アーレンシンドロームによる光の眩しさから逃れるために作られた夜の世界をテーマにしたシリーズ記事。
前回の第二回では、調光できるシーリングライトを買った結果、疲れにくくなって目の痛みからも解放されるなど、生活に劇的な変化が生じ、実はわたしは子どものころから薄暗い場所を求めてさまよっていたのだ、ということに気づいた経緯を書きました。
今回の第三回は、アーレンシンドロームをより理解するのに役立つ3つの書籍の解説・感想を書いていこうと思います。
一冊目は、色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記 (ハヤカワ文庫 NF 426) 。オリヴァー・サックスが、ミクロネシアにある、全色盲の人たちが多く住む島を訪問した探訪記です。
二冊目は 火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF) 。こちらもオリヴァー・サックスの本ですが、事故によって後天的に色盲になった画家の話が一章分を割いて扱われています。
第一回でちょっと触れましたが、これら先天性全色盲と後天性全色盲の人たちの特徴は、アーレンシンドロームの特徴とよく似ていて、無関係とは思えません。
色が見えない、という主要な症状はアーレンとは異なりますが、明るい光で苦痛を感じ、文字が読みづらく、暗い部屋や夜の環境で優れたパフォーマンスを発揮でき、しかも色付きサングラスが必需品という特徴は非常に似ていて、親近感を覚えずにはいられません。
三冊目は、市販の本ではなく、ネット上で公開されている共感覚エッセイノベル:エクストリーム極彩色。共感覚を持ち、アーレンシンドロームの当事者であるフリーライター千住のり子さんによるエッセイです。
前半は共感覚についての不思議なエピソード、そして終盤にはアーレンシンドロームの面接やフィッティングの体験談も書かれていて、わたしの場合と比較してみても、とても興味深い内容でした。
今回の記事では、これら三冊の内容を概観しつつ、アーレンシンドロームと似通っている部分や興味深い記述を引用して、わたしの体験と比較したり、感想をまじえたりしながら、明るい光から逃れた人たちがたどり着く独特の夜の世界について考察したいと思います。
もくじ
タイトルを「鏡像世界」に変更
と、本題に入る前に、まず、ちょっとした報告を。
一連の記事のタイトルを少し変えました。もともとは、「夜のとばりの空想世界―光が眩しすぎるから創られたわたしの夢の物語」でしたが、「空想世界」を「鏡像世界」に。そして「夢の物語」を「もう一つの物語」に。
そのきっかけになったのは、先日、自分語りカテゴリに投稿した、記憶の画家フランコ・マニャーニの記事。
記事を書いているうちに、芸術家にとって、「夢」の世界は、実際にはその人が生きている「現実」なのだと気がつきました。
わたしの場合の、昼間の世界が眩しすぎるせいで創られた夜の世界も、「夢」や「空想」ではなくて、昼の世界と同じほど現実的な、もしかするとそれよりもさらに実感を帯びたものではないか、と感じています。
そのようなわけで、この一連の記事で分析している夜の世界についてのエピソードは、昼間の世界と対称をなすという意味で、「鏡像世界」そして「もう一つの物語」と呼ぶのがふさわしいかなと感じました。どちらも現実に根ざした昼と夜、同等の価値を持つものだということです。
それでは、改めて、アーレンシンドロームと関わりのある3冊の本を紹介して、アーレンシンドロームの謎を明らかにする旅へとご招待したいと思います。
1,「色のない島へ」を読む
一冊目は、色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記 (ハヤカワ文庫 NF 426) 。
脳神経科医のオリヴァー・サックスは、次項で紹介する色盲の画家の話を書いたことをきっかけに、後天的な色盲ではなく、生まれつきの、つまり先天性の全色盲である女性フランシス・フッターマンから手紙を受け取ります。
彼女は、この世界には全色盲の人たちが数多く住む島があること、そしてノルウェーには自身が生まれつき全色盲かつ、全色盲の研究の権威である心理物理学者クヌート・ノルドビーという学者がいるということをサックスに知らせました。
生まれつき全色盲の学者クヌート・ノルドビーは、生理学者また心理物理学者として、ノルウェーのオスロ大学で視覚について研究しています。
全色盲に関する著書 「ナイト・ヴィジョン」には、全色盲とは何か、という専門家としての詳しい解説のみならず、当事者としての自身の苦労についての半生記も含まれているそうです。もしもいつか邦訳されることがあれば、ぜひわたしも読んでみたいのですが…。
果たしてサックスは、このクヌートと連絡をとり、共に全色盲の文化を体験すべく、太平洋の全色盲の島、ピンゲラップ島とポーンペイ島へと向かいます。そこは人口の約10%近くが全色盲である、世にも不思議な世界でした。
この「色のない島」をめぐる、文化的、また芸術的方面からの解説と感想は、以前にこちらの記事でまとめています。
今回は、以前の記事とはまた違った方面、つまり、アーレンシンドロームとの関わり、という視点から、この本をもう一度読んでいきたいと思います。
まず、この本のテーマであり、しかもアーレンシンドロームの症状とよく似ている「先天性全色盲」とは何か、ということから始めましょう。
先天性全色盲の明るさ過敏
クヌートをはじめ、全色盲の人たちは、なぜ生まれつき色が見えないのか、ということについての医学的な原因は次のように説明されています。
先天性全色盲の人の目がそうであるように、クヌートの目も錐体視細胞を欠いている(もしくは欠陥がある)。
錐体視細胞とは、網膜の中心窩(網膜の中心部にある小さな領域)を満たしていて、明るい所で細かい物や色などを知覚する細胞だ。
したがってクヌートが物を見るときには、もっぱら桿体視細胞によるもっと貧弱な視覚情報に頼らなければならない。(p36)
目にはおもに3種類の視細胞があると言われます。それは明るい場所で色を感知する錐体(すいたい)細胞、暗い場所で微弱な明るさを感知する桿体(かんたい)細胞、そして、概日リズム調整に関わる内因性光感受性網膜神経節細胞です。最後のややこしいのは今回は脇に置いておきます。
このうち、色を見分けることができるのは錐体細胞だけですが、クヌートら全色盲の人たちはこれが欠けているか、機能不全に陥っているかしているために、色が見えません。
そして、本来ならば、昼間は錐体細胞が景色をとらえるはずなのに、それが存在せず桿体細胞を使うことになるので、別の不具合も生じます。その症状こそが、アーレンシンドロームの人たちとよく似ている症状です。
せわしなくまたたきをしたり日の光を直視できないといったことがそれだ。
クヌートがピンゲラップ島で飛行機から降りたとたんに島の子どもたちとの間でお互いが全色盲だと認識し合ったのも、この行動のためだった。(p113)
全色盲の人たちは、強い光を認知する錐体細胞が働かないために、昼間であっても、本来弱い光を感知する桿体細胞を使って、ものを見なければなりません。桿体細胞は色を認知できないだけでなく、本来は夜の微弱な光のもとで見る役割を担っている細胞ですから、昼間の強烈な光のもとではうまく機能しません。
暗い夜でも微弱な光を認識できる桿体細胞は、言い換えれば光に対する感受性がとても強い細胞だといえます。わずかな光でも認識できる反面、強い光だと刺激が過剰になってしまいます。すると、光が異常にまぶしく感じられるだけでなく、目に痛みや疲れが生じ、目を絶えずしばたたかせるようようになります。これがアーレンシンドロームとよく似ているところです。
わたし自身そうですが、アーレンシンドロームの人の中には、頻繁にまばたきしていて、目の痛みや疲れ、不快感などに悩まされる人がいます。明るさ過敏、目の疲れ、頻繁なまばたきは、前回のシリーズ記事のタイトルにしたように、わたしのアーレン症状の中核をなしています。
もちろん、アーレンシンドロームの人は、先天性全色盲の人のように、色が見えないわけでも、錐体細胞が機能していないわけでもありません。しかし、何かしらの理由で、錐体細胞、桿体細胞ともに、光に対する感受性が普通以上に強くなっているようです。
それはちょうど、暗い場所で用いられる桿体細胞だけが持っているはずの感受性の強さが、錐体細胞のほうにも備わっているかのようです。
おそらくは、先天性全色盲の人たちの問題が純粋に錐体細胞の欠如という目の問題に基づいているのに対し、アーレンシンドロームのほうは、脳の情報伝達プロセスの問題が関わっていると思われます。だからこそ、錐体細胞と桿体細胞両方の感受性が強くなって、色と明るさ両方に対して過敏になってしまいます。
しかしどちらも光に対する感受性が強い、という点では一致しているので、表面上は同じような問題が生じ、刺激に耐えきれず目のまばたきや痛みという症状が表れてしまうのでしょう。
こうした原因となる場所は異なるのに、同じような症状が生じる、というのは、まさに次の項目で取り上げる後天性全色盲の話でよくわかるのですが、ひとまずのところそれは置いておき、先天性全色盲の人たちの明るさ過敏について、もう少し見ていきたいと思います。
アーレンシンドロームも先天性全色盲も、一般社会ではほとんど知られておらず、まばたきが多いとか明るさ過敏などの症状があっても、ただの眼精疲労だとか、自律神経失調症だとか言われてしまう、というのは、先回のシリーズの初回に書いたとおりです。
しかし、とても不思議なことに、生まれつき全色盲の人が人口の1割近くを占めているピンゲラップ島やポーンペイ島では、そうではありません。
そして、ピンゲラップの住民は、全色盲かそうでないかを問わず誰もがマスクンのことを知っていて、マスクンが生活していく上で耐えなければならないのは色がわからないことだけではなく、眩しい光であり、細かいものが見えないことだとも知っている。
ピンゲラップの赤ん坊が激しくまたたきしたり光から顔を背けたりしたときには、周りの人には医学的なことは分からなくても、少なくともその赤ん坊がなぜそうするかについての知識がある。
そして赤ん坊が必要とするものやその子の持つ能力についての知識もあり、その症状を説明する神話までが用意されているのだ。
そうした意味でピンゲラップ島は色盲の島である。この島で生まれたマスクンの人は、自分が完全に社会から孤立していたり無理解にあっていると感じることはないだろう。
ところが、島の外の世界では、先天的な色盲の人はみなそうした苦しみを味わっているのだ。(p134)
この島では、なんと、生まれつき目の見えない人は、「マスクン」(見えない人の意)という固有の名前で呼ばれていて、ひどく差別されるわけでもなく、ひとつの個性、ひとつのタイプとして受け入れられています。障害として軽んじられていることもなく、神話さえも用意されています。
これはひとえに、この島において、全色盲の人たちの数が無視できないほど多いという特殊な事情から来ているのでしょう。
たいていの場合、差別や偏見は、多数派と少数派の関係によって生じます。以前に書いたように、近年、アスペルガー症候群やADHDなどの発達障害は、「障害」ではなくひとつの「個性」また「種族」であり、彼らが生きづらいのは、多数派に沿ってデザインされた社会で暮らしているせいだ、という考え方が注目されています。
社会は多数派によってデザインされるものなので、少数派の人たちにとっては住みづらくなってしまう。その結果、本当は社会のデザインに障害があるのに、生きづらい人たち自身に障害があるようにみなされてしまう、というのが障害の「社会モデル」、別名「人権モデル」という考え方です。
しかし、少数派がある一定以上の発言力を持ち始めると、この状況は変わってきます。わたしたちの社会で近年、障害の「社会モデル」が意識されはじめたのは、発達障害などのアイデンティティを持つ人の数が増えてきたからでしょう。
同様に、全色盲の人たちが10%近くを占めるピンゲラップ島の文化では、彼らは少数派ではあるとはいえ、わたしたちの社会の全色盲の人たちの数に比べるとはるかに多いので、ある程度の理解と共感を得られるまでになったのだと思われます。
この島では、明るさ過敏があり、激しいまばたきをしている人は「マスクン」という一つの種族であるとみなされています。昼間は活動できない反面、夜には優れた能力を発揮する、独自のニーズを持った人として尊重され、社会に居場所を与えられています。
だからこそ、この島のマスクンたちは、初めてやってきたノルウェー人のクヌートを見たとき、彼が自分たちと同じものだと直感し、国や人種を超えて、仲間として受け入れてくれたのです。
それにしても…。
もしわたしがこの島を訪れたら、島の子どもたちは、わたしをマスクンの仲間だと思うのでしょうか(笑) わたしは色が見えないわけではありませんが、明るい光のもとでは目がけいれんするようにパチパチし始めますし、クヌートと同じように、眉をしかめてまぶしさへの苦痛を訴えるでしょうから。
「夜釣りの漁師」
さて、そんなマスクンたち全色盲の人たちが、この島で、ひとつの種族として受け入れられているのは、彼らの短所だけでなく、長所もまたよく知られているからです。
たとえば、クヌートは、この島生まれではありませんが、生まれつき全色盲として育ってきた中で、独特の能力を発達させたといいます。
それに加えて、意識してもいなくても、色以外の視覚情報を引き出すことが不可欠だ。なぜなら色のない世界では、色以外の何かが視覚に訴える重要な要素になっているはずだからだ。
クヌートの並外れた感覚はすぐに明らかになった。それは物の形、質感、輪郭、境界線、釣り合い、奥行き、そしてほんのわずかな動きに対しても発揮されるのだ。(p37)
色が見えないことは、この世界では大きな弱点になります。交通信号のような色による指示が理解しにくくなりますし、色盲だと気づかないまわりの大人から理不尽な非難をされることもあるでしょう。
そうした弱点があると、人間の脳は、別の方法を用いて補おうとするものです。それはせき止められた水が、川岸を削って別のルートで流れていこうとするようなものです。
先天性全色盲の人たちが直面する苦労は色が見えないことだけではありません。クヌートは、本を読むのが難しいという問題についてもこう語っています。
僕の場合、たとえ本の文字の大きさでも一つ一つの字を識別できなかったことで、結果として記憶力を発達させることになったんだと思うよ。
クラスメイトか家族の誰かが宿題を一度か二度読んでくれさえすれば、僕はそれを暗記してしまい、自由に思い出したり暗唱できたんだ。そのおかげで、授業中も自信を持って本を読めたんだよ。(p107)
先天性全色盲の人たちは、通常ものを見るのに用いる錐体細胞ではなく、暗い所でおおまかに形をとらえる桿体細胞を用いているので、明るさに過敏なだけでなく、弱視という問題も抱えています。
クヌートは、弱視のせいで文字を読むのが難しかったことで、かえって記憶力を発達させました。ピンゲラップ島の子どもたちもまた、やはり記憶力がひときわ優れているそうです。
これは、以前に取り上げた、盲目の人たちの適応戦略とよく似ています。盲目の人たちも、文字情報を確認できないため、記憶力を発達させて、必要な情報を常に頭の中に入れておくように適応していきます。昔からさまざまな文化に、歴史の語り部としての役割を果たす目の見えない人たちがいます。
また、本を読むのが難しいというのは、アーレンシンドロームとも共通する症状です。アーレンの人たちは、先天性全色盲ほど弱視ではないかもしれませんが、文字を認識しづらく、読み書き障害(ディスレクシア)になることがあります。
わたしの場合、読み困難があったせいで、文章の行間を読む力、単語と単語のつながりを再構成する力が身についたのではないか、ということを前シリーズの第一回に書きましたが、これはクヌートが文字が見にくい代償として記憶力を発達させたのとよく似ています。
さらに、全色盲の人とアーレンシンドロームの人の最も大きな共通点は、明るさ過敏のせいで、日中ではなく、夜に活動するようになる、ということです。
暗くなるにつれ、クヌートや島の全色盲の人々は動き易くなるようだった。
マスクンの人たちにとっては目が暗順応する日没、日の出、そして月明かりの夜のほうが行動しやすいことは、この島では誰もが知っていて、彼らの多くは夜釣りの漁師として働いている。
そして夜釣りにかけては全色盲の人たちは極めて優れていて、水の中の魚の動きや、魚が跳ねるときにこれに反射するわずかな月の光まで、たぶん誰よりもよく見えているようだった。(p88-89)
クヌートやピンゲラップ島のマスクンたちは、目の桿体細胞のみを用いているわけですから、通常の視覚を持つ人たちよりも、桿体細胞の機能が発達しています。その結果、夜になると普通以上の優れた視力を発揮し、夜釣りの漁師として他の人たちに真似できない才能を発揮します。さながら暗視スコープを標準装備しているようなものかもしれません。
これは、アーレンシンドロームの人たちもよく似ているのではないかと思います。アーレンの人たちは桿体細胞が発達しているわけではありませんが、少なくともわたしのようなタイプは、おそらく錐体細胞、桿体細胞ともに感受性が強く、光にも色にも過敏なようです。
すると、前回の記事で書いた研究が示すとおり、薄暮視の視力、つまりトワイライトな薄暗い中での視力が普通の人より良くなることになります。昼間に光がまぶしく色が鮮やかなことは錐体細胞の感受性の強さを、明るさに敏感で薄暗くなると実用視力が上がるのは桿体細胞の感受性の強さを意味していると考えることもできるからです。
薄暗い中では、ただよく見えるだけでなく、強い光による目に対する刺激や痛みもなくなりますから、アーレンの人たちが自然に夜型に適応していき、夜間にパフォーマンスが高くなるとしても不思議ではないように思えます。
最初に出てきた、サックスに手紙を送ってクヌートと会うきっかけを作った先天性全色盲の女性、フランシス・フッターマンはこんなことを書いています。
「全色盲」という言葉は、私たちの視覚の欠陥についてしか説明していません。つまり、私たちに備わっている能力や、私たちが見たり作りだしたりする世界については何も語っていないのです。
夕暮れ時は私にとっては魔法の時間です。目の眩むような光と影の対比がなくなると、視野が広がり視力も突然良くなるのです。これまでに目にした最も美しい風景は、どれも夕暮れ時かあるいは月明かりの下で見たものです。(p268)
わたしがトワイライトな薄暗い場所を求めてさまよっていたように、フランシスもまた、夕暮れ時、つまり薄暮の時間帯をこよなく愛しているようです。わたしにとって、夜は安らぎに包まれる憩いの時間ですが、それは全色盲の人たちも同じなのです。
フランシスは、やがて1993年に全色盲ネットワークを立ち上げ、全色盲についての月刊の情報誌を発行し、全世界の全色盲の人たちをつなぐ役割を果たしているといいます。
アーレンの人たちも、言語の壁を超えてつながることができれば、その独特の文化を共有し、ひとつの種族のようにつながることができるのかもしれません。
「見えるよ、見えるよ!」
こうした全色盲の人たちにとって、生活を変える力のある必需品といったら、それはもちろんサングラスです。
アーレンの人にとっての必需品がアーレングラスであるのと同様、明るさ過敏に悩まされる人は、強いサングラスをかければ弱点をある程度 克服でき、昼の日差しのもとでも活動できるようになるのです。
もともとノルウェーで生まれ育ったクヌートは、そうしたサングラスや弱視用の拡大鏡を使いこなして学者にまでなりましたが、医学的知識の普及していないこの島では、サングラスがありませんでした。それでサックスたちは、持ってきた明るさ対策用品を島の人々に配ることにしました。
デリーダの診療所の外で、私たちは持ってきたラップアラウンド・サングラスや帽子などを配ることにしたのだが、これがさまざまな反応を呼び起こすことになった。
母親が腕にかかえていた赤ん坊の目に小さなサングラスを掛けると、それまでしじゅう声を上げて目をしばたたかせていた赤ん坊がたちまち落ち着いた。そしてもう目をしばたたくこともなくぱっちり開くと、明らかに興味をもって自分の周りを見回し始めた。(p79-80)
サングラスがもたらした効果は驚くべきものでした。生まれつきの明るさ過敏のせいで泣いていた子どもさえ泣き止んで、普通の子どもへと様変わりしたのです。
これはとても考えさせられる記述です。わたしもそうでしたが、ADHDの子どもはなかなか泣き止まなかったり、ぐずって寝つかなかったりすると言われています。色々な原因があるでしょうが、以前の記事で推測したおりには、生まれつきの過敏性、HSPが関係しているのではないか、と指摘しました。
そうすると、もしかすると、わたしが泣き止まなかったのは、家の中程度の普通の蛍光灯の明かりでも、神経に触って不快だったからなのでしょうか。もし赤ちゃんのころのわたしに幼児用サングラスをかけさせたら、もっと素直に寝つくことができたのでしょうか。それとも音過敏など別の過敏性も複雑にからみあっていたのでしょうか。
今となっては知るよしもありません。しかし、こうした情報からすると、なかなか寝つかない、泣き止まないような子は、いわゆる「手のかかる子」「気難しい子」ではなく、何かしらの感覚が過敏すぎて、ごくありふれた普通程度の刺激を不快に感じるせいで、ぐずっているのかもしれません。
しかしそうであっても、サングラスや耳栓を試してみればよい、という単純な話でもありません。誤って感覚を遮断しすぎてしまえば、今度は刺激が入ってこなくなり、発達に逆の悪影響が及んでしまうかもしれません。自分で判断できるようにならないうちは、感覚がどの程度過敏なのか外からわからないのが悩ましいところです。
赤ちゃんの睡眠障害に詳しい三池先生は、子どもの夜ふかし 脳への脅威 (集英社新書) の中で、そうした赤ちゃんについて、まずは電気を早く消して家族全員で眠ること、それでも寝ないようならメラトニンなどを少量服用させるという方法を説明していますが、赤ちゃんの時期はそうしたやり方のほうがリスクが少ないと思います。
そして、自分で判断できる年頃になれば、サングラスや耳栓のようなグッズを、それぞれの感覚過敏に合わせて適宜判断して装着できるようになるでしょう。サックスは、あるマスクンの子どもについてこう書いています。
男の子は真新しいサンバイザーを被って、恐れるものの何もない若武者のように全速力で走ってきた。何時間か前には、目をぱちぱちさせ日の光を直視できずに下を向いていたのだ。
ところが今や真っ昼間の光の洪水の中を確かな足取りで険しい山道を下っていく。彼は黒っぽい色のサンバイザーを指差し、にっこり笑った。「見えるよ、見えるよ!」(p111)
この子の喜ぶ笑顔が目に浮かぶようです。もしわたしがこの子くらいのころにアーレンレンズをもらったなら、同じような笑顔になったかもしれません。
この子はきっと、それまで、本当は冒険したいのに、目が痛くて、まぶしくて、景色が見えなくて、走ることができなかったのです。サングラスはそのすべてを解決してくれました。後はただ思うままに駆け出すだけです。
わたしは子どものころ、のび太型のADHDで慎重な子どもでした。でも、臆病だったわけではなく。好奇心はとても旺盛でした。きっと明るさを含む感覚過敏のために、冒険しようと思っても一歩踏み出せなかったのです。ひといちばい敏感な子によると、そのようなわけで生まれつき敏感なHSPの子の70%が内向的になるそうです。
もし、あのころアーレンレンズがあったら、わたしの性格はまったく異なる方向に発達していたのかもしれません。
さて、ここまでは先天性の全色盲についての話でしたが、この本の冒頭でサックスは、別のタイプの全色盲について触れています。それは、彼がピンゲラップ島を訪れる前に出会った患者であり、この患者のエピソードについて書いたことが、フランシス、そしてクヌートと出会うきっかけになりました。
その当時、私の患者にジョナサン・Iという人がいた。画家だったが、自動車事故のために(そしておそらくはその瞬間に起きた脳卒中の発作のために)色彩を完全に失ってしまった。
色彩感覚を失った原因は、直接眼に受けたダメージではなく、脳の中で色彩の感覚を組み立てる」役割を担う部分に受けた損傷のためと思われた。
そしてこの患者は色を見分けるだけでなく、色彩をイメージしたり記憶したり、夢に見る能力までも失ってしまったらしいのだ。(p26)
ジョナサン・Iとはどんな人なのでしょうか。彼の身に生じた別のタイプの全色盲、つまり「後天性の」全色盲とはどんなものなのでしょうか。二冊目の本の感想に移りましょう。
2.「色盲の画家」を読む
二冊目の本は、火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF) です。これもまたオリヴァー・サックスの本ですが、先ほどの「色のない島へ」よりも前に書かれた一冊です。
この本は、さまざまな奇妙な脳の症状を抱え、悩み、葛藤を抱えながらも、普通とは異なる適応によってそれを乗り越え、「障害」ではなく「個性」として受け入れ、「才能」として生かしていく7人の人を描いた本です。
そのうちの5番目に登場するのが、先日別の記事で取り上げた記憶の画家フランコ・マニャーニですが、1人目に先陣を切って紹介されているのが、今回取り上げるもう一人の画家、ジョナサン・I です。
全色盲になった画家
ジョナサン・I は、もともと優れた色彩感覚を持つ画家として活躍していましたが、あるとき、交通事故に遭い、そのときに起こった何らかの脳の異変のため、色がまったく見えなくなるという後遺症を負いました。
その症状は、先天性全色盲の人たちと似ている部分もあれば、大きく異なる部分もありました。
まず、色が見えなくなり、灰色のグレースケールの世界になってしまったこと、そして、コントラストも異常に強くなってしまったことなどはよく似ています。
またコントラストも異常に強くなり、とくに直射日光や強い人工的な光のもとでは微妙な陰影がなくなった。
彼はそれを、色も陰影も消えてしまうナトリウムランプや、特殊な―「トライXフィルムを使ってシャッタースピードをあげたような」―コントラストの強い白黒フィルムにたとえた。(p48)
ジョナサンの場合もまた、先天性全色盲の人たちや、アーレンシンドロームの人と同様、コントラストが強く、光の明るさ、まぶしさに悩まされるようになったことがわかります。
一方で、彼の場合は、多くの先天性全色盲の人たちとは明らかに異なる特徴がありました。
彼は生まれつき、遺伝のせいで目の錐体細胞が欠けていたり、機能不全になっていたりしたわけではありません。目の錐体細胞そのものは正常でした。それよりももっと深い部分、つまり、脳の中の部分で、色の情報が消え失せてしまったようです。
その証拠に、彼は単に色が見えなくなっただけでなく、色をイメージすることも、色のついた夢を見ることさえもなくなりました。そして彼が持っていた共感覚からも、色は忽然と姿を消してしまいます。
妙な話だが、音楽を聞く喜びも損なわれた、彼の場合、音を聞くと同時に色まイメージを見る現象、つまり共感覚が強く、どの音楽も頭のなかでは多彩な色の集まりだった。
ところが色覚の喪失とともに、この共感覚も消えた。「色覚器官」が故障して、音楽を聞いても視覚的連想が起こらなくなり、彼の音楽には不可欠だった色が消えた。音楽はひどく空疎になった。(p51)
共感覚については、次に三冊目として紹介するエッセイの感想のときに改めて取り上げますが、これは複数の異なる感覚が絡み合って認識される特殊な能力のことです。たとえば、音を聞くと、それに対応する色が見える場合があり、ジョナサンはそうしたタイプの共感覚を持っていました。
ジョナサンの共感覚は日常に彩りを与えるものであり、芸術的感性の源泉ともなっていましたが、その大切な共感覚からも、やはり色のイメージが消え失せてしまいました。
最も奇妙だったのは、ジョナサンの見る色のない世界が、どうやら、先天性全色盲の人たちが見る色のない世界とは似て非なるものであったと思える点です。
ジョナサンは、自分の見ている灰色の世界は、ただ色がないだけでなく、とても醜いと表現しています。奇妙でグロテスクな不快感を伴っているかのように感じられるといいます。
それは一体なぜなのか。
脳の視覚野に異常がある
サックスは、彼の障害の原因についてこう説明しています。
I氏の回答はつねに一貫していて、ためらいがなかった。…I氏が光の波長を見分けることはできるが、それぞれの波長を色に翻訳すること、大脳で、あるいは精神的に色を構築することができないのは明らかだった。
この発見は、問題の本質をはっきのさせるばかりでなく、障害の場所をつきとめるのに役立った。I氏の第一次視覚野は基本的に問題がなく、視覚前野(とくにV4、あるいはその関連分野)が障害の原因になっていたのだ。
この領域は人間でもごく小さいが、色の概念すべて、色を想像したり記憶したりする能力、色の世界の生き生きした知覚すべてが、ここの統合力に決定的に依存している。(p69-70)
V4自体ではなく、そこにつながる構造(V1のいわゆる「ブロップ」あるいはV2の「線条領域」)にあったためとも考えられる。(p70)
ジョナサンに生じた問題の原因は、おそらくは脳の中の視覚野に、それも特に色の情報を統合する紡錘状回のV4の領域に関係するものと考えられました。
本来、目から断片的に入ってきた色や形、動きなどの視覚情報は、これら視覚野の情報処理プロセスの中で、統合されていきます。それはあたかも、人間の骨に筋を張りめぐらせ、肉づけし、皮をかぶせて、見た目を本来あるべき姿に整えるようなものです。
このプロセスのどこかが滞っていて、情報が統合されていないというのは、単に色が欠けているというわけではなく、身の回りのあらゆるものが、本来なら目にしないはずの不完全な状態、ちょうど皮をかぶせられていない人間を見ているかのような、奇妙でグロテスクなものとして映ってしまうようです。
特にジョナサンの場合は、それまで長年、視覚野が統合した本来の世界を見ていたわけなので、統合されていない不完全な世界との落差をはっきりと感じ取ったのでしょう。それが、ジョナサンの見る、醜いグレースケールの世界の正体だと思われます。
しかしながら、ジョナサンほど劇的な体験はしなくとも、視覚野の情報処理の程度は、わたしたち一人ひとりで差があるようです。
以前の記事で取り上げたとおり、視覚野のV4の働きが強く、色の認識に秀でた人と、逆にV4の働きが弱く、V1の線の認識で補っている人が存在しているという説があります。
ギフテッド 天才の育て方 (ヒューマンケアブックス) によると、後者のタイプだとされる自閉症のドナ・ウィリアムズは、奥行きを感じるのが難しく、人の顔を見分けるのも苦手で、色付きメガネをかけると症状が改善されたと言われています。これはアーレンシンドロームの人、ことに、わたし自身とよく似ている症状です。
立体感の認知がうまくいかず、人の顔が見分けにくい相貌失認が生じる、という症状は、ジョナサンの場合にもありました。
ひとの輪郭は八百メートル先から見えるが、(手紙にあったように、またその後くりかえし語ったように、彼の視力は「ワシなみ」に鋭くなっていた)、顔は近づくまでわからないことが多かった。
これは失認症というよりは、色彩と陰影がなくなったためらしい。困るのは、運転しているときに影を地割れや溝とまちがえ、ブレーキをかけるか急ハンドルを切ってしまうことだった。(p48-49)
これらの情報を総合すると、アーレンシンドロームは、ジョナサンの直面した後天的全色盲の軽いものと考えることができるように思えます。
つまり、V4の働きが完全に麻痺しているわけではなく、少し弱くなっているせいで、グロテスクとまではいかないものの、本来の状態よりも過剰なコントラストの強さを感じているということです。
色と明るさが十分に統合されないということは、視覚刺激が受け入れやすいレベルに適切に補正されないまま認識されるということを意味します。すると、ごく普通の色や光の刺激が、全体的に強く感じられてしまい、敏感さ、感受性の強さとして、ときには不快に感じられるでしょう。
もっとも、どうして紡錘状回のV4の領域の統合が不十分なのかはわかりません。サックスが述べるとおり、V4そのものの機能不全の可能性もありますし、そこに至るまでの過程で不具合が生じている可能性もあります。アーレンシンドロームの人の中には、文字が動いて見える人もいますから、さらに奥の視覚野V5の統合にも異常を来たしているケースも考えられます。
いずれにしても、ジョナサンの後天性全色盲とアーレンシンドロームは、脳の中の同様の箇所の異常が関与している可能性があります。
しかし、アーレンシンドロームには、これまでの記事で何度か触れているように、少なくとも二種類、自閉症の「感覚統合障害」とHSPの「敏感性感覚処理」に対応する異なるタイプがありそうですし、さらにそれ以上の別のタイプ存在する可能性もあるので、性急にひとつの原因にのみ落とし込むのは危険だと思います。
…それにしても、今のわたしの説明からすると、わたしのアーレンシンドロームは、自閉症の「感覚統合障害」に近いようにも思えてしまいますね…? しかし実際にはそれは違うと思います。なぜなら、わたしは自閉症のドナ・ウィリアムズのように感覚が崩壊してバラバラになっているわけでないからです。「感覚統合障害」があるわけではなく、「敏感性感覚処理」のほうだと思います。
とすると、紡錘状回の色の統合機能に不全があるのではなく、V4自体は正常なのかもしれません。その代わり、何かしらの理由からか、紡錘状回を含めて、入ってくる情報に対する感受性が強くなってしまい、情報を過剰に解釈しているということなのでしょうか。
こうした分析からしても、たとえ同じV4が絡んでいる場合でさえ、症状が出るプロセスには幾通りもの可能性がある、ということがわかると思います。
この推測については、後ほど共感覚に関する説明のところでもう少し掘り下げます。
「夜はべつの世界です」
少し説明が長くなってしまいましたが、再びジョナサン・Iの話に戻りましょう。
ジョナサンは、後天性全色盲のグロテスクな世界という後遺症に、時間をかけて徐々に適応していきました。その過程で、彼は、先天性全色盲の人たちや、アーレンシンドロームの人たちと同じような経験をしたようです。
事故から二年たつと、明るい昼間ではなく薄暗い時間やたそがれにいちばんよく見えることに気づいた。光が明るすぎると、目がくらんで一時的に見えなくなるが―これも知覚システムが損なわれている印である―夜や夜の生活は肌にあった。彼の言葉を借りれば「白と黒でデザインされて」いるからだ。
彼は「夜型人間」になり、よその都市や場所を探検するようになったが、それも夜に限られた。(p75)
明るさ過敏に悩む人が、太陽の光に追い立ててられて行き着く先は、やはり「夜」なのです。マスクンの人たちの居場所が夜釣りの漁師であり、わたしの居場所がトワイライトな薄暗がりであったように、ジョナサンもまた、自然と夜の安らかな静けさに惹かれていきました。
「わたしはだんだん夜型人間になりました。夜はべつの世界です。ひろびろとしている。通りやひとでさえぎられることはない……まったく新しい世界です」
「わたしの視力ときたら、すばらしいですよ―夜なら四ブロック離れていても、車のナンバープレートが読めるんです。ふつうのひとなら、一ブロック離れたら見えないでしょうがね」(p76)
夜は別の世界。まったく新しい世界。
わたしもいつもそう感じています。夜こそがわたしの故郷であり、わたしは夜から夜へと旅をしています。夜のあの静かな安らぎ、なんとも言えない居心地の良さ、自分だけの時間。
そんな感触が、ついわたしを夜更かしさせてしまうのかもしれません。昼間は焦ってさまざまな刺激に追い立てられてはいても、夜には本当の意味で、自分を取り戻せる気がします。夜をじっくり味わっていたいために、ダラダラと過ごしてしまうこともよくあります。
先天性全色盲の夜釣りの漁師や、薄暮視に優れたアーレンシンドロームの人と同様、ジョナサンもまた、夜に鋭い視力を発揮しました。さすがにわたしはそこまで真似はできませんが、色のない世界に住む人たちは、色と引き換えに、桿体細胞や、明暗の認知プロセスが発達し、夜空を飛ぶ猛禽類のような夜間視力を獲得するのかもしれません。
「白と黒の時代」
そんなジョナサンにとって、昼間の世界ともうまく折り合いをつけていくのに役立ったのは、またしても登場する、あの道具、そう、色付きメガネでした。
もはや、全色盲やアーレンシンドロームの人たちは、色付きサングラスと切っても切れない糸で結ばれているかのようです。
わたしたちはひとつだけ現実的な助言をすることができた。I氏は中間的な波長の光のときモンドリアン図形をもっとも明瞭に見ることができたので、ゼキ博士がこの波長だけを通す緑のサングラスをかけたらどうかと提案したのだ。
とくべつのメガネがつくられ、I氏はとくに明るい日光のもとではこのメガネをかけるようになった。
I氏は喜んだ。色覚を回復することはできなかったが、コントラストの状態がよくなり、形や輪郭が見やすくなったからだ。
夫人と一緒にカラーテレビを見ることもできるようになった。ダークグリーンのサングラスをかけると、カラー画面が白黒になる。(p71)
ジョナサンの場合のアーレンレンズは、ダークグリーンのサングラスでした。ただのサングラスではなく、色付きサングラスということで、彼もまた、特定の色の波長に過敏性があったことが明らかです。彼は症状からすると、アーレンシンドロームの基準を満たしていることになります。
興味深いのは、緑のサングラスは、前の記事で触れたように、近年、偏頭痛の軽減に役立つという研究成果が発表されていることです。
そして何の因果か、色のない島へによると、先ほど出てきた先天性全色盲のクヌートや、これらの本の著者であり、わたしとよく似ている人であるオリヴァー・サックスもまた偏頭痛持ちなのです。(p302)
全色盲だけでなく、偏頭痛もまた、何らかの光過敏性という共通項をもってしてアーレンシンドロームとのつながりがあるのでしょう。
そのようにして夜の世界という安らぎの場所にたどりつき、ダークグリーンのアーレンレンズによって昼間のまぶしさ対策も手に入れたジョナサン・I は、やがて画家として復帰することを選びます。
あれほどグロテスクで奇妙だと突っぱねていたグレースケールの世界も、年月が経つうちに、なかなかどうして、自分だけにしかない芸術的な世界のように思えてきたのです。
昔から怖さと美しさは紙一重と言われますが、画家としての天分を有していたジョナサンは、グロテスクな視界の中に、芸術的な輝きを見つける感性を持ち合わせていたのでしょう。
そして、彼はグレースケールの世界で見つけた新たな輝きを、自分にしか描けない新たな芸術として昇華するようになります。
絵のことでいえば、一年あまりの実験と模索のすえに、I氏はそれまでの芸術家としての経歴に勝るとも劣らない力強い生産的な段階を迎えた。
白と黒の絵は非常に好評で、創造的な再生を果たして驚くべき「白と黒の時代」に入ったと言われた。
この新しい段階が芸術的な展開だけではないこと、悲劇的な喪失によってもたらされたものであることを知っている人は少ない。(p78)
彼の新しい世界は、新たな芸術として受け入れられたのです。
この経緯もまた、わたしにとってはことさら興味深いエピソードです。前シリーズの最後の記事に、芸術とは、その人個人にしか見えない独特の世界、つまりその人だけの感性であるクオリアを写し取ったものではないか、と書きました。
まわりの人たちはそれに気づいていません。多くの人たち、普通のクオリアを持つ大半の一般人たちは、芸術とは芸術家が工夫を凝らして作り出した技巧のように思っています。ピカソのキュビズムも、モネの印象派の絵も、ダリのシュルレアリスムも、彼らが豊かな発想で作り出したものだと思っています。
しかし、わたしはそうではないと考えます。自分の場合にしてもそうですが、芸術家というものは、技巧を凝らして描くというよりは、自分がまさに見ているその世界を、幾らかアレンジして写し取っているにすぎないのです。
現に、モネのあのぼんやりした睡蓮の絵は、芸術的技巧というよりは、モネが白内障にかかり、思い切って当時の不確実な手術に踏み切ったものの改善せず、ぼんやりとした視界の中にも美しさを見いだそうとしたときに描かれた作品群であることが知られています。これはジョナサンの新しい芸術の誕生とよく似た経緯です。
また、ピカソはさまざまな不思議な絵を描いていますが、あの不思議な造形は、ピカソが見ていた世界の形、彼独特のクオリアからアレンジされたものだとわたしは考えます。
たとえばピカソは20歳ごろに、ジョナサンの「白と黒の時代」ならぬ、「青の時代」と呼ばれるどんよりした青色を基調とした鬱屈した絵を多数描いていますが、彼はなぜ青を選んだのでしょうか。
興味深いことに、芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察には、「コカイン使用中止期間中の青に対する感受性の低下は、ドーパミンが特定の色に感受性を示す錐体を調節していることを示している」と書かれています。(p81)
以前の記事に書いたように、ピカソはおそらくかなり典型的なADHDであり、生涯ドーパミンの不安定さを抱えていました。そうすると、彼の青の時代のよどんだ青は、その時代の彼が、ドーパミンの低下によって空や川の青でさえ、どこかどんより見えていたことを反映しているのではないでしょうか。
こうしたことは推測には過ぎません。しかし、芸術家とは、世間の人が思っているほど突飛な想像力を持っている存在ではないのです。むしろ、自分が見ている世界を鋭く「解釈」し、他の人にも見える芸術という形に料理できる感性を持った人こそが芸術家なのです。
こうした芸術における医学的要因を明らかにする取り組みは病跡学と呼ばれますが、病気でも障害でもなく、ただその人の異なる認知特性、健康な範囲であらゆる人に存在する一人ひとりの認知の違いが、その人だけの芸術的表現につながっているのだとわたしは考えます。
わたし自身の絵もまたしかりで、わたしの絵のスタイルは、アーレンなくして今のものにはならなかったでしょう。わたしは全く気づいていませんでしたし、周囲のだれも気づいていなかったに違いありませんが、創造性とは、かくもその人の脳の仕組みに左右されて発達していくものなのです。
では最後に、そのような芸術的創造性とアーレンシンドロームの関わりを知るのに うってつけのエッセイを見てみることにしましょう。それはジョナサンも持ち合わせていた創造性の源「共感覚」とアーレンシンドロームとをつなぐミッシングリンクです。
3.「エクストリーム極彩色」を読む
最後に紹介するのは、ここまで取り上げてきた、アーレンシンドロームと関わりがあるだろう間接的な内容の本ではなく、アーレンシンドロームの当事者の方が書かれた、そのものずばりなエッセイです。
それは、KADOKAWA × はてな による小説投稿サイト 「カクヨム」でフリーライターの千住のり子さんが公開しておられる、共感覚エッセイノベル:エクストリーム極彩色。
たまたまアーレンシンドロームについて調べていて見つけたのですが、ご自身の共感覚とアーレンシンドロームの体験談を、66話からなるエッセイとしてまとめておられ、同じような経験をしてきた者として、たいへん興味深く拝読しました。
はじめは文字-色タイプ、また音-色タイプなどの共感覚の話から始まり、エッセイらしく喫茶店のおしゃれな描写などもはさみながら、41話からはアーレンシンドロームの当事者としての体験談も交えて、ご自身の不思議な感覚世界を彩り豊かに綴っておられます。
先の2冊とは違って出版された本ではありませんし、本格的な脳科学の考察でもありませんが、非常に貴重な実体験が反映されていることから、アーレンシンドロームの正体を追う重要な手がかりとなりえます。
共感覚の不思議な世界
わたしが千住さんのエッセイにたどりついたのは、もちろんアーレンシンドロームというキーワードからでしたが、このエッセイのテーマはタイトルにあるとおり、「共感覚」です。アーレンはあくまでも共感覚にまつわる不思議な体験の一部として扱われています。
「共感覚」は、先ほどのジョナサン・Iのエピソードにも少し出てきましたが、複数の感覚が絡み合って感じられることを言います。ジョナサンのように音で色を感じるタイプや、文字を見ると色を感じるタイプが有名で、千住さんもこれらの共感覚を持っておられるようです。
そのほかには、エッセイの中でもちらりと言及されている、 ぼくには数字が風景に見える (講談社文庫) などの著書で有名なアスペルガーまたサヴァンのダニエル・タメットが持っているような、数字と空間や触感がつながっているタイプもあり、これは数学者に多いとされています。 幾何学を得意とする天才数学者たちは、数字が文字通り幾何的な空間に配置されていたようです。
そのほか、音で味を感じたり、人の顔を見ると色(オーラ)が見えたり、言葉を聞くだけで温冷感が生じたりするなど、人によって千差万別で、事実上人の数だけ多様な共感覚が存在するといって差し支えないかもしれません。
特に強烈な共感覚を持っていた人として、偉大な記憶力の物語――ある記憶術者の精神生活 (岩波現代文庫) の記憶の達人ソロモン・シェレシェフスキーがいます。何か言葉を聞くだけで頭に幻覚ほどの強さとリアルさを持つイメージが湧き起こり、類まれな記憶力として活用していたそうです。
しかし共感覚は特別な人たちだけが持つ超能力のようなものではなく、感覚が未分化な赤ちゃんのころは誰にでも備わっていると言われています。たまたま大人になっても、赤ちゃんのときの脳の機能の一部が残っている人が共感覚者なのです。
さらにいえば、わたしたちに普通に備わっている感覚も共感覚と地続きのものです。たとえばよく例に出されるのが「キキ」と「ブーバ」。この二つは、どちらが尖っていて、どちらが丸いでしょうか。
そうと聞かれると、たいていの人は「キキ」が鋭く、「ブーバ」のほうが丸いと答えます。これは一種の音-形の共感覚で、ほとんどの人はこうした言葉と感覚のつながりを自然に、無意識に使いこなしています。
そして、共感覚がない、と思っている人の場合でも、感覚遮断タンク(アイソレーション・タンク)という機器の中に入ったり、ヘミシンクという両耳で異なる特殊な音声を聞いたり、幻覚剤であるLSDやメスカリンなどの薬物を使ったりなどすれば、一時的に共感覚が解放されると言われています。
つまり、わたしたちは、多かれ少なかれ誰もが共感覚者であり、たまたま普通よりも脳の抑制機能がゆるいのか、感覚同士のつながりを強く感じやすい人が、不思議な共感覚を持っているように見えるだけなのです。
このような他の人より脳の抑制がゆるく、強めの「共感覚」を持っていることは、芸術的才能とも結びついていると言われています。詩人が美しい比喩を用いたり、画家が独特なタッチで風景を写し取ったりするのには、コーヒーに渦巻くミルクのように溶け合う共感覚のハーモニーが一役買っているのです。
共感覚の科学的なメカニズムについては、詳しくは以前に書いた記事を読んでいただければと思います。
わたしの共感覚と比べてみて
千住のり子さんの共感覚エッセイノベル:エクストリーム極彩色では、そんな不思議な共感覚の世界が、ご自身の実体験をもとに、色とりどりの言葉を散りばめつつ、流れるような文章表現で綴られていきます。
数に色がある(3話)、アルファベットに色がある(14話)、というあたりは、上の記事に書いたとおり わたしも同じなので、共感しつつ読むことができました。ただし色がついているとはいっても、わたしとは全然違う色であるのが、面白いところです。
それに、千住さんの色の共感覚についての表現は、やはり共感覚者だったウラジミール・ナボコフが記憶よ、語れ――自伝再訪 の中で述べているように、かなり具体的です。わたしはUは抹茶色というように、ある程度限定できる文字もありますが、赤色のAのように、原色に近いイメージのほうが多く、あまり詩的に説明できません。
そのほかにも、声をはじめとする音に色があるとか、絶対音感を持っているとか、楽譜にも色が見える(13話)といった、わたしには未知の領域の話も多くありました。ちなみに絶対音感もまた、赤ちゃんのころは誰にでも備わっているもののようです。
特に興味深かったのは、カフェインを飲むと共感覚が弱まって、集中しやすくなるというところ(9話)。これは、先の共感覚の記事で書いた、抗うつ薬などを服用すると、共感覚が一時的に消えるとされる現象と類似しています。
もしかすると、やはり共感覚を持っている わたしの親がコーヒーを頻繁に飲むヘビードリンカーなのは、無意識のうちに共感覚を弱めて集中しやすくする効果を感じ取っているのでしょうか。
またADHDの人には共感覚者が多く、コーヒーのヘビードリンカーもまた多いですが、もしかすると、ADHDで気が散ってしまうという現象は、一種の共感覚なのでしょうか。
感覚がひとつにしぼりにくく、拡散しやすいがために、余計な刺激に気が散りやすく、余計な刺激は共感覚としても自覚される。だから、心を彷徨わせるマインド・ワンダリングの状態では、複数の感覚がスープのように混ざり合って、優れたアイデアを思いつきやすいのでしょうか。
近年では、ADHDの脳とは、子ども時代の脳の名残りが残っている発達の遅れのようなものであり、子どものころの抑制機能の弱さを持ったまま大人になった結果が、多動や衝動性、そして優れた発想力であると考えられています。ですから気が散りやすく不注意であることは、共感覚が残っていることと関連していても不思議ではありません。
また、エッセイでは、共感覚がきっかけとなって事故に遭い、心身のバランスが崩れたときに、物が認識できない状態になったと書かれています。この症状は医学的には「同時失認」と呼ばれます。その原因について、共感覚が制御できないほど強まったせいではないか(21話)、と分析しておられる部分は、わたしも考えさせられました。
先回のシリーズの第一回に書いたように、わたしはある時期、文字が認識できないほど失読症が強くなりましたが、そのときわたしが経験した極端に注意の焦点が定まらない状態と、共感覚が強すぎて物が認識できない状態は似ているように感じます。
心理学者のミハイ・チクセントミハイが、フロー体験入門―楽しみと創造の心理学 の中で、高度に注意がまとまった「フロー状態」と対極にあるものとして挙げていた究極の注意散漫、「心理的エントロピー」(つまり心理的な混沌)と似通ったものではないでしょうか。
それはいわば、注意のまとまりとは反対の、注意の統合が破綻した状態であり、失読症や同時失認、また制御されない共感覚の原因ではないかと思います。
わたしの場合、そうした症状は、ADHD薬のコンサータで見事に解消されますから、脳に外傷や脳卒中などの明確な異常がない場合は、注意に関係するドーパミン系の何らかのアンバランスが関係しているのではないかと思えます。
とまあ、色々と感じる部分はありましたが、何より印象的だったのは、エッセイを読めば読むほど、わたしの共感覚とは段違いなほど強力で、さぞ感覚のカクテルが味わい豊かなのだろう、ということ。まさに生粋の共感覚者であり、古今東西の詩人と同じ才覚を持っておられるのでしょう。
共感覚とアーレンシンドロームは同じ物の別の面?
そんな千住さんの共感覚のうち、特にクローズアップされているのは、タイトルにあるとおり「極彩色」であること、つまり色が鮮やかすぎる、ということです。
33話の次の一節は思わずドキッとするような表現でした。
私はうるさいと思う色が多いのよ。世界はあまりに色鮮やかすぎる。特に空の青が、騒がしい。晴れの日は目を覆いたくなる。
わたしがこの前、前のシリーズの最後で書いたこととよく似ていますね。
色が鮮やかに見えすぎている。
わたしが、「うるさい」とまで思っていたかどうかはわかりません。ただあまりにハイコントラストすぎて目にきついと思うことはよくありました。それは今だってそうです。ちょっと意識してあたりを見回すだけでも、草木の緑がなんとヒビットなことか。
青があまりに鮮やかというのは、先ほどのピカソの件で取り上げた研究からすると、やはりドーパミンの過多が影響しているのでしょうか。そもそも、書きたがる脳 言語と創造性の科学 という本が明らかにしているように、わたしも含め、やたらと文章を書きまくる「ハイパーグラフィア」と呼ばれる人たちは、ドーパミン過多のせいでそうなっていることが多いのです。
25話で、「明るい性格なのにぼーっとしてる子供」だったと書かれているあたりも、のび太型ADHDだったわたしと似たものを感じます。先ほど触れたとおり、「のび太型ADHD」とはおそらく生まれつき感受性の強い子、つまりHSPであり、以前説明したように感受性が強すぎるせいで意識から過剰な感覚を切り離す解離が生じてぼーっとしてしまうのです。
15話に書かれている、本当はまぶしすぎて辛いのに、その正体がわからず、「頭が痛い」と思い込んでしまった、というのも、表現は違えど、わたしがまぶしさを解離して別の感覚に転換していた、と書いた説明と本質は同じです。わたしの場合は、頭痛ではなく、全身の疲労などとなって現れたわけですが。
それにしても、このエッセイをわたしの場合と比較すると、両者の共通点として、アーレンシンドロームは色の共感覚と関係する場合があると推測できます。どうして、アーレンシンドロームと色の共感覚に関わりがあるのでしょうか。
以前に共感覚についてまとめた記事で取り上げたように、色の共感覚には形に対して色が反応する低次の共感覚と、概念に対して色が反応する高次の共感覚とがあり、芸術的感性に関わるのは後者だとされています。千住さんの場合も、わたしの場合も、高次の共感覚に当てはまります。
脳神経学者ラマチャンドランによる脳のなかの天使 によると、低次の色の共感覚は、視覚野V4が存在する紡錘状回、先ほどジョナサン・Iについての話で問題となっていた部分と関わりがあるようですが、高次の色の共感覚は、さらにそれより上の感覚を統合する部位である、言語野の「角回」と呼ばれる場所と関係しているようです。
ラマチャンドランはこう説明しています。
これでもう一つのタイプのクロス配線を想定するお膳立てがそろった。角回は色の情報の処理と数の順序に関与している。
一部の共感覚者では、低位の紡錘状回ではなく、角回付近に位置する色と数に関する二つの高次領域のあいだでクロストークが起きているという可能性はないだろうか。
…共感覚の遺伝子がどちらの脳領域に発現しているかによって、共感覚者のタイプが分かれる―数の概念によって共感覚が起きる「高位」の共感覚者と、視覚的外形だけで起きる「低位」の共感覚者である。(p146-147)
ここで、高次の共感覚、つまり作家や詩人、画家などの芸術的感性と関わっているタイプの色の共感覚には、V4が位置する紡錘状回よりもさらに上の、情報統合の座である言語野の「角回」が関係するのではないかと推測されています。実際にこのタイプの共感覚者では角回に多くの神経線維の束が集まっているそうです。(p147)
そして、「角回」には、次のような役割があるとも言われています。
才能に恵まれた作家や詩人は、単語や言語に関与する領域どうしのあいだに過剰な結合をもち、 才能に恵まれた作家やグラフィックデザイナーは、高位レベルの視覚野どうしのあいだに過剰な結合をもっているのかもしれない。
「ジュリエット」、「太陽」といった一つの単語でさえ、意味の渦、あるいは豊かな連想の渦の中心として考えることができる。才能に恵まれた文章家の脳のなかではその渦が過剰な結合により大きく広がって、より大きな重なり合いができ、それに付随してメタファーに向かう傾向がつよくなるのだろう。(p154)
脳の「角回」という場所は、「意味の渦」「連想の渦」を広げる役割を持っていて、異種の感覚同士を統合したり、意味を抽出したりする役割を担っていることが書かれています。そして、メタファー、つまり比喩や隠喩表現の源であるともされています。
おや? これは非常に不思議な説明です。
わたしが、アーレンシンドロームについて考えてきた、最初のシリーズの記事の最終回で語ったこととそっくりだからです。
その記事で、わたしは、自分がさまざまな感覚の感受性が強いHSPであり、HSPの感覚過敏とは、自閉症のように感覚が入ってくるときのフィルターが破綻しているのではなく、感覚を受け取る感受性が強すぎるのだと指摘しました。
そして、その感受性とは何か、という部分では、脳の左半球にある「意味システム」、またの名を「インタープリター」(解釈者)と名づけられたシステムが強すぎるのだと書きました。さまざまな情報を解釈し、混ぜ合わせるインタープリター(解釈者)が強いからこそ、感受性が強くなり、通常程度の刺激にも強く反応してしまうわけです。
ではこの意味システム、ないしはインタープリター(解釈者)とはなんだったのでしょうか。今さっきまさにそれと似通った言葉を聞きました。そう、「意味の渦」です。ラマチャンドランは、特に左の言語野にある角回の役割に注目しています。(p146)
もう結論ははっきりしています。HSPの感受性の強さ、脳のインターリプター(解釈者)の強さとは、特に脳の左半球の言語野に位置する角回が関係する、異なる情報を感じ取って混ぜ合わせる能力の強さであり、そのせいで、色や文字に関する共感覚が生じるとともに、優れた比喩表現などの芸術的才能が生まれているのではないでしょうか。
そして、この低次の共感覚と高次の共感覚とは、それぞれ、これまでわたしが繰り返し説明してきた、感覚過敏の2つのタイプ、つまり自閉症の「感覚統合障害」と、HSPの「敏感性感覚処理」に見事に対応しています。
自閉症の「感覚統合障害」は入ってくる感覚そのものの統合が破綻している状態であると説明しました。それは、見方を変えれば、低次の共感覚そのものなのです。さまざまな感覚入力が整理されずに洪水のように押し寄せてきます。自閉症ではオリジナリティのある創造性はみられませんが、低次の共感覚は創造性とはほとんど関係していません。
一方で、HSPの「敏感性感覚処理」は、情報を受け取る側の過敏さです。普通程度の情報を受け取っているだけなのに、それを何倍にも解釈して、さまざまな連想や飛躍を生みます。わたしが以前に説明した、ハッタリとしての創造性です。これは高次の共感覚そのものです。さまざまな異なる概念を、錬金術のるつぼのように混ぜ合わせ、芸術的創作に必須のオリジナリティやメタファーとして出力するのです。
何より重要な点として、わたしは何度も、自閉症の感覚過敏と、HSPの感覚過敏は、正反対のものだと書いてきました。かたや柔軟さのない焼き上がった粘土のようであり、かたや柔軟すぎる柔らかい粘土のようです。
低次の共感覚と高次の共感覚はまさにその点とも共通していて、低次の共感覚は創造性とは関係しないありのままの情報、統合されない原材料のままの感覚情報の洪水であり、高次の共感覚はそれとは正反対の、自閉症の人にとって特に難しいとされる、隠喩表現や意味の解釈、連想に関する「意味の渦」なのです。
そうすると、アーレンシンドロームの正体を、あくまで仮説ではあるものの、次のようにまとめて整理することができるでしょう。
まずは自閉症に伴うアーレンシンドローム。これは「入ってくる」情報の破綻です。視覚野V4を含む紡錘状回など、脳の低次機能の統合がうまくいっていないため、処理されないありのままの光、ありのままの色などが洪水のようになだれ込んできます。その結果、処理の限界を超えて視界にノイズが走ったり、写真が白飛びするように色あせたりします。
また、しばしば自閉症の感覚世界はどこか怖く、トラウマ的であると言われますが、ちょうどジョナサン・Iと同様のことが生じていると考えられます。本来ならば認識されるはずのない、未統合の情報、皮をかぶせていない骨と筋だけの人間のような、未完成の情報を認識しているからこそ、どこかグロテスクでトラウマ的であり、その怖さが描く絵に反映されることもあります。
しかしこの統合されていないありのままの感覚とは、さまざまな感覚が適切な整理されていない状態なので、複数の感覚刺激が素材のまま交じり合う低次の共感覚が生じます。特定の形を見ると特定の色がついて見えるなど、低次の感覚が交じり合うのです。この共感覚は、自閉症の天才画家などのサヴァンや、一部の天才的なアスペルガーの才能の源となることもあります。
しかし、入ってくる情報の破綻は、より上位にある、情報を統合し、処理する言語野のインタープリター(解釈者)の弱さにつながります。あまりに過剰な情報が入ってくるせいで、情報を加工することができず、意味を解釈する能力が育たないのかもしれません。
あるいは逆に、そもそも脳のインタープリター(解釈者)が弱いせいで、低次の感覚を統合できていないのかもしれません。 右脳と左脳を見つけた男 – 認知神経科学の父、脳と人生を語るでは、インタープリター(解釈者)の機能について、こう説明されています。
大量のモジュール化され自動的に作動する私たちの脳によってインプットされた材料をもとにして、混沌から秩序を作りだしているのがインタープリター装置なのだ。
インタープリターは「筋の通った」説明を考えだし、ある主の本質主義を、すなわち私たちは統一された意識体であることを自らに信じ込ませる。(p404)
自閉症の人たちはこのインタープリターの働きがうまくいっていません。各モジュールから「インプットされた材料」が統合されず、「混沌」のままの状態になっていて、自分が一つの連続体であることが認識しにくいので、自我の弱さが生じ、自他の区別が難しくなり、結果としてコミュニケーション能力も発達しないようです。
この脳の「解釈者」が弱いせいで、高次の統合機能、すなわち、比喩表現や連想能力といった創造性が発達せず、冗談を真に受けてしまう、物事を字句どおりに解釈してしまうなど、自閉症特有の性質が生まれます。
これが、自閉症に伴う、アーレンシンドロームの正体でしょう。光過敏だけでなく、自閉症特有の心身がまとまりを欠いてバラバラになっているような感覚異常は、このような低次の情報を統合できない「感覚統合障害」です。
そりに対し、もう一方は、HSPに伴うアーレンシンドローム。これは情報を「受け取る」側の感受性の強さです。視覚野を含め、入ってくる情報を統合するシステムは正常です。だからこそ、自閉症のような洪水のような情報に圧倒されてパニックになったり、メルトダウンを起こしたりはしません。入ってくる情報そのものは適切に統合されていて過剰ではないのです。
しかし、情報を受け取って加工する言語野の角回を含む領域、つまり、意味システムないしはインターリプター(解釈者)の働きが、自閉症とは逆に強すぎるので、1を聞いて10を知ると言われるように、普通程度の情報を増幅して感じてしまいます。自閉症は空気が読めませんが、HSPは空気を読みすぎるのです。
そして、入ってくる光や色は適正であるにもかかわらず、情報を料理するシステムが強すぎるので、あまりに鮮やかになったり、まぶしく感じたりしてしまいます。
しかしそれは、解釈したり連想したりする能力が強いということなので、意味を分析したり、比喩・隠喩表現を考え出したりする創造性が非常に強く、それが作家の芸術的創造性として発揮されます。
そして、この角回の機能の強さは、何らかの仕方で、ドーパミンによって強められるようです。ドーパミン過多になると文章を書きまくるハイパーグラフィアになることはドーパミンが言語野の連想能力を強めることを裏づけていますし、ひといちばい敏感な子によると、HSPの人では、セロトニンに加え、ドーパミンについての遺伝子変異が多数見つかっています。 (p436)
しかし、心身の疲労が強くなるなど、強いストレス状況下に置かれると、ただでさえ受け取る感覚が過剰なところで、「解釈者」の機能が落ちてしまい、あふれる情報を解釈できなくなります。それが共感覚があふれすぎた「同時失認」の正体であり、わたしが経験した「失読症」でもあるのでしょう。
また、近年の研究によると、言語野の角回は、体外離脱体験などの解離症状とも関係しているそうです。以前の記事に、子ども時代に不幸な環境を経験した人は、解離症状が強くなるとともに、内省力が強化され、芸術的創造性が養われる場合があるということを書きましたが、ある種の解離症状と文学的創造性は、脳の同じ部分を土台としたものなのです。
HSPの人は、さまざまなオカルト体験を経験しやすいそうですが、それはもともとの角回の感受性の強さが、体外離脱をはじめとする解離症状とも密接な関係があるからでしょう。これもまた、コントロールできれば創造性として、ストレスが強すぎると解離症状となって表れるとみなせます。
コントロールできるかどうかを左右するのは、おそらく理性を司る前頭前皮質(理性脳)と、ストレス反応に関わる扁桃体など(情動脳)のバランスなのでしょう。前頭前皮質が弱く、創造性や解離症状をコントロールできない場合、HSPの人の感受性の豊かさは多動性、衝動性、不注意となって現れてしまい、その場合にADHDと診断されてしまうのです。
また、もう少し突き詰めると、睡眠と創造性にみられる関係もこれで説明がつくはずです。たとえば、ミュンヘン大学の時間生物学者ティル・レネベルクによるなぜ生物時計は、あなたの生き方まで操っているのか? には、慎重な姿勢をとりつつも、次のようなデータが紹介されています。
そのような研究結果を額面通りに受けとると、はっきりとした傾向が現れる。
夜型はおもしろいが、やや気難しく、外向的、神経質、特に若いときはそれにあてはまり、だいたい新しいことを始めるグループに属する。
対照的に、朝型の人はとても感じがよくて頼りになり、実直だが、やや退屈である。(p277)
夜型が外向的かどうかは意見が分かれる気もしますが、夜型の人が創造的で繊細で、朝型の人は実直で働き者といった類型化はよく見られます。
この記事で考えてきたところによると、夜型生活になりやすい人は、何かしらの光過敏性を抱えている可能性があります。もともとHSPであるために、物事を解釈する能力が高い創造性があり、同時に本人が気づいていない範囲で光過敏があるために夜型生活に惹かれていき、結果として夜型人間に創造的な人が多くなるのではないでしょうか。
どのあたりまで正確かはわかりませんが、いずれにしても、これがHSPのアーレンシンドロームの正体だとわたしは考えます。光過敏のみならず、さまざまな感覚を解釈する感受性が強すぎるのです。
アーレンシンドロームを含む感覚過敏と共感覚は同じコインの表と裏であり、共感覚に低次のものと高次のものという二種類があるとされている以上、そのコインの裏側であるアーレンシンドロームも、やはり少なくとも2タイプあると考えられるのです。
アーレンの面接、そしてフィッティング
さて、謎が解明されたところで、エッセイの感想に戻ります。いよいよ、アーレンシンドロームという概念と出会い、筑波大学での面接、そしてレンズのフィッティングへと話が進んでいくのですが、このあたりは、わたしも先日体験したばかりのことなので、自分の場合と比べて楽しく読ませてもらいました。
筑波大学なのに東京にあることに驚いたり、今まで誰にも真剣に聞いてもらえなかった話に耳を傾けてもらって感動するくだりは、みんな同じような体験しているんだなーとしみじみ感じました(笑)
人によっては、レンズを10枚以上重ねる人もいる、という情報にはまた驚かされましたよ。枚数が増えるごとに驚いていたわたしですが、7枚も使って、けっこう限界まで来たのかと思いきや、まだまだ上には上がいたとは…。そしてやっぱりフィッティングって相当体力消耗するんですね。わたしだけじゃなかった(笑)
特に意義深く感じたのは、フィッティング後、レンズが届いて、メガネ屋さんに持っていって、フレームを選び、完成したメガネを装着した後の話までしっかり書かれていること。わたしにとっては、現時点では未来の話なので興味津々です。
そして、アーレンのメガネを日常生活で使うようになってからの、もうひと波乱のエピソードは、わたしが実は恐れていたものだったので、心がざわつくのを抑えきれませんでした。
光と闇の鏡像世界
63話には、こんな一文がありました。
共感覚に翻弄されているのが、私にとって普通の世界だった。極彩色が消えて楽にはなったけれど、大切な何かが欠けてしまったの。
このあたりの文章は、嵐のように渦巻きながら、わたしの心を駆け抜けていきました。
アーレンレンズをかけて、明るさをさえぎったことで居心地がよくなった世界。でもその世界には、極彩色の鮮やかな色は存在せず、創作の源だった共感覚もまた弱くなってしまい、文章量も減ってしまったのだそうです。
これはわたしの未来の様子なのでしょうか。
わたしが今書いている、今回のシリーズ記事のタイトルの意味について、冒頭で少しお話ししました。
「夜のとばりの鏡像世界―光が眩しすぎるから創られた もう一つの物語」。
このタイトルが物語っているように、わたしがこの一連の記事で書こうとしているのは、まぶしさや明るさというアーレンシンドロームそのもののことではありません。まぶしさや明るさ過敏による苦労は前回のシリーズ記事で十分に書ききりました。
今回わたしが書いているのは、過剰な明るさそのものではなく、その明るさのせいで生じた影のことなのです。光が明るければ明るいほど、影もまたくっきりと地面に落とされます。
夜の星が明るくまたたくのは、深い闇が覆っているからでしょうか。それとも、星がまたたくからこそ、夜の闇がひときわ深く感じられるのでしょうか。いずれにしても、光と闇は表裏一体であり、互いが互いを引き立てています。
では、わたしの場合はどうなるのでしょう。もしも、わたしの「夜」の世界が、明るすぎる「昼」の鏡像として創られたものだとしたら? まぶしく明るい「昼」無くしては、どこまでも深い漆黒の「夜」が存在し得ないのだとしたら?
もしそうなら、「昼」のまぶしさを和らげてしまえば、「夜」の深さは薄らいでしまうのではないでしょうか、わたしがこれほどまでに愛した夜の世界。このサイトに乗せているような空想物語すべてを紡ぎ出し、現実と同じほど生き生きと映し出していた夜のとばりはどうなってしまうのでしょう。
ちょうどカーテンを閉めて部屋を真っ暗にしないとはっきり映らない映写機のスクリーンのように、もしも闇が薄らいでしまったら、夜のとばりというスクリーンに映る空想世界は、ぼやけて、不鮮明になって、リアルな魅力を失ってしまうのではないでしょうか。
先ほど登場した、事故によって全色盲になった画家ジョナサン・Iは。事故から三年以上を経て、もしかすると全色盲を治療するための「再教育」ができるかもしれない、と提案されたとき、こう答えたそうです。
意外だったのはI氏の返事だった。事故の数ヶ月後だったら、その話を聞いて喜んだだろうし、「治療」のためなら何でもすると考えただろう、と彼は言った。
だが、いまでは世界をべつの仕方で見ているし、調和のとれた完全なものと感じているから、治るかもしれないと言われてもぴんとこないし、むしろ反感を覚えるという。(p77)
ジョナサンは、全色盲のグロテスクな世界と数年間付き合ううちに、全色盲に対する見方が変わったようです。
なによりも興味深いことは、頭部損傷後まもない頃にはあれほど強かった深い喪失感、それに不快感や違和感が消えたというか、逆転したようにさえ思われることだ。
I氏は喪失感を否定しないし、いまでも悲しんでいることは事実だが、色に煩わされずに、純粋な形を見られるようになった自分の感覚が「高度にとぎすまされて」「恵まれた」ものだと感じるようになった。
色があるためにふつうは感じとれない微妙な質感や形が、彼にははっきりとわかる。
彼は、色に惑わされるふつうの者にはわからない「まったく新しい世界」を与えられたと感じている。もう、色のことを考えたり、焦がれたり、喪失を嘆いたりししなくなった。
それどころか、色盲を新しい感覚と存在の世界への扉を開いてくれた奇妙な贈り物だとすら考えるという。(p76-77)
これはどう考えればよいのでしょう。わたしの場合に発達した空想能力や芸術的才能もまた、HSPによる感受性の強さの裏返しであったことは、前回のシリーズ記事の最後で考察したとおりです。
わたしの文章能力にせよ、芸術的感性にせよ、それらはもともとの才能ではありませんでした。明るさ過敏や対人過敏を含む強い刺激のせいで、慢性的な解離状態が生じ、現実から暗闇の世界に逃れたときに巡り合ったものこそが、わたしの空想世界でした。
何より、わたしが子どものころから見てきた鮮やかすぎる世界、極彩色の世界がなければ、わたしの描く絵は誕生しなかったはずです。
ジョナサン・Iが、たった三年間付き合ったにすぎない全色盲の世界を手放すことを嫌がっているのであれば、生まれてこのかた20年以上つきあってきた、わたしの空想世界、明るい光の鏡像世界に対する愛着は計り知れないほど強いものです。
ジョナサン・Iとは異なり、生まれたときから全色盲の世界に生きてきたクヌートの語った言葉を見れば、それがよくわかります。
子どもの頃には色を見ることができればいいだろうな、と思っていたよ。そうすれば運転免許も取れるし、普通の視覚の人ならできるいろいろなことが僕にもできるようになるからね。
もしも色覚を手にいれることができれば、まったく新しい世界が開けるだろう。音痴の人が突然メロディーを聞き分けられるようになるのと同じさ。そうなることには興味をそそられるけど、混乱も起きるだろうね。
人は普通、色とともに成長する。つまり、脳やその他の身体機能と色に反応する機能とは、一緒に成長していくものだ。
それなのに、色抜きで成長した人間にある日突然色覚を与えたら、はっと新しい情報の洪水に脳が対応しきれなくなってしまうだろう。
目に見えるものすべてが新しい意味を持ち出して、それまでに培われた秩序が崩れてしまうだろうね、きっと。
それに実際の色が自分で想像していたものとは違うことにがっかりするかもしれない、ひょっとするとね。(p107-108)
クヌートが述べるように、人は自分の認知特性とともに発達していきます。子どものころから独特な認知特性の中で発達してきた人は、大人になってその枠組みが変えられると、たとえ良い意図でそうされたのだとしても、混乱してしまいます。たとえば生まれたときから目が見えない人が、大人になってから開眼手術を受けると、過剰な情報を処理できず耐え難い苦痛を感じるそうです。
二つの世界をコントロールしていく
わたしの場合、そこまで劇的な変化がないことはわかっています。脳を手術するわけではなく、ただメガネをかけるだけなのですから。
前の記事で書いたとおり、感覚をおしなべて変えてしまう薬のような方法とは違って、付け外しできるメガネのようなアイテムは、弱点を補いつつ、長所も殺さないようにうまく調整していけるという利点があります。それはよくわかっています。
しかしそれでも、そんなただのメガネであっても、心理的に大きな動揺が生じた、ということが共感覚エッセイノベル:エクストリーム極彩色に書いてあったのを読んで、そこはかとない不安を感じたのです。
わたしにとって、アーレンメガネは、デメリットよりもメリットのほうを多くもたらすでしょう。わたしの場合は、明るさ過敏は生活に明らかな支障をきたしていました。明るさ過敏のせいで人よりもはるかに疲れやすく、かなりの負担がかかっていました。
前回の記事で部屋の照明を調光できるシーリングライトに変えて明るさをしぼりし、パソコンの輝度も徹底的に落としたことを書きましたが、その効果は驚くべきものです。家のなかで過ごしているとき、体が疲れるどころか、回復していくようになったのですから。おかげで文章を書く量がむしろ大幅に増えたはずです。
それでも…それでも、なんとなくですが、夜のとばりに映し出されている空想世界の輪郭が弱くなったような気がしているのです。この奇妙な感覚は、部屋の照明を変えた後ずっと続いています。
このまま、照明を落とした生活を続けていくとどうなるのでしょうか。メガネが届いて、外でも光をカットするようになれば、さらに変化していってしまうのでしょうか。体が楽になるのは嬉しいし、ほかに選択肢がないのはわかっているけれども、得体のしれぬ寂しさを感じる気がするのです。
ともあれ、それはすべて杞憂かもしれません。エッセイをさらに読んでいくと、確かに環境が変わったことによる動揺や、創作に対する影響は生じるものの、そこはやはり取り外しできるメガネの利点で、うまく折り合いをつけていくことは十分可能なようです。
大事なのは、そうしたことが起こりうるかもしれない、という点を知っておくこと、そしてたとえ一時的に鏡像世界が弱まっても、それを維持しつつ、体調にも配慮できるような、自分なりのやり方を構築することです。
それさえしっかり意識しておけば、過度の不安を抱くことなく、自分で二つの世界をコントロールしていけるのだ、という励みを得ることができました。
今回紹介した色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記 (ハヤカワ文庫 NF 426) 、 火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF) 、共感覚エッセイノベル:エクストリーム極彩色は、どれも、わたしがアーレンシンドロームの光過敏性と折り合いをつけ、自分の世界を大切にしていく上で、とても意義深い情報が収められたものでした。
もしも、今回もやたらと長ったらしくなってしまったこの記事を最後まで読んでくださった方がいらっしゃるなら、ここで紹介したこの三つの物語も、興味のあるものからぜひご自分で読んでみるようお勧めします。
色にまつわるこの3つの物語は、生活の彩りをさらに豊かで味わい深いものとしてくれるに違いありません。
それでは第三回の記事はこのあたりで。
また、続きを書いたら、ここにリンクを追加したいと思います。