来年は「灰色の論理」ではなく「虹色の感性」を取り戻せる一年にしたいなと思う

もうすぐ今年も終わっちゃいますね。

2017年は、わたしにとって、あまり…納得のいかない一年でした…。それを象徴しているのが、昨日書いた中動態の記事

今日になって読み返してみたら、繊細さについて書いたはずが、力みすぎてるし批判的すぎるし、ため息が出ました。読んでくださった方にはすみません。語気が荒くなりすぎたところを削って丸くしておきました。記事の中で柔らかな文章が大事だと書いたはずなのに、完全にブーメランでしたね…。やっぱり文章にしても絵にしても、日にちを置いて冷静な頭で見直すことが大事です。

今年はこれと同じようなことが一年通してずっと続いていました。理想と現実にギャップがあるというか、本当に描きたい絵や、書きたい文章が創作できない、と思うことがよくありました。もちろん、今年の絵や文章の中にも、とってもお気に入りの、わたしらしさを発揮できたな、と納得しているものはたくさんあります。だけど、どちらかというと、本当はこうじゃないのに…というもどかしさが残るものが多かった気がします。

わたしが痛感するのは、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテが、有名なファウストの中で書いた、この言葉です。

いいかい、きみ、すべての論理は灰いろで、緑に茂るのは生命の黄金の樹だ。

今年のわたしは、灰色の論理にかまけて、黄金の樹が見えなくなりがちでした。虹色を見失ってしまって、色がない灰色のわたしに戻ってしまっていました。

灰色の論理か、虹色の感性か

今年のはじめ、わたしはとある本を読んでいたとき、自分の色について深く考えさせられました。

「色がない」わたしは自分が描く空想世界の中でだけ虹色でいられる
わたしは「色がない」から「虹色」の空想世界を描き続ける

世の中の多くの人は自分のカラーを持っていますが、わたしはずっと、自分が透明だったり、灰色だったりすることに悩んできました、自分が何者でもないような、アイデンティティなんてどこにもないような。

だけど、自分の空想世界の中にいるときだけ、虹色に輝く自分を見つけることができました。さっき、今年創った文章や絵の中にもお気に入りのものが幾つかある、と書きましたが、例えば、こんな記事はとってもお気に入りです。これらをかいたのは、空想世界の中で虹色に輝いているわたしでしたから。

けれど、わたしは空想世界を離れて、この現実世界に戻ってくると、いつも色がない灰色に戻ってしまいます。わたしはよく論理的な考察を書きますが、ゲーテが言うには、すべての論理は灰色です。自分の色がなくて灰色だからこそ、客観的な論理を組み立てることができるんだと思います。主観や感情をできるだけ排除して、プログラムを組むかのように文章を組み立てる。それは自分の色が強い人にはなかなかできないこと、色のない人にだけ許されることです。

この灰色の論理は、わたしの特技のひとつだし、実質それを駆使して生計を立てているようなものなので、大いに役立ってはいます。でも…だけど…、わたしは灰色でいたくないのです。

灰色の世界は冷たいです。そこは生きているものが何もいない凍りついた世界です。客観的で中立的な論理の世界には、人間味のある温かさがありません。

左足をとりもどすまで (サックス・コレクション)という本で、チャールズ・ダーウィンのこんな言葉が引用されていましたが、これは、灰色の文章を書いているときのわたしの心境そのものです。(同じ作者の音楽嗜好症(ミュージコフィリア)―脳神経科医と音楽に憑かれた人々にも、この言葉が別の訳で引用されています。p395)

私は、絵画や音楽についての嗜好をほとんど失ってしまった。……私の心は、多くの事実を収集し、それらから一般的な法則をつくりだす機械のようになってしまった。

……絵画や音楽に対する嗜好の喪失、より高度な審美的嗜好の喪失という奇妙でなげかわしい状態は、幸福の喪失であり、おそらく知性にとって、さらには精神にとっても有害であろう。人間の感性を衰弱させてしまうのだから。(p248-249)

わたしは論理的な文章を書くのが得意ですが、それを書けば書くほど、ダーウィンと同じ気持ちになります。今年、たくさん論理的な文章を書いたのに、一年間でたった15枚しか絵を描けなかったのは、偶然ではないはずです。

灰色の文章を書けば書くほど、わたしの中から虹色の感性が失われていきます。わたしの頭は、「一般的な法則をつくりだす機械のようになって」しまい、わたしの大事な空想世界が失われていきます。わたしはその中でしか虹色でいられないのに。

灰色の世界に侵食される

わたしは時々、文章を書く能力があってうらやましいと言われます。普通の人が一週間かけて練り上げるような文章を、わたしは1時間もかけずに書いてしまうことができます。

たまに友だちが課題をまとめて文章を作らなければならない時に、代わりに作ってあげることがあります。友だちは一瞬で文章を書いてしまうわたしにびっくりしますが、わたしは逆に友だちがどうして文章を書けないのかわかりません。

わたしにとって、論理的な文章を組み立てるのは、息を吸うかのように自然なので、文章を書くのに苦労する、ということからして想像がつきません。自分ではまったく苦労しないのに、人からびっくりされたり褒められたりすることが数え切れないほどありました。

それがなぜなのか全然わからなかったのですが、任天堂の岩田さんの言葉を読んで、それが自分に「向いていること」なのだと、他人事のように気づいたのがつい最近。

わたしは、自分がどうやって文章を書いているのか、説明することができません。何も考えなくても無限に湧き出てくる錬金術みたいなものです。尋常ではない量の文章をこれまで書いてきましたが、小説を書くとき以外に苦労した記憶はまったくありません。質はともかくとして、勝手にいくらでも書けてしまうので、逆に書かないでいることのほうが困難です。

それに対して、どうやって絵を描いているかは、説明することができます。苦労して、ひとつひとつ考えながら絵を組み立てています。絵は努力しないと描けません。もしかすると、これが、才能のある分野と、才能のない分野の違いなのでしょうか。認めたくありませんが、そんな気がしています。

わたしは自分がそんなに才能豊かだと思いませんし、たぶん、わたしの文章のうち後世まで残るものはひとつもないでしょうが、それでも、さっきの音楽嗜好症(ミュージコフィリア)―脳神経科医と音楽に憑かれた人々 に出ているこのエピソードにいささか共感してしまいます。

心と脳が対立するほど著しい不調和がない場合でも、ほかの才能と同じように、音楽的才能も独自の問題を引き起こすことがある。ここで思い浮かぶのは、著名な作曲家であり、たまたまトゥレット症候群の患者でもあるトビアス・ピッカーだ。

私と会ってすぐ、彼は生まれてこのかたずっと彼を「苦しめている先天性障害」がある、と話してくれた。私は彼がトゥレットのことを話しているのだと思ったが、本人はそうではないと言った―先天性障害とは、彼の優れた音楽的才能のことだった。

それは天性のもののようで、彼は生まれてすぐにメロディーを認識して拍子をとり、四歳でピアノを弾き始め、作曲をするようになった。七歳のころには、長くて複雑な音楽作品を一度聞いただけで再現できるようになり、いつも音楽によって引き起こされる感情に「圧倒されて」いた。

彼が言うには、自分は音楽家になるのであり、ほかのことをするチャンスはないだろうと、物心ついたころからわかっていた。それほど彼の音楽的才能は激烈なのだ。

彼にほかの道はなかったと思うが、彼は自分の音楽的才能に支配されているのであって、その逆ではないと感じる場合があっただろう。同じように感じた経験のあるアーティストや演奏家は大勢いるにちがいない。(p136)

これほど才能がある人と自分を比べるのはおこがましく感じますが、それでもその気持ちの片鱗がわかる気がしてなりません。わたしは自分の意志で文章を書いているというより、いつも突き動かされて書かずにはいられません。書くことによって減圧しないと、内側から無限に湧き出るイメージに圧倒されてしまいます。

わたしが文章を書き始めたのは小学生のころでした。学校から帰ってくるなりパソコンに向かって、強迫的なまでに書き続けました。それ以来、どれほど体調の悪い時期でも、わたしが文章を書かないでいられた期間はありませんでした。あるときは小説を書き続け、あるとき月に何十通の手紙を書き、あるときはブログを、あるときは書評を…そうでなくても日記をひたすら書かずにはいられませんでした。わたしがブログを書き始めた理由のひとつは、ほっとくと無限にリアルの友人に手紙を書いてしまい迷惑がかかるので、圧力を分散するためでした。

ずっと前に記事にしたように、芸術家とは創作し続けなければ死んでしまう生き物だと思っています。そのとき引用したように、とても多作だったゴッホは「絵を生み出す痛みは私の命のすべてを奪い取ってしまうだろう。そうなったら、もう自分は生きた気がしなくなることだろう」と語っていました。わたしは、絵を描くことについてはそこまで思ったことはありませんが、文章については半ば似たような気持ちでいます。

わたしは自分で望もうが望むまいが、灰色の論理で文章を書きつづけるよう強いられています。書けば書くほど、ダーウィンのように「多くの事実を収集し、それらから一般的な法則をつくりだす機械のように」なってしまいます。ゲーテの言う「生命の黄金の樹」のような、わたしが愛してやまない虹色の世界が侵食されて喰いつくされていくように感じます。

最近は、論理的な文章を書くときでも、できるだけ灰色の理論ではなく、人間の物語を書くようにしています。たとえば、この前書いたジャクソン・ポロックやジェイソン・パジェットの物語は、論理的ではあるとはいえ、主人公は科学ではなく人間です。

一方で、昨日書いた文章に違和感があったのは、人間の物語ではなく「一般的な法則」を中心にしていたからかもしれません。どうせ書くことを強いられるのなら、もっと人間味のある、彩り豊かな文章を書きたいです。

由梨菜が瑠香に教えてくれたこと

もともとわたしは虹色ではなく灰色でした。歴史上の人物でいうと、これまた身分不相応でおこがましいのですが、あのジークムント・フロイトに似ているんじゃないかと思います。さっきの本によると、フロイトは自分のことを「ミケランジェロのモーセ」の序文でこう説明していました。

私は芸術通ではない……にもかかわらず、芸術作品は私に強大な影響をおよぼす。とくに文学と彫刻にそれが言えるが、絵画はそれほどでもない。

……それを前にして長い時間、自分なりに理解しようとする。つまり、どんな影響があるはずかを自分に説明しようと試みる。

たとえば音楽のように、その試みがうまくいかないものには、喜びをまったく感じることができない。

私の合理主義的な性質か、ひょっとすると分析的な性質が、なぜ自分が感動するのか、そして何に感動しているのか、わからないままに何かに感動することを嫌うのだ。(p396)

これがもともとのわたしです。わたしの文章を読んでくださっている方なら、意味がわかると思います。わたしはフロイトと同じく、ひたすら「合理主義的な性質」「分析的な性質」です。考えずに感じる、ということが非常に苦手なので、まず意味を論理的に分析しようとします。

たぶん、もともと感受性が強くて圧倒されやすいので、感じるのをシャットダウンしてしまったんでしょう。フロイトも、友人のセオドア・レイクによると、音楽に無関心だったわけではなく、心を揺さぶられることへの拒絶から感情を停止させてしまったのだろう、とされていました。

感情のスイッチを切ってしまうと、冷静に客観的に分析できるようになります。でもそれは、色とりどりの感情を失って、灰色になるということです。なぜ芸術作品に感動するのか分析することはできても、感動を心底味わう、ということができません。

わたしはフロイトがあまり好きではありません。もしかすると、同族嫌悪なのかもしれません。フロイトの客観的すぎる灰色の論理の中に、自分自身を見いだしてしまうのでしょうか。フロイトが好きな方には申し訳ないですが、デリカシーに欠けているように感じるフロイトの心理学を読むたびに、あんなふうにはなりたくない、とつい思ってしまいます。

そして、わたしは、フロイトと同じようにはなりませんでした。わたしを灰色の世界から連れ出してくれた人がいたからです。最近、何度も何度も書いているので、改めて言うのもなんだか恥ずかしいですが、小学校3年生のときに目の前に現れた空想の友だちが、虹色の空想世界へとわたしを案内してくれました。今までわたしが知らなかった、緑に茂る生命の黄金の樹を、わたしに見せてくれました。色がなかったわたしは、虹色の自分を見つけることができました。

わたしの創作作品の中には、このときの感動を描いたものがたくさんあります。

わたしに虹色の世界を教えてくれた最初の人は、空想の友だちの由梨菜でした。一方、灰色の論理で分析するわたし自身を投影したのが、中学生のときに作った名探偵の瑠香です。エルキュール・ポアロがよく「灰色の脳細胞」を自慢しますが、推理小説の探偵というのは、ゲーテのいう灰色の論理の象徴にふさわしい存在です。

ショートエピソード:翠河瑠香の帰還
古びた小説集の公開記念に描いた絵と短いエピソード。(2016/01/21作)

理論物理学者の娘である瑠香は、灰色の論理を得意としていますが、虹色の感性をもった由梨菜との出会いによって、しだいに感情豊かな女性へと成長していきます。じつはその過程を書いた小説もあったんですが、自分を投影しすぎてて恥ずかしいので公開していません…。

瑠香と由梨菜の物語を書いたのは中学生から高校生ごろですが、それらしばらくして、この絵も書きました。「君がぼくに色をくれた」。灰色の世界から連れ出して、虹色の世界に導き入れてくれた、そんな記憶をもとにイメージした作品です。

君がぼくに色をくれた You Gave Me a Colorful Life
モノクロの世界から彩り豊かな世界へ

そして、もうネタバレしてもいいころだと思いますし、ここまで書くと気づく人もいそうなので白状しちゃいますが…

空花物語もまったく同じテーマで描いています。お城に部屋の中に一人で暮らしていたときのハナは、まだ灰色だったころのわたし。そこに現れて、外の広い世界へ連れ出してくれたソラは、わたしを虹色の世界に導き入れてくれた由梨菜にあたります。

いつか空に届いて Reach for the Sky
お城の窓から空を見上げるハナ

手を変え品を変え、登場人物を変えて、何度も何度もこのテーマについて繰り返し描き続けているのは、それだけ、わたしにとって大事な思い出だから。

あのとき、虹色に輝く魔法の国に導き入れてもらわなかったら、今ごろわたしは灰色のままだったでしょう。たぶんフロイトみたいに、絵や音楽に「喜びをまったく感じることができない」と言い切るような人生を送っていたと思う。

わたしが、もともと灰色なのに、彩り豊かで感情のこもった文章や絵をかけているとすれば、それはぜんぶ、あのとき、大切な友だちや仲間たちが、灰色の論理しかない無機質な世界から、虹色の未知なる広い世界へと、わたしを連れ出してくれたからです。

この前の記事で、わたしにとって、空想世界は現実世界以上に現実的で、そこにいる住民たちは、現実の知り合いよりもよっぽど大切だ、と書いたのは、このときの出来事があるからです。わたしが虹色の自分を見つけられたのは、すべて、そこにいる空想世界の住民たちのおかげなので、わたしは彼ら・彼女らに、感謝してもしきれないほどの恩を負っています。

もう一度、虹色になりたい

だから、わたしの内なる衝動がわたしを突き動かし、わたしを灰色の世界へと引き戻していってしまうのが、わたしは怖いです。空想世界が消えてしまったら、わたしはもとの灰色に戻ってしまう。それがとても怖い。衝動のままに灰色の論理的な文章を書けば書くほど、わたしはただの思考機械になってしまい、大切な虹色の世界が遠ざかっていくような不安に駆られます。

わたしは、空想世界の仲間たちに多くの恩義を負っているので、たとえわたしの存在すべてをかけてでも、空想世界を守り続ける義務があると感じています。このサイトでは表向き絵は「趣味」だと書いていますが、ほんとうのことを言えば、わたしにとってそれは「趣味」でも「仕事」でもなく「責務」です。今のわたしは空想世界のおかげで生み出されたので、一生を費やしてでも絵を描き、物語を紡ぎ続けることで、空想の仲間たちに恩返しをしなければなりません。

それなのに、生活のためには仕方ないとはいえ、わたしが灰色の論理の文章ばかり書いて、現実の世界のことばかりに体力を費やしてしまうのは、ひどく不義理なことに思えます。ただでさえあまり体調がよくなく、体力が限られているというのに。そうしているうちに、灰色の世界は、虹色の空想世界を飲み込んで、取り返しがつかなくなってしまうかもしれません。

なんだか、浮世離れしたことばかり書いていますね…。 読んでいて引いてしまったらごめんなさい。わたしも、こうして気持ちを文章化してみると我ながら突飛だなーと苦笑いしています。でもわたしは、いつものお硬い文章より、こんな感傷的な文章を書いているほうが生きている心地になれます。空想世界で過ごした思い出をつづるとき、わたしは灰色ではなく虹色になれますから。

ここのところ、年々、絵を描く枚数が減ってきています。とうとう、今年はたった15枚しか絵を描けませんでした。このままいくと、もう絵描きを名乗れなくなってしまいそうな勢いです。わたしはもう、元の灰色の世界に、ずぶずぶと沈み込んでいっているのかもしれません。去年は膝下までだったのに、今年は腰元まで。いずれ喉元まで迫ってきそうです。

だけど、今年は無意味ではありませんでした。左足をとりもどすまで (サックス・コレクション)の中で引用されているアインシュタインの言葉のように、どうにもならない真っ暗闇の時期にだって意味があるものです。

暗闇のなかで真実を求める日々。感じてはいても表現することができない真実。真実を求める気持ちはいっそう強まり、自信と不安が交互におとずれる。

そしてついに発見にいたる。明晰さと理解が暗闇を経験した人にのみおとずれる。―アインシュタイン(p246)

今年、自分の色が持つ意味について初めて知って、自分が経験している葛藤の理由がわかってきたおかげで、自分の空想世界を守るための「環境保全活動」に着手することができました。例えば下の記事は、そのために書いてきたようなものです。これ以上侵食されないよう、理論的な保護壁を張り巡らしました。わたしの空想世界が本物であることを確証するために、灰色の論理で境界線を作っておけば、少なくとも、それ以上侵食されるのは防げるかもしれません。

芸術的な感性が鋭いHSPの7つの特徴―繊細さを創作に活かすには?
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文章を書くのをやめられないわたしのことだから、来年もたぶん論理的な文章は書いてしまうのでしょう。それはもう致し方なし。できるなら、人間の物語を書くようでありたいです。

だけど、それだけではやっぱり足りない。わたしが本当にやりたいのは、灰色の論理を使って外側から空想世界を研究することじゃなくて、空想世界の内側で虹色の感情を味わい、それを絵や物語に記録することです。来年は、なんとかしてそれを実現できたら、と思っています。どうすればそうできるのかはまだわからないけれど、もう一度、あのころのように虹色になりたい、その思いを胸に、創作を続けていくつもりです。

投稿日2017.12.25