光が眩しすぎるから創られた夜のとばりの鏡像世界(4)

わたしの生まれながらの光過敏と、それによって創られた人格や世界観をめぐる記事の第四回。

前回の第三回は、ちょっと難しい内容で、オリヴァー・サックスの本などを参考に、光過敏性とは何なのか、ということを考察しました。結論としては、おそらく光過敏をはじめとする過敏性とは、共感覚と表裏一体の関係にあるもので、創造性と関係しているのではないか、ということでした。

色にまつわる3つの物語を読んだ感想・考察

今回は、第二回で調光できる照明器具を買った体験談につづく内容で、難しい理論はいったん脇に置き、感覚過敏への具体的な対処のストーリーを書いていきます。

まずは、音過敏に対処するためにカスタムイヤープラグを買った話、次に、ついにアーレンレンズが届いた話、そして、そのレンズを持ってメガネ屋に加工してもらいに行って、そこで教えてもらったモアイレンズという偏光サングラスの話も少し。

そしてその後で、またちょっと難しい理論的な話として、最近読んでいる脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線 という本から得た興味深い考察をまとめておきたいと思います。

イヤープラグを作りに行った話

まず最初は、イヤープラグを作りに行った話。

最初に店に問い合わせたら、「カスタムイヤープラグをオーダーするにはインプレッション採取が必要です」なんて言われて( ゚д゚)ポカーンとしたんですが、要するに、「特製耳栓を注文するには、耳型を取ることが必要です」(※日本語訳)という意味でした。

なんでいきなり耳栓の話なのか、ということを説明すると、わたしは以前のアーレンの記事の第二回で書いたように、聴覚過敏もあるからです。今回の一連の記事の最初の、当事者・専門家の集まりで得た情報の中にも、視覚過敏と音過敏を両方持っている人が多い、というものがありました。

わたしがまさにそれで、かねてから音過敏にも常々悩まされていて、特定の音域の音をカットするフィルターを仕込んだ、ユニバーサルイヤープラグというのを使っていました。

音過敏といっても、頭に突き刺さるようにガンガン響くという感じではなく、通常よりボリュームが大きい、という感じです。しかし、たとえば、映画館、アミューズメントパークなどに行くと、臨場感を出すためか普通の場所より音が大きめなのですが、わたしにとっては耳を塞いでちょうどいいくらいの音量になってしまいます。

普通の耳栓だと、会話まで聞こえなくなったり窒息感があったりするので実用に耐えなかったのですが、特定の音域だけカットできる特殊な構造の耳栓が手頃な値段で売っていると教えてもらって、試してみたところ、愛用するようになりました。

聞くところによると、ライブなどで激しい音量にさらされるミュージシャンや、工事現場の作業員などが耳を保護するために使っているそうです。そのあたりの音過敏の話と、これまで使っていたイヤープラグの感想について、詳しくは、以下の記事を見てもらえたらと。

実このユニバーサルイヤプラグには、レクリエーショナル、プロフェッショナル、カスタムの3種類のモデルがあり、これまでは一番安くて、日常に使いやすいレクリエーショナル(4000円ほど)を使っていました。その上のプロフェッショナル(12000円ほど)はミュージシャンや作業員のようなもっとうるさい場所で働く人に適したものですが、今回買うことにしたのはカスタムモデル(25000円ほど)。

他の2つとは違って、耳型をとって耳にジャストフィットする形に仕上げるオーダーメイドのモデルで、状況に合わせて異なる音域をカットするフィルターを換装できるスグレモノです。

この上位モデルへの買い替えを決意したのには、アーレンシンドロームをめぐる一連の出来事から、自分がHSPという体質だと知ったこと、そしてそのHSPによる過敏性が、疲れやすかったりADHD気質だったりすることの原因だとわかったためでした。

単に音過敏なわけではなくて、それがわたしの抱える問題の根っこに関わっているとわかったので、何万円もかかったアーレンメガネと同じように、耳栓のほうにも投資すれば、より生活の質、つまりQOL(クオリティー・オブ・ライフ)が向上すると思ったわけです。

さて、そうやってカスタムイヤープラグを作ることに決めたわけですが、今回は耳型をとるということで、これまでのように通販でちょちょいと買うこともできず、取り扱っている店舗に出向くことに。幸い、なんとか行ける距離に店があって、問い合わせてみると、耳型も近くの補聴器屋さんで取ってくれるとのことだったので、行ってみることにしました。

夕方以降しか空いていなかったので、薄暗がりになってから、電車を乗り継いで出発。

まぶしさ過敏があるので、夜に行動するほうが楽であるかのように思えますが、意外とそうではなく。電車や施設の中は、夜はものすごく明るいですし、夜道の場合も、背景が暗いのに電灯やネオンが明るいため、コントラストが強くて眩しいのです。かといって昼間だと明るすぎるので、昼も夜もそれぞれの辛さがあるという難しさ。だからこそ、2番目の記事に書いたように、光過敏の人にとって、今の光害社会は住みにくいのでしょうね。

そんなネオンや街頭が光り輝く夜の片隅に、目指す補聴器屋さんがありました。

耳型を取ってほしい旨を告げると、慣れた手つきで、早速始めてくれました。机の上には、見慣れない怪しい機器がいろいろ。

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まずは耳の中をペンライトで観察して、傷などがないか調べます。次に、鼓膜を保護するために、綿球という、細い糸のついた小さなワタの玉を耳に入れます。ゴソゴソと音がなりますが、痛いことはありません。

そして、何やら怪しい機器で、耳に緑色のシリコンを入れていきます。歯医者で型をとるのと同じものだとか。これも痛くはないですが、圧迫感があって、耳が文字通り詰まる感じです。その状態だと、完全に片方の耳が聞こえなくなります。

その状態のまま3分ほど待つと、シリコンが体温で自然に固まるので、先ほどの綿球の先についている糸を引っ張ると、固まった耳型(インプレッション)がキュッポンと抜けて、耳型の完成です。これを左右それぞれやっておしまい。

途中ちょっと、左耳に綿球を入れるときに少し痛みがありましたが、特に傷があったりしたわけではなく、耳型も問題なく採れました。

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完成して固まった耳型はというと、こんな感じ。

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先っぽについている白いのが綿球です。綿球があるおかげで、シリコンがそれ以上流れ込まずに済んで、適切な深さの耳型を採れるということです。それにしてもなんだか怖いというか気持ち悪いですね…。

代金は数千円ほど。

この耳型では、耳の穴の部分だけでなく、外耳全体、つまり耳介と呼ばれる耳の外側のくぼみ部分まで、ある程度形を取っています。これは補聴器を作る場合には、耳介にはめ込む形にするために必要なのだそうです。

わたしが作るカスタムイヤープラグの場合は、耳の穴にはめ込むだけなので必要なさそうですが、普段は補聴器を専門に作っているところなので、イヤープラグについてはよくわからないとのことでした。カスタム耳栓なんて作る人、めったにいないんでしょうね…。

こうして完成した耳型(インプレッション)を持って、その足で近くのイヤホン屋さんへと向かいます。こちらもまた繁華街の中に明るい場所にあったので、なかなか明るさ過敏持ちには辛く感じました。早くアーレンメガネができないものか…。

店に着いて、例のユニバーサルイヤプラグを注文すると、注文用の用紙を出してくれたのですが、少し書き進めていくうちに、あれっ…?という違和感が。

使用するイヤホン、という項目があり、よく見ると、同じメーカーによるカスタムイヤホンの注文用紙でした。それを指摘すると、慌てて本来の製品の情報を調べてくれたのですが、その店員さんではわからず、もっと詳しそうな店員さんが助け舟を出して、ようやく本来の注文用紙が。

こちらもこちらで、普段イヤホンを専門に扱っているので、イヤープラグなんてものはあまり詳しくないようです。詳しいほうの店員さんは使っている人が知り合いにいるようでしたが。やっぱり珍しいんでしょうね。

注文するときに、換装用のフィルターを4種類から選べるのですが、二段階目の、ちょっと騒がしいところ用のものにしてみました。ここで選ばなかったフィルターも、後から別売りで購入できるので、とりあえず、という感じですね。

そしてイヤープラグの色も全16色から選べます。派手な色にしたほうが失くしにくくなるのはわかっていたのですが、普段、人とじかにやりとりすることが多いので、あまり目立ちすぎるのはちょっと…と思い、はじめは黒にしようかと。

しかし、考えてみれば、アーレンメガネをかけることになれば、ただでさえ威圧感を人に与えやすいでしょうから、さらに目立たないクリア(透明)にしました。落としたり無くしたりしないか、ということが心配ですが、何かしらの対策を考えるとしましょう。

こうして、「インプレッションを採取してカスタムイヤープラグをオーダーする」という、無駄にハードルが高そうな特製耳栓を無事に注文できたのでした。

これから耳型はアメリカに送付するとのことで、完成して届くのは3週間から1ヶ月後くらいになるそうです。アーレンレンズといい、アメリカばかりですね。オーダーメイドのカスタムアイテムで一人ひとり異なる感覚過敏をカバーする、というのは、個人主義社会と言われるアメリカが得意とする分野なのかなーとなんとなく思いました。

アーレンレンズが届いた話

そうこうしているうちに日にちが経って、筑波大学がアーレンレンズを発注したと言っていた日から、三週間が経過しました。レンズが届くには、最短で3週間、長くて1ヶ月半と聞いていたので、あまり期待せずにいたのですが…

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なんと24日ほどで届きました! 思ったより早くて嬉しい限り。国際便なんて滅多な受け取らないので、ちょっとわくわくしました。配達員さんが、本当に合ってますが、と確認してきて、見てみたら住所が間違っていました。よく届いたものだ…。

開けてみると、厳重に梱包されていて、レンズが二枚。そして「Welcome to the World of Irlen」と書かれたしおりが。英語で簡単な説明と手入れの方法などが記載されています。

正直なところ、アーレンの世界にようこそ!  なんて言われても…。

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レンズはこんな感じで、素材はかなり安そうな感じ。色はほぼ真っ黒のサングラス状態ですね。試しに目につけて鏡を見てみると、うっすらと自分の目は透けて見えるので、完全に目を隠すサングラスのようなものではないことがわかりました。

気になったのは、レンズの色。こんな色だっけ?という違和感が最初はありました。ダークブルーだと思っていたのですが、ほとんど茶色のような気が。ちゃんと色を抽出してくれたんだろうか、と首を傾げる。

そして、その場で使ってみたところ、なんとなく、思っていたのより明るい気がしました。アーレンのフィッティングをした後、照明を買い替えてかなり暗い部屋で使っているので、さらに明るさ調整になってしまったんだろうか?

しかし、次の日の朝に、明るい屋外で試してみたところ、光がまぶしくなく、やっぱりフィッティング通りのバッチリの性能だったのだと気づきました。

また、家の洗面台のところの橙色の白熱電球の前でかけてみたところ、電球色が赤色に見えました。橙色が赤色になるということは、しっかりわたしが苦手な黄色い波長はカットしているということです。

ちょっと疑ってしまいましたが、アーレンレンズとしての出来栄えは問題ないようでホッとしました。

しかしやはり課題もあり、暗い夜道での、ネオンや電灯、車のヘッドライトのまぶしさをカットするのは、やはりこのレンズでは難しいのではないかと思いました。夜道で使ってみたわけではありませんが、さすがに暗すぎて危険ではないかと。思いのほか目が暗順応する可能性もあるので、使ってみないことにはなんとも言えませんが。

アーレンメガネを作りに行った話

こうしてメガネのレンズが届いたので、早速、推奨されていたメガネ屋さんに加工をお願いすることに。すぐに請け負ってくれるとのことだったので、届いた翌日に、遠路はるばる行ってきました。

今回の旅のお供は、脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線 という本。これがまた物凄い本で、今年読んだ色々な本の中でもトップ3に入る良書かもしれません。かねてから、ネット上での評判がよく、読んでみようとは思っていたのですが、今、この時期に手にとって本当によかったと思います。

というのも、半年前、HSPについて理解を深める前のわたしだと、興味深く読めても、内容を自分と結びつけられなかっただろうと思うのです。まだ前半を読んだだけですが、ここまでのところで得たアーレンやHSPに関わる考察については、この記事の最後の見出しのところにまとめておきます。

さて、そんな面白い本を片手に、でも昼間のまぶしさにちょっと悩まされながら、これまた電車に揺られること一時間。お目当ての駅にそろそろ着くかと思いきや、乗り換え地点で時間がなく、焦って乗車して、車内の路線図を見てみると、案の定別路線に乗ってしまっていた。

気づいたときには駅を出ていて時すでに遅し、次の駅で折り返せたとはいえ、時間をロスしてしまうという初めての場所ゆえの失敗もありましたが、なんとかたどり着きました。

メガネ屋さんに、アーレンレンズの加工をお願いすると、幾つか使用できるフレームを見せてくれました。店員さんが言うには、アーレンのレンズは日本の規格とは違っているので、自由にフレームを選んではめるのは難しいらしい。

提案されたのは、かなり大きな目を覆うフレームのついたタイプが数種類でしたが、そのうち、自分の顔の凹凸に一番フィットして、できる限り外から光が入ってくるのを防げるフレームを選びました。

どうやら、アーレンレンズは、けっこうチャチというか、今時のメガネなら当たり前の映り込み防止加工、つまりノングレア加工がされていないようなのです。そのせいで光が内側に入り込むと、映り込みが生じて見にくくなってしまうという欠陥が。光過敏用の特注レンズなのに、正直言って ひどい話ですが、この映り込み防止のためにも、目をしっかり覆うフレームが必要みたいです。

そうしたフレームだと、目の側面も覆ってしまうため、視界が狭くなって困る方もいるそうですが、実はわたしがすでに紫外線カットのために付けているのが、そんなフレームなので問題なく。このメガネをかけ始めた当初は、やっぱり横が見えにくいことが気になったのですが、何年もかけているうちにすっかり慣れて、自転車で走ったりしていても危なくないようになりました。

またフレームの耳にかける部分、いわゆる、メガネのつる(テンプル)の部分は、普通のプラスチック製だと、耳が締め付けられて痛かったりとフィットしにくいことがわかっていました。それで、JINS PCと同じ、自由に曲がる形状記憶の針金のようなものにゴムをかぶせてある種類を選びました。これまでの疲労軽減用のメガネ選びの経験が生きています(笑)

そのほか、アーレンレンズは、やはり普通のメガネのレンズのようには扱えないので、アーレンメガネを近所のメガネ屋さんなどに持っていくと不適切な扱いを受けてダメになったりもするらしい。メガネ用の洗浄液などは使えず、汚れたときは水洗いしてメガネ拭きで手入れするようにとのことでした。

まぶしさ軽減には乱反射光をカットする手も?

それとは別に、少し気になった情報が。

アーレンメガネを数種類使い分けているような人がいるか尋ねてみたところ、もちろん場面によって数色使い分けるのは当然だし、それ以外にも、アーレンメガネとは違うものを使って明るさ対策している人もいるのだとか。

そこで紹介されたのが、偏光レンズという種類のサングラスで、TALEXのモアイレンズというのを試着させてもらえました。アーレンレンズと比較してみると、モアイレンズだと、光のギラツキが抑えられて、例えば光が反射してテカっている窓や金属製品、紙などがはっきり見えるんですよね。アーレンレンズはこれができない。

偏光レンズという名前からわかるとおり、このサングラスは、光の方向を揃えて、散乱光をカットする効果があるようです。まぶしさというのはこの散乱光が大きく関係しているので、試着してみると確かにほとんどまぶしくありません。

残念ながら、モアイレンズは数色しかない上、アーレンみたいな特定の色の波長をカットしたりはできないので、特定の色の波長によるまぶしさ、つまりわたしの場合だと、感受性が強い黄色やオレンジ色のまぶしさはカットできません。試着したときは、確かにまぶしさが抑えられたものの、完全ではありませんでした。アーレンの代わりになる、というわけにはいかないようです。

しかし、モアイレンズは、わたしの真っ黒なアーレンとは違って、ほんのりと色が入っているだけで、ちょっとグレーがかっているくらいで、ほぼ普通のメガネと変わらない見た目です。ですから、人前にかけていっても、あまり違和感を抱かせないのではないか、という利点があります。

また、色が薄いということは、夜間の使用も可能だということです。実際に夜に使用してみたわけではありませんが、商品紹介パンフレットを見ると、対向車のヘッドライトのまぶしさ軽減にも使えるとされていて、わたしが求めている用途に沿うのではないかと思えました。つまり、昼間の外出用はアーレン、夜の屋外用や、人との対面コミュニケーションが必要なときはモアイレンズという使い分けをしてみたら、どうなのだろう、ということです。

もう一つ気になったのは、モアイレンズの紹介パンフレットに、大阪市立大学の井上正康先生による効果の実証研究が載っていたこと。マウス実験ではありますが、乱反射光をカットするレンズで、ストレスホルモンであるコルチゾールが低下することがわかったそうです。あと人間を対象にした実験では主観のアンケートではあるものの、運転時の疲労が軽減したとか。

医学研究科・井上教授が監修の運転疲労に対する抗疲労レンズの効果の実証実験 — 大阪市立大学

大阪市立大といえば、疲労研究の最先端として有名なところ。じつは、わたしがこれまで紫外線カットの目を覆うフレームのメガネを使っていたのは、井上正康先生による、目から入る紫外線が疲労の原因になる、という研究を危ない!「慢性疲労」 (生活人新書) という本で読んだことがあったからでした。そういえば、冬場は曇り空で散乱光が生じて、より疲れるという知識もここから知ったんでしたっけ。

この本の発刊は2004年、そしてTALEXと井上正康先生の共同研究は2010年とのことで、知らなかったのもやむなし…と言えるのかもしれませんが、この手の情報を追っていた身としてはちょっと悔しい。わたしが情報収集をし始めたのは2012年頃なので、ちょうど見逃している時期なんですよね。

それにTALEXは疲労バスターズの会員企業だったんですか。一応この関連の商品は色々とあさっていて、VENEXのリカバリーウェアなど気になってはいたのですが、抗疲労研究の書籍は色々と読んでいたのに、なんで見たことがなかったのだろう…。

そして、今になってやっと気づきましたが、そういや、自閉症の本で偏光レンズの話が出ていたのでした。何度かこの一連の記事でも名前を出しているドナ・ウィリアムズです。

ドナの結婚―自閉症だったわたしへ によると、色付きレンズと偏光フィルターを組み合わせたメガネを使ったところ、ドナ・ウィリアムズは、人の顔がまとまって見えるようになり、部屋の奥行きも把握できるようになったのでした。 (p211-212)

この記述を今までわたしは、単に色付きレンズのところだけ注目して、一種のアーレンレンズだと解釈していたのですが、まったくの知識不足でした。偏光レンズとやらが何なのかわかっていなかったもので。

現にこの記述を分析しているギフテッド 天才の育て方 (ヒューマンケアブックス) も、色つきレンズのほうに注目していて、偏光フィルターのほうには特に解説がなかったのです。

ドナの示す視覚認知の問題が、色つきのめがねと偏光フィルターの組み合わせで是正できることに注目してほしい。これは、明暗領域を限定し、その分、拾いを密にしていることによると考えられる。(p79)

前述のC君の例でもすでに述べたことではあるが、白の紙に黒のインクという一般的な印刷は、コントラストが強すぎて非常に読みにくく、例えば薄い青やピンクの色がついていると一挙に読みやすくなる。

これは薄い色のついたメガネを着用するのと同じである。ドナのように色のついためがねの着用は、さらに個々に合う色の選択が、いっそうの見やすさを確保する。

英国においてそのような配慮が実際に行われている場合があることは、紹介した。翻って我が国ではこのような配慮が行われた例は聞かない。(p83)

ここでは、最初は色つきメガネと偏光フィルターの組み合わせだと述べられているものの、支援策としては、おそらくアーレンレンズに言及したと思われる記述しかありません。

しかし、アーレンレンズに偏光機能がないことを自分の目で確かめた以上、ドナのエピソードは単なる色つきのアーレンレンズについての記述ではなく、偏光サングラスにも関わる記述だと解釈しなければなりません。あとで、過去の記述を修正しておかなければ…。

とすると、これまでアーレンの一種だと思っていた自閉症の人のまぶしさというのは、特定の光の波長ではなく、乱反射光の問題が多々含まれているのでしょう。乱反射光による過剰な明るさのせいで写真の白飛びのような現象が生じて、視界の一部が飛んでいるのかもしれません。高コントラストの写真で、色が飛んで物体の境目がわかりにくくなり、形状が把握しにくくなるのと同じです。

もしそれが原因でまぶしさが生じているのだとしたら、アーレンレンズで特定の波長をカットしたところで根本的な解決になりません。わたしがメガネ屋で確認したとおり、アーレンレンズには、どれだけ色が暗くても、乱反射光による照り返しをカットする機能はないのですから。

もしかすると、本当は、ドナ・ウィリアムズのように、偏光レンズ+色付きフィルターという二重の構成のメガネをかけて、乱反射光と特定の光の波長の両方をカットするのが適している人もいるのではないでしょうか。TALEXの偏光レンズのラインナップを見ると、20色近くあって、すべて見え方が違うと書かれているので、すでにそれにある程度対応しているのかもしれません。

もちろんほかにも、偏光レンズのサングラスを売っているメーカーは色々あって、わたしにはどれが良いのかまではわかりません。少なくとも、色つきレンズと偏光フィルターを組み合わせているTALEXのメガネはドナ・ウィリアムズの記述に最も近いレンズです。

とりあえず、もう少し試してみないことにはなんとも言えないので、完成したアーレンメガネが届いたら、もう一度メガネ屋さんに行って、今度は夜に試着して、街路灯やヘッドライト対策として役立つのかどうか、といった点を調べてみたいと思います。

最近の考察―神経可塑性の研究から

こうした経験をすると、なんとも知識不足というか、自分の視野の狭さを痛感させられますが、専門家ではないし、全部の情報を知っているわけではないので、仕方ありません。わたしにできるのは、こうして、徐々に知識を増し加えて、過去の記事を修正してアップデートしていくことだけです。

そして知識を増し加えるには、本を読むことが不可欠、ということで、さっき出てきた脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線 を読んで気になったことを幾つか。

はっきり言ってちょっと難しい話題なので、興味のある人だけ読んでもらえれば、ということで折りたたんでおきます。

過敏さと創造性に関わる脳の領域は競合している
まず、この一連の記事のテーマである、わたしが感覚過敏から逃れるために創ったと思われる、空想的な世界について、参考になる情報がありました。

それは、慢性疼痛の脳の研究からすると、痛みを処理する部分と、イメージや共感、創造性などに関わる脳の部分は同じ領域であり、それぞれの機能が競合しているという説明です。

たとえば、前頭前野、頭頂葉、島皮質、扁桃体などの部分は、これまでこの一連の記事に出てきた脳の領域ですが、それらはある場合は痛みを処理することに使われ、別の時には創造性や共感を働かせるときに使われるので、どちらか一方しかできない、とされています。

実際に、慢性的な痛みを抱える人は、痛みで頭がいっぱいになり、ほかのことには手が付かないといいます。逆に、芸術的な創作などに集中してフロー状態になっていると、痛みを一時的に忘れるともいいます。

これを利用した慢性疼痛の治療テクニックとして、疼痛に関わる領域を図的に競合する作用に用いるようひたすら訓練する方法が挙げられていました。

痛みが始まったとき、引きこもって横になり、休息し、思考を停止し、自分の体を保護しようとする自然な傾向を抑えたら、いったい何が起こるのだろうか? モスコヴィッツの考えでは、脳は反対刺激を必要とする。

つまり彼は、慢性疼痛を引き起こしている神経回路の勢力を弱めるために。対応する脳領域に痛み以外の処理を強制的に行わせればよいと考えたのだ。(p40)

ここでは慢性疼痛に適応されていますが、慢性疼痛というのはそもそも痛みに非常に過敏になっている状態なので、この状況は、生まれつき過敏な子どもHSPにも当てはまるはずです。

そしてHSPの子どもの場合、大人になってから慢性疼痛になった人とは違い、生まれつき過敏な感覚に付きまとわれているので、意識しなくても、これと同じ方法を用いて、過敏さをやりすごすようになると考えられます。

つまり、HSPの子どもが空想力豊かになり、創造性や内省力が発達するのは、生まれつきの過敏さをやりすごすために、感覚過敏に用いられている脳領域を創造性やイメージ力など競合する機能に転用するよう適応した結果である、とみなすことができるでしょう。

そして、これこそが解離の正体だともいえます。脳科学的には解離とPTSDは反対の作用を持っていますが、この痛みなどに過敏になって警戒している状態がPTSDであり、逆に、それに用いられる脳領域を別の方向に転用して、過敏な感覚をシャットアウトしてしまっているのが解離だといえます。

PTSDと解離は同時には生じませんが、同じ人のうちに共存することはあり、あるときはPTSD的に脳の反応が生じて、痛みなどの感覚過敏で頭がいっぱいになって衝動的になり、別のときにはそれらをシャットアウトして解離的な脳の反応が生じて冷静になる反面、疲労を強く感じたりするかもしれません。

そうすると、慢性疼痛はPTSD的なもので衝動性や多動を伴い、慢性疲労は解離的なもので不注意や引きこもりを伴う、という区別ができるのではないかと思います。実際に、慢性疼痛の人では活動量が多いのに対し、慢性疲労の人は低下している、という研究があった気がします。両者は競合するもので(共存することはあっても) 同時には生じないのではないでしょうか。

慢性疼痛の人たちが心のケアによる治療を比較的受け入れやすい反面、慢性疲労の人たちが身体的な問題であることにこだわり、精神的な問題があると言われることに反発しやすいのは、慢性疲労が解離的な反応であるせいで、本人が心の葛藤を切り離して意識していないからなのかもしれません。

薬物療法によって、かえって過敏性が悪化する?
第一回の記事で、HSPやADHDの過敏性などは、薬物療法やメガネ、耳栓などで対処して悪化するように見えても上限がある、という観点を紹介しました。しかしこの本には、慢性疼痛の薬物療法で、どんどん過敏性が悪化してしまう懸念が示されていて、それには脳の可塑性が関わっているとされています。

「神に与えられたすべての受容体を満たしてしまえば、脳は新たな受容体を生むだろう」とモスコヴィッツは述べる。脳は、長時間効力のあるオピオイドの大量投与に、より無反応になることで適応する。すると、患者は痛みにさらに敏感になり、薬物依存度を増し、かくして慢性疼痛を悪化させる。(p63)

ここで気になるのは、生まれつきの過敏性と、後天的な過敏性の違いです。慢性疼痛は、おそらく後天的な問題によって、異常に過敏になっていったもでしょうから、HSPなど生まれつきの過敏性と区別する余地があるように思います。

しかし、光過敏性も含め、HSPの過敏性が本当にその人固有の程度があるのか、それとも、対策をすることでかえって脳の可塑性が刺激されて過敏性が強くなっていってしまうのか、という部分は、慎重に判断する必要があるように思います。

慢性疼痛にしても、際限なく過敏性が悪化していってペインビジョンで信じられない数値を叩き出し、果ては自殺に追い込まれるような人もいれば、そうならない人もいるようなので、どちらか一方だけではなく、別々のメカニズムが関与しているのかもしれません。

運動するのに気乗りがしないのは意志力の問題ではない
HSPの人の中には、運動が嫌で引きこもる人もいると思いますが、それには報酬系の働きが関わっているという話。

マッツォーニらは、彼らの瞠目すべき発見を次のように説明する。これから動こうとするとき、脳は、その動作によって得られると期待される報酬の程度と比較して、努力がどの程度必要とされるのかをまず評価する。通常、この「見積もり」機能を実行するには、ドーパミン系の入力が必要になる。(p150)

近年ではそんなに珍しい話ではなくなりましたが、それでも、本人の意志力に頼って運動するようアドバイスする医師は多いと思います。しかし、もし運動に億劫であれば、それにはドーパミンの働きの悪さが関与しているということは考えるべきですし、それを改善できないとしても、報酬系を働かせやすくする枠組みを提案するべきだと思います。

いつも「時間がない」あなたに 欠乏の行動経済学 (早川書房)でも、貧しい人たちを援助する方法は、経済援助などではなく、制度をもっとたやすく利用できるようハードルを下げる構造を作っていくことだとされていました。また、貧しい人たちは欠乏によって思考が占領され、ADHDのような脳の状態になっているとされていましたから、報酬系の問題という意味では同じだと思います。

患者に解離が生じていると医師は問題の本質を見逃す

上に引用した記述の続きで、とても興味深いことが書かれていました。

科学者たちはドーパミンが報酬系の必須の構成要素であることを何十年も前から知っていたという事実に鑑みると、パーキンソン病の問題の大きな部分が、動作を起こす動機をめぐる脳の化学に関係すると見抜いた神経科学者や医師がほとんどいなかったのは驚くべきことだ。

しかし、この見過ごしは理解できないわけではない。というのも、この「見積もり」機能は気づきの外で作用し、そのほとんどが無意識的なものだからである。(p150)

パーキンソン病患者の動機の欠如は、怠惰な性格や無関心や意思の弱さに起因するのではなく、いくら本人が動きたくても、動作を起こす動機づけを司る、ドーパミンを基盤とする脳の神経回路が、特定の動作にエネルギーを付与できなくなるために生じ、それが外からは疲労や倦怠に見えるのである。(p151)

この記述は、パーキンソン病が、行動障害の病気ではなく、行動の動機に関わる脳のメカニズムが損なわれている、能動性の欠如とも言うべき疾患である、という事実に、長い間医師たちが気づかなかったという点が書かれています。

その理由は、その能動性の欠如のメカニズム、つまり行動するだけの価値があるかを見極める「見積もり」機能 (行動経済学でいうところの「機会費用」の算出) が無意識の中で行われていて、患者本人も意識できていなかった、ということにあります。

ここで重要なのは、患者本人が本当の問題を意識しておらず、表面の問題ばかり訴えると、診察している医師が問題の本質に気づきにくくなるということです。

おそらく、慢性疲労や慢性疼痛においても、これと似たようなことが生じていると思います。表面に現れる、自律神経症状や、痛みや疲労への過敏性にばかり注目が集まるので、それらの背後にある認知的なメカニズムが見逃されています。

時折、洞察力のある医師がそれを指摘しますが、先ほど書いた心理的問題を認めない慢性疲労の患者のように、患者のほうではそれは解離されていて意識されていないので、不当な言いがかりだと言って反発するのです。

解離とは、いわば心では意識していないのに身体は知っている、という状態のことですが、その一つがおそらくは感覚過敏ではないかと思います。わたしの場合も前シリーズの第三回に書いたとおり、アーレンのフィッティングを受けるまで、心は感覚過敏のことを知りませんでしたが、身体のほうではしっかり知っていたわけで、これが解離された状態です。

患者のほうで解離が生じて、本当の問題が意識から覆い隠されて、無意識下で身体に影響を与えていると、パーキンソン病の場合と同じく、なかなか医師も患者も問題の本質に気づけないのです。

目は脳の可塑性をコントロールしている
この一連の記事のテーマは、生まれつきの明るさ過敏によって、わたしの発達が大きく左右されて、独特の人格や世界が形作られた、というものですが、実際に視覚情報はそれほど発達に影響を及ぼしたりするのでしょうか。

この本によると答えはイエスです。

ヘンシュが述べるように、基本的に「目は脳に可塑的になるタイミングを指示している」のである。脳の神経可塑性が、視覚刺激に反応して生じる目の変化によっても働きかけられることを示すこの発見は、「脳と心の活動は、身体と切り離しては理解し得ない」という、われわれが提起する核心的な原理の証明にあたって、強力な証拠となる。(p345)

視覚情報は、脳の可塑性をコントロールするスイッチのようなものなので、たとえば以前の記事で扱ったように、盲目の人は独特の思考パターンや内的世界を発達させます。意図的な思考が人の発達を導くのでなく、視覚情報の種類によってどんな思考パターンが発達するかが変わるということです。

近年の研究によると、自閉症の人たちが独特な性格に発達していくのは、細部が見えすぎるという視覚の異常が最初にあるのではないか、ということでした。細部が見えすぎる視覚ゆえに、人の顔の全体を見れなくて社会性が発達せず、コントラストの強い目を見つめることを避け、コミュニケーションにおいても細部だけに注目して場の空気が読めなくなり…と連鎖して自閉症特有の思考パターンにつながるのではないか、というわけです。

もし視覚が脳の可塑性をコントロールするのであれば、それは十分ありうる話ですし、わたしの性格や芸術性が、アーレンシンドロームやHSPによる光過敏から来ているとしても何ら不思議はないように思えます。この記事のタイトルのとおり、光がまぶしすぎるからこそ、その視覚情報に対して脳が適応して今のわたしの世界が作り出されたのです。

HSPの過敏性は介在ニューロンの興奮によるもの?
これまでの記事で、過敏性には少なくとも二種類あり、ひとつはHSPの「敏感性感覚処理」、もう一つは自閉症の「感覚処理障害」ないしは「感覚統合障害」であると説明してきました。

この本にも、その両者に対応するものが載っていて、まずはHSPの「敏感性感覚処理」と関係していそうなものについて。

ヒトの目の個々の受容体は、かくも広範な光の量を処理すべく進化したのではない。介在ニューロンの働きを借りて、そのような状況に適応したのである。(p407)

入力される信号のレベルが低すぎて感覚ニューロンがそれを検知できない場合、対応する介在ニューロンは、入力信号を増幅することでそのニューロンを興奮させ、発火の手助けをする。入力される信号のレベルが高すぎる場合、対応する介在ニューロンは、感覚ニューロンの反応度を下げることでその発火を抑制する。

…脳の疾患は、この介在ニューロンに悪影響を及ぼすことが多い。…ジェリが音や光や動きに過敏になったとき、まさにこの現象が生じていたのである。(p408)

ひとたびネットワークが「飽和」すると、入ってくる信号に処理が追いつかなくなるために、情報は取りこぼされ、個々の情報間の区別ができなくなる。

(おそらくそのために、この種の問題を抱えているほとんどのヒトが途方もない疲労を感じ、最低限のものごとを行うだけでも膨大な労力を要し、脳に過剰な負荷がかかっているという感覚を覚えるのではないだろうか)(p409)

ここではまさしく明るさ過敏について書かれていますが、これはアーレンやHSPの話ではなく外傷性脳損傷によって、ある時点から明るさ過敏、音過敏になってしまったケースです。

外傷性脳損傷などの後天的な障害と、HSPの敏感性感覚処理が類似しているものなのか、まったく違うメカニズムなのかはわかりません。少なくとも、外傷性脳損傷の患者は、人の言葉など、概念的なものに対する感受性が強くなるわけではないと思うので、別物ではあると思います。

しかし、この記述では、そのメカニズムには、感覚受容器そのものの過敏さではなく、情報を伝達する途中にボリュームを調整する介在ニューロンの働きがうまくいかないのではないか、とされていて、注目すべきは精神疾患の患者でそれが起こると書かれています。

精神疾患の患者にはかなりの割合でHSPが含まれているはずです。HSPの原因とされるセロトニンやドーパミンに関わる遺伝子変異は、さまざまな精神疾患のリスク遺伝子だからです。

介在ニューロンの働きが故障するのと、介在ニューロンが生まれつき過敏であるのとではメカニズムは違うかもしれませんが、関係しているシステムの部分は似ているのかもしれません。

この介在ニューロンの働きが不調、あるいは過敏すぎるせいで、記述にあるとおり、認知的な負担が生じて慢性疲労などにつながるとすれば、それはHSPの人が過度に疲れやすい理由を説明するものとなるでしょう。

そして、「個々の情報間の区別ができなくなる」という記述は、共感覚のことだともみなせるので、介在ニューロンの過敏さによる情報の飽和、つまり感受性の強さと共感覚はやはり同じものの別の側面であるといえそうです。

もう一つの過敏性としての感覚処理障害(SPD)
先ほど自閉症に関わる感覚過敏として挙げた感覚統合障害ないしは感覚処理障害も、この本の別の部分で取り上げられていました。

感覚処理障害を持つ子どもは、これらすべての感覚刺激を、身体の内部と外部双方からの圧倒的な連続攻撃として経験する。

教育心理学者のジーン・エアーズは、感覚統合の問題について論じた1979年の著書で、「感覚は〈脳の食物〉としてとらえられる。感覚は心と身体を導くのに必要な知識を経験する。(……)食物は乳児に栄養を与えるが、そのためには消化されなければならない。(……)しかし健全に組織化された感覚処理なくしては、感覚は消化されず、脳を養うことができない」と述べている。

ポール・マドールの言葉を借りれば、貧弱に組織化された感覚処理は、十分に私たちを外界から守ることができないのだ。(p515)

こちらは先ほどの介在ニューロンの問題とは異なり、もっと激しいレベルで圧倒的な感覚の連続攻撃を受けるようです。この前後の文脈では、乳幼児期から食事ができない重い摂食障害には、この感覚処理障害(SPD)が関わっていることが多いとされています。食物でさえあまりに刺激が強すぎるということでしょう。

感覚処理障害が必ずしも自閉症と関わっているわけではないのかもしれませんが、それほどの感覚の攻撃にさらされているのならば、自閉的に発達していくとしても何ら不思議はないように思えます。

また、HSPの人が内省力が発達するのに対し、自閉症の人は内省力に欠けることが知られていますが、ここで食物を消化する例えで説明されているように、感覚処理障害で刺激が強すぎると、感覚を消化できなくなり、脳の情報を咀嚼し解釈する部分が養われにくい、ということではないかと思います。

自閉症では、物事の深い意味をとらえにくいため、比喩表現の意味を探ったり、冗談の裏にあるものを読み取ったりできず、物事を表面的に受け止めてしまいます。その半面、言葉遊びや、語呂あわせ、数学といった深い意味を省いた物事を扱ったり組み合わせたりすることは得意だと言われています。

脳の可塑性が強い人は「非定型な」患者に見える

最後に、この本には、脳の可塑性を用いて、病気の症状を改善させた様々な患者のことが出てきますが、たいていの場合、彼らは外部の医師たち、また仲間の当事者たちから懐疑的な視線を向けられています。

たとえばパーキンソン病と診断されてから何十年も経つのに日常生活をほぼ不自由なくこなしている患者が紹介されています。彼は、外部の医師たちどころか、患者グループからさえ誤診呼ばわりされるのですが、主治医が注意深く診察すると、驚異的な対応能力によって、症状を覆い隠していているだけで、条件を変えて調べると重いパーキンソン病患者であることがわかるのです。

これと似た例は世の中を見れば時々見かけるもので、たとえばALSでありながら異例なほど長く生存しているスティーブン・ホーキング博士や、パーキンソン病でありながら俳優に復帰できたマイケル・J・フォックス、国内を見ても、レビー小体型認知症でありながら活発に活動している樋口直美さんなどを挙げられるでしょう。

この人たちはいずれも、当人をよく知らない医者などから時折、誤診だなどと言われたりしていますが、おそらくはそうではなく、優れた脳の可塑性という下地を持った当事者たちなのではないかと思います。

この人たちの共通点は、いずれも非常に高度な解釈力、また分析力を備えて、異例とも思えるレベルで病気に対して主体的に行動していることであり、この本によると、そうした意図的な思考や行動は、脳の神経可塑性を引き出すトリガーなのです。異例なほど思考力が深く、主体的に行動できる人たちは、病気や障害が脳に生じても、神経可塑性によって、それを補う回路を作りだすことができます。

この本で紹介されているパーキンソン病の人と同様、症状はなくなっていないのです。むしろ非常に重いかもしれません。しかし脳が極めて柔軟であるために、その重い症状をカバーし補える新しいシステムを作り出し、症状を覆い隠しているのです。

このようなことが、どんな患者にもできるのか、というとわたしは不可能だと思います。

この本の中でも度々著者がその疑問を呈しています。

私は、彼に治療を受けて、投薬を中止するか、劇的に用量を減らして副作用を最小限に抑えられた大勢の患者に会ってきた。患者は、あらゆる種類の痛みの症状を緩和できたが、ただしそれは、本人が必要な心的努力を徹底して行なった場合に限られる。

徹底性が求められる点は、彼のアプローチの限界の一つである。誰もがジャンのように自ら進んで徹底的に何かに打ち込める性格を備えているわけではない。(p64)

ペッパーが歩いている様子を見ていると、彼が行なっている持続的な心のコントロールが、他の患者にも可能なのだろうかと疑問に思う。彼の考案した意識的歩行が、神経可塑性の持つ能力の驚異的な行使、もっと言えば、脳の既存のニューロンの保護に必要なタイプの集中力の行使である点に間違いはない。(p108)

脳の可塑性を引き出す治療は、あまりに強い意思とたゆまぬ努力を必要とするために、実践できるのは一部の人だけ、おそらくはもともと脳の可塑性の高さという素質、あるいは自己統御力や内的統制の強さを持っている人だけなのです。

とはいえ、この本では、そうした悲観的な結論には終わっておらず、先ほどの貧しい人のためにハードルを下げる枠組みの話のように、脳の可塑性をもっとたやすく引き出す治療の枠組みを作れば、多くの人が同じ恩恵に預かれるだろうという期待を抱かせる筆致となっています。

個人的な意見としては、わたしはおそらく、脳の可塑性がかなり高く、医師や他の当事者から見て非常に「非定型」な存在に映る一人ではないかと思います。しかし、わたしは自分と同じことを、訓練すればだれか他の人もできるようになるとは思えません。

とはいえ、あらゆる面で可塑性が高いという素質は必要ではなく、単に特定の病気に関わる部分だけ、脳の可塑性を高めることが治療なのであれば、十分実現可能な話だと思います。そもそもすでに効果の出ている薬物療法や心理療法、経頭蓋磁気刺激法、バイオフィードバックなども脳の可塑性を引き出すことで作用しているものです。

脳の可塑性の強さによって症状をカバーできる非定型な当事者の存在は、鋭い分析なども伴って、病気の解明には大きな役割を果たすかもしれません。しかし、その非定型な当事者が、自分の特殊性を意識しておらず、自分にできたことが他の当事者にも可能だと思い込んでしまっている場合は、多方面に混乱を招くのではないかと思います。

可塑性の強い非定型な当事者が行なえたことは、おそらくはそのままだと、同じように可塑性を引き出せる一部の特殊な人にしか当てはまらないため、才能ある医師によって、多くの人に活用できるハードルの低い治療の枠組みへとブラッシュアップされなければ、大多数の人にとっては益にならないのではないでしょうか。

以上が、この本を半分くらい読んだ中で思ったことです。もっとちゃんと読んだら、改めて考えをまとめたいですね。このシリーズ記事に書くか、別の場所で書くかはわかりませんが。何より、ちょっとでも気になるところがあった方は、この本を自分で読んでみるようお勧めします。

それにしても、最近、文章を書きすぎて文章を書く時間がないというひどい状態に陥っています。おそらく一日平均で1万字近く書いていると思うのですが、あと10倍くらいは書きたいことがあるのです。まあ、HSPとハイパーグラフィアは側頭葉機能の亢進という同じような基盤があるはずなので、仕方ないのでしょうが。

問題なのは、そのおかげで絵を描くモードに入れないこと。どうも、文章を書くのと絵を描くのとでは、報酬系に対するハードルが異なるようで、わたしにとっては、文章のほうが楽なのです。でも絵をもっと描きたいという気持ちはいつもあるのでジレンマです。

アーレンメガネなどが揃ったら、この状況に少しは変化がみられるのでしょうか。それはわかりませんが、次回の記事ではいよいよ完成したアーレンメガネをお披露目して、その感想を書くことになりそうです。

▽続きを書きました

光が眩しすぎるから創られた夜のとばりの鏡像世界(終)
ついに届いたアーレンメガネで見た異世界の風景

Categories: 2章。2016.10.28