前回の記事では、最近読んだトラウマをヨーガで克服する をもとに得た気づきや、主治医との話を通して考えたことについて書きました。
今回は12回目のセラピーの内容を中心に、最近考えたことや実践したことについて書きたいと思います。
ブログのリニューアル
まず始めにブログのデザインをリニューアルしたことについて。今まで絵のサイトの一角で書いていた体験記を、別デザインの専用の部屋を作って移動させた感じです。同じサイト内であることは変わりないんですけどね。
絵のサイト内で書いていた都合上、今まではアイキャッチ画像としてあまり脈絡のない絵を冒頭に載せていましたが、文章用のテンプレートを作ったことで、純粋に文章メインの体験記として読みやすい体裁にできました。やっぱり文章は読み物形式のほうがしっくりきます。
思えば数年前、食事療法(甲田療法)の覚え書きとしてブログを始めようと思い立ち、右も左もわからないところから出発し、もともとまったくコンピューター系の知識などないのに、独学でCSSとPHPの書き方をなんとなく習得し、今ではかなり自由にサイト構築できるようになったのは我ながらびっくりしています。
貸しブログなどではなく、サーバー借りての構築なので、自由度が高い反面、ぜんぶ自分で管理していかないといけないのが大変。特に初期のころは画面が真っ白になったりデータが飛んだりして、どうやって復旧したらいいのかまったくわからず、泣きそうな思いをしながらやっていました。近くに相談できるウェブデザイナーがいればどんなにいいかと思ったことか。
最近だと、ネット環境の移り変わりが激しく、その都度しっかり対応しないとネット環境に置いていかれてしまいます。たとえば昔よくあったホームページビルダーで作られたファンサイトとかは最近ほとんど見かけませんが、閉鎖したわけではなくてもGoogleから時代遅れだとみなされて検索下位に埋もれてしまったのが多いと思う。このサイトは今回の大改装でテンプレート部分を最新のものに取り替えたので、しばらくはなんとかなるとは思いますが。
ブログを運営してきて思うのは、まったく知識のない苦手なことでも、数年がんばって続けていれば、なんとなく形になってくるということ。最初は見よう見まねでしかわからなかったのが、今では感覚的にわかることが増えてきました。これが、単なる知識に頼るやり方から、感覚的なスキルへと変化していく、ということなのかもしれません。いまやっているSEのセラピーも同じで、たぶん数年やっていれば、もっと感覚的に使いこなせるようになっていくはず。
最初は泣きそうになりながらやっていたブログのテンプレートの改造も、今ではわりと自由にできるようになったので、今回みたいにデザインをリニューアルするのは楽しいです。セラピーの技術も、トラウマと身体 に書いてあるように、熟達していけば、きっと楽しいと感じるようになるんだと思っています。
Janetがいったように、うまくいっている治療では、クライエントが生活の中で楽しむ能力が増していくという特徴があります。楽しむ能力は「どんなに困難であろうと、最大限の努力をして得なければならない」ほど重要なものです。
クライエントの楽しむ能力が増すように支援することは、「回復を定着」させ、トラウマに関連した苦しみの解毒剤となります。(p416)
過剰同調性
ブログのデザインをリニューアルしていてふと思ったのは、人の内部の区画化は、活動領域の区画化に反映されることがある、という点です。前々から思っていたんですが、自分の内部が区画化され、人格がたくさんに分裂しているような人は、SNSなどでも複数のアカウントを持つなどして区画化する傾向が強い気がします。
1つのアカウント、1つのブログでごちゃまぜに情報発信するようなやり方に耐えられず、テーマごと、関心事ごと、あるいは人格ごとに別の活動領域を使うようになっていきます。混ざっている状態に違和感がある、とでも言うのか。
今回ブログをリニューアルして体験記をここに分割したのも、なんとなく絵のサイトから切り離したいと感じたからでした。絵を描いているときのわたしと、体験記を書いているときのわたしは、近しい位置にあるとはいえ、別のアイデンティティだから。
わたしは昔から、リアルの人付き合いでもネットの人付き合いでも、相手ごとにまったく態度や接し方を変えていました。自分の内側に豊富な話題のレパートリーを保持しておき、目の前の相手が興味を持ちそうな話題だけを使います。
わたしとしてはそれが普通だと思って無意識にやっていたんですが、数年前、ある同世代の友人と話していて、そうではないと気づきました。その友人と二人で、別の初対面の人たちと会話したとき、友人はわたしを見て驚いていました。わたしの雰囲気がいつもとまったく違っていたから。
友人に指摘されて初めて、わたしにとって普通のやり方は、他の人にとってはそうではないことに初めて気づきました。わたしは、友人と話すときは友人が喜ぶような人格モードを身にまとい、初対面の人と話すときはその相手が喜ぶような人格モードに無意識のうちに切り替わっていました。
わたしは自分が無意識のうちに「過剰同調性」と呼ばれる戦略を取ってきたことを知りました。相手に合わせて無意識のうちにカメレオンのように体色を変えるやり方です。自分にとってはあまりに普通なので、他者から体色が変わっていることを指摘されるまで気づかなかった。
最近、セラピストと話していて、セラピストが過剰同調性をあまり理解していないことに気づきました。わたしが「自分は無意識に人と合わせてしまう傾向がある」と言ったとき、セラピストは「あなたは自分の意見をしっかり言えるので全然受動的ではない」と言いました。
しかし、過剰に同調するとは、意見を言わず受動的である、ということではない。相手が望む者、その場にふさわしい者になるということです。もっと言えば、役を演じるということ。解離の当事者は演劇の才能がある人が多いと言われていますが、過剰同調性という概念は従来「演技性パーソナリティ」と呼ばれていたものに近い。
当然、役者は受動的な性格だけを演じたりはしません。その場にふさわしければ勇敢な役を演じることもできるし、積極的でポジティブな人物にもなれる。過剰同調性とは、無意識のうちにその場に求められる役に切り替わってしまうという現象であり、自分の意見を言わず受動的に従うということとは違う。
過剰同調性は、子どものころから過剰に空気を読んでまわりに合わせないとやってこれなかった人が身につけるものです。たとえば、態度がころころ変わる無秩序な親に接する必要があったり、まったく意見が異なる両親の板挟み(ダブルバインド)になったりして育つうちに、相手によって無意識に態度を使い分け、相手の望む者になる能力を身につける。過剰同調性をもつ人の中には、小児期トラウマがもたらす病に書いてある例のように、子どものころから親役をやっているような人もいるので、ただ受動的に受け答えしているような性格ではない。
プリシラは61歳、両親の面倒を見つつ、2人の秘密を抱えて育った。…だが、プリシラは両親に対して腹を立ててはいなかった。「自分のことを“よくできた子”だと思っていました。何しろ母を助けていたんですから」。
…プリシラが18歳になると、母親は娘をベッドに座らせて言った。「いままで18年間、私はあなたの母親だったから、これからはあなたが私の母親になってちょうだい」。
そのときの気持ちをプリシラは振りかえる。「その言葉を聞いても、びっくりするどころか、こう思っただけでした。だけど私はずっとあなたの母親だった……なのにいまさらどうしてそんなことを頼むのかって」(p108)
自分の意見を言わずにただ受動的にうなずいているだけのような人は過剰同調性にはなれません。そう振る舞うようのがふさわしい場面は別ですが、たいていはもっと多彩な役割を担い、自分を合わせていかねばならない。そうやって相手の望む者になることで、傷つけられないよう身を守る戦略が過剰同調性です。
(おそらくセラピストが念頭に置いていた、自分の意見を言わずひたすら受動的に同調しているような人は、わたしが言っている過剰同調性ではなく、たとえばアスペルガー症候群の受動型のような人のことだと思う。空気を読むことができず、どう振る舞っていいかわからないから、ただひたすら受動的に振る舞うようになる)
だから、過剰同調性をもつ人は学校の教師の前では教師が望むような生徒になり、医者の前では医者が望むような患者になり、セラピストの前ではセラピストが望むようなクライエントになってしまう。その代償として、自分の本音を打ち明けることができず、問題を自分で抱え込みやすい。
その一件以来、プリシラが自力で困難を乗り越えるというパターンが定着した。「11歳のときに参加したサマーキャンプで鎖骨を骨折したときも、両親には何も言いませんでした。痛みや苦しみから自分を守ってくれる両親がいるなんて考えたこともなかった」(p107)
過剰同調性の当事者は、おそらく演じるレパートリーが豊富なおかげからか、創作の才能があるとも言われますが、このプリシラという女性も作家として成功していたようです。でもあらゆる人生を生きていながら、自分の人生は生きていなかった。
「気分はまるで詐欺師ですー傍から見たら有能なのに、内心はひどく脅えている。とても自分の人生を生きているとは言えなかった」(p109)
わたしも、以前の体験記で書いたように、自分がハッタリで構成されているハリボテ、もっともらしいことを言い繕ってはいても本質の伴っていない錬金術師のように感じることがあります。
ここの体験記でどんなことを書いていようが、セラピーで何を話そうが、自分は本当は何一つわかっていなくて、ただわかっている「ふり」をしているだけなのではないかと。
そう感じてしまうのは、たぶん「経験」の欠如から来ているんでしょう。たとえばフランスのパリに行ったことのない人が、インターネットで調べただけの知識で行った「ふり」をしているのと同じ。
最近の体験記で書いたように、ピーター・ラヴィーンは、身体による経験の欠如が解離の「生きているふりをしている」感じの原因だとしていました。わたしが自分の人生がハリボテやハッタリだと感じるのは、幼少期に身体で経験して学ぶはずの、根底にあるべき基本的安心感という土台がないからです。
今からそれを学ぶには、やはり経験によって身につけるしかない。本質が伴っていないからこそ、身体をつかって「経験」することがどうしても必要で、そのために今SEに取り組んでいるんです。今まで「生きているふり」をして別の配役を演じていただけだったからこそ、自分の身体を使って自分の人生を生きるようにならねばならない。
12回目のセラピー
ここからは12回目のセラピーについて。
前回の記事では、トラウマをヨーガで克服する という本から様々な点に気づいたと書きましたが、そこで学んだ気づきが役立つことをセラピーを通して確認できました。
セラピーではまず、前回からの経緯を尋ねられたので、この本を通して学んだことについて話しました。セラピストはこの本のことを知りませんでした。わたしも最近まで知らなかったので無理もないことですが、ラヴィーンが序文を書いているボディワークの本であるにもかかわらず、SEセラピストのあいだで話題になることさえないのだろうか、と首を傾げざるを得ませんでした。
この本はボディワークの本といってもヨーガについての本ですが、ただヨーガの本だというだけで、SEセラピストたちの目に入らなくなってしまうのでしょうか? もしSEセラピストたちが、SEやその母体となったロルフィングくらいにしか関心がなく、ヨーガなど他の分野の知識を学ばないのだとしたら、それではわたしが常々嘆いている医療業界の細分専門化と何ら変わりありません。身体はトラウマを記録するに書かれているように、本来トラウマ治療とはひとつの分野の知識ではどうにもならないものなのに。
トラウマには、これぞという「選り抜きの治療法」はないし、自分の手法が患者の問題に対する唯一の答えだと考えているセラピストは、患者を本当に回復させることに関心を持っているのではなく、特定の観念を信奉しているだけである疑いがある。
有効な治療法のいっさいに精通しているセラピストなどいるはずがないのだから、自分が提供するものではない選択肢を患者が探ることをセラピストは許容すべきだ。また、患者から学ぶ態度も持ち合わせていなければならない。性別や人種や経歴は関係ない。(p347)
わたしはSEの概念はとても役立つとは思ってはいますが、この体験記で何度も書いてきたように、SEの概念だけでは解離は説明できないし、治療するにも十分でないことも承知しています。
いつも書いているように、わたしのモットーは、「真実に至るのは専門家ではなく博物学者である」というものであり、わたしが尊敬するオリヴァー・サックスやピーター・ラヴィーンはまさにそうやって、ずば抜けて広い視野から、人間とは何かを解き明かしてきました。
トラウマについて知るとは人間について知ることであり、そのためには医学だけでなく、心理学、生物学、神経科学、環境学、文学、宗教学など、あらゆる分野が不可欠です。人間は自らが作り出したあらゆる分野すべてから構成されているのですから。
地図のない世界におけるコンパス
続けて話したのは、新しくヨーガの本を読んで学んだ知識をもとにして、前回書いたようにグラウンディングやセンタリングを実践してみて手ごたえが得られたこと、それによって、前回のセラピーのときの悩みが解消された、ということでした。
前回わたしが行き詰まったのは、身体の声を聞くマインドフルネスという基本に立ち返っていなかったからでした。どう進んでいいかわからなくなってしまったときは必ず、自分の身体の声を聞いて行き先を確認するという最も基本的なことができていないのだ、ということに気づきました。
また、自分の身体の声を聞くときには、ヨーガのテクニックが役立つことを知りました。ただ座って自分の身体を観察することもできますが、ヨーガの特定のシンプルな姿勢をとることで、より内部感覚に気づきやすくなります。次にどうしていいかわからなくなったときは、とりあえずヨーガの簡単なポーズをして自己観察に務めることで、次なる目的地を発見できる、というのが、わたしの至った答えでした。
SEのみならず、あらゆるボディワークにとって、自分の内部感覚(フェルトセンス)をじっくり観察し、からだの声を聞く過程は、コンパスのような役割を果たします。
ボディワークは、前回の一連の記事のタイトルのように「地図にない場所」を旅するようなものですが、その地図のない世界で迷わないように導いてくれる唯一の方法が、コンパスとしてのフェルトセンスに従うことなのだ、ということにわたしは気づきました。
フェルトセンスに気づけると、「地図にない場所」において、二つのことがわかります。まず、今自分がどこにいるか、そして、次に自分はどこに行くべきか、です。(文字通りのコンパスは自分の位置情報までは教えてくれないのでたとえとしてはGPSなどのほうがふさわしいのかもしれないが)
わたしみたいな慢性的な擬態死状態の人たちは、自己の身体感覚を読み取る能力が麻痺しているので、たとえ良くなっても体調の変化に気づかないことがあります。「慢性」疲労と感じられるのは、ずっと体調が変わらないと感じられるからであり、毎日に微細な変動に気づけないからです。
しかしフェルトセンスを感じ取れるようになれば、今どこにいるかがわかります。ずっと一定不変に思えていた症状が、じつは環境によって変化する不安定な症状だとわかります。そして、その変動を手がかりにして、永久凍土のような凍りつきを溶かしていくことが可能になります。
わたしも以前はただの「慢性」疲労でしたが、この数ヶ月、SEを初めてからの体調の変動は本当にジェットコースターのようでした。
フェルトセンスは自分の現在地を教えてくれるだけでなく、次の目的地を指し示してもくれます。慢性的な凍りつきだと感じていた症状が変動するようになれば、どんな状況で身体が凍りつきを強め、どんな状況では凍りつきが溶けるのかを観察できるようになっていくからです。
わたしが自然の多いところに引っ越そうと思ったのもその成果であり、以前なら何をやってもなんとも思わず、ただひたすらしんどいだけだったのが、フェルトセンスを感じられるようになってからは、自分の身体が何を好み、何を嫌がるのか気づけるようになってきました。劇的な変化があるというわけではありませんが、ほんの少し緊張が緩む、あるいは緊張が強くなるのを自覚することができるので、どちらに進めばいいか、次の方向性がわかるわけです。
アスリートのトレーニングのように
一方、セラピスト側から打ち明けられたのは、わたしにとっては少し意外なことでした。セラピストは、前回のセラピーのとき、わたしが「怒っている」ように感じられたと言いました。セラピストはそれを、セラピーの内容に対する不満だと受け取ったようです。
わたしはそんなことは考えてもみませんでしたが、「怒っている」ような感じに見える、というのは心当たりがありました。わたしは同じことを過去に家族や友達からも言われたことがありますが、いずれの場合も怒っているわけではなく、解離的になりすぎて共感のスイッチが切れているときにそう言われます。
解離とはもとを辿れば回避型の愛着から来ていますが、回避型の愛着の人はクールでさばさばした性格が特徴です。回避型の人は他人に対して絶望していて共感のスイッチを切ってしまうので、いじめや反社会的な非行に手を染めやすいと言われている。わたしも例外ではなく、学生時代は友人を適当に扱っていたことがありますし、いまだに人間関係をばっさり切る傾向がある。
しかしわたしは典型的な回避型ではなく、無秩序型(回避型と不安型の混合)寄りなので、完全にクールでサバサバしているわけではなく、先に書いた過剰同調性のとおり、少なくとも表面上は同調します。
だけど、やっぱり振れ幅があるので、特に不安定なときは、同調が切れてしまい、回避型らしい振る舞いになります。ふだんは過剰に同調している人が、共感的でない言動になると、言葉が尖った雰囲気になるため、見ている人からすれば怒っているように見えるのだと思います。
ときにはあえて自分で共感のスイッチを切って機械的に振る舞うこともありますが、そんなときにはたいてい冷たい印象を持たれることに気づいていました。(北風と太陽の北風状態)
前回のセラピーのときは、旅行から帰ってきたリバウンドでかなり神経過敏状態にあり、解離が強くなって何も感じられなくなっていたので、セラピーがうまくいかず、ほぼ会話するだけの回になってしまいました。その感じ取れない=共感のスイッチが切れている解離状態が、セラピスト視点では怒っているかのように見えたんでしょう。
(SEではぼーっとしたり固まったりすることを解離の兆候とみなしているが、本来解離とはスイッチを切ること、ブレーカーを落とすことであり、感情のスイッチだけが切れている解離もよくある。やたらと批判的な人や、他人とのあいだに壁を作る人、反社会性パーソナリティ障害の犯罪者などは、幼少期の回避型の愛着のせいで、この種の解離を起こしている)
もうひとつ、セラピストは、前回のわたしがセラピーの内容に対して怒っているように見えた、つまりわたしの抱いている不満が、セラピーの内容に対して向けられていると思っていたようですが、それもまた違っていました。
不満を抱くというのは期待を裏切られたときに生じる感情ですが、わたしははなから他人に期待していないので、セラピーの内容に対して不満を抱いたりしません。さっきのプリシラよろしく「自力で困難を乗り越えるというパターンが定着し」ているせいで、わたしは自分が抱えている問題に対して医者やセラピストが解決策を提示できるとは思っていません。
これまで藁にもすがる思いで「専門家」なる人物に頼ったことも何度かありますが、そのほとんどすべてが的外れで、自分で調べる以外に答えを知る方法がない人生でした。唯一わたしが信頼しているのは主治医くらいで、主治医はわたしが自分の問題を知るのに役立つきっかけを要所要所で与えてくれました。
今までの人生で答えを見つけるには自分で考えるしかなかったので、前回のセラピーでも、わたしが不満を感じていたのは、自分自身が行き詰まっていることに対してでした。そして、その悩みに突き動かされて、この一ヶ月のあいだに答えを見つけてきました。
でもそのこと自体が、セラピストにとっては意外だったらしい。セラピストが言うには、ここにくる人のほとんどは、セラピーのときだけSEに取り組み、ふだんの生活の中では練習したりしない人ばかりだという。セラピストはわたしはセラピーに対する意識が高い、というように表現しましたが、別にそんなつもりはありません。
ただわたしは追い詰められているだけです。今までさんざん、さまざまな治療法にあたってきたけれどうまくいかず、恐ろしい牢獄に閉じ込められた人生から抜け出したい一心で、自分の置かれた状況について、徹底的に調べ、考えてきました。この一連の体験記の最初に書いたように、もう死期が近いのではないかと思うほど劣悪な体調に追い込まれ、死の淵に立たされていました。
そこまで追い詰められて、今や、もうほかに選択肢がないことを知っている。以前なら頼りにできた薬物療法も、副作用としての凍りつきがひどすぎて、一時しのぎにしかならない。そんな状況で、SEで学んだ技術は、確かにわたしの症状を和らげてくれるという手ごたえがありました。
凍りつきや擬態死による生ける屍のような症状は、日常生活のなかで刻一刻と続く慢性的な症状なのですから、それを少しでも和らげたい一心で、日々の生活のなかでSEのスキルに取り組むのはごく当たり前だと思います。わたしが他の人と違うとしたら、意識が高いわけではなく、単に追い詰められていて、学んだスキルを何度も使わねばやっていけないほど症状が苦しいからです。
わたしはSEのセラピーは、アスリートのトレーニングと同じだと思っています。一日一日からだで覚え学習したことが、3年後くらいになってようやく実を結びます。3年後今より少しでも良くなっていたいなら、日々しっかりトレーニングしないといけません。余暇にゴルフに行くかのように、たまにセラピーに行ったときだけSEに取り組んでいるなら、何の意味もないしお金と時間の無駄です。死期が近いとさえ感じる体調のわたしには、無駄にできる時間なんてないのです。
今のセラピストにかかった当初から感じているのは、どうもわたしみたいな重い症状の人を扱った経験がないのではないか?ということです。そもそも子ども時代から慢性疲労状態の人は日本の医療業界ではボディワークにつながる機会がないので致し方ない。
セラピストは、ラヴィーンが書いている生ける屍のような慢性的なエネルギーの枯渇状態がどんなものかあまりよくわかっていないようで、この日も、わたしの現状を説明しなおさなければなりませんでした。
生ける屍のような凍りつきや擬態死は経験してみないと絶対にわからないものですが、残念ながら当事者であり治療者でもある人はめったにいません。ラヴィーンやヴァン・デア・コーク、サックス、そしてわたしの主治医はみな当事者であり医師でもある人たちですが、そんな人はごくまれにしかいません。
セラピストは、わたしの体調が優れないときはセラピーが負担になるのではないかと心配するのですが、そもそも体調のいいときなんて存在しないので、都合の良い時を待っていたら一生何もできません。死にかけているような体調の中でも、なんとかして少しでもSEに取り組んでいくことが、唯一の打開策なのです。
わたしは過剰同調性のせいからか、どうも人前では本来の状態より元気そうに振る舞ってしまうようなので、あまりしんどそうに見られません。主観的には死体をひきずって歩いているような状態なのに、客観的には元気そうに見えるなんて、わたしの無意識の演技力は相当なものですね。
身体が「ノー」と言うときの中でガボール・マテが述べているように、慢性疲労症候群や線維筋痛症や自己免疫疾患などを抱える人(だいたいが無意識の小児期トラウマ当事者)にはそんな人が多い。
もうひとつ私が気づいたのは、苦痛や痛みについて話すときにあなたが微笑んでおられるということです。まるでご自分の言葉の印象を和らげようとしているかのようにね。
いったいどうやって、何のためにあなたはそういう態度を身につけたんですか? 肉体的な痛みについて、あるいはつらい出来事やつらい思いをしたことについて話すとき、無意識に微笑んでいる人を私はたくさん見てきました。
でも生まれたばかりの子供は、どんな感情を隠す能力も持ってはいません。赤ん坊は不快だったり不安だったりすれば、泣いたり、悲しそうなそぶりをしたり、怒りを示したりするものです。痛みや悲しみを隠すためにすることは、みんな後天的に身につけた反応なのです。
場合によってはネガティブな感情を隠したほうがいいこともあるでしょう。でも、あまりに多くの人が、あまりにも頻繁に、しかも無意識に感情を隠してしまっているのです。
どういうわけか人は―個人差はあるとしても―知らないうちに他の人の情緒的欲求を満たそうとし、自分の欲求をないがしろにするようになる。自分の痛みや悲しみを、自分自身の目から隠してしまうのです」(p367)
アントニオ・ダマシオも意識と自己で述べていたように、そしてヴァン・デア・コークやラヴィーンが好んで引用していたように、「われわれは心の一部を衝立(ついたて)として使い、心の別の一部がよそで進行していることを感知しないようにして」います。(p44)
それが解離するということ、また本音を無意識のうちに隠して役を演じるということです。わたしの体調の悪さを本当にわかってくれているのは、たぶん家族と主治医くらいしかいません。
進歩を実感する
近況報告が終わったあと、この日のセラピーでは、わたしの希望どおり、基本の基本である、身体の声(フェルトセンス)を聞くトレーニングをすることになりました。
このセラピールームに来た初回、わたしはただ座りながら身体を感じるようにセラピストから言われたとき、何の意味も感じられませんでした。自分の内部感覚を感じる方法を知らなかったので、ただ座って「今どんな感覚を感じますか」なんて言われても、ただのお遊びのようにしか思えませんでした。
しかし、そこで早急にセラピーを見限ったりせず、腰に手を当てるなどセルフタッチの手法をやってみたところ、自分の内部感覚を感じるとはどういうことか、なんとなくわかりました。あまりに感覚が鈍くなっている場合、自分の手を身体に当てることで気づきを促す必要があると書かれていたとおりでした。
それから、数ヶ月かけて内部感覚を感じ取る訓練をしてきた今、かつてできなかったことが今はできると感じました。それで、初回にやったような、ただ座っているだけで感覚に注意を向ける方法をやってみたい、とセラピストに提案しました。
わたしは単に椅子に腰掛けているだけの姿勢のまま、最近身につけたグラウンディングに意識を集中し、自分の身体に対する注意を高めました。しかし、やはり足に集中するのはわたしとっては凍りつきを誘発しやすかったので、前回書いたように、手でグラウンディング(アンカリング)する方法を併用しました。膝の上にそっと添えた手のまわりの空気を感じることで、意識を「今ここ」につなぎとめる方法です。
この二種類のグラウンディングをやっていると、思考がクリアになって、自分をより冷静に観察できることに気づきました。セラピストに問われるままに、全身の感覚を答えていきました。二の腕や太ももが強く凍りついているのを観察しましたが、それを感じたからといって解離してしまうことはなく、意識をしっかり今ここにつなぎとめることができていました。
これまでなら、身体を感じようとすると、容易に頭がぼーっとしたり、真っ白になったりしていました。しかし今回は、両手が空気に根を張ったかのような感覚がずっとあり、意識がそれそうになっても、すぐに「今ここ」に戻ってくることができました。
セラピストとわたしの共通認識は、わたしは興奮したとき解離の急ブレーキによって低覚醒になって対処しているということでした。だからそれとは別の手段家、穏やかなブレーキによって覚醒レベルを耐性領域にとどめなければならないと話し合っていましたが。それがまさにできていました。
以前なら肩に手をおいて急ブレーキをかけて解離を使わねば落ち着くことができなかったような場面で、わたしは手の感覚をアンカーとして利用することにより、穏やかにブレーキをかけて「今ここ」にとどまり続けることができていました。
かつてわたしの不安定さは、目の動きにはっきり現れていました。過覚醒になるとキョロキョロと落ち着き無くあたりを見回し、低覚醒になるとぼーっとして虚空を見つめました。しかし今回は、落ち着いて部屋の中をじっくり見回すことができていました。以前過覚醒になったときのように色が鮮やかに見えすぎるというようなこともなく、ただ落ち着いて観葉植物の光沢や、風によるゆらぎ、ソファの質感などを穏やかに観察でき、とてもリラックスした気持ちになれました。
人の顔を見つめる、というのはまだ今のわたしにはレベルが高いらしく、顔を見ようとすると神経の高ぶりを感じ、自己調節が難しくなるのを自覚しました。それでも、人の顔を見つめづけようとしなければ、手の感覚がアンカーになって、耐性領域内にとどまることができました。
このときのわたしは、常に二つの注意を並行させて使うことに成功していました。注意の一部は、身体のさまざまな部分の感覚や、視界や音など外部の感覚を探索していました。しかし何に注意をけているときも、必ずずっと、自分の手のアンカリングの感覚を意識していました。だから、「今ここ」にとどまりながら、内部・外部の感覚を探索することができました。
それはまさしく、ラヴィーンが、身体に閉じ込められたトラウマで書いている「二重の意識」の状態でした。
何か特定の体験が、ほとんど前触れもなく意識に飛び込んでくることがあるかもしれない。それに驚き、場合によってはドキッとして、「考えるこころ」が頭をもたげ、何が怒っているのかを理解しようとするかもしれない。
この習慣に抵抗しよう。焦点を当てた体験を培うことから逸れてしまうからだ。…そうなるたびに、「これが今、私の体験していることだ」とただそっと思い起こし、思考に引き込まれる前に体験していた画像や感覚や感情にまた意識を戻そう。
…鍵は、「今、私は~に気づいている」というやさしい言葉で自分自身を現在に引き戻し、今ここでの内なる体験を追い続けることだ。…今ここの中で紐解かれる感覚や感情、イメージ、思考に焦点を当てながら、二重の意識を培う能力を培うことなのだ。(p352)
わたしの場合、「今、私は~に気づいている」という声かけは必要ありませんでした。ただ空気の中に根を下ろしているような両手の感覚を意識するだけで、注意を「今ここ」に引き戻し、身体感覚の観察に立ち戻ることができましたた。
この間ずっと、わたしの感覚は比較的クリアで、リラックスし落ち着いた状態を保っていました。耐性領域が非常に狭いことは感じましたが、その狭い耐性領域の真ん中に、なんとかとどまれていることにもまた気づいていました。
この進歩は、セラピストの目にも明らかだったようで、セラピストはわたしが以前に比べて明らかに落ち着いていることに感心していました。セラピストが言うには、部屋の中をこれほど落ち着いてじっくり見回しているわたしは初めてではないか、ということでした。
わたしは、進歩できたのは、前回の行き詰まりのおかげだと言いました。これまでのセラピーでそうだったように、また絵を練習していたころもそうだったように、進歩の前には必ず停滞の時期があります。「プラトー効果」(高原効果)が示しているように、停滞の時期はむしろ歓迎すべきもので、次なる進歩への前触れなのです。
ピクサー流 創造するちから―小さな可能性から、大きな価値を生み出す方法 の中に載せられているスティーヴ・ジョブズの言葉のように、かえってうまくいっているときほど注意すべきです。
夜中、スティーブ・ジョブズから進捗確認の電話があった。
「本当に不思議だけど、この作品では大きな問題がまだ一つも起こっていないんだ」
そう聞いたら普通の人は喜ぶ。が、スティーブは違った。
「気をつけたほうがいい。それが一番危険だ」(p152-153)
うまく行っているように感じる時期というのは、潜在的な問題に気づいていない時期だからです。何か壁にぶち当たったかのように思う停滞期は、もともとあった潜在的な問題が表面化した状態であり、明らかにされた問題を解決することによってさらに先に進むためのチャンスとみなすべきです。
わたしの場合、前回のセラピーのとき、自分のなかで何かがうまく行っていないことに不満を持っていました。「怒っている」かに見えたそのエネルギーは、問題を明らかにし、解決策を見つけるのに役立ちました。
ずっと前に自分で書いたように、わたしは「逆境になるたびに打開策を粘り強く探して、意外な方法で克服していく」人ですが、今回もそうなりました。
これまでもそうだったように、これからも必ずプラトー、つまり停滞期は訪れるはずです。必ず定期的に行き詰まる時期はやってきます。でも、これまでの経験からして、行き詰まったら必ず解決策もまた見つかり、一回り大きく成長できるはずです。
身体で実験していくしかない
今回のセラピーでは、自分が以前に比べて成長していることをはっきりと実感できました。より深い場所まで踏み込んでいくことはせず、セラピストの判断に従いましたが、それはこれからじっくりと取り組むべきものでしょう。1日1日の積み重ねが3年先に実るという観点が大切です。
今後の方針については、まだはっきりとは決めておらず、身体感覚による気づきを参考に考えていく予定でいます。来週、もう一度北海道に行ってみて、そのときに得られる感覚が、また次なる方向性を指し示してくれるでしょう。やっぱり引っ越すのが良さそうだ、ということになれば、情報収集もしてくる予定です。
ここまでSEに取り組んできてつくづく思うのは、「地図にない場所」とは「地図にできない場所」だったんだな、ということ。それぞれの人の感覚世界はまったく異なるので、教科書的、マニュアル的な地図を作ることができません。
それぞれの人が、自分の足で歩き回り、自分の身体だけのフェルトセンスに耳を傾け、自分だけの地図をマッピングする以外に、答えは見つからないのです。医者もセラピストも、どんな専門家も答えを示すことはできず、各人が自分の身体に聞くしかありません。自分の身体で実験して感じてみるしかない、そんな世界に今わたしはいるのです。
続きはこちら。