自分はいつも積極的に絵を誉めている、と考える人もいます。子どもの絵を見たら、「わー上手ね―」「よく描けたね」と笑顔で褒めているからです。
一方で、絵の褒め方がわからず、沈黙してしまう人もいます。絵を自信ありげに見せられたとき、なんと言ってよいのか悩み、返答に困ってしまうのです。
さらに、絵の感想を求められると、こうすればいい、ああすればいい、と足りない点ばかり指摘する人もいます。良かれと思って指摘しているつもりですが、相手の顔色がどんどん沈んでいることには気づいていません。
かくいうわたしも、だれかの絵を見たら同じような反応をしていました。それ以外の反応の仕方を知らなかったのです。そもそも絵の褒め方について考えることさえありませんでした。
しかし、今や「褒める技術」について書いた本がベストセラーになるような時代です。いかに的確に褒めるかは、相手の才能を伸ばし、場の雰囲気をポジティブに保つ上でとても大切だとレクチャーされています。
子どもや他の人が描いた絵を褒めるとき、どうやって褒めたらいいのでしょうか。絵の感想を聞かれて返答に困った場合、どこに注目すればいいのでしょうか。3つの観点から考えてみたいと思います。
1.ロサダ比を高く保つ
絵の感想を求められたとき、つい犯してしまう過ちが、冒頭でも述べたように、批判的になってネガティブなことばかり言ってしまうというものです。そうでなくても、一般的に言って欠点は目につきやすく、良い点は見つけづらいものです。
そのような場合に意識しておきたいのが、ロサダ比を高く保つということです。ロサダ比とは何でしょうか。
マルシャル・ロサダというブラジル人の学者は、ポジティブな発言とネガティブな発言の比率が、企業の経営状態や夫婦関係に影響していることを知りました。そしてその比率をロサダ比と名づけました。
彼らの研究によると、ロサダ比が2.9対1を上回る会社では経営状態が良好で、それを下回る会社では悪化していました。つまりポジティブな発言が3回以上に対し、ネガティブな発言が1回以下のような会社です。
一時期、この事実はロサダ・ラインとして流行しましたが、この約3対1という比率にはあまり意味がないことが明らかになったようです。
というのは、たとえばカップルについて調べた研究では、3対1のロサダ・ラインでは離婚を招くことが明らかになったからです。
ポジティブ心理学の挑戦 “幸福”から“持続的幸福”へ という本にはこうあります。
ジョン・ゴットマンは週末の朝ずっとカップルの会話を聞くことで同じ統計値を算定しました。2.9:1では離婚を招くということです。
きずなが強く、愛情に溢れた結婚を予測するには、5:1の比率、言い換えれば、配偶者を毎回非難するたびに5つのポジティブな発言が必要なのです。(p1233)
ある思春期の子どもを持つ母親は、ロサダ比について学んだとき、自分と子どものやりとりがロサダ比でいうと1対1くらいの比率になっていて、その結果ぎくしゃくした家庭環境になっていることに気づいたといいます。
「私たちは、息子の正しい行為ではなく、間違った行為に目をやるというスタイルに慣れてしまっていました」と彼女は述べました。
そしてロサダ比を5対1に保つよう努力したところ、親子の関係は修復され、幸せな家庭を取り戻すことができました。
これと同じことが、絵を褒める場合にも言えます。
子どもが絵を描くとき という本によると、絵を嫌いになった子どもは、その理由をこう述べています。
■私の隣で描いている友達に「上手に描けているね」と誉めているのに、先生は、私に対しては「もっとここをこうしたほうがいいよ」と注文をつけてくるだけだった。
■「こういうふうに描きなさい」とか先生にいわれて、自分の描きたいような絵が描けなかった。自分の絵より先生の絵みたいに思った。
「もっとここをこうしたほうがいい」「こういうふうに描きなさい」と批判されるばかりで、褒められることがなかったため、絵を描くのが嫌になってしまったことが書かれています。
この先生は、ロサダ比が1対1、あるいは1対3や、それ以下だったのかもしれません。少なくともロサダ比を5対1に保ち、良いところを5つ以上指摘した上で、1つ指導をしていたら、子どもの感想は違ったでしょう。
まず5つ以上良い所を見つけてからでなければ、気になった点を指摘しない、という習慣を身につけるのは、褒める技術の向上に大切だと思われます。
2.上手という褒め言葉を捨てる
しかし、わたしは5つも褒める言葉が見つからない、と述べる人もいるかもしれません。
そうした人は、もしかすると、今まで「上手だね」としか褒めたことがないのかもしれません。確かに、5回も「上手だね」と言うわけにはいきません。
そもそも、「上手だね」という褒め言葉には弊害がある、ということは以前の記事に書きました。さきほどの本によると子どもが絵を嫌いになった別の理由は次のようなものでした。
■私の隣で描いている友達に「上手に描けているね」と誉めているのに、先生は、私に対しては「もっとここをこうしたほうがいいよ」と注文をつけてくるだけだった。
この子どもは、隣の子どもが「上手だね」と言われたのに、自分はそう言われなかったことに敏感でした。
「上手」という褒め言葉は、その対極に「下手」という評価があることを連想させます。たとえ自分が「上手」と言われる側であったとしても、成長してから自分の絵は「下手」だと思うようになるかもしれません。
「上手だね」「よく描けたね」という褒め言葉は、それ以外に褒め言葉を知らない大人の稚拙な表現であり、想像力の欠如を露呈しているにすぎないのです。
絵を褒める言葉はもっと豊かであるべきです。絵に使われる絵の具の色がさまざまであるように、色とりどりの褒め言葉を考えだすことができます。
独特な色使いをほめてみるのはどうでしょうか。大胆な構図を褒めてみてはどうでしょうか。絵を描くときの真剣な様子や自由奔放な筆運びを褒めるのはいかがでしょうか。
褒め言葉も感性豊かに表現すれば、感動が伝わります。その絵を見たときに、自分の心がどう揺さぶられたかを表現しましょう。
口いっぱいに甘い味が広がるような美味しそうな色使いに思わずよだれが出ましたか。爽やかな風景のスケッチに心がリラックスして、そよ風やこもれびを感じたでしょうか。今にも飛び出して来そうなライオンの絵を見て吠え声が聞こえましたか。それをそのまま伝えましょう。
もし褒め言葉が思いつかないとすれば (わたしもそのようなときがありますが) それは、自分の感性の乏しさを示しています。
いろいろな美術作品を見たり、自然豊かな場所に行ったりして、感性を養いましょう。五感を研ぎ澄ませて、身の回りの物事を感じられるように訓練することが大切です。
3.「良いこと日記」をつけてみる
それでも、なかなか絵の良いところが見つからない、という場合はどうすればよいでしょうか。
その場合は、物事の良い点を探すという習慣が身についていないものと思われます。
普段から、物事の良い面を探し、数え上げることを習慣にしていないなら、とっさの場合に良い点に目を向けることはできません。
いつも物事の悪い面ばかりを考え、欠点や粗ばかりを探しているとしたら、人の絵を見たときにも、まず批判点ばかりが目についてしまうでしょう。
これは見せられた絵に良い所があるかどうか、ではなく習慣の問題なのです。
詩人のジョン・ミルトンは、「すべての雲には銀の裏地がある」と述べました。たとえ雨降りであったとしても、雲の裏側には輝かしい光が当たっていると考えたのです。
そのような物事の良い面を探すトレーニングが「良いこと日記」です。ポジティブ心理学の挑戦 “幸福”から“持続的幸福”へ にはこんな提案がなされています。
毎晩寝る前に10分費やしてみよう。今日うまくいったことを三つ書き出して、それらがどうしてうまくいったのかを書いてみよう。出来事を書きとめておくのは日記でもパソコンでも構わないが、自分の書いたものについて物理的な記録を残しておくことが大事だ。
三つの出来事はそんなに重大なことでなくてもよいが (「今日は夫が仕事帰りに私の大好きなアイスクリームを買ってきてくれた」)、そうであってもよい (「ちょうど私の姉が健康な男の赤ちゃんを授かったところだ」)。
それぞれのポジティブな出来事の隣に、「この出来事はなぜ起きたのだろう?」という質問に答えてみよう。(p66)
最初のうちは、よかったことが見つからなくて、苦労するかもしれません。しかし一週間、一ヶ月と続けて慣れてくると、スムーズに見つかるようになります。よかったことを探す「目」が養われてくるのです。
このエクササイズによって、うつ病などの抑うつ気分が改善するというデータもあるそうです。
うつ病の人も、統合失調症も、誰もが幸せな気分になれる脳トレ「3つの祝福」 : カラパイア
褒め方は技術
ここまで書いてきたことをまとめてみましょう。
「褒めて伸ばす」ような絵の褒め方をするためには、
■「上手」という褒め方を捨てて、もっと感性を豊かにする
■「良いこと日記」をつけて、良かったことを探す習慣を作る
という3つの点が大切でした。ほかにも、褒め方の技術としてはいろいろあると思いますが、まずはこの3つから始めてみるのはいかがでしょうか。
かくいうわたしも、これらの点を努力しているさなかです。感性に乏しい絵の褒め方をしてしまい、自分の底の浅さにがっくりしてしまうこともしばしばあります。
しかしこれらの点を努力しているなら、単に絵の褒め方にとどまらず、現実の人間関係や、苦しいときの精神状態にも良い影響があります。これらは一種のメンタルトレーニングだからです。
ぜひとも思考力を働かせて、褒め方の技術を伸ばしていきたいと思います。