地図にない世界を探検しにいったセラピー体験記(2)

初回のセラピーから二週間、無事に二回目のセラピーも体験してきました! 今回も気づきがたくさんあったので、SE体験記の第二回を書こうと思います。

…と思って書き始めたんですが、すみません、この記事は二回目のセラピーについてではなく、前座の内容だけで、すごい文章量になってしまいました。たぶんほとんど誰も読んでないと思いますが、好き勝手に書いてるのでいつもこんな調子です(笑)。二回目のセラピーについては、次回の(3)の記事で書きます。

今回の(2)は、一回目のセラピーと二回目のセラピーのあいだに起こった出来事や考察、心境の変化などの内容になりました。

また高熱で意識を失う

前回のセラピーを終えてから、色々と考えたことはあれど、生活や体調に大きな変化はなかったのですが、一週間ほど経ったとき、突然いつもの高熱で倒れました。

その日は、夕方ごろ少し運動に出かけるなど、いつもどおりの生活を送っていました。室内のボルダリングではなく自然の中で身体を動かすべきだと悟って以降、川床にある飛び石を使ってアスレチックするのが習慣ですが、なぜかいつもほどにはリラックスできていないような気が。でも、そんな日もあるさ、と軽く考えて帰宅しました。

帰ってからも、いつもどおり家族と一緒にゲームで遊ぶなどして過ごしていましたが、21時ごろ、突如全身の寒気に見舞われ、これはやばい、「あれ」が来たと気づく。10分もしないうちに猛烈な吐き気に襲われて、ふらつきながら急いで洗面台へ。激しく嘔吐して、水で洗い流そうとした瞬間、意識が途切れました。

次の瞬間、何か大きな音がして目覚めたけれど、自分がどこにいるのかわからない。なぜか床に倒れ込んでいる。遠くで何か水の流れる音がする。大きな音にびっくりして部屋から出てきた家族が心配して声をかけてくれている。

混乱した頭で、必死に断片的な情報をたぐって、自分がいる場所を分析し、どうやら意識を消失して倒れたことに気づきました。もうまともに考えられる状態ではなかったので、申し訳ないけれど後始末を家族に任せて、ベッドになんとかたどり着いて、気絶するように寝ました。

その後、断続的に起きては、激しい全身の痛みと高熱にうなされました。少しでも飲み食いするとまた吐きそうになるので絶食。次の日、ようやく飲めるようになりましたが、少し飲んだところで、また全部戻してしまう。しかしそれによって気分がいくらか楽になり、熱も下がってきてぐっすり休むことができました。

突然高熱が出たり、吐いたり全身が痛んだりするのは、何も今に始まったことではなく、10代のころからずっとなので、特にあわてることもありませんでした。去年や一昨年なんかは40度の熱で生死の境をさまよいましたしね。

いずれの場合も、風邪やインフルエンザでないことははっきりしています。高熱が出て一日で回復すること、鼻水やせきはまったく出ないで高熱と全身の激痛と吐き気だけであること、そして1ヶ月から半年くらいの間隔で繰り返し同じ症状が再現されること。こうした症状について何度も調べましたが、これらの特徴から言えるのは、いわゆる「心因性発熱」であろう、ということです。何度調べても同じ結論に達しました。

意識が消失したことも過去に何度かありましたが、座っているときや、ベッドの上でのことだったので、立ったまま意識を失って倒れたのは初めてでした。どうやら、あの大きな音は、家具にぶつかって倒してしまった音だったようです。ただの衣服掛けだったので、大事には至らず、わたしの身体にも傷はありませんでした。でも打ちどころが悪ければ大怪我していたかもしれないと思うとぞっとします。

今回の発熱がセラピーと関係していたのかは定かではありません。わたしはどっちかというとほぼ無関係だと思っています。単に時期が近かっただけで、そろそろ周期からすると高熱が出てもおかしくないころだったので。

もうひとりの自己

奇妙だったのは、洗面所で吐いているときに意識を失ったのに、倒れた場所がそこではなく、隣の部屋の入り口付近であったことでした。距離にして数メートルは離れています。しかも、わたしはこれから嘔吐した洗面所を掃除しようとしていたのに、水を出しっぱなしで自分の部屋に帰ろうとして、途中の家具にぶつかって倒れた、その衝撃で意識が戻ったようでした。

これがミステリ小説なら、何か大がかりなトリックが隠されているところです。意識のない人の身体が、数メートル以上も移動していたのですから。倒れた場所と、発見された場所の、数メートルの食い違いが、事件の裏に隠された真相を見抜く重要な手がかりになる、と探偵は判断するでしょう。なんて面白そうなミステリ!  そういや、ディクスン・カーの「三つの棺」で、被害者が傷を負った後に自分で動いて部屋を密室にしてしまったなんて話もありましたっけ。

しかし現実は小説より奇なり。わたしは明らかに、そのとき1人でした。しかし、意識を保っているときと、意識を失ってからの数秒間は別の意図で行動していました。簡単にいえば、意識が保たれていたとき、わたしは大脳新皮質の理性的な思考によって行動していました。しかし、意識が途切れたとき、わたしは脳幹に支配され、本能のままにベッドへ向かっていたんでしょう。理性的には汚れたシンクの後片付けは大事ですが、本能からしてみれば、後片付けなんかより生命維持のほうが重要なのです。

行動経済学者ダニエル・カーネマンがファスト&スローの中で書いている二人の自己、「ファスト」思考の本能と「スロー」思考の理性が、わたしの身体の中で別々の判断を下していた。あるいは、脳科学者のアラン・ショアが、The Right Brain and the Unconscious: Discovering The Stranger Withinの中で書いている右脳を座とする“The Stranger Within”(内なる他人)と言ってもいいかもしれない。図らずもわたしはこの体験によって、自分の中には言語と理性をつかさどる普段の「スロー」な自己とは別の、感覚と本能に基づく別の「ファスト」な意思決定機構があるのを目の当たりにしたわけです。

この二つの自己は、ふだんは1人の人のように錯覚していますが、それは、本能の自己が無意識のうちに取った行動を、理性の自己があたかも自分の意思でそうしたかのように都合よく解釈して理由を後付けしているからです。

行動経済学では、このことを明らかにする実験が色々出てきます。例えば売り場の物の配置を変えるだけで、多くの人は目立つ場所に置かれた商品を無意識に選ぶようになりますが、理由を聞かれると、自分はこれが好きだから選んだ、などともっともらしい理由を考え出します。

それはつまり、末端の「社員」がボトムアップ形式で判断した事柄を、あたかもトップダウンの「社長」が判断したかのように錯覚してしまう、ということです。わたしたち人間は、みんな自分の身体の「社長」としての自由意志を持っているかのように錯覚していますが、ほとんどの行動は末端の「社員」の感覚によっていつの間にか反射的に決定されています。

でも、何かの解離現象が起こって、意識と無意識が分断されると、自分の中に複数の意思決定機構があるのを知ることになります。

たとえば、寝ているときに無意識のまま歩き回ったり食べたりしてしまう睡眠障害、意識があるのに身体が別のことをやってしまうのを目撃して戸惑う自動症、文字どおり左右の脳のつながりを物理的に手術で切断された人などなど。こうした人たちは、同じ身体の中に別々の人間がいるかのようにふるまいます。

もともと自動症という言葉を用いたのは、解離の概念を作ったピエール・ジャネなので、自動症のより典型的なものがDID、ということになりますね。解離によって頭の中の意識的な自己と無意識の自己のつながりが断たれたり、物理的に神経回路が切断されたりすると、わたしたちは誰でも内なる別の自己に気づいてしまいます。

わたしの今回の症状も、理性的な意識が失われた後、本能をつかさどる脳幹だけが行動をコントロールしている時間が数秒間あったということなんでしょう。SEの開発者のラヴィーンも、そんな感じの例をトラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復に書いてました。

すべての機能停止にも関わらず、デイビッドはまったく意識することなく、接近か回避かを決定する複雑な行動を選択し実行することができた。

接近か回避かを選択する能力が損なわれていないことから、こうした「決定」は、視床、小脳、不随意的錐体外路の運動システムを含む脳幹の上部でなされていると推測される。(p54)

このように脳幹レベルで意思決定がなされているという明らかな事実は、人間の記憶と意識についての一般常識とはかけ離れているだろう。(p56)

そのときのわたしの行動は、トップの「社長」ではななく、末端の「社員」たちによって勝手にコントロールされてたのです。

「下から上へ」

ラヴィーンは別の本 身体に閉じ込められたトラウマの中で、あのパブロフの犬で有名なイワン・パブロフの弟子のポール・イワン・ヤコブレフが、脳は「内側から外側に、下から上に」発達していったことを明らかにしたと述べています。(p301)

もともと人間の脳は、本能や自己調節をつかさどる脳幹が先に生成されて、それを覆うようにして、感情をつかさどる大脳辺縁系、さらにその上に理性的に判断する大脳新皮質が作られていくので、あくまでベースとなっているのは脳幹であり、本能なわけです。

わたしたちが無意識のうちに本能的にやった判断を、あたかも自分の意志でやったかのようにみなして理由を後付けしてしまうのはある意味当然のことです。脳の構造そのものが、本能をつかさどる脳幹がまずあり、その上に理性をつかさどる大脳新皮質が後付けされているからです。

なぜこのことが大事なのかというと。

ふつうのカウンセリングは、この脳の構造をまったく無視して、理性(大脳新皮質)や感情(辺縁系)に働きかけて、行動を変えさせようとする、いわば「上から下へ」のアプローチです。でもカウンセリングによって身体の問題が解決しないのは当然です。脳は、脳幹から大脳新皮質へと、ほとんど「下から上へ」情報を伝達するよう作られているからです。

脳をちょうど、川の流れに例えると、脳幹→辺縁系→大脳新皮質と情報は流れています。カウンセリングによって辺縁系にアプローチしたり、認知行動療法によって大脳新皮質にアプローチしたりしても、川の末端を清めようとしているだけで、源泉の問題は解決されません。

だから、SEのようなボディワークでは、まったく逆の経路を取ります。「上から下」の人間の作りに合わないトップダウンではなく、生物の仕組みにのっとった「下から上」のボトムアップのアプローチ。理性に訴えるでも感情に訴えるでもなく、脳幹の本能的な感覚に注意を向けることで、源泉の問題にアプローチしようとしているわけです。

SEの邦訳本を読むと、どの訳者も口をそろえて、もともと「上から下へ」のトップダウン型のカウンセリングなどをやっていて効果がなかったのに、「下から上へ」のボトムアップ型のセラピーをするようになって効果が見られるようになったと述べていました。

たとえば、子どものトラウマ・セラピー―自信・喜び・回復力を育むためのガイドブック では…

私がサンフランシスコとロサンゼルスで3年間のSEのトレーニングを受けてから、そしてその後の臨床活動のなかでトラウマと出会わないことはありませんでした。しかも、SEを覚えはじめたときは、新鮮な感動を味わったことを今でも忘れません。

傾聴したり、分析をしていても変化が乏しく行き詰ったセッションが、クライアントとセラピスト双方にとって、喜びあふれ、力を与えてくれるものになりました。(p282-283)

またトラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復では…

当然のように私は愛着の問題を抱えることになり、幼いころから複数の疾患に悩まされることとなった。10代から足掛け10年余り、傾聴をベースとした心理カウンセリングを受け、私は自分の身に起きたことを理解し、時系列で理路整然と語れるようになっていた。しかし苦しい身体症状は相変わらず続いていた。

ところが、SEのセッションを受けるうちに、それらの身体表現性疾患はすべて寛解した。「認知からのアプローチ」は私を支えてくれたが、「身体からのアプローチ」は私の人生を変えたのである。(p238)

というように。

わたしはSEの宣伝をしたいわけじゃないので、SEに魔法のような効果があるとは言いません。トラウマ専門家のヴァン・デア・コークも治療にはトップダウンのアプローチだけだとうまくいかないが、ボトムアップだけでもだめで、複数のアプローチが必要なことが多いと書いていました。それにSEにこだわらずとも、フェルデンクライスメソッドやハコミセラピーなど他の種類のボディワークでも同じような効果は期待できます。

ただ、わたしが言いたいのは、今の世の中の、なんでもかんでも心の傷だとか心の病だとかみなす短絡的な考え方は、生物学的にも神経学的にも馬鹿げているということだけです。わたしはチャールズ・ダーウィンやイワン・パブロフの動物行動学の研究成果からたくさん恩恵を受けてきました。ダーウィンが盲信的な教会の教えに逆らって勇敢に主張したように、人間と動物は基本的に同じつくりをしており、心より以前に感覚が存在しているのです。

皮肉なことに、キリスト教の聖典である聖書は、思い上がって盲目になった教会とは異なり、何千年も前にダーウィンと同じことを述べていました。オリヴァー・サックスが左足をとりもどすまでの中でこう書いているように。

この瞬間に、自分は人間で動物とは違う、動物より優位にたった存在なのだという思いあがりはきえさった。ふたたび伝道の書 [注:聖書の中の一冊] が私に語りかける。

「人の子らに臨むところは獣にも臨むからである。すなわち一様に彼らに臨み、これ死ぬように、彼も死ぬのである……人は獣に勝るところがない」(p26)

人間は動物とは違い、神に類する特別な存在なのだ、という驕り高ぶった思想を、ダーウィンは地上へと、本来あるべき謙虚な場所へと引き戻してくれました。ダーウィンの自伝を読むと、もともと彼は聖書が大好きで人一倍読み込んでいた、というのも面白いところ。

ピーター・ラヴィーンは、イワン・ヤコブレフに会って話し合ったときのことを身体に閉じ込められたトラウマにこう書いてました。

ダーウィンも、ほんの百年ほど前に、研究室で同じようにしていたのだろう。私はゾクゾクし、跳びあがって「そうだ!」と叫びたい衝動をこれ以上押し込めておけないのではと思うほどだった。

私たちは本当に、ニューロンにいたるまで、動物の端くれにすぎないのだ。そしてそれは、そんなに悪いことではない。(p304)

パブロフやヤコブレフや、他の動物行動学者の研究が示しているように、動物は犬でもラットでも、人間と同じくトラウマ障害を抱えます。「人の子らに臨むところは獣にも臨む」との言葉どおり。そんな動物を回復させるには感覚からのアプローチしかありません。動物に心や理性を求めてもムダです。それなのに、人間が同じ症状を抱えたときだけ、心の問題とみなされる意味がわかりません。不条理極まりないと思います。

わたしに言わせれば、心の問題がどうのこうのと理由づけして、精神論で問題を解決できると吹聴する人たちは、人間の在り方を履き違えた盲目的な教会と同じほど思い上がっています。わたしたちは天国に住んでいるとでも?  いいえ、ここは地上、動物たちと同じ高さに住んでいるんです。

病気の原因は「心理的ストレス」だと真顔で言うような医者にも、もううんざりです。「心」とは何なのか考えてみたこともないのでしょうか。心は肉体から、そして神経から生じていることを知らないんでしょうか。いつまでデカルト以来の心身二元論にとらわれ、体と心を分離させて考えているのでしょうか。

心理的ストレスとは「心」などという得体のしれない何かに生じるものではなく、身体の感覚を土台として生じた生理的変動が、脳によって認知された結果感じるものなのです。例えば断腸の思いという言葉が示すように、身体の反射的な反応を、わたしたちは心理的ストレスとして認知しているだけです。

わたしは「心因性」とか「心理的ストレス」なんて眉唾をこれっぽっちも信じていません。こういうのは、宗教が考え出すいわゆる“隙間の神”、つまり現時点で説明できないものを神という言葉で説明しているのと同じほどこっけいです。わからないことは神のせい、わからないことは心の問題。どっちも同じです。

わたしは医学は盲目的な宗教とほとんど同じ構造をしていると思っています。興味深いことにラヴィーンは精神疾患の診断に使われているDSMを精神科診断の“聖書”に例えていました。医者は仰々しい白衣によって区別されている僧職者階級であり、自分が学んだ“聖書”である医学の教科書を盲信するあまり患者の言うことを聞こうともしません。(p35)

わたしは昔、入院しているときに大回診を経験しましたが、どこの狂信的な宗教行事かと思うほどこっけいでした。これもまた興味深いことにオリヴァー・サックスは左足をとりもどすまで の中で、自分が入院していた病院の大回診を「まるで司祭の行列のよう」で「患者を無視し軽蔑している」と述べていました。はたから見れば誰にだっておかしいとわかるような習慣を、本人たちが大真面目にやってることからしておかしい。(p119-121)

たちの悪いことに、僧職者と同様、医者も自分は人を救う真理を知っていると勘違いしていて、「これをしなければ死にますよ」(訳 : 信じる者だけが救われる)などと脅します。苦しんでいる人から巻き上げたお金で私腹を肥やしているのもしかり。他の“宗派”の研究者の意見に聞く耳を持たず対立しているところとかも。

もともと医学は呪術や宗教から派生したものなので、構造が似ているのはあたりまえなのかもしれません。有名な「ヒポクラテスの誓い」が神に対する宗教的誓約だったように。医学は宗教と違って科学的に実証されている? 本当の科学者なら科学を盲信したりはしないはずですが。

そういえば、ピーター・ラヴィーンやヴァン・デア・コークは、医療措置によるトラウマ後遺症について本の中で毎回書いています。たとえば 子どものトラウマ・セラピーの中で、連続爆弾魔で終身刑を受けたセオドア・カクジンスキーが、小児期の拘束的な入院の医療トラウマによって人生を破壊されていた例を挙げて「一般的によく見逃されている子どものトラウマは、通常もしくは緊急の医療処置によるもの」だと述べ、詳しく対策を扱っています。(p134-157)

ところが日本のほとんどの医者は、トラウマの原因として家庭問題や虐待や犯罪は糾弾するのに医療トラウマの話題はめったに扱いません。それはもう奇妙なほどに。うちの主治医も、とても誠実な人ですが、子ども時代の医療トラウマが虐待と同じほど深刻な影響を与えることを知りませんでした。

これは教会で児童虐待が隠蔽されていたのと同じです。医療という命を救う“宗教”の正当性が侵されるわけにはいかないので、都合の悪い情報は隠蔽され、“信者たち”に知らされないというわけです。この本によると、すでに1944年にデビッド・レヴィ博士が日常の些細な医療処置でも戦争神経症のような症状を発症する子どもがいることを突き止めていました。医学は医療トラウマの存在を知らなかったわけではなく意図的に目を背け、覆い隠してきたことがわかります。

医学も宗教も、自分たちはトラウマをもたらす側ではなく癒やす側だと主張していますが、冷静になって、中立的な思考で判断してみれば、両者がいずれも大義名分を言い訳にして、多くの人々に大小さまざまなトラウマを引き起こしてきたことがわかるはずです。

もちろん、宗教を実践している人の中にも、例えば中世のティンダルやウィクリフみたいな非常に誠実で尊敬に値する人がいました。だから、わたしは医者のすべてが腐敗しているなんて極端なことは思っていません。誠実な医者の研究から大いに益を得てきたのは事実です。だけど、まともな人はごく少数だとも思ってます。そのような人は医学の主流派から弾圧される“殉教者”になりがちです。

子どもの医療トラウマを防ぐ専門家を育成する、チャイルド・ライフ・スペシャリスト(CLS)の育成も始まっていますが、まだほとんど浸透していませんし、医学や病院のシステムそのものが変わることはまずないでしょう。なまじ「専門職」があるせいで、他の医療従事者たちが問題を丸投げしてしまい、努力しなくなることだってあるからです。

話が盛大に脱線しましたが、わたしの記事はいつもそうなので…。。タングステンおじさん:化学と過ごした私の少年時代に書かれているように、わたしが敬愛するオリヴァー・サックスと彼が尊敬していた科学者ドミトリー・メンデレーエフも、話が脱線しすぎて脚注が本文より長くなる人でしたし。

『化学の原論』は、メンデレーエフの生涯を通じてまるで生き物のように成長を遂げ、版を重ねるごとに前より分厚くなり、詳細になり、完成されていった。

また同時に、脚注も多くなり、長くなっていった(脚注は、おそろしく膨大になって、最後の版では本分より多くのページを占めている。九割が脚注というページもあるほどだ。

私自身、脚注をたくさん入れ、そこから話を脱線させるのが好きなのも、一部には『化学の原論』を呼んだためだと思う)(p297)

高熱とは何だったのか

さて、話をもとに戻して高熱の話題ですが、わたしは自分の身に周期的に起こるこの高熱は、いったいなんなのだろう、とずっと考えていました。

さっき書いたとおり、メカニズムとして考えられるのはもいわゆる「心因性発熱」、つまり子どもの知恵熱と同じものです。ウイルス感染などはなくても、ストレスのせいで高熱が出るというやつです。

心因性という表現はともかく、身体に生理的な負荷がかかると高熱が出るという現象のことを言っているのはわかります。ではわたしの場合、本当にそうなのか。

心因性発熱の研究によると、子どもにしても大人にしても、ストレスがかかるときに熱を出して、ストレスの原因が過ぎ去ると熱も引くそうです。わかりやすく言えば、子どもがテストの前日に高熱を出すようなもの。テストの日がすぎればケロリと復活。

わたしはだいたい数ヶ月に一回のペースで高熱を出して、一日かそこらで回復します。一見似ているようですが、腑に落ちないところがありました。毎回しっかり記録をとっていますが、高熱を出した前後に、何か特別にストレスのかかる出来事があったとは思えないというところです。だから原因らしきものが見つかりません。

ストレスのかかる出来事が原因で熱が出るなら、発熱を予期できるはずです。ところが今まで一度も発熱を予見できたことがありません。しかも、一度熱を出したら、その後の数ヶ月は無理をしても熱は出なくなります。

予期したときではなく、忘れたころに突然やってくる。でもある程度周期性がある。これが一番よく似ているのは、プレート型地震だと思います。

つまりわたしの身体は、特定のストレスが原因で高熱が出ているのではなく、徐々に負荷が蓄積していって、ある程度限界を迎えたら放熱しているかのように思いました。

さらに去年 気づいたのは、熱を出して回復した後で色々と症状がましになること。高熱を出しているあいだは激痛や高熱で大変なのですが、次の日以降回復してくると、数日間くらい、とても心地よい時期が訪れます。インフルエンザなどの病気ではこうはなりません。

そして今回もう一つ気づいたのは、高熱を出してうなされているとき認知が変化していること。高熱が出ているあいだ、夢から覚めたかのように我に返って、絶望的な気分でいる自分に気づきました。熱が出ているからというよりも、催眠が解けたかのような感覚です。そして熱が引いて回復していくにつれ、再び催眠がかかって苦痛が和らいでいくような。

こうした観察と、この前読んだ小児期トラウマがもたらす病 ACEの実態と対策という本の情報から、わたしはついに自分が経験している高熱の意味に気づきました。

信じがたいことですが…

わたしの高熱は、慢性的な解離を引き起こしている背側迷走神経がオーバーヒートし、再起動をかけている現象ではないのか。

わたしは普段からぼんやりして時間感覚がおかしくて、半分夢の中にいるかのような感覚があって、常に慢性的な解離が起こっているのは確かです。

ではなんのために解離しているのか。それは、解離状態にしなければ耐えられない苦痛を麻痺させるためでしょう。言い換えると、何かものすごい苦痛があるから、常に自分で麻薬を製造して感覚を麻痺させているということ。

ここでヒントになるのが、 小児期トラウマがもたらす病 に出てきた、前回の感想でも引用したわたしとよく似ている女性ジョージア。彼女は ひどい線維筋痛症や、自分の身体を攻撃する自己免疫疾患を抱えていました

ということは、もしかすると、高熱が出て、全身の激痛にうなされている状態こそが、つまりジョージアが抱えていたのと同じような症状が出ているときこそが、わたしの本来の姿ではないのか。

慢性疼痛ではなく慢性疲労な理由

わたしは高熱が出て、全身の激痛に襲われるとき、毎回、「あー、たぶん線維筋痛症の人ってずっとこんな状態なんだろうな…」と思っていました。それは、おそらく単に似ているというより、線維筋痛症そのものだったのです。

わたしは本来、自分を攻撃する自己免疫疾患や、全身の激痛の線維筋痛症を抱えていてもおかしくないはずです。いままで、なんで自分は線維筋痛症にならなくて慢性疲労その他の症状なのか、不思議に思っていたくらいです。

ピーター・ラヴィーンのSEの土台になっているポリヴェーガル理論では慢性疼痛か慢性疲労かを分けるのは、交感神経と背側迷走神経のバランスです。

トラウマを抱える人はまず交感神経のアクセルが常時加熱状態になり、背側迷走神経がブレーキをかけます。このとき、両者が拮抗状態になると、筋肉はアクセルとブレーキが同時にかかって引き裂かれているような「凍りつき」状態になります。それが筋肉の緊張を引き起こすので、慢性疼痛を生みます。

ところが、背側迷走神経のブレーキがもっと強い人だと、拮抗状態を超えて、完全にブレーキ優位に持ち込めます。このとき筋肉は「凍りつき」ではなく、その一歩先の「麻痺」「擬死」になって逆に弛緩します。こうなると慢性疲労になります。

この交感神経と背側迷走神経のバランスは人によって違います。ブレーキが緩めだと慢性疼痛、中程度だと慢性疼痛と慢性疲労の合併、強いと慢性疲労主体になるはずです。相対的にブレーキが強ければ強いほど「麻痺」効果が高くなるので、痛みを感じにくくなる反面、疲労感は強くなるはずです。

このことを裏づけていると思われるのは、慢性疼痛と慢性疲労の人のアクティグラフ(活動量を調べる検査機器)のデータの違い。慢性疼痛の人は慢性疲労より活動量の平均が高い。これはブレーキとアクセルの比率の違いだとみなせます。

(とはいえ、慢性疲労や慢性疼痛の人が皆が皆こういうメカニズムだとはまったく思ってませんが。クリスティン・ヘイムの研究でもトラウマ由来の慢性疲労の人とそうでない人がいて両者ではホルモン反応が違ってましたし)

ということは、完全に慢性疲労が優位で、あまり痛みがないわたしは、ふだん背側迷走神経のブレーキがものすごく強いのです。ラヴィーンがトラウマと記憶で述べている「解離によるオピオイドの噴出」、すなわち感覚を麻痺させる脳内麻薬を大量に使っているということ。有名な線維筋痛症のアイドルの方が痛み止めの注射を何十本も打っていることからすると、それに匹敵する脳内麻薬なのかもしれません。(p204)

わたしは、昔からどれほど嫌なことがあってもほとんど落ち込まず、一晩寝たら忘れてしまい記憶がまったく残らない性格なんですが、それだけ麻酔がバンバンかかりまくっているのだとすれば納得がいきます。それこそ、意識がふだんから半分夢の中を歩いているような感覚で、つい昨日のことすら現実か夢か判断に困ることがあるくらいなんですから。(だからわざわざ詳細なブログを残すことで現実の記録を残しとかないと困る)

でも、高熱が出たとき、その麻薬漬けの催眠が切れたような感覚がありました。このサイトに載せているような夢とメルヘンの世界は、普段のわたしにとっては現実なのですが、高熱を出して全身の激痛にさいなまれたとき、ふと現実を意識した感覚がありました。

楽しい仲間たちと幸せなパーティーを楽しんでいたのに、気がついたら自分が骨だらけの墓地にひとりぼっちでいたような感覚。もしあの恐ろしげな感覚が続けば、わたしは生きていられない。あれが現実なのだとしたら、わたしはもう死ぬしかない。それほど身の毛もよだつ恐ろしい感覚。

でも、ありがたいことに、数日経てば、いつもの夢心地のふわふわした感覚が戻ってきて、なんだ、まだまだ生きていても大丈夫じゃん、と思えてきました。特に高熱が回復して一週間くらいは夢心地がいつもより強くて、とても幸せになる。

わたしの本当の姿

このとき何が起こっているのかというと、きっと、ふだん慢性的に激痛を解離させてくれている背側迷走神経のシステムが、負荷がかかりすぎ一時的に強制シャットダウンし、再起動しているんです。パソコンでもそういうことがよくあるので、理解しやすい話です。

考えてみれば、わたしの高熱のときの症状って、ぜんぶ背側迷走神経の反応ばかりじゃないですか。嘔吐や気絶は、交感神経が高まりすぎて、背側迷走神経が抑えきれなくなって限界になったときに起こる症状です。アクセルを抑え込めなくなってしまい負荷がかかりすぎてシステム停止するときの症状。

ちなみに慢性疲労症候群らしい症状を抱えていたダーウィンは自伝の中で「ほとんどいつも興奮、ひどい震え、そしで起こる嘔吐の発作で悩まされた」と述べています。たぶんダーウィンはわたしよりかは背側迷走神経のブレーキが弱かったので、もっと頻繁にわたしと同じものを経験していたということでしょう。ダーウィンはわたしよりずっと現実的でしたから。(p143)

わたしはこれまで、繰り返し高熱を出すのは病気か何かだと思っていたので、まさかこんな意外すぎる結論にたどりつくとは思っていませんでした。でも観察と知識に基づいて検証した結果なので間違いありません。

わたしにとって特別なのは普段、強力な解離によって強力なブレーキがかかり続けている麻酔状態、メルヘン世界に半分足を突っ込んでいる日常のほうであり、あの激痛にさいなまれ、大量のサイトカインにさらされ、恐ろしい墓場のようなひとりぼっちの現実を見せられる高熱のときの状態こそが、解離のマスクを解除した、わたしの嘘偽らぬ、あるがままの状態だったのです。

こう説明すると全部、納得がいきます。

普段、夢と現実の境目があいまいで、1人でいるときも別人格の存在をありありと感じてまったく寂しくなく、昼間に外出して空を見上げたらクジラが泳いでいるかのように本気で錯覚し、夜に外出すると中世おとぎ話の世界に迷い込んだような興奮を覚える。こうした経験は最近やっと何か普通と違うと気づけるようになりましたが、頭が常に麻薬漬けみたいなものならば仕方あるまい。

なんか冗談とか誇張みたいに思われそうですが、よく晴れた青空の雲がきれいな日に外出すると、空に浮かぶ雲がくじらのように見えて、ファンタジー世界の都市にいるようにはっきり感じるんです。そう思える、というより、そうとしか思えないレベルで。印象としてはゼノブレイドってゲームの皇都アカモートみたいな。ゲーム画面なんかと比較にならないほど美しい。自分でも催眠かかってるなと客観的に気づきはしますが、ファンタジックで楽しいので別にいいかなと(笑)

同時にわたしの身体がこんなにボロボロでエネルギーがまったく無いのも、常に強力なブレーキと麻酔にエネルギーを全振りしているからだとすれば納得がいきます。

わたしは解離についてずっと調べてきて、自分にとって解離とは病気でも障害でもなく、強力な保護だと確信していたんですが、今回の考察で改めてそう思いました。ほんとは今ごろ、自己免疫疾患や線維筋痛症、うつ病になっていてもおかしくないはずだったんです。詳しくは書きませんが、生まれ育った環境を思えば、そうなっていないことのほうが変。

わたしは今は解離に感謝しています。他のほとんどの人にない解離能力が、どうしてわたしに備わっているのかわかりませんが、わたしがこれまでわりと幸せに生きてこられたのは、間違いなく解離のおかげなので。

ラヴィーンは、トラウマと記憶の中のセラピーの一例で「この種の解離が起こったときは、身体に関連した言葉を説明せずに、むしろ解離体験を受け入れ、身をゆだねることが重要である」と書いていますが、解離は治すべき病気でも憎むべき敵でもなく、身をゆだねて包まれるべき保護膜です。(p93)

遺伝なのかそれとも環境が発達させたものなのかはともかく、人並み外れた解離能力があったせいで、身体の慢性疼痛がほとんど麻痺するだけでなく、現実を直視するという苦痛も麻痺させられて、今に至るまでおとぎ話の住人として生きてこられたのです。生い立ちは不幸であっても、この点だけは恵まれていると言うしかありません。

解離について調べてきて、一番恐ろしく感じたのは、解離そのものではなく、逆に解離が十分に働かない人たち(PTSDやパニック障害やうつ病や慢性疼痛の人たち)が抱える耐え難い苦痛のほうでしたから。

世の中の慢性疲労や慢性疼痛の当事者さんたちの多くが、実りのない政治運動とか啓発活動に身を粉にして携わっているのに対して、わたしはまったくそんなことに興味はなく、自分の好きなことを好きなだけやっていられるのも、解離によって現実から隔離された別世界の時間軸に生きているからなんだろうなーと思ったり。

でも、いつまでもこの強力な解離能力が持つとは限りません。

解離の専門家たちは口をそろえて、解離傾向は20代が一番強く、30代40代になったら落ち着いてくると言っていました。わたしははじめ、それは年齢が上がると解離が「治る」んだと思っていましたが、とんでもない思い違いだった。

解離だけじゃなく、トラウマ障害全体を診ている専門家たちは、逆に、トラウマを抱える人は治療しなければ年齢が上がるほど悪化すると言っています。トラウマに関しては「時が癒やしてくれる」は完全に間違いだと。

年齢が上がると解離が和らぐ、という意見と、年齢が上がればトラウマ症状が悪化する、という意見は一見矛盾しているように思っていましたが、解離というのが保護機能だということを思い出せば、単純な話なんです。

年齢が上がると、体力が減少するから、背側迷走神経の機能が弱まる。すると、もともと背側迷走神経が強いわたしみたいな人でも、解離が減ってくる。そしたら、今まで解離によってマスクされていた、本来のトラウマの恐ろしい症状が表に出てくる。こうして、年齢が上がると、解離が和らぐと同時にトラウマ症状は悪化する。ほら、何にも矛盾なんかない。

だから、今、ちょうどその年齢に差し掛かりつつあるわたしが、ここ数年、やたらと体調が悪化して、熱を出す回数も増えていて、さらには絵を描くのも難しくなってきているのは、ぜーんぶつながっていたってわけです。ここ二年ほど、足にひどいねじられるような痛みがときどき出てきたのもそう。

トラウマによる自己免疫反応とか激痛をすべて抑え込んで、わたしをメルヘン世界に保護してくれていた解離能力が、年齢が上がるにつれ、衰えてきているに違いありません。だから、早く手を打たないと だめなんです。解離能力のブレーキが抑えきれなくなる前に、常にアクセルが踏み込まれすぎている問題を解決しないといけない。

そうでないと、ブレーキが弱まっていくぶん、相対的にアクセル優位になっていって、激痛が表面化してくる可能性が高い。あるいはサイトカイン放出が加速して、何かの自己免疫疾患を発症するかもしれない。わたしは死ぬのはまったく怖くないし歓迎するけれど、全身の激痛とかは嫌です。死ぬまで解離にはちゃんと機能していてほしい。だからせめて解離で抑え込めるレベルまでアクセルを緩めたい。

(※この繰り返す発熱発作に関しては、かなり後になって原因が判明したので、第二期の8回目の体験記に詳しく書いた。ここでわたしが書いた推測はかなりの程度まで正しかったようだが、発熱発作そのものは良性のものだった)

ひとまずおとぎ話の世界に戻ろう

この事実に気づいたことで、もう一つ変えなきゃいけないことがありました。ここ最近、コンサータとかモディオダールで無理やり動けるようにしていたんですが、そんなことをするべきじゃなかった。まあそのおかげで、たくさんの情報を調べてこの事実にたどりつけたのだから、ムダではありませんでしたが、もうこれ以上そんなことをやっていてはだめだ。

こうした中枢神経に作用する薬は、ブレーキを強化する薬なんです。だから、アクセルをより踏み込んでも動けるようになる反面、さらに背側迷走神経に負荷をかけていたはず。

わたしが服用しなければならないのは、どちらかというとアクセルを抑える薬(カタプレスとかインチュニブ、ミニプレス、インデラル)のほう。そっちを飲むと、動きづらくはなりますが、背側迷走神経への負担が減り、延命措置になるはず。SEでアクセルをコントロールできるようになるまでの時間も稼げるはず。

ということで、これ以降、中枢神経刺激薬を飲んで、無理して本を読んだり記事を書いたりするのはやめます。今日この記事を書くのは半錠だけ飲んでますが、どうしても必要なときに少量飲むくらいで、普段はカタプレスを中心に沈静化を図ることにします。

たくさん本を読んだり、記事を書いたりできなくなるのは残念だけど、わたしが本当に調べたいことは調べ尽くしたからもういいかなって。

それに、読み手を意識した学問的な記事を書くのはもう飽きてきたので。わたしがほんとに書きたいのは、今書いているこの経験談をはじめ、もっと気楽なエッセイとか感想文みたいなものです。同じようなことをオアハカ日誌 の中でオリヴァー・サックスも言ってました。

わたしは、感じたことをこんなふうに気ままに書いているのが好きだ。苦労しながら化学の本を延々と書きつづけるのは、もう飽きた! 

ちょっとした物語やエッセイを書くことに専念したほうがいいのかもしれない。あるいは、文芸欄でも、脚注でも、余談でも、概要でも……(p107)

わたしはサックスの著作は、学問的な詳しい本より、このオアハカ日誌みたいな緩い体験記のほうが人柄が出ててジョークも利いていて大好きです(笑) たぶん今回の記事みたいな寄り道脱線しまくりのカオスな文章であれば、中枢神経刺激薬なんて飲まなくてもわたしはいくらでも書けるでしょうし。

それに、中枢神経刺激薬を飲むのをやめて、カタプレスで沈静化したら、もう少し絵が描けるようになると思うんです。

わたしが今までで一番絵を描いていたのは、中枢神経刺激薬を使い始める前の、カタプレスを飲んで沈静化させまくっていた時期でした。その後、中枢神経刺激薬を飲み始めると、ものすごく論理的な文章を書けるようになりましたが、絵は描けなくなってしまいました。

その理由はこれまでよくわかっていなかったんですが、今ならわかります、中枢神経刺激薬はブレーキを強めることで、アクセルを踏み込みやすくして、現実感を強め、理論的思考を促す薬です。だから論理的文章は書けてもメルヘンな絵は描きにくくなります。

逆にカタプレスのような中枢神経を鎮める薬は交感神経を沈静化させることで、相対的に背側迷走神経のブレーキが強まります。夢心地のぼーっとした状態になるので論理的思考は働きにくくなりますが、そのぶん、メルヘン世界に近い状態に戻れるはず。

どっちが幸せか。今までは、情報を集めなければ打開策が見つからないと思っていたので、本を読むのは大嫌いなのに、無理をして情報を集めていました。でも、ここまでたどりついたなら、もう無理して苦手なことをやろうとしなくてもいいかなって。

論理的な文章を書くのはたまーに、書きたくなったときだけにして、普段はどうでもいい駄文を書いたり、メルヘン世界に引きこもって絵を描いたりしているほうがわたしの好みです。

どっちかというと、わたしはお堅い文章を書く学者みたいな人種は大嫌いなのです。だから、自分が書いてきた論理的文章も、生きるために必要だから書いただけでほとんど愛着がありません。それに対してたくさん描いた絵はわたしの宝物です。どちらを大事にすべきかは目に見えている。

もちろん、これから先どうなるかはわかりませんが、しばらくは現実世界ではなく空想世界側にシフトしたいと思います。

今回の考察はここまで。だいたい書きたいことは書いたので、次回はちゃんとセラピーの内容を書けそうです。忘れないうちに書かないと。

続きはこちら。

 


Categories: 4章。2018.03.24