SEのセラピー体験記の第二期の6番目。前回は、学習された不使用の研究などを参考に、自分の感覚が萎縮していることを考えました。今回は…
前回の流れで、道北まで行ってきました。
いや、広い世界を経験せねば、と言い出して、そのまま道北に行くとか、単純すぎるんですが、想像力が萎縮しているのか、それくらいしかまともに思いつかなかったもので(笑)
というわけで、今回は、なぜいきなり旅行に行ってきたのか、そして、初めて日本の最北のほうまで行って、広い自然を満喫してきたなかで感じたことを書きます。
SEのセラピー体験記の第二期の6番目。前回は、学習された不使用の研究などを参考に、自分の感覚が萎縮していることを考えました。今回は…
前回の流れで、道北まで行ってきました。
いや、広い世界を経験せねば、と言い出して、そのまま道北に行くとか、単純すぎるんですが、想像力が萎縮しているのか、それくらいしかまともに思いつかなかったもので(笑)
というわけで、今回は、なぜいきなり旅行に行ってきたのか、そして、初めて日本の最北のほうまで行って、広い自然を満喫してきたなかで感じたことを書きます。
前回は10回目のセラピーについて書きましたが、今回はその後の合間に考えた、今後の自分の方向性に関することを書きます。文章構成能力が不足しているせいで、いつもにましてわかりにくいかもしれませんが私的メモなのでご容赦を。
SEのセラピーを受けに行った体験記の第二期の4回目。前回の記事までは、三回にわたって、畏怖の念とか健常な解離についての考察をやってきましたが、いつもの路線に戻ります。今回はおもに近況と10回目のセラピーの内容について。
前回は、一連の畏怖の念の話題の続きとして、土地への愛着が人を形作るという話を書きました。セラピーの話からずいぶんそれているように思いますが、今後のわたしにとってとても重要な部分だと思うので、この話題についてもう少し書いておきたい。考察ばかり続いているけれど、9回目のセラピーを通して感じたこと、考えたことは、一応今回で一区切りになると思います。
SEのセラピーを受けに行った体験談の第二期の二回目。前回は、9回目のセラピーの内容と、そこから感じたこと、考えたことを書きました。SEの本来の意味は「身体的な経験」であり、現代人がトラウマに脆弱になったのは、自然界の中での身体的経験から切り離されたからだ、という話でした。しかし長くなりすぎて全部は書ききれなかったので、今回その続きを書きます。というわけでセラピーそのものの話ではなく考察回です。
前回までで、15回にわたって書いてきたSEのセラピー体験記は一区切りとしました。今回からはタイトルも新たに、また改めて、セラピーの中で感じたこと、考えたことをつらつらと書いていきたいと思います。個人的なメモとして書いているので、相変わらずごった煮状態で読みにくいのは仕様です。もし読んでくださっている方がいたらすみません。
タイトルは、前回のシリーズの中で、ひとつのキーワードのようなものとして浮上してきた「切り離された身体を取り戻す」という言葉を当ててみました。セラピーの進展の中で他にふさわしい表現が出てきたら途中で変えるかもしれませんが、今のところは、前回の8回目や9回目で書いたようにSEとはバラバラ死体になった自分を修復していくようなものだと思っているのでこの題名がいいと思っています。
SE体験記の15番目。ちょっと長くなってきたので、いったんここでナンバリングは区切って、このタイトルとしては最終回にさせてもらいます。またすぐに次のを書き始めるので形式的な区切りにすぎませんが。次のタイトル何にしようか。
前回までのところで、いわば「地図のない世界」で足がかりとなる拠点を見つけたようなものなので、一旦区切るにはちょうどいいかなーと思いました。アニメでいうところの第一期終了、ということで。あまりに連番を多くしすぎると、自分でもどこに何を書いたかわけがわからなくなりますし。
SEの体験記の13回目。前回はセラピーの合間にあった安心できるリソースの確保についての出来事を書いたので今回は…と言いながら、また今回もセラピーの合間の雑多な考察の寄せ集めです。
おもに、最近、主治医と話し合ったことからインスピレーションした内容になります。診察室のなかでは話しきれなかったこと、伝えきれなかったことのメモになっています。複数の話題の詰め合わせなので、この前の10回目の記事と同じく番号を振って区別しておきます。
最近ちょっと書いていた、SEの分野に欠けている人格の多重化についての研究を、SEの理論と統合させるミッシングリンク的な考察じゃないかな、と思います。
SE体験記の12回目。前回は8回目のセラピーの内容について書きました。今回は、次のセラピーまでのあいだの出来事です。前回の最後らへんに書いたわたしの過去と、それを活用してリソースの確保で一歩前進した話について。
SE体験記の11番目です。前回はセラピーの合間に考えたことを書きましたが、今回は7回目のセラピーの内容をメインに書きます。
連番がついに(11)になりました。どこまで続くんだろう、という感じですが、最近みたいに思いついたことを何でも放り込んでいれば、いくらでも続いてしまいそうな感じですね…。
この一連の記事は、個人的なことも書いているので、本当に読みたい人だけに読まれるように、という意図から、あえて読みにくい体裁にしてるんですが、書いている本人にもどこに何を書いたかわからなくなってきました ^_^; もし奇特にも読んでくださっている方がいましたら、内容が錯綜していて申し訳ありません。
SEの体験記の10番目。前回の記事では珍しくゲームの話を書きましたが、今回は、次のセラピーまでの合間に考えたことの短編集的な記録です。全部で5つの話題について書いてみました。
SEの体験記の9番目…のはずなんですが、なぜかゲームの感想です。なんかものすごく脱線した記事なので、どこに置いとくべきか迷ったけど、ちょうど前回のSE体験記の話題と似ている内容だったので、いっそ体験記の一部にしてしまえ、というひどく短絡的な発想になりました。 番外編みたいなものだということにしておこう。
ゲームというのは、いくつかのハードで配信されている「The Sexy Brutale」(セクシーブルテイル)という推理アドベンチャーのこと。最近プレイしたんですが、トラウマや解離という点で、非常に興味深いストーリーとシステム構成でした。
といっても、このゲームは、表向き医学用語は何も出てこない、ただの推理アドベンチャー。だから不謹慎なところは何もないです。わたしも推理物のゲームだと思って購入したし、実際、そういうゲームとして遊べる普通に面白いゲームです。ただ最後までプレイすると、壮大な謎が明らかになっていき、実はトラウマの概念と真剣に向き合ってるストーリーだったという話。
SEを受けに行った体験記の第八回。今回は6回目のセラピーの話題を中心に書きたいと思います。
前回のセラピーでは、おもに視覚と聴覚の関係の気づきが得られましたが、今回は、セルフタッチを通して、さまざまな自分の感覚に気づくことができました。
SEのセラピーを受けに行った体験記の7番目。前回の記事では、空間と視覚のセラピーを通して、身体の変化を観察しました。今回は5回目のセラピーの内容や、近況について書きたいと思います。
SEの感想記事の六番目。今回は4回目のセラピーの内容を書きます。
前回は3回目のセラピーの内容でしたが、途中、唐突に量子論がどうのこうのと書いていた部分は全面改訂して、文脈にそった話題の掘り下げに差し替えました。文章構成としてさすがに飛躍しすぎてましたね。本来なら、別の記事を立てて、段階的に書くべき内容でした。
SE体験記の五番目。前回の(4)はSEとは全然関係ない自分の話ばかりでしたが、今回は3回目のセラピーの内容を書こうと思います。
今までのシリーズは全5回ほどにまとまっていましたが、今回はもっと長く続きそうな予感ですね。わたしのやる気と体力が持てばの話ですが。
SEのセラピーを受けに行った記事の4番目。前回の記事は二回目のセラピーについてでしたが、三回目のセラピーもたくさん収穫がありました。
…なのですが、今回も、セラピーの内容ではなく、セラピーの合間に考えたことについての記録です。 三回目のセラピーについては、(5)で書くことになるでしょう。全然書くネタがなくなりそうな気配はないですね。本当はこの数倍書きたいことはあるけれど、体力と時間の制限からこれ以上書けない、という状態です。
今回の(4)では、わたし自身のルーツを改めて探ってみることにします。
SEを受けに行った体験記の3番目です。
前回の二回目の記事は、セラピーの話はまったく書けずに、自分の体調の考察で終わっていまいましたが、今回はちゃんと二回目のセラピーの内容が書けそうです。といっても、相変わらずセラピー外の考察も多めですが。
今回からタイトルを変更しましたが、理由は最後のほうにて。
初回のセラピーから二週間、無事に二回目のセラピーも体験してきました! 今回も気づきがたくさんあったので、SE体験記の第二回を書こうと思います。
…と思って書き始めたんですが、すみません、この記事は二回目のセラピーについてではなく、前座の内容だけで、すごい文章量になってしまいました。たぶんほとんど誰も読んでないと思いますが、好き勝手に書いてるのでいつもこんな調子です(笑)。二回目のセラピーについては、次回の(3)の記事で書きます。
今回の(2)は、一回目のセラピーと二回目のセラピーのあいだに起こった出来事や考察、心境の変化などの内容になりました。