光り輝く道がある
森のかなたへ続いてる冬はふかふか雪の中
春は柔らか芽を出して
夏はぐるぐる生い茂り
秋は燃え立つ虹色に季節ごとに彩られ
いつも飽きない宝箱光と色の交差点
木の実とキノコのフェスティバルずっとずっと続いてる
どうぶつたちも歩く道命と命が手をつなぎ
はるか未来へ伸びているぼくらもそこを歩くなら
知らない世界へ行けるだろう
ウェンシリ岳とキノコ狩りをイメージした絵
なんとか今年も、来年の挨拶のための絵を描き上げることができました! 最近は年に一枚しか絵を描いていませんが、これだけは楽しみにしてくれている友人もいるので、絶対に仕上げなければなりませんでした。
大切な冬のシーズンなので、もっと森歩きなど楽しみたいのに、なかなか完成せず、もどかしい思いをしました。一時は完成しないかとさえ思えたので、年内に仕上げることができてホッとしています。
この絵は今年秋に登ったウェンシリ岳の原生林の紅葉をイメージしました。後にも先にも、あれほど美しい紅葉の中を歩いたことはありませんでした。
目で見た美しさにはもちろん、写真の風景にさえ及びませんが、今できるベストを尽くして表現したつもりです。
現実の風景や植物を参考にしたとはいえ、いつもどおり絵の構図や構成はすべて空想からつむいだものです。空想だからこそ、手前でキノコ狩りしている様子と、奥の山々の風景とを一枚の絵に盛り込むことができます。
今年、森歩きをしながら、たくさんキノコ狩りを楽しんだので、これもぜひ絵に描き入れたいと思っていました。楽しそうな様子が伝わるでしょうか。
キノコ狩りといえば、その昔、まだキノコ狩りなんて体験したこともない頃、それをモチーフにした絵を描いたことがありました。まだ絵心教室で描いていた2014年2月23日の絵でした。
当時も今も虹色のグラデーションは同じですが、絵の細かさは全然違いますね。昔の絵も大好きです。
迷走に迷走を重ねて完成しないと思った
日記のほうで進捗をつづってきましたが、下書きを描き始めたのは10月21日でした。それから、キノコの記事を完成させるのを優先したために少し間が空きましたが、ちょっとずつ描き進めて、本格的に塗りのステップに入ったのが12月22日くらい。
過去の経験からすると、線画が完成したら50%くらいの進捗状況だと思っていたので、それほど難なく完成するだろうと楽観視していました。
かなり描き込んだ細かい線画です。ここまで細かいディテールを入れたのは、実際に知っている植物を題材にしたからです。
全体の風景はウェンシリ岳で見た目が覚めるような紅葉をモチーフにしています。右側の紅葉した複葉の樹木はミヤマナナカマド、左側の黄葉はオガラバナ。その他、ヤマドリゼンマイ、オオカメノキ、カワラタケなど実際に見た物をたくさん盛り込みました。
完全な空想ではなく実物をモチーフに描いているからこそ、細かいディテールと色が決まっているため、線画も細かく色付きになりました。
でもそれが迷走につながる落とし穴となりました。日記に書いたとおり、先の見えない迷路に迷い込んでしまい、どう塗っても完成する気配が見えず、永遠に進捗50%の状態に。その時の状態がこれ。
見てのとおり、近景は非常に細かく塗り分けています。もともとの線画が非常に細かいので、ここまで塗るだけでも大仕事でした。そんなに頑張ったのに、色が全体的にちぐはぐで、絵面ものっぺりしていて、全然魅力的に見えません。
この時、意識していたのは、近景は暖色、遠景は寒色という空気遠近法で虹色のグラデーションにまとめるということ。
虹色の配色で塗れば完成はすぐだと思っていたので、こんなに色合いがおかしくなるとは思ってもみませんでした。
手前は濃い色に塗り、遠景は薄い色で塗るというセオリーも意識していました。そのとおりに塗ったはずなのに、立体感が出ず、のっぺりしてしまうのはなぜなのか分からず混乱しました。
ここから10時間くらいは迷走したと思います。どうやっても改善しないので、もうこの絵は失敗だと認めて、いちから描き直すべきではないか、とまで考えました。
でも、この絵がこれほど魅力に欠けるのは線画ではなく塗りのせいだと気づいていました。いったい、この塗り方のどこがいけないのか、どこに原因があるのか突き止めたい、という思いに突き動かされて試行錯誤を続けました。
やがて、線が主張しすぎだと感じたので、塗りに合わせて線画も水彩で描き直しました。あの細かい線画を描き直したわけなので、相当な労力がかかりました。
また色のコントラストのメリハリを少なくして、なじませてみました。かなりバランスがよくなりましたが、まだ納得のいく絵になりそうな気配はありません。
色のコントラストを少なくして馴染ませたおかげで、全体のまとまりは改善しましたが、これだと単なる派手な虹色の絵です。観光地のお土産屋さんとかに売ってそうな安っぽい絵に見えてしまいます。
手前の風景をもっと暗くしてみたらどうだろうかと考え、遠景にも、周囲を暗くするビネット効果も取り入れてみましたが、あまり手応えは感じませんでした。
一度、光明が見えたと思ったのに、また迷路にはまり込んでしまいました。どうしてもうまくいかないので、再びこの絵はお蔵入りにしたほうが良いのではないか、と考えはじめました。
もしかすると、望みのない絵にいつまでもこだわって、埋没費用の誤りに陥ってしまっているのではないでしょうか。つまり、これまでかけた何十時間もの労力をもったいないと思うあまり、無駄な試行錯誤を続けているだけなのでは?
もしこのとき、ほかに絵のアイデアがあれば、この絵はあきらめて新しく描き始めたことでしょう。でも幸か不幸かアイデアは欠片もありませんでした。
今から来年の挨拶のために新しい絵を描き始めるのは無理だと思ったので、なんとしてでもこの絵を完成させるしかありません。
原因は低コントラストと色の恒常性だった
そこで、なにかヒントがないかと思い、一般の風景画を幾つか見て塗り方を観察しました。
・低コントラスト症候群
まず絵の手前側や人物は、もっと濃い色で塗っていることに気づきました。
今回の絵では、空気遠近法を意識して描いたので、手前は濃く塗っているつもりでしたが、全然濃さが足りなかったようです。
絵に自信がないと、コントラストが弱くなる傾向があります。わたしはそれを「低コントラスト症候群」と呼んでいて、昔からたびたび悩まされてきました。料理に自信がないと味が薄くなるのと同じ現象です。
手前を濃く塗ると逆光のように真っ黒になってしまい、せっかく描き込んだ細かいディテールが台無しになってしまうのでは?という不安がありました。
また、ナナカマドの葉のような赤いものを濃く塗ると茶色になってしまって、紅葉ではなく枯れ葉に見えてしまうのではないかという懸念もありました。
でも、実際に塗ってみると、そうはならないことがわかりました。
まだ彩度が濃すぎて派手ですが、ようやく立体感や奥行きが出てきました。この段階に至ってやっと、これなら完成させられる!という確信が持てました。
確かに、ナナカマドの葉だけ茶色に塗ってしまうと枯れ葉に見えるかもしれません。しかし周囲の色も濃く塗って調和をとるようにすれば、脳がちゃんと補正してくれます。
ただの茶色い葉ではなく、暗がりで影になった赤い葉だと認知してくれるのです。それは、次の項で書く「色の恒常性」が働くからです。
・色の恒常性の問題
もうひとつ気づいたのは、一般の風景画では、色選びが工夫されているということでした。
今回の絵は、なまじリアルで知っている植物を描いているせいで、印象による色に引きずられて塗ってしまっていることに気づきました。
例えばトドマツの葉は緑色だという先入観があります。それで、最初の迷走段階の絵では、トドマツを何の疑いもなく緑に塗ってしまいました。でもどう考えても背景から浮いています。
同じように、ナナカマドの葉は赤色、シダは緑色、オガラバナは橙色、というように、印象による色に引きずられて塗っていました。そのせいで、子供の塗り絵みたいな、ちぐはぐな色合いになってしまっていました。
なぜそうなるのか。それは、印象による色と、本当の色は異なっているからです。色はその空間の光によって変化します。
例えば、わたしたちは、リンゴは赤いものだと思っています。昼間の明るい光のもとで見るリンゴはもちろん赤いですが、夜のランプの明かりのもとで見るリンゴも赤いと認識してしまいます。
でも、もしその場で写真を撮って、リンゴの画素を調べてみたら、赤いはずがありません。ランプの明かりのもとに置かれたリンゴの色は、茶色や紫色になっているはずです。
それでも、脳はいつもどおり赤いと認知します。これは「色の恒常性」と呼ばれます。日常生活を送る上では色の恒常性は便利です。どんな場所で見てもリンゴをリンゴだと認識できるからです。
しかし絵を描くときには、色の恒常性はやっかいです。光源や影によって本当の色合いが変化することを無視して、夜のランプのもとに置かれたリンゴを赤く塗ってしまうと、背景から激しく浮いた絵になってしまいます。
同じことがわたしの絵にも言えました。
真っ先にトドマツを緑に、ナナカマドを赤に塗ってしまったのは間違いでした。黄色っぽい陽光の下であれば、トドマツもナナカマドの葉も実際には黄みを帯びます。
絵心教室でビンス先生が教えてくれたことですが、物体の色は周囲の物の反射光によっても変化します。隣にある物や空間全体の色が影響します。だからトドマツだからといって決して緑に塗ってはならず、周囲との調和を考えて、色を調整して塗らなければなりません。
完成した絵を見ると、トドマツは緑、ナナカマドは赤に見えると思います。でも、実際に使っている色は緑や赤ではありません。トドマツは黄土色、ナナカマドは茶色で塗っています。
しかし色の恒常性が働いて、周囲の色から認知が補正されるので、黄土色が緑に、茶色が赤に見えます。
これと似た話が、人間の静脈でもいえます。静脈は教科書などでよく青色で描かれていて、実際に目で見ても青緑色っぽく見えます。でも、写真で画素の色を調べてみると灰色や薄い肌色なのだそうです。周囲の肌色との対比で青っぽく錯覚してしまっているということです。
だからもし、人体を描くことがあって、静脈を青で塗ってしまったら、最終的に絵から浮いてしまって変な色合いに見えると思います。トドマツを緑で塗ると周囲から浮いてしまったように。
印象による色ではなく、周囲と調和した正確な色で塗らないと、配色がちぐはぐになります。
今回の絵は、まさに静脈を青で塗るのと同じようなことをしていたせいで、めちゃくちゃな配色になってしまい、露頭に迷ってしまいました。
今まで、わたしの絵は、あまり色の恒常性の問題に直面しませんでした。なぜなら空想から作り上げた絵を描いていたからです。空想のものは、何色か決まっていないので、必然的に周囲の色との調和を優先して色を塗ります。
たとえば、昔描いた「ぼくらのまち」の絵は、今回と似た配色で、近景から遠景にかけて虹色のグラデーションで塗っていますが、木も花も全部空想で好き勝手な色に塗っていたので、特に色の恒常性で困ることはありませんでした。
しかし、今回は実際に存在する自然界の物を絵に取り入れています。全体のイメージは空想ですが、リアルで知っている物を絵に入れているせいで、リアルの印象による色に引きずられて色塗りしてしまい、周囲との調和が台無しになっていました。
それに気づいたことで、やっと、絵の塗りを改善する方法がわかりました。描き始めてから数十時間は経っていたと思います。
これほど迷走に迷走を重ねたのは初めての体験でしたが、途中であきらめず、粘り強く描き続けてよかったです。
昔書いたシーシュポス条件の記事によると、どんな作品でも投げ出さずに完成させることが大切だ、ということでしたが、今作はまさにそうだと感じます。
これを完成させられないまま頓挫させたら、わたしはもう自分には絵を描く才能がないと決め込んでしまうところでした。これが挫折体験になってしまい、絵を描くのが嫌になってしまったかもしれません。
もとより、わたしが上達してこれたのは、才能と呼べるような感性ではなく、頭で描くスキルあってのことでした。わたしが絵を描けるようになったのは、絵心教室のレッスンを通して学んだ理論的な土台のおかげでした。
感性や才能が足りないぶんは、知識と技術で補うようにしてきたのが、今回迷宮から抜け出すのに大いに役立ちました。
あまりに時間がかかったので、しばらく絵を描くのは懲り懲りですが、今回の経験はとても勉強になりました。迷いの森から抜け出す道を覚えたことは、きっと今後の創作でも役立つでしょう。