切り離された自分の身体を取り戻すセラピー体験記(終)

セラピーの体験記(とは名ばかりのごった煮考察集)の第二期も、今回で終わりです。

前回はおもにオプトメトリーによる光過敏の対策のその後について書きましたが、予告したとおり、今回取り上げるのは、オリヴァー・サックスの最も代表的な著書レナードの朝、最初の執筆以来、何度も増補改訂を繰り返され、サックスの長年の考察の集大成のひとつといえる本です。

セラピーの総括そのものは、13回目にやってしまったので、この最終回の内容は、セラピーと直接関係はありませんが、わたしの抱えている症状と密接に関連する「凍りつき/擬態死」の考察であり、セラピーの本質そのものと深く関わっていると思います。

引用文が多いため、今までで最長の分量(ふだんの2-3倍)になってしまいましたが、もし興味のある人がいたら、お付き合いください。

レナードの朝

このレナードの朝は、簡単に説明すると、第一次世界大戦当時(1916-1917ごろ)に流行した嗜眠性脳炎(通称「眠り病」)の後遺症で、「ゾンビのような受け身の」凍りつき状態に陥った患者たちについての物語。(p70-71)

この人たちは、発症以来、マウント・カーメル病院に収容され、世の中から忘れ去られていましたが、パーキンソン病に劇的に効果を発揮するLドーパという薬が開発されたことが運命の転機となります。嗜眠性脳炎の患者たちを診察していたサックスは、その症状がパーキンソン病にいくらか似ていることに気づいていたので、「じつに二年間も躊躇し続けた」末、Lドーパの投与を決意します。(p103)

その結果、今まで死んだように身動きしなかった患者たちが、突然爆発的に「目覚め」るという奇跡が起こります。しかしそれは奇跡などではなく恐ろしい激動の始まりだったのでした…。

タイトルの邦訳が「レナードの朝」になっているのは(原題はAwakenings:目覚め)、この患者たちの代表ともいえるレナードという人から来ています。レナードは、自分が陥っている極めて恐ろしい病気を、しっかり言葉で描写できました。

はじめてレナードを診察したとき、私は最後にこう尋ねた。

「あなたのような状態でいることをどう思いますか? なにと比べたらいいんでしょう?」

すると、彼は次のような返事を文字盤に打った。

「檻に入れられて、なにもかも取り上げられたよう。リルケの『豹』のように」

それから目だけ動かして病棟をぐるりと見回すと、こう打った。

「ここは人間の動物園だ」

何度も繰り返し、詳しい説明と想像力豊かな比喩、そして詩的なイメージの数々を駆使して、レナードは彼自身の存在と経験の本質を伝えようとした。一度、彼はこう表現したことがある。

「そして恐ろしいほどの無。存在は苦悩、衝動、抑圧の積み重ねだ。閉じ込められ、がんじがらめにされて身動きもできない。ぼくはそれを『突き棒と端綱』と呼ぶ。無のなかで、ひどい孤独と冷たさに身を縮めている。

サックス先生には想像もつかないだろう。こうなった人でなければ想像できない。それは底なしの暗闇と非現実的な世界」(p362)

「サックス先生には想像もつかない…こうなった人でなければ想像できない」世界を、サックスがこうして本にまとめることができたのは、ひとえにレナードのおかげだといいます。

彼と出合ってからの六年半で、パーキンソン症候群や脳炎後遺症といった病気、苦しみ、そして人間の本質ということについて彼から学んだことは、他のすべての患者を合わせたよりもずっと多い。(p360)

だからこの本のタイトルは「目覚め」ないしは「レナードの朝」です。だけど、このタイトルの「朝」という言葉が示すような感動的な目覚めだったかというと決してそうではない。はじめは確かに薬のおかげで感動的な朝が来たように思えた。だれもが「魔法の薬」を称賛した。しかしやがてLドーパは「HELL-DOPA」であることが明らかになり始める。増補改訂版で追加されたレナードの最期は、本当に恐ろしい結末でした。(p128,404)

この本は、発表当時はその衝撃的な内容のため、医学界から「敵意をむき出しにした批判」にさらされました。やがて事実だと認められ、「古典とすらみなして受け入れられ」ましたが、この本の内容が医学界に浸透しているとは到底言えません。一定の価値は認められているけれども、内容そのものはいまだ無視されていると言っても過言ではない。(p42,48)

この本の内容についてのまったくの誤解も存在しているようです。たとえば、わたしの知り合いは、50代でパーキンソン病と診断されましたが、なぜか他の人から、「レナードの朝」の映画を見てみるように勧められたのだとか。彼女は、映画を見て、自分もこのような結末に至るのだろうかと絶望したそうです。

これは二つの意味で間違っていました。まずレナードの朝はパーキンソン病についての本ではない。脳炎後遺症のパーキンソン「症候群」と、純粋なパーキンソン病は似ているものの、似て非なるものであることは、サックスが繰り返し本の中で述べています。

この「新種の」パーキンソン病の原因は、旧来のものとははっきりと区別された。つまり、この脳炎性パーキンソン症候群、あるいは脳炎後遺症としてのパーキンソン症候群には、特発性のパーキンソン病とは違ってあらゆる年齢の人が罹病し、はるかに深刻かつ激烈な症状がもたらされたのである。(p56)

脳炎後遺症の患者の場合は、本書の症例が示すとおり、より短時間で目覚め、しかも劇的である。さらに、脳炎後遺症の患者は一般にL-DOPAに対していっそう敏感であり、ほんのわずかな投与量、つまり「通常の」パーキンソン病患者に要するよりもはるかに少量で目覚めるのである。(p407)

当時はわからなかったが、今になって考えると、間違った希望を抱かせたのは、脳炎後遺症と通常のパーキンソン病の本質的な違いだった。脳炎後遺症は基本的に(あるいは、非常に多くの場合)病気の進行が静止しているため、もしなんらかの形で均衡を保つことが可能なら、その状態が将来にわたって続くのである。(p514)

脳炎後遺症は、通常のパーキンソン病よりはるかに症状が重いだけでなく、薬に対する反応性や予後も大きく異なっています。そもそも、サックスがこの本を書き残したのは、1916年当時の脳炎流行の後遺症という、二度とないかもしれない出来事の後遺症を抱える患者たちの記録を風化させないよう、目撃証人としての責任を感じてのことでした。

私は常に患者の傍らについて―眠る時間も惜しく感じた―彼らを観察し、話し合い、彼らにメモを取ることを勧め、私自身も一日に何千語もの大量の記録を取った。そして片手にペンを、もう一方の手にカメラを持って患者を見つめた。

このような経験をした人はこれまでもいないだろうし、おそらくは今後もいないであろうと考えていた。だから彼らを記録し証人となることは、私の義務であるとともに喜びでもあったのである。(p37-38)

つまり、私は否応なしに、彼らの症例あるいは人生の記録を書かなければならなくなった。なぜなら、薬の投与量や投与回数、投与期間、効果などといった意味での「オーソドックスな」記録では、この経験の歴史的な意味を伝えることは決してできないからだ。(p39)

眠り病が消滅してから長い年月がたった現在、80人もの脳炎後遺症患者の治療と観察を続け、L-DOPAの効果をこれほど長い期間見つめ続けてきた医師を、私は自分以外に知らない。

私は、患者たちと同じくこの病気の最後の証人であり、50年もの「眠り」という特異な状況と、それに続く12年以上の「目覚め」とをこの目で見てきた。(p475)

わたしの知り合いのパーキンソン病の人にレナードの朝のビデオを見るように勧めたのが誰だったのかは知りませんが、まったく不当な恐怖にさらすだけの行為だったといえます。

第二の誤りは、レナードの朝の本ではなく映画を勧めたことです。映像のほうがインパクトが強いのは当然なので、とくに病気のため神経質になっているような人は、できるなら本のほうを読むべきです。(原爆についての映画と本のどちらがより衝撃性が強いか考えればわかります) 何より、この本の内容は、文面ににじみ出るサックスの人柄と探究心あってのものなので、原著にこそ読むべき価値があると思っています。

パーキンソン症候群とトラウマはどちらも腸→脳

ではなぜ、今になって、パーキンソン病でないわたしのような者が、この本に注目するのか。わざわざトラウマセラピーの記事の最終回で取り上げるのか。

まず、あまり知られていない点ですが、パーキンソン病(パーキンソン症候群)とヒステリー(解離)が、昔から類似性を指摘されていたことがあります。

トラウマをヨーガで克服する に書かれているように、フロイトの師でもあった神経学者シャルコーは、まだ「ヒステリー」と呼ばれていたころの解離を研究していたことで知られています。

現代神経学の父として知られるジャン=マルタン・シャルコー(1825~1893)はヒステリーを研究し、諸症状の中に共通するパターンを確認した。彼は、外傷的な刺激と、“ヒステリー”に見られる症状には明らかな関係があることを証明した。

人はヒステリーになるような傷つきやすさを体質として受け継いで生まれてくることがあるが、それを病気として発症させる〈引き金〉は、トラウマを生ずるような出来事であると、シャルコーは示唆したのである。(p16)

そして、トラウマティック・ストレスにあるとおり、シャルコーは弟子のひとりだったピエール・ジャネに、ヒステリーについて研究するように勧めました。そのジャネこそが「解離」なる言葉を作った人です。(そのころフロイトはシャルコーと袂を分かち、神経学よりも柔軟に心を扱う精神分析へと進んだ)

こうしてシャルコーは2つのことを最初に記述した人となった。ひとつは、これらの患者の非暗示性の問題に関する記述であり、今ひとつは、ヒステリー発作は耐え難い経験の結果としての解離の問題であるという事実の記述である。

シャルコーがジャネに解離の性質とトラウマ性の記憶について研究(Janet,1887,1889,1894)するよう勧めていたころ、シャルコーのほかの二人の弟子、ジル・ド・ラ・トゥーレット(Gilles de la Tourette)とジョーゼス・バビンスキー(Joseph Babinski)がヒステリーの非暗示性についてさらなる研究を進めていた。(p70)

(ちなみにここに出てくるジル・ド・ラ・トゥーレットは「トゥレット症候群」を最初に記述した人。トゥレット症候群は今でこそよく知られているが、歴史に埋もれていたこの病気の概念を、過去の文献を漁って再発掘したのは、ほかならぬオリヴァー・サックスである)

ですから、シャルコーとジャネが、現代の解離の研究の祖といっても差し支えないわけです。そのシャルコーが、パーキンソン病とヒステリー(解離)の類似性を指摘していた、という点が、レナードの朝の中でたびたび述べられています。

1860年から1890年にかけてパリのサルペトリエール病院で多くの慢性神経疾患の患者と接したジャン・シャルコーは、パーキンソンが描いた疾病像をさらに補完した。

臨床像の特徴をきめ細かく観察し、パーキンソン病と鬱病、カタトニー、ヒステリーの間に重要な関係があることを見い出したシャルコーは、パーキンソン病を「神経症」と呼んだ。(p56)

シャルコーはこのように考え、パーキンソン症候群の多彩な「臨床症状」を比較検討し、神経症の症状と類似していることを強調している。

とくに、従順-固執、阻害-抵抗、爆発-凝結という明確に区別できる三組の症状が交互に起こることがあるが、それがカタトニーやヒステリーで見られる三つの病型(順応性、硬直、激昂)と似ていることをはっきりと指摘している。(p61)

また、サックスは、嗜眠性脳炎の患者が、当初「ヒステリー」と診断されていたことも触れています。

最も重篤な嗜眠性脳炎の患者は、最初はさまざまなタイプのノイローゼあるいは精神障害の様相を示したので、他の症状が出現して脳炎後遺症であることが判明するまでは、「機能的な」強迫神経症やヒステリー性神経症などと診断されることが多かった。

興味深いことに、「眼球回転発作」で初発した患者は、最初の数年間は単なるヒステリーによる「機能的」眼球運動異常とみなされたのである。(p73)

前回の第14回では、解離の凍りつきによって眼球運動障害が生じるのではないか、たとえば子ども虐待についての漫画凍りついた瞳のタイトルが示すように、トラウマ症状の一部として目が凍りつくことがあるのではないか、ということを書きましたが、そのことは、サックスの説明からも裏づけられているといえます。ヒステリー(解離)でも「眼球運動異常」が起こるのです。

後で詳しく触れますが、解離(ヒステリー)とパーキンソン病(ないしはパーキンソン症候群)のおもな類似点は、「凍りつき/擬態死」反応です。どちらも身体が硬直したりゾンビのように不動状態になったりします。眼球回転発作などの眼球運動異常はその一部です。

凍りつきに伴う患者の「受動性」もまた類似しており、第一期13回にも指摘したように、自分で内部からスイッチを切り替えるのが難しくなり、外部からの刺激に頼らざるを得なくなります。

その後の研究によって、解離はおもにトラウマ記憶によるもの、パーキンソン病は脳の神経変性によるものと、完全に区分されてしまい、両者は、まったく別々の病気として研究されるようになりました。

これが、今のわたしたちが見ている、解離とパーキンソン病という別個に細分化された概念です。今の医学の概念だけを見ると、両者はまったく無関係に見えますが、歴史をたどれば、両者は非常に近いところにあります。

さらに、おそらくは、解離とパーキンソン病が、道筋をこれほど違えているのは、たぶん、医学の歴史において、「今だけ」となるのではないか、と思います。過去に交わり合っていた両者の研究は、将来において再び交わるのではないか、と思えるからです。

というのも、第11回でも書いたように、最近のトラウマ医学の基盤となっているポリヴェーガル理論では、解離の原因は、腸と脳をつなぐ迷走神経にあることがわかってきています。解離とは、腸で生じる強烈な情動を遮断すべく、迷走神経機能を麻痺させてしまう反応だからです。

それに対し、脳はいかに治癒をもたらすか によると、近年、パーキンソン病の原因もまた、胃腸、および迷走神経にあると考えられるようになっています。

PoNSによる迷走神経の刺激は、パーキンソン病の症状の改善も説明する。パーキンソン病の理解における、神経科学者ハイコ・プラークの画期的な業績によれば、パーキンソン病は胃に起源を持つ可能性がある。

病原体が迷走神経につながる消化管の神経に入り、脳幹、そしてPoNSの刺激の対象になる神経核に至るのである。

この説は、パーキンソン病患者が、かくもさまざまな自立神経系や消化管の障害を引き起こす理由を説明する。これらは大脳基底核にこの疾病を局在化する現行の理論では説明し得ない。(p413)

ここに前回取り上げた、「PoNS」が出てきました。PoNSは迷走神経を電気的に刺激して活性化させる治療装置ですが、交通事故後のトラウマ障害に効いたのと同じように、パーキンソン病にも効きます。どちらも腸-脳をつなぐ迷走神経、および自律神経系やホメオスタシスの座である脳幹の障害を伴っているからです。

同じ点は、数年前のニュースでも読んだので引用しておきます。

パーキンソン病発症のリスクは「腸内」にあり:研究結果|WIRED.jp

デンマークのオーフス大学のエリザベス・スヴェンソン博士は、パーキンソン病の発症リスクに関する新たな研究成果を米国ジャーナル誌「Annals of Neurology」で発表した。

スヴェンソン博士は、この論文のなかで1970〜1995年までに、消化性潰瘍治療の一環として「迷走神経切離術」を受けた患者たち15,000名のデータを解析し、「この手術を受けた患者たちのパーキンソン病発症率が、手術を受けていない人達と比べてかなり低かった」と報告した。

これはつまり、脳と臓器を繋ぐ迷走神経を切断することによって、思いもよらず「パーキンソン病の予防」になっている可能性があるということだ。

迷走神経は脳と内臓をつなぐ重要な神経で、主に胸腹部の内臓を支配する機能としては、副交感神経として働く。この迷走神経がカギになり、腸内から脳内へ病原体が移行し、パーキンソン病の発症に起因している可能性がある。

胃腸から迷走神経系を介して脳幹が障害されるというのは、ヴァン・デア・コークやピーター・ラヴィーンが説明しているトラウマ性解離のメカニズムとまったく同様です。

トラウマの解離の「不動状態」に何度も言及しているラヴィーンが、著書の中で繰り返しサックスの本に触れているのは、偶然ではないはず。(前に書いたように、ラヴィーンは心と身体をつなぐトラウマ・セラピーのp46でサックスが記述した片頭痛発作とトラウマ性凍りつきの類似点を強調し、そのときにレナードの朝にも言及している)

違っているのは、パーキンソン病ではおそらく病原体が迷走神経を介して登ってくるのに対し、トラウマの場合は、耐えがたい情動反応のシグナルが登ってくるということです。

どちらの場合も、結果として起こるのは、迷走神経系のシャットダウン、すなわち凍りつき/擬態死という現象になります。だから、パーキンソン病およびパーキンソン症候群と、トラウマの解離では、原因は違えど、どちらも似たような凍りつき症状や不動状態に悩まされる、ということになります。

どちらも起こっているのは同じ生物学的反応なので、結果的に治療法もまた似通ってくることが予想されます。現に、パーキンソン病と解離では、どちらもドーパミン系の問題を抱え、音楽セラピーやヨーガといった治療が役立つことがわかっています。

特に、レナードの朝に出てくる脳炎後遺症後のパーキンソン症候群の患者たちは、迷走神経の凍りつき/擬態死症状がより強烈で、トラウマの解離に近い幻覚なども伴うので、より多くの共通性があるように思います。そうした点をこの記事で見ていきたいと思います。

(なお、あなたの体は9割が細菌: 微生物の生態系が崩れはじめた では、2000年代に入ってからの研究により、連鎖球菌の感染がきっかけで自己免疫反応が起こり、大脳基底核が攻撃されることが嗜眠性脳炎の原因ではないか、とされているという。

興味深いことに、嗜眠性脳炎だけでなく、トゥレット症候群、パーキンソン病、ADHD、不安障害でも連鎖球菌への感染と、大脳基底核の機能障害との関連性が示されているらしい。p195-196)

パーキンソン症候群の「凍りつき」から学ぶ

まず、サックスが記述したパーキンソン症候群と解離の最大の共通点ともいえる、「凍りつき」症状について。サックスは患者たちの凍りつき症状について、次のように書きます。

エド・Wは「通常の」パーキンソン病患者であり、非常に優れた若者である。彼はよく椅子に座ったまま「凍りつき」「麻痺」して立ち上がることができなくなる。

…パーキンソン症状の多くのもの、とくに「凍りつき」はパーキンソン症候群の「世界」、もっと適切な言葉を使えば、空虚、真空状態あるいは非世界にはまり込んでしまうことによってひき起こされる(「私は空っぽの空間で凍りついてしまいます」とリリアン・Tは『目覚め』のドキュメンタリーで話している)。

そのとき患者の注意は、注意を向けるべき適切な対象を欠いたまま張りついてしまうか、麻痺あるいは恍惚状態となってしまう。(p150-151)

程度の差こそあれ、これとよく似た「凍りつき」は、解離において頻繁に起こることを当事者ならだれもが知っているでしょう。例えばトラウマと身体 のこの記述。

学習困難になりつつあると気がついてセラピーにやってきた大学生は、勉強しようと座ったら、すぐに「ボーッとして」集中できなくなると訴えました。

セラピーで、このパターンを観察すると、長い間静かに座っているときに彼女が体験している身体感覚は、固まってやり過ごす防衛反応に似ていると気がつきました。小さい頃、性的ないたずらをされたときの残骸だったのです。

彼女の感覚と過去のトラウマとの相互関係を理解し、勉強するときにしょっちゅう「動く」ようにすると、彼女の覚醒レベルは耐性領域の中にとどまるようになり、より効果的に学習できるようになりました。(p304)

こうしたトラウマによる凍りつきの場合、わたしがSEセラピーで学んできたように、なんとかして注意を「今ここ」に引き戻す方法を訓練します。引用文中に書かれているように、身体で「動く」こともそうだし、わたしが身につけたような、グラウンディングやアンカリングもそう。

では、サックスのパーキンソン症候群の場合はどうか。レナードの朝を改めて引くと、

その状態は、彼らの注意を現実に戻すことで「治療」できる。ときには、誰かが「ほら! あれを見て!」と声をかけるだけで、なにかに張りついた注意をそらすことができ、患者をその麻痺状態、パーキンソン症候群の空っぽな世界から現実の世界へと連れ戻すことができるのだ。

また、患者本人の努力でそれが可能になることもある。つまり注意がなにかに張りつくことで皮質下中枢が空っぽにならないように、自らの工夫と大脳皮質を駆使するのだ。

そのために必要なのは意識と意志であり(通常は無意識のうちに「自然に」行なわれる行為も、パーキンソン症候群患者の場合は意志の介入がなければできない)、注意をとくに現実的な対象物や感覚、イメージに向けることが重要となる。(p152)

まったく同じです。凍りつきでうつろになった状態を解除するには「彼らの注意を現実に戻すこと」が必要なのであり、身体的な活動を引き出すソマティックな技法や、イメージを駆使したやり方なのです。

実際、脳はいかに治癒をもたらすかには通常にパーキンソン病の場合に、このような凍りつきによって動けない状態を解消するため、フェルデンクライス・メソッドのボディーワークのような考え方でパーキンソン病に対処している男性の例が出てきます。

彼は一歩一歩に注意を集中していれば、普通に歩けるようになった。今日でも「一度に一歩ずつ」などと単に自分に言い聞かせるのではなく、もっとはるかに細かい動作の観察をしている。

後方になった左足の上げ方、膝の曲げ方、つま先の使い方にいちいち気をつけながら、足が十分に体重を支え、右足が地面から離れてまっすぐに伸び、右足のかかとを地面につけ、そのあいだに反対側の腕が振られるよう、そして体全体が前かがみにならないよう注意しているのだ。(p101)

このようなボディーワーク的手法については、最近読んでいたフェルデンクライス・メソッドの本 動きが脳を変える──活力と変化を生みだすニューロ・ムーブメントがとてもわかりやすい。

私の個人レッスンでは、本書にイラストつきで紹介しているような動きを、私が手を添えながら導きます。カティの身体に触れてみると、岩のようにガチガチでした。彼女は職場で二十年近く、性能のよい機械のように同じ動作をくり返してきたといいます。

そこで、彼女の身体にやさしく触れながら、新しい動きを導いていきました。すると、まるで私の手のなかでとろけるように、背中・腕・脚が軽く柔らかく、なめらかに動くようになっていくのがわかりました。このとき、カティは自分の感覚にしっかりと注意を向けていきました。(p52-53)

カティの「岩のようにガチガチ」に凍りついた身体を溶かしたのは、「自分の感覚にしっかりと注意を向け」ることでした。

(フェルデンクライスメソッドやSEのようなボディーワークでは、今この瞬間の動作に注意を向けることで、脳の島皮質や帯状回のような体性感覚や運動をつかさどる領域が活性化され、凍りつきが解けて、なめらかな動きが回復されていく)

受動性―スイッチング障害

凍りつきと密接に関連しているのは「受動性」です。第八回でも書いたように、サックス博士の片頭痛大全 によると、もともと凍りつきに注目したのはダーウィンで、この反応を闘争/逃走反応の「積極的な恐怖」と比較して、凍りつきを「受動的な畏怖」と呼びました。

サックスがその文脈で指摘しているように、凍りつきは、生物の多彩な受動的な危機回避行動の一部です。つまり、人間の場合においても、ストレスに対して「凍りつき」を頻繁に使うタイプの人たちは、受動的な特徴が際立っているということになります。(たとえば、嫌なことがあっても、怒鳴ったり暴力を振るったりする代わりに、怒りを自分の内側に閉じ込めて笑顔を作るといった受動性)

そしてサックスがレナードの朝で何度も書いているように、パーキンソン症候群の特色はその受動性にあります。

彼らは、意識ははっきりしているが、完全に目覚めているわけではない。生気、意欲、食欲、感性、そして欲望をほとんど失って、一日じゅう椅子に腰掛けたまま身じろぎもせず、言葉も発しない。

周囲のことに積極的に注意を向けるでもなく、無関心なまま過ごすだけだ。生きていることを他人に感じさせることも、自分で感じることもない。彼らは幽霊のように実体がなく、ゾンビのように受け身なのである。(p71)

実際に、多くの患者は非常に深刻な運動減少を患い、生ける銅像のようになって、何時間、何日間、何週間、何年間にもわたって動くことなくじっとしている。

こうした患者は、極めて重い脳炎とその後遺症としてのパーキンソン症状が進行した結果、運動機能に障害を来たすだけでなく知覚、思考、食欲、感性などの人間存在のすべての側面が停止するに至るのである。(p72)

パーキンソン病の中心問題は「受動性」と不活発さであり、患者を癒すための鍵となるのは(適切に)「活性化する」ことである。受動性がかかえる本質的な問題は、刺激に対して応答する能力の問題ではなく、自己を刺激して始動させることにとくに難渋することである。(p569)

(このうち最後の記述については、ノーマン・ドイジが脳はいかに治癒をもたらすか の中で、先ほどのボディーワークでパーキンソン病に対処した男性についての文脈で引用している。p107)

一方で、トラウマの解離の場合の受動性については、またもトラウマと身体 の記述を引くことができる。

一方、子どもの頃の性的虐待に苦しむビクトリアは、引きこもり、「ボーッとして」、身体と情動を感じることができないという、長年のパターンを訴えました。

…ビクトリアが発達させてきた行動傾向は、彼女を低覚醒ゾーンに留めていました。すなわち、彼女は自分を「受動的」で行動を起こすのが難しいと説明し、そして「ボーっと」ソファに座って長時間を過ごしていると言いました。(p51)

パーキンソン病(あるいはパーキンソン症候群)の受動性と、解離の受動性の共通点は、どちらも、「自己を刺激して始動させることにとくに難渋すること」「行動を起こすのが難しい」ことにあります。これは、第一期の13回目に書いた、スイッチ切り替えの問題のことを言っています。自分で内側から行動を切り替えることができないことです。

(おそらくこれは、「手続き記憶呼び出しの困難」と言い換えることができる。動作についての手続き記憶そのものは失われていない。外部からの刺激があれば受動的に動き出すことはできる。しかし自分から能動的にそれを呼び出し、活性化させるために必要な、内部からのアクセス権が失われている)

言い換えると、レナードの朝の中でパーキンソン症候群の患者の一人が述べているように「始めたり終わらせたりするのができない」ということ。スイッチング切り替えの障害です。

「先生の目でご覧になれるような平凡な症状はいろいろあります。でも、一番たいへんなのは、なにかを始めたり終わらせたりできないことなんです。無理やりじっとさせられているか、無理やりスピードを速めさせられるかのどちらかなんですよ。その中間の状態は、もう存在しないみたいです」。

この言葉が、パーキンソン症候群の矛盾した症状を見事にまとめている。これまで「平凡な」症状(つまり筋固縮や振戦など。それらは1963年になってようやく現われた)がなかったために、そう診断されることはなく、代わりにさまざまな診断(「カタトニー」や「ヒステリー」)が下されてきた。(p113)

この説明からもわかるように、この「なにかを始めたり終わらせたりできないこと」は「ヒステリー」(解離)と誤診されるほどよく似ています。前に書いたとおり、解離の当事者の、自分では意図しない人格の変化や、過集中また集中困難も、内部からスイッチを切り替えられないのに、外部からは切り替えられることによります。

解離の当事者の「過剰同調性」に示唆されるように、おそらくは幼少期から、我が身を守るため周囲の環境に会わせてカメレオンのように自己を変容させる生存戦略をとってきたがために、外部の環境が変われば受動的に自分の「色」のスイッチが変わってしまい、内部からの働きかけによって能動的に変えることはできなくなっているようです。

(前に片頭痛のところで書いたとおり、文字通りのカメレオンのこうした反応は、生物の受動的な危機回避本能の例のひとつだとサックスは指摘している。そうであれば、ヒトに類似の本能が備わっているとしても不思議ではなかろう)

サックスはレナードの朝の中である患者の受動的な性格について記していますが、次の記述は、説明がなければ解離の当事者のものだと思ってしまうかもしれません。

1964年の記録には、「当然怒りや欲求不満が起きていい場合でも、奇妙なことにそうした感情がみられない」との記述がある。続いて1966年には、併発した病気が重い状態のときも、不安や恐れといった感情を見せなかったと記録されている。

1968年には精神が錯乱して凶暴になった隣のベッドの患者から、言葉の暴力と肉体的な虐待を繰り返し受けた(隣の患者はマグダを侮辱したりののしったりするうえに、ときどき彼女を殴ったりもした)。ところが、このような許しがたい行為に対して、マグダは肉体的な反応も感情的な反応も見せなかった。

ここに詳しく記すまでもない数々の記録から、彼女が異常なほど受動的で、ほとんど神経を昂ぶらせたことがない様子がわかる。その一方で、鬱状態になったり偏執的な傾向があったとも記録されておらず、突拍子もない考えや行動を取った証拠もなかった。

つまり、マグダは親しみやすく、手助けされると感謝の気持ちを持つ女性で、おとなしくて温和な性格だが、おそらくは感情を表に出すことができなかったのだろう。(p156-157)

わたしの性格もこれとよく似ています。だいたい解離の当事者は、こんな感じの「いい人」が多いものです。不平不満を言うくらいなら、自分が耐え忍んで事を荒立てないでおこう、というような自己犠牲的・抑圧的な態度です。

「鬱状態になったり偏執的な傾向があったとも記録されておらず」というのは、こうした人にありがちなことです。鬱(ひどい落ち込み)や偏執的なこだわり(例えば境界性パーソナリティ障害のような)もまた、強い感情の現れなので、自分の強い情動を認識できない失感情症的な人は、そうした起伏すら感じません。(激しいうつ病や境界性パーソナリティ障害は、解離とは真逆のPTSDの徴候であり、凍りつきとは真逆の闘争/逃走反応の表れである)

失感情症と、身体症状への転化

このマグダという患者以外にも、サックスは自分の情動を認識できず殺してしまう失感情症に陥った患者が複数いたことを記述しています。

病気が発症して間もない頃は、無力な怒りや憂鬱な気持ちを募らせたが、その後、あらゆる感情や興味がなくなっていったのだという。

「気分というものがなくなってね。周りのことはなに一つ気にならなくなったのよ。なにに対しても感情が働かなくなって、両親が死んだときだってそうだったわ。

幸せや不幸せがどんなものか忘れていたのね。それが良かったか悪かったか? どっちでもなかったわ。なにもなかったんですもの」(p161)

気分はどうかと尋ねると、無表情のまま決まって「まあまあ」とか「こんなもんさ」と答える。

周囲に積極的な注意はまったく払わなかったが、何が起こっているかは機械的に認識していた。私は彼からなんらかの感情を引き出そうと躍起になったが、いつも失敗した。

とうとう彼自身がこう言った。「私には感情はなにもないよ。内側が死んでしまったんだから」 

この数ヶ月間、アーロンはどこか死んだように見え、幽霊かゾンビのようだった。生きた存在としてのいかなる感情も表さなくなり、車椅子に座った空虚な存在になってしまったのだ。(p347)

失感情症は、解離の当事者によく見られます。アントニオ・ダマシオの研究についてまとめた第7回に書いたように、わたしたちの感情というものは、内臓感覚から生成される情動の上に成り立っています。

たとえばショッキングな出来事に遭遇すると、はらわたがよじれるような内臓感覚が生じます。それにより、全身の身体の動き(手足や表情など)に苦悶の情動が現れます。その内臓の反応は迷走神経を通じて内臓から脳へと伝わり、「悲しみ」や「恐怖」といった感情として認知されます。感情とは、内臓感覚を、脳が解釈した結果です。

ということは、内臓と脳をつなぐ迷走神経機能が麻痺してしまえば、脳は内臓感覚を解釈できなくなります。内臓感覚は、原因不明の身体の反応とみなされ、その結果生成される感情は存在しなくなります。結果、身体はトラウマを記録するでヴァン・デア・コークが書くように、感情が失われる「失感情症」と同時に、原因不明の身体症状が同時に現れることになります。

彼らは情動を、注意を払ってしかるべき信号としてではなく、身体的問題として認識する傾向にある。

腹立たしさや悲しさを感じる代わりに、原因不明の筋肉の痛みや、腸の不調、その他の症状を経験する。(p165)

失感情症の人が訴える「原因不明の症状」とは、本来は感情へと変換されるべき身体の情動なのです。しかし迷走神経機能が麻痺したせいで、情動が感情に変換されず、なんだかわからない身体症状と錯覚されてしまいます。こうして慢性疲労症候群や線維筋痛症のような謎めいた病気が出現します。(いわば感情の生産ラインが途切れて、途中生産物の残骸があふれている状態)

この現象は、以前の精神医学では、「転換症状」だとみなされていました。だから、サックスも、レナードの朝にて、受動的で失感情症ぎみなパーキンソン症候群の患者たちの身体症状を「転化」だとみなしています。

ジェリフェは、数人の知性豊かな脳炎後遺症の成人患者を長期間にわたって入念に調査し、好色で挑発的な情動の仕組みがどんなからくりでノイローゼや精神障害、チック、カタトニー、そしてパーキンソン症状に「転化」されるのか検討した。

すると驚くべきことに、脳炎後遺症患者は激しい感情の起伏をうまく「吸収」して、生理的に表現する能力を備えていることがわかったのである。

彼らの病的ともいえるすばらしい転化能力は、(フロイトの言葉では)「身体的な従順さ」の結果といってもよいし、病気に呪われた結果といってもよいであろう。(p74)

古い考え方によれば、これらは精神症状が、肉体症状に「転化」された現象ですが、それは正しくありません。「転化」や「転換」という概念は、まず感情が先に生じるというデカルト的なトップダウンの概念に基づいています。「我思う故に我あり」であり、まず強い感情が生じ、それを抑圧することによって身体化されるのだと。

事実は真逆であり、まずボトムアップ式に身体的な情動が生まれ、次に感情へと「転化」されます。身体から始まり、心が後に続きます。その「転化」がうまくいかず、情動が感情に変換されないのが、原因不明の身体症状です。

ですから、いわゆる転換性障害の概念は、真逆に解釈する必要があります。原因不明の身体症状は、精神症状が肉体症状に「転化」されてしまった結果ではなく、肉体の情動が感情にちゃんと「転化されなかった」結果なのです。

このことを示すのが、子どもたちは、うつ病などになると、身体症状を訴えるという観察です。子どもはまだ情動を感情にうまく「転化」できないため、大人のように感情面での症状を訴える代わりに、身体にあらわれている情動そのものの異常を訴えることになります。

(このことは、子どもは解離現象を経験しやすいこととも一致している。大人になるにつれ、内臓と脳をつなぐ迷走神経のラインが発達し、身体的な情動が精神的な感情へと変換されるようになるのだ)

そのようなわけで、「異常なほど受動的」なパーキンソン症候群や解離の当事者の場合、感情を生産する工場のラインが途中でとどこおってしまい、身体に現れた情動のエネルギーが、最終的な感情へと変換されて発散されないまま、身体の中で凍りついてしまいます。凍りつきとはすなわち、感情生成のとどこおりまた中断ともいえるわけです。

(このダマシオ的な説明は、従来の医学における「転換性障害」「身体表現性障害」「心因性〇〇」という病名およびそれらの概念が、完全に間違っていることを意味している。以前から慢性疲労症候群の当事者などは、これらの概念に対して違和感を感じていたが、それは正しかったということになる。ガボール・マテが身体に閉じ込められたトラウマの序文で書いているように「からだから始まり、こころが後に続くのだ」。その逆ではない)

意欲が欠けているわけではない―不登校問題

このような受動性を特色とする患者は、レナードの朝でサックスが指摘しているように、「意欲が欠けている」「やる気がない」とみなされることがあります。

身じろぎもせずに何時間でも座り続け、動こうとする意欲がまったくない患者について、シャルコーは記録している。

彼らはなにもしないことに満足し、動作を始めたり続けたりする「意欲」を欠いているように見えるが、誰かに励まされたり指示されたりすれば円滑に動くことができる。

ただし、外部から刺激や命令が与えられない限りは動こうとしないので、このような患者は「無意志」だとみなされるのである。

パーキンソン症候群患者のこうした「消極性」は、疲労感、覇気の欠如、無感性、性欲の欠如、無気力、注意力減退といった心の「不活発さ」と結びついている。

したがって程度の差こそあれ、全ての患者が症状の進行した鬱病患者に見られるのと同じような生気の欠如、活力の低下など精神機能の変質を示す。(p59-60)

自分から能動的に動くことができない、ボーっとして、座ったまま脱力して、凍りついているような患者が、意欲が欠けている、やる気がない、サボっているなどとみなされるのは、悲しいながら、容易に想像できることです。

しかし、これらは意欲が欠けているのではなく、スイッチのオンオフ切り替え障害による受動性の結果です。サックスの受動性の記述を引用していたノーマン・ドイジが脳はいかに治癒をもたらすか で指摘してるように、突き詰めればドーパミンの枯渇と関係しています。

パーキンソン病患者の動機の欠如は、怠惰な性格や無関心や意思の弱さに起因するのではなく、いくら本人が動きたくても、動作を起こす動機づけを司る、ドーパミンを基盤とする脳の神経回路が、特定の動作にエネルギーを付与できなくなるために生じ、それが疲労や倦怠に見えるのである。(p151)

あるいは、サイコパス・インサイドでも説明されているように。

ドーパミン細胞が死滅していると寝椅子から立ち上がることができない。起き上がろうとする意志はあって(前頭前皮質)、その計画を持ち(運動前皮質)、起き上がり、歩き始める信号を送る(運動皮質)のだが、この運動を開始させるために、「それをしなさい」を活性化し、「それをしないように」を不活性化するドーパミンがないからである。(p63)

このようなドーパミン不足による、能動性の欠如が最も誤解を招いているのが不登校問題だとわたしは考えます。不登校問題は、さっきの「転換性障害」や「身体表現性障害」などと並んで、ばかげた精神科医や心理学者、教育カウンセラーなどの妄言が跋扈している分野ですが(厳しい言い方だけれど、これでも言いたりないほど馬鹿げている。不登校問題に関わっているこうした大人は、自らの勉強不足や思い込みのゆえに無力な子どもを痛めつけている、世の中で最も非難されるべき厚顔無恥な大人たちだと思う)、わたしの場合がそうであるように、不登校とは慢性ストレスがもたらした「凍りつき/擬態死」です。

つまり、不登校の子どもは、サックスが描写している脳炎後遺症後のパーキンソン症候群の患者や、さっきの解離の当事者と同じようなたぐいの受動性に閉じ込められているのであり、決して「こころの問題」による意欲の不足などではありえなません。

これは、わたしの憶測や推測ではなく、証明された事実です。疲労と回復の科学に書かれているように、不登校問題を医学的に研究している小児慢性疲労症候群の研究によれば、不登校の子どもは、ドーパミンが不足していることがすでに確かめられているんですから。(もっとも、なぜドーパミンが抑制されているのか、についてはさらに研究の余地がある)

また、CCFS患児においては、学習意欲が低下する傾向がみられるため、筆者には、この脳内メカニズムも調べました。

期待値よりも高い報酬を受け取った場合には脳の線条体とよばれる場所が活性化しましたが、期待値よりも低い報酬を受け取った場合には線条体が活性されにくいことがわかりました。線条体が活性されにくいほど普段の学習により得られる報酬感も弱いこともわかりました。

線条体という脳領域には、ドーパミンと呼ばれる意欲と密接に関係する興奮性の物質が豊富に存在します。期待しているほど報酬が得られない場合に意欲がわきにくい脳内メカニズムとして、慢性疲労によりドーパミン神経の働きが低下することが原因と考えられます。(p93)

しかしながら、この研究は、凍りつき/擬態死のような迷走神経機能の異常を考慮に入れていないものであり、「慢性疲労によりドーパミン神経の働きが低下する」という説明はあまり正しくないように思えます。

まずストレスによる闘争/逃走反応が生じ、ストレスが慢性化すると、闘争/逃走反応が凍りつき/擬態死に移行する。凍りつき/擬態死とは、身体の動きを止めることにより身を守ろうとする反応なので、この時点でドーパミン系が遮断される。(凍りつき/擬態死状態でドーパミンやノルアドレナリンが遮断されることは、ヴァン・デア・コークがサイコロジカル・トラウマ のp79で動物実験に基づき指摘している)

その結果、ノーマン・ドイジが脳はいかに治癒をもたらすか で指摘していたように、「ドーパミンを基盤とする脳の神経回路が、特定の動作にエネルギーを付与できなくなるために…それが疲労や倦怠に見える」のではないか、とわたしは推測します。つまり慢性疲労はドーパミン機能低下の原因ではなく、結果である、ということです。

これは逃避不能ショック環境で繰り返しストレスを受けた動物が、学習性無力感になった状態と同じものです。生理的・生物学的な凍りつきが、まわりから見れば意欲の低下(不登校)のように見え、本人から見れば疲労のように感じられている(慢性疲労)、ということです。

つまりこの病態を「不登校」とみなすのは、周囲の人の主観的なバイアスの産物であり、それと同時に、「慢性疲労症候群」とみなすのもまた当事者の主観的なバイアスの産物であり、どちらの見方も本質を正確にとらえていないのではないでしょうか。

不登校とは何か、小児慢性疲労症候群とは何か、を突き詰めるためには、そうした主観的なバイアスを抜きにした生物学的見地から考慮しなければ(つまり凍りつき/擬態死ととらえなければ)いけないのではないかと思います。

キネジア・パラドクサ

不登校問題をややこしくしている問題のひとつは、当事者たちが、場面によっては突然元気になるかのように見えることです。たとえば、不登校外来ー眠育から不登校病態を理解するの巻末のQ&Aにはこんな応答がある。

Q18 いつもは叩いても起きない状態なのに、遊びに行く日は元気に起きてきます。気持ちの持ち様としか思えません。

A18 脳は情報で動きます。遊びに行く日は非日常としての情報で、日頃の朝起きは日常的な情報によります。好きな人と会うとき、顔も見たくない人と会わなければならないときを想像してみてください。

学校社会で疲労をもたらした日常の嫌な情報と遊びに出かけるなどのワクワクする楽しい情報、日常情報と非日常情報における反応の違いは比較できませんし、当然の反応といえます。

気持ちの持ち様ではどうにも解決できない問題です。非日常の楽しい情報は生きる力を作るもとです。気持ちよく出してあげてください。(p140)

この説明は、意味合いとしては正しいが、科学的用語を欠いているため、説得力に欠けている。ただ単に、第11回で説明したように「条件反射」という言葉を説明するだけでわかりやすさがまるで違うのですが。

トラウマ反応はすべて条件反射であることを考えれば、学校に行く日は条件反射的に凍りつき/擬態死が起こり、そうでない日は比較的そうなりにくいというのはすぐにわかるはずです。

ヴァン・デア・コークが、さきほどのサイコロジカル・トラウマの動物実験の凍りつき/擬態死のところで、「したがってノルアドレナリンの減少は条件反応のようである」と書いていることからもそれは確認できます。(p79)

興味深いのは、サックスがレナードの朝の中で、この不登校の子どもと質的に類似した反応を脳炎後遺症患者がみせると述べている点。

なによりもキネジア・パラドクサつまりパーキンソン症状が突然、(一時的にではあるが)完全に消失する現象である。この現象は最も重症の患者において誰よりも頻繁かつ劇的である。

深刻な障害が突然軽減することはなかなか想像できないが、患者が受ける強いプレッシャーが突然軽くなって一時的に負担から解放されると考えれば、理解しやすいであろう。

シャルコーはこのように考え、パーキンソン症候群の多彩な「臨床症状」を比較検討し、神経症の症状と類似していることを強調している。とくに、従順-固執、阻害-抵抗、爆発-凝結という明確に区別できる三組の症状が交互に起こることがあるが、それがカタトニーやヒステリーで見られる三つの病型(順応性、硬直、激昂)と似ていることをはっきりと指摘している。(p60-61)

この、突然症状が解消されるという「キネジア・パラドクサ」ゆえに、かのシャルコーは、パーキンソン病とヒステリー(解離)との類似性を見出したのでした。

しかしこの症状の消失は、心理的なもの「気持ちの持ちよう」ではなく、サックスが指摘しているように「患者が受ける強いプレッシャーが突然軽くなって一時的に負担から解放される」ことによる現象とみるべきです。

言い換えると、ふだんは強い慢性ストレスのために解離という迷走神経の抑制がかかって機能が麻痺しているのに、そのプレッシャーから解放されるような状況が訪れると、突然抑制が解除され、一時的ながら、正常な活動性が戻るわけです。

サックスはこんな例を挙げます。

俳優、外科医、技術者、有能な工員などが重いパーキンソン病を患うと、休憩時間には振戦を示しても、仕事に熱中しているときや動作を始めようとするときには振戦がまったく見られないことがある。(p63)

筋固縮のために一見すると銅像のように無動の患者が、注意をひかれる事柄に遭遇したとたんに正常の運動をとり戻すことがある(パーキンソン症候群の患者が溺れかけた人を助けたことは有名だが、このとき患者は車椅子から小さな水樽に跳び移って救助した)。

また、こうした状況においては、パーキンソン症状は消失するときと同様に突然劇的に再発する。(p67)

これらの例ほど唐突でも完璧でもないが、より治療に関連するところでは、患者の生気をかきたてるような環境をつくり、患者の非パーキンソン症状を引き出すことで、パーキンソン症状を部分的に長い期間良化させておくことができる。(p69)

これらの例は、大人か子どもかの違いだけで、質的には、さっきの不登校の子どもに見られる「いつもは叩いても起きない状態なのに、遊びに行く日は元気に起きてきます」とまったく同じです。遊びに行くときなのか、それとも好きな「仕事に熱中しているとき」なのか、の違いだけです。

いずれも「注意をひかれる事柄に遭遇した」ときという共通点があります。パーキンソン症候群や解離の当事者、そしてもちろん不登校の子どもも、内部から自分の行動を変えることができないというスイッチングの障害を抱えていますが、外部から注意を引かれたときには劇的にスイッチが切り替わって、ドーパミンの抑制が解除されうる、ということを示唆しています。

やはり、不登校外来のQ&Aに書いてある不登校の子どもの性質の説明のとおりです。

Q2 学校に行けない子どもが、ある日、急に登校をはじめることがあります。不登校が病気ではない証拠ではないでしょうか。

A2 逆に、病的な状態だからこそ回復することもあると考えるほうが理にかなっていると思います。(p135)

はっきり言って、このQ&Aの説明は言葉足らずゆえ、まったく説得力がありませんが、生物学的メカニズムを考えれば、その正しさがわかります。そもそもサックスが書いたレナードの朝の物語は、Lドーパというきっかけ(外部刺激の働きかけ)によって、突然劇的に変容した患者たちの例なんですから。

わたしは不登校外来の著書である三池先生たちを尊敬していますが、なぜこうした重要な点を科学的に説明する努力を放棄しているのかは、まったく理解しがたいことです。わたしが今ここに書いているようなことは、本来当事者ではなく、科学に通じ、権威もある医者や専門家が解明し、説明し、啓発すべき内容であり、わたしのような名もなき当事者がブログに書こうが、まったく世の中には普及しません。

しかし、こうした点は、洞察力のある医師サックスですら脳炎後遺症の実態についてレナードから体験の詳細を説明されるまで理解できなかったように、患者また当事者が自ら口を開かない限りは、おそらく医者の独力では解明しえないものなのかもしれなません。

不登校ないしは小児慢性疲労症候群の研究は、ほんのここ数十年のものなので、子どもにすぎない当事者たちが大人になって、自分のことを語れるようになるには月日が必要でした。現にわたしは、今、大人になったので、自らの体験をこうして調査し説明することができます。

それゆえ、「不登校」とは何なのか、「小児慢性疲労症候群」とは何なのか、という疑問の答えは、医者と大人になった患者がそれぞれの立場から協力しあえるようになった今になって、ようやく解き明かせるものなのかもしれません。サックスがレナードの朝でこう書いているように。

私たちは「客観的な観察者」の立場から降りて、患者と直接向き合い、人間的な共感と想像力をもって彼らと接しなければならない。彼らと協調し、ともに良い人間関係を築いてはじめて、彼らがどんな状況にあるのかを学ぶことができる。

パーキンソン症候群であることとはいかなることなのかを彼らは私たちに語り、示してくれる。そんなことができるのは彼ら患者たちだけなのだ。(p65)

ファンタスマゴリアとカオス理論

パーキンソン症候群、トラウマ障害、不登校問題をめぐるもう一つの誤解をまねきやすい、不可解な点は、症状があまりに多彩で奇怪で複雑なことでしょう。それはもう、考えうる限りのありとあらゆる変な症状が出てきます。

サックスによると、脳炎後遺症の初期の研究者たちは、これを「ファンタスマゴリア」と呼んだらしい。

最初に脳炎後遺症を研究した人たちが、この病気を「ファンタスマゴリア」(症状がめまぐるしく移り変わるという意味)と呼んだのも無理のないことだった(「いかなる症例も、この奇妙な病気が示すような『ファンタスマゴリア』の障害とは比較できない」とマッケンジーは1927年に書いている)。(p35)

症状はあまりに多彩で、法則性がないかのように思える。薬に対する反応もまたあまりにさまざまで安定しない。サックスの患者たちは、Lドーパによって改善した人もいれば破滅に追い込まれた人もいました。それどころか同じ薬を同じ人に投与しているのに、その時々でまったく異なる反応が現れることさえある。

つまり、マーサは五回にわたって投与したL-DOPAとL-DOPA様の薬のすべてに対して、毎回まったく違う反応を見せたのだった。現れた反応が多様であったということから、薬の効果がある意味では予測のつかないものであることは明らかだ。(p320)

これはマーサを見ればよくわかることで、ルリアが本書について最初に手紙をくれたとき、彼はマーサを例に挙げて質問した。「なぜ、L-DOPAの効果は、毎回異なるのでしょうか?」と。1973年には、私はいかなる答えも出すことができなかった。(p507)

(※ルリアとは、「偉大な記憶力の物語」で知られるロシアの神経心理学者A・R・ルリアである。「物語的な科学」という方法論を打ち立て、サックスの歩む道筋を敷いた先駆者だった p45,403,487)

このファンタスマゴリア的性質のために、サックスのレナードの朝の観察記録は不当な非難にさらされ、正確性を欠いていると攻撃されました。

ルリアはその翌月にもこの話題を取り上げ、マーサ・Nが六回のL-DOPAの投与に対してそれぞれ違う反応を見せたことに興味をもったと言った。「毎回違う反応が起きたのはなぜでしょう? なぜ同じ反応が繰り返し現れなかったのでしょうか?」1973年の時点では、私はその質問に答えることができなかった。

ルリアが瞬時にして「目覚め」の中心的な謎の一つ―患者の反応はさまざまで、繰り返されることもなく、予測不能な性質である―に焦点を当て、それに興味を抱いたことは、私には天才のなせる技に思えた。

それに対して、ほとんどの神経科医は、そのことに恐れをなしたり不快に感じたりして、断言したのだ。「そうではない、そうではない」と。(p51-52)

このことはマーサ・Nにみられたとおりで、彼女は六回の投与に対して六回の違った反応を示したのである。

こうした状況から、私は非常に強い不安と無力さを感じた。自分が何か間違ったことをしているのではないか(1970年に「目覚め」についての最初の論文を執筆した後、何人かがそう指摘した)と思い続けた。(p579)

しかしながらサックスが何度も「1973年の時点では」と書いているように、ファンタスマゴリアの謎はやがて解けることになりました。その鍵は、「予測可能性に関する古典的あるいはラプラス的なもの」を捨て、新しい考え方を導入することでした。(p579)

前にも触れたように、数学者ラプラスは、神の概念を否定し、世の中は数学によって予測できると豪語しました(ラプラスの悪魔)。しかし、やがて物理学は線形的ではないとわかり、予測不能性についての学問、すなわち確率論が台頭しました。やがてカオス理論や量子論が登場すると、もはや世界は数学的に予測できる運命論・決定論的なものではなく、確率でしか予測できない不確定なものだとみなされるようになりました。

サックスが注目したのは、このカオス理論でした。

その当時、私は正しい概念を発見するために有用な数学のことを知らなかった。そして重要なことに、当時はそうした適切な概念を把握している人は誰一人いなかったのである。

…新しいカオス理論のことを私が初めて目にしたのは1980年のことで、プリゴジンの著書『存在から発展へ』で展開された物理化学的な文脈での理論を読んだ時だった。

…そうした系の動的ふるまいは、ある臨界点に達すると突然変化するので、「ランダム」か少なくとも不規則にみえる。プリゴジンは「危険な行動」、「正常でない行動」、非分析的で「病的な」機能について、さらに臨界点に達すると「ポアンカレのカタストロフ」が発生することについて述べている。(p581)

カオス理論というと(映画ジュラシックパークでイアン・マルコム博士が語っているような)気象学の「バタフライ効果」が有名ですね。人間の体をひとつの生態系として見た場合、ちょっとした変動が思ってもみないところに波及しうるということ。

カオスの特徴は、「ある臨界点に達すると突然変化する」ことだとサックスは書きます。この性質については、以前ツイッターで話題になっていたこの動画が印象的だったのを覚えています。

サックスは、L-DOPAの投与でみられたような、古典的な医学(ニュートン的なAを投与すればBが起こるのような)では説明できない事象は、こうしたカオス理論の観点から理解すべき現象であることを知りました。

L-DOPAを投与すると、ある時点まで、つまり臨界点までは事はスムーズに運ぶ。だが、まもなく不安定期に入り、やがてその不安定さは増大傾向になって、奇妙な状態が次々に現れるようになる。(p578)

(サックス博士の片頭痛大全によれば、サックスはまた、片頭痛発作の幻覚のパターンもコンピュータで分析した結果、カオス理論にのっとった変動をみせることを研究で解明している)

レナードの朝によると、パーキンソン症候群の場合は、幸運なことに数学好きの患者がいたために、L-DOPAの反応を長期間規則正しく記録協力してもらったところ、カオス系の特徴が観察されたのだとか。

その結果得られたデータの「軌道」をグラフに表示してみると、アトラクター[※正常の「島」のこと]の周りをぐるぐる回る8の字の形になることがわかったのである。グラフで見るように、実際そこにはいかなる単純な線形過程も存在せず、少なくとも三次元の非線形の決定因子を含む、ずっと複雑でカオス的な過程が働いていることがわかる。(p586)

ラプラスやニュートンのような線形的な数学(いつ計算してもA+BはCになる)と違って、確率論に支配されるカオス系の場合、そのときどきで結果が異なる複雑さをみせます。しかし、カオスとは一般に思われているように「無秩序」ではありません。

ちょうど複雑な軌道を描いて定期的に周天する惑星のように、アトラクター(島)のまわりを、長い期間の周期性をもって行き来するという、よりマクロな視点で見た場合における、複雑な規則性を示します。

L-DOPAを継続投与された患者が見せる「カオス」は、一見すると自然の法則から逸脱した暴走ではないかと思えるが、実はさらに深みのある法則を見事に樹立しているのだ。(p591)

こうした長期間の変動や周期性は片頭痛や癲癇のような病気では一般的に見られるもので、その場合、奇妙で謎めいたパターンで起こる。…長期の時間尺度でみた周期性はカオス系の特徴であり、この系がカオス的であることを示唆するのである。(p594)

前に片頭痛の凍りつきについてのところで書いたように、片頭痛、喘息、発熱発作などのトラウマの凍りつきと関連した症状はいずれも周期性を見せます。(わたしが自分の発熱発作から考えていたように、それは大地震の周期に近い)

つまりL-DOPAはパーキンソン病のアトラクターを変換して、鋭い頂と深い谷という位相の地形を作り出すのだと理解できるだろう。…この軌道はしばしば患者を一瞬の間だけ「正常」な状態や無動と対極をなす過動の状態に運ぶ。

しかし患者はパーキンソン病の(力学的用語としての)「原因」となっているアトラクターの強大な「重力の牽引力」によって連れ戻されてしまう。(p590)

重い片頭痛にも、これと類似した健康の島が存在している。また極度の神経症の中にも「健康の島」が認められることが最近になって強調されている(Podvoll,1990)。

こうした埋めこみ、こうした島は、時間的な構造について考え、さらにこうた疾病がどれも動力学的な異常であるとみなすことによってはじめて説明できるようになるであろう。(p594)

カオス的な複雑な症状の特徴は、その場ごとにコロコロと症状が変化し、詐病や怠け病、気の持ちようだと思われやすいことです。人は目の前の線形的な因果関係しかとらえることができず、惑星の運動に似た長周期の法則をとらえることができないからです。

サックスが書いているように、このカオス的な周期性は、パーキンソン症候群だけでなく、片頭痛にも、そして「極度の神経症」にも見られるので、言うまでもなくヒステリー(解離)や発達性トラウマ、また不登校のような複雑な症状にも現れているものでしょう。

前に書いたように、もう数学や科学は、とっくにニュートン力学を超えて、相対性理論、そして量子論へと進んでいるというのに、いまだに医学だけがデカルトやラプラス、ニュートンの時代に取り残され、不毛な議論を繰り返し、複雑な症状を訴える人を詐病だとみなしていることは、まったくナンセンスですし、医療関係者の怠慢だと思います。

Lドーパは魔法の薬ではなかった

サックスはそのような線形的な医学を批判し、たとえばAという病気にBという薬を投与すれば、必ずCという反応が起きるというような、わたしたちの社会にあまりに深く浸透しすぎた「魔法の薬」信奉を繰り返し非難しています。

私たち医師は自分の仕事を合理化し、異化し、偽る。つまり現代医療は、理性的な科学であり、全てが正しく、ナンセンスなど一つもなく、私たちが想像するものそのものだと、自分でも知らない間に偽ってしまっていることがある。

だが、その輝かしいベニヤの天板をたたいて割れば、それは大きく割け、その根本や土台をさらけ出すのだ。その暗い中心となっているのは抽象論であり、神秘主義、魔法、そして神話なのである。

…一縷の望みを抱えて司祭や医師を訪れる人、あるいは患者は、悪化の阻止、救済、再起のためにはあらゆるものを信じる用意ができている。必死で救いを求めている彼らは他人の言うことを信じやすく、いかさま師や狂信者からも被害を受けやすいのである。

…それは(ダンの言葉によれば)「薬局」を「象徴的な神」と間違えることかもしれない。そして、それは薬剤師や医師たちが陥りやすい間違いでもあるのだ。

…そのような神秘的で生命維持に不可欠な神聖な薬が存在するという概念は、…神秘主義や魔法への熱狂ではないかと考えざるを得ないのである。(p96-99)

前にわたしも、今の医学(たとえば全く科学的でない「こころ」という概念を基盤に置いている)は、科学の皮をかぶったオカルトであり哲学だと書きましたが、サックスも同様の意見であることがわかります。

輝かしいベニヤ板を割れば、医学とは、呪術の流れをくむ「神秘主義、魔法、そして神話」であり、薬局は「象徴的な神」であり、「いかさま師や狂信者」がそこらじゅうにはびこっています。

サックスは、さらにこうも書きます。

健康や病気、反応は試験管の中だけで理解されるべきではない。当事者とその感性、性格、世の中での存在(「現存在」)の表現として考慮されて初めて理解され得るのだ。

それにもかかわらず、現代医学はますます私たち当事者の存在を無視し、決まった用法の決まった「刺激剤」に対して寸分たがわぬ反応をするレプリカのように扱うか、あるいは病気と病人との有機的なつながりを無視して、病気を侵入者だ、悪だと決めつけるかのどちらかだ。

また治療という観点から見れば、こうした考え方と相関関係にあるのは、もちろんあらゆる手段を講じて断固病気と戦い、病気の当人については一個だにせず、好きなだけ病気を攻撃すべしという考えである。

ますます医学全体を覆いつつあるこうした考えは、機械的で非人間的であるとともに謎であり、マニ教的な二元論に基づいたものだ。それがはっきりと認識され、公に宣言されていないだけにいっそうたちが悪い。(p393)

医学のやり方は、とりわけ抗生物質の乱用や、外科的な腫瘍の切除に代表されるように、病気を悪また侵入者と決めつけ、敵は排除し根絶しようとする善悪の二元論に基づいています。これは狂信的な宗教によくみられる非現実的な思考パターンです。

この医学の方針の結果として、たとえばマイクロバイオームの種の絶滅が起こり、今までになかったタイプの病気が増加していますが、医学界にそれを改める向きは見られません。

(有名な例としてピロリ菌の除去は胃がんリスクを軽減するが、同時に胃食道逆流症や食道がんリスクを増加させる。ピロリ菌は悪ではなく、メリットとデメリットを併せ持つ共生菌だったが、今のところ主流医学は共存の道を歩もうとはしていない)

サックスが指摘しているように、タチが悪いのは、医療関係者たちの大半が、自分たちは狂信的だと認識していないことです。これはキリスト教の十字軍やイスラム教の聖戦などとまったく同じであり、医学と宗教の境目があいまいであることの証拠のひとつです。

もちろん、L-DOPAが「奇蹟の薬」だと言ってはばからない人々は、この「奇蹟の薬」を正しく投与するための複雑な表や公式や規則を発表する傾向があるが、それはなにも偶然ではない。

こうした神秘主義で機械的な態度は患者を危険に晒すだけでなく、きわめて非科学的であり、自然に対して不適切な態度と言えよう。

それは人間は自然を理解しなければならないという謙虚な気持ちを持つ代わりに、あたかも人間が自然に命令し従わせることができると思うような態度である。(p453)

Lドーパの場合も、他のさまざまな薬物療法と同じく、薬の力によって病気を克服できるという期待、ないしは魔法の薬信仰が広まっていました。だからこそ、Lドーパが魔法の薬ではないことを明るみに出したサックスのレナードの朝は、医療関係者から、また製薬会社から大いに迫害されました。

中には、まるで私が書いたなかになにかしらまったく受け入れがたい箇所があるかのように、敵意をむき出しにした批判とともに激しく拒否する学会機関紙もあった。

このことによって、うすうす感じていた通り、私は彼らの深い神経に触っていたのだということが確かめられた。つまり、私は彼らの医学的不安のみならず、ある種の認識学的な不安、そして怒りを引き出していたのだった。

私は医師が患者に薬を与えつつその効果をコントロールするという、しごく単純に思える事柄に疑いの目を向けただけではなかった。それを当然と受けとめる姿勢そのものを疑ったのである。

私は(おそらく自分でもすべてを認識しないまま)なにかとてつもないこと、通常の思考方法や通常受け入れられている世界像と矛盾するなにかを言外にほのめかしたのであろう。

異常な、恐ろしいほど激しいさまざまな事件がそれに続いた。そのすべてによって、私は極端に不安になり、困惑してしまったのである(「あまりに異常なことなので、私はそれらを熟考することさえできない」―ポアンカレ)(p42)

(この最後のポアンカレの言葉は、カオス理論の概念に対して語られたものである。数学者でさえ、カオスの新しい数学に耐えられず忌避した。アインシュタインも量子論を嫌悪した。この医学界のサックスに対する抵抗は、数学者や科学者がはるか昔に乗り越えた線形敵思考から非線形的思考への転換期が、いまようやく医学に訪れていることを意味する。近年、医学の古い概念は覆され、ボディーワークを含む脳の可塑性を引き出すもっと柔軟な医学が注目されつつある)

サックスは、薬を使って病気を治す、すなわち病気は敵であり、薬は敵を殺す魔法の弾丸であるという医学と製薬会社の癒着の上に立っている教義に疑問をさしはさんだことで、「異端者」として激しい迫害にさらされました。しかしレナードの朝の時代から半世紀近く経った今では、サックスに追随する新しい世代の医者たちも現れています。

その一人がヴァン・デア・コークであり、彼は身体はトラウマを記録するの中でトラウマに対する薬物療法についてこう書いていました。

私はPTSDのための薬の研究を非常に多く行なったあと、精神科の薬には重大な欠点があることに気づくに至った。こうした薬は、根底にある肝心な問題への対処から注意を逸らしかねないのだ。

精神的な問題を脳の疾患と捉える脳疾患モデルは、人々の運命の主導権を本人の手から奪い去り、彼らの問題の解決を医師と保険会社に委ねる。(p69)

だが、薬はトラウマを「治す」ことはできない。乱れた生理機能の表れを抑えることができるだけだ。また、自己調節を可能にする効果が永続するような教訓を与えてはくれない。

感情と行動を制御するのを助けることはできるが、それには常に代償が伴う―なぜなら薬は、関与、モチベーション、痛み、喜びを調節する化学システムを抑え込むことによって作用するからだ。(p368)

サックスがパーキンソン症候群の治療においてLドーパに関して見出した結論と、ヴァン・デア・コークがトラウマ障害の治療において至った結論はまったく同じものです。

両者はともに、カオス的な複雑な症状を抱えているがゆえに、薬によって単一の治療効果を求めることはできず、むしろ本人が自己コントロールできるような能力を養っていかねばならないからです。

サックスは「魔法の薬」信仰に代わる医学のあり方について、レナードの朝でこう書きます。

このような医学は革新的である。なぜならそれは生理学的な医学であり、体の機能と繊細かつ直接な結びつく、受け身ではない積極的な医学であるからだ。

そこでは患者はもはや受動的に治療を受けるのではなく、自分自身を治癒する薬となる。それが根本的で合理的な医学であるのは、患者一人一人が学び、回復するために役立てることのできる普遍的な治癒方法だからだ。

それは積極的で協調性をもった生理学的な医学、患者と医師が学び合い、教え合い、話し合い、理解し合うことができる医学だ。(p478-479)

サックスが意図していたこのような医学は、ノーマン・ドイジが脳はいかに治癒をもたらすかで書いているように、近年の神経可塑性を考慮に入れた、動きによって脳を組み替えていくボディーワーク的医学によって現実のものとなっています。

[現代の医学では] 患者の身体は味方ではなく戦場として、また患者は、医師と疾病という二つの強力な陣営のあいだで交わされる戦いによって自らの運命が決まるのを、手をこまねいて見ている受動的で無力な傍観者として扱われている。

…それに対して神経可塑的なアプローチは、心、身体、脳のすべてを動員しながら、患者自身が積極的に治療に携わることを要請する。

このアプローチは、東洋医学のみならず西洋医学の遺産でもある。科学的な医学の父ヒポクラテスは、身体を重要なヒーラーと見なし、医師と患者が協力し合いながら、自然の力を借りて、身体が治癒能力を発揮できるよう導くことを重んじた。(p21)

サックスは半世紀も前から、魔法の薬への信仰に変わる、患者一人一人が自己の身体のコントロールを目指す動きのある医学を想定していました。

(これはいわゆる「代替療法」のことではない。漢方薬やサプリメントやマッサージや鍼治療は、患者が受け身であるという点で、魔法の薬信仰と何ら変わらない。マイクロバイオームに関連して研究されている糞便移植などもそうである。サックスが想定していた新しい医学とは、自分で自分の身体を意識して、自然に動くためのオリジナルな方法を見つけ、自らの凍りついた習慣的な身体機能を変化させていくボディーワーク的な手法だった)

レナードの朝によると、サックスが意図していたのはまた、生きた人間を扱う医学でした。現在の機械的に患者を扱う非人間的なオートメーションから脱し、患者と協力しあって、一人ひとりにあったコントロール方法を模索してくことを目指していました。

私たちの目に始めから終わりまではっきりと映り続けるのは、機械的な医学そして機械的に世の中を推し量ることがいかに不適切であるかということだ。

患者たちは機械的な医学が正しくないことの生きた証であるとともに、生物学的な考え方の生きた手本である。

…患者たちは、これまで私たちが機械的な技術を発展させすぎたこと、反対に生物学的な知識や洞察力、直観を欠いてきたことを思い出させてくれる。

それこそ、私たちが最初に取り戻さなければならないものであり、医学のみならずあらゆる科学において必要なことである。(p465-466)

そのためには、まず、医者が患者とまともなコミュニケーションをとるという、まったくごく普通のことからして必要でした。病院で医者にかかった人ならだれでも知っているとおり、現代の医者たちのほとんどは、コミュニケーション障害の診断を下されても不思議でないくらい、人とまともに関わる能力に欠けています。

(おそらくは以前も書いたとおり、場-独立型の、そもそもコミュニケーションに欠ける人間が医者になりやすいというシステム上の欠陥があると思われる)

彼らは患者の言葉に耳を傾けず、患者の個性を無視した治療を行ない、―それに加えて―習慣から、あるいは患者からの隔たりと優越感という釈明のできない職業的な感覚から―実際には患者との間に築くべき本物のコミュニケーションの妨げになりかねないような方法で患者と接したり、患者の理解できないような言葉を使いがちだったりする。

そこで、患者は学校の教室や法廷で行なわれるような厳しい尋問と検査の対象となってしまう。…このように接していては、医師が患者から何か新しいことを学ぶ可能性は閉ざされ、患者の置かれた状況がどのようなものか思い描く可能性が奪われてしまう。(p400)

医師は患者を非人間的な対象物として見るのでも、患者を主観的に見て自己を投影するのでもなく、共感を持って患者とともに前進し、自分の経験や感情、考え、その言動を形づくる内なる概念を共有しなければならない。

医師は患者がどう感じているかを、自己の感性を保ちつつ感じる(あるいは想像する)必要がある。医師は参考にすべき二つの生を同時に生き、患者にも同様のことを可能らさせるべきなのだ。(p401)

このようなことができる医者がどれほどいるでしょうか? けれども、そうした医者でなければ、カオス的な複雑な症状を抱える患者を決して治すことはできない。だからこそ、今、そうした症状を抱える患者は、難民のように放り出され、行き場をなくしてしまっています。まともにコミュニケーションをとって患者と二人三脚で歩めるまっとうな医者がめったにいないからです。

患者についての記述が不足しているわけではない。医学論文、記事、報告、論説、会議の議事録等は、コチアスが1967年2月の発表した先駆的な論文以来、あふれるように発表されている。また熱狂的な(そしてしばしば悪辣な)広告や新聞広告なども出回っている。

ただし、そこには非常に根本的な何かが欠けているのだ。神経学で圧倒的主流の、自らの主義を持たない「客観主義」の言葉が並べられた紙の山、図書館がいくつも建ちそうな紙の山について考えてみよう。

それは「事実」、数値、リスト、スケジュール、倉庫管理、計算、レート、引用、インデックス、統計、公式、グラフ、その他のありとあらゆるものでいっぱいだ。

なにもかも、トーマス・グラドグラインドが小躍りしそうなやり方で「計算され、合計され、バランスがとられ、証明され」人が色や現実感、暖かさを感じることのできる箇所は一つたれともない。

…そこにはオートメーション化された工場のような医療の最悪の例しかないのだ。人間的なもの、生きているものはことごとくたたき壊されて粉々にされ、自動化され、量子化され、さもなければ「処理」することで存在を否定されてしまうのだ(p394-395)

「副作用」という概念の問題点

サックスが、「魔法の薬」信仰の誤りに気づいたのは、ほかでもない、鳴り物入りで現れた奇蹟の薬たるLドーパの問題点ゆえでした。

L-DOPAを投与したどの患者にも、ある期間は一点の曇りもないすばらしい健康がよみがえる。だが、遅かれ早かれ、どのような形であれ、ほとんどの患者に問題が起こる。

何ヶ月感、何年間も良好な反応を続けた後で、軽い問題が起こる患者もいれば、何日間かは―一生の長さに比べればほんの一瞬―良好だが、すぐに重い苦痛の中に沈んでしまう患者もいる。(p420)

現在ではパーキンソン病の治療に関連して広く知られていることですが、Lドーパの劇的な効果は長続きしません。最初は非常によく効きますが、しだいに耐性が生じてオンオフ状態がきつくなるという副作用が生じます。そのため、ドーパミンアゴニストのような、より副作用の少ない薬が開発されてきました。

しかし、サックスは、そうした薬の効果は認めつつも、この「副作用」という概念に異議を唱えています。

L-DOPAの投与後に起こるこうした問題をひっくるめて「副作用」と分類してしまうやり方は、世界中に広がっている。そして「副作用」と聞けば人はただちにひき下がるし、安心もするのだ。ときには、便利な言葉だということで大した意味もなく使われたりもする。

コチアスの先例や、広く医療現場で受け入れられた慣習に従えば、期待される良好な効果とは明らかに異なる反応が出た場合にその異なる反応を指す言葉として使われる。もし望むなら取り除くことも可能な反応と考えてのことであろう。

こうした思い込みほど快適なものはないが、これほど冷静な問い直しを必要とする問題もめったにない。むしろ鋭い患者の方が、治療に当たる医師よりもそのことに気づいているのである。

私としては「副作用」という用語に異議を唱えたい。私は実際面、疾病と理解の面、さらに哲学的な側面という三つの理由から、この用語を使うべきではないと考えている。(p421)

たしかに「副作用」という言葉を聞くと、正常な作用とは別に、意に反して、たまたま不幸にも望まざる副作用が生じている、という印象を受けます。副作用とは正常な作用にたまたま伴った副産物であり、やりようによっては取り除くこともできるのだと。

サックスはそうした考え方について、『実際に起こっている複雑な本質を全体として見据えることをしないで「副作用」を切り落とそうというむなしい作業』だと述べています。(p422)

というのも、そもそも、正常な作用と副作用などというものは、人間が、特に製薬会社が勝手に意図して切り分けたものにすぎないからです。ある薬を飲んだときの反応すべてが、その人の身体の反応全体であり、どれか正常な作用で、どれが副作用かという区切りなど、本来は存在しません。サックスは、「むしろ鋭い患者の方が、治療に当たる医師よりもそのことに気づいている」と述べていました。

そんな患者の一人が、現在はマウント・カーメル病院にいるリリアン・Wである。彼女が以前、ニューヨークの大きな神経科の病院に九回目の入院をしたとき、その理由を「副作用(彼女の場合は頭部の激しい横揺れ)の治療」のためだと説明した担当医に、リリアンは応えた。

「それは私の頭の動きなんですよ。この頭そのものが『副作用』でない限り、『副作用』はありません。まさか私の頭を切り落とすつもりじゃないでしょうね?」(p443-444)

薬の作用を全体として見ず、望ましい作用だけを受け入れ、望ましくない作用を副作用だと述べるのは、都合のいい印象操作です。それはたとえば、合格祈願をして受験に受かった人には「神様のおかげですよ」と言い、同じように祈願しても受からなかった人には「不徳のために祈りが聞かれなかったのです」などと言うようなものであり、後付けの都合のいい説明です。魔法の薬に対する信仰心を深めるために、祈りが聞かれた場合を効用、聞かれなかった場合を副作用と名付けている。

本来であれば、副作用もまたその人の身体の反応また声であり、重要なメッセージを伝えているので、単純に副作用をそぎ落とせばいいというわけではないはずです。(たとえば、以前に書いたように、わたしの場合、薬が効いたことよりも、効かなかったことのほうが、自分の病気の正体を知るのに役立った) 

薬も食べ物の一種だと思えば、さまざまな反応が出るのは当たり前であり、良い効果しか及ぼさない魔法の薬を追い求めることは、幻想でしかありません。でも、そんな幻想を医学界は大真面目に追い求めていて、ほとんどの人はそれに疑いを抱くことさえない。

ちなみに、ここで言われているのはLドーパの話ですが、他の多くの薬にも当てはまります。とくにわたしに関係があるのは、以下の文章です。

アンフェタミンも無動状態をわずかながら軽減させるが、大量の投与が必要で、そのために厳しい「副作用」を伴った。(p95)

このような危険やジレンマはL-DOPAの投与に限ったものではない。…L-DOPAに最も似ているのは、おそらく睡眠発作による強い眠りやだるさの治療に使われる刺激剤(アンフェタミン)であろう。

…こうした患者はアンフェタミンの投与によってはっきりと目覚め、数日から数週間は正常な生活に戻ることができる。だが、L-DOPAの場合と同様、遅かれ早かれ効果が薄れて、悪質の神経症などの「副作用」が起き、再び眠りこむ時間が長くなる。

アンフェタミン、コカイン、そして「神経衰弱症」や神経性鬱の治療に使われる他の興奮剤でも同様の結果となる。(p447)

ここで言われているアンフェタミンは、わたしが過去に飲んでいた中枢神経刺激薬、つまりADHDの治療に使われるメチルフェニデート(リタリン、コンサータ)と同類の薬です。Lドーパ、アマンタジン(抗ウイルス薬)、アンフェタミン、さらにはDNRIなどは、いずれもドーパミンを増加させるという点で、効果の程度の差はあるとはいえ、似たようなタイプの薬です。

そしてサックスの言うように、わたしはメチルフェニデートを実際に服用していて、Lドーパの場合と似たような「副作用」に直面しました。サックスの言葉をもう一度引用すると、

L-DOPAを投与したどの患者にも、ある期間は一点の曇りもないすばらしい健康がよみがえる。だが、遅かれ早かれ、どのような形であれ、ほとんどの患者に問題が起こる。

何ヶ月感、何年間も良好な反応を続けた後で、軽い問題が起こる患者もいれば、何日間かは―一生の長さに比べればほんの一瞬―良好だが、すぐに重い苦痛の中に沈んでしまう患者もいる。(p420)

と同じように、

こうした患者はアンフェタミンの投与によってはっきりと目覚め、数日から数週間は正常な生活に戻ることができる。

だが、L-DOPAの場合と同様、遅かれ早かれ効果が薄れて、悪質の神経症などの「副作用」が起き、再び眠りこむ時間が長くなる。(p447)

という状態になります。わたしの場合も、コンサータを服用しはじめてしばらくは、非常に元気になって、とても快適だったのが、月日が経つにつれ身体への負担が強くなり、逆に凍りつき症状が悪化しました。(コンサータは徐放剤なので、こうした問題は軽減されているはずですが、わたしの場合はだめでした)

おそらくこれは、曝露療法によるトラウマ症状の悪化と同じメカニズムだと思います。曝露療法でトラウマ記憶に患者をさらし、いきなり過覚醒にすると、限界を超えてしまった反動で低覚醒に反転してしまうように、いきなり興奮剤によって元気にすると、生体が覚醒度の高さに耐えられなくなり、反転してシャットダウンを起こす。

わたしにとってのコンサータの使用感は、サックスの次の説明が、恐ろしいほどぴったり当てはまるものでした。

いわば、正当な方法ではもはや得られないものを、違法な方法で得ようとしているのだ。

簡単な比喩を使って説明しよう。患者はもはや「食いぶちを稼ぐ」ことができず、財産や貯蓄を食いつぶしていく。そこで、時間や資金をますますローンに頼るようになり、それによって―患者の外見はそのままだが―さらに財産や経済力を失い続けているのに、返済の期日は迫ってくる。

つまり、患者は薬によって束の間の「景気の良さ」を享受するが、遅かれ早かれ「崩壊」の時がやって来るのだ。(p429)

コンサータを飲むと一時的に元気になります。しかしその後で必ず反動がくるので、休薬日を設ける必要があります。徐放型なのでリタリンよりはゆるやかですが、明らかにオンオフはありました。最初はそれでうまく行っていましたが、やがて薬を飲んでも凍りつきが悪化するような日が現れはじめ、休薬日を作っても体力回復が追いつかなくなっていきました。

結局、発達性トラウマ障害についての子どものPTSD 診断と治療の説明のとおりでした。

薬物療法を行う際、ADHDに使用される中枢神経薬は時としてトラウマ障害の症状増悪をもたらす可能性も示唆されている。ドパミンを上昇させるメチルフェニデートではなく、むしろニューロトランスミッターを抑制するクロニジンのほうが望ましいとされている。(118)

そのため、薬に頼らない方法を模索せざるをえなくなり、例えば自然界の中やPoNSのような手段で、リタリンと同等の効果が得られるとする研究に注目しました。

サックスが書いているように、この変動はかなり普遍的な反応であり、わたしの例が特殊ではないと思います。しかし、コンサータの使用のときに、そうした先例を調べてもまったく見つからず、ときどき「副作用」はあるものの「安全」であるという資料がほとんどでした。

ヴァン・デア・コークが身体はトラウマを記録するで書いているように、製薬会社の意向に反する情報は、このインターネット社会であってもほとんど黙殺されてしまうのでしょう。

過去10年間に、アメリカで最も権威のある医学専門誌「ニューイングランド・ジャーナル・オヴ・メディシン」の2人の編集長、マーシャ・エンジェル医師とアーノルド・レルマン医師が辞任している。医学研究や病院、医師に対して製薬業界があまりに強大に力を持っているからだ。

2004年12月28日に「ニューヨーク・タイムズ」紙に寄せた書簡で、エンジェルとレルマンは、前年、ある製薬会社が収益の28パーセント(60億ドル超)をマーケティングと経営に費やす一方、研究と開発にはその半分しか回さなかったこと、3割を純利益として取っておくのが製薬業界では典型的であることを指摘した。

2人はこう結論している。「医療従事者は、製薬業界への依存を断ち切り、自らを教育しなければならない」。あいにくこれは、政治家が選挙運動の資金を出してくれる献金者と縁を切るのと同じくらい、ありそうもない。(p671-672)

サックスが書いている、Lドーパに対する生体の反応、そして、それがアンフェタミンなどの精神刺激薬でも同様に起こるという指摘だけが、わたしの服用した薬について真実を語っていました。薬物療法の不都合な真実を率直に明らかにしたサックスの著書が、当初、医学界から強烈にパッシングされたのもうなずけます。

レナードの朝がのちに医学界に受け入れられたのは、論文としてまったく相手にされなかった後、一般書として発行され、先に大衆に受け入れらてしまったがために仕方なく、でした。

中へ入ったように外へ出てくる

サックスが観察したLドーパの効果のうち、特に興味深いのは、突然の爆発的な「目覚め」です。レナードの朝によると、患者たちは数十年間にわたり、「凍りつき」「麻痺」の不動状態に閉じ込められていましたが、Lドーパを投与されてドーパミンが補充されると、突如として猛烈な興奮状態で「目覚め」ました。それはあたかも、時間を超えてタイムスリップしたかのようでした。

1969年にL-DOPAを投与されて実際に「目覚め」たとき、ローズは極度に興奮し活発だったが、ある点においてはひどく風変わりでもあった。

彼女はガーシュインやその時代の人々について、まるで彼らがまだ生きているかのように語るのだった。あるいは20年代半ばの出来事について、それらがたった今起こったかのように。(p188)

この、止まっていた時間が突然動き出す、というのは、以前にもサックス博士の片頭痛大全 から考察したときに詳しく書きましたが、「凍りつき/擬態死」反応の特徴です。

ピーター・ラヴィーンが心と身体をつなぐトラウマ・セラピーで書いているように、「凍りつき」反応とは、「闘争/逃走反応」を一時停止、中断し、動員したエネルギーを身体の内部に保留し、閉じ込めておく能力だからです。凍りつき/擬態死に陥った人(動物)は、あたかも死んだようになりますが、それはエネルギーを隔離しているだけであり、凍りつきが解除されないと、行き場をなくしたエネルギーは様々な病気という形で噴出するのだと。

サックスは、レナードの朝で続けて、何十年も凍りつき状態にあった患者についてこう書いています。

私がいろいろと質問すると、彼女は驚くような返事をしたのである。「…今が1969年だってことも、私が64歳だってことも知ってはいるけれど、本当はまだ1926年で、自分は21歳なんじゃないかと感じるの。なにしろこの43年間、私はただの傍観者だったんですもの」

(他にも、行動や外見が実際の年齢よりずっと若く見える患者は数多くいた。まるで精神的、肉体的な動きが止まったのと同時に、彼らの人間的な成長も止まってしまったかのようだった)。(p188)

この「傍観者だった」という部分については、以前にも書きましたが、凍りつき(つまり解離)の本質のひとつです。危機的状況に直面して凍りついた人は、まるで傍観者のように自分を眺めます。体外離脱というかたちで文字通り第三者視点から傷つけられる自分を見下ろすこともあれば、失感情症や離人症というかたちで、ひどく客観的になって、生きている実感が失われてしまうこともある。

サックス自身、左足をとりもどすまでで雄牛に襲われて命からがら生き延びたときに、この種の解離を経験したことを書いています。

こんな急な変化はとうていすぐに理解できるわけがない。説明をもとめておろおろするばかりだった。他人がそのような状態でいるのを見たことはあった。突然の怪我で障害を持つようになった患者たちだ。しかし今度は私の番だ。まずはこう考えた。事故がおきて、知り合いのだれかが重傷をおったらしい。やがてそれは自分自身だと気づく。同時にたいしたことはないと思う。

…「では先生」私はひとりごとを言っていた。「足を調べてください」ちょうど外科医が「症例」を検討するように、きわめて専門的にそっけなく、足をもちあげてしらべてみた。…「ですから、みなさん」……所見をまとめてこう結んだ。……「興味深い症例ではありませんか!」

…満足そうな笑みを浮かべ、私は架空の聴衆のほうをむいた。ひとしきり拍手を待つつもりだったのだろう。しかし、冷静さをよそおった医者の仮面は突然もろくもくずれさった。興味深い症例とは、ほかならぬこの私なのだ。おそろしいことに、怪我をして死にかけているのはこの私ではないか。(p21-23)

ヴァン・デア・コークも、身体はトラウマを記録するの中で暴漢に襲われたときに、ピーター・ラヴィーンも身体に閉じ込められたトラウマで事故に遭ったときに、やはり解離を起こして第三者視点に切り替わり、傍観者のように感じた経験を書いています。

あまりに耐え難い主観的経験に面すると、人は背側迷走神経の凍りつきのブレーキの作用で情動がシャットアウトされ、傍観者のようになってしまいます。よって、凍りつき反応と、傍観者視点はセットです。

また、サックスは、レナードの朝の中でさらに、凍りついている状態では時間の経過を感じないとも述べます。凍りつきとはあたかも存在のスイッチが突然切られるような体験です。

静止している間、ヘスターは「時間の経過」を感じなかった。そんなとき、彼女は(もし逆説的な論理や言葉の意味づけが許されるなら)動きも存在も時間も失ってしまう……。

初めは突拍子もないように思われたこうした考え方によってのみ、ヘスターが何年間も無動だった後で、正常な運動能力を回復したことの説明ができる。

それとは反対に、「存在論的に正常な」人が一定期間その運動パターンを失うか「忘れる」かすると、それを思い出すか学び直すためにはきわめて長い時間が必要になるだろう。

ところがヘスターの場合は、存在の流れのスイッチが突然「切られ」たり「入れられ」たりしたので、その間にいかなる運動パターンも失われず、学び直す必要もない。なぜならヘスターにとっては時間は経過していないからである。(p227)

これは、トラウマの解離の場合ももちろん同じです。さっきのスイッチングのところで書いたように、解離を起こすと、自分の意に反して、存在のスイッチが入れられたり切られたりするようになります。

(単純な例としては失神して文字通りスイッチが切られること、もう少し複雑な例としては意識的な自己のスイッチが切られる解離性健忘や解離性遁走、最も複雑な例としては、スイッチが切れている間 別のだれかが表に出てくる解離性同一性障害がある)

トラウマをヨーガで克服する に書かれているように、時間が止まってしまうことは解離の特徴のひとつであり、完全に凍りついている人は時間の流れを経験できなくなってしまいます。

解離もまた、その人の“時間を無駄にさせてしまう”が、それは本人には自覚がないままに時が過ぎ去る現象である。

ヴァン・デア・コークは、「時間の〈外〉に住み、繰り返しトラウマの再現の中にはまり込んで、決して終わることがないように感じられる」地点にまで至るトラウマ・サバイバーに、しばしば言及している。(P90)

だからこそ、Lドーパのような薬で、突然凍りつきを溶かされると、一時停止が解除され、凍りつく直前の動きを再生しはじめます。それが爆発的な目覚めであり、中断されていた闘争/逃走反応の再生ボタンが押された状態です。

ラヴィーンが身体に閉じ込められたトラウマで書いていたように、凍りついた人は「入ったときのように、戻ってくる」のです。(p77)

レナードの朝でも、この「(ずっと昔に)入ったときのように(Lドーパ投与後に)戻ってくる」性質が、タイムマシンにたとえられています。

この意味で、L-DOPAはある種の奇妙で個性的なタイムマシンとなり、患者の一人一人の過去の時間と可能性のある時間、つまり患者自身の過去と可能性とを、じかに触れることができる「現在」に運びこむのである。

…ローズ・Rが目覚めたのは彼女の1926年であり、誰か他人の1926年ではない。フランシス・Dに復活したのは彼女の遠い昔の特異な呼吸器体質であり、誰か他人の特異体質ではない。ミリアム・Hが発作の間に、(幻覚によって)思い出したのは彼女の過去の「出来事」であり、誰か他人の過去に起こった出来事ではない。マグダ・Bが幻覚で見たのは彼女の夫、その存在、その不在、彼女への不貞であり、誰か他人の夫ではない。(p435-436)

しかし、サックスの患者たちがそうだったように、突然目覚めたこのような人たちは、爆発的な「再生」には耐えられず、再びシャットダウンしてしまいます。

トラウマ治療と称されている曝露療法もまた、このように凍りついていたものを突然再生する方法なので、より重いシャットダウンへと悪化させやすいとラヴィーンは述べています。ラヴィーンはその代わりに、少しずつ、ちょっとずつ再生することが重要だと考えました。それがSEのタイトレーション(滴定)の考え方です。

興味深いことに、サックスもまた、Lドーパの投与に当たっては、『「バランスをとる」あるいは「滴定する」』ことの重要さについて書いています。(p123)

耐性領域の中間状態がなくなる

Lドーパと凍りつきに関するサックスの記述は、いずれもトラウマ障害の観点から興味深いものばかりですが、そのなかで特に考えさせられるのは、「中間状態」がなくなっていくという指摘です。

「(制御可能な)中間状態」は限りなく少なくなっていく。つまり、一度このような振動また反響が始まると、患者が「正常」を保っていられる幅をますます狭くなり、「中間」状態が消えていくのである。

こうした状態に陥った私の患者のほとんど全員が、そのときの気持ちを、綱渡り用の綱に譬えて説明している。それは適切な譬えだった。なぜなら彼らは病気という奈落の上に張られた綱を歩いているようなものだからだ。あるいは、過剰と過剰の狭間で消えつつある平衡点を探しているのだとも言えるだろう。(p432)

そのような彼を見ていると、残っているのはごく細い一筋の「健康」(あるいは「潜在的な正常さ」)でしかないように思える。それはごく細い渡り綱で、両側に広がるのは病理という奈落、意識の混濁と狂乱の奈落なのだ。

良好で確かな反応を見せた後に「中間状態」を失ってしまった患者のほとんど皆から、私はこうした印象を受けた。

…もともとの良好な反応が極端なものになってしまった患者の脳には、三つの特徴が見られた。

それは第一に薬が中断されているときには脳が不活発であること、第二に薬によって過度に覚醒した状態では脳が興奮し、痙攣性の働きをすること、そして第三にその二つの異常な状態の間のわずかな部分で、比較的正常な働きをすることである。

このことは、アマンタジンを投与したときのレナードに驚くほどはっきりと現れていた。(p520-521)

この『「(制御可能な)中間状態」』という概念は、言葉は少し違えど、トラウマ治療における「耐性領域」の概念とまったく同じものです。

トラウマ治療においては、ヴァン・デア・コークが身体はトラウマを記録するで説明しているように、過覚醒と低覚醒の中間にある「耐性領域」という適度な覚醒状態が存在しています。トラウマ当事者は、この耐性領域が非常にせまくなっているので、SEなどのセラピーは少しでも耐性領域を広げ、できるだけ長く耐性領域にとどまれるように、自己コントロールのスキルを訓練します。

私たちは、何かのきっかけで過覚醒や低覚醒の状態になるときには、「耐性領域」(最適なかたちで機能できる範囲)の外に押しやられている。

過覚醒の場合には、私たちは反応しやすくなり、混乱に陥る。フィルターが働かなくなるので、音や光に悩まされ、望みもしない過去の光景が心に侵入し、パニックになったり逆上したりする。

低覚醒の状態で機能停止に陥ると、心も身体も麻痺しているように感じ、頭の働きが鈍り、椅子から立ち上がることも難しくなる。(p336)

トラウマの凍りつきに陥った人は、この耐性領域にとどまりにくくなる問題を抱えますが、嗜眠性脳炎によって凍りついた人も同様であり、とくにLドーパ投与後に凍りつきが悪化すると、耐性領域(中間状態)がひどく狭くなり、耐性領域にとどまることは綱渡りのようになってしまいます。

このとき、患者はどんどん過敏になったいき、ごく少量の薬でも反応するようになっていくと、レナードの朝には書かれています。

その後例外なく「複雑な問題」が起こるのである。そこには次のようなパターンがみられる。

第一に、患者はL-DOPAの効果に対してますます「敏感」になり、ときには極端に過敏になる(レナードは際しをは1日に5000ミリグラムの投与を受けていたが、後にはその100分の1の量に反応した)。

第二に、L-DOPAへの反応に質的な変化が生じる。つまり最初は単純だった反応が、ますます複雑で多様化し、不安定で矛盾したもの…予測不能な激しさをもった多様な反応が起こることがある(p446)

これは、わたしがコンサータを飲んでいたときに経験したことであり、最初は通常の使用量でよかったのが、しだいに通常の使用量では苦しくて耐えられなくなり、最低量でも許容できなくなり、コンサータより弱いタイプのモディオダールや、DNRIのウェルブトリンでなければ使えなくなっていきました。(レナードも同様にLドーパでは耐えられなくなり、より弱いアマンタジンを使うようになったが、それでも耐えられなかった)

サックスは、このような現象が起こる理由として、イワン・パブロフの、次のような研究を引き合いに出しています。

パブロフは「超最大限」のストレスを実験動物に与えるといつも類似した反応が起こることを報告した。実験では、しばにくすると動物の反応が減少もしくは逆転し、「矛盾」あるいは「超矛盾」した局相を見せる。

パブロフは、このようなケースでは「超最大限の興奮が起きると、限界を超える手前で抑制が働く」が、そのような抑制は防護的なものであるとみなした。

ゴールドシュタインは、パブロフの実験結果と基本的に類似した現象が患者にもみられるとし、それらが一般的な生理的反応であると考えた。「興奮の道筋」がピークに達すると、その後は反応が逆転するか「平準化」するという。(p451)

ピーター・ラヴィーンもまた、身体に閉じ込められたトラウマの中で、トラウマの凍りつきや耐性領域の概念を説明するために、このまったく同じパブロフの観察を引き合いに出しています。

パブロフは、緩和されないストレスに続いて起こる衰弱の記録の第3章と最終章を超-逆説段階と名づけ、それを超限界段階とも呼んだ。

「極限を超えた」状況のこの最終段階で、臨界点に達してしまう。この頂点を超えてしまうと、彼のイヌたちの多くはシャットダウンした。

彼らはどんなに時間をかけても、反応しなくなってしまった。パブロフは、このシャットダウンは神経系の過負荷に対する生物学的な防衛であると信じていた

…慢性的にこれを患っている人は、しだいに、シャットダウン状態になっていく傾向がある。これは、アレキシサイミア(情動的な気づきの欠損により感情を描写したり詳述したりできない)や抑うつ、身体化といった症状として出現する。(p292-293)

サックスとラヴィーンが、それぞれ別の疾患の耐性領域(中間状態)の説明で、まったく同じ研究に言及していることからわかるように、たとえ病気は違っても、嗜眠性脳炎とトラウマで生じる凍りつき現象は、生物学的な観点(つまりイワン・パブロフの観点)からすれば、まったく同じ作用です。

人を含めた動物は、パブロフが観察したように、普通以上のストレスにさらされると、「超限界段階」を迎え、逆にシャットダウンしてしまうという「超矛盾」した反応をみせます。これが凍りつき/擬態死であり、解離なのです。

Lドーパであれ、曝露療法であれ、(さらにはわたしのコンサータであれ)、たとえ治療という目的であっても、自分では許容できない興奮状態に置かれると、最初は回復したように見えても、かえってシャットダウンして凍りつき状態が悪化してしまうのは、すべてこのパブロフの研究から説明がつきます。

リズムの力

嗜眠性脳炎の凍りつきに陥った患者と、トラウマによって凍りつきに陥った患者が、ともに中間状態(耐性領域)が狭まって綱渡りのような状態になるというまったく同じ問題に直面するのであれば、その対処法もまた共通しているはずです。

対処法のひとつは、先ほどサックスが書いていたように、薬物療法における「滴定」ですが、レナードの朝のさまざまな記録は、これが万能ではないことを示しています。一部の患者は、Lドーパの滴定によって安定した人生を取り戻すことができましたが、タイトルになっているレナードを含め、最期まで薬と折り合いをつけられなかった人もいました。

こうした状況においてはL-DOPAを減量したり中止したりしても有効でないことが多かった。たしかにL-DOPAの量を少しずつ減らしたり中止したりすれば、この明らかな騒乱を、そしてすべてを一時的に停止させることができはしたが、L-DOPAの投与を再開するやいなや、不安定で荒れ狂った反応が再発するのだった。

つまり、最も根本的な治療―「休薬日」を設けること―を行なっても、本来の安定した状態を取り戻すとは言えない。「システム」に対して何かが起こったのは明らかだが、もはや休薬日の後でさえ、次に何が起こるのかを確実に予想することはできないのである。(p578-579)

この休薬日を設ける方法が必ずしも役に立たないというのは、わたしのコンサータのときもまったく同じでした、にもかかわらず、それが知られていないことは、不都合な結果を明るみに出さず、あたかも休薬日を設けさえすれば薬の良い効果を永続的に受けられるように思わせる製薬会社の情報操作ではないかと思えます。

サックスは、Lドーパをはじめとした薬物療法が万能でないことを知ると同時に、薬に頼らない別の方法によって劇的な効果をもたらせることを見つけました。それは「音楽」でした。

音楽が持つこうした力は、それが鳴り響いている間は、患者の人格を統合し、癒し、パーキンソン症状から解放して自由な動きを可能にする。(「あなたは音楽/音楽が続いている間は」―T・S・エリオット)。

それは本質的な力であり、あらゆる患者に備わる力でもある。それを見事に示しただけでなく、深い洞察力で語ってくれたのが、かつて音楽の教師をしていたエディス・Tである。

パーキンソン症候群にかかった彼女は、発症と同時に「優雅さ」を失ったと言う。体が「ロボットや人形みたいに、木や機械でできているように」なってしまったからだ。

以前の「自然な」動きや「音楽のような」動きは消えてしまい、彼女は「音楽ではなくなった」のだ。

「でも、幸運なことに、病気自身に治る力があったんです」私が驚くと、彼女は続けた。「音楽ですよ。わたしは音楽でなくなったわけですから、また音楽になればいいんです」

エディスはしばしば「凍りついて」しまい、動くための力も衝動も奪われて、体をわずかに揺らすことさえできなくなる。そんなとき、彼女は自分が「氷の額縁に入れられた写真」になった気持ちになる。

それは視覚的な平面でしかなく、物質でも生命でもない。この生命のない世界、時間のない非現実的な世界で、彼女は動きも救いもない状態であり続ける―音楽がやって来るまで。

…心の中に音楽が湧き出ると、体を動かす力、行動する力が唐突に戻るのである。彼女は自分が物質であること、人格を持っていること、現実の世界に生きていることを思い出し、それまで閉じ込められていた平面的で凍りついた「額縁から外に踊り出し」、自由に滑らかに動くことができる。(p146-147)

音楽が流れると、凍りつきは解けます。このことは、スイッチングの障害について論じた過去の体験記の中でも触れました。

サックスによれば嗜眠性脳炎によるパーキンソン症候群は、「リズム」の障害です。凍りつきとは、生体から自然なリズムが失われ、固まってしまうことだからです。

これもまた興味深いことに、GO WILD によれば、ヴァン・デア・コークもまた、トラウマの凍りつきを「リズム」の障害であると述べていました。

「トラウマは体の中で生きている」とヴァンダーコークはよく言う。彼はこのことを、迷走神経だけでなく仕事の上でも心に留めている。長年にわたって精神科医として患者を診てきたが、トラウマについて学んだことから心理療法をやめたと公言する。彼に言わせればトークセラピーなど「むだ話」にすぎない。

そういうわけで、ある寒く暗い冬の日の午後、筆者はボストンのレンガ造りのタウンハウスの地階にある、ヴァンダーコークのこじんまりとしたオフィスを訪ね、どうすればトラウマは改善するのかと尋ねた。

「トラウマとは動けなくなることです」とヴァンダーコークは言った。「だから、みんなでリズミカルに体を動かすとそれは改善します」。数十年に及ぶ試行錯誤の末に、彼は、体を動かすのがいいという結論にいたったのだ。(p248-249)

ヴァン・デア・コークが関わっているトラウマ・センシティブ・ヨーガのプログラムでも、やはりリズムが重視されているとトラウマをヨーガで克服する には書かれています。

複雑性トラウマを持つ人たちにとっての困難は、主として協調性の欠如と断絶にある。協調性とは、同調すること、足並みをそろえること、リズムに乗ることである。

同調しているものは、努力しなくても、共に動き、共に流れる。サバイバーには、「他の人たちと歩調が合わない」とか「自分自身とかみ合わない感じがする」と言う人が多い。

トラウマ・センシティブ・ヨーガのクラスでわれわれが携わっている多くのクライアントには、この協調性の欠如があるので、われわれは〈リズム〉というものに取り組んでいる。(p82-83)

そしてヴァン・デア・コークが身体はトラウマを記録するで書いているように、音楽の持つリズムは、トラウマによる凍りつきを溶かして、滑らかな動きというリズムを回復させることができます。

音楽とリズムで表現される、コミュニティの癒しの力を私が痛感したのは、1997年の春、南アフリカ共和国で真実和解委員会の活動に携わっていたときだ。

…ある日、ヨハネスバーグ郊外の黒人居住区にあるクリニックの中庭で、レイプサバイバーの集まりに出席した。

…女性たちは前かがみで座り、悲しみに満ちて凍りついており、ボストンで目にしてきた多くのレイプセラピーのグループの女性たちとそっくりだった。

私は無力感というおなじみの感覚を味わい、虚脱状態の人々に囲まれて、自分自身も精神的に虚脱するのを感じた。

そのとき一人の女性が、体をそっと前後に揺らしながらハミングをし始めた。ゆっくりとリズムが生まれてきた。他の女性たちも少しずつ加わっていく。

まもなくグループ全体が歌い、動き、立ち上がって踊りだした。それは驚くべき変化だった。人々は生命を取り戻し、表情は同調し始め、生気が体に蘇った。

私は、ここで目にしているものを応用すること、そして、リズムと歌と動きがトラウマの治療にどのように役立ちうるかを研究することを誓った。(p350)

つまり、ここでもまた、たとえ病名が違っても、嗜眠性脳炎とトラウマ障害では同じ背側迷走神経の凍りつきという生物学的メカニズムが共通していて、ともに、音楽のような外部からリズムを与える手段によって(一時的とはいえ)凍りつきを解除できることが示されているのです。

サックスは、レナードの朝で、このリズムの回復は、必ずしも音楽という形でなくともよく、たとえば階段を歩くなどの方法でも凍りつきが解けることを書いています。

それとは対照的に、階段を上るときの足取りは安定して着実であり、一段ごとに次の一歩を踏み出すことができた。だが、上りきってしまうと、フランシスはまた「凍りつき」、それ以上足を進めることはできなくなる。彼女がよく言っていたように「世界が階段だけでできてさえいれば」彼女は歩き回るのになんの苦労もいらなかっただろう。(p117)

ここのパーキンソン症候群患者は角度が規則的な階段の昇り降りは簡単にできるが、不規則な角度に曲がった廊下や人がたくさんいる場所を歩くときには、体の向きを変えるたびに凍りついてしまう傾向がある。(p470)

(もしかすると、これはEMDRのようなリズミカルな左右交互刺激がトラウマに効果があることと関係しているのかもしれない。当初EMDRは目の動きが大切だと考えられていたが、のちにタッピングDRのような形の、目以外の左右交互刺激でも効果があることが示されている)

また、サックスは、おそらく自身がピアニストであるという背景ゆえに音楽に注目することが多いですが、他のタイプの芸術でもやはり効果があるとも述べています。

これが「実存」療法の理由づけである。指示するのではなく呼び起こすこと、それは芸術を利用して不活発さ(inert)(つまり「内にこもった芸術(in-art)」)と戦うよう励まし、個人的なことや生きることについて想い起こさせる。つまり患者を目覚めさせ行動を促す療法である。

こうした患者のひどく狂った体の機能を正常にするのが、医薬品や手術、あるいは適切な生理学的手段である。「それ」を調整することこそ科学的な薬の働きなのだ。

だが、潜在的な意志、つまり「私」を呼び覚まし、その命令や調整の力を発揮させて統一性と規則性をとり戻させるのは、芸術や生きた触れ合い、実存の医学の働きである。(p484-485)

これは、(ここでは詳しく書きませんが)後にサックスが別の本音楽嗜好症(ミュージコフィリア)で考察しているように、音楽のリズムなどに同調しているときは、手続き記憶の連続性が回復されることによるのでしょう。(p284)

音楽のメロディも歩行も、また絵画などの芸術も、途切れることのないリズムの連続という意味ですべて手続き記憶であり、それらに没頭してフロー(=流れる)状態になっているときは、動作が途切れなく続くので凍りつきが解除されます。

妻を帽子とまちがえた男 でサックスはそのことをこう書いていました。

あのときジミーが見せたのとおなじような精神集中は、おそらく音楽や美術によってもおこりうる。あのときのジミーは、音楽であっても、劇であっても、おそらくそれに難なく(ついていった)に違いない。 音楽や美術に合っては、一瞬一瞬がそれ以外の瞬間と結びつき、前後に関連を持ってつながっているからだ。(p86)

すでに書いたように、凍りつきとは、必要な手続き記憶を内側から呼び出せなくなるアクセス権の障害のようなものなので、音楽などのひとつながりの性質をもつ活動に没頭すれば、外部のリズムによって手続き記憶を(一時的に)呼び出せるように、行為の連続性が回復されるのです。

(慢性疲労症候群の治療では、専門家の倉恒先生の趣味からか、乗馬療法が有効とされてきた。その理由も、この「リズム」や「手続き記憶」という観点から説明することができる。

〇〇(出典健忘のため今のところどこで読んだか思い出せていない。妻を帽子とまちがえた男だったか?見つけたら追記予定)の中で、記憶喪失になった男が、モーターボートは操縦できないのに、ヨットなら操縦できる例が出てくる。

全身の固有感覚や手続き記憶を活性化させ、リズムを刻むことができる体験は、車よりも馬、モーターボートよりもヨットで顕著だろう。そうした体験は、身体感覚を通じて外部からリズムを与え、凍りつきを溶かす方法の一種だといえる)

環境の力

凍りつき/擬態死は、前述のように、受動性と密接に関わっている問題でした。凍りついた人たちは、自分で能動的に行動できなくなりますが、環境からの刺激に受動的に反応する能力は保たれます。

それゆえ、さっき引用したとおり、サックスは、レナードの朝の中で「患者の生気をかきたてるような環境をつくり、患者の非パーキンソン症状を引き出すことで、パーキンソン症状を部分的に長い期間良化させておくことができる」と書いていました。(p69)

受動的であるということは取りも直さず、環境に対して非常に鋭敏であり、環境要因が良くも悪くも体調に現れやすいということを示唆しています。ですから、パーキンソン病であれ、トラウマであれ、凍りつき症状を抱えている人は、自分で思っている以上に、そして一般の健康な人たち以上に、環境からの影響を受けているのであり、決して今自分がいる環境の良し悪しを過小評価してはならないのです。

例えばジェリフェは外部環境、つまり一人一人の患者の生活環境とその移り変わりがもたらす影響について見事な分析を行なった。

つまり脳炎後遺症によるパーキンソン症候群は単純な病気ではなく、患者一人一人が多様な症状を示す実に複雑な病気であり、その経過も一様ではなく患者の資質や生活習慣などのさまざまな要因によって決まってくる。

端的に言えば、ノイローゼや精神病のように、敏感になった患者が外部環境との折り合いをつけたのだ。(p85)

わたしのような人が、人工的な騒音や刺激に満たされた環境である都市から離れて、より自然豊かで多様な北海道に引っ越したことは、まわりの人たちからすれば奇異な決定だったようですが、凍りつきとは受動性であり、外部環境の影響を強く受けやすくなることだという知識を考慮に入れれば、間違いなく必要な決定でした。

サックスは、嗜眠性脳炎のパーキンソン症候群の患者たちが、Lドーパのような薬物療法とは別に、居住環境から、驚くほど強烈な影響を受けていたことを、この本で繰り返し書いています。

■良い環境要因の例

間違いなくはっきりしていることが三つある。第一に、フランシスが自分の感情をきちんと伝えられたり、周囲の状況を変えることができたりしたときには、あらゆる病的な症状が軽減したこと。

第二に、フランシスが一日病院から外出したときには(このような外出は、のんびりしていた1969年を境にどんどん少なくなっていった)にはかならず、すべての症状や徴候が軽減したこと。

最後に、フランシスが同じ病棟の他の二人の患者と密接な関係を築き上げたとき(1971年の始め)以来、彼女はあらゆる面で目に見えて良くなっていることである。(p139)

だが、ロランドが好きなのは、ポーチに座って、庭に満ちる自然や周囲のニューヨーク州北部の風景を眺めていることだった。彼は田舎から病院に戻るといつもひどく落ち込み、同じ思いを口にする。

「このひでぇ場所から出られて、まったくやれやれと思っていたのに……おれは生まれたときから方々に閉じ込められてきた……なんてひでぇ人生だ……いったいなんだって子供のときに死んじまわなかったんだ?」(p246)

ローズの状態が最も良いのは、訪問客があるときだった。国じゅうに散らばっているローズの家族は、彼女に会うためにしょっちゅう飛行機でやってくる。そんなとき、彼女はうきうきして、それまで仮面のようだった顔には笑顔が弾ける。(p181)

「充分な休息」の量は患者それぞれだが、おそらく「通常の」人が必要とする量よりも多いと考えられる。私が担当した患者の多くで、一日に12時間の睡眠をとっていれば調子がとても良いが、睡眠時間がそれ以下になると、重い「副作用」が起こるのだった。(p461)

ハイランズ病院は広い敷地を有し、近隣地域との行き来も自由に気楽にできるように配慮されていて、設立当初のマウント・カーメル病院に似ている。ハイランズ病院の患者は(大部分が1920年代から入院している)重い脳炎後遺症を患っているものの、マウント・カーメル病院の患者とは見た目にもまったく異なっている。

彼らは生気にあふれ快活で、忙しげで非常に行動的であり、感情の表現も鮮やかで大きい。これと対照的に、マウント・カーメル病院の患者の多くは、茫然としていて重苦しい雰囲気で引きこもりがちである。両者が同じ病気を患っていることは間違いないが、病気の形や進行に大きな違いがあるのも明らかである。(p93)

とりわけ、この最後の例(マウント・カーメル病院とハイランズ病院の患者の比較)は、非常に興味深いと感じます。サックスはマウント・カーメル病院の医師でしたが、病院の非人道的な環境を嘆いており、「要塞か刑務所のような雰囲気」だと書き、「入院患者は幽閉と人ごみに耐え、空虚さと孤独に苦しんでいる」と述べています。(p90,冒頭の写真のキャプション)

そのような劣悪な環境のマウント・カーメル病院の患者たちの特徴が「凍りつき/麻痺」であり、もっと開放的なハイランズ病院の患者の特徴が「生気にあふれ快活」だというのは、偶然ではないでしょう。

おそらくは、サックスが診た嗜眠性脳炎の患者たちの凍りつき症状のかなりの部分が、慢性的に刑務所のような病院環境に閉じ込められていたことによる環境要因だったのではないでしょうか? サックスも気づいていたように、すべてが嗜眠性脳炎の純粋な症状ではなく、「敏感になった患者が外部環境との折り合いをつけた」結果だったのです。

ラヴィーンやヴァン・デア・コークが指摘しているように、動物が凍りつきに陥るのは、逃げることも闘うこともできない無力な環境に閉じ込められ、繰り返しひどい目に遭わされたとき(逃避不能ショック)なので、病院の劣悪な収容環境そのものが、患者たちの凍りつき症状を異常に悪化させていたとみるべきです。

これはわたし自身の経験からも明らかで、刺激が多すぎる都市環境から自然豊かで開放的な道北に引っ越してきてから、明らかに凍りつき症状が軽快しています。

わたしの状態は、「茫然としていて重苦しい雰囲気で引きこもりがち」から(少し言い過ぎかもしれませんが)「生気にあふれ快活で、忙しげで非常に行動的」にまで変わっています。「同じ病気を患っていることは間違いない」にもかかわらず。

凍りつきがもたらす受動性によって、環境からの影響を強く受けるようになった人は、無意識のうちに環境から受けるストレスを取り込んで、自分の症状に変換しています。その結果、本来の病以上の症状を抱え込んでしまい、必要以上に重症に見えてしまうのではないでしょうか?

個人的な経験がからいえば、環境ストレスが非常に多いところに住んだまま病気を治療しようとするのは、氷点下の屋外でお湯を沸かそうとするかのように非効率的かつ余計な労力のかかることのように思えます。環境要因が、本来の症状に上乗せされているのです。

(このことは、三池先生が学校を捨ててみよう!―子どもの脳は疲れはてている で述べていることとも一致する。学校という非人間的な刑務所のような環境を捨てれば、少なくとも不登校の慢性疲労症候群は軽減されるだろうし、思い切って外国に留学したり田舎に転地したりすれば、もっとよくなるはずだ。問題はハードルが高く感じられるため、こうした方法に踏み切れない子どもとその家族が多いことである。不登校の子どもにしても、トラウマ当事者にしても、たとえそれが良いかもしれないとわかっていても、転地するほどまでの計画はなかなか立てられない)

続けてレナードの朝から逆の例、つまり環境要因のために症状が悪化したという記述を列挙します。

■悪い環境要因の例

患者は自分の人間性をおとしめるような数知れない規則に従わされ、子供か囚人並みの扱いしか受けられず、機械の中に入りこんで押しつぶされそうになっている。彼らは終わりのない欲求不満や失望感、やるせなさを抱えているのだ。

こうした非人間的な施設の性質は、マウント・カーメル病院が開設されたときからある程度は存在していたが、1969年の9月に突然ひどさを増した。この暗い変化によって、患者たちの病状がいかに大きな影響を受けたかは、どの患者からもはっきり見て取れた。

単に機嫌や態度からだけではなく、発作、チック、衝動、カタレプシー、パーキンソン症状などによって、そしてもちろん、L-DOPAへの反応によって。(p139)

私がマウント・カーメル病院に戻ったとき、病棟は混乱の極みにあった。…激しいパーキンソン症状を見せる患者や、カタトニーで銅像のように動かない状態に戻ってしまった患者もいた。多くがチックを起こしていたし、数人は言語常同症を起こし、十数人に眼球回転発作が再発していた。

この様子を見て、私はまず、薬局でなにかひどい混乱が起きて、全ての患者に間違った量を投与しているのではないかと思った。次に(グラフを見て、投与量が正しいことがわかると)患者たちが全員インフルエンザにかかり、高熱を出しているのではないか(その場合にはこうした患者が極端な症状を起こすことを知っていた)と考えた。だが、そのどちらでもなかった。

…新しい院長が到着してから病院の方針に大きな、恐ろしいほどの変化が起きたことがわかってきた。患者のコミュニティ活動は突然解散させられ、面会は大幅に短縮され、外出許可は前触れもなく取り消され、それに対する患者の抗議は無視されたのだった。

その結果、彼らが受けた悲しみや衝動、そして見返りのない怒り生理的な反応の形―パーキンソン症状や発作やチック―に「転換」されたのである。(p142)

生活の変化や強い情動はパーキンソン症状を激しくするだけでなく、症状を突然引き起こすこともある(p349)

これらの記述で際立っているのは、だれよりも患者の症状を熟知していた医師サックスが、「薬局でなにかひどい混乱が起き」たのではないかと思えるほどの症状が、薬物ではなく環境の激変の結果として起こっていた点です。

わたしは都会から自然の多いところに引っ越してきて、今のところとても良い恩恵を受けていて、都会では中枢神経刺激薬を使わないと「目覚め」られなかったのに、こちらではまったく薬なしでその効果を得られています。

この個人的体験は、サックスのマウント・カーメル病院の入院患者の事例と会わせて、凍りつきで受動性がましている人にとって、環境要素は、よくも悪くも、薬と同等レベルの効果があるということを物語る証拠のひとつのように感じます。

居住環境が環境が非常に悪くなれば、あたかも薬の分量を間違ったか、インフルエンザに罹患したかに思えるほどの症状の悪化がみられ、逆に良い環境に移されれば、体質に合った薬を飲んでいるほどの効果が得られるのです。(かなわぬことでしたが、もしマウント・カーメル病院の患者がハイランズ病院に移れたら、そうした良い変化を観察できのかもしれない)

こうした事例から、やはり凍りつき状態にある人たち、解離の当事者たちは、決して、自分の居住環境という環境要因を過小評価してはならぬことがわかります。

いかに自分では影響を受けていないと思っていても、おそらくは自分自身の病気の症状だと思っている物の、かなりの部分が環境由来なのです。凍りつき、そして解離とは環境に敏感になる受動性の病気だからです。

(なお、サックスがレナードの朝で書いている症例のすべてが脳炎後遺症のパーキンソン症候群なのかは疑問の残るところである。生い立ちについての描写からすると、もともと受動的だったり機能不全家庭で育ったたりしていた人たちもいる。

脳炎の存在は、フォン・エコノモによる死後解剖で一部の症例で特定されたにすぎないので、トラウマ由来の似た症状の患者や、もっと複雑な事例が紛れていたかもしれない。実際にサックスは、見てしまう人びと:幻覚の脳科学の中で、脳炎後遺症とトラウマを合併していたと思われる患者について記している。

この影響は薬によって強められることがある。1970年、私は強制収容所の生存者で脳炎後遺症のパーキンソン症候群の患者を診察した。彼女の場合、Lドーパによる治療がトラウマの悪夢とフラッシュバックを耐えがたいほど悪化させたので、私たちは投薬を中止せざるをえなかった。(p302)

このような場合、どの症状が脳炎ウイルスの後遺症で、どの症状がトラウマによるシャットダウンなのかは、もはやわからないのではないかと思う。

またこの記述は、Lドーパに類似する効果を持つアンフェタミンなどの神経刺激薬によって、トラウマ症状が増悪するという先ほど書いた考察の裏づけともなる。

わたしの場合、症状の悪化は、コンサータなどの薬によって身体性フラッシュバックが増加したためだと考えることができるが、もしLドーパのような、より強力にドーパミン系を刺激する薬を飲んでいたら、以前書いたような、未だ抑圧されていると思われる視覚性フラッシュバックと悪夢が、この女性のように噴出していたかもしれない)

心的外傷後成長

レナードの朝から学べることは、さらに多くありますが、記事も長くなってきたので、最後の教訓として、患者たちの生きざまに現れている心的外傷後成長(PTG)に注目したいと思います。

PTGとは想像を絶するほどの逆境(児童虐待や強制収容所体験など)にさらされた人たちが、逆境を通して深みを増し、人間的に成長していく現象のことですが、若くして凍りつき/擬態死に閉じ込められ、何十年も非人道的な施設に収容され、後にはLドーパという奇怪な薬に翻弄された人たちほど壮絶な逆境を経験した人はそうそういません。それは、すでに引用したレナードの言葉からもわかります。

サックスは、彼らについてこう書いています。

こうした患者たちは自ら望んだわけでも罪を犯したわけでもないのに、人間の存在と苦しみの深さ、そして限りない可能性を探る使命を負わされた。

だが、すき好んで背負ったわけではない十字架の苦しみにも、実りがないわけではなかった。彼らは他者を助け導き、苦痛、看護と治癒の本質についてより深い理解を私たちに与えてくれたのである。自発的なものではないにしろ、私たちに多くを与えてくれた本物の自己犠牲について、患者本人たちも知らないわけではなかった。

レナード・Lは自伝の最後に皆の気持ちをこう代弁している。「私は生きたロウソクだ。私が燃えることで人は学んでいく。私の苦しみの炎の中に、新しい物事が見えるのだから」(p465)

わたしはまさに彼らの燃える車輪のごとき人生によって、「新しい物事が見え」た一人です。彼らの壮絶な人生により、この記事で書いたような教訓を得ることができました。サックスは、彼らの最大限の敬意を表してこう書いています。

15年間患者たちのそばで仕事をしてきて、彼らは私が知る中で最もひどく病に傷つけられていてもなお、最も気高い人々であると考える。

…彼らの勇気は英雄的でさえもある。人生に対する信じられないほどの拘束を受けながら、彼らは生き延びてきた。

身体障害者としてでも精神障害者としてでもなく、苦痛に耐え続け、不平を言わず、悲観せず、そして笑うことによって偉大な人となった。

虚無的になったり絶望したりせず、なぜかは説明できないが人生を肯定し続けた。彼らを通して私は、人間の身体は想像を絶するほど痛めつけられうること、神経病の患者しか知らない地獄があること、ある種の神経学的障害は底が見えないほど深いことなどを知った。

かつて私は、一度地獄へ落ちた人は二度とそこから戻ってこないものと考えていた。だが、そうではないことを患者たちから教わったのである。

地獄から戻ってきた人々は、その経験を永遠に内に留めている。彼らは底なしの深さを知り、忘れることは決してないのだ。それでもその経験によって彼らは深みを増しただけでなく、最後には子供のように無垢で陽気になった。(p489-490)

レナードの朝を読むにつけ感じるのは、オリヴァー・サックスの、ときに強迫的とも感じられる責任感です。サックスは、医師としてただ一人、彼らの実態を最初から最後まで見届けました。

先に引用したとおり、彼は「眠り病が消滅してから長い年月がたった現在、80人もの脳炎後遺症患者の治療と観察を続け、L-DOPAの効果をこれほど長い期間見つめ続けてきた医師を、私は自分以外に知らない。私は、患者たちと同じくこの病気の最後の証人であ」ると述べています。(p475)

彼は、患者たちが生きた記録を残すことを自らの責務と感じていたことがわかります。サックスは彼らと関わっただけでなく、彼らを目覚めさせた本人でした。Lドーパを投与するかどうか2年迷い、患者たちの意向も尋ねたとはいえ、Lドーパを投与した責任は彼が負っていました。

Lドーパによって比較的良い余生を送った人たちがいたいっぽうで(p496,500,514)、レナードをはじめ、Lドーパに翻弄され、投与前よりもはるかに症状が悪化し、Lドーパをを呪いながら死んでいった人たちもいました。

記録されているレナードの最後の言葉は「地獄へ落ちろ、ちくしょう! ドーパがなんだ、奇蹟がなんだ、おれを見ろよ、どうしようもないじゃないか。おれは死ぬんだ、もう死ぬんだよ。それなのに、今になってL-DOPAでおれを復活させる気か! こんなくそったれの奇蹟なんてあるか―くそいまいましい―これはラザロの奇蹟なんて結構なものじゃない……。頼むからもうやめてくれ。おれを静かに死なせてくれよ」でした。(p523)

これが世界的に有名なサックスの著書のタイトルになり、「私がこれまで見た患者の誰よりも物事を深く考え、追究する情熱を持って」いて「輝かしい知性と教養の持ち主」で、「病院の図書室の司書を務め、病院内で発行している雑誌に毎月すばらしい書評を掲載し」ていたレナード・Lの最期でした。(p360)

確かにレナードは心的外傷後成長(PTG)を遂げましたが、彼の物語はハッピーエンドにはなりませんでした。PTGは世間で思われているようなハッピーエンドにはならないことは、PTG研究者たちが指摘しています。PTGとは、望まぬ十字架を一生背負い続ける人たちの「燃えるロウソク」なのです。

(このレナードの悲劇的な結末は、おそらくレナードとタイプが似ているだろうわたしのような患者は、考察や説明はできても、症状にうまく対処できるとは限らないことを示唆している。客観的に離れて「考える」ことではなく、今ここで「感じる」力を鍛えない限り、凍りつきに対処できない。「考える」力に秀でていることは解離症状の一部であり、レナードやわたしのような患者は、なまじっか凍りつきの恩恵として思考力を得てしまっているがために、かえってそれを放棄できなくなるのかもしれない。このことからわたしにはやはり徹底的なSEがこれからも必要だとわかる)ダッシュボード

サックスは、Lドーパが順調に効いた患者よりも、レナードのようなより混乱した症状の悲劇的な患者たちのためにレナードの朝のページを割いているように感じます。

この本は、凍りついた患者たちを目覚めさせ、彼らの人生を一変させてしまったサックスによる供養であり懺悔であり責任であるようにも思えます。とくに1982年に追加された、一人ひとりの最期について詳細に書かれたエピローグ部分は、サックスが患者一人ひとりをとむらって立てた墓標のように思えてなりません。

わたしはサックスのどの本も大好きで、最も好きな本はと聞かれれば、気楽に書かれた旅行記でサックスの人柄がにじみ出ているオアハカ日誌を挙げるかと思います。

しかし改めて思うのは、やはりサックスの代表作はレナードの朝でなければならない、ということです。この本に収められた患者たちの人生の強烈さ、にじみでるサックスの責任感、そしてその詳細な分析は、単なる医学エッセイの域を超えたは鬼気迫るものがあり、ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」などと並び立つ、普及の名作、風化させてはならぬ魂の記録だと思うのです。

もし、わたしの一連のセラピー体験記をここまで読んでくださった稀有な方がいて、今回書いた話に少しでも心動かされる部分があったなら、オリヴァー・サックスに興味はなくとも、レナードの朝だけは、ぜひ読んでみてほしいと思います。ここまで読んでくれた方であれば、わたしと同様の問題を抱えている人でしょうから、この本にまとめられた凍りつき反応の記録から得られるものは多いでしょう。

わたしの場合は、自分の経験に照らして、このような考察のまとめ方になりましたが、わたしがセラピー体験記の最期にレナードの朝を持ってきた理由もなんとなくわかってもらえたと思います。わたしがこれまで体験記に書いてきたさまざまな話題とリンクしているからです。

特定の病名(たとえばトラウマや発達障害、慢性疲労症候群など)にとらわれることなく、生物学的観点から症状を分析できる、こうした文献を読むことの大切さは測りしれません。わたしたちは医学が勝手に区分けした病理学の地図上の存在ではなく、この地球上に生きる一個の生物、有機体であり、だれもが同じ生物学的機能を有しているのですから。

30回分のセラピー体験記の終わりに

今回で、これまで30回にわたり書いてきたセラピー体験記は終わりです。北海道でもまたSEは受けようと思っていますが、まだまったく計画は立てていません。

セラピーによってトラウマ記憶と向き合う体験記になるかと思いきや、肝心のトラウマ的な過去の出来事についてはほとんど書きませんでした。十分に思い出していないからでもありますが、覚えている部分についても、体験記ではほとんど書かずにいました。書く必要を感じなかったからです。だから、もし体験記を読んでくださった方がいたとしても、わたしの過去は謎のままだと思います。

この体験記は書きはじめた当初からは、書いている本人でさえもまったく予想だにつかない方向へと展開し、まさかの引っ越しで幕を下ろすことになりました。このような結末は、SEセラピーの途中から不意に現れたものであり、もともとは引っ越すことさえ考えていませんでした。

しかしながら、SEのセラピーの本質が、自分自身の内臓感覚(つまり直観の基盤)とのつながりを取り戻すことにあることを思えば、SEセラピーとしては十二分に目的を達成できたのではないでしょうか。わたしは内臓感覚を感じ取っただけでなく、それに従って行動することもできたのです。

これは、第二期5回に書いたように、ヴァン・デア・コークが身体はトラウマを記録するで説いていたボディーワークの本質です。

彼のワークショップは、私の患者たちの根本的な問題についての手掛かりばかりか、解決のための潜在的なカギまで与えてくれた。

たとえば扉が開いているときに電気ショックを与える檻から逃れることを、トラウマを受けた犬たちに教えるには、どうすれば逃げられるかを体で経験できるよう、檻から繰り返し引きずり出すしかないことを彼とセリグマンは発見した。

私も患者を手助けし、自らを守る手立てはまったくないという、彼らの基本姿勢を変えてあげられないだろうか。

私の患者たちも、自分に主導権があるという体の芯からの感覚を取り戻すには、身体的な経験が必要なのではないか。(p59)

こうした観察結果の妥当性は、体に働きかけるセラピーを行なうピーター・リヴァインとパット・オグデンに出会って初めて明らかになった。(p50-51)

わたしは、自分のいるべき場所を自分で選ぶことによって、また思い切って行動に踏み切ることによって、いわばオリから出ることができました。

またソマティックのセラピーは、自分が置かれた環境ごとのわずかな内面の変化(フェルトセンス)を感じ取る訓練であることを思えば、トラウマ治療における環境の重要性にわたしが思い至り、セラピールームの中だけの治療には満足できなくなったのは当然の帰結といえるでしょう。

わたしはこの30回にわたる体験記で、さまざまな分野を横断してきましたが、これら思考の軌跡をたどれば明らかなように、SEセラピーの本質から外れてはおらず、むしろ第二期1回に書いたようにSEの本質を見据えての考察および行動だったと思っています。

第二期のタイトルは、「切り離された身体を取り戻す」と題しましたが、わたしが至った結論を端的に言えば、「切り離された身体を取り戻すには、まず自分が自然とのつながりを取り戻さねばならない」ということでした。

解離とは単に自分の身体がバラバラになることではなく、ラヴィーンが身体に閉じ込められたトラウマで書いているある男性の言葉のとおり、「人類から切り離されて、宇宙でひとりぼっちのように感じる」こと(p133)、またトラウマをヨーガで克服する に書かれているとおり、この世界からの断絶です。

〈解離〉には、自分の体や周囲の世界との断絶感がある。ある生徒は解離を、「煙でいぶしたガラスで隔てられて生きているような感じ」と表現した。…彼女は世界と切り離されていたのだ。(p83)

解離とは世界すなわち自然界からの断絶でもあるというこのような考察は心理学的な意味だけでなく、マイクロバイオームの研究により、生物学的な意味でも裏づけられることとなりました。

わたしの一連のセラピー体験記は、おそらく他の人のセラピー体験記とはかなり毛色の異なるものに仕上がったと思います。でも、それでこそ、わたしらしい。わたしは昔から、他のだれとも違うほどに異なっていて、だからこそ同じようにユニークすぎて苦労したオリヴァー・サックスに惹かれ、彼を人生の師として仰ぐようになったのですから。

第四章、第五章と続いてきたセラピー体験記はここで終わり、次回からはまったく新しいタイトルで近況を書き始めると思います。まだまったくイメージが湧きませんが、どうせ何か書いていないと落ち着かないわたしのことなので、またきっと第六章をここで書き始めると思います。もし興味があれば、続きもまたご覧ください。

最後に、ここまで読んでくださった方に、感謝を伝えたいと思います。乱雑でごった煮の文章にもかかわらず、お付き合いくださり、ありがとうございました。

次のシリーズ書き始めました。

大自然のゆらぎによって凍りついたリズムを回復させる道のり(1)
自然豊かなところで自分の体調と向き合う記録1

Categories: 5章。2018.11.05