わたしのお絵かき人生に大きな影響を与えてくれた人たちの話

たまたま最近、わたしのお絵かき人生に影響を与えてくれた人の話題になったので、そういえば、色んな人に助けられてきたな―と思いました。そこでこの機会に、どんな人たちに支えてきてもらったか、ということをひとつの記事にまとめてみようと思い立ちました。

絵というと、一人で頭をひねってアイデア出ししたり、黙々とキャンバスに向かったりすることが多いので、なかなか周りの人とのつながりが見えにくいことも事実です。

でも、これから書くように、絵は決して一人で描くものではない、とわたしは思います。どんな絵描きさんにも、必ず絵を描くきっかけを与えてくれた人、絵を描く楽しみを教えてくれた人、落ち込んだときに励ましてくれた人などが存在するのではないでしょうか。

わたしはこの記事をまとめてみて、これまでお絵かき人生を支えてくれた多くの人のことを思い出し、ぜひとも感謝を伝えたいなぁーと思いました。

思い出はいつもきみと

1.家族

わたしが絵を描いていることは、やっぱり家族の存在が大きいなーと思います。

うちの親は、元美術部で、油絵が得意でした。結婚してからは時間がなくてあまり絵を描けなくなったとのことですが、わたしに絵を描く楽しみを教えてくれて、子どものころからいろんな画材を買い与えてくれました。FELISSIMOの500色の色鉛筆セットもそのひとつ。

わたしは自分では絵の才能なんてないと思っていましたが、親は美術関係に進んだらどうかと、再三勧めてくれました。残念ながら、わたしはそれを無視して進学校に行ってしまったんですけどね。

結果としてわたしは文章を書くほうが仕事になるとわかったので、絵は趣味に据え置くことになりました。でも、まぁ、趣味だからこそ楽しめる、という部分は確かにあるので、それはそれでよかったかなと。

加えて、ほかの家族の存在もわたしが絵を描く上で大きかったと思います。家族構成などここに詳しく書くのはやめておきますが、わたしの絵のタッチはかなりそちらから影響を受けています。もともとはゲームのカッコいいキャラを描くのが好きだったのが、今では温かい優しい絵を描くようになっているあたりが特に。

家族は、いつも絵を見ていろいろアドバイスしてくれるので、とても助かっています。

2.おばあちゃんたち

一昨年に84歳で亡くなってしまったおばあちゃん。血のつながったおばあちゃんではなくて、たまたま友だちの友だちということで知り合った人でした。

友だちの友だち、という表現からわかるとおり、どんな年齢の人でも友だちにしてしまうすごい人でした。わたし(20代)の友だち(30代)の友だち(当時70代)というつながりなのでした(笑)

そのおばあちゃんは、長年、原爆症を抱えている方でした。戦争当時、まだ若かった(10代?)その方は、戦争終結間際のある日、夜の暗闇の中で、避難する列車に乗せられたそうです。

朝、明るくなってみると恐ろしい光景に驚きました。その列車に乗せられていた他の人たちは、原爆で大怪我を負った人たちばかりだったのです。そのときの列車に乗り合わせた結果、その方は、間接的に被爆してしまい、以降、原爆症の慢性疲労などの症状に苦しめられることになりました。

そのせいで若いころは、寝たきりに近い生活で、原因もわからず、怠け病などと揶揄され、結婚してからも肩身のせまい思いをされたそうです。

でも、年が経つにつれ、少しずつ体調もましになり、筋トレなどで体力をつけ、自分のやりたいと思ったことに情熱的に携わるようになりました。本当に小柄なおばあちゃんでしたが、とても芯が強く、苦しんだ経験からか思いやりとユーモアあふれる方でした。

そのおばあちゃんと出会ったころのわたしは、趣味で、年に数枚ほど、簡単な絵はがきを描いていました。まだ絵心教室とも出会う前なので、色鉛筆の模写ですね。

でもその絵はがきを送るとたいそう喜んでくれて、「わたしも絵を描く」とおっしゃるようになりました。当時もう80近かったのですが、70代でアルファベットを覚えてパソコンを独学で習得し、ワープロで日記や勉強の記録を取るような進取の気性あふれる方。絵もすぐに上達して、見事なレベルになりました。

わたしはまだ、自分は絵が下手だと思い込んでいた時期だったので、あるとき、「わたしはもう絵を描くのはあきらめた」と冗談交じりに言いました。

するとおばあちゃんは、「わたしはまだまだあきらめてへんよ!」と力強くおっしゃいました。実際に、わたしの絵はがきに触発されて描き始めたおばあちゃんは、そのころには、もうわたしよりはるかに絵がうまくなっていたのでした。

おばあちゃんは、毎朝100回のスクワットなどの厳しい筋トレで体力を維持していて、80代になって骨密度が上がった! とまで自慢してくれていましたが、残念ながら突然胆管がんになり、驚くほど早く亡くなってしまいました…。最近亡くなった任天堂の岩田社長と同じですね…。

その半年後に、ようやく絵心教室スケッチと出会って、絵の腕を磨き始めたわたし。今のわたしの絵をお見せできないのが、返す返す残念です。今のわたしの絵があるのは、当時のわたしの拙い絵に感動してくれたそのおばあちゃんの存在あってのことなのです。

そのほかに、別のおばあちゃん ( こちらも血のつながりはないのですが笑) の存在も、わたしの絵に影響していたかなーと最近思っています。

その方は満州から引き上げて来た方で、よく子どものころに満州で飲んだ水は、今のどんなミネラルウオーターよりもきれいで美味しかったと話してくれました。

その方は、自分がいつか住みたい家をとても美しい色とりどりのカラーで画用紙に描いておられて、よく見せてくれました。薔薇のアーチが入り口にある、小川のほとりの果樹園の中の一軒家。見るだけで幸せになりました。

残念ながらその方も、今年ガンで亡くなってしまいました…。でもその方の描いた優しい幸せな情景は今でも心に残っています。

3.SNSで知り合った人たち

わたしが絵を描く上で大いに助けられた人たちとして、SNSで知り合った絵描きさんたちの存在は欠かせません。その人たちの励ましなくして、今に至るまで絵を描き続けることは絶対にありませんでした。

美術学校に行ったり、サークル活動をしたりしている人は、同じ趣味の人たちとリアルで知り合う機会もあるのでしょうが、わたしがリアルで交流している絵描きさんはほんのわずかしかいなくて、年に数回しか連絡も取れていません。

美術系の進路に進まなかったので、絵を教えてくれたり、見せ合ったりできる人が周りになかなかいないのです。わずかな知り合いは県外などで、めったに会えないことが多く…。

でも、SNSに絵を投稿するようになって、大勢の魅力的な絵描きさんたちとめぐり合えました。絵をネットに上げはじめたころの、拙いわたしの絵を見て、いろいろとコメントをくれた人たちには感謝してもしきれません。

「絵本みたい」「温かい」「優しい」。そんな感想をもらったことは今までなかったです。SNSを通して、励ましてくれた人たちのおかげで、今まで絵を描き続けてくることができ、さらにわたしの絵の個性も定まってきたと思います。

わたしの絵は、わたしが創りあげてきたというより、まだ形も見えなかったゴツゴツした原石のときから、いろんな方たちがノミを入れて、少しずつ形にしてくれた、というほうが適切ではないかな、と思います。

そして、交流してきた方の多くは、同じ時期に絵を描き始めて、ほぼ初心者のレベルから上達してきた方たちです。どの方も、この二年間のうちにみるみる上達して、個性もますます発揮されるようになりました。それを間近で見てきたので、とても励まされました。

また、ウェブサイトを整備してからは、このサイトを通して親しくなれた方々もいて、いつも元気をいただいています。

4.リアルで絵を見てくれる人たち

そして忘れてはならないのが、リアルで絵を見てくれる友だち。わたしは10年くらい前に絵を描き始めたときから、自分の絵を印刷して人にプレゼントするのが趣味ですが、ずっとずっとよくわからない絵を笑顔で受け取っていてくれたみんなに感謝しています。

今でこそある程度自信がつきましたが、それまでの絵は本当に荒削りでした。万人受けするテーマばかりでもなく、なんじゃこれは?と思うものも多々あったと思います。それでも温かく見守ってくれたことに、本当に支えられてきました。

まぁ、もちろん喜んでくれる方ばかりではなく、プレゼントしても返事もないことも多かったのですが。 わたしがめげない性格なのもよかったのかもしれませんね(笑)

ここ最近は、向こうからほしいと言ってくれたり、新作は?と聞いてくれたりする友だちもいて、描き続けてきてよかったなーと思います。

前にも描きましたが、ネパールの女の子が絵を見て泣きやんで上機嫌になってくれた話など、すごく嬉しかったです。

5.絵心教室を作った方々

最後に、とても間接的な点ではありますが、絵心教室というソフトを世に送り出してくれた人たちも、わたしが絵を描く上で重要な役割を果たしてきたと感じています。

地道に勉強するのが苦手なわたしにとって、絵の本を読んで技法をコツコツ学んだり、絵の学校に通ったりするという選択肢は絶対にありませんでした。

でもゲームなら楽しそうと思えたので、新絵心教室を買って全レッスンやりとげ、そして絵心教室スケッチでたくさん絵を投稿したことが、間違いなく絵を描くことを楽しめるようになった大きな要因でした。

絵を学べるゲームというのは本当に画期的だったと思います。「じっくり絵心教室」でも、また基礎から頑張って学びたいです。

決して一人で絵を描いてきたわけではない

こうして、わたしのお絵かき人生に、大勢の人たちが関わってきたことを思うとき、決して一人で絵を描いてきたわけではないと強く思います。

絵というと、自室にこもって静かに描く孤独な趣味という印象がありますが、実際には、仲間の絵描きさんや、絵を見てくれる家族や友人など、大勢の人に支えられて成り立っている趣味なのですね。

これまで支えてきてくれた皆さんに心から感謝いたします。そしてこれからも支えてくれる人たちのことを忘れずに、絵を描いていきたいと思います。

そして願わくば、わたしのほうも、だれかのお絵かき人生に彩りを添える存在になれたら嬉しいです。

投稿日2015.10.30