絵を描くのが大好きだった小学校時代の作品を発掘したので公開してみる

引っ越しのため、持ち物を二週間にわたり大々的に整理していましたが、ようやく終わりました。

高校生以降の手紙や写真、書類はすべて以前に電子化して処分してあったのですが、中学生までの持ち物は、押入れの奥にしまってあって、魔窟状態でした。

それを今回すべて引っ張り出してきて、分類して裁断してスキャンするなどデジタル化したのですが、その際に、わたしの子ども時代の作品が異常なほど出てきました。

ノートに書かれた絵もそれぞれ一作品とするなら、全部で数千点はあったでしょう。3歳くらいから小学校卒業あたりまで、ひたすら絵を描きまくっていたようで、あまりの量に気が遠くなりながら、電子化を頑張りました。

大変な作業でしたが、改めて見なおしてみると、わたしは子どものころ、本当に絵を描くことが好きだったんだなぁ…と感慨深く思うものがたくさん。描いたこともすっかり忘れている絵ばかりでしたが、愛情のこもった作品がたくさんありました。

けれどもわたしは、その後、中学校、高校生になるにつれ、絵を描くのが苦手になり、自分は下手だと思い込み、しかも棒人間しか描けなくなってしまったのです。

今回の記事では、恥ずかしながら、当時の作品をいくらか公開して、思い出がたりをしてみたいと思います。そして、そんなに絵が好きだったのにどうして苦手になってしまったのか、なぜ今になって再び絵を描くことに帰ってこれたのかを考えてみたいと思います。

ちょっと重い話も含んでいるので、苦手な人はご注意ください。

わたしの小学校時代の作品集

わたしの小学校時代の作品集はけっこう膨大ですが、その中でも、今になっても、けっこうわたしらしいなーと感じたものを幾つか紹介します。

まずはこのちょうちょの絵。

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4年生くらいの作品のようで、形に沿って切り抜いてありますね。線で☆などの模様をたくさん描いているところが、一昨年描いたきみはぼくらのジンベエザメ あたりの時期の絵とちょっと通ずるものがあるなぁーと感じました。色んな模様を描いてカラフルに彩るのが子どものころから好きだったみたいです。

次の絵は、こちら。同じく4年生のときに描いた空飛ぶアンモナイト。

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わたしの古代生物好きは、ずっと昔から今も変わらないのでした。単にアンモナイトを描くだけでなく、カラフルな翼をつけてしまうあたりがわたしらしいですね(笑) 描いた記憶は全然ないのですが、ひと目見て親しみを感じました。

これもやはり一昨年描いた、古代の海の王者などに受け継がれているなぁ―と思います。いまだにアンモナイトや古代生物はちょくちょく描いています。

続いては、5年生のときに描いた、虹のリボンに包まれた地球。

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この絵は今回紹介する絵の中で唯一、描いた記憶がありました。けっこう悩んだ末に虹のリボンのアイデアを思いついた覚えがあります。

わたしの虹色好きは、小学校時代から変わってないんですね(笑) 今でもわたしの絵に虹色がよく出てくるのは、配色が苦手だから虹色グラデーションに頼っているという理由もありますが、本当のところは昔から虹色が大好きなのでしょう。

地球の大陸が花で満たされているのも、わたしらしい発想だなーと思ったり。クレパス?の色塗りが雑なのは…やっぱりこの頃から根気がなかったんでしょうね…。

そして最後に、6年生のときに描いたと思われる、地球とどうぶつたちの絵。

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色鮮やかな地球をバックに、小さな子どもとライオン、羊、バショウカジキにフラミンゴが描かれていますね。

今も脈々と描き続けている、子どもとどうぶつシリーズの絵の原点かもしれません。まったく描いた記憶が残っていなかったのですが、無意識のうちに、時を超えて同じようなものを描いているんですねー。

今回持ち物整理をするまで、子どものころ描いた絵と、今描いている絵はずいぶん変わっているはず、と思っていたんですが、実は、わたしの大元は変わっていないんだなあーということを発見できて驚きでした。

表現のスタイルや画材は変わっているけれど、絵のテーマやアイデアは、子ども時代のままなんですね。なんだか感動です。

さらに、小学校のころに書いた詩もたくさん出てきたんですが、見てみると、今わたしが書いている詩とそっくりで驚きました。たぶん並べてみても、どっちが最近書いた詩なのかだれにもわからないと思います(笑)

まったく発想が進化していないとも言えるけど、逆に子ども時代と同じ感性を持っているともいえるかな。大人になると子どものころの視点を忘れてしまうと言われがちだけど、作品を見る限り、どうやらわたしは小学校のころのままみたいです。

みんなが「絵がうまい」と寄せ書きしてくれた

過去の絵やプリントを発掘していて、一番意外で、びっくりして、うれしかったこと。

それは、小学校4年のころにクラスメイトがくれた寄せ書きでした。

わたしは不思議なことに、小学校4年生のときの記憶がごっそり抜け落ちています。もともと過去のことを忘れやすい性格で、その他の学年のこともほとんど覚えていないんですが、特に小学校4年のときが顕著。何も記憶がありません。

でも、そのときのクラスメイトは、わたしにこんなメッセージを書いてくれていました。

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個人名が出ているところは伏せているので見にくいかもしれませんが、よく見てみると、「絵がうまいね」というメッセージが半分近くを占めているんですね。

これには本当に驚きました。

わたしは、自分が子どものころ絵を描くのが好きだったらしいと親から聞いて知っていたものの、決して自分の絵がうまいと思ったことはありませんでした。むしろすごくコンプレックスを持っていて、絵は下手だと感じていて、特に中学生以降は絵を描けなくなっていました。

でも、この寄せ書きを見ると、わたしは本当に子どものころ絵が好きで、しかも、まわりのクラスメイトから絵がうまいと言われるほどだったんだなーと知りました。自分宛てのメッセージだけど、だれか別の人のこと言っているみたい。

それでも確かに、今回小学校時代の絵を色々見るにつけ、絵を描くのが好きだったことがよくわかりました。

ではなぜそのころの記憶が失われてしまったのか。

どうやら、わたしは子どものころ、あまり家庭環境に恵まれていなかったので、かなりストレスを感じていたようです。今回発掘した小学校時代の資料を見ても、不穏な雰囲気が感じられる作文などがありました。

あまり不穏すぎるものは例に挙げられませんが、たとえば小学校の卒業文集を見ると、「今大切にしているもの」の欄に、「家庭の平和」と書かれているんですね。小学生がプロフィール欄にそんなことを書くなんて、普通ではない気がします。

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家庭の平和を意識して大切にしている、というのは言い換えれば、家庭に緊張が走っているから、自分がなんとか場を取り持って、平和な雰囲気作りをしなければならない、ということです。普通はそんなのは子どもの役目ではありません。

でも、確かに納得がいく。前の記事芸術が得意な人の持続的空想―独自の世界観とオリジナリティの源で紹介したように、空想力豊かで独自の世界を創りだす人の中には、幼いころに家庭で居場所がなかった人が多いと言われていました。家庭に安心できる居場所がないから、空想にふけって現実逃避するようになって、代償として創造性が発達するということでした。

今回紹介した何枚かの絵をはじめ、小学校高学年のころの絵は、今の自分が見ても、とても創造性豊かだなぁと思うので、この時期に何らかの強いストレスと空想傾向があったのかもしれません。

さらに言うと、そうした子どもは、つらい時期の記憶を封印する解離性健忘になったりするので、わたしの小学校4年生の記憶がないことと何か関係がありそうです。ほかにも、小学校5年生ごろから解離的な経験が幾つか思い当たる節があります。

今回頑張って発掘した小学生時代の地層の考古学的証拠が物語っていたのは、小学校4年生以降、わたしが何らかの危機に直面して、空想世界に逃げ道を作り始めていたということでした。

ちょっと重めの話になってしまったので、ここで閑話休題。

上の寄せ書きでは、みんなが絵がうまいと言っていたことに加えて恐竜の絵がうまかったとか、恐竜博士だとか言われていますが、そのころわたしは恐竜大好きだったんですね。今も大好きですが、当時のほうが間違いなく詳しかったはず。

わたしの母が、なぜか超恐竜好きで、愛読書はコナン・ドイルの「失われた世界」やジュール・ベルヌの「地底旅行」でした。そのせいか、子どものころから、妙に恐竜関係の書籍をもらったり恐竜のイベントに連れて行ってもらったりすることが多く。

こちらは5歳のときの「きょうりゅうノート」のいちページ。

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ステゴサウルスはメジャーな恐竜ですが、中には今のわたしが聞いたこともないような名前の恐竜の絵もちらほらと。

そして、こちらは小学校5年生のときのステゴサウルス。

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自分で言うとあれだけど、確かにクラスメイトが、恐竜の絵がうまいと言うだけのことはあるなーと思いました(笑)

ステゴサウルスはずっと大好きなのですが、最近はあまり描いていなくて、ぼくらのきょうりゅうマーチで出てきたくらいですね。というのも、最近はゆめまなが乗りやすい恐竜を優先して描くので、背中に板があるステゴサウルスは出番がなくなっています(笑) 

棒人間しか描けなくなった中学高校時代

お絵かき大好きだった小学校時代のわたしですが、中学校に入って、状況が一変。今回、中学校時代の持ち物も整理しましたが、絵はほとんどなく、わずかにニ、三枚、美術の授業の適当な石膏像デッサンなどがある程度。しかもやはり描いた覚えはありません。中学生の記憶は抜け落ちているわけではないので、おそらくどうでも良かったから覚えていないんだと思います。

中学校初期くらいまでは、まだ鉛筆で色々な絵を描いていたノートが残っていましたが、高校生になると、美術の授業さえもなくなってしまったせいで、一枚も作品がありません。小学校まではあれほど大量の作品があったのに、一体何があったのか。

そのころ、わたしは何も創作していなかったわけではなく、相変わらず忙しくせっせと作品を製造していて、たくさん小説を書いていました。そのときの小説は、こっそりとこのサイトにも置いてあります。

でも、のびのびと無邪気に絵を描いていた小学生時代とは違い、徐々に気楽に創作する余裕がなくなっていきました。受験戦争に巻き込まれて、学年トップを常に争う殺伐とした毎日になり、通知表や偏差値の上下に一喜一憂する日々。遊ぶ暇があれば勉強しろとせっつく先生たち。

お絵かきを楽しんでいた小学生時代の記憶は失われて、いつの間にか、わたしは自分は絵が下手だとコンプレックスを持つようになっていました。ほとんど棒人間レベルの絵しか描けず、特にカラーで描くのは絶対に無理でした。

おそらく、わたしは自分で自分の過去を記憶の奥底に封印して葬り去っていたのだと思います。まわりの大人の期待に答えて、受験戦争の場で勝ち抜くには、無邪気なお絵描き好きのわたしであってはならなかった。だから、過去を消し去り、無表情の仮面という別の人格をつけて、コンピューターのようにひたすら勉強していたのでしょう。

結果的に、勉強に次ぐ勉強で忙殺されるようになり、創作の余裕なんてほとんどなく、プレッシャーと過労から体を壊して、不登校になりました。

ふたたび絵を描くようになって

有名進学校の学年トップがいきなり不登校になったとあって、当時は色々と周囲も混乱して大変でしたが、今になって思えば、あのとき進学エスカレーターから脱落してよかったと思います。

負け惜しみみたいに聞こえそうですが、あのまま創作を封印して、研究職などに進んでいたら、子ども時代のお絵描き好きのわたしは永遠に死んでしまっていたかもしれません。

今回古い持ち物を発掘してわかったのは、もともとのわたしは、絵や詩など創作大好きな活発な子どもだったということです。それが、家庭内の緊張とか、まわりの大人の圧力のせいで、本当の自分を封印して別の自分を身にまとうしかなくなった。ちょうどドナ・ウィリアムズが、ウィリーとキャロルという別の自分を作って学校生活に対処していたように。

お絵描き好きの本当のわたしと違い、代わりに作られた別のわたしは絵を描く能力を持っていなかったので、絵がコンプレックスになったのでしょう。ふたつのわたしはほとんど別人なので、性格も趣味もまったく違っていました。ふたりめのわたしは恐竜博士でも深海好きでもなかった。過去のお絵描きが好きだったころの経験を思い出すこともできず記憶も分断されていた。健忘障壁というやつです。

でも、結果的に、わたしはエスカレーターから脱落したおかげで、自分の望まない進路から解放され、徐々に記憶の封印を解き、過去のお絵描き好きの自分を取り戻すことができたようです。完全に統合できたわけではないようですが、今のわたしの作品と過去の小学生時代の詩や絵を比べると、ほぼあのときの自分を取り戻せたと思います。

小学校の6年間のわたしの通信簿を見ると、今のわたしとよく似ていて、思わず微笑ましくなります。いつも「整理整頓」の項目はバツ印ですし、運動神経は鈍いのに、体育が大好きでした。一年の目標が毎回「字をきれいに書く!」なところも相変わらず。今ではもう字をきれいに書くのはあきらめてパソコンに頼りっぱなしですけどね。

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考古学者が過去の地層を発掘すると、楽しい発見もあれば悲しい事実も見つけます。わたしの過去の持ち物の整理もそれと同じでした。歴史に刻まれた傷跡はもう拭い去れない。

でも、色々あったけれど、今のわたしは楽しくやっています。またこうして大好きなお絵かきを楽しめる場所に戻ってこれたのですから。小学校のころのわたしに戻れて、わたしらしく、自分らしく、のびのびと、また新しい作品を創れるようになって本当によかったです。

ここのところ大量の持ち物整理のせいで創作がストップしていますが、その間にも描きたい絵のアイデアは色々湧いてきたので、またお絵かきを楽しんでいきたいと思います。

もしこうして振り返る機会がなければ、死ぬまで決して見なかったかもしれない過去の作品やクラスメイトの寄せ書き、災害などで失われてしまったかもしれない写真やノート。そして小学校以前の本当のわたしとの再会。大変だったけれど、過去の持ち物の整理とデジタル化をやってみて大きな収穫がありました。

投稿日2016.03.02