地図にない世界を探検しにいったセラピー体験記(7)

SEのセラピーを受けに行った体験記の7番目。前回の記事では、空間と視覚のセラピーを通して、身体の変化を観察しました。今回は5回目のセラピーの内容や、近況について書きたいと思います。

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5回目のセラピー

前回から間が空いてしまったので、早速、5回目のセラピーの内容について。なかなか続きを書けなかったのは幾つか理由があって、まず体調が悪かったこと、そして5回目のセラピーの内容がいまひとつ記憶に残っていないことによります。

覚えている限りでは、5回目のセラピーの日は、最初から、あまり具合がよくありませんでした。駅でパニックになるようなことはなかったものの、電車の中で時間がワープして、気づいたら駅を降り過ごしていたり、あまり実感のないまま、いつのまにかセラピールームに着いていたり。

セラピールームでは、前回のように身の回りにあるものが目に入るようなことはなく、また霧に包まれたような視界に陥っていて、意識しないと何も気づかないし、意識したところでやっぱり記憶に残らないしで、離人症状態でした。おかげで離人症についての理解が最近深まりつつあるんですが(笑)

セラピーでは、今日はどんなことをしたいかセラピストに尋ねられたものの、何も思いつかず、頭が回らず、適当に流れに任せてしまう。もしここで経験豊富なセラピストなら、わたしの状態を見て解離がひどいと気づいたんでしょうが、今のセラピストは感性は鋭いものの、自分でも観察することには慣れていないとおっしゃっている人。思考も感覚も働かないまま、ぼんやりと機械的に話が進んでしまって、何一つ収穫がありませんでした。

セラピーも半ばをすぎたころ、わたしもセラピストも、どうも様子がおかしいと自覚しはじめる。そこからは感覚を取り戻すため、色々と試行錯誤が始まりました。

なぜかセラピールームに入ったときから、落ち着きなくあたりをきょろきょろ見回していることは自覚していたので、どうやら、交感神経が過緊張していて、その反作用として解離状態になっているらしい。

まずは前回の経験を踏まえて、視覚の風景を変えてみる。セラピストが座る位置を変えてくれたり、わたしが目をそらして壁を見たりするんですが、それでもぼんやりとした解離状態のままで変化なく。目はそわそわとあちこちを見ているものの、何一つ頭に入ってこない。

何が原因で過緊張状態にあるのかもよくわからない。色々と条件を変えてみたものの、変化しないことからすると、どうやら外的な刺激、たとえばセラピールームの刺激などが原因ではなく、ただ単に体調が悪すぎるようでした。

あれこれ試したあとで、セラピストが提案したのは、目を閉じて耳を澄ましてみるということ。そういえば前回もこれをやったな、と思いつつ、目を閉じて意識を外に向けて数分。

驚いたことに、目をきょろきょろする挙動不審は消えて、すっかり落ち着きを取り戻し、リラックスした感覚になりました。

ここでようやくわたしも思い出す。そういえば、前回のセラピーでは、最初に、聴覚の集中してリラックスする、というステップを踏んだんでした。すっかり視覚的変化でリラックスしたんだと思いこんでいましたが、よくよく振りかえると、最初に聴覚に意識を向けてリラックスしてからセラピーを開始していました。

そのことをセラピストと一緒に振り返って、次回からは、セラピーを始める前に、まず聴覚に意識を向けて神経を落ち着ける、というステップをはさむことにしました。どの程度効果があるかは未知数ですが、このことに気づけたのは意味があったかもしれません。

自覚している感覚が過敏だとは限らない

この出来事で不思議に思ったのは、前回もちらっと書きましたが、わたしは聴覚が過敏だと自覚していること。別記事で書いたように、映画館や遊園地に耳栓無しでは行けないほど過敏なのに、聴覚に集中することでリラックスするとはこれやいかに。

よくよく考えてみた結果、これは、自分で過敏だと思っている感覚は、じつは「過敏」な感覚ではなく「鋭敏」な感覚なのだ、ということを物語る最たる例ではないかと思いました。

感覚過敏について語る人たちは、解離という観点がすっかり抜け落ちているせいで、こんなことになるんです。

どういうことかというと、解離の観点を考慮に入れれば分かることですが、本当に過敏な感覚なら、脳は解離を使って防衛しようとするので、逆に感覚鈍麻するはずだ、ということです。

このわかりやすい例がアスペルガー症候群です。

アスペルガー症候群では、視覚的な過敏さがよく知られていて、アスペルガーといえば視覚的なボトムアップ思考に秀でていると言われます。天才的なアスペルガー数学者たちも視覚的思考に優れていて、幾何学に才があったと言われます。

顔を忘れるフツーの人、瞬時に覚える一流の人 – 「読顔術」で心を見抜く (中公新書ラクレ)では、アスペルガーの子は乳幼児のときから視覚が鋭く、細部まで見えることがわかっているとも書かれていました。

しかし、だからといって、アスペルガーは単純に視覚過敏なのかというと、そうではないと思います。アスペルガーの視覚はおそらく「過敏」ではなく「鋭敏」なんです。アスペルガーの数学者みたいに、視覚の敏感さを優れた能力として活用する人が多いことからしても、過敏というネガティブな意味より鋭敏という良くも悪くもフラットな意味合いで捉えたほうがいい気がします。

では、アスペルガーにおいて、本当に「過敏」な感覚とは何なのか。それは聴覚です。

脳はいかに治癒をもたらすかに書かれているように、アスペルガーでは、低周波数帯域の音をが聞こえすぎるために、感情表現を担う高周波数帯域の音が覆い隠されてしまい、言葉によるコミュニケーションが不快に感じられるようです。感情のない音が聞こえるので、アスペルガーの人たちは独特な喋り方をするようになり、感情表現も平板になります。

低周波数帯域の音が大きな音量で押し寄せてくると、高周波数帯域の音声は覆い隠され、自閉症の子どもを、音、とりわけ電気掃除機や警報などの持続音に対して過敏にする。

さらに言えば、人間においては、低周波数帯域の音は捕食者を想起させるがゆえに不安を引き起こす。(p495)

このとき、過敏な聴覚に対して、どのように反応するかというと、この本では、解離のポリヴェーガル理論の発案者であるスティーヴン・ポージェスらの見解が引き合いに出されていました。

私の見るところ、トマティスやポージェスらは、自閉症の第一の特徴が、他者の心の存在を認める能力や、他者に共感する能力の不足であるとする、従来の見方を考え直すべきときがきたと考えているはずだ。

…ポールは次のように指摘する。「感覚系の目的は、世界との接触を求めると同時に、感覚世界から自己を守ることである。ところが感覚刺激に対して過敏に反応するようになると、その人は外界を遮断するメカニズムを発達させ始めるのだ」(p496)

幼少時から慢性的に感覚が過敏すぎて不快なとき、人は「外界を遮断するメカニズムを発達させ始める」、つまりポリヴェーガル理論で言うところの背側迷走神経を用いて、感覚を遮断する解離で応じるはずなんです。

アスペルガーの場合、本当に過敏なのは視覚ではないはずです。だって視覚は遮断されたり麻痺したりしていませんから。鋭敏である、ということ自体が、最も過敏な感覚ではなく、わざわざ解離で対処するまでもない、ということの証拠です。

他方、聴覚についてはそうではない。

自閉症スペクトラムの子どもの聴覚過敏性は日常生活上で周囲から気づかれにくいことを明らかにしました| 国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター

本研究では、弱い音に対する聴覚過敏性は、日常生活では気づかれにくく、一見感覚鈍麻のようにみえる場合でも実際は感覚過敏性が背景にある可能性も考えられることも分かりました。

アスペルガーでは聴覚過敏を背景にした聴覚鈍麻が見られやすいとされています。聴覚は幼少時から慢性的に過敏すぎるので、解離による感覚遮断が働いて、過敏とは逆の感覚鈍麻に反転していることがわかります。

おそらく、アスペルガーで視覚が鋭いのは、この聴覚の鈍麻を補うためじゃないかとわたしは思います。それは、ろう者の人たちが、鋭敏な視覚を発達させるのと同じです。

わたしも一時期手話を学んでいましたが、ろう者は非常に鋭い空間認知能力や動体視力を有しています。もともとそうだったわけではなくて、耳が聞こえないというハンデがまずあったために、その状況に適応するため、視覚が代償的に発達して、ハンデを補うようになったわけです。目の見えない人で聴覚や触覚が発達するのも同じ理屈です。

アスペルガーでも同様に、鋭い視覚認知は、もともと過敏だったのではなく、解離によって聴覚が鈍麻した結果生じた、コミュニケーションや情報処理のハンデを補うために発達したものではないのだろうか。現にオリヴァー・サックスは手話の世界へ (サックス・コレクション)で自閉症とろう者の類似点を指摘していました。

話せないあるいは話したがらない自閉症児の治療に〈手話〉が役立つとか、自閉症児のコミュニケーションを〈手話〉が見ちがえるほど向上させるとかいうのには、それなりの根拠がある。

レイピンは、その一因を、一部の自閉症児が、聴覚野に特異な神経系障害があっても、視覚野をほぼ無疵の状態に保っていることにもとめている。(p199)

ここでは視覚野がほぼ無傷だと言われていますが、ろう者と比較すれば、無傷どころかより鋭敏に発達して、ハンデを補うように働いているだろう、ということは容易に想像できます。

本当に過敏で耐えられないような感覚ほど麻痺し鈍麻してしまう。解離されてしまった感覚は、自分ではなかなか気づけなくなる。だから、感覚過敏を訴える人たちは、自分にとって本当に過敏な感覚とは何なのか気づけなくなってしまっている。

他方、鈍麻した感覚を補うために、別の感覚が鋭敏に発達する。この感覚は解離によって鈍麻したりはしないので、本人にとって意識できる。ゆえにわたしたちは、この代償的に発達したほうの感覚を過敏だと思い込んでしまうのではないか。

ここで考えたのはアスペルガーの話ですが、わたしの場合だとちょっと変わってきます。わたしの場合、鈍麻していて過敏さに気づけなくなっていたのは視覚でした。もともと明るさに敏感だとは思っていましたが、アーレンシンドロームのテストを受けるまで、まさかあれほどとんでもない過敏さ、市販のサングラス程度ではどうにもならないほどの過敏さがあるとは思っていなかった。

今にして思えば、わたしの相貌失認だとか、見たものがまったく印象に残らないという傾向は、ぜんぶ視覚が異常に過敏なために、解離が働いて、逆の感覚鈍麻が生じていたためだとわかります。

それに対して、わたしが過敏だと思っていた聴覚のほうは、「過敏」ではなく「鋭敏」な感覚でした。きっと、頼りにならない視覚を補うために発達したんでしょう。確かにわたしは他の人の微妙な感情のニュアンスを声で聞き分けられますし、相貌失認によって他の人の顔がわからないとき、声の質感で、その人が誰かを判断してきました。

ということは、視覚過敏によって解離が起こっているとき、聴覚に注意を向けて、意識を集中させればリラックスできるというのは、何も不思議なことじゃなくて当然だったんです。もともと聴覚は過敏な視覚を補うために発達したんですから。むろん、鋭敏なのは確かなので、遊園地や映画館などでは聞き取りすぎてしまうという問題もありますが。

ちなみに聴覚過敏のアスペルガーの人の視覚的思考力がろう者と似ていると書きましたが、わたしの聴覚的思考力は視覚障害を持つ人たちにそっくりです。目の見えない人たちは、頭の中でさまざまな概念を多面的に考える思考力を発達させていきますが、わたしの思考力はまさにそれです。視覚過敏が強すぎて鈍麻したせいで目の見えない人と似ている能力が発達してきたようです。

生けるしかばね状態

さて、5回目のセラピーの話題はこのへんにして、最近の体調の話のほうを。

はっきり言って、あまりに体調が悪いです。ここ一週間は、気温の変化が激しいこともあったのか、死体のように寝ていました。目が覚めても、起き上がれないほどだるく、文字通り寝たきりに近い状態でした。起き上がってトイレに行くのも苦しい。枕元の水筒に水を補充しに行く気力がなく、ベッドで喉が乾いて干からびそうになる。届いた野菜を切って冷凍する体力が戻るまで一週間かかった、とでも書けば窮状が伝わるでしょうか。

前回書いたように、動きから感覚が、感覚から意識が生じているのだとすると、背側迷走神経のブレーキがかかりすぎて動きが凍りついている状態は、字義通りの意味で死体に近いはずです。

身体を起こしていられないほど ひたすら眠いし、うとうとすると金縛りになって息が止まって窒息しそうになるし、やっとまともに寝れても起きたら体中バキバキになってて痛いしで、何も手に付かない。頭の中にイメージもわかず、寝るときは失神したように泥の中に落ちていく。生きている人間とは思えません。

なんとなく思い出したのは、プルーストの記憶、セザンヌの眼―脳科学を先取りした芸術家たちにあったヴァージニア・ウルフの話。

医師たちに無理やりベッドに寝かされた彼女は、天井をじっと見つめ、自分の脳を仔細に観察して時間を過ごした。

彼女は自分が「1つの状態でない」ことを発見した。「病気であることが、人を別々の人に分裂させるなんて、じつに妙だ」と彼女は述べている。(p254)

今回のわたしは十分思考力が働いていたとは思えませんが、それでも天井をじっと見つめて自分が今いったいどうなってるんだろう、と考えている姿が重なりました。

思えば、こんな体調になったのは初めてではなかったはず、わたしは過去の記憶があいまいすぎるので、毎回毎回、こんなにひどい状態になったのは初めてだと錯覚しがちですが、学生のころに寝たきりになったときも、地獄の業火に焼かれるような日々だったことを身体が感覚として記憶しています。今の状態はそれと似ている、と思いました。なんだ、悪化して死にかけてるわけじゃなくて、あのころに戻っただけだったのか。それならばなんとかなろう。

そう思って、ただ生き延びることだけを考えて数日間を過ごすうちに、確かにわずかな寛解が訪れたので、こうしてなんとか記事の続きを書けているというわけです。永遠に悪化した状態が続くわけではなく必ず変化する、というのはSEで学んだ振り子運動でも言われていたことですしね。

生けるしかばねのようになりながら、こうして冷静というか他人事のように観察しているのは、何ともこっけいですが、解離らしくあります。

 私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳の離人症についての章で引用されているとろによればヴァージニア・ウルフは、こう言っていたとか。

私たちは深い地下のどこから感情の色を取ってくるのか。つまり感情の迫真性とは何なのか。(p158)

確かにわたしも、色とりどりの感情なんてものはどこにあるのかと感じます。今のわたしにあるのは、モノクロの無感動な世界だけ。どうやったら色を取り戻せるのか。

ヴァージニア・ウルフの場合は双極性傾向が強かったようなので、無感動の時期を超えればまた色が戻ってきたんでしょう。わたしの場合はたぶん彼女より双極性傾向が弱く、ほとんど解離に偏っているので、たまーに感情の片鱗を感じて、その感動とか色合いを忘れないよう絵にして残しておくだけでしょう。

けれども、この解離への偏りのおかげでヴァージニア・ウルフが抱えたような浮き沈みを免れていると思えば、それも悪くありません。彼女はそのせいで自殺してしまったんですから。

死ぬのにもエネルギーが要る

最近読んでいるウィリアム・スタイロンの闘病記、見える暗闇―狂気についての回想には、ヴァージニア・ウルフをはじめ、子ども時代のトラウマがゆえに呪われた人生を送り、自殺してしまった芸術家たちのリストがありました。

鬱病は偏りなく手を伸ばして来るが、かなりの信憑性で実証されているのは、芸術家的なタイプ(とくに詩人)がとりわけその病魔に弱いということだ。

そして、この病気が深刻な臨床的表われ方をすれば、犠牲者の20パーセント以上が自殺の形をとる。このようにして倒れた芸術家たちの例を現代と近代からほんのいくつか拾うだけで、悲しくもあるが、キラ星のような名簿となる。

ハート・クレイン、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ、ヴァージニア・ウルフ、アーシル・ゴーキー、チェーザレ・パヴェーゼ、ロマン・ガリ、ヴェイチェル・リンゼイ、シルヴィア・プラス、アンリ・ド・モルテルラン、マーク・ロスコ、ジョン・ベリマン、ジャック・ロンドン、アーネスト・ヘミングウェイ、ウィリアム・インジ、ディアヌ・アルビュス、タデウシュ・ボロフスキ、パウル・ツェラン、アン・セクストン、セルゲイ・エセーニン、ウラジーミル・マヤコフスキー……とリストは続く。

(ソ連の詩人マヤコフスキーは自らの死の数年前になされた偉大な同時代人エセーニンの自殺を激しく批判していた。このことは自己破滅を非難する人びとすべてへの警告となろう。)

このように呪われたすぐれた創造的な男女の人物を思うとき、その幼少時代に注目しないではおれない。知られているかぎりでは、病気の種が強い根をおろすのは幼少時代なのだ。

それではこの人物のだれかが、精神の破滅性、その繊細な脆弱性を暗示するものを、幼少時代に持っていたのだろうか。また、同じく病魔に襲われながら他の人たちがたたかいぬいたのに、この人たちはなぜ破滅したのだろうか。(p55-57)

わたしが解離しはじめた小学校3年生のとき、一番最初に表れた芸術的兆候は、爆発的な詩の創作でしたから、確かにわたしはこの人たちに近いんでしょう。

しかし、この人たちに比べると、わたしは明らかに双極性傾向が弱い。スタイロンは「同じく病魔に襲われながら他の人たちがたたかいぬいたのに、この人たちはなぜ破滅したのだろうか」と問いかけていますが、わたしは解離傾向の強さの違いではないかと思っています。

衝動的に自殺する人たちは太宰治がそうであったように、PTSDや境界性傾向がそれなりに強いように思います。アルベール・カミュは「真に重大な哲学的問題はただ一つしかない。それは自殺の問題だ。人生に生きる価値があるかないかを判断することは、哲学の基本的問題に答えることになる」と書いて、後に向こう見ずな行為で事故死してしまいましたが、わたしみたいに生けるしかばねだったわけではなく、ジャーナリストとして激しく活動していました。(p38)

自殺というとアンナ・リンジーがまっくらやみで見えたものに書いていたことを思い出します。

友人は話を続ける。「ブリストルでは、橋までバス一本で行ける地域の自殺率が、橋まで行くのにバスを乗り継いでいく地域よりずっと高いって、知ってた?」

「えっ! そうなの?」。わたしはその話をとても面白がり、若気の至りから軽い気持ちでこう言った。「バスを乗り換えなくちゃ、自殺できないんだったら、そこまでして人は自殺したいとは思わないのね」

だが、それは的を射た発言だった。考え直す機会があれば、気が変わってしまうのは、それが衝動によるものだからだ。

これを裏付ける別の統計もある。解熱鎮痛剤パラセタモールの過剰摂取は、個包装の錠剤を1錠ずつ指で押し開けて服用するのではなく、がぶ飲みできる大きな瓶入りで起きている。(p167)

ほとんどの自殺とは衝動的なものなのです。自殺はたいてい、PTSDやパニックの結果として生じます。冷静に考えることができなくなり、死の衝動に突き動かされた結果、自殺します。だから双極性障害では、自殺にいたるのは、うつ状態の時ではなく、躁状態のときのほうがよっぽど多いわけです。自殺には衝動的なエネルギーがいるからです。

自殺する人としない人を分けるのは、心の強さや自制心のような高尚なものではない、とわたしは考えます。ただ単に、衝動性を強化するだけのエネルギーがあるかどうか、ではないでしょうか。自殺というのは、嫌悪感をもってみられがちですが、大半はPTSDやパニックの結果生じる事故のようなものでしょう。うつで自殺する人も、大半は感情反応に振り回されるPTSD的なエネルギーのあるうつであって、解離みたいに麻痺しているタイプではないんじゃないだろうか。

スタイロン自身は 見える暗闇―狂気についての回想の中で、自分のうつ病の闘病体験を記して、死に至るほどの絶望を記していますが、解離傾向の強いタイプのうつ病でした。彼は結局自殺はせず、81歳で肺炎で亡くなりました。彼が自殺しなかったのは、死にたいと思うほど強くても、実際に実行する衝動性を生みだすエネルギーがなかったからかもしれない。(p61)

スタイロンの場合、強い自殺衝動は、飲んでいた睡眠薬ハルシオンの副作用でした。もともとかなり解離傾向が強い人だったようなので、薬の副作用さえなければ自殺すれすれに行くこともなかったでしょう。(p110) 

彼が「薬をかえたあとすぐにわたしの自殺志向が弱まり、やがて消えてしまったと気づいた」と書いていることは、わたしの10代のころの経験とかぶります。わたしも10代のころ強い自殺衝動を一時期感じましたが、精神科で処方されていた抗うつ薬をやめた途端、症状は安定し、今にいたるまで低空飛行で落ち着いています。三回目の記事に書いたように、解離傾向の強い人は薬に対して過敏性があり、通常容量だと多すぎるようです。わたしはスタイロンが書いたこの言葉が今もって真実だと証言できます。

多くの精神科医は患者の苦しみの性質と深さをほんとうに理解できないらしく、薬物にかたくなに忠誠を誓って、結局は薬剤が壁を破り患者が応答して病院の陰気な環境にはいらなくてすむ、と信じているようだ。(p106)

本来、解離傾向が強くて背側迷走神経がブレーキを維持できている人は、パニックになるだけのエネルギーがなく、凍りついたままなので、そうそう自殺できません。DIDで自殺する人もいますが、それは自殺を望む交代人格に乗っ取られるからです。人格まるごとフラッシュバックした結果なので、やはり一種のPTSDだとみなせます。

スタイロンはソ連の詩人マヤコフスキーを例に、自殺を声高に批判しているような人でも安心できないと述べていました。しかしこれも、一種の双極性の事例だとみなせます。自分は大丈夫だと過信しすぎる人は、その真逆の状態へと振れる可能性があるということです。

わたしみたいなどっちつかずのあいまいな意見を持っている人は、もともと振り幅が停止しているので、よくも悪くもこのままのらりくらりと時を過ごしていくのではないかと思います。

離人症と戦い続けているニコラスが 私はすでに死んでいるでこう言っていたのを思い出します。

「ぼくのような障害を持つ者は、これが基本というか、結局こういうことなんだ。良くなるために戦いつづけていれば、いつか楽になれるかもしれない。さもないと……沈んでしまって……それ以上戦えなくなる」(p160)

現実的に考えれば、「良くなるために戦いつづけていれば、いつか楽になれるかもしれない」とはあまり思えません。少なくとも、わたしの中のリアリストはそう告げます。どうせ頑張って生きたところで何のメリットもなかろうと。

それなのに、なんだかんだ言って生き続けているのは、二回目の記事で書いた、あの解離がもたらすオピオイドのまやかしのおかげです。解離がリアルな苦しみをすっかり麻痺させて、もしかしたらなんとかなるかもしれない、というまったく根拠のない楽観で満たしてくれます。今この瞬間でさえ、わたしはそれを感じています。不合理だとわかってはいるけど、やっぱり「なんとかなるさ」と楽観的になっています。この解離のまやかしが失われない限り、わたしがスタイロンの長いリストに名を連ねるようなことはないでしょう。

何一つ確かなことがない不可知論者

わたしは自分の主義をひとことで言うなら、「不可知論者」だと思っています。この世には何一つ確かなことはなく、はっきり答えを知りうるものは何もない、考えに考え抜いたわたしの結論はいつもそこにたどりつきます。

政治家や医者や学者が大真面目に、自分の意見の正しさを主張しているのを見ると馬鹿らしくなるし、滑稽に思えてくる。何でもたった一つの答えがあるなんて信じている人たちは、なんて単純なのだろう、そう思ってきました。

わたしとしては、これは理性的に考えた末の結論だったつもりでしたが、最近気づいたのは、どうもわたしが不可知論者なのは理性的だからでも、人よりよく考え抜くからでもなく、単に脳が解離状態にあるからではないか、ということです。

単純な信念を持つ人たちを馬鹿らしく思っていた、と書きましたが、それらの人たちの信念よりも、わたしの不可知論的なスタンスのほうが勝っているかといえば、たぶんそうじゃないようです。

最近よく引用している私はすでに死んでいるによれば、物事の主観的な確信度は、どれだけ深く考えたか、などではなくて、単純に島皮質や前帯状皮質の活動レベルと関係しているように思えます。

これらの領域は、さまざまな情報に対して「自己」と「非自己」のタグづけをしている、という話は、何回か前からしてきました。

予測と実際の一致が、身体とそれに関連する情動に「自己」のタグをつけ、不一致が「非自己」のタグをつけるのだ。(p192-193)

わたしみたいな人は、これらの活動が低下した結果、ほとんどの情報が「非自己」と分類されています。

解離というのは、耐えがたい逆境に対処するため、本当は「自己」に属している自分の体や感覚に「非自己」というタグを強制的に貼って、あたかも他人事のように生き延びる反応でした。

だから解離した人は、自分の体や思考ですら、なんとなく他人事のように思えてしまい、自分自身の一部だと確信を持つことができません。この「確信を持つことができない」という部分が、どうやらわたしの不可知論的思考の原因のようなのです。

それがわかるのは、解離とは真逆の脳の状態になる、てんかんの恍惚発作にある人たちの感覚。有名どころでは、作家のフョードル・ドストエフスキーがたびたび経験したことで知られていますが、てんかんの恍惚発作を今まさに経験している人は、世界のあらゆるものがわかって真理を理解したかのように感じます。

石川賢の漫画作品とかでよくある、世界の終わりの瞬間とかに「そうか、そうだったのか! こんなに簡単なことだったのかー!!」と叫ぶ人たちの状態です。…と言ってもなんのことがわからない人が大半でしょうが、学生時代のわたしは、エドガー・アラン・ポーの怪奇小説とか、ディクスン・カーのおどろおどろしい探偵小説とか、石川賢の猟奇的なマンガだとか、狂気に満ちた作品が好きだったんです。たぶん何かしらのトラウマが反映されてたんでしょうね。今のメルヘン作風からは想像もつかないでしょうか。

ドストエフスキーの作品中にはてんかんの恍惚発作を経験する人がよく出てきますが、もしかすると、ここに挙げた作家たちも、狂気のはざまに生きていたのかもしれません。そうでもなければあれほどぶっ飛んだ作品群は創れないでしょう。

もう少しメジャーどころで言えば、ガンダム作品とかで主人公たちが「わかる…わかるぞ!」とか言い出すのもたぶんこれと似ています。ガンダムで描写されるニュータイプと呼ばれる人たちは、やたらと感受性が強いので、島皮質の活動が過剰なタイプに思えます。こちらも作者の富野由悠季が極端に感受性が強く愛着の傷が根深そうな人なのでその反映なんでしょう。

こういう直感ですべてを把握するような人たちは昔からいて、思い込みが激しかったり、何らかの使命感に突き動かされたり、スピリチュアル体験でいきなり熱心な宗教の信奉者になったりします。ゴッホやドストエフスキーのようなてんかんの恍惚発作を経験したり、極端な宗教的熱意や創作意欲にとりつかれたりした人たちは、「ノーマン・ゲシュヴィンド症候群」と呼ばれていますね。

こうした人たちは、島皮質の活動があまりに過剰すぎて、自分の身の回り以外のあらゆる感覚に「自己」のタグが貼られるので、世界のすべてが自分の一部になったように感じるようです。

2006年、マーティン・ポーラスとマリー・スタインの二人は、慢性不安は前部島皮質が機能不全を起こし、通常より予測エラーが増えることが原因だとする説を発表した。

それと正反対のことが起きているのが恍惚発作かもしれないとピカールは考える。前部島皮質に電気の嵐が発生して誤作動を起こし、予測エラーがほとんど、あるいはまったく出なくなった状態だ。

そのため世界に問題は何ひとつなく、すべてが理解できるという絶対的な確信感が生じるのである。

この前部島皮質説はかなり有効だとアニル・セスは言う。「現象学的に考えると、恍惚発作は慢性不安の対極です。

恍惚発作ではすべてが完璧であり、平穏な確信に満ちているのに対し、慢性不安は身体状態に反映されるあらゆることに不穏なざわめきを覚えるのです」(p292)

解離や慢性不安においては、自分の体を含むほとんどのものが「非自己」に思えるせいで、何一つ確かなものはないように感じますが、逆に恍惚発作などで身の回りのほとんどのものに「自己」のタグが貼られると、すべて真理を理解したような感覚が沸き起こってきます。

つまり「自己」というタグには、自分のものだからわかっているという所有感覚がともない、「非自己」というタグには、自分のものではないから未知でわからないという疎外感が伴うわけです。

だから、わたしの不可知論的な思想は、考え抜いた末の立派な結論なんかではないんでしょう。どれだけ膨大な証拠を集めて考察しまくっても決して納得に至らないわたしみたいな人は島皮質の活動が低下しているだけであり、ほんのちょっとだけの証拠で「真理を理解した!」と舞い上がるような島皮質が異常活動している人たちの対極にあるだけなのです。

だから、わたしがそうした人を見て浅はかだとか馬鹿らしいと感じてしまうのは、脳機能の違いを考慮に入れていない偏見にすぎなかったわけです。たぶんどちらも極端なんです。

前回の記事に書いたように、わたしがひたすら考えまくり、考察しまくっていることに関しても、わたしが考え深い人だからそうしているわけではなく、離人症のいち症状だとみなすべきでしょう。

離人症においては、島皮質その他の活動が低下した結果、内受容感覚が優勢になるので、自己の内側から沸き起こる感覚とか思考にひといちばい敏感になってしまい、その結果、非常に悩ましい自己反芻が繰り返されます。

離人症性障害になると、情動が抑え込まれ、身体感覚や現実感覚が変質する。これはまちがいない。脳が身体の状態を感じとる仕組みがどこかでおかしくなっているのだ。

また自己反芻(self-rumination)にも陥りやすいー変質した状態にばかり思考が向かい、外界への注意が極端に減るのだ

(外的自覚と内的自覚にはそれぞれネットワークがあって、逆相関になっているというスティーヴン・ローレイズの説を思いだしてほしい)。(p180)

わたしだけじゃなくて、古今東西の有名な哲学者などもたぶんこの類ですね。自分の内部の感覚までも「非自己」に分類されているせいで、ほとんどの人が考えもしないこと、生きる上で悩む必要などないことまで考えてしまっているわけです。

何をやっても無駄と思ってしまう

わたしがいつも冷めていて、何をやっても無駄だ、と感じているのも同じ理由で説明できそうです。少しでも社会をより良くするために政治とか教育とか研究に情熱を傾ける人を見ると、わたしはどうしても偽善的に見えたり、無意味に思えたりしてしまいます。社会を変えようなんて考えるだけ時間のムダではないかと。結局は、のれんに腕押しですし、何か成し遂げたとしても別の問題が持ち上がるだけだと。でもこれも、おそらくは脳機能の違いからくるわたしの偏見です。

むかし、がんが自然に治る生き方――余命宣告から「劇的な寛解」に至った人たちが実践している9つのことというベストセラー本を読みました。その9つのう8つはわたしも満たしていましたがあとひとつ、一番重要なものだけがどうしても欠けていて手の施しようがないと思いました。

それは、「どうしても生きたい理由を持つ」ことでした。

いまだかつて、わたしはそんな理由を持ったことがありません。どちらかというとわたしは、いつになったらわたしは自分の空想世界に、魂の故郷へと帰ることができるのか、と待ち望んでいるほうです。もっとも、わたしが望んでいるのは、死後も生き続けることではなく、もはや悩まなくてよくなることです。デカルト的な魂の存在は解離の理論に合わないので信じていません。

だけど、すべて無駄だと思っているくせに、なぜ創作したり文章を書いたりしようとするのか。この矛盾点も、最近の考察を通してようやくわかってきました。

創作しているときは脳がフロー状態になっている。フロー状態にあるときは恍惚発作と同様、島皮質が活性化して予測エラーが減るため、「自己」のタグづけが増える。すると、ふだんは何もわからなかったのが、創作している瞬間だけ、わかった気になる。つまり一瞬だけ、慢性不安の不可知論的思考が和らぎ、恍惚発作みたいな Aha!体験が得られるということです。

だけど、それは島皮質が活性化している一時的なものなので、創作が完成してしまい、フロー状態が終わると、やっぱり何もわかっていなかった、という感覚に戻る。

そして、再びぜんぶわかったかのようなAha!体験を求めて新しい創作を始める。要はランナーズハイと同じなのです。フローに入っているときだけ、「非自己」にタグ分けされていた感覚が正常化するから、なんとなくアイデンティティが満たされた気になる。だけどそれはうたかたの夢にすぎないので、何度も何度も刹那的な充足感を求めて創作を繰り返す。これが、わたしみたいな創作しなければ死んでしまう人たちの種明かしなんじゃないかと思います。

わたしが創作をするたびに感じるのは、これはキリがない、ということです。どれだけ創っても満たされないし、いつまで創り続けても終わらない。わたしにとって創作は生きる糧でありながらゴッホが言っていたような重荷でもあります。いつまでも新しい作品を創り続けたい一方で、この悩みから解放され、もう創らなくて良くなるときを待ちわびてもいる。なんとも複雑な心境です。

先が見えないのは悪いことではない

いずれにせよ、わたしのこうした様々な特徴、不可知論的な思考、あれこれと人一倍考えること、あらゆる労力はムダだと冷めていること、延々と創作し続けることなど、これらはすべて、脳の島皮質などが担う「自己」と「非自己」のタグ分けの不調によって説明できる、ということが最近わかってきたのでした。わかった気になっているのは今だけでしょうけどね。

問題はやはり、この「どうしても生きたい理由」が何も思いつかないことでしょうか。言い換えれば、治りたいという意欲が湧かないことです。

ここまで考えてきたことによれば、何をやってもムダだと感じるのも、わたしの理性的な思考の賜物などではなく、単に島皮質などの脳機能が低下していることからくる感覚です。だから、脳の状態が変われば、すんなりと意見が変わる可能性は十分にあります。生きているのは楽しい、と実感できる瞬間も訪れるのかもしれません。

オリヴァー・サックスが左足をとりもどすまで (サックス・コレクション)で書いているように、解離によって概念さえも喪失した人は、回復とは何を意味するのか、想像することもできません。脳の状態が変われば思考パターンまで変わるんですから、そもそも今の脳機能で回復した後の状態を想像することはできないのです。

回復はなだらかな坂をのぼるようなものと考えるべきではない。急な階段をあがっていくようなものだ。

下段にいるときには、つぎの段について想像をすることはできないし、とうてい上にはあがれそうもない気がする。

希望さえもつことができない。手元にあるものなら望みをかけることもできるが、想像もつかないことについては、まったく希望などもてない。(希望とは、いくらかは想像の産物なのだ)。

だから回復の階段を一段あがるのは奇跡のようなものだ。それも、他人から促されなければ、けっして実現しなかったことだろう。

一段あがるごとに、水平線がひろがる。狭い世界から外へふみだす。それまでいた世界が、ひどく狭く、縮んでいたことにはじめて気づく。(p188)

もしかすると、いつかこの冷めた思考や、不可知論的な考えを振り返って「それまでいた世界が、ひどく狭く、縮んでいたことにはじめて気づく」日が訪れるのでしょうか。

「想像もつかないことについては、まったく希望などもてない」せいで、今は、何をやってもムダだとか、生きたい理由などないと思い込んでしまっているだけなのでしょうか。

わたしにはわかりません。わかるはずなどありません。それは旧式のパソコンでブルーレイディスクを再生しようとするほど不可能です。少なくとも、ここで、絶対に回復などありえない、と100%決めつけてしまわないあたりが、不可知論的思考の良いところかもしれません。

先に何があるのか、まったく見えませんが、見えないというのはさほど悪いことではありません。絶望がはっきり見えているわけではなく、良くも悪くも何があるのかわからない、というだけですから。何も見えないからこそ、あきらめる必要は今のところ見当たりません。

結局、「他人から促されなければ」自分の想像もできないような場所へと登っていくことはできません。だから、SEのセラピーを受けることにしたのです。

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Categories: 4章。2018.04.23