発達障害の疑いのため、成人心理検査、俗にいうIQテストを受けてきました。正式名称はウェクスラー成人知能検査のWAIS-III(ウェイス・スリー)といいます。
睡眠障害などがあって治療していたのですが、どうやら、わたしのこれまでの生育歴や日常生活の苦労について話し合ううちに、ADHD(注意欠陥多動性障害)の可能性が浮上してきて、一度知能テストを受けてみるよう言われました。知能テストの結果からすぐに発達障害診断になるわけではありませんが、参考になるとのこと。
実は前にも似たようなテストを受けたと思っていたのですが、記録にも記憶にも残っておらず、初めてだったようです。あのとき受けたロールシャッハ・テストその他もろもろのいろいろな検査は何だったのだろう…。
この記事では、IQテストの感想や、わたしの検査結果、創造性とIQの関係について書きたいと思います。
ウェクスラー成人知能検査とは
検査の内容は、レイトン教授や脳トレみたいなものです。パズルの並べ替えとか、一問一答クイズ、計算問題などなど。
詳しくいうと、言語性検査には知識、理解、算数、類似、単語、数唱、語音整列が含まれます。動作性検査には、絵画完成 、符号、積木模様、行列推理、絵画配列、記号探し、組合せが含まれます。
これら11個のテスト結果から、4つの群指数、すなわち言語理解(VC)、知覚統合(PO)、作動記憶(WM)、処理速度(PS)の能力値が導き出されます。
また言語性IQ 、動作性IQ 、合成得点による全検査IQが導き出され、 それが、いわゆる知能指数です。
このウェクスラー成人知能検査は、発達障害の可能性を判断するためにも用いられます。それ自体が発達障害の診断につながるものではありませんが、それぞれの群指数の数値に極端にばらつきがある場合は発達障害の可能性が示唆されます。
詳しくは、以下のまとめ記事が参考になります。
【私は発達障害?IQは?】知能検査WAIS-IIIを受けてみた – NAVER まとめ
IQテストを受けてみて
結論からいうと、IQは122でした。親に「もっと高いかと思ってた」と言われました。それもまたリアクションに困ります…。 なんでも小さいころに受けた仮のテストでIQ140?とか叩きだしたそうで。絶対そのテスト適当だわー。親の自信をつけさせるピグマリオン効果目当てのテストでしょう、多分。
検査は朝早くから3時間くらいかけて面接で行われたのですが、これがけっこうしんどかったです。先生に当日は地獄かもしれないよ、と言われていましたが、確かにその通り。体力のない人がIQテストなど受けるものではありません。
面接中は朝が弱いので頭痛があって、ずっと目を閉じて頭痛と闘っていました。考えを集中するのがきつくて、質問が何を言っているのかさっぱりわからないこともありました。聞いても言葉として理解できないのです。集中力が持たない。
途中で入る休憩のときは、出歩くでもなく、ひたすら机にへたばっていました。やっぱり昔のようにはいかないようです。元気なときに受けたら、IQは多分5くらい上がってたんじゃないかなー、なんて(笑)
ちなみにかつてIQは一生変動しないものだと言われていたこともありますが、近年では、睡眠不足や劣悪な家庭環境、経済環境などの状況下ではIQがかなり下がることがわかっています。
たとえばいつも「時間がない」あなたに:欠乏の行動経済学によると、貧しく窮乏している人は、絶え間ない心配などのストレスにより思考力が低下するので、IQテストを受けると、生来の能力より一ランク低い結果(たとえば平均的な知能の人は知的障害との境界域にまで下がる)が出るそうです。(P74)
■楽しかったものと苦手だったもの
テスト内容で、一番楽しかったのはつみ木のパズルで心理士さんにも早いねと言われました。
逆に難しかったのは歴史問題や一般常識。江戸幕府作った人とか、枕草子書いた人なんて、とっくに忘れてしまいました! テストなんて一夜漬けで覚えて、終わったら忘れるものだったので。
一番ネックだったのは、ワーキングメモリ。上にも書きましたが、聞いた問題を理解できないことがありました。数学の文章題とか、口頭で質問されても頭がこんがらがってしまう…。これは、本を読んでいるときに文脈を忘れて理解できないのと似ています。
おそらく直前に聞いた(読んだ)ことがらをワーキングメモリに保存できていないために、理解が追いつかないのだと思います。川島教授の鬼トレとかで鍛えないとダメでしょうか(笑)
何ケタもの数字とひらがなを覚えるテストでは、考えるのがしんどくて、頑張れば答えられそうなのに早々にギブアップしてしまうこともありました。疲れすぎて途中であきらめたり手を抜いたりした問題はけっこうあったように思います。
■なぜかできなかったもの
どのテストもまぁコンスタントにこなした印象はあるのですが、ひとつだけ異常に苦手なテストがありました。一番最初に行う、絵の中に足りないものは何かを見つけるテスト(絵画完成)です。たとえば自転車とかドアとか、花の絵を見て、絵の中の足りないパーツ(たとえばドアノブとか)を答えるというもの。
序盤から全然見つけることができず、心理士さんから、「もしかして、生活の中で、よくものを無くしたり、探しものが見つからなかったりしませんか」と言われました。さすが毎日メガネやペンタブのペンを探しているだけのことはあります(笑)
そもそも普段から、観察力がまったくないし、人の顔も覚えられないんですよねー。ちゃんと見てない。絵をアップロードしてから塗り忘れに気づくとか日常茶飯事だし、まったく気づいてなくて1年後くらいにミスを発見したりするしなー。
■群指数の傾向
次にテスト結果の詳しい数値について。わたしの結果はこんな感じ。
言語性IQは121、動作性IQは117。
言語理解120、知覚統合123、作動記憶107、処理速度102。
検査結果の数値の見方について、知能指数 – Wikipedia にはこうありました。
VIQとPIQの差、あるいは4つの群指数間の差を「ディスクレパンシー」といい、あまりにも大きい場合(15程度)は発達障害を疑ったり、特別な支援を検討する。
わたしの場合、まず、言語性IQと動作性IQはそれぞれ121と117で、わずかに言語優位であることがわかります。一般にこの差が12以上あれば発達障害を疑い、15以上あればほぼ確定と言われるそうなのですが、わたしの差はたった4だけで、そうした数値ではありませんでした。特にアスペルガー症候群や高機能自閉症の人は、この言語性IQと動作性IQの差が大きいらしい。
次に、群指数を見てみると、言語理解と知覚統合は「高い」で、作動記憶と処理速度は「平均より少し上」でした。こちらはばらつきが大きく、15から20くらいの差があります。上のグラフを見ると、見事に右半分がガクンと落ちていて、数値に凸凹がありますね。これが普通の人なら、ほぼ横一直線になって、揃っているのだとか。
心理士さんによると、睡眠障害の人はだいたいこんな傾向を示すということでした。もともと発達障害ぎみの人が睡眠障害になりやすいみたいですね。
検査の中で不注意を指摘されましたが、成人期女性のADHDにおけるWAIS-IIIのプロフィール特徴によると、子どものADHDでは、作動記憶と処理速度が、また成人の不注意優勢型では、それらに加えて知覚統合が低いというデータがあるそうです。
わたしの場合、知覚統合は高かったものの(先生に「もっと知覚統合が低いかもしれないと思っていた」という不思議な反応をされました)、作動記憶と処理速度が低い点は一致しています。『動作性尺度では「絵画完成(ss6.7)」のみが有意に低かった』という話も、わたしの場合と一致します。
WISC-Ⅲについて①|子どもの心理学~悲しみモヤイ編~にも、絵画完成について、「不注意傾向があったり、衝動性の高い子どもなんかは、細かい部分に注目することが苦手」だと書かれています。
しかし、ADHDの子どもたちに実施されたWISC-Ⅳの特徴や、知能検査から何がわかるか? WISC,K-ABCを中心に では、子どものADHDについて、やはり作動記憶と処理速度が低いものの、絵の完成は高いという報告も。もしかすると「絵の完成」が低いのは、子どものときに発見されにくい不注意系のADHDの特徴なのかな?
あとで受けた説明によると、検査結果が低いことよりも、わたしのようにばらつきがあることのほうが、頭が働かないという認識になるのだということです。たとえば、言語理解が高く、やることはわかっているのに、処理速度が低いために頭の回転が追いつかなかったりするわけです。
IQが高いほど創造性豊か?
ちなみに…前に読んだ天才の脳科学―創造性はいかに創られるか では、創造性とIQの関係について書かれていました。よく天才はIQが高いとか言われますが、決してそうではないようで。
こうした研究の対象者は種々のIQ検査を受けたが、平均して120から130くらいだった。
つまり彼らは明らかに知能が高かったが、そのきわめて高い創造性に見合うような高い知能の持主というのでもなかった。
結論として、創造的な人は頭が切れるのだが、飛び抜けて切れるわけではない。IQが120近辺なら十分である。(p53)
反対に、極めて高いIQの持ち主を選別した「ターマンの天才児」研究では、あまり創造性豊かな人は輩出されなかったことも書かれていました。(p27)
その研究については、創造性の研究で名高いチクセントミハイのクリエイティヴィティ―フロー体験と創造性の心理学にもこう書かれていました。
心理学者、ルイス・ターマンによって1921年にスタンフォード大学で開始された「優れた知能」についての最初の縦断的調査は、非常に高いIQの子どもたちは人生で成功するが、ある特定の段階を過ぎると、IQはもはや実生活における優れた業績と相関関係を示さなくなるらしいことを、かなり決定的に示した。
その後の研究は、IQ120あたりにその限界点があることを示唆している。つまり、120より低いIQでは創造的な仕事は難しいかもしれないが、IQが120を超えても、その数値の増加がより高度な創造性を伴うとは限らないということなのである。
…高いIQを持つ人々のなかには、自己に満足し、みずからの知能の優位性を確信して、新しいことを達成するために必要不可欠な好奇心を失ってしまう人々がいる。
高いIQを持つ人々にとっては、真実を学ぶこと、あるいは領域に存在するルールに従って振る舞うことはあまりに容易なことなので、既存の知識に疑問を抱き、疑い、それを改善しようとする意欲が湧かないのかもしれない。
他の人々もそうであるが、ゲーテが天才のもっとも重要な特質は「無邪気さ」であると述べたのは、おそらくこのためであったと思われる。(p68)
よく天才児、俗にいうギフテッドはIQ130以上と言われますが、IQが高いからといって創造性豊かになるわけではないし、高ければ高いほど成功するというものでもないのです。
言われてみれば、わたしの身の回りにいた高IQの人は、ものすごく知的なのに、どこか批判的で「無邪気さ」に欠けていて、俗っぽい話や冗談が通じないようなところがあったような気もします。賢すぎるせいで世界が狭いような印象を受けますね。
高すぎるIQは、心身の健康に害があるとする研究もありました。
高いIQは心理・生理学的に危険――米研究 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
アンケートの結果メンサの人々は、不安障害、アレルギー、喘息、自己免疫疾患などの症状を抱える可能性が一般的なIQ値の人よりも高かった。
過度に高いIQは、心身の構造のバランスの不安定さと関係しているのかもしれません。「頭でっかち」という表現がありますが、文字通り、脳の構造のどこかが発達しすぎているとしたら、そのあおりを受けて退化している部分もあるでしょう。
とはいえ、この結果は、環境要素も加味して考えるべきです。メンサの会員になれるIQ130以上の人は人口の2%しかいないので、周囲から浮いてしまい、少数者であることからくるストレスにさらされやすいでしょう。賢すぎるせいで、周りの人の粗に気づいてしまえば、イライラしてストレスがたまるでしょうから、
上の記事の中で、あの理論物理学者のスティーヴン・ホーキング博士が「自分のIQの高さを誇示する人は敗者だ」と述べていますが、オリヴァー・サックスの オアハカ日誌 を見る限り、博士の職業の界隈は、メンサより高IQの人たちが集う専用の会みたいなものかもしれません。
理論物理学者というのは科学者のなかでもっとも頭がよく、平均知能指数は160以上だという話を読んだことがある。(p110)
そういえば前に、IQテストで非常に高い数値が出たのでメンサに入会したい、身の回りの人たちとは話しが通じないので辛い、と言っている人からコメントをもらったんですが、今にして思えば、話の合う人を探しているなら、メンサよりよっぽどプレミアムな理論物理学会への入会をおすすめするべきだったのかもしれません(笑)
さすがに、IQ160以上の人たちの会話となると、わたしには想像もつきませんが、少なくともこのレベルになると、身の回りの日常への関心はほとんどないようです。そんなことより、この世界の統一理論や、並行宇宙や、カオスといった(だめだ、わたしの知性では表現力が足りない)、万物を超越した話でないと、彼らの好奇心と知性を満たすことはできないのです。
ホーキング博士のさっきの言葉は、「IQなんかにこだわっても仕方ないよ」、という普通の意味にもとれますが、こうした背景事情を考えてみれば、「平均IQ160以上の世界では高IQを誇るなんて愚かで、モノを言うのは実績だけだ」、なんて意味にもとれそうです。恐ろしい世界だ…。
わたしはといえば、こうした天上界のような世界には縁がありませんが、一応、創造性に関わるとされる120には乗っかっていました。でもIQが120を下回っていても創造性豊かな人も大勢います。
アスペルガー症候群の天才たち―自閉症と創造性では、やはりIQ120が一つのラインとして挙げられていますが、IQ115だと概算されたハンス・クリスチャン・アンデルセンのことも書かれていました。わたしはアンデルセンの童話は、理論物理学よりも世界の本質を突いている気もします。
何より、IQと独創性について研究したグレゴリーは1987年にこう述べたとか。
驚くほど低いレベルより上のところでは、努力や研究のあらゆる面において、その成果とIQとの間にはあまり関係がないか、まったく関係がないのである。(p11)
というわけで、IQが高いとか低いとかは、あまり気にしても仕方がなさそうです。
それ以前に、このような単純な検査で、人の価値が推し量られていた時代があることは、(今もそうなのかもしれませんが)バカバカしく思えます。
さっきの記事には「英ガーディアンは、IQを測定することは特権的なことだとし、操作されている可能性を指摘」したとありました。IQテストは優生思想や人種差別を正当化する目的で利用されてきた歴史があります。
しかし、IQが高くたって人間的に賢くない人は大勢いますし、IQが低くても魅力あふれる人もまた大勢いるはずです。
そもそも、チクセントミハイがクリエイティヴィティ―フロー体験と創造性の心理学 で書いているように、IQテストは収束思考の能力を測るためのものなので、拡散思考の能力は度外視されています。
さらに、許容できる斬新さを領域にもたらす人々は、正反対の二つの思考方法―収束的思考と拡散的思考―をうまく使いこなせるようである。
収束的思考はIQテストで測定され、正解が一つだけ、という明確で合理的な問題解決と関係している。
その一方で、拡散的思考は決まった答えが存在しない解決策に至る。それは、流暢性という、膨大な量のアイデアを生み出す能力、そして、柔軟性という、一つの視点から別の視点へと切り替える能力、そして、独創性という、アイデアのユニークなつながりを見出す能力と関係している。(p68)
収束思考の能力の高い人は、コンピュータのように筋道立てて計算して答えを出すことは得意ですが、突拍子もないアイデアを生み出して既成概念を打ち砕くには、拡散思考の力も不可欠です。
創造的な仕事にはどちらか片方ではなく、両方が必要とされます。拡散的思考により多くのアイデアを生み出し、その中から優れたアイデアを収束的思考によって厳選できて始めて、独創性を発揮できます。
IQの高さや、学歴の高さを自慢することは、「正解が一つだけ、という明確で合理的な問題解決」に特化した脳の持ち主だと自己紹介しているようなものではないかと思います。裏を返せば、融通が利かず、相対的な思考が苦手で、型にはまった思考しかできない人間だと言っているようなものかもしれません。
自分がどんな人間かをアピールするために、IQや学歴といった他人の作った物差しを借りてこないと自己表現できない時点で、底の浅さが透けて見えてしまいます。
最近では、IQに代わってEQ(心の知能指数)が尺度とされたりもしますが、結局だれかの考えた知能テストの範疇で高い得点を取ったところで、その人の本当の価値は推し量れないでしょう。本当に創造的であれば、他人の作った尺度などに頼らずとも、自分の言動や、創った作品を通して価値を認めてもらえるはずですから。
また、知ってるつもり――無知の科学という本によると、近年は創造性の指標として、個人の知能ではなく、集団の知能のほうがよほど重要だという研究が出てきているそうです。
私たちはたいてい集団で仕事をするので…つまり本当に必要なのは、個人の知能ではなく、集団のパフォーマンスを測る方法である。
カーネギーメロン大学テッパー・ビジネススクールのアニタ・ウーリー教授の研究チームが、そんな方法を示している。個人をテストするのではなく、三人ずつのチームを40個つくり、さまざまなテストを実施した。(p226)
従来の個人を対象にしたIQなどの知能指数がg(general=一般)因子と呼ばれているのに対し、この集団を対象にした知能指数はc(collecrive=集団)因子と呼ばれるそうです。そして、より創造性に直結するのは、個人のg因子ではなく、集団のc因子のほうだったとか。
グループの成績を予測するには、グループを見る必要がある。個人の知能スコアはそれほど役に立たない。
たとえて言えば、キッチンを改装するときには、自分の仕事を完璧にすることしか念頭になく、戸棚とカウンターのバランスを見ることすらできない一流の職人ばかりを集めるより、チームワークのできる半人前の職人を集めたほうが満足のいく仕上がりになる。(p227)
プロ野球のような団体戦スポーツが好きな人は、この現象をよく知っていると思います。多額の年俸で一流の選手を寄せ集めたチームより、チームワークに徹することができる平凡な選手を集めた協調性の高いチームのほうが優秀な場合があると。
創造的な仕事に必要なのは、個人の能力ではなく、チームメンバーの多様性であり、男性、女性、さまざまな年齢の人、さまざまな専門知識を持つ人を含む多様性豊かなチームがいちばん創造的な成果を発揮できるとされていました。
この本ではアインシュタインのような偉人でさえ、創造的な業績を残せたのは、当時共に働いていたコミュニティの人たちの存在が大きい、と説明されています。もしアインシュタインがコミュニケーションに欠ける孤独な人だったら、相対性理論はきっと他の別の科学者の業績となっていたことでしょう。
知識のコミュニティに生きているという事実を受け入れると、知能を定義しようとする従来の試みが見当違いなものであったことがはっきりする。知能というのは、個人の性質ではない。チームの性質である。
難しい数学問題を解ける人はもちろんチームに貢献できるが、グループ内の人間関係を円滑にできる人、あるいは重要な出来事を詳細に記憶できる人も同じように貢献できる。
個人を部屋に座らせてテストをしても、知能を測ることはできない。その個人が所属する集団の成果物を評価することでしか知能は測れない。(p230)
というわけで、IQテストは、賢さを計測するものでもなければ、才能の有無を判断するようなものでもありません。数値が高いからといって自慢するのは愚かですし、低いからといって気に病む必要もないと思います。
けれども、自分は何が苦手で、何が得意なのかを知るという目的においてなら、このような多岐にわたる検査はとても参考になります。
知能や創造性は集団で発揮される、という近年の考え方にのっとれば、個々人が自分の強みと弱みをよく知り、それをうまく補ってくれる人と協力しあうことこそが大切だからです。
たとえば落ち着きがないけれど行動的なADHDの人は、慎重で計画的な人とチームを組めば、自分のアグレッシブな特性を思う存分役立てることができます。コミュニケーションが苦手だけど細部の作業が得意なアスペルガーの人は、コミュニケーション部分を補ってくれる人とチームを組めば自分の得意なことに集中できます。
現に、9つの脳の不思議な物語には、それを裏づける実験が載せられていました。
2007年にアニタ・ウーリーらが200人を対象にした実験では、まず人々の性格特性をアンケート調査し、2人ずつペアにして問題解決テストをやってもらう。
すると、同じような性格同士のペアより、まったく異なる能力を持ったペアのほうが成績がよかったとのこと。(p154-156)
つまり、創造性を発揮するにはチームの多様性が必要だということになる。だからきっと、男性、女性、若者、年配者、そして、アスペルガーもADHDも定型発達もいるチームが、おそらく創造性としては最強なのだろう。
わたしの場合は、直感的な作業は概ね得意で、ワーキングメモリを駆使するものは苦手という傾向があるとわかりました。
じゃあきっと、計画性とか記憶力を補ってくれる人と組んだらいいんですよね。これからの生活に役立てたいと思います。