離の反映である、と以前から思ってきました。

前にどこかに書いた覚えがありますが、SNS上で解離の当事者とやり取りしていたころ、どうも解離の強い人は、SNSやブログのアカウントも複数持つ傾向があるように感じました。

自分の中の多面的な自己が統一されておらず、バラバラになっているので、ひとつのアカウントのみで表現することができないんです。

解離性同一症(DID)の人はもちろんですが、それに準ずるスペクトラム的な人も、複数のアカウントを作って、自分の中の異なる人格部分それぞれにあてがわねばならないと考えているように思えました。

わたしがブログを複数持っているのもそれと同じであり、あるブログで発信するときと、別のブログで発信するときは、まったく別の人格部分を使っていると考えていました。

それでも、わたしの認識としては、最も中核にあるのは、表のスケッチブックを担当している自分でした。

逆に言えば、その中心的な本来のブログを守るために、わざわざ他のブログという仮面を作って防衛していたとも言えます。

もしもわたしが他のブログをすべて閉鎖し、ひとつだけ残すことがあるとすれば、それは間違いなく絵のサイトです。

だから、ここ道北で暮らすうちに自己が統一され、複数あったブログのうち、スケッチブックに集約されていくのは、自然な流れのように思えます。わざわざ他のブログという仮面をかぶって発信せずともよくなって来つつあるというか。

たとえば、絵やエッセイを描く本来の自分と、科学者のように学問を考察する仮面の自分は、かつてはどうやっても交わらないように思えました。

それらが同じアカウントで発信することは奇妙に感じられた。かたや敏感な感性を保持した「体験する自己」であり、かたや理性に偏った「記憶する自己」だった。

だけど、ここ最近は、科学者のような観点も持ちつつも、もっとわかりやすい言葉に噛み砕いて、自分の体験の一部として発信することがなんとなくできるようになってきた感じがします。複数の自己が少しずつ統合されているのかもしれません。

やっと絵と文章のテーマが一致してきたという感覚。別々の折り合わない自分がいるのではなく、それぞれの自分が関連しあっているという感覚。きっと自分の内部にあった無意識的な解離が修復されてきたからでしょう。

もとより、複数の自分というアカウントを使い分ける傾向はこれからもずっとあるだろうし、完全な統合なんてないでしょう。

でも、きっと、複数であり、なおかつバラバラに断片化されていた状態から、複数でありながらも、多面的な自己として結びついている状態へ変わっていくことは可能だと思います。

人格の「多重性」から「多面性」へ。明らかに断片化された状態から、境界があいまいな状態へと。解離の舞台―症状構造と治療 に引用されているフィリップ・ブロンバーグのこの言葉のように。

できるだけ簡潔に言うと、ひとつの統合された自己―「現実のあなた」―というものは存在しない。自己表現と人間関係は必然的に衝突するだろう。(…)

しかし健康とは統合することではない。健康とは、さまざまな現実とのあいだの空間に、それらのうちにどれも失うこともなく立つ能力である。

これこそ私が考える自己受容の意味であり、創造性は実際にすべてこのことと関連している。

すなわち多数でありながら一人の自己であるかのように感じる能力のことである。(p250-251)

解離はどうなってしまうのか

こうした自分の変化をみるにつけ、ちょっと気がかりなのは、わたしの能力を支えてきた解離は、今後どうなってしまうのか、ということ。

わたしの病気は解離の凍りつきから来たものですが、わたしの才能もまた解離から生まれたものです。解離傾向がなければ、文章能力も、絵の空想力も、客観的な考察力も育たなかったからです。

解離能力が薄れていくことへの危機感のようなものがあります。かつてのわたしにとって、統合とはもっとも恐ろしいものでした。完全な統合などないと知っている今も、やはりそんな気持ちがあります。

だけど、たぶん、わたしが恐れているようにはならないのでしょう。前回書いたように、たとえちょっと良くなったとしても、わたしは永久にトラウマサバイバーだし、解離の当事者なのです。生まれた出自、民族の血筋は変えることができません。

相変わらず、人と接するときには凍りついているわけですし、健康に過ごしてきた人たちとの間に埋められない溝を感じることがたびたびあります。

たとえもっとセラピーに取り組んで回復できたとしても、根本にある愛着スタイルが変化するわけではないでしょう。

将来のことはわかりませんが、きっと、ここでの体験は、わたしから解離の恩恵を奪うものではなく、むしろ解離の才能を強化する方向に働いてくれる。そう考えるようにしたいと思います。

いつもより短いですが、今回はこのあたりで。毎回同じようなことばかり書いているので、今後はもっと視野を広げれたらいいですね。

続きはこちら。

自然豊かなところで自分の体調と向き合う記録の終わり

Categories: 6章。2019.05.09