岩田聡がいたからこそゲームを楽しみ、絵を描くようになった。お疲れさまとありがとう。(追悼記事)


2015年7月11日に、任天堂の岩田聡社長が胆管がんで亡くなっていたことが、13日に発表された。最初ニュースを見たとき、悪い冗談かエイプリルフールかと思った。しかし一瞬で意味を悟り、ものすごいショックを受けた。

著名人の死で、これほど衝撃を受けたのは初めてだ。アップルのスティーブ・ジョブズのときもショックだったけど、それは、世の中の天才が一人いなくなったという意味だった。

しかし岩田社長の場合は、長年ゲーム好きとして親しむ機会が(一方的とはいえ)相当あった方であり、私の人生にも少なからぬ影響を及ぼしていたから全然違った。

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岩田社長がいたからこそ、ゲームに帰ってきた

私は、子どものころからファミコン、スーパーファミコン、ゲームボーイなど、任天堂のゲーム機に親しんできた。

最初に買ってもらったソフトは、スーパーマリオコレクション。ハル研時代の岩田さんが作った星のカービィもやったた。ニンテンドーハードを通して遊んだドラゴンクエストやファイナルファンタジーは、私のファンタジーの世界観の基礎になった。

だけど、年齢とともに学業に忙しくなったりもして、ゲームの世界から離れてしまった。

競合会社のプレイステーションとプレイステーション2は買ったけど、任天堂のニンテンドー64、ゲームキューブの時代はゲームをしていなかった。もうゲームは卒業してしまったと思った。

■ゲーム人口拡大戦略で帰ってきた

ところが、いつのまにやら任天堂の社長は岩田聡に変わっていて、WiiとDSが発売された。ゲーム人口拡大戦略を展開した任天堂は、今までゲームをやったことのない人、またゲームを卒業した人を対象にアピールし始めた。

岩田 聡 氏(任天堂 取締役社長) <上> – 技術経営 – 日経テクノロジーオンライン はてなブックマーク - 岩田 聡 氏(任天堂 取締役社長) <上> - 技術経営 - 日経テクノロジーオンライン

そんなとき,2003年の「東京ゲームショウ」で基調講演をさせていただくことになりました。その準備として,いろいろな資料を集めました。そして 「ゲーム市場がどんどん縮小している」ことに気付き,がくぜんとしたのです。CESA(コンピュータエンターテインメント協会)の調査データ(当時)を見 ると,日本のゲーム市場が明らかに右肩下がりで小さくなっていました。

 「ゲームをする層を広げなければいけない。そうしないと,おそらく我々はゆっくり死ぬんだ」と思いました。これは恐怖でした。パイがどんどん小さ くなっているとしたら,業界で一番になっても死ぬのが先延ばしになるだけです。死ぬのを延ばすために社長をするのはイヤでした。だから「ゲーム人口の拡 大」を大きな目標として掲げることにしたのです。

うちの親が、それらの製品に興味を持った。Wii Fitをやってみたい、DSのタッチスクリーンを触ってみたいと言い出した。

「ゲームなんか」と鼻で笑うようになっていた私は乗り気ではなかった。それで、ずっと買うのには反対していて、なかなか首を縦に振らなかった。

しかし、何かしら運動するような手段も必要だったので、フィットネスクラブに行くことを考えれば、家で運動できるという機器を買ってもいいか、と思うようになり、WiiとパランスWiiボードを購入した。

同梱されていたWiiスポーツリゾートとWiiリモコンプラスの操作感はすごい新鮮だった。(リモプラという時点で、Wiiの後期まで渋っていたことがわかる)。

Wiiスポーツリゾートの卓球で、チャンピオンと闘うことにすごく熱くなった。今まで遊んだことのないゲーム性だった。Wiiの開発ネームのとおり、「イノベーション」を感じた。

Wii Fitもとても楽しかった。バランスMii、アスレチックMii、サイクリングやジョギングで汗を流した。体感ゲームの楽しさを存分に味わった。

ほかのゲームもした。なんとなく評判が高かったので買った、ダイビングゲーム、ForeverBlue海の呼び声は、忘れられないゲームになった。海の世界の奥深さ、深海の面白さに目覚め、海洋生物好きという新たな趣味が生まれた。

ゼルダの伝説スカイウォードソード、マリオギャラクシーは、最初はリモヌン操作が難しくて挫折しそうになった。ところが終盤にくると、リモヌンとの一体感を感じた。今だにゼルダとマリオのシリーズでは、これらのゲームの操作性が最高だと思っている。

■タッチジェネレーションズで広がる興味

そのうちにDSも買った。任天堂は、5歳から95歳まで、男女問わず、親子三世代が楽しめるゲームを、ということで「タッチジェネレーションズ」と呼ばれるシリーズを展開していた。

社長が訊く『ニンテンドー3DS』|ニンテンドー3DS|Nintendo はてなブックマーク - 社長が訊く『ニンテンドー3DS』|ニンテンドー3DS|Nintendo

『ニンテンドッグス』とかもそうですね。
子どもからお父さんお母さん、
おじいちゃんおばあちゃんまで、
三世代が一緒に遊べるような、
ゲームの知識や経験を問わない
いくつかのタイトルを
新しいチャレンジとして、私たちはまとめて
「タッチジェネレーションズ」と呼んで
シリーズとして展開していたんです。

脳トレ、目力トレ、英語漬け。どれも楽しんだ。あまり続かなかったのは残念だけど、ゲームで脳を鍛えるという新鮮さを味わうことができた。

任天堂のゲーム人口拡大戦略や、タッチジェネレーションズのゲームによって、私は再びゲームの楽しさを知ることができたし、趣味も広がった。これは岩田社長の方針なくしては実現しないことだった。

岩田社長がいたからこそ、絵を描くようになった

もう一つ、岩田社長がいたからこそ実現したのは、絵を描くようになったということ。Wii/DSを楽しんだ私は、相変わらずの守勢で、新型ゲーム機3DSとWiiUが出たとき、すぐには買わなかった。

3DSの立体視には魅力を感じていたが、なかなか遊びたいソフトがなく、値下げ後、世界樹の迷宮4がでたときにようやく買った。

そのとき、なんとなく、昔から絵に興味があったなあ…ということで、新絵心教室も買った。

■「社長が訊く」にはまる

そのころ、3DSのeショップ経由で、ニンテンドーダイレクトなどの情報を見るようになった。お気に入りのゲームを調べる過程で、「社長が訊く」も読み始めた。

それらのコンテンツがあまりに面白かったので、「社長が訊く」は過去記事までむさぼるように読み、やったことのないゲームのことや、開発の歴史までよく知るようになった。またゲーム機のコンセプトや、任天堂という会社の戦略についても詳しくなった。

そこではじめて、岩田聡という人の存在が大きくなってきた。私が再びゲームをはじめたのは、この人の戦略があってこそなのだと知った。

最近流行りの残虐なFPSや、中毒的なオンラインゲーム、課金させるスマホアプリは嫌いだけど、家族を結びつけ、子どもを笑顔にするものだ、という任天堂の山内イズム、それを受け継いだ岩田社長の言葉には共感できた。

またゲームの優れたデザインをさまざまな分野に活かし、教育や雑学、健康管理にも役立てよう、という考え方はすばらしいと思った。ゲームをしている子どもは工夫してハードルを乗り越え、失敗してもめげずにトライするため、自制心が身につくという研究があるそうだ。

■バーチャル絵心教室に通う

そのようなゲームデザインの教育への応用の一つが、絵心教室シリーズだということを知った。WiiUは結局、WiiFitUが発売されると同時に買ったけど、そのときなんとなく絵心教室スケッチも買った。

ミーバースを通して、他の絵描きさんと知り合い、モチベーションを高められた。まさにネットを介して、多くの生徒達と一緒に、バーチャル絵心教室に通っていたようなものだ。

もし岩田社長がいなければ、私は絵を描いておらず、このサイトも存在していなかったかもしれない。

岩田社長の人柄に親しむ

そのような多くの機会をもたらしてくれたWii、DS、3DS、WiiUを通して、岩田社長の存在はとても身近になった。もちろん実際の人となりは知らないので、本当に身近な人からすれば、悪い面もいろいろ見えるのかもしれない。しかし少なくとも、ネットで見ている限りは、ある種の尊敬の思いさえあった。

社長が訊くシリーズや、決算説明会で見せる、切り口の鋭い質問や受け答えは、非常に博識で頭の回転が早いことを思わせた。適切なエピソードや数字を瞬時に出せるのは、並大抵のことではないはずだ。

ニンテンドーダイレクトなどを通して、従来の「社長」像を塗り替えたことも、新鮮だった。社長とは椅子でふんぞり返って指示を出しているようなものではなく、会社の先頭に立って、ファンと向き合い、まさに会社の顔、宣伝隊長として導いていくリーダーである、という新しい定義を作った。おかげで岩田社長は最もファンから親しまれ、同時にアンチも増えたゲーム業界人になった。

ファンに対して歩み寄ろうとする柔軟な姿勢も興味深く思った。ダイレクトや決算説明会で、ファンが思っているけれど、口に出してはいけなさそうなこと、たとえば「ゲーム人口が減っている」「今年のE3の任天堂はつまらなかった」「WiiUはソフト不足でおもしろくない」といったことを自分から取り上げ、正面から受け止めて、事情と対策を説明するオープンな姿勢には好感が持てた。

ゲームを再定義し、任天堂の社訓である「独創」を地で行くようなアイデア豊かな取り組みを沢山はじめ、ゲーム人口拡大とともに任天堂の最盛期を演出したことには、発想の豊かさと柔らかさを感じた。

自身をコンテンツの一部にして、「直接」のバリエーションで笑いを取ったり、「トゥイッター」をわかった上で積極的に入れてきたり、レジー社長と格闘したり、クレイアニメになったりするのは、芸人みたいという批判もあったけど、エンターテイメント会社の社長として体を張った演出で楽しませてもらった。

近年は、任天堂が赤字になったり、ご自身が病気になったりして、苦労しておられる印象だったが、ここに来て黒字回復をなしとげ、社長が訊くも再開し、スマホ展開やアトラクション展開を相次いで発表し、#Iwatterで情報発信し、株主総会でいつもながらの切れ味の鋭さを見せていたので、すっかりよくなったものと思っていた。

今思えば、良くなったのではなく、死期が近いのを悟ったので、休養するのをやめ、悔いがないようにできることにすべて打ち込んでおられたのだろう。それを悟らせることなく、公の場でも何食わぬ顔で振る舞っていたところに意志力の強さを感じる。

結果的に、岩田社長は任天堂を黒字回復させ、方針を示してから亡くなったので、後継者を指名してなかったようだとはいえ、十分な働きをされたのだと思う。

これから、社長が訊くやニンテンドーダイレクトで岩田社長の説明が聞けないと思うととても残念だ。だれかが代役を努めるとしても、同じようにはできないだろう。それくらい有能な人で、八面六臂の働きをしていた。それが寿命を縮めることにもつながったのかもしれない。

■岩田社長亡き任天堂

私が任天堂のゲームに親しんだ理由が、すべて岩田社長の方針と関係していたことを考えると、今後、岩田聡亡き後、私の任天堂に対する興味が持続するのかどうか、不安に感じるのも確かだ。

しばらくの間は、任天堂は岩田社長の興した事業を続けるだろうが、いずれ会社として方針転換する可能性もあるだろう。岩田さんのビジョンを受け継ぐ人がいないなら、まったく違う会社になるかもしれない。いっそハードづくりをやめて、マイクロソフトなどの子会社になろう、と選択する未来がないともいえない。

おそらく、岩田聡の死をもって、私が好きになった任天堂は無くなってしまうのだろう。それだけ特別なビジョンを持った、有能なリーダーだった。ジョブズ亡き後のアップルのように、会社としては続いても、何かが変わってしまったように。

任天堂の現在の隆盛を築いたのは、山内溥社長が見出した三人の天才だったとよく言われる。横井軍平、宮本茂、岩田聡。そのうち、山内社長を含めて3人が亡くなってしまった。任天堂が少数の天才によって成り立っている企業だとすれば、彼らに匹敵するカリスマ的な人物が育たない限り、未来は暗い。

もちろん任天堂の功績を彼らだけに帰してしまうのは極端だし、実際はもっと多くの要素や運が絡んでいる。それでも、彼らがいないと何か輝きを失って見えてしまう。

もしかすると、私が2度目にゲームを卒業する日も近いのかもしれない。けれど、そうなったとしても、ゲームを通して教えてもらったことは、この先ずっと楽しんでいけるはずだ。できることなら、ゲームそのものも、今後もずっと楽しめるものであってほしいと思うけれど。

私が岩田社長の働きから得させてもらったものは本当にたくさんあった。これほど残念で悲しいことはないけれど、この記事をもって気持ちの区切りとしたい。

岩田社長、お疲れさまでした。そしてたくさんの夢をありがとうございました。

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