前回の体験記は北海道旅行のときに考えたことの後編部分でした。
今回は、こちらに帰ってきてからの出来事。最後のSEセラピー、主治医への報告、そしてオプトメトリストのところでプリズム入りメガネを作ったことなどを書きます。
もうこの第二期の体験記も13回目になりました。わざわざ読んでくれているような奇特な方がいるのかはわかりませんが、第一期と同様、15回で締めくくりたいと思っています。こちらに滞在中に受けるSEセラピーは今回が最終回なので、わりといい区切りになりそうですね。
最後のSEセラピー
都会に帰ってきてから、例によって体調が悪いままでしたが、予定どおり最後のSEセラピーに行くことにしました。
最後のセラピーの日は、あいにくの雨で、しかも体中に痛みが出ている過緊張状態。とくにのどが締めつけられて痛みが強く、吐き気がしてゲホゲホと咳き込む。ラヴィーンの本に出会う以前は、こうした症状の原因がまったくわからず、呼吸器系や内臓の疾患ではないかと疑っていました。しかし背側迷走神経の機能を知って、ようやく長年の疑問が解けたのでした。
とはいっても、原因のメカニズムがわかればそれで楽になるというわけでもなく、この日の症状もひどいものでした。リラックスのための手法を使おうにも、都会に帰ってきたことによる揺り戻し、満員電車のストレス、音や光、そして大雨に濡れる不快感などのせいで、凍りつきを解くことができませんでした。
セラピールームに入って椅子に座ると、道中、傘をさしていたにもかかわらず服がひどく濡れているほどでしたが、ようやく少し落ち着いた心地になり、自己コントロールを取り戻せるようになりました。
まず最近の北海道滞在中の出来事などをセラピストに話して近況報告。それから、今日はどんなセッションをしようか、と尋ねられました。
わたしはすでにその時点で、会話しながらずっと「今ここ」にとどまるために身体感覚に注意を向けていました。道中ほど凍りつきは強くなく、二の腕の線維筋痛症様の痛みなども和らいでいました。しかし、いつもより視覚過敏などが強く、すぐに意識がぼーっとしかけていました。
セラピールームに座ってから、わたしはずっと、解離しそうになっては、意識をつなぎとめることを繰り返していました。セラピストには、今日は体調があまり思わしくなく、ただ何もしないで「ここにいる」だけで苦労していることを伝えました。
油断すると、すぐに身体感覚がバラバラになりました。たとえば腕や足の凍りついた部分の感覚、過敏な視覚、聴覚などが独立した断片のように感じられてしまいます。しかし最近習得した手の指の感覚に注意を向けるグラウンディング(アンカリング)などを意識すると、統合された整合性ある感覚が戻ってきます。
セラピストは、わたしが水面下でそうやって自己調節していることは、「揺らぎ」が生じている証拠だと話してくれました。そして、この最後のセラピーは、最終回らしく、わたしが淡々と自己調節を続けながら、これまでのセラピーの経過を振り返るとことになりました。
セラピストは、わたしが最初にセラピールームに来たとき、まだ身体感覚を感じるというやり方がしっくり来ていなかったことを思い出させてくれました。初回のセラピーのときは、言葉で身体感覚へ注意を向けさせられてもピンと来なくて、セラピスト自身が手を触れるテーブルワークのような、より強い手法を希望しました。しかし最終的に、セルフタッチという自分で自分の身体に触れる手法を通して、少しSEに対する実感がわき、継続することにしました。
わたしがそのとき手を触れてもらう方法を希望したのは、昨年、ソマティック・フェスタでハコミセラピーを受けたことが関係していました。ハコミセラピーの体験講座では、二人組になって相手に手を触れてもらい、身体感覚を意識するという方法を体験しました。その方法で身体の変化が感じられたために、わたしはSEのセッションでもそういう体験ができるのかと誤解していたのです。
しかし、賢明にも(本当に、賢明にも! )、わたしのSEセラピストは、そのような他者が手を触れる方法ではなく、自分でセルフタッチして感覚を探る方法に集中させてくれました。おかげでわたしは、自分自身で身体感覚(フェルトセンス)を感じ取るスキルを身につけていくことができました。
今でこそ言えることですが、ハコミセラピーの体験講座で実践した方法は、どちらかというと、ラヴィーンがしばしば注意を喚起しているカタルシス療法に近いものだったと気づきました。
強い刺激を与えることで、何か効果があった“気に”なる。しかし、強い刺激で身体感覚を感じ取っても、自分で自分のフェルトセンスを感じ取る方法は身につかないのです。
脳はいかに治癒をもたらすかの中で書かれているように、ラヴィーンが尊敬しているモーシェ・フェルデンクライスは、次のように指摘していました。(ヴァン・デア・コークはトラウマと記憶のまえがきでラヴィーンがフェルデンクライスによく似ていると言っている p v)
フェルデンクライスは自著『フェルデンクライス身体訓練法―からだからこころをひらく』で、次のように述べている。
「鉄の棒を持っているときには、ハエがそこに止まったのか、そこから飛び立ったのかの違いを感じることはできない。しかし持っているのが羽なら、その違いを感じられるはずだ。それと同じことは、聴覚、視覚、嗅覚、味覚、温度に対する感覚など、あらゆる感覚に当てはまる」。
感覚刺激が音量を目一杯あげた音楽のように非常に強い場合、相応に変化の度合いが大きくなければ、私たちはそのレベルが変わったことに気づかない。しかし刺激がもともと小さければ、わずかな変化にも気づく。(生理学では、この現象はウェーバー・フェヒナーの法則と呼ばれる。)
フェルデンクライスはATMのクラスで、ごく小さな動作によって感覚に刺激を与えるよう、生徒に教えていた。小さな刺激は感受性を劇的に向上させ、それはやがて身体に動きの変化へとつながる。(p269)
わたしがハコミセラピーで経験した手法は、このフェルデンクライスの原則に反するものでした。他人に手を触れられることで強い内的刺激が引き起こされ、身体感覚が大きく動いたことはわかるものの、微細な感受性は決して向上しないものでした。
わたしはセラピストに、もしあのときわたしの希望にしたがってセラピストが手を触れる方法を試していたら、わたしは誤った方向に進んでしまったかもしれない、と言いました。
まず第一に、強い刺激を感じさせるカタルシス療法によって、繊細な身体感覚への気づきを訓練するという本来のSEの目的からそれてしまったかもしれないということ。
第二に、カタルシス的な刺激によって、何かしらの再トラウマが生じていたかもしれないこと。(セラピストは、その後何回かセラピーを繰り返すうちに、わたしが強い対人過敏を抱えていることがわかったため、やはりそうした刺激の強い方法ではなくタイトレーションした小さな刺激を繰り返す方法を選んでよかったと言っていた)
第三に、もし強い刺激を与える方法で何かしらの効果があったとしても、トラウマと身体に書かれているように、トラウマ治療にはだれか他者の介入が必要だという固定観念を育ててしまっていたかもしれないこと。
既存の言葉によるセラピーでは、体の感覚や生理的な調節不全、自発的でない体の動き、無力感、恐れ、恥、激しい怒り、などの過去からの非言語的な影響を解決する手段をもたないままで、トラウマに関する潜在的な記憶を呼び覚まそうとします。
そうするとトラウマを受けた人は安全でないと感じて、目の前の関係性に助けを求める傾向が生じます。そしてセラピストは何もできないと感じて無力になっている命の避難所になってしまいます。(p xxvii)
(この説明は、言葉を用いたカウンセリングについての記述だが、自分で自己調節する技術を身につけることができない他のセラピー全般に当てはまる。もしわたしが、セラピストに手を触れてもらうことが気づきに必須であると学習してしまったら、セラピストがいないところで自己調節するのは困難になってしまっただろう)
このような問題点は、今となっては理解できますが、当時のわたしはまったく理解していませんでした。そんなわたしをうまくSEの適切なセラピーへと導いてくれたセラピストには感謝です。
(誤解を招かないように書いておくと、ここでわたしはハコミセラピーを非難しているわけではない。たとえばトラウマと身体 の内容はハコミセラピーを土台としているが、セラピストがクライエントに手を触れることについては非常に慎重な議論がなされている。p276-282
他方、トラウマと記憶の中でヴァン・デア・コークは ピーター・ラヴィーンからじかに手を触れてもらった経験が、フェルトセンスとは何かを理解するのに役立ったと書いている。p viii だからこれはケース・バイ・ケースであって、“わたしの場合に”セラピストが正しい判断をしてくれたことに感謝している)
セラピストは、わたしがそうした経緯を持っていながら、あの最初のセラピーのときに、セラピーの継続を選んだことを喜んでくれました。正直なところ、あのときかなり気持ちは揺れていましたが、その日のセルフタッチを通して内的感覚を感じ取る片鱗をわずかに経験できたこと、またラヴィーンの本などを読んでSEの手法の可能性を確信していたことがよかったのだと思います。
当時のわたしは、ソマティックな経験(エクスペリエンス)抜きの知識だけしか持ち得ていませんでしたが、その知識は賢明な判断をするのに確かに役立ちました。
気づくことの難しさ
続いて、この日のセラピーでは、過去のSEのセッションを通して、少しずつ身体感覚に気づき、それをコントロールする能力を鍛えてきたことを振り返りました。
この日のセラピーの最中のわたしは、まず自分の感覚がバラバラの断片になりかけていること、つまり解離しかけているという感覚に気づいていました。
しかしわたしは、ほんの数ヶ月前まで、この解離の感覚をはっきりと認知できていませんでした。何年も前から解離について調べてきたので、自分が解離していることは知っていましたが、リアルタイムで解離の感覚を意識できるようになったのは、セラピーを始めてからです。
まず何よりも解離の感覚に気づくことが難しい、というのは、ラヴィーンが心と身体をつなぐトラウマ・セラピーで書いているこの説明を思い出させます。
幼少期に繰り返しトラウマを受けた人は、この世に存在しやすくするための方法としてしばしば解離を身につけます。彼らは常にたやすく解離し、しかもそれに気づいていません。(p160)
解離が起こったときにそれに気づく能力を高めるため、エクササイズをもう一度やってみましょう。エクササイズの目的は、解離が起こるのを防ぐことではなく、解離が起きたときにそれら気づくことであることを忘れないでください。
解離状態にありながら自分の周りで起きていることに気づくことは可能です。この二元的な意識を持つことは、癒しと再統合のプロセスを始めるために重要です。(p162)
まさにわたしも、常にたやすく解離していながら、それに気づいていませんでした。セラピーを通して、自分のリアルタイムの身体感覚(フェルトセンス)を強く意識するようになってようやく、まず解離が起こったときにそれに気づくというスタートラインに立つことができました。
(解離に気づきにくい理由は複数あるが、とくにここ日本においては、解離性障害を専門とする精神科医たちが、「解離」という現象を精神病的なものであるかのように位置づけていることに一因がある。
ラヴィーンやヴァン・デア・コーク、さらには柴山雅俊などの著作を読めば、解離という現象はより一般的でありふれたものだとわかるが、ネットで調べたり理解の浅い精神科医の本を読んだりしてしまうと、DSMに基づく解離性同一性障害や解離性遁走、解離性健忘のような特殊な事例とばかり結び付けられているために、解離の本質を理解できなくなってしまう。特に、ほとんどの医者は学問的な机上の知識しかないので、当事者の経験との“乖離”が生まれてしまっている)
このように、無意識のうちにスルーしてしまって気づかないでいる身体感覚(フェルトセンス)に気づく、というのがSEのセラピーの肝であり、この半年を通してわたしが学んできたことでした。とりわけ、セラピーに行き詰まったときには、アントニオ・ダマシオの著作を通して、フェルトセンスに気づくという基礎に立ち戻ることで、次のステップに進むことができました。
ダマシオが意識と自己で書いていたように、(そしてこの文章をラヴィーンやヴァン・デア・コークが引用していたように)、自分の内なる身体感覚に気づくというのは、現代人にとってはかくも難しいものです。
われわれはときおり、事実を見いだすためにではなく事実を隠すために心を使う。
われわれは心の一部を衝立(ついたて)として使い、心の別の一部がよそで進行していることを感知しないようにしている。この隠蔽はかならずしも意図的ではないが、意図的であろうとなかろうと、衝立が事実を隠していることは確かである。
この衝立がもっとも効果的に隠しているものの一つがわれわれ自身の身体、身体の中身である。この衝立は、命の流れである身体の内部状態を、部分的に心から排除している。
情動と感情のあいまいさ、捉えどころのなさ、実体のなさは、たぶんこの事実の現れであり、われわれが身体の表象をどのように遮っているかを、あるいは非身体的な対象や事象にもとづく心的イメージがどれほど現実の身体を遮断しているかを、示唆している。
…この衝立が取り除かれれば、人間の心に許されている理解の範囲で、個々の生命の表象の中に「自己」の起源を感じ取れるのではないかと思う。この衝立がなかった昔、すなわち電子メディアやジェット機や活字が登場するはるか以前、まだ帝国や都市国家も登場していない、環境がかなり単純だったころには、もっと容易にバランスの取れた視点を手にできたと思う。
…彼らは、今日われわれが感じ取っている以上に、自分自身について感じ取ることができたと思う。今日われわれが心と呼んでいるものを、息と血を意味するためにも使われた「プシュケ」という言葉で言い表した古代人の知恵に、私は驚嘆する。(p44-46)
わたしたちは繊細な身体感覚、とくに内臓から発せられる内受容や、筋骨格から発せられる自己受容、さらには深部感覚などを、衝立(ついたて)の裏側に隠してしまって、ほとんど気づかずに過ごしています。
ところが、問題なのは、このついたては、それらを「部分的に心から排除している」ことにあるように思います。「全部」排除しているのではなく「部分的に」排除してしまっているから、わたしたちは自分の内部感覚に気づけなくなっているのだと思う。わたしは、そうセラピストに言いました。
たとえば、わたしたちは誰でも温感や疲れ、痛み、平衡感覚など、自分の身体の内部感覚をだれでもそれなりに感じています。そもそも内部感覚をまったく感じない人などいません。内部感覚はダマシオの説明によれば心を形づくる材料なので、内部感覚をまったく感じない人というのは、たとえば植物状態の人のような意識のない人だけです。
しかし、わたしたちはみな、ある程度、「部分的に」だれでも内部感覚を感じているせいで、内部感覚はそれですべてなのだと誤解してしまいます。自分がふだん感じている氷山の一角こそが氷山の全体であり、水面下に隠されたものなど何もないかのように錯覚してしまいます。そのため、人はみな「自分の身体のことは自分が一番よくわかっている」と主張するわけです。
けれどもダマシオが説明しているように、わたしたちが気づいている内部感覚は全体からみればほんのわずかにすぎず、そのほとんどはついたての裏側に隠されてしまっています。最近読んだ腸と脳の中でエムラン・メイヤーは、わたしたちが気づいている内臓感覚は全体の1割程度にすぎないだろうとも書いていました。
あなたも、特に意識してはいなかったとしても、同様な内臓刺激を日常的に感じているはずだ。私たちは皆、一生このような感覚を持ち続け、それがいわば第二の天性になる。
生存という観点からすると、内臓刺激に対する注意の気づきの一般的な欠如には意味がある。情報が氾濫する複雑な現代社会を生きていくことは、それだけでも難事だ。…このような感覚に常時注意を払っていなければならないとしたら、他のものごとに一切集中できなくなってしまう。(p61-62)
消化管で集められた感覚情報の90パーセント以上は意識にのぼらない。私たちは基本的に、腹部から日夜上がってくる刺激を無視していられる。(p64)
メイヤーが述べるように、わたしたちは自分の内的な内臓感覚に対する気づきがほとんど欠如しています。しかしなまじ一部だけは感じ取れるものだから、それ以上感じるべきものがあるなどとは思いもしない。
「自分の身体のことは自分がすべてわかっている」というこの自信過剰がために、ほとんどの人はボディワークに関心を持たない。これ以上何をいまさら学ぶべきことがあるのか?というわけです。
初回のセラピーのときのわたしも、それに近い反応をしていました。でもわたしは元々感受性の強いタイプだったからか、セルフタッチをしたときに、ふだん自分が感じているものは氷山の一角にすぎず、まだ見ぬ何か、ついたての裏側に隠されている何かがあるのではないかと直感することができた。
その直感のおかげで、わたしはSEのトレーニングを継続し、フェルトセンスに対する感受性を磨くことができました。ちょうどヴァン・デア・コークがトラウマと記憶で書いているように、ようやく腑に落ちた感じがしました。
シカゴ大学の学生だったときに、ユージン・ジェンドリンは私に、「自己の意識であり、思考と行動の間の空間」としての「フェルトセンス」を教えようとしたが、フェルトセンスが何なのかを、そのときは理解しえなかった。
しかし、ピーターが身体意識を学習のカギとして活用しているのを目の当たりにしたときに腑に落ちた。
…内部の感覚、つまり私たちの原初的な感情に気づくようになると、喜びから痛みにいたるまでの生きた身体的体験を直接味わうことができるようになる。大脳皮質ではなく、脳幹の深い層で生じた感情を感じることができるのだ。(p viii)
わたしはまだ、「脳幹の深い層で生じた感情」まで生き生きと体験できているわけではありません。わたしの場合、過去のトラウマ経験により、それを感じることはロックされているため、失感情症が色濃くこびりついている。
しかしそれでも、フェルトセンスを感じ取る訓練をしたおかげで、そこに迫真の感情がある“気配”を読み取れるようになりました。ダマシオがよく使う言葉を用いれば“背景にある感じ”とでもいうのか。
まず、自分が気づいていないものがあるということに気づく。ふだん自分が感じているものがすべてではないということに気づく。ふだん感じているものは氷山の一角にすぎず、その背後についたてに隠された全体像があるということを察する。
この部分のハードルが何よりも高すぎて、ほとんどの現代人は、マインドフルネスを身に着けようとさえ思わないし、自分の身体の繊細な感覚を意識する第一歩をさえ踏み出せないでいるのだと思います。
まず自分に何が必要なのかわからなければ、必要なものを求めることなどできません。多くの人は、病気になったときに、自分に必要なのは薬や検査など外的な処方だと考えるだけで、よもや自分に内的感覚への気づき、身体の声を聞き取る能力が欠如しているなどとは思いもしません。自己に対する気づきが足りないことに気づかないからです。
(ここで引用したダマシオとメイヤーの指摘は、どちらも共通して、わたしたちが内部感覚に気づけないのは現代社会に生きているせいだと指摘している。それは、情報が複雑すぎる現代社会を生き抜くための適応である。ということは、現代社会で忙しく生きていながら、真に内部感覚に対する感受性を培うのは不可能なのではないだろうか?
わたしがセラピーを通して内部感覚に敏感になればなるほど、現代社会の刺激の多さに圧倒されるようになってしまったのは、この説明からすれば当然のことといえる。わたしたちが内部感覚に気づけないのは、情報の多さに対する防衛として解離が生じてしまっているからなのだ。
都市にいながら、また現代社会で生活しながら、たまにSEのセラピーを受けるような方法で本当に生き方を変えられるのだろうか? わたしはここ半年セラピーを受けてきて、日に日にその疑問が深まっていった。現代社会で感覚を麻痺させて忙しく生きるか、それとも自然の多いところでフェルトセンスに親しむか、これは二者択一であり、同時にこなせるものではない、とわたしは思う)
スキー板を履いて雪上に立つ
セラピーを始める半年前のわたしは、そもそも身体感覚に気づいておらず、ずっと凍りついたまま麻痺した擬態死状態にありました。体調は長年ほぼ変化なく、どちらかというと緩やかに落下していくような低空飛行を続けていました。
しかし、セラピーを始めてからは、体調が劇的に動揺し始めました。この体験記を読み返すだけでも、わたしが体調の変動に振り回されていたのがわかります。順調でうまくいき、高揚感に満たされている時期と、絶望的なまでに打ちのめされ、全身の痛みに悶えている時期とを揺り動いてきました。以前のわたしにはこうした不安定さはありませんでした。なんといっても「慢性」疲労だったんですから。
しかしSEのセラピーによって、ペンデュレーション(振り子運動)を意識しはじめたことで、間違いなく体調は変動し始めました。いや、おそらくは、SEのセラピーを受ける、と決意して行動に移した時点で、もう変化は始まっていたのでしょう。第一期の終わりに身体はトラウマを記録するから引用したエリク・エリクソンの言葉のように。
偉大な精神科医ミルトン・エリクソンが述べたように、いったん丸太を蹴れば流れ出す(丸太がたくさん川につかえているときに、これという丸太を一本見つけて蹴飛ばせば、丸太はみな流れていく、という意味)のだ。
トラウマ記憶をいったん統合し始めた人は、自然に回復し続けた。それとは対照的に、プロザックを服用した人は、飲むのをやめると再び症状が悪化した。(p419)
わたしの体調は、ずっと凍りつき/擬態死にあったわけなので、一箇所に滞って流れなくなった丸太の集合のようなものでした。わたしはそのころの自分を振り返って、「流れ出すのが怖くて、自ら凍りついたまま変化なくとどまることを選んでいたのだろう」とセラピストに言いました。
といっても、この恐怖は意識的なものではなく、無意識のものでした。よく不登校は学校恐怖症だと誤解されますが、実際にはセリグマンとメイヤーの実験の学習性無力感の犬と同様です。不登校の慢性疲労症候群の子どもは、学校恐怖症という言葉で連想されるような、「学校が怖いから行かない」というような意識的な恐怖ではなく、そもそも動き出すという概念が消失した無動状態にあります。(この違いはちょっとわかりにくいけれど、過去の体験記の考察参照)
慢性疲労症候群の状態では、動き出そうとすると、行動するより早く、行動をとどめるような条件反射のレベルの不快感が起こります。これは個人の意思とは無関係の無意識のレベルで起こるものです。(ベン・リベットの有名な実験で示されているように、身体の無意識の反応は意思より0.5秒先立つ)
わたしが言うところの恐怖とはそのレベルで生じる不快感のことです。凍りつき/擬態死の学習性無力感の状態から脱出して身体を動かそうとすると、個人の意思より早く、身体が恐怖を感じるため動き出せません。ラヴィーンは身体に閉じ込められたトラウマの中で、この種の恐怖のせいで、トラウマを負った人は凍りつき/擬態死を解除できなくなると述べています。
トラウマを受けた人は、不動状態から抜け出ようとするたびに繰り返し自分自身に怯えることになる。「恐怖で増強された不動状態」は自己の内側で維持されるのである。
強烈な感覚、激しい怒り、恐怖という悪循環は、人を生物学的トラウマ反応の中に閉じ込める。トラウマを受けた人は文字通り囚われの身となり、自分の内側に続いて起こる生理学的反応とそうした反応そのものや情動に対する恐怖によって、繰り返し脅かされ拘束される。(p82)
この説明は、不登校の慢性疲労症候群が、よく言われるような心の弱さや意志薄弱(トップダウンの問題)ではなく、パブロフの条件反射のような身体反応(ボトムアップの問題)であることを説明するものなのだけど、これをわかりやすく説明するのは本当に難しい。
例えるなら、スキーなどやったこともない人が、いきなりスキー板を履かされて「ジャンプ台から飛んでみなさい」と言われたときに、本能的な恐怖に襲われるのと同じだと思う。この場合、どうしてもできないと感じてすくんでしまうのは、そのようなスキージャンプをどうやったらできるのか、身体的な意味で想像もつかず、概念さえも存在しないからです。
前に書いたように、凍りつき/擬態死状態で生じるのは、このような概念の喪失、想像力の萎縮、身体を動かすというごく普通のことをどうすればいいかわからなくなるという手続き記憶の障害です。オリヴァー・サックスが、左足をとりもどすまでの事故の後遺症で左足が凍りついてしまったとき、左足をどうすれば動かせるのか、単なる歩き方の概念さえ失ってしまったのと同じ。
「さあ、サックス先生。いったいなにを待っているんです?」
「だめだ。できない」私は答えた。「歩き方がわからない。どうやって足をふみだしたらいいかまったくわからない」(p173)
この場合、サックスは、もう一度、身体を使って、歩き方を思い出させてもらわねばならなかった。
不登校の慢性疲労症候群の場合は、サックスのように単なる左足だけではなく、身体全体が凍りつき/擬態死状態にあるので、まず自分の身体を認識し、自分のものとして動かせるようになるところから始めなければならない。そうすることで、あたかも“ロボットの身体”を操っているかのような不自然でぎこちない凍りつき状態から、“自分自身の身体”を動かしている自然な状態へと回復していくことができる。
それはまた、さっきのスキーのたとえで言えば、いきなりスキー板を履かせられて、想像の及ばないジャンプをするように言われるようなやり方ではなく、まずどうやって雪の上でバランスを保って立つのか、という初歩の初歩の身体の使い方から教えてもらわねばならないということ。
わたしの場合、この半年のSEのセラピーは、まさにこの初歩の初歩のステップでした。今まで、自分の身体をどう扱えばいいのか、まったく想像のつかなかった概念の喪失状態から、まず立ち上がって、不安定な雪の上に立つということ、すなわち揺らぎのある状態に身をおいて、ただそこに立つということを身体的に教えてもらいました。
この最後のセラピーの日のわたしは、まさに不安定な雪の上にただ立っている状態でした。今にも倒れそうになりながら(解離しそうになりながら)も、半年間で学んだ身体認識とバランスの技術を駆使して「今ここ」に意識をつなぎとめ、かろうじて雪上で“立っていた”のです。
わたしはまだ雪上で立てるようになったにすぎず、ジャンプなどまだまだできそうもない。けれども、かつては雪上に立つこともできず、ただ地面に座り込んで凍りついていたことを思えば、このような揺らぎのある状態でバランスを保てるようになっただけでも大きな進歩なのです。
本来、不登校の慢性疲労症候群をはじめ、凍りつき/擬態死に陥っている人は、このようなレベルから身体認識の技法を学ばねばならない。凍りつき固まっていた状態から、ペンデュレーション(振り子運動)によって、ちょっとずつタイトレーションしながら、揺らぎのある状態でもバランスをとるすべを身に着けていかなければならない。
そうやってはじめて、自分では制御できない圧倒されるような身体感覚、つまり本能的な恐怖を呼び起こし、自分を凍りつきや慢性疲労という檻の中に閉じ込めていた制御不能な身体感覚をコントロールし、過度なエネルギーを消耗することなく身体を動かせるようになっていきます。
今のわたしにはそれがわかる。でも、世の中の不登校支援や、トラウマ医療に携わっている人の大多数は、それにまったく気づいていない。そのせいで、支援を受ける立場の人たちは、自分たちの問題は心の弱さや他の原因不明の何かにあると思い込まされてしまっている。
悲しいことですが、この現実は今後も決して変わらないでしょう。なぜなら、支援している人たち自身が、この現代社会を生きてきた代償として、自分の身体の内的感覚から切り離されいて、それを感じようともしないんですから。自分の身体のフェルトセンスを感知できない人間が、不登校の子どもやトラウマ当事者に対して、フェルトセンスを認識する大切さを教えられるはずなどない。
いっそのこと、不登校の子どもとかトラウマ当事者は、身体感覚を認識するという概念を喪失した現代社会の人たちからなる支援団体に頼るのではなく、もっと自然と密接に関わり合って生きている人たちの社会に留学してみたらいいのかもしれない。
前回引用した三池先生のアドバイスのように「海外に出かけていってフーテンでもする」のがいいのかも。そういえば腸と脳の著者のエムラン・メイヤーは学生時代にアマゾンのヤマノミ族のコミュニティに行って、そこでしばらく暮らしたらしいけれど、いっそそんな生活をやってみたら、セラピーなど受けなくても身体感覚を認識する自己調節のスキルを自然と体得できそうではある。その場合の問題はハードルの高さにあるわけですが。
オールを手に漕ぎ出そう
このようなことを話しているうちに、最後のセラピーの時間も終わりに近づきました。もちろんわたしはこうして経過を振り返りながらも、ずっと水面下で自己調節を続けていたので、ただ話をするだけの時間だったわけではありません。
初期のセラピーのころは、ただ会話をするだけでは何の意味も感じられませんでしたし、今でも会話のカウンセリング形式のセラピーには意味がないと思っています。でも、初期のころは会話しながら自己調節できなかったのに対し、今では会話しながら身体感覚を調節する「二重の意識」を保持できるようになっています。
(会話しながら身体感覚を意識するというのは、さっきラヴィーンが書いていた「二重の意識」の典型例の一つだと思う。なぜなら、言葉を用いて会話するというのは解離的な行為であり、フェルトセンスを感じとるのと真逆だからだ。
言葉を使った自己認識はトップダウンの理性的な行為だが、感覚を使った自己認識はボトムアップの直感的な行為であり、それぞれはまったく異なる回路を使っている。詳しくは身体はトラウマを記録するのp387の「二つの異なるかたちの自己認識」の説明を参照。会話しながら身体感覚を意識するには、解離的でありながら同時に「今ここ」を感知できる二重の意識が必要になる)
ただ、本音を言えば、まだまだ自分は未熟だとも思い知らされました。セラピーの時間は一時間ほどでしたが、最後のほうは意識がもうろうとしてきて、解離に寄り切られそうになっていました。自己調節できるようになってきたとはいえ、まだまだそれは意識的な努力が必要であり、意志力が疲弊するとうまくいきません。
セラピストが言うには、最初はそのように意識的に自己調節しなければならなくても、やがて自動的に勝手に身体がやってくれるようになるとのこと。今は意識的に耐性領域にとどまってバランスを保とうと頑張っているけれど、やがて無意識に耐性領域内にとどまれるのが普通になると。つまり身体的なスキルは習得されれば自動的な技能になるということ。
たとえばスキー板を履いて雪の上に立つとき、最初は意識的にバランスを保たなければならないとしても、やがて身体が覚えれば無意識にバランスを保てるようになるのと同じ。そうすれば、もっと広い範囲を滑りにいけるようにもなる。
興味深いことに、脳はいかに治癒をもたらすかには、視覚イメージを使うというソマティックな技法で慢性疼痛を治療するマイケル・モスコヴィッツの取り組みによって生じる脳の変化について次のように書かれていました。
ところがMIRRORアプローチを用いて神経可塑性の競争的な性質を動員するモスコヴィッツの治療を受けた患者には、それ[プラセボの脳の変化]とはまったく正反対のパターンが見られる。
彼の患者は、数週間何の反応も示さないことが多く、その後痛みは徐々に弱まっていく。そして脳が再配線されれば、通常は介入の必要性が次第に減少する。
私は、神経可塑性テクニックを用いて脳を再配線し、学習障害、脳卒中、外傷性脳損傷などから回復した人たちにそれと同じパターンを見出してきた。これらのケースでは、症状はすぐには消えなかった。
モスコヴィッツの患者における変化のパターンも、楽器の演奏や言語の習得などで脳が新たな技能を学ぶときに生じるものと一致する。
この時間的な経緯は重要な神経可塑的変化が起こる際には典型的に見られるもので、変化は数週間(しばしば六~八週間)にわたって生じ、日々の心的実践を必要とする。それはけっして楽な作業ではない。(p60-61)
ソマティックなセラピーの効果は、いずれの場合もこれと同様の変化をたどるはずです。最初は(わたしもそうだったように)効果がよくわからず、不信感を感じるかもしれない。プラセボ的な即効性は少ない。
この段階で多くの人がふるい落とされるため、ソマティックな治療はおそらくこれからもずっと主流にはならない。人は薬をはじめ、プラセボが出やすい即効性のある方法を求め、辛抱強くアスリートのようにトレーニングを続けることは好まない。
しかしあきらめず継続していくうちに、ちょうど運動や演奏などの身体的スキルが身につくときと同じく、技能が身体化され、自動的な無意識のパッシブスキルへと変わっていく。
(パッシブスキルとはゲーム用語で、意識的なコマンド入力をしなくても常時自動的に発動しているスキルのことをいう。ゲームの用語とはいっても、この場合、非常に適切だと思った。
前にも書いたように、SEを普及させるカギは、ゲーム世代に身近な説明をもっと使っていくことだと思う。ピーター・ラヴィーンには怒られてしまいそうだが、根気強くエンディングまでゲームをプレイするのは根気強くセラピーに取り組むのとよく似ている
ゲーマーなら誰でも知っていることだけど、ゲームのスキルは手続き性の記憶なので、実はソマティックなスキルである。例えばマリオなどのアクションゲームは「指に経験値がたまる」ゲームと呼ばれる。身体が複雑な操作を記憶して、無意識に瞬時にこなせるようになっていくからだ。
ゲームは一種のソマティックなワークだからこそ、トラウマ後にテトリスをプレイすることでPTSD症状を軽減できたりする)
わたしはこの半年間のセラピーを通して、まずはスキー板を履いて不安定な雪の上に立つこと、あるいは不安定な船の上に立つことを覚えました。SEのセラピーで学んだテクニックは、スキーのポールであり、船のオールです。このテクニックをもっと使いこなして、より広いゲレンデや海原へと出ていくことがこれからの目標です。
だから、こちらでセラピーを受けるのはこれが最後になるけれども、北海道に引っ越してからも、SEのセラピーとの接点を保ち続けたいと思っています。どのセラピストに、どの程度の間隔でセラピーを受けるかはまったく未定ですが、早いうちに今後の方針を固めたいですね。
名残惜しいですが、ここでのセラピーは今回が最後。セラピストにこれまでの感謝を伝えてセラピールームを後にしました。せっかくのご縁なので、今後とも何かしら接点を持てればいいんですが、これからの経過次第かもしれません。
主治医への報告
最後のセラピーの次の日は、主治医の診察。セラピーの道中で疲れすぎたのか、夜中は身体の痛みでなかなか寝られずもんどり打っていました。身体が締めつけられて、こんなことならいっそ死んでしまいたいと感じるような苦しみ。
前に書いたように、こうした凍りつき症状は偏頭痛発作と類似点があります。サックスが意識の川をゆくの中で偏頭痛発作について書いているこの記述を思い出しました。
しばしば片頭痛の始まりになる「なんとなく不調な感じ」は続いて、発作の過程でどんどん重くなっていく。最悪の症状の患者は、ひどくもうろうとして横になるほど衰弱することもあり、半分死んだような気がする、あるいは死んだほうがましだと感じる。(p156)
アレタイオスは二世紀に、そのような状態の患者は「生きるのがいやになり、死ぬのが賢明だ」と述べている。そのような感情は、自律神経系のアンバランスに端を発し、相関しているかもしれないが、感情、気分、間隔、そして(中核)意識が仲介される自律神経系の「中枢」部分―脳幹、海馬、その他の皮質下構造―と関係しているにちがいない。(p162-163)
「中核意識」という用語が用いられていることからわかるとおり、サックスはここでアントニオ・ダマシオの意識についてのソマティック・マーカー仮説を下地にして説明しています。最近、わたしが読む本は、まったく別ジャンルの本を選んだつもりでもダマシオの名前が出てきたりするので、この研究は今トレンドなんですね。(p155)
ダマシオのいう「中核意識」とは「今ここ」の身体感覚を認識する自己意識なので、SEセラピーによって身体の感覚を感じ取る訓練をしたことと、夜中にこうして「今ここ」における痛みでもんどり打つことは相関しています。どちらも凍りつきが解けてきたことによるものであり、凍りつきが和らいで生の感覚に敏感になったことが、かたや感受性の回復として、かたや痛みのマスクの解除として同時に起こっているということでしょう。
ずっと前に書いたように、解離がひどいころのわたしは、感覚が麻痺しているために「死にたい」などとも思いもせず、身体的・感情的な痛みに麻酔がかかっているような状態にありました。しかし、SEセラピーをとおして凍りつきが和らいで解離のマスクがいくらか解除されたことで、線維筋痛症様の痛みが表面化し、「死にたい」といった生々しい感覚も感じるようになりました。
解離は現実感が麻痺している状態なので、生きている感じも希薄です。だから、解離が解除されたら「生きたい」という強い衝動だけでなく「死にたい」という生々しい衝動も強くなります。まさしく解離性同一性障害のオルガが私の中のわたしたちで書いていたように。
このように深く感じるのは、はじめてだった。人生のほぼすべてで、私は解離し、感情を全部遠ざけていたからだ。私の感情が情緒的か身体的な苦労であったとしても、私は何となくサマー医師が正しいことに気づいていた。
というのも、楽しさや喜びが感じられるようになっていたからだ。そういう声が聞こえたときは、サマー医師は、つぎのように、私の進歩を励ましてくれた。
「いまはすべてが恐ろしいかもしれませんが、やがて人生のよい部分を感じられるようになります。ずっと深い感情に近づければ、スペクトラムの両端、つまり善悪両方をより深く感じられるようになるのです」(p280)
SEのセラピーは、こうした生々しい衝動を一度に感じすぎないよう、タイトレーションしながら少しずつ進むようデザインされています。でも、少しずつであれ、生々しい感覚に向き合うのは避けて通れないことですし、それを受容できるようになるのが回復です。
だから、今この時期にわたしが、一方では前回書いたような、ガラナ片手に森林地帯をサイクリングして今ここにいることの幸せを感じられるようになったこと、また一方では、夜中に線維筋痛症様の痛みにもんどり打って「生きるのがいやになり、死ぬのが賢明だ」と感じていることは、どちらも同じ現象の両面であり、「スペクトラムの両端、つまり善悪両方をより深く感じられるように」なりつつあることを示唆しています。
主治医の診察に向かった日は、こうした体調だったので、あまりよく寝れなかっただけでなく、昨日に引き続いての雨降りで、駅まで歩かなければならず本当に大変でした。しかも電車が人身事故で30分くらい止まるという。けれどもなんとか根性で病院までたどりつき、主治医に最近の近況報告。
話したことは、だいたい前回および前々回の体験記の内容です。北海道に行っていたあいだは、ちょうどリタリンやコンサータを飲んでいた初期のころの副作用が出ていない体調に近いということ。
また、この変化は、おそらく一時的なプラセボではなさそうだといえる理由について。簡単に言うと、わたしが自然の多いところに行ったときの体調の変化はカプラン夫妻の注意回復理論などで説明できる範囲に限定されており、逆にプラセボだったら当然起こりそうな劇的な変化は見られないということです。理論から想定される範囲内の変化、つまりリタリンやコンサータを飲んだときと同じような変化はあるものの、お腹の深部の凍りつきなどは解消されておらず、理論で想定される枠を超えたプラセボ的な変化までは生じていませんでした。
主治医が注目していたのは、自然の多いところにしばらくいると疲労がかえって回復していく、というわたしの体験でした。これは過去の体験記でも書いたように、2ヶ月前と今回に共通してみられた反応で、わたしも最初はびっくりしましたが、理論的に説明可能です。
この場合にカギになるのは、自律神経系の耐性領域についてのトラウマ医学の理論です。自律神経系のレベルには3つの領域があり、真ん中が副交感神経(腹側迷走神経)が働くちょうどいい領域(ゴルディロックスゾーン)です。このちょうどよい「耐性領域」にとどまっているうちは、リラックスできるので疲労が回復します。
しかし耐性領域を上方に飛び出て交感神経優位の過覚醒になったり、耐性領域を下方に飛び出て背側迷走神経優位の低覚醒になったりしているときは回復力が働かない。過覚醒か低覚醒のときはどこにいようが刻一刻と疲れていくことになる。
わたしみたいな人はこの耐性領域がものすごく狭いので、常時、過覚醒か低覚醒に飛び出ていて、耐性領域内にとどまれないので、体力が回復せず、慢性疲労状態に陥っている。特に都市生活においてはそうなりやすい。耐性領域が狭すぎて、都会の刺激の多いところでの自己調節には限界がある。
しかし自然の多いところに行けば、刺激が少なくなるぶん、耐性領域が狭くても相対的に耐性領域内にとどまりやすくなる。リラックスした副交感神経優位のモードに長時間とどまりつづけられるおかげで、自然の中にいると体調がましで、しかも時間とともに体調が回復していくことになる。
(普通の健康な人たちは耐性領域が広いので都会の刺激のさなかにいても副交感神経優位の耐性領域内にとどまりつづけることができるため、わたしほどには自然の恩恵を感じない)
リタリンやコンサータは、中枢神経を刺激して、一時的に前頭前野の処理能力を上げ、耐性領域を無理やり広げることで耐性領域内にとどまりやすくなる。それに対し、自然の中にいくと、刺激の総量が減ることで、耐性領域にとどまりやすくなる。どちらも効果としては同じだが、前者は薬で無理やりブーストしているので副作用として反動が現れるのに対し、後者は負担を減らすことで同じ効果を生み出しているので、たぶん副作用が出ないはず。
というようなことを、主治医には話しました。
興味深かったのは、主治医によると、脳性麻痺や脊椎損傷の人たちにも凍りつき/擬態死と解釈できるエネルギーの枯渇状態がみられるとのこと。
そもそも凍りつき/擬態死は闘争/逃走と同様、生物の普遍的な機能なので、ありとあらゆる人に程度の差こそあれ見られるはずだし、さまざまな病気の症状に含まれているはず(特に凍りつき/擬態死が顕著な病気はパーキンソン病である)だけど、これまでそういった見地が医学に欠けていたために見過ごされている例が多いんでしょう。
トラウマ当事者だけでなく、パーキンソン病にしても脳性麻痺や脊椎損傷にしても、さらには発達障害や慢性疲労症候群や過敏性腸症候群や偏頭痛にしても、いずれも受け身の生物学的な防衛本能としての凍りつき/擬態死が関係しているのは明らかなのだけど、医学は生物学ではないゆえにそうした視点は考慮されず、当事者の苦痛は原因不明のまたは心的なものと解釈されてしまう。
人間の解離を治療する前に、そもそも学問領域のほうが細分化されてバラバラに解離してしまっているために人間の全体像を把握できなくなっている、というのはなんとも残念な話です。
主治医はありがたいことに、今回のわたしの決定について好意的にとらえてくれていますから、今後も気づいたことなどを伝えて、アドバイスを求めていきたいと思います。
外斜位のためのプリズム入りメガネを作る
最後に、アーレンシンドロームのメガネ作成以来行きつけでお世話になっている、オプトメトリー(検眼学)のメガネ屋さんでプリズム入りメガネを作ってきたことについて。
アーレンシンドロームのときの一連の体験記に書いたように、わたしは光過敏だけでなく、外斜位があることがわかっています。(斜視ではなく斜位。視力そのものは悪くないし、ふだんは目の位置もずれているわけではないが、両目を協調させて動かす輻輳不全による両眼視機能障害があるということ。珍しいものではなく、発達障害系の人には多く、そもそも両眼視機能の障害が発達障害の症状の原因である場合も少なくない。しかし通常の眼科医の検査ではまったくわからないため、オプトメトリストの検査を受けなければ気づかれない)
そのときはとりあえずアーレンの光過敏のレンズだけを作ったんですが、近年、アーレンの症例が増えてきたことに伴うメガネ屋さんの印象としては、両眼視機能障害を改善すれば光過敏も相当に和らぐ人が多いので、光過敏より先に両眼視機能障害に対処すべきではないか、ということらしい。
(どういうメカニズムかはよくわからないが、両眼視機能障害のため左右の目の位置や像にずれが生じ、それを補正するために余分のエネルギーを使うので、その負担が主観的にはまぶしさや眼精疲労といった目の負担として感じられるのだろうか?)
というわけでわたしも両眼視野のずれを補正するプリズム入りのメガネを作ってもらいましたが、裸眼で見たときと何が違いますか?と聞かれて開口一番「奥行きですね…」と答えました。
裸眼で見ていても当然さまざまな手がかりから立体感は感じているのだけど、プリズム入りメガネをつけると明らかに奥行きが明確に感じられました。
しかも視野の色が変わったので、思わず「このメガネ色つきレンズですよね?」と聞いてしまいましたが、もちろん無色レンズとのこと。つまり両眼視機能が改善されれば、本当に色の認知が変化してしまうということなのだ。もっとも、色というのは左右の視野の微妙に異なる光を統合して認知しているものなので影響があること自体は不思議ではありませんが、こうもはっきり違いがわかるのは不可思議に思いました。
プリズム入りメガネをかければ立体視のある世界に入れるというのは、何度も引用しているスーザン・バリーの視覚はよみがえる 三次元のクオリアからよく知っていましたが、わたしは自分の外斜位はそれほどひどくないと思っていたので、この結果には少々戸惑いました。
確か二年前は、プリズム入りを試してもあまり効果が感じられなかったから、とりあえずアーレンの対処のみになった記憶が。今回、とくに外斜位の程度が悪化したわけではないのに、プリズム入りレンズの効果を実感できたのは、以前より自分の感覚を観察して判断できるようになったからかもしれません。
プリズム入りメガネをかけて歩いてみると、地面の凹凸がより立体的になるため最初はくらくら来たほど。さすがに視野が平面から立体に変化したスーザンほど極端ではないはずですが…。
斜位や斜視のある人はこうした立体感がわからないせいで部屋が散らかっていても気づかなかったりします。視界が平面だと「足の踏み場もない」ことを実感できない。わたしもそうなのでしょうか?
斜位の人は斜視とは違って、目の位置はずれていませんが、無理やり目の筋肉を使って位置合わせしているので、眼精疲労がたまりやすい。わたしの場合、アーレンのメガネをかけたり調光を調節したりするようになってから光過敏やドライアイは楽になりましたが眼精疲労は変わっていません。
今回はプリズム入りメガネを作ってもらったのは、北海道で自動車を運転するときのために、立体感を認識できるように、という目的でした。今回作成したメガネはプリズム入りなだけではなく、偏光レンズでもあるので散乱光を抑えることができる。またオプションでマグネット式に色フィルターのレンズを上からつけて、雪道を見やすくするなどもできる。
しかし雪道だけでなく、もしかするとパソコン作業なども、プリズム入りメガネをかけることで楽になったりするのでしょうか。メガネ屋さんも言っていましたが、外斜位の輻輳不全があると、読書などの疲労も強くなる(目で文章を追うのがまっすぐいかなくなる)ことを思えば、そちらの変化も楽しみです。また体験記などで経過をまとめたいところですね。
今回はここまで。続きはこちら。