失われた過去を探しに専門家のところに行ってきた話(終)

この記事は、HSPと解離体質だと気づいたわたしが専門医の診察を受けに行った記録の最終回です。前回の記事では、薬物治療の中で、金縛りなどの睡眠問題が悪化してしまったことを書きました。

いったいどこに着地点があるのか、そもそも今回の一連の記事に終わりはあるのか五里霧中の状態でしたが、一応これまでと同じく、この第5回で一区切りを迎えることになりました。

一念発起して、覚悟を決めて、過去と向き合うために行動を起こしたその先に待っていたのは、予想もしない発見と教訓だったのでした。

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失われた過去を探しに専門家のところに行ってきた話(4)

これは、HSPのわたしが、じつは解離だったと気づいて、専門医を訪ねた記録の四番目。前回はこちら。

先回は、やっと専門医に相談したところまで書きましたが、トラウマ記憶の処理は今はまだ難しそうだということで、薬物治療で安定化をはかることになりました。最近のいろいろなトラウマの本を読んでも、記憶が解離されているなら、無理に掘り起こさず、おもてに出ている症状に対処していき、徐々に向き合っていくのが主流みたいです。

そのとき教えてもらった薬は、ラミクタール、モディオダール、そして個人輸入が必要なブプロピオンの3つ。とりあえず、主治医の処方で前2つを試しているところ。

今回は、その後の様子を書くとともに、わたしが頻繁に経験している金縛りと夢の体験から、ちょっと専門的に考察してみます。

 

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失われた過去を探しに専門家のところに行ってきた話(3)

これは自分探しをしてきたわたしが、HSPや解離だったと気づいて、専門家に会いに行った話の3番目です。前回はこちら。

3番目ではあれど、前回までが前置きだったので、やっと本番です。わけもわからないままに不登校になってしまって、病院たらい回し状態で大変な目に遭って、紆余曲折の末に、HSPと解離だったのかと気づいて、しかも症状からするとけっこう深刻そうなので、腹をくくって専門家のアドバイスをもらうことにした、というのが、ここまでのあらすじ。

今回はいよいよ、解離の専門家のところに行ってみた話を書きたいと思います。体験記となると施設名など出したほうが読む人の参考になるんでしょうが、この記事はただのわたしの覚え書きというかライフヒストリーみたいなものだし、思ったことを遠慮せず好き勝手に書きたいので、具体的な名称は伏せておきます。

 

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失われた過去を探しに専門家のところに行ってきた話(2)

この記事は自分探しをしてきたわたしが、HSPや解離だったと気づいて、専門家に会いに行った話の2番目です。前回はこちら。

前回のエピソードはまだ前置き部分で、わたしが不登校になったときのことを書きました。進学校に通って、ものすごいストレスにさらされて、睡眠時間を削りまくって潰れてしまったという話。

そして、不登校になってから、鉛のような身体の重さとか、現実感の喪失とか、失読症とか、睡眠リズムの崩壊とか、いろいろ奇妙な症状に見舞われたこと。

精神科に行ったけれど、これといった診断名がつかず、どの薬もうんともすんとも効かなくて、結局追い返されてしまい、その後、不登校の専門家のところで治療を受けて、ある程度ましになったこと。

でもまだ回収されていない伏線があり、それは「解離」だと気づいたところまで書きました。

その続きの第二回ですが…今回もまだ前置き部分です。 やったらめったら ややこしくて紆余曲折がある話なので、なかなか専門家にたどりつかなくてすみません。実時間として10年かかってるので…。

前回の最後にやっと「解離」というキーワードにたどりついて、それからどうなったのか、今回はその続きから書いていきます。

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失われた過去を探しに専門家のところに行ってきた話(1)

去年、わたしはふとしたことから、自分のルーツを探し始める旅路に出ることになりました。

最初は、明るさ過敏に気づいて、何気ない気持ちで筑波大学に行ってみたことがきっかけでした。

幼少期からの明るさ過敏の原因を知るまでの苦労話

明るさ過敏のテストをしてわかったのは、わたしはもともと極度に敏感な体質、おそらくHSPだということ、そして、強すぎる感覚刺激をマスクして意識から遠ざけるために、ものすごく強力な「解離」という防衛機制が働いていて、そのおかげで何とかやってこられたらしい、ということでした。

アーレンの当事者・専門家の集まりに参加して感じた夜の世界の役割

ここ数年間、いろいろな本を読んで、自分を見つめ直すうちに、何度も何度も繰り返し、わたしの前に突きつけられたキーワード「解離」。

ひときわ共感性が強くて空気を読みすぎてしまう わたしの性格も、子どものときから多かったリアルな夢や空想世界、内なる誰かのような不思議な体験も、不登校になって以来ずっと続いている身体の重だるさも、時間感覚のおかしさも、小説や詩、絵の芸術的才能も、ぜんぶがぜんぶ、「解離」の特徴として本に書かれていることそのものでした。

わたしは自分がHSP(生まれつき人いちばい感受性の強い人)だと考えていますが、最近読んだHSPの本である子どもの敏感さに困ったら読む本: 児童精神科医が教えるHSCとの関わり方 には、こんな一文がありました。

解離を否定していては、そこから抜け出せない。

…敏感さは環境によって生きづらさとなり、そして社会に適応できなくなることがあります。解離性障害はその最たるものといえます。(p152)

わたしは自分の「解離」と向き合うことにしました。わたしの心と身体に生じている解離は、生まれ持った感受性の強さからくる宿命だし、それに向き合わない限り、いつまでも、自分が何者かわからないし、先に進むこともできない、そう思いました。

そして、解離と向き合うために、解離の専門家に会いに行ったことを、自分探しの記録として残しておくために、記事にまとめることにしました。

この最初の記事では、まず、そこに至るまでの経緯として、わたしが不登校になった当時のことから振り返ってみたいと思います。

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