この4月に、半年ぶりに東京へと三泊四日で旅行してきました。病院の受診のためです。
もう薬を使っていなので処方箋などは必要ない。でも、病気が治ったわけではないので、障害者手帳の更新の診断書などを書いてもらう必要がありました。また、オプトメトリスト(検眼医)の眼鏡屋さんに行って、メガネを調整してもらう用事もありました。
道北に引っ越してから初めての帰京(もう引っ越したので上京のほうが適切か)。ということで、引越し先と元々住んでいたところの環境を改めて比較するまたとない機会になりました。
この記事は、東京と道北の環境を比較した旅行記です。なぜ自然豊かな環境がわたしの身体に適していたのかを、神経科学の「ニューロセプション」(neuroception)という概念を手がかりに考えてみました。
もくじ
まず「ニューロセプション」のこと
三泊四日といっても、前後二日は移動日でした。あいだ二日に、それぞれ眼鏡屋さんと病院の受診の予定。
ここ道北から東京に出ようとすると片道10時間くらいかかるので、移動するだけで一日仕事です。外国に行くより遠い(笑)
でも4月ごろのオフシーズンであれば、飛行機の料金はかなり安い。道中もすいているので、比較的、東京に出やすい時期です。
10時間もの移動!という字面だけだと、とんでもなくしんどそうに思えます。だけど、その半分以上は道北での移動や待ち時間なので、意外にもそんなに大変ではありません。
これは経験してみないとわからないことですが、道北での3時間の移動より、東京での1時間の移動のほうがよほどしんどい。
例えば、こんな話を聞きました。ある人が、うちの町に二時間かけて自動車で遊びにきた。すると、たまたま帰省していた友人とばったり会った。それで、その日のうちにお土産を取りに家に帰り、もう一度やってきた。そしてお土産を友人に渡してから家に帰った。合計8時間の運転です。
この地域の人は、三時間くらいの自動車移動だと、そこそこ近いという認識みたいです。わたしは運転が下手なのでそうはいきません。だけど、鉄道を使った移動なら、窓の外の景色をぼーっと眺めているだけ。数時間くらいあっという間に過ぎるように感じます。
これは文化的な感覚の違いではなく、風景がもつリラックス効果のおかげだとわたしは思っています。
前に書いたように、たとえば風景のフラクタルの度合いによって、自律神経の活性が変化します。
都会の風景を見せると、交感神経が活性化して緊張し続ける。反対に、自然界のフラクタルな風景を見せると、リラックスする副交感神経が活性化する。
今回の移動で、それをまさに実感しました。道北の宗谷本線に乗っているときは、あれほどぼんやりとリラックスして、あっという間に駅につきました。それに対して、窓の外が真っ暗な都心の地下鉄や、都会のごみごみした風景の中を走る電車のしんどいことと言ったら。
時間の感じ方にしても、疲労やストレスの主観的な感覚についても、環境が果たす役割が非常に大きいということを、これほど実感できる旅行はありません。
何せ、わずか数時間のあいだに、道北の最高の自然環境と、都心の自然がめったにない環境とを比較できるのですから。
神経科学者スティーヴン・ポージェスは、無意識のうちに環境から受ける生物学的な影響のことを、「ニューロセプション」(neuroception)と呼びました。彼の著書ポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」ではこう説明されています。
ポリヴェーガル理論では、意識の及ばないところで環境中のリスクを評価する神経的なプロセスは「ニューロセプション」と呼ばれる(Porges,2003,2004)。(p20)
ニューロセプションは、無意識下で起こる神経の処理です。
たとえば、わたしたちは、電車で通勤するとき、機嫌が悪そうな人の顔を見かけたり、騒音を聞いたり、通勤ラッシュの人混みにもまれたりするかもしれません。
普段はそれら一つ一つを意識したりはしません。でも、会社や学校に着くころにはぐったり疲れていたり、ストレスを感じてイライラしているかもしれません。
それは、たとえ意識の上では不快な光景や騒音などを気にしていない場合でも、わたしたちの身体の神経は、それらに気づいて無意識のうちに影響を受けているからです、これがニューロセプションです。
「ニューロセプション」は、環境中の危険因子について、意識しないで評価します。
「知覚」とは、意識して行うもので意識的に検知しようとすることです。「ニューロセプション」は認知のプロセスではありません。これは神経的なプロセスで、意識には依存していません。
ニューロセプションは環境中にある様々な「合図」や「きっかけ」を評価し、危険を察知し、こうした合図に適応的な自律神経系の状態をもたらす神経回路に依存しています。(p49)
ややこしく感じるようなら、ニューロセプションとは「無意識のうちに環境から多大な影響を受けること」という理解でいいと思います。
私たちの神経系は、無意識のレベルで環境を評価しています。(p97)
(この理論について扱っている別の本 身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア では、neuroceptionは「神経知覚」と訳され、「環境内に存在する危険の可能性」を感知するための「無意識的な評価過程である」と説明されている。p119)
たとえわたしたちの心が気づいていようがいまいが、わたしたちの身体は、環境から良くも悪くも大いに影響を受けているということ。この旅行記ではそれがキーワードになります。
たとえば、道中、飛行機の中でラポラという機内誌の2019年4月号を読んでいたらこんな話がありました。
outwoodsという林業グループで活動する木こりの足立成亮さんが言うには、すぐに山に行ける山際で暮らすことには価値がある。そして、森に入ると疲れた身体が回復するのだという。
これはわたしもずっと感じてきたことでした。自然の中にいると、ただリラックスするだけでなく、なぜか疲れが回復して元気になってくる。無意識のうちに身体が自然に反応しているからです。
また、これも道中読んでいた記事ですが、大雪山のふもとの上川町に引っ越してきたというシェフの話。
この人は子どもが病弱だったので、環境が良くなればと道北に引っ越すことに決めたそうです。いざ引っ越してくると、子どもが今までにないほど元気になったのだとか。
わたしも、自分が道北に引っ越してきて、かなり元気になったことに(予想していたこととはいえ)驚きましたが、そういった経験は、わたし個人のものではなく、かなりありふれているように思えました。
こうした経験談の多さからすれば、さまざまな不定愁訴に悩まされている人にとって、自然豊かな環境の確保はかなり優先度の高い選択肢に思えます。ニューロセプションの概念からすると、人間は常に環境から膨大な無意識下の情報を受け取っているからです。
だけど、医学では、自然豊かな環境の価値はひどく軽視されています。前に読んだNATURE FIX 自然が最高の脳をつくる 最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方 にはこんな書き方がされていました。
自然に触れるとより健康に、より創造的になるうえ、思いやりをもてるようになり、社会や人とうまく関われるようになることは、さまざまな研究からもあきらかになっているのに、そうした研究結果にはだれも目もくれない。(p13)
なんでだれも目をくれないのか。タテマエ的には、まだ十分な研究がなされておらず、科学的に説明するのが難しい、といった言い方がされます。だけど、おそらく本音は、製薬会社や病院の利益にならないからでしょう。今回の受診のとき、主治医もそのことに幻滅していました。
東京に着いてかみしめる道北の良さ
飛行機から東京の夜景を見下ろしてまず感じたのは、「ああ、またここに帰ってきてしまったな…」という失望。
去年、引っ越しの下見に、東京から道北に二回旅行に行ったときの帰路もそうでした。のびのびとリラックスできる環境を後にして、生物学的には息苦しい世界に戻ってくるあの惨めさ。(読んでいる方の中にも東京在住の方がいるかもしれないのにごめんなさい)
だけど、まだ引っ越しが決まっていなかった過去二回と違って、今回はたった3日間の旅行なのだ、と自分に言い聞かせます。三日後には、自分はまた道北の大地を踏みしめているのだと。
飛行場を出て、地下鉄に乗る。相変わらずよくこんな環境で人間が暮らしているなと思います。見渡す限りの人また人。最近のナショナルジオグラフィック誌で「スプロール化」と呼ばれていたような無秩序な構造の広がり。
でもちょっと前までは、わたしもこれが普通の環境、ごく当たり前の環境だと思い込んで生きていました。
ふと子どものころの記憶を思い出します。
わたしは、あるテレビ番組を見ていました。アマゾンの奥地の先住民族の女性が、アメリカの都会の男性と結婚し、ジャングルから都市に引っ越してきたというドキュメンタリーでした。
わたしは、子どもごころに、都会に出てこれて、さぞかし嬉しいだろうと思いました。野蛮なジャングルから、とても便利でなんでもそろう都会にこれたのだから。
だけどその女性は、都会の環境にどうしても適応できなくて、ジャングルに一人帰ってしまったということでした。幼いわたしは理解できませんでした。どうしてそんな未開の地に戻ってしまうんだろう。
いかに現代社会の教育が偏っていて、貧しいものか思い知らされます。もしかすると当時のわたしが単純すぎただけかもしれません。でも、きっと似たように感じる現代人は少なくもないと思うんです。
最近、イスラム教の国の女の子との異文化コミュニケーションを描いた漫画サトコとナダを読みましたが、それと似ている気がします。
わたしたちは、イスラム教の社会を怖いと思ったり、先住民族の文化を野蛮だと考えたりしがちです。でも、それはマスメディアの作り出した虚像にすぎないのだと。
実際には、それぞれのメリット、デメリットがある。イスラム教の国では女性の人権の低さがよくニュースになるけれど、それは一面的な見方にすぎない。一夫多妻のような習慣も、もともとは女性を保護するために始まったのであり、うまくまわっている場合もある。
一方的に自分たちの文化を先進的だとみなして、違う価値観を見下してしまう。無意識のうちにそう考えるように影響されてしまっていることのほうが怖いと思います。
去年、引っ越しする前に移住の情報を探していたころ、北海道にいい景色を求めて移住してきた学校の先生が書いた、とある記事を読みました。
その人は、移住して良かったのは最初だけで、すぐに飽きてしまったというようなことを書いていました。
そして、北海道の教育水準の低さを嘆き、こんなところにいては良い大学には行けず、まともな教育を受けられないと批判していました。
子どものころのわたしならそれに同意したかもしれません。しかし、今のわたしは、なんて狭量な人だろうと思いました。
近年の自然科学、微生物学などを学んできて、わたしはようやく、ゆがんだバイアスから解放されて、自然がもつ本来の価値を認められるようになっていました。
都会で育った人は、北海道の奥地や、アマゾンの密林のような場所は、「何もない」へんぴなところだと思っています。大学もなければコンビニや大きな病院や娯楽施設もない。
今のわたしはまったく逆の思いです。都会もまた「何もない」。そこには、本来は動物である人間が生来、発達するために必要としているあらゆる自然環境が欠けている。手本にしたり、じっくり観察して学べたりする動植物が全然ない貧しい環境です。
さっきの記事を書いていたのは教育者でしたが、今や教育の分野でも、環境の価値が再認識されてきています。
最近出版された、北欧スウェーデン発 科学する心を育てるアウトドア活動事例集:五感を通して創造性を伸ばすという本をいま読んでいます。
この本では、教室のなかだけで学ぶ教育には決定的に欠けているものがあると書かれています。都市や大学では学べない、感覚を使った訓練が自然のフィールドの中でこそ可能なのだという。例えばこんなメリットや特徴があるようです。
アウトドアに費やす活動と時間によって、教師と子どもの健康と幸
福感(wellbeing)が改善されます。活動そのものが、ア ウトドア学習のごく自然な一部なのです。 アウトドア環境のおかげ
で、子どもも教師もいつもと違った一面が見られるでしょう。 アウ
トドアで継続的に活動すると、ストレスに関連した病気や、他の健 康問題を減らすこともできます。アウトドアで授業を行うと、 その日の睡眠がとれるようになり、ストレスや病気を減らしてくれ るでしょう。 アウトドア活動では、多くの子どもに様々な役割が与
えられるので、口論や多動も減り、活動のエネルギーをアウトドア で生かせる機会にもなります。 私たちの体は活動するように作られ
ています。石器時代から現在まで、私たちの体にはそれほど大きな 違いはありません。(p x)
認知や知識だけを重視する、教科書とペーパーテストに依存した教育から脱却する。そして、全身の感覚を通じてクロスモーダルに学ぶというのは、最新の教育のトレンドにもなっています。
自然豊かなところで学ぶのは、何もないへんぴなところにいるということではなく、科学の最前線にいるということでもあるわけです。
もちろん公平を期すために書いておくと、都会でしか受けられないサービスもたくさんある。代表例としては先進的な医療です。
だけど、都会に住んでいることでさまざまな病気の発症率が上がるのもまた事実です。ここにもメリット・デメリットがある。
一番望ましいのは、入院施設などをもっと自然豊かな地方に作ること。もとより、NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる 最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方で環境心理学者ヨハン・オットソンが言っているように、かつてはそれが当たり前でした。
100年前、病院を建てるときには、緑あふれる公園のそばを選んだものだ。当然のようにそうしていたんだよ。
ところが1930年代、あるいは40年代以降、人間は機械のように扱われるようになった。燃料を与えろ、薬を投与しろ、あとは放っておけ。
だが、いまになってようやく、往年の知識を取り戻そうという流れが起きている。(p221)
病気から回復したいなら、環境の力は無視できない。昔の人たちはそれを知っていました。
それだけでなく、最近の自然科学や微生物学からすると、おそらく幼少期に自然豊かなところで過ごすことでしか身につけることのできない、さまざまな健康面での恩恵があるように思います。
健康な腸内細菌の獲得、アレルギーを起こさない健全な免疫系、近視にならない目の正常な機能、発達障害やトラウマに対するレジリエンスなどなど。
幼い子どものときこそ、都会のような人工物以外には「何もない」環境にいるのではなく、脳と身体の発達に必要なあらゆるものがある大自然の中で過ごすべきでしょう。
都心の地下鉄に乗り、ひどい騒音と人混みにさらされながら、わたしは今更ながら思いました。やっぱり引っ越せてよかったと。今は旅行で仕方なくここにいるけれど、わたしはもうここの住人ではなく、帰れる場所があるのだと。
いつも緊張している
都会に滞在中、少なからず不安だったのは犯罪の被害です。
わたしが今住んでいる町は、半分以上の家がドアにカギをかけていないと言われるくらい平和です。真夜中に出歩いても(山や森に入らない限り)安全なのどかな場所。でも都会はそうではない。
日本はまだ安全なほうです。しかし、わたしがもともと住んでいた東京の地域でも、子どもを狙った凶悪な性犯罪があったというニュースがありました。旅行の少し前に。
わたしは子どものころマンション暮らしでした。学校から帰ってくるとき、背後にだれかいないか怖くて仕方なかった。マンションの廊下は人が隠れるような隙間がたくさんあります。もし誰かがいたら、家に入った瞬間、鍵を閉める前にドアをこじ開けられるかもしれない、と。
前から何度も書いていることですが、北海道で恐れられているヒグマより、もっと危険な変質者が大勢、都会には出没していると思います。ク スクップ オルシペ 私の一代の話という本でアイヌの女性がこう書いていたけれど、これは今でも当てはまる、
私も、結婚後は毎年、夫と山へ入り、山の小屋で一人で留守番をし
ましたが、クマを怖いと思ったことはありません。人間のほうが、 ずっと恐ろしかったのです。(p45)
あるいは、クマにあったらどうするか: アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 (ちくま文庫)という興味深い本にあったとおり、クマは本来怖い生き物ではないし、ルールを守らないのはクマではなく人間である。(p288,300)
もしクマ出没マップのように危険人物出没マップを作れたら、だれも都会に住みたいとは思わないはず。野生動物より人間のほうがよほど怖いです。
平時は大きな問題が起こらなくても、災害などに見舞われたときにどうなるか考えると怖い。北海道の胆振地震のときも、わたしの住んでいる道北の町は停電しても非常に平和でしたが、札幌などの大都市ではかなり混乱していたと聞きます。
田舎は災害に見舞われても暴動はそう起こらない。食べ物は畑や森に、水は川にある。暖を取る材料も、トイレにできる場所もある。でも都会はそうではない。輸送手段やインフラがなくなれば、そこに住む途方もない人数の人間を養うすべはなくなる。
都会で日々ストレスにさらされ、自律神経系の耐性領域が狭く、我慢したり自制したりするのが苦手な人たちの集団が、いざ災害が生じたときにどんな行動をするのか考えると、都会で災害は経験したくないなと改めて思います。
災害でもないのにハロウィンの渋谷や深夜のとしまえんで暴動が起こるような場所です。来年のオリンピックとか大丈夫なんだろうか。
田舎の人が山菜採りに行ってクマ被害に遭ったり、渡航中の人が外国で事件に巻き込まれたりしたら「危険なことをするからだ」という自己責任論が噴出します。でも、都会に住んでいる人が交通事故に遭ったり呼吸器疾患になったり生活習慣病になったりしても、「都会にいるからそんなことになるんだ」と言う人がいないのは不思議な話。
わたしたちの考え方が、いかに多数派か少数派かの圧力によって形作られているかがわかります。大都会に住んでいれば、交通事故や犯罪、病気のリスクは上がる。だけど大多数の人がそこに住んでいるから、自分たちが特に危険なところにいるという認識はない。
まあ、確率的に考えて、わたしの旅行中には犯罪や災害が起こったりする可能性は低いでしょう(といっても旅行中に胆振地震に遭遇したのがわたしですが)。
それでも滞在中は、気を緩めることができませんでした。地下鉄の移動時などを含め、いつもより神経が張り詰めていました。
いや、本当は逆だったのかもしれません。わたしは都会で生まれ育ったとき、そこが気を緩めることができない場所だなんて思っていませんでした。だってそれが、生まれたときからの「ふつう」だったのですから。わたしも都会に住むことが当たり前だとみなす大多数の一人だった。
わたしは道北に引っ越して初めて、ようやく、おぼろげながら知りつつあるのです。ただのんびりして、リラックスして、安全でいることがどういうことなのかを。まったく新しい体験として。
作り物の自然、本物の自然
わたしは東京にも大阪にも住んでいたことがありますが、大阪に比べると、東京23区は意外にも自然が多いと感じます。
たまたまかもしれませんが、大阪は見渡す限りアスファルトの地面ばかりで、まともな公園が数少なかった。それに対して、東京は各地域に大きな公園が整備されているように思いました。
わたしが元々住んでいた東京の地域にも大きな公園があって、野鳥観察などもできるほど。
だけど、その大きく思える公園も、航空写真で見てみると、都市部の広大さに対して、ほんの小さな区画にすぎないのですが。
わたしは引っ越し前、この都会の大きな公園を散歩していれば、自分にとって必要な自然の恩恵を得られるのではないか、と最初は考えました。
それで朝早くその一帯を散歩してみました。しかし、公園の最奥部にいても、自動車や建設の騒音がうるさく、耳栓を外すことができませんでした。
また日が暮れてから公園に来ても、街灯が明るすぎて、本当の闇を経験することができませんでした。言うまでもなく都心部では星は一つか二つくらいしか見えません。
だからわたしは、都会の自然では到底足りないと感じました。わたしが光過敏のサングラスを外しても大丈夫な夜に出会い、音過敏の耳栓を外しても出歩ける静けさを得たのは、道北に引っ越してからでした。
道北の夜の公園では、「このわたしにサングラスを外させるなんて!」と言いたくなるような本当の闇が広がっています。サングラスを外して目を凝らしても、地面が見えません。全身の感覚を目覚めさせて夜を探検できます。もちろん町中の野生動物がいない場所のことですが。
今回の滞在中、久しぶりに、東京で住んでいた場所の近くの公園の中を通りました。東京は北海道よりかなり暖かくなっていると聞いていました。しかし、幸い滞在中は比較的過ごしやすく、暑いと感じるような気温ではありませんでした。
春の心地よい陽気の中、公園を散歩していると、引っ越す前に比べて、自分の感覚が明敏になっていることに気づきました。ちょっとした生き物や草花にめざとくなり、鳥のさえずりを聞き分けられるようになっている。
まだ道北の森は若葉が萌え出る前の枯れ木状態。一方、こちらはもう桜が咲いていて、青々と茂った葉が美しいと思いました。
だけど、それでも、やはり耳栓なしで外出などできないし、人は多いし、作られた自然に感じました。
遊歩道は整備されていて、たくさん樹木も植えられています。だけど、歩道を外れて木立ちに足を踏み入れたりはできないように立ち入り禁止柵が張り巡らされています。植えられている植物には触ったりしないようにという看板も立っています。
近くに寄って観察することも、触れることもできない。植物園などと同じく、あくまで展示スペースにすぎないのだと感じました。本物の自然とのふれあいは禁止されている作り物の自然です。
もちろん、こうした人工的な庭園であっても、あるのとないのとでは全然違うでしょう。憩いの場になるのは事実です。だけど、わたしの身体が言うには、これほどのちっぽけな自然では全然足りません。
自然のメリットは、ただ目で見て美しいことだけではない。NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる 最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方 に、自然の効果を研究するユタ大学の認知心理学者デイヴィッド・ストレイヤーとのこんなやりとりがありました。
その後、ストレイヤーは鋳鉄のダッチオーブンでエンチラーダを焼きはじめた。わたしは彼に、フラクタルのパターンを見ていると脳が回復するという説をどう思いますかと尋ねた。
…「たんに視覚野の刺激だけですむなら、『ナショナルジオグラフィック』の写真を眺めれば、いまと同じ感覚を味わえるはずですよね? どんなにすばらしい映像だろうと、四日間も見てはいられないし、いまのような気分になれるはずがない」
「でも、ほんの数分、窓から外の風景を眺めるだけで、気が晴れて、血圧も下がるじゃありませんか」わたしは複数の研究で立証されていることを伝えた。
ストレイヤーはダッチオーブンの重い蓋をもちあげ、料理の出来具合を確かめている。
「そういう話には関心がないんですよ。アビーやミューアやソローが言っていたのは、そういうことじゃない。
わたしもそれと同じですね。人間の心の奥深くにあるもの、いわば魂の変化に興味がある。
いや、もっと正直に言いましょう。研究者の激しい競争から逃れ、論文の山などものともせず、人間の本質に迫りたいんですよ」(p259-260)
自然に囲まれていれば、単に視覚野が「美しい」と感じる以上の効果がある。そうストレイヤーは言いました。
たとえばそれは、木々や土壌が発するフィトンチッドのような意識的には気づけないような香り成分や、浄化された大気、微生物から野生動物までさまざまな生物が織りなす生態系などかもしれない。
周囲の環境中のありとあらゆるものを、わたしたちの神経系は、「ニューロセプション」によってリアルタイムで評価しています。
ハリボテに欺かれやすいわたしたちの目と違って、身体の神経系はそうそうだまされません。現に、わたしの目は公園の植物や鳥を美しいと感じましたが、わたしの身体はあまりリラックスする様子を見せず、緊張して固まったままでした。
わたしたちは、自分の一世代のみの意識的な記憶では人工的な都市や公園しか知らないかもしれません。
でも、わたしたちの身体は、はるか昔から、地球上がもっと緑で覆われていた時代からの遺伝子を受け継いでいます。
太古の昔から脈々と受け継いだ、身体に保存されている遺伝的な知識は、大自然のただ中で過ごしていたときの記憶を保持しています。
わたしたちの表面的な意識は都心のちっぽけな自然でも美しいと思えるかもしれません。
だけど、太古の自然を知っている わたしたちの身体の神経系は、それでは満足できません。作り物のちっぽけな自然と、本物の大自然とをニューロセプションによって無意識下で見分けることができる。
わたしは動物や植物を観察するのが好きで、一時期は水族館めぐり、植物園めぐりが趣味でした。
でも、狭いオリや水槽に隔離された動物や、鉢植えの植物、熱帯の鳥の鳴き声がBGMで鳴らされている温室に、なんだか違和感をぬぐえませんでした。
道北に引っ越してから、わたしはよく野生動物を見かけるようになりました。町中や公園で野ウサギやキツネを見かけることがよくあります。自動車で走っていると、ワシやハクチョウを見かけます。少し山に入れば、珍しい花やコケの群生に出会えます。
そんなときの感動は、動物園や水族館、植物園とまったく比較にならないほどのものです。
動物園で水槽の中のホッキョクグマを見るより、町はずれでただの野ウサギに遭遇するときの感動のほうがはるかに大きい。そんなことは想像したこともありませんでした。
でも、きっとそれが普通のことなんです。動物も植物も魚も、本来生きている環境という背景から切り取って、単体で鑑賞するようなものではない。そう、わたしは思います。
わたしは必ず絵を描くとき、背景込みで描きます。背景こそが絵のキャラクターに魅力を与えるものだとよく知っているからです。背景を抜きにキャラクターだけ描くのは、物語抜きで映画のワンシーンだけを見るのと同じほど味気ないものです。
自然界の動植物もきっとこれと同じ。すべてのものは、背景混みで、それが生きている環境、生息している風土と合わせて眺めるときにこそ美しい。
ピーターラビットの野帳(フィールドノート) によると、絵本作家であり博物学者でもあったビアトリクス・ポターもそれに気づいていたらしい。彼女は植物画を描くときには必ず生息環境という背景を意識しました。
ビアトリクスは、同時代の人々より、ずっと生息環境がとても重要だということを意識していました。
そのことは、ビアトリクスの絵の中に描かれた、正確できわめて意味深い背景からもわかります。
…ビアトリクスの描くキノコは、草や落ち葉、針葉樹の葉、シダの間に収まっていたり、地衣やコケ類の中に鎮座していたり、キバナノクリンザクラの絵のように草むらの中から頭をのぞかせたりしています。(p167)
ビアトリクスは都会の動物園で満足した人ではなく、大自然が残った湖水地方を愛し、先駆的な環境保護活動(ナショナル・トラスト)にも積極的に参加しました。動植物は環境込みで美しいことを知っていたからこそです。
氷山を模したハリボテの上を歩くホッキョクグマよりも、一面真っ白の本物の雪原の上を歩く野生のエゾユキウサギのほうが、よほど生き生きと輝いています。
わたしは、昔は自然を扱ったゲームやドキュメンタリー、水族館や動物園が好きでした。今でも嫌いになったわけではないので、これからもわたしはそうしたコンテンツをたまに楽しむとは思います。
だけど、それらは、ときには本物の自然から注意をそらす危険もあると感じます。あなたの子どもには自然が足りない の中でハーバード・デザインスクールのジョン・バーズレイが言うとおり、作り物の自然、あるいは商業主義的にパッケージングされた自然だからです。
客はそこで、モールの宣伝文句によれば「サメやエイ、それ以外のエキゾチックな生き物を間近に見ることができます」とのことだ。
バーズレイが言うところの、この「造りものの自然」は、「より大いなる驚異を象徴化したもの」にすぎない。
バーズレイによれば、これこそ近年盛んになりつつある「自然の商品化」であって、「自然を商品の販売促進手段や市場戦略の一環として利用するという、ビジネス上の盛んになる一方のトレンド」なのだ。(p82-83)
最近ナショジオの記事で書かれていたけれど、「アトラクション施設の動物の多くは、過酷な生活を強いられていることに、人々は気づかない」。「観光客は大概、自分が動物虐待に加担しているとはみじんも思っていない」。
自然界から遠ざかりすぎた現代人にとって、こうした作り物の自然は、本物の自然に親しむためのスモールステップ、興味の入り口としても役立ちます。だけど、そこにずっととどまっていては、五感をフル活用したクロスモーダルな自然の益をいつまでも受けられない。
「作り物の自然」に囲まれた人々は、(かつてのわたしがそうだったように)、自分の目で本物の自然を見たことがなく、実際に大自然のど真ん中で樹木や花に触れ、香りを嗅いだこともありません。それなのに、図鑑やネットやドキュメンタリーの知識だけで、世界中のあらゆるもののことを知っているつもりになります。
だけど本物の大自然と、そこに生きる動植物を一度でも観察すれば、作り物の自然のむなしさがわかります。作家のD・H・ロレンスが書いているように。
表面的には、世界は小さく、よく知られたものになった。
可哀想な地球よ。旅人はおまえの上を、ブーローニュの森かセントラルパークを回るかのように急ぎ足で回る。もう不思議は残されていない、もう見たし、すべて知っている。地球のことはもうすっかりわかったのだ、と。
それは確かに事実だ、表面的には。私たちは地球の上を、ひたすらその表面に沿って旅してまわり、すべてを見てまわった。
だが表面的な知識が増えるほど、深い洞察は少なくなる。それは大洋の表面をすくい取って、海のすべてを知ったというようなものだ。(p79)
本物の大自然を味わったときの感動は、実際にそれを体験した人でしかわかりません。テレビのドキュメンタリー番組や、ナショナルジオグラフィックの写真、そしてわたしが書いている記事などは、何の代わりにもなりません。
実際に体験して肌で感じた人だけが、今まで都会で生まれ育って、それが当たり前だと思っていた作り物の自然が、本物の自然という素晴らしい絵画の贋作でしかないことを見分けられるようになります。
オプトメトリストの眼鏡屋さんに行く
東京に滞在中、まず向かったのは、わたしがかねてよりずっとお世話になっているオプトメトリストの眼鏡屋さんでした。
オプトメトリストとは「検眼医」のことです。欧米では、日本でいう通常の眼科医と、検眼医は二大流派をなしているらしいのですが、ここ日本では資格のあるオプトメトリストがほとんどいないのが現状です。
オプトメトリストの専門は、通常、わたしたちが学校の眼科検診で計るような、いわゆる単眼視の「視力」ではありません。そうではなく、両眼の「視力」、つまり両目で見たときの立体視の能力や動体視力など。
日本では学校の勉強についていけない「学習障害」のような子どもが問題になっていますが、かなりの割合で両眼の協調運動に問題を抱えていることがわかってきています。
一般的な視力検査では引っかからない。でも、両眼視能力の検査をすると、文字がうまく読み取れなかったり、目のピント合わせに普通以上の労力を要していることがわかってきます。
それで、それぞれの人の目のニーズに合わせた特殊なプリズム入りのメガネを処方したり、目の協調運動のための筋肉を鍛えるビジョントレーニングを施したりするのが検眼医の役割です。
詳しくは、科学者スーザン・バリーの実体験に基づいた視覚はよみがえる 三次元のクオリア (筑摩選書)をどうぞ。神経科学者オリヴァー・サックスもおすすめしていた本です。
わたしは学校の視力検査では一回も引っかかったことがなかった。でも、目が疲れやすい、まぶしさに敏感であるなどの問題を抱えていた。それで、長らくオプトメトリストの特注メガネのお世話になってきました。今回もその調整がてら東京までわざわざ来たわけです。
この機会に、わたしは前々から少し気になっていたことを訊いてみました。なぜわたしは、視力矯正メガネやコンタクトレンズとは無縁なのか。
うちは両親ともに近眼でした。しかもわたしは子どものころから普通の人以上にゲーマーだった。それなのに、高校時代にクラスでただ一人、わたしは目がまったく悪くない人でした。
目が悪いのは遺伝だとか、ゲームのやりすぎだとかよく言われてきました。だけど、わたしは、自分の例からしてそれらは間違いだと思っていました。
そんなところへ、最近、NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる 最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方を読んでいて、こんな学説を知りました。近視の原因は子どものころに屋外でバイオレット波長の太陽光を受けない生活をしているせいではないか、という。
東アジアの一部では、インドア志向が蔓延し、ティーンエイジャーの近視率が90%を超えている。
近視は本の読みすぎが原因だと考えられていたが、いまではハダカデバネズミのように日光を避けて暮らしているせいではないかと言われている。
日光は網膜のドーパミン受容体を活性化させ、目の形状に影響を及ぼす。屋内でばかり生活していると網膜細胞にどんな影響が及ぶのかに関しては、目下、研究が行われている。(p16)
田舎に暮らす人と比べて、都市部に暮らす裕福な人たちの近視率は二倍に達したのだ。上海では高校生のなんと86%が眼鏡を必要としている。
またオハイオ州、シンガポール、オーストラリアで実施された最近の研究によれば、近視の人と近視でない人のほんとうの違いは、戸外ですごす時間の長さだということだ。
日光が網膜にドーパミンの放出をうながし、その結果、眼球が楕円形になりにくくなるからだという。(p175)
そのことをオプトメトリストの眼鏡屋さんに話してみると、確かにこの説はいま、ドイツの学会などで注目されているらしい。
「発展途上国の子どもがド近眼の瓶底みたいなメガネをかけているなんて考えられないでしょう?」と。
近眼の原因もいろいろある。だけどその中でも、子どものころにバイオレットライトに十分当たっていたかどうかは重要な要素とみて良いらしい。
わたしみたいに、両親ともに近眼で、子どものころからゲーマーだった人が近視でない例はとても珍しいとはいえ、ありえない話でもないとも。
つまり、わたしは遺伝やゲームの悪い影響を覆すほど、ちゃんと日光に当たって育ったということになる。
思い当たる節はないでもありません。毎朝、父親に無理やり叩き起こされてジョギングさせられていたからです。早朝のジョギングが身体に悪いのは近年認められている。だけど、副産物として日光に当たる近視抑制のよい影響はあったのかもしれない。何事もメリットとデメリットが背中合わせです。
オプトメトリストの眼鏡屋さんは、太陽の光の波長はすべて理由があって存在していると言いました。
近年は、某メガネメーカーの戦略でブルーライトが悪者扱いされているけれど、本来ブルーライトは太陽光に含まれているので、目にとって害があるわけではなく、どのような時間帯に当たるかが重要なのだと。
紫外線にしても、殺菌効果があるので、必ずUVカットの窓ガラスにしている日本車より、UVカットを入れていない外車のほうが車内は清潔らしい。
わたしが「本当にデメリットだけしかないなら、自然界の中では自然淘汰されてなくなってしまっているはずですもんね」と言うと、そうだとうなずく。
そして、わたしが今かけている遮光やプリズム入りのメガネも、明るさ過敏などを和らげる目的にはいい。でも、屋外で四六時中使うのではなく、森の中を歩いているときなど、不快感がないようなときはメガネを外して過ごしてみてください、とアドバイスされました。
わたしはこの眼鏡屋さんにはすでに数年間お世話になってきましたが、このような自然環境の価値を重視する方だとは思ってなかったので、思わぬところで話題が一致して驚きました。
眼鏡屋さんは、こんなことを話してくれました。今まで相談にきたお客さんの中に、IT関係の仕事に就いていて、目の機能がガタガタになっていて、さまざまな不定愁訴に悩まされている人が何人かいたそうです。
そうした人たちにメガネを処方するだけでなく、もっと自然豊かなところに移転するよう勧めた。すると、体調がよくなったばかりか、目の機能がかなり改善されて、処方したメガネがいらなくなるようなこともあったらしい。
その人たちとは現在でも連絡を取り続けているので、一時的なプラセボなどではなく、効果ははっきりしているという。目の正常な発達や機能にも、思いのほか環境要素が強く関係しているということでしょうか。
この話を聞いて驚いたのは、オプトメトリストのアドバイスに従ってわざわざ引っ越しまで決意する人がそんなにいたのか、といういうことでした。わたしが道北に移住したときは、相当な一大決心でしたので。
たいていの人は、自然豊かな環境が身体にいいことは認めるものの、慣れ親しんだ都会の環境を離れるふんきりがつかず、だらだらと決定を先延ばしにして、取り返しがつかなくなってしまうものです。
わたしも、切羽詰まるほどに体調が悪くなければ、こんな思い切った決定はできなかったでしょう。
慢性疲労の病院に行く
次の日は、慢性疲労症候群で不登校になった歳から10年以上も長年お世話になっている先生の病院へ。
わたしが道北に引っ越して、寝たきりに近い一連の症状が改善した、と言うと、これまで何人もの人から「主治医の先生もびっくりしてるんじゃないですか?」と言われました。でも「いや、主治医は想定どおりだと思ってますよ」と答えてきました。
主治医は、他のだれよりも、わたしの症状がいかにひどかったかを知っています。でも自然豊かな環境が不登校の病気の子どもの治療に役立つ例をたくさん見てきたので、たぶん、わたし以上に、今回の結果に納得していると思います。
先生は、もともと自然豊かな地方で育っていて、本当なら大自然の中の治療施設や無医村の病院などで医療に携わりたいと、よく言っておられました。
いっそ電気のない生活でもいいんじゃないかと言うほどの「自然原理主義者」。ちなみにこの先生も、まったく近視ではないらしい(笑)
もっとも、先生もできることなら、自然と調和したテクノロジーが発達すればいいとは思っているようです。でも、科学や医学の世界は、利権や利益が中心にまわっているので難しい、と考えておられるようでした。それはわたしもわかる。
診察の最後に、先生がこんど、前にいた関西の病院に転勤されることを話してくれました。つまり、わたしにとっては、もう東京へ定期的に受診に来る必要はなくなるということ。
一年に一回は東京に出てこないといけないかと考えていましたが、これが最初で最後になりそう。眼鏡屋さんにはそう頻繁にはいかないでしょうし。
その夜は、かなり疲れてくたくたでしたが、東京に住んでいたころの友人たちと会う約束がありました。それで、少々無理を推して北海道から持ってきたお土産をわたしたり、近況報告をしたりしました。
友人たちはみんな、突然 北海道に引っ越すことに決めたわたしをずっと心配してくれていました。だから、かなり元気に動けるようになった姿を見せて、よい報告ができてよかったです。最後の東京旅行になるのだとしたらなおさら。
鋭敏な感覚を麻痺させている
最後の朝は、かなり早くにホテルを立って空港へと向かいました。運良く地下鉄の座席には座れました。だけど、通勤ラッシュ帯だったので、とんでもない混みようでした。
それに、耳栓をしてるにもかかわらず、地下鉄の騒音がうるさすぎた。耳栓の上から、さらに耳を塞いだほど。こんなにうるさいのに平然としている人たちはやはり感覚が麻痺しているのだと痛感しました。
北海道に引っ越してからのことですが、新しく知り合った幾人かの人たちから、こんな話を聞かされました。自分は感覚がとても鋭敏で、都会に行くと匂いが気になってしまって苦しくなるとか、ほかの人は気づかないような気圧や地磁気の変化に敏感だとか。
(地磁気を感じるというのは、近年まで眉唾扱いされていたが、最近、東大の研究により事実だと証明された。人間の「第六感」 磁気を感じる能力発見 東大など – 産経ニュース )
そうした感覚が敏感だと訴えても、信じてもらえないことが多い、と言う。それで、わたしはニューロセプションの話をしました。
人間を含め生物は、自分で自覚している以上に鋭敏な感覚を有していて、意識的に気づいている情報よりはるかに多くの環境由来の情報を処理しているのだと。
そして、そのような環境由来の情報にどの程度、意識的に気づけるのかは、人によって個人差があるのだ、ということ。
たとえば古代の狩猟採集をしていた人たちは、感覚が鋭敏であればあるほど、危険に気づき、生き残る確率が高かったはずです。だから、古代の人たちは、現代人よりもっと多くの感覚に意識的に気づいていたはず。
これは、神経学者アントニオ・ダマシオが、意識と自己 (講談社学術文庫)の中で書いています。
われわれは心の一部を衝立(ついたて)として使い、心の別の一部がよそで進行していることを感知しないようにしている。この隠蔽はかならずしも意図的ではないが、意図的であろうとなかろうと、衝立が事実を隠していることは確かである。
…この衝立がなかった昔、すなわち電子メディアやジェット機や活字が登場するはるか以前、まだ帝国や都市国家も登場していない、環境がかなり単純だったころには、もっと容易にバランスの取れた視点を手にできたと思う。
…彼らは、今日われわれが感じ取っている以上に、自分自身について感じ取ることができたと思う。(p44-46)
しかし、現代社会では、鋭敏な感覚を持っていることは生存に直結しなくなりました。むしろそれは苦痛の原因になります。
かつて鋭敏な聴覚は捕食動物のかすかな足音を察知していたでしょう。しかし、現代社会では自動車や電車の途方もない騒音をキャッチしてしまいます。
かつて鋭敏な嗅覚や味覚は、毒草と薬草を嗅ぎ分け、腐っている食物を判別するのに役立ったでしょう。しかし、今日では、人工的な化学物質や柔軟剤に悩まされるだけです。
だから、現代人の多くは、感覚にできるだけ気づかないように、麻痺して意識しないようになる方向で適応しています。都会にいる人たちが異常な騒音や人混みに平然としているのはそのためです。鋭敏な感覚を犠牲にして刺激の多すぎる環境に適応している。
逆に、都会とは遠く離れて育った人の中には、まだ昔ながらの鋭敏な感覚を備えている人も多いでしょう。
その人たちは、ある意味、都会に出ていくことなく、ずっと大自然の中で暮らしているおかげで、鋭敏な感覚を麻痺させずにすんでいる。そして同時に、騒音や化学物質に圧倒されてしまうような病気を発症しないよう保護されてもいます。
わたしはというと、もともと敏感なたちではありましたが、道北に引っ越して半年間、森のそばで暮らしたことで、さらに感覚のマスクが取れて敏感さが増していたようです。
以前、最初に道北に旅行に行ったときは、旅行中は非常に体調がよかったのに、都会に帰ってくるやいなや、敏感になった感覚が過剰な刺激に圧倒されてしまいました。強烈な「闘うか逃げるか」の反応が引き起こされて、数週間にわたり、死んでしまいたいと思うほどの苦痛に襲われました。
やがて再び感覚が麻痺してくると、その苦痛はなくなりました。それでも、自分が今までどれほどの都会の刺激を気づかないようにマスクしていたかがよくわかりました。
今回も、もししばらく東京でまた暮らしていれば、再び感覚は麻痺してきたことでしょう。でも、この短期滞在ではまだ鋭敏なままだった。
だから、地下鉄の中の人混みと騒音は、耳栓の上からさらに耳を覆いたくなるほど不快で苦痛でした。無理やり我慢しつづけて緊張していたせいで、地下鉄を降りるころには両足のすねのあたりが攣りかけていたほど。
空港に着くと、もう体調は限界で、手すりにつかまれりながらでないと歩けなくなってしまいました。かつて寝たきりに近かったころのように。何度も、じっと立ち止まり、動けなくなる。三泊四日の日程がぎりぎりの線だったんだなと改めて感じました。
片道10時間の道のりなので、まだ帰宅するまでは7時間以上もある。
無事に帰れるだろうかと心配になりましたが、以前、慢性疲労状態の中でも道北にたどり着けたことを考えると、たぶん大丈夫だと思いました。
東京から都市から出発し、道北の森林地帯に近づくにつれ、次第に体調が回復してくるのを少なくとも過去三回、実感していたからです。
道北に帰る
飛行機の中では、あまりに疲れて、少し眠ってしまいました。起きるともう東北地方上空を飛んでいて、高度は10000m、気温は-50℃。
わたしはまだ-20℃を超えたくらいしか経験していません。でも、ロシアのサハ共和国などでは、-50℃の世界で暮らしている人たちもいるんでしたっけ。想像を絶する世界です。
そうしているうちに、3日ぶりの北海道の大地が見えてきました。雄大な道北の大地。長い旅からやっと帰ってきたうれしさがこみ上げてきました。少し気温差があったので、ダウンの上着を羽織りましたが、寒くはありませんでした。
旭川空港から駅に戻り、宗谷本線の列車待ち。その間、駅前で食事をしたり、忠別川沿いの宮前公園を散歩したりしていました。北海道に戻ってくれば元気になると考えていましたが、期待していたほどではなく、疲れたままでした。
でも思い起こせば、以前来た3回もそうでした。旭川はわたしにとっては都会すぎるので、東京よりはましな環境だとはいっても、住もうと思うほどではありませんでした。
それでも、広大な宮前公園は都心の公園よりよほど自然豊かで落ち着きます。ビル群の向こうには、雪をいただく大雪山連峰がはっきり見えていました。
それから、汽車でさらに北上するあいだ、来たときと同じようにぼーっと窓の外の景色を無心で眺めていました。
わずか三泊四日の東京旅行だったのに、前にこうして自然を眺めていたのが、遠い過去だったように感じられます。旅行中は完全に忘れていたこの感覚。
旭川の近辺では、まだ身体は楽ではありませんでした。でも、もっと北上すると、まぶしいなとは思いながらも、ずっとバスや汽車の窓から景色を眺めていられました。
北海道はまだほとんど枯れ木だらけの茶色の風景なのに、こんなに落ち着くのはなぜだろう。東京の公園では、あれほど青々とした緑や花が咲いていたのに、あの賑やかな景色より、こちらのほうが好きだ。
やはり外面だけ繕われたものとありのままのものの違いかもしれません。わたしたちの脳と身体は、データで判別できる以上のものに気づいています。どれが本物の自然で、どれが作り物の自然かを見分けています。
ふと、NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる 最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方にもそんな話があったのを思い出しました。
著者のフローレンス・ウィリアムズが、ウォータールー大学の認知神経科学者デルチョ・ヴァルチャノフが開発したとかいう、「景色のリラックスできる度合いを評価するアプリ」なるものを試したときのお話。
ところが、ロッキー山脈の観光パンフレットに掲載されているような、白銀の山の手前に広がる雪原の画像にスマフォを向けると、赤色が表示された。
「これってどういうこと?」とわたしは尋ねた。
「えっと、それは、山の稜線がぎざきざしているし、全体的に白っぽいし、木が枯れているように見えるからかもしれません。季節も冬だし。…ウィルソンのバイオフィリア仮説によれば、人間は枯れた木に強い嫌悪感を示すんです」
「でも、この風景のなかの木立は枯れているわけじゃないでしょ。冬だから葉がないだけよ。いい眺めだと思うけれど」(p174)
このヴァルチャノフという科学者は「バーチャルリアリティを利用すれば、自宅のリビングルームでたいして金もかけずに自然を楽しむことができる。虫にわずらわされたり、時差ボケに悩まされたりすることなく、ハワイ滞在を満喫できるんですよ」という思想の持ち主だそうで、限りなく胡散臭い。(p165)
先に出てきたデイヴィッド・ストレイヤーは同じ科学者ながら真逆の思想で、「どんなにすばらしい映像だろうと、四日間も見てはいられないし、[大自然のただ中にいるような]いまのような気分になれるはずがない」と言っていましたが、わたしはこっちが正しいと思う。
「ニューロセプション」の概念からすれば、わたしたちが環境から受けているシグナルは非常に多岐にわたるクロスモーダルなものなので、それをVRなどで人工的に再現することは不可能です。たとえば土や森から発せられる微生物や植物の香り成分すべてを再現することなどできない。
VRのような方法で再現された自然は、どこまでいっても、まがいものの、作り物の自然でしかない。たとえ意識はあざむかれようが、無意識のニューロセプションをあざむくことはできないでしょう。
このときのわたしの実感もそれを裏付けていました。
わたしは、ヴァルチャノフのアプリできっとすばらしい評価を下されそうな、都心部の葉が青々と茂った公園の風景より、道北の寂れた枯れ木だらけの山のほうが、はるかにリラックスできると感じました。心で感じたわけではなく、わたしの身体がそう言っていた。
ついでに言えば、わたしは道北の冬の一面の凍てついた景色が大好きです。だから、フローレンス・ウィリアムズと同じように、「白銀の山の手前に広がる雪原の画像」でリラックスできます。
個人的な意見としては、これも、さっき書いた背景の話と共通点がある気がします。わたしは都会に住んでいたとき虫がひどく苦手でしたが、自然の中にいる虫を見るときには、不快感が生じないことに気づきました。
同じように、枯れ木もまたそれ単独では不快感を催すとしても、冬景色の中の枯れ木のように、背景と調和している場合は美しく感じられるのではないか、と思うのです。
鏡のように環境を反映する
やがて、道北地方の奥までたどりつき、ようやく家の近くまで帰ってきたとき、わたしはやっと息ができるようになったと感じました。
息を吸うと、ちゃんと奥まで入るようになった。すごく落ち着いてリラックスする感じがする。ただぼーっとして安心している感覚を思い出した。
過去三回の道北に来たときは、最初の二回は旅行で、三回目は引っ越しでした。どのときも、ここに近づくにつれて元気になり、疲労が回復し、動けるようになりました。この効果こそが、わたしが引っ越すことに決めた大きな要因でした。
最初に来たときは季節外れの大雨だった。二回目に来たときは地震で被災した。なのに、ここに引っ越そうと思ったのは、明らかに体調がよく、寝たきりに近かったのが、まともに動けるようになったから。
今回、4回目の東京からの道中も同じでした。4回目は、初めて、旅行でもなく、引っ越しでもなく、家に帰ってくるための道中でした。
過去と同じように、今回も、森のそばに帰ってくるにつれて回復してきました。町に帰ってきたころには、午前中、飛行場で野垂れ死にかけていたのが嘘のように元気でした。まさに「水を得た魚」でした。
わたしが弱っていたのは、泳ぐための水ならぬ、息をするための森の空気、あるいは自然豊かな環境がなかったからでした。
本来いるべき環境に戻されたわたしは、東京での疲労困憊からすると信じられないほど元気になり、帰宅後、友人たちに会いに行ったほどでした。
わたしは、これと同じことを四回も経験していますが、いまだに自分の反応を不思議に思います。大都会から道北の大自然の中に来るだけで、慢性疲労症候群の寝たきりに近い体調の人が、これほどまともに動けるほど元気になるものなのか、と。
ですが、これがプラセボではなさそうだということは確認済みです。それに、最初のほうで書いたいくつもの事例や、眼鏡屋さんで聞いた話のように、わたし以外にも同じような経験をしている人は大勢います。
何より、わたしが一番説得力のある説明だと感じているのは、わたしのような芸術家肌の人は、何度も書いている「ニューロセプション」の機能がとても強い、ということです。
芸術家が他の人と異なっているのは何でしょうか。それは間違いなく感受性、言い換えれば、まわりの環境を繊細に感じ取る感性です。
芸術をたしなむような人は、明らかに、周囲の環境から普通以上に強い影響を受ける。芸術家とは、周囲の世界の色を映し出すことで創作する鏡なのです。
周囲の環境から、より強い影響を受け、普通の人以上にさまざまなことを感じる。これは生物学的に言えば、「ニューロセプション」の機能が強いということ。意識的にも無意識的にも、より多くの環境由来の情報を処理しているということ。
だから芸術家は、よくも悪くも、人間関係であれ居住環境であれ、身の回りの環境の影響を受けやすい。芸術家の身体と心、そして作品は、自分が置かれている環境をカメレオンのごとく反映します。
環境がどす黒く汚れていたら精神を病み身体を壊すかもしれない。逆に環境が愛情に満ちた虹色のものであるなら、創造性を伸ばせるかもしれない。
そうだとしたら、あまりに刺激過多すぎる大都会では、他の人たち以上に体調を壊すのは当然です。逆に自然豊かで理想的な環境からは、普通の人以上の良好な影響を受けるということになる。
けれども、自分がこれほどまでに環境から影響を受ける、ということに気づけない人も多いです。
さっき、道北に帰ってきたわたしは「水を得た魚」だと表現しました。考えさせられることに、心理学者ルイーズ・バレットは、野性の知能: 裸の脳から、身体・環境とのつながりへという本の中で、こんなことを言ってました。
たとえば、魚には自分が泳いでいる「水が見えていない」とよく言われる。
哲学者であるルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインもかつて、人は眼鏡越しに見えるものと眼鏡そのものを同時に見ることはできないと指摘した。
それと同じで、神経系と身体は動物が利用できる環境に組み込まれている一要素であって、どんな動物であれ、世界をあるがままに「見る」ことはできない。ただそれぞれに固有のやり方で経験するだけだ。(p214)
『魚には自分が泳いでいる「水が見えていない」』と書かれています。魚は、自分がいる環境の恩恵を意識していません。その環境のおかげで、自分が泳げるということを考えもしない。
わたしたち人間もこれと同じです。自分が今いる環境の影響力について、めったに考えません。
本当は、生まれ育った環境が良いおかげで健康なのに、自分は努力しているから元気なのだ、と誤解している人がいます。
逆に、本当は生まれ育った環境が悪いために体調不良なのに、自分は虚弱体質だとか、意志力が弱いと思って自信をなくしている人もいます。
最近の微生物学からすれば、昔の人が現代っ子に比べて頑強なのは、ほとんどこのせいだろうと思います。自然豊かな環境で育ち、健康な腸内細菌を獲得した人は努力しないでも健康だし、逆に都市型の自然が少ない環境で育ち、腸内細菌の多様性が失われている人はどれだけ健康のために努力しても虚弱です。
良くも悪くも、人間は、自分が今いる「水」つまり環境が見えていないので、環境の影響を過小評価しがちです。本当は、自分が思うよりはるかに、身の回りの「水」から影響を受けているのに。
わたしは ここ道北では、かなり具合がよくなります。でも、病気そのものが治っているわけではないことをよく承知しています。これについては主治医も同じ意見です。
しかし病気そのものは変わらずとも、身の回りの環境という「水」が変われば、病気の上に乗りかかり、重荷となっているものは取り除かれます。
ただでさえ疲れている人に、丸太を背負わせるような環境が刺激の多すぎる大都会であるとすれば、それを取り除き、疲れているなりにリラックスさせて、歩き回れるようにしてくれるのが自然豊かな環境なのです。
とあるネットのブログを見ていると、自然豊かなところに移住したものの、感動は一時的だった、と書いている記事もありました。美しい景色に感動するのは最初だけですぐに慣れてしまうと。
わたしとその人に違いがあるとすれば、単純に景色の良さに惹かれた健康な人と、自然の恩恵を全身のニューロセプションで感じている病気の人の違いでしょうか。
わたしの場合、そもそもこっちに来てやっとまともな体調になったのが大きい。動けるか動けないかの差であれば、喜びが薄れることはまずないでしょう。
今でも、ストレスを感じてサイクリングするたびに、自由にそうできる環境があることに喜びをかみしめます。そして東京などの都市に行くたびに、生き物として不自然な環境から脱出できてよかったとしみじみ感じます。
自然の良さを「景色がいい」だけで感じていたら、そりゃ飽きてくるでしょう。それに比べて、全身で気持ちがいいのはまた別の話。
「きれい」は飽きるかもしれないが、「気持ちいい」はやみつきになる。一目惚れした恋は冷めますが、心地よい夫婦関係は長続きするはず。
もとより、今はこう書いていますが、わたしだって、当初の喜びが薄れて、この環境を当たり前だと考えるようになってしまうことは十分に予期しうることです。
それを防ぐために、レイチェル・カーソンのセンス・オブ・ワンダーをたびたび読み返したいと思いました。
わたしが大好きなこの本はカーソンが病気で亡くなったために未完で終わりました。しかし、そのためかなり短くて読みやすい分量になり、内容も奇跡的によくまとまっている素晴らしい傑作です。
子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激に満ちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。
この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。(p21-22)
自然と関わる人のバイブルとして、不思議に目を見はる子どものような心を忘れないために、何度も読み返す価値があります。
幸い、わたしが暮らす町で知り合った人たちは、地元の人も移住者も含めて、自然に飽きるどころか、いまだ愛し続けている人が多いです。そうした人たちと付き合っている限り、そうそう喜びは薄れないと思いました。
これからやりたいこと
この旅行のあとは、反動で疲れが出るようなことはなく、普段どおりの生活にもどれました。以前、東京から道北に旅行に来たとき、数週間近く強烈な揺り戻しが来たのとは対照的でした。
旅行の疲れよりも、道北に帰ってきてから、薪割りをしたり、網戸の張り替えをしたり、畑にコンポストを埋めたりしたほうが、よっぽど筋肉痛に苦しめられました。
この前まで寝たきりに近かったのにそんな力仕事なんて無理!と言いたい気持ちはありますが、なんとなくできてしまうので、これもいい経験だと思って、がんばっています。
これから、自分は何を目指せばいいんだろう、とよく思います。ここ数年のわたしは、自分の病気について調べたり、治療法を見つけたりするのに必死でした。そうでもないと生きられなかったから。
だけど、そうしたことから、ある程度まで解放されたいま、目標が見失われました。これから何をしていけばいいんだろう?
今回の旅行では、昔の友人たちと再会し、わたしがほぼ引きこもりだったころに描いていた絵をとても喜んでもらえるという嬉しい経験をしました。
それで、やっぱりわたしは絵を描くべきだと思いました。こんなに喜んでくれる人がいるのなら、そのような感性を伸ばすことには意味があるだろう。
わたしは今、もっと自然界について知りたいと思っています。ここで過ごせばすごすほど、いかに自分が何も知らないまま生きてきたか痛感しています。
薪割りの大変さはやってみないとわからないし、山菜のおいしさは自分で採って味わわないとわからない。これからは菜園も作る予定になっている。教科書で読んだり知識だけ覚えようとしたりしても何も頭に入らないけれど、じかに自然とふれあえば初めて実感がわく。
今までのわたしの絵は、自然豊かな風景を描いてはいたものの、全部空想の産物でした。それはそれで夢があってよかったけれど、これからは自分の体験も織り交ぜて描いていきたい。そうして再び描き始めたのが、最近更新した二枚の絵です。
自然とふれあうなんて、まったくの無知すぎて、どこまでやれるんだろう、という気持ちはあります。
それに、これまでの生活は家の中にこもって文章や絵をかいたりしているだけだったのが、身体を使うようになれば、やりたいことが多くなってバランスをとるのが難しそう。
でも、だからこそもっと知りたいし経験したい。そうすることで、もっと感性を磨き、自分なりのエッセイや絵をかけるようになっていけたら、と今は思っています。
自分の体調と向き合い、道北に引っ越してきた半年前の自分の決定の価値を再確認でき、これから目指すべき方向性を多少なりとも見つけることができた。これらの収穫をもって、このたびの東京旅行記を書き終えたいと思います。