自然豊かなところで、身体のリズムを取り戻す体験記の9番目。
前回の8番目の記事では、もうこちらに記事を書く理由がなくなったとのことで休止しました。
その後、道北での暮らしを続けるうち、ここでの体験記は、もう完全に役割を終えただろう、と思うようになりました。だから、「休止」ではなく「完結」として、この9番目の記事を書きます。
引っ越してきたのが去年の10月末、今は9月末。ということで、もうすぐ1年を迎えようとしています。この一年に起こった心境の変化をまとめて、この一連の体験記を閉じたいと思います。
もくじ
普通の人ほどではないけれど体調は良い
道北に引っ越してきてから、大自然の一年の変化をずっと楽しんできました。
鮮やかな錦織のような紅葉にはじまり、一面のふかふかの雪景色、草花が一斉に咲き乱れる雪解け、そして川床を歩いて涼んだ暑すぎる夏。今また紅葉が美しくなり、一巡しつつあります。
本当に去年までカーテンを締めた暗い部屋に一日中こもりっきりで、寝たきりに近い生活を送っていたのだろうか、と思います。
こっちで知り合った人にそのことを話しても、だれもわかってくれません。今のわたしからは想像がつかないから。10年以上もそうだった人がいきなりこんなに動けるようになるものなんでしょうか。
この前、朝から片道40km近く運転して、友人の演奏会に参加してきました。帰ってきてから暑かったので、地元のプールで25メートルを10回以上泳ぎました。そして夜にちょっとサイクリングして帰ってきました。
医者の中には、わたしの長年の慢性疲労状態は、廃用性萎縮である(運動しないから衰えている)と考える人もいました。わたしはそれに同意しませんでしたが、今また確信を深めています。
廃用性萎縮だったら環境が変化しただけでこんなに元気に動けるはずがない。外的原因であれ、内的原因であれ、常に身体が危険を感じていることからくる、凍りつき反応としてなら説明がきます。
いまだに治ったわけでないことは確かです。都市にいくと昔の体調に戻ります。自然の中でも知らない人が多いイベントだと、凍りつきが起こります。たぶん反応が条件付けされているんでしょう。そこは変えられません。
相変わらず身体のいやな不快感、むずむずする感じ、えぐり出した
でも、それら不快な感覚を無視し、意識の外に追いやれることが多いので、以前ほどには気になっていません。ドーパミンが比較的安定して、注意の方向性をコントロールしやすくなったのだと思います。
どうしてもうっとうしくて耐えられないようなときは、家の外に飛び出してサイクリングすればいいだけです。
都市部では虚弱なままだけど、森を歩いたり、サイクリングしたり、山登りしたりするときは、もう病気だと言い訳しなくていいのは嬉しいです。
独りか少人数で大自然の中を散策しているときは驚くほど元気です。体力もかなりついてきました。他の人たちと同じように動けます。
病人として振る舞う必要がなくなってきたおかげで、自分が「普通の人」に思えてきます。同年代の人たちに比べるとまだまだ足りませんけれど。
こうした変化をもたらした環境の力には驚きますが、予想外ではありません。
もともと環境に合わせ、カメレオンのように自分を変容させてしまうのが解離であることを思えば、まったく驚くにはあたらない。
自分を変えるためには、考えや思いを変えようとしても無駄であり、環境を変えるしかないのです。
もうセラピーは受けそうにない
ここ数年、わたしの興味関心はがらりと変わりました。
最初のころは、自分が診断された病名である「慢性疲労症候群」という原因不明の疾患を追っていました。でも、医師や当事者の考え方の狭さと浅さに嫌気がさし、病名にとらわれずに調べはじめることにしました。
幸い、わたしの主治医である、子どもの慢性疲労症候群を診ている先生は、とても見識が広い方だったので、わたしの考察をずっと導いてくださいました。はじめは発達障害、それから愛着障害を調べ、わたしは解離にたどりつきました。
トラウマの研究を調べるようになって、ピーター・ラヴィーンやベッセル・ヴァン・デア・コークといった第一線の研究者たちの本を読み、慢性疲労症候群とはいったい何なのか、理解できるようになってきました。
慢性疲労症候群が多因子疾患であり、人によって異なる原因があることはたしかですが、大半はおそらく、生物学的な凍りつき反応であろう、とみなせたからです。それは主治医の意見や、小児型慢性疲労症候群の研究とも一致していました。
でも、わたしの調査はさらに進み、なぜ現代社会で、かつて存在しなかったはずの発達障害や解離が蔓延するようになったのか、ということを考え始めました。
その答えを与えてくれたのは、微生物学、および自然科学の研究者たちでした。わたしたち21世紀の人類が住む環境は、微生物の多様性が損なわれた、不毛な砂漠のような世界だと知りました。
だとしたら、根本的な解決のためには、特定の医療を受けるだけでは不十分だということになります。かつてのような自然と共生していた生活に戻らねば、慢性疲労症候群は治りません。
現代の医学では、自分の体調不良は、生物として不自然な環境な環境のせいで生じているかもしれない、とは考えません。それよりも、自分は発達障害であるとか、遺伝的に障害があるとか考え、薬で治そうとします。
でもそれは、自然環境に身を置く時間がなくなったために、あるいはマスメディアの宣伝を鵜呑みにしてしまうために生じるバイアスではないのか。自然に接すれば心身ともに元気になることを実感する機会がなくなり、その選択肢が見逃されているだけではないのか。
こうした結論に至った経緯は、この一連の体験記を通して、とても詳しく書いてきました。単なる思いつきではなく、整然とした論理的思考に導かれてのものだったと確信しています。
でも、いざ移住すると決めたわたしは不安でした。本当にうまくいくのだろうか。これまで解離やトラウマの考察に没頭してきたわたしが、自然界と共生するという新たな分野に踏み出せるのだろうか。
この1年、自然とともに過ごすうちに、それが杞憂だったことを知りました。確かに新しい生活に馴染むのは大変でした。でもそれは充実した毎日で、「生きている実感」の伴う幸せなものでした。
体調はみるみる良くなってきた、と書きたいところですが、全然そんなことはありませんでした。そうではなく、もっとゆらぎのある、螺旋状のリズムで変化してきました。
だいたい月に1、2週間、ものすごく体調が悪いような期間があります。しかし必ずその後に、調子がましになって動ける期間がきます。寄せては返す波のようなリズムです。
もしかすると月経周期と同様、体調に月齢および潮汐リズムが関与している可能性はあります。
月と農業―中南米農民の有機農法と暮らしの技術 という本で、潮汐リズムがあらゆる生物に深く影響しているという話がある。ナチュラル・ナビゲーション: 道具を使わずに旅をする方法 によるとそうした概念は生体力動学と呼ばれるらしい (p180)
この螺旋状に体調が変動する体験は、この一年ずっと続いてきました。だから、体調が悪い時期がきても、数日もすれば回復するという期待を持てます。実際、そのとおりになります。
ピーター・ラヴィーンが、ペンデュレーション(振り子運動)のリズムについて書いていることとそっくりです。生物には振り子運動のリズムが備わっており、苦しい時期はずっと続かず、寛解する周期があります。
この本来のリズムを体験することが、トラウマの凍りつき状態から抜け出す第一歩だとラヴィーンは何度も書いています。自然界の中で住むようになって、わたしの体に、まさにそのリズムが回復されているようなのです。予期していない発見でした。
こうした経験を通して、わたしは自分が選んだ道が正しかったという確信を日に日に強めています。
先日の体験記の時点では、セラピーを受けに行くのが遠く、セラピストとの相性もいまいちだったと書きました。でも、機会があれば、セラピーを再開したいとも。
だけど、今となっては、もう人間のセラピストにセラピーを施してもらう必要をほとんど感じていません。もし自宅から30分以内で行ける範囲にセラピストが開業したらやってみようかなーというくらいのレベル。
人為的なセラピーなんて受けなくても、自然の中で感じるリフレイン、自然観察で育まれるマインドフルネス、自然の中を散策したりサイクリングしたりすることから得られるリラックス効果で十分だと思っています。
いや、誤解なきように改めて書いておきますが、わたしにとって一連のセラピーが無駄だったわけではありません。感覚のコントロールの仕方を学び、環境の重要性を理解できたのは間違いなくSEのセラピーのおかけです。
しかし、ある程度それが身につき、自然の中で自分ひとりで実践できるようになった今では、わざわざセラピストのもとに通う必要はあるまい、という意味です。自然の中でこれまで学んだことを継続できます。
効果が出るのはゆっくりかもしれませんが、それは人為的なセラピーでも同じ。数年単位で良くなっているでしょうから、継続できることが大切です。
ならば、わざわざ遠くに通わなくても家のすぐそばで、毎日、無料で自然セラピーを受け放題なので、これに勝るものが何かあるでしょうか。高いお金を出して、遠くのセラピストのもとに通う必要はありません。
それよりも今は、いかに自然セラピーの恩恵を最大限に受けられるか考えるべきだと思っています。これからは医学の本ではなく、自然科学の本を中心に読み、自然について理解を深めていくつもりです。
人間が作り出した体系を学ぶより、はるかに奥深い知恵が収められた自然界について学ぶほうが、よほどわたしのためになります。
プラトンがかつて述べたように、「自然の観察なしに医学は成立しない」のであり、医学の専門書より自然を学ぶほうが自分の体調改善に役立ちます。
だから、もうこの治療の体験記は今回でおしまいです。これからは、8月から書いている自然観察日記が続きの役割を担うかと思います。
医学を宣伝する後ろめたさから解放された
わたしの興味が医学ではなく自然科学の分野に移って良かったことの一つは、良心の呵責なく、記事を楽しんで書けるようになったことです。
もともとわたしは医学の信奉者で、医療関係者の言うことを鵜呑みにしていました。学生時代から、あれだけ医者に嫌な思いをさせられてきたのに、よくも純粋に信頼していたものだ。
特にわたしが信じていたのは薬物療法の力でした。病気の症状は気の持ちようとか環境改善などで治ったりはしない。最新医学の薬物療法や医療機器が必要だ、と信じていました。
世の中では薬に対する依存とか、副作用の良くない噂がとても多いけれど、あれはあくまで服用量を守らなかったり乱用したりする場合だと思っていました。
だって、医学系の本を書いている教養ある医者がはっきりそう言っていたから。
たとえばADHDなど発達障害の本を読むと、リタリンなどの薬が危険だというのは風評被害で、製薬会社はちゃんと安全性を証明しているといったことが書いてあります。わたしはそれを信じ切っていました。
だけど、わたしは医学の本をたくさん読むうちに、もっと深く考えている医者たちに共感するようになりました。たとえばヴァン・デア・コークがそうです。
発達障害の医者は、ADHDは遺伝的な病気で、薬を服用すれば解決する、というとても単純な書き方をしているものですが、どう考えてもそれは間違っています。
遺伝だけで症状が起こるはずはなく、生育環境、トラウマ、食習慣、腸内細菌の状態など多因子が関係しているのは確かです。そしてそのような複雑な問題に特定の薬の成分だけが有効、というのは都合がよすぎる。
わたしはヴァン・デア・コークの著書の深みに圧倒されましたが、彼は著書の中ではっきりと、薬は一時的には役立つが、問題の根本を解決できないと書いています。また製薬会社から医者や研究機関に資金提供がされているのも事実だと述べています。
それまで、そういった噂はただの陰謀論だと思っていましたが、やっと目が覚めました。わたしは学生時代に病気になって一般の会社などで働いたことがないので、世の中がお金で回っている、ということに疎かったんですね。あまりにも純粋すぎました。
この前、ニューズウィーク紙に、嘘だらけの製薬会社が引き起こした米オピオイド危機という記事がありましたが、今となってはおおむね事実どおりなのだろう、と思います。わたしは盲目的な魔法の薬信仰から解放されました。
さまざまな薬が病気の治療に役立ってきたのは事実。そして医療が多くの病気を治療してきたのも事実。わたしは医学や科学を否定するという逆の極端に走るつもりはまったくありません。
だけど、それらが、営利目的であり、背後にお金の流れが絡んでいる大規模な商業主義であることも否定しません。
当事者は良かれと思って、たとえばADHDの薬の何々が効く、といった情報をブログで取り上げるかもしれません。しかしそれは、知らず知らずのうちに製薬会社の宣伝に加担している行為だと知りました。
わたし自身、確かに一時的には様々な薬のお世話になってきて、とても助かった経験があるので、薬効があるのは事実です。嘘は書いていません。でも誇大広告の宣伝に加担するのはまっぴらごめんです。
製薬会社だけでなく、医学にはほかにも多くの利権がからんでいます。特定の病気の概念や治療法もまた商業主義的なコンテンツです。特に最近の「発達障害ブーム」や「HSPブーム」は、まったくもって嫌気がさしました。
もともとわたしは患者会や当事者団体といったコミュニティの雰囲気が好きではありません。できるだけ距離を置きたい。
特定の病名や障害を自分のアイデンティティの一部にしてしまって、それにこだわるあまり、自分と他者を分断してしまっている。異なる背景を持つ多様性のある人々と交わろうとせず、狭い範囲の情報だけを集めている。
その一方で、身近な自然の美しさや、そのリラックス効果についてブログに書くのは、よほど「クリーン」に感じました。
もちろん、この分野でも、変な環境保護団体や、園芸業界や種苗会社など、自然を売り物にしようとする連中はいるので、特定の産業の宣伝にならないよう用心してはいます。
しかし、わたしが書くのは観光地の宣伝でも、特定の生き物の過激な保護運動の話でも、はたまた最近ブームになっている気候変動に反対する抗議でもなく、ただ身近な道北の自然のすばらしさです。(道北は観光空白地帯でアクセスも悪いので、もし宣伝しても誰も来ないでしょう)
グレタ・トゥーンベリさんみたいに環境保護の活動をする人は立派ですが、わたしは無駄だと思ってます。わたしは他人をまったく信頼していませんし、人類に何の期待も抱いていないので。
人類が直面している危機はひとつではない。たとえ温暖化を食い止めても、マイクロバイオームの絶滅や生物多様性が回復するわけではない。蔓延するナショナリズムや道徳観の悪化に歯止めがかかるわけでもない。
人はどれほど賢くても、物事の全体像を見ることができないので、たとえひとつの問題を解決できたとしてもその間に複数の問題が進行する。だから、わたしは無駄な論争にエネルギーを使いたいとは思わない。
わたしは、ずっと長年支えになってくれた主治医に感謝しています。でもそれ以上に、ここ道北の自然が大好きです。自分を癒やしてくれたのはまさにその自然だから。
今はもっと自然界について知りたいと感じています。それが恩返しと感謝の気持ちです。
もし特定の医者の、特定の治療法で病気が治ったなら、わたしはその医者と治療法の信者になっていたかもしれない。ブログでそれを大々的に宣伝して、金儲け主義の手伝いをしてしまっていたかもしれない。別の患者たちと論争していたかもしれない。
でも幸いにも、わたしにはどんな医者の治療法も効きませんでした。そう、「幸いにも」。
代わりに、わたしを治療してくれたのは大自然であり、その恩恵は、金儲け主義ではなく、過去も昔も無償で人類に差し伸べられてきたもの。だからわたしはこれからも自然界のすばらしさを書き続けます。
特定の人物や主義主張、特定の医者の治療法や、特定の企業が作り出した薬物を礼賛するのではなく、人が作り出したむなしい利害を超えたところにある自然界の神秘を称えることができるのは喜びです。
日常を探検に変えるによると、かのジョン・ミューアがこう言ったそうですが、わたしも同じ気持ちです。
そう、わたしには、文明人の身勝手な振る舞いに貴重な同情を捧げるつもりなどさらさらない。
もしも野生の動物と万物の長たる人間閣下との間に戦争が起こったら、気持ちとしてはクマに味方したい。(p227-228)
もっとも、ヒグマは怖いですが。
追記 : これはジョン・ミューアの著書1000マイルウォーク緑へ―アメリカを南下するからの引用で、元の文は次のようになっているのを確認した。
ぼくに言わせれば、神が愛する動物を遊びで殺すほうがよほどいまいましい所業だった。
「動物は、人間の食料になったり、狩りの獲物になったの、あるいは何かほかの用途のためにいるのだ」
と、独善的な人間がさかしらなことを言う。それなら、不運な猟師を倒したクマにかわって、
「人間などの二足動物は、クマのためにいるのだ。おれたちは鋭く長いつめときばを与えてくれた神に感謝するよ」
と、言ってもまちがいではないだろう。
文明人である狩猟者が神の森で、神の造った動物を撃ったり、未開のインディアンを殺しても許される。ところが、犠牲になることを当然のように運命づけられている彼らのなかの勇敢なものが、人家や畑で、姿だけは神に似て直立歩行する殺戮者たちのなかのもっとも卑しい人間でも襲って殺せばどうなるか。
おお、それは主客転倒した惨事だ、となり、インディアンの場合は残忍な殺人とはいわれるのだ!
さて、ぼくは文明人の行為の利己的な正当化にはいささかも共感できない。もし野獣と人間とのあいだに争いが起きたら、ぼくはクマたちに加担したくなるだろう。(p126-127)
体は昔から必要なことを知っていた
前に書いたように、カール・ユングの言葉どおり、わたしの「手」つまり体は、ずっと以前から、何がわたしに必要なのか知っていました。わたしが描いていた絵の風景、それはわたしが必要としていた空間の青写真でした。
わたしは自分に自然が必要だなんて、長い間ずっとこれっぽっちも思っていませんでした。かえって、自然が癒やしてくれるなんていう考え方を無視し、はねつけていました。「そんな簡単なことで治るわけないじゃん!」
わたしの考え方が変わったのは、純粋に科学的な理由からです。幾つかの専門書や論文を読むうちに、自然がトラウマや他の症状を治療するという考え方には十分な裏づけがあることを知りました。
証拠はひとつだけではありませんでした。ADHDの研究では、自然の中にいると治療薬と似たような効果があることが実証されました。
概日リズム睡眠障害の研究では自然の中で暮らすと回復していました。トラウマの研究でも、自然の中の振り子のようなリズムを取り戻すことが凍りつきを溶かす鍵でした。
これらすべての病名で診断されているわたしにとっては、あらゆる研究が、大自然の中に行くよう指し示しているように思えました。
わたしはいつでも証拠に基づいて行動するのをモットーにしています。たとえもともとの考え方や信念と異なっているとしても、揺るがぬ証拠があるなら、考え方を変えることにやぶさかではありません。
だから、思い切って試してみました。そして実際に効果がありました。プラセボでないことも確かめました。こうしてわたしは自分の体が大自然を必要としていたことを、回り道の果てに知りました。
でも、もしわたしがもっと純真だったら。もっと自分の体の声に耳を傾け、それを信頼することを知っていたなら。
こんな回り道はせずにすんだでしょう。5年か10年近く前に、大自然の中に引っ越していたでしょう。
わたしが何年も前に自分のブログにつけたタイトルは、「いつも空が見えるから」でした。
そのわたしが、いつも大空が美しい土地に引っ越したというのは暗示的です。自分が求めているものが何なのか、たとえ心(意識的な自己)が気づいていないとしても、体(無意識の自己)は最初からそれを知っているのです。
また、わたしの絵は、ずっと前から、わたしには自然が必要だと叫んでいました。わたしは今まさに、空想で絵に描いていたように風景が、現実に存在するところに住んでいます。
いったいそのイメージはどこから出てきたのだろう。子どものころ遊んでいたゲームが空想に関係しているのは確かですが、わたしが絵に描いていたような自然の風景はゲーム由来ではありません。
もともと何かしら大自然を求める傾向のようなものを持っていたように思えます。いわゆる自然界の要素に敏感に反応する「ネイチャーニューロン」が活発な子どもだったのだろうか?
わたしは昔から、動物や植物に感情移入して可哀想だと感じるような子どもでした。現代社会では気にしすぎ、神経質だと言われるタイプです。
しかし本当はそうではなく、人類があらゆる生き物の末の子として生まれ、自然と調和して暮らしていたこのろの感性、失われつつある活発なネイチャーニューロンに基づく感性を受け継いでいたのではないかと思います。
だから、今ここに来て思います。やっと自分の居場所を見つけた、と。
過去を思い出さなくても回復できる
これだけ体験記をたくさん書いてきましたが、結局、わたしのトラウマ的体験が何だったのか、詳しいことは一度も書きませんでした。
詳細を記憶していないという理由もありますが、全部忘れてしまったわけでもありません。
ちょうど9つの脳の不思議な物語に出ていたトミーの話と似ている。トミーは「以前の人生のことをほとんど覚えていない」と口では言っていたけれど、彼の娘はトミーは「本当は、過去の話をするときには、記憶ははっきりして」いるが「過去のすべてを思い出したくない」ので掘り返さないようにしているのではないか?と述べていた。(p152)
解離というのは、確かに過去の記憶の忘却ではあるけれど、何もかも忘れ去っていることはまれで、あえて記憶にアクセスしないよう自分で自分にロックをかけていることが多いのではないかと思う。
強迫神経症の人たちが、ひたすら反芻思考してしまうことで記憶のつながりを強化してしまうのと真逆の現象だ。そのような人たちの「記憶が並外れて強いのは、無意識に過去を復唱しているから」。(p57)
それに対して、解離の人たちは、ひたすら記憶から目を背け続け、空想に逃避することで、シナプスのつながりが弱まり、結果として過去を忘却してしまうのではないだろうか。
さっきの言い方に習えば、解離の人たちの記憶が並外れて弱いのは、無意識に過去を復唱することを避けているからだと思う。わたしはその自覚がある。
だから、わたしも、もし過去を掘り返そうとすれば、少しずつ記憶の糸を手繰り寄せ、思い出すことはできたと思います。少なくとも一部はちゃんと記憶しているので、それを手がかりにして。
過去のことを書こうと思えば、それだけで1シリーズは余裕で書けたはず。
でも、わたしは書かなかった。書く必要を感じなかった。いや、書きたくなかったのかもしれない。あえて過去をほじくり返して、辛い記憶と向き合う気にはなれませんでした。だってそういうのって嫌じゃない?
昔から、わたしは嫌な出来事があったとき、「寝て忘れる」人でした。これは解離のせいなので、一概に良いものとはいえませんが。
わたしは過去をほじくり返して蒸し返すカウンセリングにはまったく効果を感じませんでした。
そのような手法(デブリーフィングや対話によるセラピー)が、トラウマの条件付けを強化して、再トラウマ被害を生むだけだとする研究は真実だと思っています。さっき書いたように、人を強迫神経症にするだけだと思う。
人によってはそれが役立つこともあるのかもしれない。でも少なくとも、わたしが学んできたトラウマの科学的研究は否定的です。過去のシャーマン的手法の場合でも、原因を明らかにせずとも、儀式的な経験によって症状は回復していました。
トラウマ症状は身体的な条件付け反応なので、回復するために言葉による過去の振り返りは必要ない。ただ新しい体験で上書き修正するだけである。
これがわたしが学んできたことです。だから、この一連の体験記では、あえて過去のトラウマを蒸し返そうとはしませんでした。
これまでのわたしは、過去の辛い記憶を「寝て忘れる」代わりに、空想の世界に逃避して自分を慰めるのが習慣でした。おかげで絵を描いたり創作できたりしたわけですが、あまり良い習慣ではありません。
一方、こちらに引っ越してきてからは、そこが変わりました。
嫌なことは「寝て忘れる」ところまでは同じです。しかし、かといって空想に逃避したりしません。そうではなく、現実の「今」の体験に没頭するようになりました。
もう過去のことなんかどうでもいいような気がしています。毎日、新しい経験ができることのほうが楽しいです。
わたしはかつて、嫌な記憶に対する対処として、空想に逃避する(つまり、自分を「今ここ」から切り離す)ことを習慣にしたわけです。
しかし今は逆に、「今ここ」にとどまることで対処するようになってきました。これ以上に正しい解離の治療法があるでしょうか。
心地よい「今ここ」にとどまれるようになってきたというのは、つまり解離が弱くなったということです。自分の意識を、今この瞬間の身体感覚から切り離す必要がなくなったからです。
確かに過去の出来事は変えられない。でも、今のわたしの生活環境である道北の大自然には、わたしをおびやかすような恐ろしい刺激や光景は存在しません。今ここの感覚にとどまっても大丈夫だ、と身体でわかっています。
人は本来「今を生きる」生き物です。それが誤作動によって過去の記憶にとらわれてしまうのがトラウマなのです。
必要なのは「今を生きる」よう意識することであって、過去に執着することではありません。そんなことしてもかえって悪くなるだけです。
医者やセラピストは、トラウマの問題を複雑にこねくりまわして治療しようとするけれど、実はもっと単純なことなんじゃないか、と今では思います。
だって、トラウマのセラピーの研究はフロイト以後に始まったものですが、それ以前の何千年間も、人々はセラピーなしでトラウマを乗り越えていたんですから。
何千年ものあいだ、人々は自然の中で、「今を生きる」ことで辛い経験を乗り越えてきた。しかしフロイト以降の近代になると、都市化文明化によって、そんな自然がなくなった。だから、小難しいセラピーの理論が必要になってしまったのではなかろうか。
結局、わたしが探していた答えは、クマのプーさんがプー横丁にたった家 (岩波少年文庫(009))で言っているこの言葉に集約されるのではないか、と思うんです。
時々ね、橋の下のほうの手すりに立って川がゆっくりと下を流れて離れていくのを見ていると、突然、知らなきゃいけないことは全部わかったな、って思うんだ。
なんだか今まで、やたらめったら難しい理論をこねくりまわして、トラウマの迷宮を歩んできたけれど、自然を眺めながら、「今を感じる」。それが迷宮から抜け出すのに必要な全てなんじゃないかと。
解離が弱まったのでブログを統合した
最近、ブログを統合しました。別々のところに書いていたのを、ドメイン変更してまで、全部yumemana.com傘下に統一しました。
これはブログ構造をシンプルにして管理しやすくするため、という目的がありました。そのせいでアクセス数などがすっかり減ったはずですが、まあわたしは読まれるためにブログを書いているわけじゃないのでいいでしょう。
どうせ、世の中の人々が求めているのは、いかに慢性疲労症候群が治らない難病かとか、どうやって発達障害を薬物療法で治療するかとか、そういった情報ばかりなので、わたしのブログはそっと役目を終えてインターネットの海の藻屑にでもなればそれでいいのだ。
もともとブログを分割していたのには理由がありました。前にどこかに書いた気がするけれど 、「いつも空が見えるから」のほうで考察をしている自分は自分じゃない、という違和感がずっとあったからです。
経験上、ブログに限らず、やたらとSNSのアカウントを使い分けたりしているような人は、人格解離傾向のある人が多いような気がしています。
もともとのわたしは、本を読むのが大嫌いだったし、理論的に考えるのも得意ではなく、直感で動くタイプでした。とても感情的で、感受性豊かだったはず。
なのに、中学生くらいのころからか、自分を守る盾としての人格が登場しました。理知的、分析的、冷徹で、情報を統合し、推理するのに長けた人格が。
これはのちになって、解離の理論を調べていたとき、「表面的にノーマルな人格」(ANP)や、生存者人格と呼ばれるものだと知りました。トラウマを抱えた人格を守る盾になる、有能で冷静な人格です。
解離の当事者には、この人格のおかげで成功している人が相当数います。あくまで、表面的に社会で成功しているだけで、内面には空虚さや混乱を抱えていることが多いのですが。
わたしはその違和感のせいで、2つのブログを別々の場所に分けていました。「いつも空が見えるから」のほうを書いているのは自分ではない、という感覚が強かったため、わざと別の場所に置くことで切り離し、遠ざけていました。
それはまるで、ゼノメリア(身体完全同一性障害)の人のようなものでした。自分の身体にくっついている手足などの部分が、他人の手足に思えるため、切り落としたいと願う人たちのことです。
近年では、これは、身体マップをつくる頭頂葉の問題だと言われています。トランスジェンダーの人たちは、ゼノメリアの一形態だとわかっています。
この人たちは、自分のものではないという手足や、胸などの部分を触られたとき、脳の自己所有感覚が働いていません。本当に脳が他人の身体として処理しているわけです。
わたしはゼノメリアではありませんが、離人症や解離の当事者は、ゼノメリアとかなり似たところがあるので、一時的に似た反応が起こっているんでしょう。自分の一部が他人だと感じることには、たぶん共通の理由があります。
わたしはもともと人格の分裂がひどい時期がありました。人格は身体と身体感覚から形成されるものなので、一部の身体感覚が他人として処理されていた、ということから来ているはずです。
わたしは長年、一人ではなく複数として生きてきました。いわゆる「共意識」が発達していたので、解離性同一性障害にはなりませんでしたが、内なる他人は何人もいました。論理的な考察ができたのはそのうちの一人のおかげでした。
解離とは複数の意識と自己という安定状態を持つことです。普通、人間を含め、生物はひとつだけの安定状態を持ちます。それがホメオスタシス(恒常性)です。
ダマシオは、大半の人が、ひとつの自己を持っていることと、ひとつの生物学的な安定状態(ホメオスタシス)を維持していることには関連性があると述べていました。自己意識は体から作られているからです。
しかし、幼少期に混乱した家庭で育ち、さまざまなパターンに対処して、自己を変容させなければ生き延びられなかった人の場合、複数の自己意識をもつようになります。
これを生化学的にいえば、複数の安定状態、複数のホメオスタシスを持つ、ということになるのでしょう。
ホメオスタシスの機能をつかさどっているのは脳幹です。脳幹は、注意、覚醒と睡眠、意識などの機能とも関係しています。
幼少期に混乱した家庭で育った人が、複数の意識状態を持つと「同時に」、注意のコントロールが苦手になり、覚醒や睡眠のリズムがおかしくなってしまうことは、ここに原因があるように思います。
ホメオスタシスの安定状態がひとつではなく複数になってしまっている。そしてその複数の状態を意思に反して揺れ動いているために、自己意識だけでなく、注意力や概日リズムもまたコントロールできない。
わたしはずっと複数で生きていくものだと思っていました。現実の人間関係より、内なる人間関係のほうが大切で、内なる世界のメンテナンスのために、これからも多くの時間を費やしていくものだと。
しかし引っ越してきてから、それが変化しはじめました。
前回の記事を書いた時点では、まだそこそこ解離している感はありました。だから、またそのうち、SEのセラピーも受けなければ、なんてことも書いていました。
ところが、それからもさらに、どんどん解離が弱まってきている感じがして、自己の内的統合が進んでいます。何も努力しているつもりはないのに、日々、大自然の中で、心地よい「今ここ」を感じるだけで、人格が統合されていっています。
ずっと続いていた、頭の中の別人格による「内なる声」が聞こえなくなりました。こんなことを書くと統合失調症っぽいですが、妄想的な意味での声ではありません。前に考察した作家たちも経験するような声です。
だから、もうSEのラピーを受けないと思います。その必要を感じません。わたしに必要なのは自然界の中で過ごす時間であって、人為的なセラピーではありませんでした。(ともあれ、最初にこの感覚を気づかせてくれたSEのセラピーには感謝しています)
これは、多分、良いことなのです。統合されて一つになっていくのは、人のあるべき姿に戻りつつあるということだからです。
注意力や睡眠の問題も改善されているように感じます。自己が複数になる原因がホメオスタシスの乱れであるとすれば、自己が統合されるにつれ、脳幹由来の他の問題も軽減していくはずです。
以前よりは安定しているものの、完全に安定しているとはいえない体調です。半分統合され、半分解離しているようなものでしょう。今後、さらに改善するのかどうかはわかりません。
自分が統合されてきたのを感じたので、ブログは思い切ってひとつにまとめました。同時に、書く内容や文体までもが、かなり統合されてきたように感じます。
そのせいで、過去に書いていたような、難しい内容や踏み込んだ内容をもうあまり書けないかもしれません。それはちょっと残念ですが…、まあ、だれか別の当事者が考察して書くでしょう。
なお、ブログを統合したせいなのか、いきなり「ご連絡」のページから、いつも空が見えるから経由でメッセージを送ってくださる方が増えてしまいました。
最初のうち対応していたのですが、人数がかなり多くて負担だったので、仕方なく「ご連絡」のページを閉鎖しました。
(これを読んでいる人に、メッセージをくれた方がいるかもしれませんが、気を悪くしないでくださいね。負担だったのは同時に多数の人からもらった「多さ」であって、「内容」はどれもとても嬉しいものでした)
よくよく考えてみれば、わたしは別にブログ経由で誰かと知り合いたいという欲求はないし、感想をもらいたいとも思っていなかったので、別にこれでよかったでしょう。
創作は「今ここ」と両立するだろうかという葛藤
解離が薄れてきたのは良いことですが、ちょっと戸惑いもあります。
人生の長年を解離して生きてきたわたしは、解離のおかげで、他と異なる独特のアイデンティティを培い、すばらしい創作能力に恵まれてきました。それがなくなるということは、ただの「普通の人」になるということです。
今のわたしは、ちょっとまだ解離はしているし、場面によっては解離が強くなるけれど、けっこう「普通の人」です。
わたしは自分がちょっと「普通ではない」のが好きでした。そのおかげで人と違うものが見えている気になっていました。
しかし、ずっとわたしが自分の誇りと思ってきた、創作能力や思考能力のようなものが、薄れてしまったように思えるのです。
わたしは、自分はかなり創作の才能を持っていたと自負しています。でも、今のわたしは、もうその能力が衰えてしまった気がします。
たとえば、本を読もうとしても、めんどくさくなって読む気が起きません。昔から読むのは嫌いでした。でもあのころは、読まなければ自分の問題を解決できないという切実さがあった。だから無理にでも、大量の情報を読みあさった。
今は違います。もう満足してしまった。満ち足りてしまった。「必要は発明の母」と言われるけれど、心理的な欠乏がなければ、あのような考察の数々は生まれなかった。
あのころのわたしは、調べて考察するしか生き延びる道がなかった。一縷の望みをかけてでも、ひたすら調査しつづけるしかなかった。
今のわたしは、体調不良に陥っても、家を出て森のそばをサイクリングするだけです。それですっきりします。悩みはどうでもよくなります。調べる必要がなくなりました。
本音を言えば、心の底では「もう調べる必要がない」とは思っていません。わたしは常に、膨大な知識で分析することによって、困難を乗り越えてきました。だから、たくさんのことを知って、考察を深めることには価値があると信じています。
それでも、今のわたしは、ただ自然界の中でリラックスする心地よさを覚えてしまったので、改めて努力しようという気が起こらないのです。ある意味では怠惰になりました。
絵のほうは、また描きたいという気持ちはあります。最近ようやく、野外の植物観察スケッチという形で、また絵を描き始めました。落書きレベルですが、それでも絵は絵です。
こっちに引っ越してきてから、昔、体調不良で家から一歩も出られないようなころに描いた大量の絵が大活躍しています。自己紹介にもコミュニケーションにも。だから、たとえ考察を書けなくなっても作家ではあり続けたいと思います。
けれど、「普通の人」になってきたわたしが、果たして作家であれるのか、という危機感がずっとあります。どうすれば、創作のモチベーションを保持できるのか、よくわかりません。
ずっと昔に書いたように、多くの作家が創作するのは、自分の内部に埋められない空白があるからである。裏を返せば、もしその空白が満たされてしまったなら、作家はもう創作しつづけることができない。
また最近書いたように、ビアトリクス・ポターはその顕著な一例だった。ポターは、湖水地方に引っ越して満たされてからは、忙しく農業に携わる「普通の人」になってしまった。わたしもそうなっていきそうな気配がある。
さらに、詩人エミリー・ディキンソンは生涯ずっと創作を続けたが、一番傑作が多かったのは冬だった。季節性情動障害(冬季うつ病)に苦しんでいた闇の時期のほうが、創作内容としてはすばらしかった。
創作能力というものが、苦しい現実に対処するための「解離」なのだとしたら、ストレスが減って解離が弱まると、創作も低調になっていくのは当然であろうと思えます。
かつてのわたしは「現実」や「今ここ」に生きていませんでした。空想が逃げ場でした。意識せずとも、いくらでも空想が湧き出てきました。わたしは「今ここ」にいる代わりに、別世界にいることで対処していました。
ところが、わたしは道北で、安心するという感覚を知りました。「今ここ」にとどまるという感覚を。空想に逃げなくても、今ここ、現実の感覚に身を委ねればいい。
創作と「今ここ」は両立しないのでしょうか。
創作するためには、過集中して、ゾーンに入って、ひたすら書いたり描いたりする必要がある。自分を現実から切り離して、想像の世界に没頭する。
「今ここ」にとどまるのはその逆。一匹の動物のように、ただ、この瞬間の感覚を感じ取り、身体を動かすだけ。
じっと座ってひたすら頭を働かせる創作と、野外で身体を動かして、身体感覚に没頭するスポーツとは両立しえない。
わたしは創作をやりたい。でも身体が気持ちいいと感じ、身体が欲してやまないのは、野外で無心に身体を動かすほうなのだ。
これが今のわたしの葛藤です。傷が癒えることで「普通の人」になっていくと、創作能力も失われてしまうのではないか―。
だけど、わたしの中で、この結論は必ずしも正しくない、という声も聞こえます。
自然界の中で癒やされると本当に以前のように創作できなくなるんでしょうか。「今ここ」の心地よさを知ってしまうと創作できなくなってしまうのか。
わたしが以前調べたチクセントミハイの研究だと、創作する人は、両極端を両方体験できる人でした。言い換えれば、あるときは「今ここ」にとどまり、あるときは空想に没頭できる人。コントロールされた解離を操れる人。
わたしはかつては、ずっと空想の中にいることによって創作していました。でも、本当の創造性とは、「今ここ」と空想を行き来する能力によって生まれるものでは?
現に、身体感覚を通していろいろな体験をしたことで、これまで知識だけだった情報が肉付けされ、グレースケールの考察に彩りが加えられるような経験もしました。
今のわたしは、身体感覚の心地よさに傾きすぎだけど、もっと自然界の中で過ごせば、解離もコントロールできるようになってくるのではないだろうか。
今の段階では、解離は弱まるいっぽうに思えるけれど、必ずしもそうした曲線をたどるとは限らないのでは?
まだ不安定だから揺れているだけで、もっと統合されてきたら、酸いも甘いも噛み分けられるようにはならないだろうか。
都合のいい話かもしれないけれど、たとえ傷が癒やされたところで、わたしから解離されていた痕跡が消えるわけじゃないと思うんです。たとえ別々の材料をスープに混ぜたとしても、材料の個性は生き続けるように。
統合とは消滅ではなく融合です。切り離されていた身体の部分は、統合されると消えてなくなるわけではなく、自分の一部として、魂の住みかに戻ってくるだけなのです。
だとしたら、より統合された、自分らしい創作ができる道も開かれているのではないか。
今、それを目指して、こつこつと自然観察してスケッチしたりしています。本もたまには読んでいます。
まだ、今の生活に創作を混ぜ込む方法はわからない。けれど、作家として生きれる道があるのなら、模索していきたいです。
なんといってもまだ、1年経っていないのです。化学物質過敏症の人たちでさえ、自然豊かな場所に来て体調が安定するまで1年半かかったと書いていた。わたしは急ぎすぎかもしれません。
数年後、10年後に、振り返ったとき、どんな感想をもつだろう。そう思って、この11ヶ月のときの自己観察を残しておこうと思うのです。
今後に向けて。生活をシンプルにしたい
わたしはずっと長年ベッドの上で過ごしてきたようなものなので、ここ一年の急激な変化にはびっくりしています。それ以上に、そこそこうまく変化に対応できてきた自分にも驚いています。
今年の初頭を振り返って、よく自動車免許なんて取れたな…と今でも思います。ストレスに敏感で、人が怖いわたしが、教習所を立派に卒業できたのは奇跡みたいなものです。
また、それ以降、周りの人の送り迎えなどを含めて、かなりの距離運転できているのも驚きです。
だけど、そうして動けるようになったおかげで、生活が忙しくなりました。今までいわば「安楽椅子探偵」だったのが、あちこちに出かけたり、人と接したりしなければならなくなりました。
そうするのは楽しいけれど、やっぱり体力不足はいなめません。誰かと出かけたり、用事で買い物に行ったりした後は、頭脳労働するだけの元気がなくなっています。それも創作が低調な理由だと思います。
でも、読書、物書き、自然観察、そして絵の創作は、なんとか定期的に続けたいです。新しい知識や経験をインプットすること、そしてそれを文章や絵の形でアウトプットすることは、自分の成長に不可欠だと思うからです。
そうするために、今まで以上に、時間のやりくりとか、優先順位について意識するようになりました。ブログを統一したり、病気についての情報収集をやめたり、今までやってきたことを取捨選択してシンプルにするよう努めています。
あれだけゲーム好きだったわたしが、ゲームを一切やらなくなりました。現実世界の冒険のほうが楽しいし、何より時間がないからです。自然観察を続けるためだけにも、時間のやりくりが必要です。
これから、どのような方向性を目指していけばいいのか、はっきりと見えているわけではありません。だけど、楽観視しています。今までだってなんとかなったから、これからもなんとかなるでしょう。
だから、あれこれとごちゃごちゃ悩みを書き綴ってきたこの体験記も整理して、ここで終了することに決めました。これもシンプル化の一環です。
もしかしたら、また書く内容も出てくるかもしれませんが、そのときは新シリーズを立ち上げよう。
終了と同時に、今まで別の場所に隔離してきた、このMy Life Historyも表からリンクを張って統合しようと思います。わざわざこんな長文を読む物好きな人はめったにいないでしょうけど。
もしここまで読んでくれた人がいたら、ありがとうございました。自分のルーツを探るわたしの旅路はここで終わりです。これからは新しい自分を見つけていきます。