SE体験記の15番目。ちょっと長くなってきたので、いったんここでナンバリングは区切って、このタイトルとしては最終回にさせてもらいます。またすぐに次のを書き始めるので形式的な区切りにすぎませんが。次のタイトル何にしようか。
前回までのところで、いわば「地図のない世界」で足がかりとなる拠点を見つけたようなものなので、一旦区切るにはちょうどいいかなーと思いました。アニメでいうところの第一期終了、ということで。あまりに連番を多くしすぎると、自分でもどこに何を書いたかわけがわからなくなりますし。
安心できる感覚と、眠りの体験
この一週間くらいは、前回見つけた感覚についていろいろ実験していました。肩に手を添えると安心する、ということでしたが、それだけだとリラックスの度合いはあまり深くないので、身体の動作も加えていろいろ試してみることに。もともと手続き記憶というのは連続性を持つ身体的パターンの記憶なので、肩に手を置くのも、何らかの動作パターンの一部にすぎないと考えました。
あれこれ条件を変えて試していると、単に肩に手をやるだけでなく、首を曲げてゆっくり動かす動作込みのほうがリラックス度が深いことを見つけました。そういえば4回目のセラピーで、首を曲げて視線を背けている姿勢が楽で気持ちいいことを発見していましたが、両方あわせたような体勢です。
その動作をとると、なぜか確かに安心するんですが、もともとは何の記憶なのだろう? たとえば猫が大人になっても前足でふみふみするのは、赤ちゃんのときの母猫に授乳された手続き記憶を再現して安心感を得る行為ですが、わたしの場合も、なにか幼いころの安心できる手続き記憶のようなものを活性化しているのだろうか。
ひとつすぐに思いついたのは、背中におんぶされて寝ているような姿勢では?ということ。確かに子どものころ、あまりに寝ないということで、いろんな人におんぶされてあやされていたらしいので、そのときの記憶かもしれません。もしそうなら、幼いころのわたしにも安心して寝られる場所があったということですね。
それと、夜寝てて気づいたんですが、わたしが普段寝ている姿勢というのが、横向きになって首を肩に当てるように丸まって寝る、というものでした。わたしはずっと枕を使わずに寝ていて、枕に頭を乗せるとかえって寝にくくなるという、世の中の大半の人にはない奇妙な特徴がありました。もしかすると、これはその幼少期の古い習慣に由来しているのかもしれません。
そして、夜寝るときにその姿勢を取っているということは、わたしの寝る前の空想世界の安心感もまた、その姿勢と紐付けされている、ということになります。そういえば、わたしは仰向けに寝ていると空想が働かず、横向きに寝てその体勢をとったら空想に入れるという不思議なところもあるんですよね。であれば、肩に手を置いて首を傾けるような動作が心地よいのは、単に幼少期の体験というより、子ども時代を通じて経験していた寝るときの安心感を呼び覚ましているのかもしれません。
どっちにしても、寝ることと結びついた記憶には変わりないんですが、改めて考えてみても、なぜか昼間起きているときには、心地よい記憶のようなものが全然見当たらないんですよ。何を思い出しても嫌な気分になってしまう。わたしが現実のだれかに愛着を持ちにくいのも、起きている時間帯の出来事というだけで不快な感覚と結びついてしまうからかもしれない。
寝る時間というのは、わたしにとって昔からずっと、現実の苦痛から解放される幸せな時間でした。それを如実に物語るのは、わたしは夢の中でも、追いつめられたり怖い思いをしたりしたら、寝て対処することです。すでに寝ているのにさらに寝るという。
なぜか夢の中のわたしは、取り返しのつかない出来事が起こったときに、意識を飛ばして寝てしまえば苦痛から逃れられるということを本能的に知っています。どんな夢の中でも耐えられなくなると、いとも簡単に意識を飛ばしてしまう。そうすると、必ずそれは成功して、悪夢のような夢は終わるのです。タイムワープするか、次の夢に移行するか、目が覚めるかして、リセットできます。
このタイプの夢はあまりに頻繁に経験するので、わたしにとってはごく当たり前だったんですが、最近になって、明らかに奇妙だと思い始めました。
なぜ夢の中のわたしは、辛い経験をしたときに、必ず、意識を飛ばして気を失うことで対処するのか。説明されるでも、教えられるでも、気づくわけでもなく、なぜそうすべきだと本能的に理解しているのか?
よく昔のドラマとかで、女性がヒステリーを起こして気を失う描写がありますが、怖いときに気を失うというのは、背側迷走神経の擬態死現象なので解離の一種です。そしてよくできたことに、わたしは夢の中で気を失うと、そのまま金縛り状態で目覚めることがあります。今朝もそうでした。ということは、本当に夢の中で擬態死を起こしているようです。
だけどわたしは現実でそんなことをした記憶が一度もありません。もしかすると忘却しているだけで、その対処法をかつて頻繁に使っていたようなことがあったのだろうか。
何かわたしが見落としていること、まだ意識できていないものがあるように思います。
自分の低覚醒に気づかない
最近ふと読み返しているのは、何年も前に読んでいた図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療―EMDRを活用した新しい自我状態療法という本。人格多重化方面の解離の研究の専門家の、サンドラ・ポールセンの本です。
完全にセラピーの内容ありきで書かれている本なので、数年前に借りて読んだときは、大半がよくわかりませんでした。今回は自分にとって大事な本なので、購入してじっくり読むことにしました。
信じがたかったのは、この本に、ポリヴェーガル理論についてはっきり書いてあったこと。前回読んだときは、まったく何のことやら理解してなかったので、記憶に残ってさえいなかった。わたしは、ポリヴェーガル理論について岡野先生の本で初めて読んだと思い込んでいたけれど、最初に目にしたのは、たぶんこの本のはずだったのだ。
もっとも好ましいのが中度のレベルだというこの理論の重要な点を覚えておくのに便利なのは、Porgesの“おかゆ理論”です。熱すぎる、冷たすぎる、ちょうどいい、という3種類のおかゆを想像してみてください。(p196)
とまあ、わかりやすい例えやイラストまで交えて説明されています。「熱すぎるおかゆ」は交感神経の過緊張、「ちょうどいいおかゆ」は腹側迷走神経が働いているリラックス状態、「冷たすぎるおかゆ」は背側迷走神経が働いた凍りつき状態、だということです。まずは自分の神経系を、「ちょうどいいおかゆ」にできる能力が身についていなければ、トラウマの対処が始まらないという話。
わたしの場合、ポリヴェーガル理論は、ポールセンのこの本を読んでも記憶に残らず、岡野先生の本を読んでもはっきり理解できず、ピーター・ラヴィーンの身体に閉じ込められたトラウマを読んで初めて意味をつかめたので、自分の体験から言っても、多くの人にとって理解しにくいものだと思っています。
というのは、ポリヴェーガル理論の肝である「過覚醒」とか「低覚醒」の状態を、(むかしのわたしも含めて)大半の人が意識できていないからだと思います。興奮してピリピリしている「過覚醒」状態はまだしも、ぼーっとする、目の焦点があわなくなる、思考が働かなくなる、身体が固まる、といった状態を「低覚醒」の症状だと理解している人が少ないんじゃないだろうか。
従来の交感神経と副交感神経の概念が浸透してしまっているがために、ぼーっとするのはリラックスしているしるしだと勘違いされている。そして頭が働かないとか身体が固まるといった「低覚醒」の症状は、まったく別の体調不良として誤解されてしまっている。
たとえば思考に霧がかかったような「ブレインフォグ」症状や、高次脳機能障害とか脳の血流異常とみなされて、低覚醒のシャットダウン状態ではないか、と考えられることさえない。身体が固まったり凍りついたりする症状も、ただの筋肉の緊張とみなされてしまう。
わたしもそうでしたが、まずは「低覚醒」のときに、思考や身体にどんな症状が出るのか、ということを詳しく学ばなければ、自分が低覚醒になっているということに気づくことさえできません。
だから、ポリヴェーガル理論を理解するには、わたしが最初に読んだ二冊の本のように片手間に説明されているくらいでは不十分で、ラヴィーンの身体に閉じ込められたトラウマみたいにがっつりと詳しく解説されていないとイメージがわかないんだと思います。わたしの場合、それでもまだ足りず、最終的にパット・オグデンのトラウマと身体で膨大な事例を読んではじめて、やっと自分の身体の凍りつきを認識できるようになったくらいですから。
そもそも、おそらく「自分が凍りついていることに気づけない」、というのが、トラウマ患者の最大の問題のひとつなのではないか、と思います。ラヴィーンが身体に閉じ込められたトラウマで引用し、ヴァン・デア・コークも身体はトラウマを記録するで引用しているアントニオ・ダマシオのこの言葉のとおりに。
われわれはときおり、事実を見いだすためにではなく事実を隠すために心を使う。この衝立がもっとも効果的に隠しているものの一つがわれわれ自身の身体、身体の中身である。この衝立は、命の流れである身体の内部状態を、部分的に心から排除している。(それぞれの本のp175,p156)
トラウマを負った人は、正しく自分の身体を観察する能力が損なわれている。だから、自分は凍りついていないと考えてしまっていて、低覚醒に陥っている実感さえない。依存症や中毒のような習慣にはまり込んでいる場合でも、それが、低覚醒に対処するために無意識に行っている手段だという自覚に欠けている。なぜかやめられない習慣、なぜか熱中してしまう趣味が、覚醒レベルを上げて苦痛から抜け出す手段になっている、と気づいてさえいない。
いわゆる快-不快の考え方が示すとおり、生き物は、無意識のうちに快感を感じるものに熱中し、不快なものを避けるという行動パターンを身に着けていきます。でも、自分の習慣が、「低覚醒」という不快な状態から抜け出して快さを求めるために身についたパターンだとはなかなか思い当たりません。
たとえば、ラヴィーンが身体に閉じ込められたトラウマで述べているように、ADHDの問題行動だと思われているものは、低覚醒にある脳の覚醒度を引き上げるための試みかもしれないのに、表に現れている行動だけ見て発達障害と診断されてしまう。
興味深いことに、注意欠如・多動性障害(ADHD)と闘っている多くの人や、暴力的な犯罪者の多くには、脳の本能的な部分の低覚醒状態と前頭前野のシャットダウンがともに見られる。
この点を考えると、両者に見られる不適応的な行為は、より人間らしさを感じるための自己刺激の試みなのかもしれない。残念ながら、そうした衝動性障害の代償は、その個人にとっても社会にとっても破壊的なものとなりうる。(p313)
ADHDの脳が低覚醒状態になっていることは脳画像検査で証明されていますし、そもそもADHDの治療に使われているのが中枢神経刺激薬だという時点がわかるはずなんですが、ほとんどのADHD当事者は、自分の問題行動だけを自覚していて、その根底にある低覚醒を自覚していません。だから、ポリヴェーガル理論の「低覚醒」や「凍りつき」なんて聞いても、ピンとこないわけです。
このせいで、本当は幼少期のトラウマによって慢性的な低覚醒に陥っているのに、誤って発達障害だと診断されてしまう子どもや大人がとても多いんだと思います。いまさらすぎる話ですが、わたしが、自分がADHDだと思うきっかけになった知って良かった、大人のADHDの著者の経歴をあらためて読み直すと、どう考えても発達障害ではなくて発達性トラウマに近いものでした。
「隠れ解離性障害」
この低覚醒に気づかない、という現象は、低覚醒≒解離だということを思えば、解離に気づかない現象だと言い換えることができます。
今回読み直しているポールセンの図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療では、まさしくその問題に言及されていました。解離の症状は、表面的にはわからないことのほうが多い。
クライエントに解離性障害の兆候があれば、見た目にもはっきりわかるはずだと単純に信じ込んでいるセラピストは多いのですが、そうではありません。
解離とはもともと、自己や世間から秘密を守るのが目的で生じるので、表面的にはその心理的防衛機制が往々にして成功しています。
解離性障害のクライエントが症状を派手に表出することはめったになく、臨床家が面接をして所定の質問やテストを行って調べないかぎり、特定するのは難しいものです。
構造化された面接の利点は、隠れ解離性障害の特徴―たとえば現実感喪失や離人症、内面の声、頭痛、健忘、不特定の慢性身体症状など―を明らかにするための質問を含められることです。(p47-48)
解離性障害は、見た目にはっきり現れることはかえって少ない。むしろ、本人も十分に意識していないような離人症や内面の声、健忘、身体症状などを伴うだけの「隠れ解離性障害」が多い。自分は解離しているのに、それに気づいていない人のほうが多い、ということです。
強力な解離の持ち主は「障害」になるどころか、まったく逆に障害でなくなっていることのほうが多い、という矛盾があります。解離は障害を覆い隠すために働く機能なので、同じトラウマを負った人でも、解離が働かない人のほうが症状が重くなり、解離が働く人のほうが症状が軽くなります。
たとえば、この痛ましいニュースを思い出します。
「トラウマが辛すぎるから」性的暴行被害女性の安楽死が実行される!=オランダ
この女性の場合、幼少期からの性的虐待のトラウマのフラッシュバックなどの症状が強すぎて、もはや生きていられなくなり、安楽死が決行されたという話です。これほど重い症状を抱えたのは、ほとんど解離が働かなかったせいです。
逆に、何度も引き合いに出している私の中のわたしたちのオルガは、やはり悲惨な虐待を受けて育ちましたが、30歳ごろまで、非常に成功した人生を送っていました。高度な解離能力を持っていたからです。
解離とは、トラウマ体験を意識から締め出すことで生きていく適応的な戦略なので、解離能力の高い人ほど悲惨なことがあっても、けろりと生きていけるわけです。むろん完全に締め出すことはできないので、慢性的な低覚醒とか、それに対応する中毒や依存とかは現れるものの、肝心のトラウマの内容については忘却してしまっていることが多い。
そもそも「解離性障害」だなんて名前にしても、解離というのは適応するための防衛機制なので、本来は障害でも病気でもないわけです。13回目に書いたように、解離の人格交代(スイッチング)も現実に対処するために身につける適応的戦略の一種です。
混沌とした家庭で暮らしている子どもにとっては、ある自我状態から別の自我状態に切り替わる(スイッチング)こと、そしてスイッチしたあと、その前の状況をすっかり忘れてしまうことは、辛い現実を生きていく手立てになります。そのようにして、異なる自我状態は異なる状況にうまく対応することを学ぶのです―たとえそれぞれがどれほど異なる状況であったとしても。(p41)
だから、「解離性障害」という病気において見られる奇妙なパラドックスは、解離の組織化が比較的弱くてほころびが見える人のほうが解離性障害だと診断されやすく、解離が高度に組織化されている人ほど、あまりにうまく機能しすぎていて、自分で症状に気づきにくく、医者からも診断されにくくなる「隠れ解離性障害」になりやすい、ということ。
図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療で書かれているように当事者の自己申告は、最初のうちはあまり当てにならないことが多く、客観的に見極められる専門家の技量が試されます。
以下に挙げるスクリーニング法は、トラウマ治療の専門家だけが使ってください。トラウマを抱えたクライエントが自分でこれらの判定手段を使おうとしても、信憑性の高い結果は出せません。
…特に治療の初期段階にいるDIDクライエントは、実際には重度の解離症状があっても、自分の症状を軽く報告しがちなところがあります。こうしたことが起きる理由のひとつに、解離性健忘のせいで、クライエントが解離症状に気づいていないことが挙げられます。(p54)
クライエントのパーツが解離を隠したがっていると、スクリーニングの際に、偽りの「ノー」という答えが返ってくることがある(情報がまだ意識化されていない)(p55)
わたしがある程度そのパターンで、最初に解離性障害の典型的な診断基準について読んだときは、まったく自分のこととして受け止めることができませんでした。けれども、解離の当事者の感じ方について書かれた柴山先生の解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理を読んだとき、奇妙な既視感を覚えはじめました。その時点でもやはりまだしっくりとはきていませんでしたが、たくさん調べているうちに、点と点がつながって、自分の長年苦しんでいた症状が解離の兆候なのだと理解できるようになりました。
自分にとって悩ましい表面的な症状ではなく、むしろ一見うまく機能できているように見える適応的な部分のほうこそが解離の兆候だと気づくのはなかなか難しいところです。
鍵のかかった部屋
自分が低覚醒にあるとか、解離しているとか気づかないのは、あまりにも解離している状態や、凍りつき症状が当たり前なせいで、自分の体験のどこが他の人と違うのか、まともにわかっていないせいです。
もしもSFの世界のように、他の人と身体を交換できるようなバーチャル技術があれば、健康な人と身体を交換してみて、自分の常識がどれだけずれていたか気づけるでしょうが、現実ではそんなことは不可能。自分以外の他人の感覚(クオリア)を体験する方法はないので、物心ついたときから当たり前のからだの常識を越えることができない。このへんの話は13回目に書きましたね。
同時にもうひとつの問題は、さっき書いてあったように、過去のトラウマ記憶が覆い隠されていて、本人でさえも何があったのか忘れてしまっているからです。記憶喪失といっても、よくドラマであるような、全生活史健忘のようなものではなく、辛い経験の場所だけピンポイントで虫食い状態になっている。ある程度は思い出せるものだから、かえって、自分の過去の一部が封じられている、と思ったりしないわけです。
深刻な心的外傷のある人の場合は、解離が“健忘障壁”を作ってしまい、そのために自己のさまざまなパーツのあいだを自由に行き来する能力が著しく損なわれます。“内なる家”にある壁やドアはきっちりと鍵がかけられていて、解放的な間取り図の家の場合とは異なり、意識的には隔離された部屋にアクセスすることができません。
強い解離症状を示すクライエントの場合、いくつもの自我状態を隔てる境界は、簡単には通り抜けられないのです。顕著な解離性障害のあるクライエントの場合、アクセスしにくい自我状態を表すものとして“交代人格”という言葉が用いられます。自己のパーツどうしの仕切りがそれほど強固でないとき、われわれはそれらを単に“自我状態”という言葉で表現します。しかし、交代人格ではパーツの切り離しが非常に明瞭で、ほかのパーツの生活のついてはほとんど覚えていません。(p34)
この「内なる家」の隔離された鍵つきの部屋は、解離が強いと自分でも存在に気づけなくなります。昔からよくある怪談のように、外から見たときだけ屋敷の窓がひとつ多くて、そこに部屋らしきものがあるとわかるのに、内側からはどうやってもその部屋にたどりつけなくなる。
でも自分では入れない部屋がたくさんあっても、自由に行き来できる部屋だけで日常生活がある程度送れてしまうなら、記憶の欠落をほとんど意識しないでしょう。記憶が解離によって虫食いになってしまっているとしても、損なわれていない記憶だけで、それなりに自分史を構築できてしまうがために、自分の記憶がおかしいと気づかなくなってしまう。ほかの人もこんな断片的な記憶しか持っていないのだと思いこんでしまう。
わたしもそうでしたが、たまたま趣味が自伝を読むことだったので、自分と他の人の記憶は違うと気づくことができました。いろいろな自伝を読みまくればすぐ気づきますが、普通の人は子どものころのエピソードをたくさん記憶しているものです。わたしは全然思い出せませんし、思い出そうとすると霧がかかってきて混乱します。
もうひとつは、家族としゃべっているときに、ふと自分がまったく知らない出来事に言及される瞬間がよくあったことでしょうか。いわば、外から見れば窓がひとつ多いと指摘してもらうようなものです。
わたしも子ども時代のできごとをかなり忘却していますが、特定の時期の記憶はほとんど完全に抜け落ちています。その時期に別人格が突如として現れたことなど、空想世界の記憶はそれなりに残っているんですが。たぶん、その時期に生活していたわたしは別のパーツだったので、解離障壁に阻まれて記憶にアクセスできないんでしょう。
良い記憶を数えて生きるタイプの人もいれば、悪い記憶を悔やんだり憎んだりしながら生きるタイプの人もいる。わたしはそのどちらでもない。思い出せる過去がわずかしかない。だからきっと、常に走りつづけていないと生きられないのかもしれない。過去に何かやったことから充足感を得られないので、いつも何かやっていないと生きている実感が得られない。
7回目のセラピーで体験したように、わたしは時々ちょっと前のことも思い出せなくなります。少し前の記憶にしても、過去の子ども時代の記憶にしても、無理やり記憶をたどろうとすると、頭に火花が散ってショートするかのように真っ白になって、頭の中が混乱してぐちゃぐちゃになり、それ以上思考できなくなります。たぶんこれが、解離障壁のバリアに弾かれる感覚なのだと思います。
解離障壁を越えられるのか?
いまSEを通して、自分の身体の中を行き巡って、「内なる家」の間取り図を作ろうとしているわけですが、果たして解離障壁をいつか越えられるのでしょうか。図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療に書いてあるような問題を回避できるでしょうか。
幼少期のトラウマを抱えた人々の内なる“家”には、しばしば多くの考えや感情・身体感覚・情動(秘密にされた、あるいは恥ずかしさとともに体験された強い感情)があるものです。そうしたものは、まるで鍵つきのドアと厚い壁によって隔てられているかのように、自己からも他者からも隠されています。
セラピーを進めていくうちに、多くの人は自分を恥じることが減り、自分自身を受容しやすくなって“内なる家”に至る、より開放的な“間取り図”を手に入れるようになります。それでも、ほかの健常な人々に比べれば、隠されたままのきわめて私的な部分(パーツ)というのは残っているでしょう。
トラウマ治療を急いで行おうとすると、この壁、すなわち“解離障壁”に打ち当たって、作業が行き詰まってしまいます。(p32)
理論上は、SEでも、じっくり進めていくうちに、この解離障壁を越えられるはずです。まず安心できる感覚を確保して、耐性領域を広げてから、不快な感覚にアクセスすることで、鍵付きの部屋の扉を解錠し、過去の記憶を処理していくのがSEですから。そのへんは第9回に、部屋がたくさんあるゲームの感想とからめて書きましたね。
SEと自我状態療法も、どちらもこの健忘障壁を突破できますが、やり方は違っています。近年の意識の研究だと、わたしたちの人格というものは、元をただせば感覚から成り立っているので、SEが扱う身体の不快な感覚(手続き記憶)と、自我状態療法が扱う内なる他人は、結局同じものだとみなせます。隔離されたトラウマ記憶が感覚レベルで現れているのが身体の不快な感覚で、もっと高度なレベルで現れているのが別人格だといえる。どっちもフラッシュバックの一種であり、一部の感覚記憶だけフラッシュバックするのが不快な感覚で、人格まるごとフラッシュバックするのが人格交代です。
SEは感覚レベルで、振り子運動を繰り返して、不快な身体の感覚を受け入れていく。それが自分の一部としてつながったときに、身体の感覚を通して、過去の記憶が思い出されることがあるといいます。(たとえば前回わたしが、身体で安心感を感じたことで、忘れていた過去のエピソードを思い出したように)。つまりSEはボトムアップ型のアプローチ。
対する自我状態療法は、そうした不快な身体の感覚のようなものをぜんぶ擬人化して人格として扱います。自我状態療法では、その擬人化した人格同士でコミュニケーションを重ねることで、ある人格が抱え込んでいた記憶をメインの人格も共有できるようにしていきます。こちらはトップダウンに近いアプローチ。
自己から切り離された身体の感覚を、素の感覚(いわゆるフェルトセンス)のレベルで扱うか、それとも人格として具体性をもたせたレベルで扱うかの違いだけです。より身体に近い下層で扱うか、より認知に近い上層で扱うかの違い。
どちらがいいのかは多分ひとそれぞれでしょう。形のない感覚と向き合うSEより、具体化させた自我状態療法のほうがわかりやすいかもしれない。でもそもそも自己は複数だという意識のない人は、具体化させる方法がわからずSEのほうが馴染めるかもしれない。
わたしの場合、どこかでちゃんと、内なる家の鍵付きの部屋の中と向き合わなければ進めなくなりそうだ、という自覚があります。まだ鍵付きの部屋を扱うには、リソースも耐性領域も足りないので、今のわたしが心配するには早すぎることかもしれませんが。
これもまた当時は気づかなかったんですが、実はこの本にも、ちらっとSEの話が出てきていました。「体内にトラウマとして保たれていた情報に触れたり、それらを変容させたりする療法」のひとつとしてSEに言及されている。(p183)
あるいは、「リソースとしての身体的経験」を強化し、セッションの最初と最後にサンドイッチするかのように心地よい経験を取り入れるための手法としても。(p74)
だから、SEと自我状態療法はまったく別視点のアプローチというわけでもなく、うまく両方のアプローチを取り入れることだってできるはずです。ただ自我状態療法はSE以上に人材不足みたいなので、身近に専門家がいそうにないのが残念。当面は焦らずにSEのセラピーを続けていくしかなさそうです。
トラウマ記憶と概日リズム睡眠障害
最後にもうひとつ考えておきたいのは、トラウマと概日リズムの関係性について。わたしはずっと過眠症や概日リズム睡眠障害があるので、睡眠専門医にお世話になっていますが、当然わたしの睡眠の問題にもトラウマ記憶は関係しているはずです。
概日リズム睡眠障害とトラウマの関係については、岡野先生が恥と「自己愛トラウマ」で言及していました。説明の仕方が微妙なので、あんまり引用したくない文章なのだけど、着眼点は的を射ていると思います。
このような状況を考えると、実は「現代型うつ」における症状のかなりの部分を説明できる。なぜ休職中はうつが改善するのか。なぜ夕方五時以降は元気を取り戻すのか。それは彼らの示す症状が、うつというよりは不安、さらにはある特定の状況に対する恐怖症だからなのだ。
この状況はうつというよりは、登校拒否の児童に似ている。学校に行けなくなった子どもは、通常は同時にそれに対する強い後ろめたさを感じている。すると学校が引ける夕刻までは外出することに抵抗を覚える。行き交う人びとが、自分が学校を休んでいるという事情を知っていて、それを責めてくるような気がするのだ。しかし下校時間以降や週末などは違う。あたかも世界が変わったかのように解放された気分になるのだ。(p108)
この説明は、特定の時間と症状の結びつきに着目している点ではすばらしいものの、それを「後ろめたさ」のような精神的なレベルで説明している点では首をかしげざるを得ません。(というか「不登校」ではなく「登校拒否」という言葉が使われているなど、2014年の本にしては、かなり古い考察の流用ではないかという気がする)
最新のトラウマ医学を踏まえて正確に説明すれば、これは手続き記憶的な問題だということになります。たとえば、毎日のように学校で身体的・精神的に辛い負荷がかかる体験を繰り返し強制されたとする。すると、次第に身体はそれを記憶し、その時間帯になると、コルチゾールが大量に分泌されるようになり、あらかじめストレスに備えるようになる。これによって、学校に行くと闘争/逃走反応の過覚醒による自律神経症状に悩まされるようになり、保健室に行くことが増える。
しかしさらにそれを繰り返すと、ストレスが慢性的になったことで、身体は過覚醒ではなく反転して低覚醒を起こすようになる。つまり闘争/逃走ではなく、凍りつき/擬態死を起こすようになる。今までは、学校に行く時間になると、コルチゾールが大量に分泌されていたのが、まったく逆に、コルチゾールが分泌されなくなり、死んだように動けなくなってしまう。これが不登校状態だと解釈できる。
この身体的な記憶は、時間と紐付けられたものなので、毎日学校の時間になると、凍りつき/擬態死を起こすようになる。だから朝起きられない。でも、学校が終わる時間になれば、もう手続き記憶は再生されなくなるので元気になってくる。そのせいで、概日リズム睡眠障害が発生する。
不登校の子どもが、朝起きられなくなり、夜寝られなくなるのは、学校に行く時間帯限定で身体が擬態死状態になる手続き記憶によるものだとみなせる。学校に行く時間に死んだようになってしまう反面、学校がない時間帯、つまり夕方から深夜にかけては比較的元気でいられる、ということになる。
とすれば、これは病気じゃなくて「適応」なんです。学校というストレスのかかる時間に合わせて、身体が準備しているという現象。その時間帯に合わせて、コルチゾールを分泌してストレスに対応しようと努力するのが初期段階、それでも埒があかなければ、擬態死状態になってシャットダウンしてしまうことで、トラウマ的な経験を回避しようとしているのが、不登校の概日リズム睡眠障害だというわけです。
毎日毎日、特定の時刻にトラウマ的な辛い経験をさせられるなら、身体はそれに対応した条件付けを獲得するのが当たり前ではないでしょうか。特に文献がすぐ思いつくわけではないけれど、たぶん動物実験でも、毎日特定の時刻にショックを与えれば、それにあらかじめ反応するようになる、といった変化がみられるんじゃないだろうか。図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療にあるこの経験はひとつの手掛かりになりそう。
先に例を挙げたマリアンは、自分が夜間に強要されていることを、昼間に思い出すことができなかった。父親によるマリアンへの性的虐待は、何晩も、何週間も、何年間も続き、その結果、彼女のいわゆる“交代人格”のあいだの境界はより強固で、ますます透過しにくくなっていく。(p34)
この場合、「何晩も、何週間も、何年間も」決まった時間帯に虐待を受けたことで、昼と夜とで別の人格モードが形成されていきました。
学校でのいじめとか辛い体験というのは、これの逆バージョンではないでしょうか。まさに何晩ならぬ「何朝も、何週間も、何年間も」、朝ごとに辛い体験が始まる。それならば、その時間帯に対応した別のモードができて当然です。その時間帯だけ解離を起こして低覚醒になるように適応していけば、概日リズム睡眠障害にだってなるでしょう。不登校の概日リズム睡眠障害は、ほとんどが睡眠相後退型ですが、もし定時制の学校で不登校になったりしたら、逆に睡眠相前進が起こるのではないだろうか。このあたりは資料がないので、こんど主治医の意見を聞いてみたいところ。
不登校の概日リズム睡眠障害は、今のところ体内時計の問題として治療されているようですが、特定の状況下に条件付けされた手続き記憶という概念から考える必要もあるのではないか、と思います。
たとえば、不登校の概日リズム睡眠障害は、入院環境下で光療法をすれば改善されるものの、退院すると再発しやすいことも知られている。これもまた手続き記憶や条件付けとして解釈できる。入院下のような別の環境では、ストレスを経験しないので条件付けが解除され、朝起きられるようになりますが、元の環境に戻れば、条件付けは残ったままなので、以前と同様の反応が起きてしまうということではないだろうか。
トラウマ性の身体の周期的変化
このトラウマ記憶と概日リズムの関係性は、わたしが知っているかぎりは、きちんと説明してくれている文献を読んだことがないので、仕方なくさっきの岡野先生の説明をもとに考えてみましたが、わたし自身にとって、かなり大きな意味があるのではと思っています。
人間には、概日リズムだけでなく、概月リズム(たとえば月経周期)や概年リズムなども存在しています。トラウマ性の手続き記憶の中には、たとえば身体に閉じ込められたトラウマに書かれている例のように、概日時計よりも長い周期の体内時計リズムと紐付けられているのではないか、と思える現象があります。
リビングストンとレッドサイドは、捕食者である大型ネコ科動物との不快な出会いに驚くほど影響を受けずに済んだように見えた。しかしリビングストンは以降亡くなるまで、毎年その事件の記念日になると肩に炎症性反応を発症していた。残念なことに、多くのトラウマ被害者にとっては、このような解離反応もしくは「からだの記憶」はささいなものでも一過性のものでもない。(p65)
あるいはトラウマと身体に出てくるこの例もそうです。
20代前半の頃、家への侵入者によって性的暴行を受けたジェニーは、その後25年間、トラウマを受けたのと同じ日は、一晩中眠ることができませんでした。(p349)
そのほか、心と身体をつなぐトラウマ・セラピー にも、ベトナム戦争のトラウマの再演として、毎年7/5の午前6時半に強盗を繰り返していた男性の例が載せられている。(p206)
もちろん、トラウマとなった日付を意識してしまい、そのせいで症状が引き起こされているという側面はあると思います。でも、おそらくはそれだけではない。
さらに注目に値するのは、第三者にはこうした事件とそれに続く再現が明らかに元のトラウマと関係しているのが分かっても、トラウマを受けた当の本人はふつうその結びつきにまったく気づかないことです。多くの場合、再現は偶然に起こる無意識的な合図に符号して起こるのではなく、トラウマ的事件の記念日に起こります。本人がたとえその事件を意識的には覚えていないときでさえ、驚くことに一致する場合があるのです。(p210)
わたしたちが毎年、規則正しく咲く花を見て春が来たことを知るように、トラウマを負った人は、規則正しく訪れるトラウマ性のフラッシュバックによって、またあの時期がやってきた、と気づくことがあります。意識が先立っているわけではなく、無意識の身体のタイマー式の反応のほうが先立っているわけです。(そもそも動植物の時間に応じた変化も、環境の周期的変化と紐付けられた原始的で強固な条件付け反応の一種だと思いますが)
わたしの場合もやはり、何かしらの周期的変化が身体に起こっている気がしてなりません。もともと非24時間型の睡眠リズムをもっていましたが、なぜか規則正しく、月の前半と後半で逆転していました。今も、ちゃんと記録を取っているわけではないにせよ、自分の体調にある程度周期的パターンが見られるような気がしています。
トラウマを負った人では第13回のモード切り替えの考察で書いたように、外部からの刺激に振り回されやすくなります。言い換えると、ホメオスタシス(恒常性)を維持する能力が低下し、まわりからの刺激がトリガーとなって身体の状態が変化して振りまわされてしまいます。わたしの場合も、もしかすると、自分の身体のホメオスタシスを保てないせいで、時間とともに移り変わる外部の周期的な変化に巻き込まれてしまっているのでしょうか。
トラウマ性手続き記憶と、体内時計や睡眠との関わりは、まだこれから研究されるべき鉱脈が大量に眠っている気がします。
まだまだ書きたいことはありますが、長くなってきたので今回はここまで。「地図にない世界を探検しにいったセラピー体験記」の第一期としてはこれで区切りますが、まだまだ終わりが見えてくるどころか、ようやく少し動き始めたところにすぎないと思っています。
最後までやっていける辛抱強さが果たしてわたしにあるのか。まったく見当もつきませんが、身体はトラウマを記録するのこの言葉が真実であるように願います。
偉大な精神科医ミルトン・エリクソンが述べたように、いったん丸太を蹴れば流れ出す(丸太がたくさん川につかえているときに、これという丸太を一本見つけて蹴飛ばせば、丸太はみな流れていく、という意味)のだ。トラウマ記憶をいったん統合し始めた人は、自然に回復し続けた。それとは対照的に、プロザックを服用した人は、飲むのをやめると再び症状が悪化した。(p419)
この数ヶ月で、すでに一歩を踏み出して、丸太を蹴り出したとは思うので、どんな急流が待っていようと、長く蛇行する流れになろうと、最後まで何とかして下っていきたいです。
続き(第二期)はこちら。