芸術家には、右脳派で左利き、イメージが得意な人が多い。
そんな話を聴いたことがありますか? きっと、だれもが一度は聴いたことがあるでしょう。右脳を使うためのトレーニング法として、右脳を活性化させるために左手で描くとか、イメージトレーニングをするといったアドバイスもしばしば見かけます。
ところが、それらはいわゆる「神経神話」、つまり誤って伝わった都市伝説のようなものにすぎず、実際の脳科学のデータとは異なっているのだそうです。
OECD(経済協力開発機構)が2007年に選んだ9つの「神経神話」の中には、4つ目に「右脳人間と左脳人間」、5つ目に「男性脳と女性脳」が挙げられています。以前の記事なぜクリエイティブな人は男らしさも女らしさも兼ね備えているのか―創造性はジェンダーフリーでは「男性脳と女性脳」の間違いについて書きましたが、今回は、「右脳人間と左脳人間」の間違いについて考えたいと思います。
最新の脳科学が示すデータが示す3つの点、芸術家にはむしろ左脳のほうが大切かもしれない、画家には左利きは少ない、創造性とイメージ力にはあまり関係がない、という話題を1つずつ見ていきましょう。
1.画家にはむしろ左脳が大切?
まずは、芸術家は右脳人間だ、という比較的よく聞く話題についてです。
芸術には右脳が大切という考えは、てんかん治療のために左右の脳が切断された患者による実験で、左手のほうが模写能力が高かったとする古い研究などにもとづいています。こうした実験から、左脳は言語的な思考に、右脳は芸術的な思考に特化していると考えられるようになりました。
しかし後に行われた研究の数々によると確かに左脳と右脳には、それぞれ得意な役割があるものの、右脳が創造性において優れているという証拠は得られていません。
脳科学の真贋―神経神話を斬る科学の眼 (B&Tブックス) によると、今のところ、左脳はつながっているものを切る役割(数学で言う微分)を持ち、右脳はバラバラなものをつなぎ合わせる役割(数学で言う積分)を担っているという説があるそうですが、それもまだ確かかどうかはわかっていません。(p157)
ひとつわかっているのは、創造性は、決して右脳特有のものではなく、むしろ左脳も極めて重要な役割を果たしているということです。
芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察 によると、たとえば音楽家の脳について、とても興味深いことがわかっています。
訓練を受けた音楽家はメロディーを右耳で聴いたときのほうが成績が良く、訓練を受けたことがない非音楽家は左耳で聴いた場合のほうが成績が良かったのである。
この結果は、左右の半球がそれぞれ相反するかたちで音楽の処理に関与していることを示している。
訓練を受けた音楽家の場合は左半球が音楽処理に強く関与し、非音楽家の場合は右半球が強く関与しているのである(Bever & Chiarello,1974)。(p140)
この研究結果は、その後の他の研究によっても繰り返し再現されているそうです。同じように芸術に関わるにしても、プロの芸術家は、一般人とは異なり、左脳を働かせて判断することがうかがえます。創造性を高めるには、左脳を用いることが不可欠なのです。
手話の世界へ (サックス・コレクション)では、この同じ話が、他のタイプの芸術にも当てはめられています。
「素人の目」や「凡俗の耳」から芸術家や達人の知覚器官への移行は、右半球優位から左半球優位への移行と並行して起こる。
ごく「単純素朴な」聴取者では主として右半球が音楽的知覚をつかさどるが、(その「文法」や規則を把握し、それらを複雑な形式的構造としてしまった)専門の音楽家や「達人の」聴取者では左半球が音楽的知覚をつかさどる。
…同じことは、空間や視覚的連関を「素人の目」にはできない仕方で見る画家や室内装飾家にもいえるかもしれない。…あらゆる高度な科学的知能・芸術的知能、あらゆる高度な日常遊戯の技能は、言語と似た機能をもち、言語と同様に発達する表象システムを必要とする。
これらはみな移行が起こって左半球の技能となるように思われる。(p204)
ここでは、達人なるような人は右半球だけでなく、左半球も使うようになると書かれています。
先ほどの芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察でも同様に、画家の創造性について左半球が重要である、ということが書かれています。
仮に自閉症の視覚芸術家の作品に創造性がなく、そうした彼らの作品が正常な右半球の能力を表現しているのであれば、自閉症ではないヒトの場合は、美術の創造性は主として左半球に由来することになる。
右頭頂葉は、3次元の空間と奥行きの適切な表現を含む外界の写実的な表象を支えているが、自閉症の芸術家の美術作品のなかに私たちが見てとるものからしても、右頭頂葉の創造性への貢献は疑わしい。
このように考えてくると、こうした非典型的な芸術家の作品から、健常者の左半球は既存の概念を再構成する能力が高く、右半球よりも独創性と革新を生み出す力が強いといえるのである。(p257)
これは、自閉症のサヴァン症候群の画家と健常者の画家を比べたものです。自閉症の画家の中には、極めて優れた模写能力を発揮する人たちがいることは、以前の記事で書きました。たとえばサヴァン症候群の少女ナディアや、画家スティーブン・ウィルシャーは、信じられないほどリアルな写実絵を描きます。
しかし、そうした人たちの絵は、あくまで写実であり、オリジナリティのある創造性はあまり見られません。
こうした自閉症の画家たちは、言語能力が乏しいため、左脳がうまく働いていないと考えられています。すると、確かに右脳は模写には役立ちますが、創造性を伴う芸術作品を創るには、右脳だけでは不十分だということがわかります。
優れた芸術作品はオリジナリティ豊かですが、オリジナリティを生み出すには、もともとあるものを分解して再構成する力が必要です。つまり「微分」する左脳と、「積分」する右脳、両方の役割が必要なので、芸術家は決して右脳人間ではないのです。
2.画家は実は左利きは少ない
芸術家は右脳人間だという話題と関連して、しばしば誤り伝えられているのは、創造的な人には左利きが多い、という逸話です。確かに天才のエピソードを聞くと、左利きが多いような印象を受けますが、実際の統計は、それとは違ったデータを導き出しています。
1995年に報告されたPhilip Lanthonyによる大規模な研究によると、高名な画家や展覧会で作品がよく展示される画家における左利きの割合は、2.8%である(Lanthony,1995)が、この数字は全人口で推測される左利きの出現率10%よりは明らかに低い。(p183)
この統計では、むしろクリエイティブな画家の左利きの割合は、一般人よりも少なかったのです。
わたしたちが天才に左利きが多いと思ってしまうのは、先入観によるものかもしれません。天才に関するエピソードでは、天才が左利きだった!ということはクローズアップされても、天才が右利きだった、ということはわざわざ書かれません。すると、特殊な例ばかりが目立つので、あたかも左利きが多いように錯覚してしまうのかもしれません。ある情報をよく目にすると、それが頻度の高いものなのだと錯覚してしまう現象は「利用可能性ヒューリスティック」と呼ばれます。
あるいは、過去の研究が間違っている場合もあります。かつては左利きとされていたパブロ・ピカソやアルブレヒト・デューラー、ミケランジェロ、ラファエロなどは、その後の研究で右利きだったと判明しています。(p184)
また、左利きの人が創造的だという説は、左利きだと右脳が活発になる、という推測にもとづいています。実際の調査では、右利きの96%が左半球優位で4%が右半球優位、左利きの70%が左半球優位で15%が右半球優位、15%が両半球優位だったそうです。(p183)
確かに、左利きのほうが、脳の用い方が異なっている率が高いため、ある種の独創性と関連している可能性はあります。しかしそれでも、左利きの7割は、左半球優位であり、普通の人と変わらないのです。
3.創造性とイメージ力はあまり関係ない
最後に、創造性にはイメージ能力が大切、という話題を取り上げましょう。創造性を高めるのに、イメージ・トレーニングが勧められることは多いですが、イメージ(心象)と創造性には、それほど強い相関関係は見つかっていないそうです。
おそらく心象は、創造性を支える要素の一つなのであろう。しかし心象と創造性の関係のメタ解析を行った研究の結果は、両者の関連は決して強いものではなく、また個人差が大きいわけでも課題のパラダイムによる影響が強いわけではないことを明らかにしている(Leboutiller & Marks,2003)。
全体的に見ると、心象の脳内局在についても、心象と創造性との関係についても、まだ結論が得られていないのが現状である。(p253-254)
歴史上の偉人を見ると、レオナルド・ダ・ヴィンチ、アルキメデス、ニュートン、アインシュタインなど、視覚的思考に優れていたとみられる天才は数多くいます。彼らの歴史に残る偉業は、視覚を用いた共感覚によってもたらされた可能性があることは、以前の記事あなたも共感覚者?―詩人・小説家・芸術家の3人に1人がもつ創造性の源で取り上げました。
しかし、それは一部の天才の話であり、イメージ能力が高くなければクリエイティブになれない、というわけではないようてす。個人差が大きいわけでもない、という統計からすると、ある程度イメージ能力があればそれで十分かもしれません。
また、イメージ能力は右脳に由来する、という話もよく聞きますが、ここに挙げた有名な偉人たちは、言語能力や分析力など、いわゆる左脳的な思考にも秀でていました。やはり創造性には左脳と右脳、両方の力が必要だということになります。
創造性は脳全体を使っている
こうした様々な研究を調べると、わたしたちの脳は、左脳が論理的、右脳が芸術的、といった単純なものではないことがわかります。むしろ、最新の画像を使った脳の分析では、創造性を発揮するには、脳のさまざまな場所を使っているということがわかっています。
脳科学の神経神話の中には、もう一つ、「わたしたちは脳の10%しか使っていない」というものもありますが、これも脳の画像分析から間違いだとわかっています。わたしたちは普段の生活の中で脳の10%どころかあらゆる機能を駆使していますし、クリエイティブな思考は、それこそ脳を総動員して初めて形作られるのです。
不思議なことに、事故や病気などで脳を損傷した芸術家たちは、脳の一部の機能を失ったとしても、創作意欲は失わなかったそうです。
抽象的な表現美術で知られるウィレム・デ・クーニングは、アルツハイマー病になって様々な能力を失いましたが、絵を描くことはやめませんでした。(p48)
エドゥワール・マネは、神経梅毒のため、脳が損傷していったと考えられていますが、足の麻痺、過剰な疲労感、痛みなどが生じても絵を描くことはやめず、死の直前にも大作「フォリー・ベルジェールのバー」を描き上げています。(p260)
このような多数の例は、創造性は、脳の一部に宿っているわけではないことを物語っています。
この本では全編を通じて、高名な芸術家は脳損傷の病因や程度にらかかわらず、発症後も芸術産生を続けていくことをみてきた。
このことは芸術的才能と技能は脳内に広く散在して表象されていることを示唆している。
芸術作品を生み出す技能はいくつかの神経ネットワークを喚起すると思われる。
成人の右半球あるいは左半球のさまざまな領域に生じた損傷は、芸術的産生の消失、劣化あるいは消滅をもたらさなかったのである。(p260)
言語や記憶は、脳の損傷によって失われることがあるので脳の特定の領域を用いていることが明らかです。しかし、創造性は、脳のどこか一部が失われても、決してなくならないのです。
それで結論として、芸術的才能についてはさまざまな説が飛び交っていますが、左利きとか、イメージ能力とか、生まれつきの一部の能力に左右されるような限定的なものではない、と考えられます。
創造性には、もっとさまざまな要素が複雑に関係しているので、どんなに優れた天才芸術家でもそのすべての要素を持ち合わせていることはありえませんし、そのような天才芸術家に欠けている重要な能力をわたしやあなたが持っていることだって十分に有りうるのです。
それほど複雑で、脳の全体が関係しているからこそ、芸術はこんなにも豊かで、世界中のあらゆる背景の人に可能性の扉が開かれているといえるでしょう。
わたしの場合は、一般的な尺度からすると、今回挙げた俗説、「右脳派」「左利き」「イメージ能力が高い」にはいずれも当てはまっていないと思います。でも、こうして絵を楽しく描けるわけですし、どちらかというと自分はクリエイティブなタイプの人間だと思っています。
芸術家には何々の才能が不可欠、といった狭い見方にとらわれて、自分には才能がないと思い込み、自分の創造性を自分で縛ってしまわないように気をつけたいものです。
むしろ、人間の脳は、わたしたちの内なる宇宙とも形容されるほど複雑なものですから、探り求めれば未知なる可能性がたくさん眠っている、という冒険心を大切にして、進んで新しいことに挑戦していきたいですね。
▽芸術と左右の脳について
芸術家は左右の脳をどのように使っているのか、というもう少し詳しい話はこちら。