前回は10回目のセラピーについて書きましたが、今回はその後の合間に考えた、今後の自分の方向性に関することを書きます。文章構成能力が不足しているせいで、いつもにましてわかりにくいかもしれませんが私的メモなのでご容赦を。
オープン・モニタリング
セラピーの翌日は、睡眠障害のほうの病院の診察でした。都会から少し離れたところにある病院なので、周辺には比較的自然豊かな公園などがあるんですが、これまでは病院に行くだけでいっぱいいっぱいで、周囲を散策するような余裕はありませんでした。
でも、ここ最近、自然の刺激を活用する大切さについて学んできましたし、SEを通して感覚をオープンにする方法も身に着けてきたので、試しに自然を五感で体験できないかやってみようと思い立ち、いつもより早く家を出ました。
30分くらい余裕をもって到着できたので、病院の近くの公園に足を運んでみましたが、かなりの広さで驚きました。この時間的余裕では、奥のほうまでは行けそうになかったので、幹線道路の近くの木陰で妥協することにしました。それでも、家の近くの公園にくらべれば、騒音はかなりましです。
木陰にベンチがあったので、そこに座り込んで、しばし感覚をオープンにして、周囲の音や匂い、そよ風の感触などに注意を向けてみました。いわゆる感覚を一点に集中するフォーカス・
カウフマンによると、瞑想は種類によって効果も異なります。あらゆる思考を断ちきることをめざすタイプのマインドフルネスの訓練(呼吸に意識を戻すなど)は、創造的ではない(もちろん不安をやわらげる方法を求めている多くの人にとっては、非常に効果的な瞑想法。不安をやわらげたいなら、ぜひ続けてください)。
一方、さまざまな経験に意識を向けるようにうながす「オープン・モニタリング型の瞑想」は、マインドワンダリングを後押ししてくれそうです。「積極的に心を開放する気づきの瞑想法では、周囲にあるものだけではなく、頭に浮かんだあらゆる思考に対しても、判断を加えることなく心を開きます。マインドフルネスのなかでは、これが創造力をもっともうながすタイプです」と彼は言います。(p230)
SEのセッションでやってるのは、どちらのタイプかというと、特に説明されていませんが、両方だと思います。注意を一点に集中するときもあれば、注意を開放して全身の体験に向けるときもあって、その切り替え能力を身に着けていくというのがSEの特徴でもあるので。SEで振り子運動をするとき、積極的に感覚を探索していくときはオープン・モニタリング型の注意を使いますし、圧倒されそうになって安心できる感覚に戻ってくるときはフォーカス・アテンション型の注意にシフトします。
注意を一点に絞り込む能力(スポットライト型の意識)と、全体をまんべんなく観察する能力(ランタン型の意識)をうまく切り替えられるようになることが、SEの目的のひとつだと思っています。今回座った木の木陰のような場所では、不安を鎮めるために注意を引き戻す必要はありませんから、むしろ感覚をオープンにして、「今ここ」の感覚を感じ取ることを目指しました。
感覚をオープンにして自然の息吹を感じてみて思ったのは、立ち止まって耳を傾けてみると、歩いているときには気づかなかった、たくさんの音に満ちあふれているということです。確かに幹線道路の近くなので自動車の騒音や、建物のボイラーの音なども混じって聞こえるのが注意をいくらかかき乱しますが、そのほかにもそよ風が木立を駆け抜ける音、落ち葉が地面を滑る音、鳥のさえずりや虫の鳴き声、さまざまなが賑わっていて心地よさを感じました。
ジョン・ハルが光と闇を越えてで書いている失明した後の聴覚の体験世界を思い出しました。
受難週の土曜日に、キャナン・ヒル公園で子どもたちは遊んでいたが、わたしはすわっていた。通る人々の足音を聞いた。多くの違った種類の足音であった。
…鳥たちが水面から飛び立ったり、飛び降りたりし、あるいはパン屑を奪いあったりする時のはばたく音、水を跳ねる音、ちょっとした争いの音がする。
…このような全体的景観のもとで風が吹いている。背後にある木々はざわめき、道端の灌木や茂みはカサカサと音をたて、木の葉や紙屑が道端に風で飛んでいる。
わたしは身をそらしてそれらすべてに聞き惚れた。それは驚くほど、変化に富み豊かな運動の景観であり、音楽であり、情報であった。それは心を奪うものでありうっとりさせるものであったる(p106-107)
目の見える人には、風はこれだけのことを意味することができるだろうか? 風は見えないから、見える人は見えない人以上のものを得ることはない。もちろん、目が見えない人は、風に吹きつけられている世界、急に流れる雲、揺れている木々は見えていない。他方、風には目が見えない人に対して、特別に美しいものがある。(p138)
わたしはハルと同じように、それらの音を美しいと感じました。目の見えないハルほどの鋭敏さはないとしても。
そして、ふと気づいたのは、わたしの身体がとてもリラックスしていることです。家にいるとき、電車の中にいるとき、駅のホームで座っているときなどは、近頃は肩に手を置いて安心できる感覚に集中しないとリラックスできないのに、今、この木陰で周囲の感覚を味わっているわたしは、そんな努力をまったくしなくてもリラックスできていました。
それは、ふだんは感覚刺激に圧倒されて、フォーカス・アテンション型の注意を用いないとリラックスできないわたしが、自然の中ではオープン・モニタリング型の注意でリラックスできるということでした。残念ながら、この公園はまだ騒音が気に障るので十分に良い環境だとは思えませんでしたが、かねてから考えていた自然環境の回復力は確かに実感できました。
解離の症状に自然環境の中でのオープン・モニタリングが役立つというのは、スウェーデンの環境心理学者ヨハン・オットソンが推し進める自然セラピーの成果に見て取れます。NATURE FIX によると、オットソンは自身が大怪我から回復したときに雄大な自然が役立ったことから環境と健康のつながりを研究するようになり、自然セラピーの効果を実証しました。
参加者の大半が傷病休暇中で、その状態が何年も続いている人もいる(スウェーデンでは傷病休暇が保障されている)。参加者の多くは、重いうつ病を患い、気力を失い、人と接触したがらない。そして大半が数種類の薬を服用している。この庭にくるころには「生きているのが精いっぱい」の状態になっているとのことだ。
…重いうつ病のせいで「大半の参加者はなにも感じられなくなっています」と、パウルスドゥッティルは言う。「相手がちょっと会釈したぐらいでは、それに気づけないほど感覚が鈍っているのです。(p222-223)
この参加者たちはうつ病とされていはいるけれども、症状としては強い悲嘆反応のあるPTSDの一歩先にある、感覚が麻痺した解離状態に近い。ラヴィーンが身体に閉じ込められたトラウマで書いているのと同じ状態。
トラウマを受けた人の多くがいくら頑張っても、善意のセラピストからの援助や思いやりを受け取ることがほぼ不可能なのは驚くにはあたらない ―それを欲していないからではなく、不動状態という原始的な根幹に閉じ込められ、表情やからだの動きや情動を読み取る能力が著しく低下しているからである。彼らは人類から切り離された存在となってしまうのだ。(p133)
NATURE FIX によれば、こういう人たちに対し、自然セラピーでは、週に4回、3時間ずつ自然環境の中でただ過ごし、自然の息吹を感じ取るよう助ける。
治療の一環として、まず行なうのは、身体と脳の信号をうまくつなげること。植物と触れあううちに、いまここにいるという感覚に慣れていきます。そして徐々に身の回りのものに注意を向けられるようになります。…参加者には五感を使うことを意識してもらっています」(p224)
このプログラムには「マインドフルネスも組み込まれ」ていて、麻痺していた感覚が戻ってきて、鳥のさえずりや風の感触に気づけるようになる。むろん、このセラピーに効果がある理由はひとつではなく、たくさんの要素が関係していると考えられている。
その効果は他の治療法より高く、参加者の60%は一年後に仕事に復帰でき、スウェーデン政府による助成金の交付も開始されたとのこと。この本の時点では、トラウマを負ったシリア難民や脳卒中患者を対象とした自然セラピーの効果の研究も始まっているとされている。
ここでこの自然セラピーの記述を引用したのは、わたしがやろうとしていることが、この自然セラピーの内容に近いからです。たとえば、自然の癒やし効果を利用したいと思う人の中にはウォーキングやハイキング、キャンプ生活などをしたいという人もいる。でもわたしがやりたいのはそういうことではない。自然の中で運動する、というより、自然の中で「ただ感じる」、ということをやってみたいと思っています。
たとえば慢性疲労の治療で、段階的運動療法が効果があると言われたりするけれど、プログラムされた運動をする、という考え方にはあまり興味がありません。イヤホンで音楽を聞きながらウォーキングする人たちは、たとえ木立の中を歩いていたとしても、森林浴コースで運動したとしても、自然をただ歩くための場所とみなして、感じることをしないかもしれない。みんなとおしゃべりしながらハイキングする人たちも、山をただ登るための道とみなして、じっくり立ち止まって味わうことをしないかもしれない。自然をただの運動するためのフィールドと見なしているからこそ、ゴミを捨てても気にしない人もいる。
麻痺した感覚を取り戻すというのは、そうした機械的に運動することで達成されるものではなく、感覚を研ぎ澄まして、自然を、そして自分の身体の内部を感じられるようになることと関係している、とわたしは思っています。成功するスポーツ選手は機械的にノルマのごとく筋トレに取り組むのではなく、感覚を研ぎ澄ませ、自分の身体と対話しながら必要な筋肉や動きを身に着けていくのと同じように。
わたしも昔からよく山登りに行っていましたし、海に釣りに行ったこともある。家の近くの河川敷で毎朝運動していたこともある。しかし、わたしはそうした活動を通して、自然の本当の意味での恩恵を受けたことはなかった。わたしはただ自然を踏み荒らしていただけで、自然の息吹を感じ取って一体感に身を委ねようなどと思ったことはなかった。
前の記事で書いた、自然とのつながりを親子の愛着関係と同じものと考える視点から言えば、親がいるというだけで愛着が築かれたりしないように、ただそこに自然があるというだけで恩恵が受けられるということはない。親子が積極的にコミュニケーションを取ろうとしなければ、自然を五感で感じられるようにならなければ、愛着関係からくるリラックスを経験することはできない。
わたしはSEを始めたことで、今までやってきた自分の自然との関わり方は、まったく他人行儀だったと気づきました。たとえ自然の中で運動したりしても、わたしと自然とは、親子のようなものではなく、赤の他人だった。わたしは自然から切り離されて育ったがために、五感を使って自然とコミュニケーションするとはどういうことなのか、SEで学ぶまでは知らなかった。
わたしたちはその昔、自然と親しんでいた。自然はいわばファーストネームで呼び合うような親しい仲間だった。ところがいまは森にあらためて自己紹介をするために、プロの力を借りなければならない。
じきに人間同士が直接会って話をするやり方も指導員に教えてもらうようになるのかもしれない。だって、すでに相談員から授乳の方法を教えてもらったり、ユーチューブを見てパンの焼き方を覚えたりしているのだから。(p215)
本当は、人類にはトラウマを癒やしてリラックスさせてくれるような「母」がいたにもかかわらず、現代のほとんどの人は孤児として育ったがために、「母」にどう助けを求めていいのかわからなくなっているのかもしれない。病院の近くの自然公園で五感を研ぎ澄ませているうちに、わたしはそう感じました。
無秩序型
ところで、わたしは自分は個人主義的な人間だと思います。友人との交流関係と、自分のやりたいこと、そのどちらを優先するか、という局面に立たされたとき、わたしは必ず自分のやりたいことを優先させてきました。
この集団行動を嫌う傾向は、ずっと幼いころからのものだったのかもしれない。小学校1年生のころ、わずかな記憶の中で覚えているのは、朝礼が嫌いでわざと遅刻していって出席せずに教室にもぐりこんだり、ホームルームなんて時間の無駄だと感じてこっそり教室を抜け出して、先生に見つかったけど逃げおおせたことだったりする。
のちに空気を読みすぎるようになってしまうことからすると、かなり意外な行動だけど、わたしにも愛着障害の子どもらしい問題行動の多い時期があった、ということなのだろう。最初は多動ぎみなところがあったが、小学校3年生あたりで反転して解離にシフトした。友だちはそれなりにいて仲良くもしていたが、一時的なつながりだけで友人関係に愛着を抱くことはほとんどなかった気がする。
自分でも残念な話なのだけど、これまでに親友と呼べるような存在は、現実の人間の中には一人もおらず、友人関係も利害関係が一致したとき限定の、一時的な同盟のようなものばかりだったかもしれない。わたしの関心は次々に変化するので、やがて以前の友人とは疎遠になっていき、初めからいなかったかのようになってしまうことを繰り返している。わたしの交友関係は、あまり認めたくないけれども、無秩序型の愛着の「懐柔型」戦略のままだと思う。
最初わたしは、愛着スタイル診断テストをやったとき、自分は回避型の愛着スタイルだと思い込んだ。この診断テストというのは、本の巻末とかについている、アンケート形式で答えて点数を合計するもの。わたしは「回避的だが適応力のあるタイプ」と出た。しかし、後に無秩序型の愛着について詳しく調べたとき、どう考えても自分はこちらだと思った。わたしの行動特性はどう見ても無秩序のほうだ。なのになぜアンケートではそうでないのか。
自分でも笑ってしまうような話だけど、わたしはアンケートの中で、たとえば「あなたには安心して自分のことを打ち明けられるような人がいますか?」といった質問に対して、なんの疑問もなく空想世界の人物を思い浮かべて「はい」と答えてしまっていた。あまりに空想世界が現実のものだったので、それを当然の前庭としてすべての質問に答えていた。
そのおかげで、空想世界という安全基地となる避難所の補正がアンケートに反映されてしまい、人と付き合うことには回避的であるものの、不安感は強くなく安定している、といった結果になってしまったというわけ。
じゃあそれを度外視したらどうなるか。空想世界の人間関係がまったく存在しないものとして回答したら? 結果は案の定、愛着回避も愛着不安も相当強い無秩序型と出た。こんなことをしでかす人が他にもいるのかどうか、わたしにはよくわからないけれど、教訓としては、あまりに日常的に解離を使って生きのびている人は、自分が解離していることに気づかず、それを当然と思い込んでしまっている、ということなのかもしれない。
自分のトラウマに気づくまで、わたしは自分は人に対して親切で思いやりがあり、面倒見がいいと思いこんでいた。しかしいざ無秩序型だとわかってみれば、わたしの行動傾向は、ただ空気を読んで表面的に親切そうにしているだけなのがわかってきた。そして、自分には必要ないと感じれば、それまで交流関係にあった人でも容赦なく切り捨ててしまうということも。
わたしは最近も、ツイッターやフェイスブックが自分にとって必要ないと見てとるや、これまで積み重ねてきたそこでの交流をフォロワーごとばっさり切り捨ててしまった。たぶん普通の人はSNSでの人間関係をそこまで簡単に切ることはできない。自分のやりたいことと、交流関係とが対立した場合、わたしが躊躇なく自分のやりたいことのほうを選ぶ一例だったと、今になって思ってしまう。
現実の人間関係に対してもそんなところがある。わたしの交流関係は、境界性の人みたいに、不安定なところはない。しかし、ぜんぜん愛着が深まらず、簡単に遮断してしまうところがある。続解離性障害で書かれていたこの言葉のとおりに。
結局、解離は同調と遮断という両極端に分かれやすい。ボーダーラインもgoodとbadに分かれやすいが、どちらかというと内容のスプリッティングという印象があります。(p208)
境界性の人は、相手の評価が二極化して、理想化して極端に期待するか、脱価値化してこき下ろすかに陥りやすい。だから人間関係は不安定極まりない。
わたしのような解離の当事者は自分の側の対応が二極化する。空気を読んで同調して仲良くしているか、もう必要ないと感じたらあっさり遮断するか。
だいぶ前に書いたように、わたしは、これまでの自分の歩みは山登りのようなものだったと感じている。まだ山のふもとにいるとき、自分が慢性疲労や発達障害だと思っているころは、まわりに人が大勢いた。でもわたしは患者会や当事者会には何の興味もなかった。上辺だけの共通点を認めて慰め合うような人間関係よりも、自分が何者なのかという真理を知りたいと思った。だから、そこでの交流関係を捨てて、良い広い景色を求めて山を登った。それを繰り返しているうちに、わたしは自分が何者なのかより遠くまで見渡せるようになったけれども、一緒に山を登ってくれるような人はほとんどいなくなっていった。
わたしは別に、人間関係を自分から捨てようと思ったわけではない。愛着が希薄といっても、他人をモノ扱いするサイコパスではない。だけど自己探求のために山を登れば、おのずからそれまでの人間関係がなくなっていく、というのをわたしは経験してきた。たとえば、慢性疲労症候群という病名のつながりで仲良くしていた人は、それ以外の病気の話なんてほとんど興味のない人ばかりだった。わたしがポリヴェーガル理論について知って感動しても、そうした人たちは何の関心も示さない。わたしが新たなことを知れば知るほど、話が合わなくなっていってしまう。それらの人たちは、わたしが何年も前に通り過ぎた話題にいまだにとどまっていて、ずっと同じことを繰り返しているだけだった。
だれかと仲良くするということは、その人と同じレベルにとどまること。もう一段上に上がりたければ、今の場所とそこでの人間関係は後にしなければならない。そういった意味では、わたしがここまで登ってこれたのは、愛着の希薄さのおかげともいえる。同じ病名の人、同じ病院に通っている人、そんな人たちとの横のつながりを重視していたら、わたしは自分が何者かを一生知るに至らなかった。たとえ今まで仲良くしてきた人とのつながりが断たれようと後ろを振り返らない性格だったからこそ、真実を追求してくることができた。
先送りと無限ループ
なんでこんなことを書いたのかというと…、今またそんな展開になるかもな、と思っている自分がいるからです。個人的な人間関係に関することなので、あえてぼかして書きますが、わたしには10代のころから親身になって支えてきてくれた理解者がいます。わたしはその人のおかげでこれまで自分の症状に対処してくることができました。そもそも愛着障害について教えてもらったのもその人からでした。
立場や年齢はまったく違えど、互いに子ども時代のトラウマの影響と闘ってきたことも似ている。わたしは、その人となら一緒に山頂まで行けるのではないか、と期待していました。いや、今でもそう思っています。その人の洞察力があれば、わたしが気づかなかったことがわかるに違いない。だから、わたしはぜひとも、今わたしが直面しているテーマについて、同じ目線で考えるのを手伝ってほしかった。
けれども、ある時点から、話が進展しなくなってしまった。まるでループしているかのように話題が進んでは戻り、進んでは戻りを繰り返す。あるときは話題が進展して突破口が開けたように感じるのに、次の話し合うときには元に戻っているように感じられる。またわたしが読んだトラウマ関係の本を勧めたところ、読もうとはしてくれるもののも、いつまでも読み始めることができない。忙しさや体調不良が関係しているようですが、わたしにはどうもそれだけとは思えない。
わたしは、このいつまでも時間が進まず、同じところをぐるぐる回っているような状態には心当たりがあります。見えない壁に阻まれて、同じ時間をループしているような。それは身体はトラウマを記録するに書かれている本来の意味での解離、ピエール・ジャネが最初に記述した解離そのものだと思うのです。
ジャネは、自分の患者に見られるような、記憶の痕跡の分離や孤立を表すために、「解離」という言葉を造った。また、こうしたトラウマ記憶を寄せつけずにいるには多大な犠牲を払わざるをえないことも見て取った。患者がトラウマ体験を解離させると、「克服し難い障害物に縛りつけられる」と、のちに彼は書いている。
「彼らはトラウマ記憶を統合できないため、新たな経験を取り込む能力も失ってしまうらしい。それは……あたかも彼らの人格がある時点で完全に凝り固まり、新たな要素を加えたり取り込んだりしてそれ以上拡大することができないかのようだ」。
彼らが分離された要素に気づき、過去に起こったものの今はもう終わった出来事としてそれらを一つの物語に統合しないかぎり、個人生活でも職業生活でもしだいに正常に機能できなくなっていくことを、ジャネは予想した。今ではこの現象は現代の研究で十分に裏づけられている。(p297)
これだけだと意味が通じにくいので、ちょっと説明を。解離を起こした人は、「人格がある時点で完全に凝り固まり…それ以上拡大できない」ようになります。これはラルフ・アリソンもそう言っていた。だけどわたしは最初にこうした記述を読んだとき、自分には当てはまらないように思えた。わたしは解離しても成長してきたし、創造性も発揮してきたはず。
でも、当時のわたしはこの言葉の意味をよく理解していなかった。とりわけ解離能力の高い人は、自分の内部を区画化して区切ることができるので、ある部分にトラウマ記憶を閉じ込め、別の部分でうまくやっていくことができます。これは、Nijenjuisが提唱した「表面的にノーマルな人格部分」(ANP)と「感情的な人格部分」(EP)という用語で説明される。
たとえばわたし(今この文章を書いているわたし)は、日常をうまくやりくりするために区画化されたANPなので、自分の能力を成長させることもできるし学習することもできます。だから、「表面的にノーマル」に見えます。
しかし、このANPだけがわたしのすべてではなく、わたしの内部には、トラウマを抱え込んでいる子どもの人格のようなEPがたくさんあります。そうした人格は、人前にいるときには出てきませんが、一人でいるときや疲れたとき、何かトラウマを思い出させるようなトリガーに直面したときに無意識のうちにスイッチングします。(スイッチングについては以前詳しく書いた)
EPに切り替わると、わたしは途端に「人格がある時点で完全に凝り固まり…それ以上拡大できない」ようになります。たとえばやめたいと思っている自己破壊的な習慣をいつまでもやめられない。知識としてはよくないとわかっている傾向を、いつまでも改善できずに続けてしまう。自分の弱さを克服できないばかりか、いつも同じ失敗を犯して、ループにはまりこんでしまう。
解離した人は、その解離能力のおかげで「表面的にノーマルな人格部分」を発達させて、それなりに日常生活を送れて、たくさんのことを学習できるものの、トラウマを抱え込んだ「感情的な人格部分」は、永久にトラウマの瞬間をループのように繰り返しつづけていて、そこから抜け出せず、成長することができません。だから、ジャネが書いたように、「克服し難い障害物に縛りつけられた」かのようになって、いつまでも進歩しないまま、同じ地点にとどまりつづけます。場合によっては死ぬまでそこから抜け出せません。
ずっと以前に書いたように、わたしの祖母は、おそらく戦争体験から「人格がある時点で完全に凝り固まり…それ以上拡大できない」状態に陥っているようです。残念ながらあまり解離能力が高くなかったのか、「表面的にノーマルな人格」が発達していなくて、ほぼずっと凝り固まった「感情的人格」に支配されていて、時間が止まっているように思います。
さっき書いたわたしがお世話になってきた人の場合は、非常に優秀な「表面的にノーマルな人格」を備えているように思います。だから、トラウマを抱えていながらも、社会的にはわたしよりはるかにうまく適応し、成功している。しかし、トラウマを抱えている以上「感情的人格」も間違いなく存在する。そして、自分の過去のトラウマに向き合うような状況に直面すると、見えない壁に阻まれるかのように「克服し難い障害物に縛りつけられ」てしまい、それ以上進むことができないループに陥ってしまう。
たとえば、トラウマ関係の本を読みたいにもかかわらず、いつまで経っても読み進むことができず先送りにしてしまう、というのは、単に時間がないといった理由ではなく、無意識のうちに感情的人格が反応して、壁に阻まれているからだと思います。
ここで思い出すのは、岡野先生が、解離と先送り(先延ばし)はそっくりだ、と述べていたこと(残念ながら出典がすぐに出てこない) わたしも、その考え方には賛同します。解離とは、いま向き合うことのできない圧倒的なトラウマを凍結して、対処を先送りしてしまう防衛機制なのだから。
たとえば、ある本をどうしても読む気になれず、部屋の隅に積んでおく場合、意識的には見えない場所に追いやり、無意識下でだけ本の存在を意識しているという点で確かに解離と似ている。どうしても読む気になれない、あるいは読みはじめても読み進めることができない、というのは、読みたいという意欲があるかどうかとは裏腹に、無意識のうちにその話題に取り組むことを脳が拒否しており、向き合うことを先送りにしているからだとみなせる。無意識のうちに先送りが起こるのは、脳が今はまだこの問題に向き合えないと判断した結果なので、このような状態のときに、無理やりこの話題について話し合うのはよくない。
自分の経験から言っても、こうした無限ループが起こっているときは、外からだれかが働きかけても無意味で、ジャネが言っていたとおり、その人自身が「分離された要素に気づき、過去に起こったものの今はもう終わった出来事としてそれらを一つの物語に統合しないかぎり」時間が再び進み始めることはない。
だから、これ以上わたしがその人と一緒にトラウマについて考察しようとするのは、その人にとっては無理に過去のトラウマ記憶を刺激することになってしまってよくないし、わたしにとっては同じレベルで立ち止まってしまい、先に進むことができなくなってしまうので、どちらにとっても得策ではないのではないか、と思うようになってしまった。
事実、わたしは今、次に自分がやりたいことを考えはじめていて、その計画を実行するためには、また過去のような選択を強いられる可能性が高い。すなわち、今の人間関係をとるか、それとも、自分のやりたいことをとるか。今の人間関係が完全に失われるわけではないにしても、もう以前のように話し合いの中で考察を深めることはできなくなるかもしれない。一度話し合いをやめたら、どんどん話題が合わなくなって、再合流できないだろうことは目に見えています。
できることなら、わたしはその人の助けを得て、山頂まで登っていきたい。いくら愛着が希薄といっても、10代以来のお世話になった人間関係をすんなり後にできるほどではない。だけど悲しいことに、それでもいいか、と思っている自分がいるのも事実です。
わたしはつくづく、愛着を持てないというか、サンクコスト・バイアスに囚われにくい人みたいです。たいていの人は、自分がこれまで費やしてきたサンクコスト(埋没費用)を惜しく思うため、既存の仕事や研究領域や人間関係にとどまりますが、わたしみたいに自分がこれまでやってきたことに愛着のない人は、すばやく方針転換できてしまうものです。
想像力の萎縮
わたしは今、これから自分がどんな方針でやっていくべきかを思い巡らしています。まだ形にはなっていないけれど、最近、わたしが感じるのは、自分が想像力の萎縮に陥っているのではないか、ということ。さっきの「あたかも彼らの人格がある時点で完全に凝り固まり、新たな要素を加えたり取り込んだりしてそれ以上拡大することができないかのようだ」というのが、わたしにも無意識のうちに起こっているのではないかと。
わたしに起こっている「想像力の萎縮」とは、単なるイメージの話ではなくて、オリヴァー・サックスが左足をとりもどすまでで書いているたぐいのものです。サックスは入院していたとき、狭い独房の部屋で20日過ごしたあと、広い部屋に移されたときに奇妙なことに気づきました。
狭い独房のような部屋で20日間すごしたあとだ。ゆったりとくつろいでいると、ふしぎなことに気がついた。近くのものにはすべて、体積、広がり、奥行があるのに、遠くのものはまったく平板に見えるのだ。
…距離にして60メートルほどのあいだにあるものすべてが、ホットケーキのように平板に見えた。…細かいところまではっきりしているが、まったく立体感がない。…目の前、一、二メートルくらいまでが限界だった。
つまり私は、視覚的には、いまだに高さ2.1メートル、間口1.8メートル、奥行2.7メートルの透明な箱のなかに閉じ込められていたのだ。20日間すごした病室、あの「独房」の大きさだ。べつの部屋に移されたにもかかわらず、知覚的にはいまだそのなかにいたことになる。(p189)
サックスの視覚の立体感は二時間ほど経って、窓の外を眺めたときに正常に戻りましたが、彼はこの出来事から得た教訓についてこう書きます。
視覚が変化しても、恐怖を感じなかったということが重要だ。自分がどれほど萎縮してしまったか気づいていなかったのだ。病床にあって、私は知らず知らずのうちに、どんなに萎縮してしまっていたことだろう。文字どおり生理学的な意味においても、想像力や感覚そのものも萎縮していた。まったく自覚のないまま、私は小人に、囚人に、収監者になっていた。
―それが患者になるということだった。私たちは「病院や施設に収容する」ことについて、それが人格に及ぼす影響など考えずに、あれこれ言う。収容された患者は精神面はもちろんのこと、知らぬまに、あらゆる点でどんなに萎縮することか。それは、速やかに、だれにでもおこりうるのである。(p191)
この変化、つまり狭い空間に閉じ込められていたせいで、長期間使用されなくなった知覚能力が萎縮し、想像することさえもできなくなってしまうような変化は、だれにでも起こりうる、と書かれています。
この現象は今では「学習された不使用」と呼ばれています。この概念はとんでもなく重要な概念ですが、理解するのが難しい。脳は奇跡を起こす によると、「学習された不使用」という言葉を作ったのは神経科学者エドワード・タウブですが、彼はあるとき奇妙な発見をした。サルの実験で片腕の神経を切断されたサルはその手を使えなくなった。しかし両腕の神経を切断されたサルはなぜか両腕が使えた。この直感に反する実験結果は、タウブに驚くべき洞察をもたらした。
タウブははたと気がついた。脳卒中の治療を根本から変えることができるかもしれない。サルが、感覚神経を切断された腕を使わなくなるのは、手術直後の「脊髄ショック」状態にあるときに、その腕を使わないことを「学習した」からではないだろうか。
ニューロンが発火しにくくなる脊髄ショックの期間は、二ヶ月から半年続く、脊髄ショック状態にある動物は、神経を切断された腕を動かそうとして、何度も失敗する。うまくいった経験が強化されないために、動物は悪い腕を使うことをあきらめて、なんでもない腕を使うようになる。そして、そちらの腕を使うことが強化される。
そこで、感覚神経が切断された腕の運動マップ(これには、腕の一般的な運動プログラムも含まれる)は弱くなり、退化していく。可塑性の原則「使わなければ失う」だ。
タウブはこの現象を「学習された不使用」と呼んだ。両腕の感覚神経を切断されたサルが両腕を使えるのは、うまくいかないことを学習する機会がなかったからだ。生きるためには使わざるを得なかったのである。(p170)
脳卒中のあとに麻痺が起こるのは、神経がダメになるからではなく、動けない時期に、その部分がもう使い物にならないと学習され、脳の運動マップが退化するからです。だから、たとえば、脳卒中に陥って左手に障害が起こった人の場合、あえて麻痺していないほうの腕を固定して、いやがおうでも障害のあるほうの手を使わせることで、「学習された不使用」が起こるのを防げる。タウブはこれを拘束運動療法(CI療法)と名づけました。
この「学習された不使用」と、「拘束運動療法」の概念は、じつに広い応用範囲を持っています。たとえば、お年寄りがしだいにスポーツができなくなっていくのはなぜか。一般には老化で身体が衰えていくためだと思われているけれどそうではなく、老化とともに、痛みや病気のせいで身体を動かすことを避けるようになる、すると学習された不使用が起こり、脳の中で、運動するための配線が失われていき、必要な手続き記憶を利用できなくなってしまう。こうして、身体を動かす方法を「忘れて」しまい「想像できなく」なります。
また外国語をしゃべれないのも、一種の不使用の学習です。生まれ育った環境で話す必要のない発音などは、幼少期に不要だと学習され、そのための脳の機能が退化し、必要な機能だけが伸びます。この不使用の学習によって、わたしたちは容易には外国語を話せなくなる。しかし現地に飛び込んで「外国語をしゃべらざるをえない」状況になれば、必要な能力が発達します。これは言語野における、一種の拘束運動療法だと書かれています。(p183)
そしてトラウマに伴う障害というのも、この「学習された不使用」です。身体はトラウマを記録するにあるように、マイヤーとセリグマンの実験で、逃げられない環境で繰り返し電気ショックを受けた犬は、檻が開いても逃げようとしなくなる学習性無力感に陥りました。何度やっても無理だったために、脳の中で、逃げるための脳マップが失われるからです。
タウブの実験のサルたちが「神経を切断された腕を動かそうとして、何度も失敗」したことで、「悪い腕を使うことをあきらめて」「腕の一般的な運動プログラム」が失われたのと同じです。またオリヴァー・サックスが、20日間独房のような病室に閉じ込められたせいで、奥行を認知する能力を一時的に失ったのとも同じ。
わたしみたいな不登校から引きこもりになってしまうような子どもは、よく廃用性筋萎縮で運動機能が低下するとか言われますが、実際に萎縮しているのは筋肉ではなく脳の運動マップです。ずっと身体を使わないと、それに対応する脳の運動マップが退化してしまい、筋肉に指示を送れず、本当に身体を動かせなくなっていきます。
直感では理解しにくい部分ですが、バレエ選手などがあれほど身体がやわらかくなるのも、身体そのものが柔らかいのではなく、特定の筋肉にうまく指示を出す脳マップが学習されているからです。逆に言うと身体が固くて前屈できないのは筋肉のしなやかさが足りないのではなく、前屈姿勢をとったときに、特定の筋肉を弛緩させる脳の運動プログラムが存在していないからです。力士がする股割りの稽古は、正確には股関節の筋肉を柔らかくしているわけではなく、そのような筋肉の使い方を脳に学習させています。だから、実際の体の筋肉には問題がなくても、「学習された不使用」によって、脳の中のネットワークが退化すれば、体を動かせなくなります。
そしてここが重要なのですが、「学習された不使用」が起こってしまった能力は、想像力の萎縮が起こり、想像することもイメージすることもできなくなってしまいます。そもそもどうやったらいいのかさえわからないので、だれかからやり方を教えてもらわないかぎり、自分の行動を変化させることができなくなります。
サックスは左足をとりもどすまでの中でリハビリのとき、まったく歩き方を思い出せなかったと書いています。
「さあ、サックス先生。いったいなにを待っているんです?」
「だめだ。できない」私は答えた。「歩き方がわからない。どうやって足をふみだしたらいいかまったくわからない」(p173)いかに強い心、意志をもっていても、最初の一歩をふみだすとき、なにかを新しく、あるいはふたたびはじめようとするとき、すべての患者が同じ困難に直面する。新しい行為を想像することができない。「想像力が抑制されている」からである。だから、それを理解して、だれかが患者を行為に放りこまなければならないのだ。(p222)
これはマイヤーとセリグマンの犬の場合も同様でした。学習性無力感に陥った犬たちは、だれかに檻から引きずり出されなければ、動き出すことができなかったと身体はトラウマを記録するに書かれている。ヴァン・デア・コークは、この実験から、「私の患者たちも、自分に主導権があるという体の芯からの感覚を取り戻すには、身体的な経験が必要なのではないか」という結論に至り、SEなどの身体的な経験に取り組むセラピーに注目したらしい。(p59)
だから、SEのセラピーと、タウブの考案した拘束運動療法は同じものなんです。どちらも、学習された不使用によって使い方を忘れてしまった感覚や手続き記憶を再活性化するために、身体的な経験を繰り返すという治療法だからです。トラウマを負った人が、さっき書いたような、人格の凝り固まりを起こし、無限ループにはまりこむのは、学習された不使用によって、そこから抜け出すための方法がまったく想像できなくなってしまい、想像力が萎縮していることにさえ気づけなくなってしまうからです。
この話題はずっと以前からずっと何とかまとめたいと思っているところなんですが、やっぱりまだうまく書ききれないですね…。今までまとめてこなかったのは、言葉でわかりやすく説明しにくいからです。自分の説明能力のなさを痛感する。
忘れていた広い世界を思い出す
何度も繰り返し失敗して、使われなくなった機能は、神経レベルで「学習された不使用」に陥る。知覚機能や手続き記憶は存在していても、それを引き出すための脳のプログラムが萎縮してしまうので、そうした能力を自分の意志で利用することができなくなる。ごく当たり前の手続き記憶を利用できないので、麻痺や凍りつきに閉じ込められてしまい、いつまでも抜け出せない無限ループに陥ってしまう。
その無限ループから抜け出すには、何かのきっかけで、失われていた手続き記憶が再活性化され、ふたたび利用できるようにならなければならない。そのためにできるのが、たとえばタウブのCI療法で健康なほうの手を固定して障害のある手を無理にでも使わせることだったり、SEのペンデュレーションによって凍りついていない状態を少しずつ経験できるようにすることだったり、オープン・モニタリングで感覚を研ぎ澄ませることだったりするわけです。どれも、意識して今まで使っていなかった感覚を再度目覚めさせ、経験を通して脳機能を蘇らせようようとしている点で共通している。ひとたびそれを使うことを「思い出せ」ば、脳の中の接続が回復していきます。
わたしの場合、慢性疲労状態になったり、引きこもりになったりしてから長いので、間違いなくさまざまなところで「学習された不使用」が起こって、想像力が抑制されています。ちょうど、独房に長い間収容されていた人の感覚世界がこじんまりと縮小してしまうように、わたしの世界は、自分が生きてきた引きこもりの世界の大きさまで萎縮してしまっている。
だから、わたしは本当は自分のまわりに広がっているはずのとてつもなく広い世界を、文字通りの意味で認知できなくなっていると思うのです。サックスは、自分の回復過程についてこう書いていますが、まさに今のわたしにとってもそれが必要です。
一段あがるごとに、水平線がひろがる。狭い世界から外へ踏み出す。それまでいた世界が、ひどく狭く、縮んでいたことにはじめて気づく。生理学的にも、実存的な意味においても、あらゆる面でそうだった。(p188)
さっきのたとえでいうと、わたしが自己探求の山の高みを目指そうとするのは、サックスと同じ経験をしてきたからです。だれかと同じレベルでつきあっているうちは、ごく狭い範囲の思考しかできない。でも、そこの人間関係を後にしてでも、次のステップへとあがると、より広い視野で物事を考えられるようになっていく。今までいた世界がちっぽけなものだったと初めて気づく。だからもう、以前の場所にとどまっている人とは話が合わなくなる。
だけど、わたしは単なる思考においてではなく、五感の感覚世界においても、広い場所に出ていかなければならない。言うまでもないことですが、サックスの「独房」の例からわかるように、ごみごみした都市で生活し、狭いマンションに住んでいるだけで、何かしらの感覚の萎縮は生じえます。とはいえ萎縮というより、その狭さに適応した知覚になっていくというほうが適切かもしれません。
適応するのは必ずしも悪いことではありません。わたしは文明や都市生活を否定するわけではない。でも、わたしみたいな不登校から引き込もり状態になった人は、もっと感覚世界が狭くなっているはず。そういえばわたしが最も離人症がひどかったとき、世界が薄っぺらい紙のように見えて怖かったのを思い出します。まるで二次元のように、立体感も奥行きも厚みも感じられなくなっていた。世界の厚みや質感が感じられなくなるのは離人症のおもな症状のひとつ。
自然公園の中でオープンモニタリングしたわたしは、今までよりも広い世界に感覚を開放したともいえます。不登校からの引きこもり生活で縮こまってしまった感覚は、より広い世界に身をおいたときに、はじめて奥行きが戻ってくる。
そして、最大限に奥行きが感じられる体験、それが、最近の記事で何度も書いていた、畏怖の念を感じるような大自然に触れることではないかと思います。NATURE FIX によると、哲学者エドマンド・バークは畏怖の念をこう定義しました。
心から畏怖の念を覚えるには、「はてしない広がり」が必須で、なおかつ、人間にはそう簡単に理解できないものでなければならないとバークは考えた。こうした畏敬の念があるからこそ、人間は謙虚になり、哲学者、聖職者、詩人が好んで使う「広い視野」をもてるようになる。(p261)
ここ何度か、畏怖の念がトラウマに効果があるのはなぜか、という点を考えてきたけれども、それは今回考えた観点から説明することもできる。
トラウマとは、狭い独房の中に長時間閉じ込められて学習性無力感に陥るような、「学習された不使用」である。狭く圧迫された慢性ストレス環境にずっと閉じ込められることで、知覚機能が萎縮し、檻の中の四方八方の範囲しか認知できないようになってしまう。それによって、想像力の萎縮が起こるため、トラウマを負った人は檻から抜けだす方法をイメージできなくなってしまい、無限ループにはまりこむ。
他方、畏怖の念とは、世界のあまりに広大な広がりに圧倒され衝撃を受ける体験である。巨大な何かに包まれているように感じ、自分が取るに足りないちっぽけなものに思える。広大な広がりを認知したことで、知覚がリセットされ、解放される。「それまでいた世界が、ひどく狭く、縮んでいたことにはじめて気づく」体験なので、トラウマによる「学習された不使用」を打ち消す効果がある。
というわけで、今のわたしに必要なのは、もっと広い世界、わたしの独りよがりの狭苦しいちっぽけな世界を打ち砕き、「ああ、まだ何も知らなかったのだ」と思わせてくれるような広大な広がりではないかと思います。
わたしはこれまで、トラウマに影響に翻弄されて、何の望みもないかのように書いていたこともありますが、おそらくそれは、この想像力の萎縮によるもので、「ひどく狭く、縮んで」いる世界にいることから起こっていると思うのです。独房の中に長らくいた人は、世界の奥行きが想像できなくなるために、世界とは薄っぺらい面白みのないものだと考えてしまうようになるということです。
だからわたしは、独房から出ることを体験せねばならない。自分の体で檻から出て、広い世界を体験せねばならない。不思議なことに、これは、わたしが数年前に見た夢のテーマでした。ずっとお城に閉じ込められていたお姫さまは、自分を迎えに来てくれた少年と共に、広い世界に旅立たねばならなかった。数年前に、わたしの無意識はすでにそのことを知っていた。
わたしはきっと、今はまだ想像することもできない景色を求めて、積極的に行動を起こしていくべきなのだと思います。より広い世界が見える高みを目指して。
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