道北の夏の楽しみ方を模索する。天の川を見上げ、生命力みなぎる森や川床を探検した。

なんでこんなに忙しいのか、というくらい、毎日たくさんのイベントをこなしながら生きています(笑) 

スローライフに癒やされるはずが、自然観察や、遠方からの友人のガイドと運転などで、もう毎日クタクタです。充実しているからいいんですけれど!

こうした感覚的体験のひとつひとつが、これからの自分の心身に役立ちます。都会にいたころのように、家のなかにこもっているのではなく、積極的に大自然の中に出ていって、全身で体験することこそ、今のわたしに必要なこと。

自然豊かな湖水地方に引っ越してから、創作がとどこおってしまったビアトリクス・ポターの気持ちがよくわかるこの頃ですが、インプットするだけじゃなくて、アウトプットも大事。

せっかく自然を体験するだけじゃなく、それをせめて文章の形で残しておきたい。今回の記事では、道北の夏に観察した、美しい自然のいとなみを、写真つきで紹介しますね!

初めての道北の夏

道北に引っ越してきて、秋、冬、春と経験しましたが、夏は初めて。

引っ越してくる前「北海道に旅行するなら夏がいいよー」とオススメする人がよくいましたが、住んでみると、夏はけっこう過ごしにくいです。

北海道といっても、とても広いので、地域によって夏の気候はぜんぜん違います。

わたしが住んでいる道北の内陸部は、年間の気温差が60℃近くあって、夏は日中30℃を越えて、冬はマイナス30℃にもなります。

その寒暖の差が、得も言われぬ美しい自然のメリハリや、健康的に身体づくりに役立ちます。でもやっぱり30℃を超えるとちょっとつらいです。冬が恋しくなるくらいには。

それでも朝晩は18℃くらいまで下がって涼しいし、家の中は断熱が効いているので、今年はこれまで、クーラーはつけていません。人生ではじめての、クーラーを入れない夏!

窓を開けて扇風機をかけるだけで十分。このあたりは犯罪もないので、ほとんどの人が夜中も窓を開けて寝ています。クルマも空調は使わず窓全開で走ります。

そんな夏の道北ですが、自然の美しさはどうかというと…

カラッと晴れた青空の下、緑いっぱいの山や森は美しい。美しいのだけど…それよりも、植物のパワーがすごすぎて、圧倒されてしまう感じです。

冬は除雪が大変な地域だけど、夏は楽かと言ったら、そんなことないんです。夏は夏で、際限なく繁茂してくる草刈りが忙しい。

道路わきから無限に生えてきますし、エゾニュウやイタドリみたいに、人間の背丈より大きくなる草もたくさん!

都会にいたころは、公園の芝生くらいしか見てなかったので、草なんて背丈が低いものだと思っていましたが、全然そんなことないんですね。草刈りしないと、うっそうと茂って立ち入れなくなるのが自然の力。

自然の中を冒険するゲームを遊んでいたとき、森の中でも背丈の低い草の中を探検していけるんですが、こっちに引っ越してきて、あれがゲーム的な「うそ」だとよくわかりました。

誰も手入れしてない森なんか、背丈より高い草が生い茂るヤブになっているので、ゲームみたいに入ったりできません。ヤブの中で方向感覚がわからなくなって遭難するなんてよくあることですから。

でも、それなら人間が草刈りしないと自然は成り立たないのかというと、本来はそういうわけじゃないはず。

たとえば、失われた、自然を読む力にも書かれているように、公園に野生動物や家畜が共生していたら、草を食べてくれます。昔は草刈り機なんていらなかったはずなんです。

アメリカのところどころで、イヌをリードから放すことが違法となっている公園がある。

…イヌが問題になっている地域を見つけるには、法律違反者より動物の習性をよく知っていなければならない。

公園のイヌはシカが自由にうろつける地域を避けるので、下生えの高さは、誰かが常習的に法律を無視している地域の手がかりとなる。

イヌがリードにつながれている場所では下生えは食べられて低くなるが、イヌが放されている場所では下生えが成長して高くなる。(p258)

わたしが去年通っていた自動車教習所でも、敷地内の草刈りをする代わりに、ヤギを放牧していました。天然の草刈り機がちゃんとそこにあります。

こうした自然と共生する知恵、ムダなく循環する仕組みを人間が破壊してしまったせいで、夏はずっと草刈りしなくちゃいけなかったり、冬はせっせと雪かきしなくちゃいけなかったりするのは、嘆かわしいことです。自然は最初からうまくできているのに。

そんな草木が繁茂する、緑のエネルギーに満ち満ちた道北の夏は、最初、わたしにとっては、気圧されるような空気感でした。

秋の色とりどりの衣替え、冬の雪に包まれた静かな美しさ、春のはかない花畑、それらの繊細な魅力に比べると、夏の大自然はパワーがありすぎて、病みあがりのわたしは、くらくらしてしまう。

だから、ちょっと道北の夏は苦手で、内心、はやく秋が来ないかなぁ…と思っていました。でも、毎日のように自然の中を散歩していると、夏には夏ならではの魅力があることがちょっとずつわかってきた。たとえば…

満天の星空を楽しめる最適なシーズン

ここ道北は、日本でも有数の星空が鑑賞できる場所です。

世界中の光害を分析した、Light pollution mapで見てみるとよくわかりますが、日本で、ボートルスケールクラス2のほぼ汚染されていない星空を見れるのは、北海道では道北くらいしかありません。

というのも、道北以外の場所は、ほとんど観光地化されているから。自然保護で有名な知床半島のような道東も、すっかり観光地になってしまい、光害が蔓延しています。

それに比べると、道北は、旭山動物園がある旭川や、北の最果ての稚内は観光地になっているものの、そのあいだの地域は観光空白地帯。ほぼ手つかずの大自然が残されています。

わたしが住んでいる町でも、自転車で家から5分走って町外れまで行くだけで、なんとこんな星空が見れてしまいます!

30秒ほど露光撮影した写真なので、肉眼で見るよりくっきりした写真になってはいますが、肉眼でも天の川が見えますし、今の時期だと金星や土星などの惑星、そしてサソリ座、ハクチョウ座、カシオペア座、北斗七星や北極星がはっきり見えます。

この写真を撮った場所は、まだ町の近くなので、ボートルスケールでいえば、3から4くらいです。本物の星空には程遠い。

ならば、もっと山奥に行けばどうなるのか。よく晴れた日の夜、細心の注意を払いつつ、近所の山まで、15分くらいかけてドライブしてみました。たった15分ですが、まだ免許とって3ヶ月の初心者マークの身ではこれが限界。

北海道の夜の山道は、道路灯がないので本当の真っ暗です。道路灯の代わりに、自前のヘッドライトで道路に設置された反射材が光るのを頼りに走ることになります。

たった15分走るだけでも、闇の中を走り回るキツネやタヌキ、シカなどの野生動物をけっこう見かけます。だから、決してスピードを出してはいけません。40キロくらいで、恐る恐る走っていきます。

そうして、街明かりから離れた山の中のパーキングに到着して、ヘッドライトを消す。

すると、その瞬間、車内が完全な「闇」になります。この真っ暗闇の感覚は体験してみないとわかりません。心底びっくりしてしまう。

手持ちランタンの明かりをつけて、周囲の安全を確認しながら、恐る恐る外に出てみると…

こんな無数の星が頭上を埋め尽くしています!

いや、写真ではまったく感動が伝わらないのが、ひどくもどかしい。体験した感動の1パーセントも伝わらない。

この場所で、だいたいボートルスケール2から3の間くらいでしょうか。

わたしは去年のブラックアウトのとき、ボートルスケール1の本物の夜空を見ましたが、それにかなり近い星空だと思いました。大停電などなくても、ここまで畏怖を覚える星空が、家から15分のところで見られるなんて!

真っ暗闇に包まれた夜の山のパーキングエリア。森の中から、無数の生き物の不思議な鳴き声が響き渡り、カサコソと何かが動き回り、何かがモシャモシャと食事をしている音まで聞こえる。

そんな涼しい夏の夜に、人里離れた満天の星空を見上げるひとときは、たった数分でありながら、悠久の時を感じさせる体験です。

自分がいかに小さく、世界がいかに大きいかを実感します。この果てしない広い宇宙の中で、塵のようにちっぽけな自分が空を眺めている。日々の疲れやストレスが吹っ飛んで、畏敬の念に満たされます。

日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめはに引用されている、アメリカの作家ヘンリー・ベストンのこの言葉がよぎります。

夜を敬うことを覚え、むやみに怯える気持ちを追い払え。

なぜなら人の体験するさまざまな事柄から夜を追放してしまうと、同時に宗教的感情や詩情など、人間性の探究に奥行きをもたらすものまでが消えてしまうからだ。(p357)

都会に住んでいたら、こんな心揺さぶる体験をするためには、いったいどれだけ高額な料金を払わないといけないのでしょう。ちょっとセラピーを受けるために、何万円もかかるのに、本当の癒やしなんか得られない。

それを思えば、晴れた夏の夜なら、自分の好きなときにいつでもこの満天の星空を見に来れる、今の住まいのすばらしさを実感します。しかも無償で、この雄大な眺めを味うことができるのです。

夏は、日中暑いけれど、夜はとても涼しく、シャツ一枚で出歩ける快適な季節。だから、星空鑑賞にぴったりです。

夏の夜の星空の楽しみ方を知ったおかげで、夏には夏のすばらしさがあることがよくわかりました。

その日その日で星空の印象も変化し、満月の夜は家のすぐそばの町中でも、うっとりする絵のような月明かりが楽しめます。

わたしは毎晩、一日の疲れを癒やすために、家からすぐそばの小さな丘に歩いていって、草原にしゃがみこんで耳を澄まします。雨降りの日もありますが、しとしと降る雨がかえってほてった肌に心地よかったりします。

夏の夜の無数の虫たちが思い思いの音を奏でています。名前も知らない虫たちだけど、そのオーケストラの心地よいことと言ったら。都会のコンサートに出かけるより、よっぽど心が癒やされます。

疲れている日には、30分から1時間くらい、そうやって夜の草原を散歩します。町の中なのでクマなどの危険はありませんが、時々、キツネなどの野生動物が走っていくのを目にします。警戒心が強いので向こうから逃げていきますが。

ぶらぶらと夜の草原を散歩して、帰ってくるころには、すっかり気持ちがリラックスして癒やされていて、こうして心地よい眠りにつくことができます。

道北の夏の夜はなんて素敵なんでしょう。

夏の森を楽しむ万全の装備とは?

じゃあ、昼間のほうはどうなのか。暑くて過ごしにくいだけなのか。

まあ、率直にいうと、30℃まで上がる日は、かなり暑くて疲れます。

なまじっかクーラーなしでも大丈夫なので、窓を全開にして自動車を運転していますが、運転席の直射日光はきつい。日焼け止めしていても、顔や腕がかなり焼けました。

夏は北海道では畑の収穫シーズンなので、近所の農家さんのお手伝いとして駆り出され、アスパラ収穫やニンニク掘りもしました。肉体労働なんて無縁の人生だったわたしにはかなり重労働でしたが、心地よい疲れで楽しかったです。

今年の春は、森の中で植物観察していたわたしですが、夏の森はエネルギーがありすぎて、生半可な気持ちでは入っていけません。

春はまだ虫が少なく、草もそんなに生えておらず、美しいスプリング・エフェメラルの花畑やおいしい山菜が目白押しの森ですが、夏はそうはいかない。

うっそうと茂る、おばけみたいな大きさの草に囲まれ、アブやマダニや、巨大なクモがあちこちで精力的に活動しています。目立った花もなく、森は近寄りがたい雰囲気に包まれます。

だから、夏になってからは森から足が遠のいていたんですが、Mont-bellでしっかり装備品を整えて挑むことに!

まずはツルツルした素材の服で、マダニがくっつくのを防ぎます。上下ともに、ヤッケと呼ばれるレインコートみたいな服を装備! 一見暑そうですが、森の中は夏でも涼しいので、汗だくにはなりません。

開口部から虫が入ってこないように、首にはタオルを巻いて、手首はしっかり締めて手袋をつけ、足首は靴下の中に裾をはさみこみます。

靴下はウール素材のふかふかしたものを履いて、足への衝撃を和らげます。靴は登山用の靴底が硬めのものを使えば、疲れにくいようです。

(でも失われた、自然を読む力によると、ボルネオのダヤク族みたいなジャングルの中を歩く人たちは、底が柔らかい靴でしっかり地面をつかめるようにして、難しい地形を歩くそうですが。p329)

また、ゲイター(登山用スパッツ)と呼ばれる脛のあたりにつける足カバーを装着すれば、虫が靴の中に入ってきたりするのを防げます。冬場もこれで雪を防げるらしい。

ゲイターをつけているだけで、ヤブの中にどんどん気にせず入っていけるので、非常に便利です。個人的にはヤッケと並んで、夏の森の必須品だと思いました。

あとは、いつも使っている目全体を覆うサングラスや帽子も大事。虫や日差しから顔を守ります。

そうそう、もちろん熊よけの鈴も携帯します。ひとつだけだとちゃんと音が鳴りにくいので、いろいろな形の鈴をジャラジャラと複数つけるのがおすすめ。

こうして万全の装備を整えてみると、あれほど近寄りがたかった夏の森があらふしぎ、虫や草を気にせず、ズカズカと踏み込んでいけるようになりました。

雨の次の日は森が生き生きしている

森に行くタイミングは、雨が降った次の日がいいかも。雨が降った後だと、虫が少ないし、植物やキノコなどがとても生き生きとしているからです。

日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめに書いてあったとおり。

キノコの愛好家も、時間との勝負だ。日照りが続いたあとの雨上がりには、森へ駆けつけなければならないからだ。

地上に顔を出すキノコは氷山の一角で、ごく短時間現れたら、あとはほとんどが地下にもぐってしまう。

そこでキノコは地球上で最も長い有機体をなしている。言い伝えによればキノコは雷に誘われて出てくるという。(p54)

キノコは、雨、雷などの刺激に誘われて出てくるそうです。アイヌの伝承でも、クマが歩いた後にキノコが出ると言われていて、振動が呼び水になるのだとか。

今回、森の中を歩いて、もう数え切れないくらい多様なキノコを発見しましたが、そのほんの一部だけの写真を載せておきますね。

まずこれは、キツネノサカヅキと呼ばれる、小指の先ほどの可愛らしいキノコ。

キツネというよりアリの杯サイズですね。よーく目を凝らして地面を探すと、こんな可愛らしい生き物がたくさん息づいています。

森の地面にはほかにも名前のわからないキノコがたくさん。キノコのアマチュア研究者だったビアトリクス・ポターなら、これら全部の名前がわかったんでしょうか。ぜひ一緒に散策してみたかった。

本物の自然を観察して描く。そうやってポターとダ・ヴィンチは芸術家また博物学者になった
ピーター・ラビットの作家ビアトリクス・ポターは、本物の自然をじっくり観察して描くことで、博物学者になった。

このスカートの裾に白いフリルがついたようなキノコはコナカラカサタケモドキかな?

こっちのつややかに光っている大きなキノコは…なんだろう?

これはコガサタケ? なんとなく毒がありそうな…

このキノコはこれから開いて大きくなるのかな?

キノコも成長段階によって形が違うので、なかなか特定するのが難しい。コガネキヌカラカサタケに似てるけど、ここ北海道だしなぁ。

それにしても、この最後の写真なんか、とっても色とりどりだと思いませんか? 赤、黄、緑と虹色のグラデーションが美しい。

森の中って、よく見れば、紅葉した秋じゃなくても、色で満ちているんです。

日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめに書いてあるように、都会人は人工林しか見たことがなく、原始林を知らないせいで、森は色や形が単調だと誤解しがちです。

森にはもうひとつ別の、ふさわしいとはいいがたいレッテルがある―単調さというレッテルだ。

たしかに植林した森は均質になりがちだが、自然林(つまり古い森)はどれも途方もなく豊かで、どこを向いても多様しいう以外の表現の入る余地などないほどだ。(p209)

わたしも森をよく知らないころは、森の絵を描くとき、ついつい緑一色をベースに塗ってしまいがちでした。でも、今ならもっと色とりどりに、もっと有機的に描くと思います。なんとか絵を描く時間を見つけねば。

そしていつもの地衣類も。

地衣類、苔、キノコがびっしりとついている樹木の肌。

都会に住んでいたころのわたしは、こんな樹木なんて見たこともありませんでした。地衣類、苔、キノコはみんな汚染に弱いから、都会の木にはついてないんです。

大自然の森の中の木々は、こんなに色とりどりの衣服を身にまとっているのに、わたしは丸裸の木しか知らなかった。

ここに引っ越してきて本当の自然の姿を知ったので、これからは、森の絵を描くときには、木々にちゃんと衣服を着せてあげて、たくさんの地衣類や苔を描きたいです。

雨上がりの森の中にはキノコや地衣類だけでなく、こんな不思議な生き物も。

たぶん、粘菌のクダホコリの子実体ですよね。まるでウニみたい。こんな色鮮やかな不思議な生物が、森の中のあちこちにみられます。

瑠璃色、メタリックブルーのツバメオモトの実も。

正面から見るとツバメの顔に似てるらしいけど、ツバメの顔がよくわからない(笑) 食べても人間にはあまりおいしくないそうです。

こっちの金属じみた光沢の実はなんでしょう。たぶんユキザサとかマイヅルソウあたりの赤くなる実だと思うんだけど。

そしてこちらはウドの花。幾何学的で美しい。春には山菜としてお世話になりました。来年もまたウドの天ぷらを食べたいな。

満開のツルアジサイも撮りました。

去年の7月の夏に一時旅行で遊びに来た時に、木の幹にアジサイが巻き付いてる!とびっくりしたのを覚えています。人間の二の腕ほども太いツタで木に巻き付いて登っていくんです。

森の生き物たちと触れ合う

ここまでは植物とか菌類とかが中心でしたが、もちろん、両生類や虫など、他の動物たちもたくさんいます。

池で見かけたのはエゾサンショウウオの子ども。

春に来たときは、卵だったのが、かえって大きくなりました。今はまだオタマジャクシっぽい形ですが、しだいに手足が大きくなってくるんでしょう。  

森の中をピョンピョンと跳ね回る、エゾアカガエル。うまく捕まえてくれたので写真に撮ることができました。

貴重な北海道の固有種で、夜になるとあちこちの池で合唱しています。今年は雨がなかなか振らなかったので、ところどころ干上がってしまい、カエルがいなくなっていましたが、昨日の大雨で息を吹き返したようです。

日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめに書かれているように。

こうした雷雨は天候の変化の先頭を切ってやってきて、自然はちゃんと呼びかけに応える。

オーストラリアでは、涸れた水溜まりを嵐が潤し、ライヒハートの周り中で「無数の小さなカエルが息を吹き返し、絶え間なくげろげろ鳴いては喜ばして天候の変化に満足を表わした」。

嵐が去っても大地は長い間そのリズムに共鳴し、キノコがにょきにょきと顔を出し、あたりには水かさの増した滝が、まるで初めて誕生したかのように岩を叩いてほとばしる音が満ち満ちた。(p169)

雨水に湿った大きな木の切り株の上には、小指の爪サイズのカタツムリの赤ちゃんがたくさんいました。こんなにちっちゃいのに、よくよく顔を近づけて観察したら、ちゃんときれいな渦巻きの貝殻なことに驚きです。

森の中の笹の葉には、こんなに大きなクモもいました。写真だとちょっと大きさが伝わらないけど、500円玉大くらいですね。

これは北海道にいろんな種類が棲息しているオニグモの一種。模様からするとキバナオニグモなのかな? 自信ないですが。

去年9月ごろに北海道に来たときにびっくりしたのは、こんな特大サイズのクモがあちこちにいること。町中でも500円玉くらいの黒いオニグモがあちこちに巣を張っています。

もちろん、タランチュラみたいな巨大グモからしたら小さいほうだけど、都会ではクモというと大きくても豆粒くらいなので、見たことがありませんでした。

北海道にはゴキブリがいない代わりに、大きなクモがあちこちにいる、と学びました。

こちらは光らないホタル。たぶんベニボタルの仲間でしょう。

そしてあちこちの木の葉っぱに見かける、この白い泡の塊みたいなものは、アワフキムシの幼虫が住んでいるようです。自然界っておもしろい。

こんな写真をアップしていると、わたしは虫や両生類が平気な人なのかと思う人も多いでしょうが、ぜんぜん違います。もともと都会育ちのわたしは虫も触れないし、怖くて逃げ回っていました。

でも、前にも書きましたが、こっちに引っ越してきて認識がちょっと変わってきたんです。自然の風景、たとえば、草原や森で虫を見かけると、ぜんぜん怖いと感じなくて、おもしろい、もっとよく見てみたいと思うようになりました。

これはきっと、背景のおかげだと思っています。虫は都会のコンクリートや、家の中という異質な背景のところにいると気持ち悪くて不快なんです。

でも、それが本来いるべき場所である自然界の中にいると、背景と調和していて美しいんです。

これについては、デヴィッド・ジョージ・ハスケルは、ミクロの森: 1m2の原生林が語る生命・進化・地球の中にある説明から裏づけられます。

ショウジョウコウカンチョウや、アカフウキンチョウは、環境から切り離された図鑑の中で見るとけばけばしさが目立つ。だが森の沈んだ緑色の中では光のスペクトル中、赤の部分が弱い。

「華やかな」赤い鳥も、森の日陰では沈んで地味な色調に見えるのだ。

…カモフラージュ(隠蔽擬態)している動物は、まわりの環境の色相や明暗に合わせるだけでなく、その表面の質感も、背景のリズム感やスケール感と同じでなくてはならない。

周囲の環境の見え方と少しでも違えば視覚的な不協和音が生まれ、擬態に失敗するかもしれない。(p256)

これは鳥や虫の擬態についての説明です。鳥や虫の色、模様、形は、環境とセットで発達しています。

だから生息環境の中で見るとよく調和しているのに、そうでない場所では、けばけばしくて気持ち悪く見えてしまいます。

わたしが森の中で虫を見ても気持ち悪くないのに、都会のコンクリートや家の部屋で見たら気持ち悪いのはこれが理由でしょう。虫の色や形は、自然界という背景と調和していなければ「不協和音」なのです。

ビアトリクス・ポターはキノコの絵を描くとき背景を大事にしましたが、自然界は背景込みで美しいものだとわたしも思います。

本来動物や植物がいる自然界という背景から切り取って、それ単体で動物園や植物園につれてきても、美しさが伝わりません。

コンクリートの地面で寝そべるライオンと、サバンナを駆け回るライオン、どっちが美しいかなんて言うまでもありません。

虫や両生類も同じで、自然のただ中にいる場合は、気持ち悪さより美しさのほうが勝るのです。

ウェダーで川の中を歩く!

そうそう、森だけじゃなく、川も楽しみました。

ウェダーという、胸元まで覆う長靴みたいなものも買ったので、それを着込めば、川の中を歩くことだってできます。まだ一回試しただけですが、これもとても新鮮な体験でした。

歩いたのはこんなところ。天塩川の支流ですが、人間による護岸工事などが入っていない、自然そのままの原始河川です!

水はこんなに澄み切っていて、そのまま飲めそうですよね。エキノコックスなどが怖いのでさすがに生水は飲みませんが。ヤマメ、イワナ、サクラマスなどが釣れる川だそうですよ。

水面に反射する木漏れ日のフラクタル模様がなんとも美しい。森の色とりどりのグラデーションが写り込んで、とても幻想的な色合いです。こんな光の反射が巧みな風景は、まさに絵に描いてみたくなりますね! ああ時間が足りなくて辛い。

森の中を歩いたときと同じように、川の中を歩いたときも、色とりどりの不思議な生き物の数々が彩ってくれます。

川に倒れ込んだ倒木の裏側をのぞきこむと、必ずたくさん生えている、おいしそうな抹茶色をしたカワラタケ。食べないけど。

このマイタケみたいなヒラヒラしたものはなんだろう。たぶんキノコじゃなくて、地衣類ですよね。見た目はアオキノリっぽい気がする。

これは粘菌っぽいけど…なんだろう? ツノホコリの仲間だろうか。タマサンゴホコリとかタマツノホコリとか。白いのは写真撮る時に露光を調節しないとディテールが飛んじゃいますね。

このネバネバっとくっついているぽいものも、多分その関係の何かなのだろう…。種類特定は本当に難しい。

地面が割れて顔を見せているメノウ?の層。宝石ってこんなふうにして、地面の中で作られているんですね。面白い。

川岸に生えていた、わたしが好きな、いつものジャゴケ。ヘビ革みたいな表面をした苔の一種です。

湿気のあるところを好むだけあって、川岸には今まで見たことがないほどのジャゴケが繁茂していました。

さすがに近くでみるとゾッとしますが、そのキモかわいさがいいんです(笑)

川岸には、山菜ギョウジャニンニクの花が散った後の種も見られました。

ギョウジャニンニクは、北海道の一部の観光地では乱獲が問題になっていますが、さすが道北の観光空白地帯。あちこちで大きくなったギョウジャニンニクが花を咲かせて、実を結んでいます。

このへんは観光客もいないし、手付かずの大自然が残っているし、そうそう乱獲されたりしないでしょう。人跡未踏の奥深い森林地帯もかなり多いですし。また春になったら山菜をいただきたいですね。

川床を歩くなんて、北海道に来るまで考えたこともなかったけれど、やってみると本当に楽しいです。森を歩くよりもさらに大自然の中なので、危険にも注意が必要ですが、まるで探検家になった気分です。

ウェダーを着て、川を探検する自然観察は、まさしく夏ならではの道北の楽しみ方だといえるでしょう。

自然の力強さに圧倒され、パワーをもらえる道北の夏

わたしは多肉植物が好きで、都会に住んでいたころから植物園の多肉植物展に行って、ハオルチアなどを買ってきて育てたりしていました。見た目が美しく、水をめったにやらなくてもいい多肉植物は、めんどくさがり屋のわたしにぴったりです。

北海道に来てみると、おもしろいことに、道端のあちこちに多肉植物が大量に群生しているのを見かけました。たとえばこれはセダムの仲間のマンネングサ。

ぷくぷくとした見た目と虹色がかわいい! 都会だとこれ、多肉植物で買ってきて、プランターで育ててたんですよ! それが北海道ではそこらじゅうに自生しているなんて! なんとうちの庭にも植えてもないのにたくさん生えてました(笑)

夏になると、シロバナマンネングサの花もたくさん咲きます。

都会で、プランターで育てているときも、美しいとは思っていました。でも、こうやって自生している多肉の美しさには到底かないません。

プランターや鉢植えなんて、檻の中のコンクリートに寝そべるライオンと同じだ、と感じました。本来あるべき場所から切り取って持ってきただけの、ただの作り物や見せ物。地面にじかに植わってすくすくと育っている植物こそ本当の魅力がある。

ついこの前、道端で、こんなとんでもない多肉も見かけました。もう咲き終わった後だとは思うけど、このタコみたいな巨大な花の塊はいったいなんだろう?

たぶん、センペルビウム属(バンダイソウ)の花だとは思うんですが、こんなに狂い咲きしているのは初めて見ました。確か高山に分布する種類なので、道北の気候が合っているんでしょうか。

にしてもパワフルに咲きすぎです。ここ道北では、アスパラは太いし、ウドやエゾニュウはでかいし、イタドリやギシギシはいくら草刈りしてもすぐに大きくなるし、自然のパワーには本当に圧倒されます。

わたしたち都会の人間が失ってしまった生きる力を、道北の植物は身をもって教えてくれる気がします。そのすさまじいまでのエネルギー、生命の力を実感させてくれるのが、ここ道北の緑あふれる夏なのです。

都会生まれ、都会育ちのわたしは、そのパワフルさに圧倒されて、はやく夏が終わらないかな、なんて思っていました。

でも、それを楽しめるようになってきてからは、ちょっとパワーを分けてもらえた気がします。このみなぎる力に触れれば、きっと少しずつでも体調が上向いていくだろう、そう信じられました。

まだ初めての夏。野生の生き物の力強さの片鱗をちょっと味わっただけにすぎず、もうすぐ夏も過ぎ去ろうとしています。

それでも、この貴重な体験をよく覚えておいて、来年、再来年、もっと夏を満喫できるときを楽しみにしたいと思っています。

投稿日2019.07.27