遮光レンズをかけ始めて1年。いつもの景色が様変わりし、ふと見えた色に息を呑んだ


あまりの美しさにハッと息を呑む。

そんな経験は、そうそうあるものではありません。それが今日、黄葉した並木道を歩いていたとき、まさにそんな一瞬がありました。街路樹の中にひときわ鮮やかな真紅のカエデがあって、見間違いかと見直すほどに、えも言われぬ美しさに息を呑みました。

そのとき感じたのは、単に色が鮮やかだ、という感動ではありませんでした。芸術的なのです。カメラに撮った写真や、PCのスクリーンに映る色では絶対に出せないような、たぐいまれな芸術作品を見て感じるような美しさでした。ふと、オアハカ日誌のこんな話を思い出したほどです。

ジェームズ・ラブロックは自叙伝『ガイアへのオマージュ(Homage to Gaia)』のなかで、若いころに染色の見習いをして、コチニールカイガラムシからカルミンをつくったときの興奮ぶりを述べている。

…“あまりに強烈な真っ赤な色だったので、それまで頭のなかにあった色の感覚が、目から出ていってしまった気がした。

乾燥したカイガラムシを混じりけのないカルミンに変える作業に参加できたのは、なんと幸せなことか!

わたしは……魔法使いの弟子になった気分だった”(p154-155)

わたしもそのとき、あまりに鮮やかな紅に驚いて、今までこんな色を見たことなどない、と感じたくらいでした。それだけでなく、この並木道の黄葉のなんと美しいことか。おとぎ話のなかの魔法の国のように、あらゆる色の落葉が渦を巻いて降り注いでいました。

遮光レンズで働く美的判断領域

そういえば… わたしはその場で立ち止まって、しばし考えます。

わたしは、今まで、そんなに頻繁に、目に映る景色を「美しい」と思うことはありませんでした。けれども、思い返してみると、この一年は、日常の中で接するごくごく普通の風景に心を奪われ、うっとりしてしまうことが何度かありました。てっきり、無垢な子どものような感性が帰ってきたのでは?、とか都合よく解釈しそうになりましたが、何のことはない、去年秋ごろからかけている遮光メガネのおかげでした。

今日も、その紅葉に目を奪われたあと、メガネのことを思い出して、それを外して裸眼で見てみました。わたしは視力は悪くないので、はっきりくっきり見えますが、あのえも言われぬ美しさはどこかに飛び去ってしまい、ごく平凡なるいつもの景色がそこにありました。やっぱり遮光メガネが、ふだんどおりの景色を魅力的に加工してくれていたようです。

以前の記事で書きましたが、もともとこの遮光メガネをかけることになったのは、子どものころから目が疲れやすかったからです。あまり自覚していませんでしたが、人よりも明るさに敏感なようで、ドラッグストアや家電量販店のような明るすぎる蛍光灯や、強い日差しが苦手でした。それでも我慢できないほどではなく、ちょっと刺激がきついな、と感じるくらいだったのですが。

ところが、昨年、筑波大学に遮光レンズのフィッティングに行ってみると、非常に強い明るさ過敏だったことが発覚。苦痛のないレベルまで調整した結果、メガネ屋さんに「市販のサングラスではここまで濃い色はありません」と言われてしまうくらい濃い、特殊な色の遮光レンズができあがりました。

そのできあがったレンズをかけた最初の瞬間でした。空の青さにハッと息を呑んだのは。

今までも空は普通に空色でしたが、遮光メガネを透かして見た空は、これまで見たことのないスカイブルーでした。きっと成層圏から見る地球の青とはこんな色ではないか、そう思いました。

それからというもの、外出時には遮光レンズを欠かさず身につけていますが、景色がとても見やすくなって驚きました。レンズを外した裸眼でも、問題なく見えることは見えます。色もちゃんと認識できますし、子どものころから両目の視力は1.0付近をキープしています。しかし、レンズを外して見た景色と、レンズを透かして見た景色とでは、芸術的な美しさが違うのです。そして、レンズをかけた状態だと、時々、今日みたいに、息を呑むほど鮮やかな景色に足を止めて浸ることさえあります。

レンズをかけて見るのと、外して裸眼で見るのとでは、何が違うのか。

端的に言えば、メガネをかけて見ているときは、なぜか脳の美しさを感じる領域が活性化するのでしょう。ごく日常の景色を見ているときではなく、美術館で名画を鑑賞するときに働くような領域です。

芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察によると、人間の場合、「美しい!」と感じるときに活性化するのは、左前頭前野背外側領域という長ったらしい名前の場所です。

Cela-Condeら(2004)は、健常な男性8例を対象に脳磁図(MEG)を用いて、美的判断課題遂行中の脳の活動を測定した。

…MEGの結果から、刺激が芸術作品であるかどうかには関係なく、美しいと判断されたときには、左前頭前野背外側領域に活性化することが明らかになった。(p197-198)

芸術であれ、景色であれ、異性であれ、「美しい!」と思うようなときは、この左のおでこの上あたりにある領域が活性化するそうです。

そのせいで、世の中の女性たちの笑顔は左右非対称で、特に顔の左側のほうがよく笑っているという研究もありました。なぜかって?  女性の左側のほほえみは男性の右目に映ります。男性の右目は男性の左脳とつながっています。つまり、男性にとって「美しい!」と感じられる女性とは、顔の左側が笑っている女性なので、そうした女性が自然選択によって残ってきたのだろう、ということです。だからあのモナリザも左側が笑っているのだとか。嘘みたいな話ですよね(笑)

なぜモナリザは左半分だけ微笑んでいるのか―脳の顔認識には左右差があった
女性は顔の左半分に微笑みが現れやすいという研究について

それはさておき、どうも、わたしの場合、遮光レンズをかけずに日常の風景を見たときは、この左脳の美的判断の領域があまり働いていないようです。よくも悪くも普段どおりの普通の風景だよね、と脳が判断しているのでしょう。

しかし、なぜか遮光レンズをかけて日常の風景を見ると、この美的判断の領域が活性化しはじめ、ときどき芸術作品を鑑賞するレベルまで活動してしまいます。なんでこんなことが起こるのか。

キアロスクーロの利いた風景

わたしもはっきり言って、なぜなのか確証ある答えは持っていませんが、その場で自分の見え方をよく観察してみて閃いたことがありました。

それは、遮光レンズをかけることでコントラストが適切になるのではないか、ということ。

わたしは自分では気づいていませんでしたが、もともと明るさに敏感なので、視界がいつも明るすぎて、白っぽく見えていました。今でもメガネを外してみると、色はちゃんとわかるものの、散乱光で散って白っぽくなります。写真や絵でいえば、明るさが強くてコントラストが薄すぎる状態です。わたしの絵を例にしてみるとこんな感じ。

しかし、この何時間もかけて厳密にフィッティングしたメガネをかけて見ると、明るさがわたしにとって程よく遮光されるので、コントラストが適切な状態になります。さっきの絵で言うと、こうなります。

どっちが絵として美しいかは言うまでもありません。コントラストが適切なほうがより立体的で魅力的に見えます。というか、コントラストが弱すぎる絵は、作品として成立していないレベルですよね。 絵の初心者は明暗のメリハリをつけるのに二の足を踏みがちで、上級者になるほど大胆にコントラストをつけられるようになる、とわたしは自分の経験から感じています。料理の初心者が自信がなくて味付けを薄くしてしまうのもしかり。

日常見る風景にしてもそうで、明るすぎてコントラストが弱いと、ちゃんと色が見えているにしてもメリハリがありません。それでは美しいと感じる脳の領域に刺さらないのも当然です。しかし、遮光レンズをかけて適切なコントラストの風景にしてやると、陰影のメリハリがはっきりするので、「美しい!」と感じやすくなるんでしょう。

そういえば、わたしが遮光レンズのフィッティングで、レンズをつけたまま屋外の風景を見た最初の驚きは、「立体的に見える!」でした。普段からちゃんと立体的に見えてはいますし、3DSなどで立体視onとoffの違いもちゃんとわかりますが、たぶんコントラストのメリハリがつくことで立体感が増し加わるのでしょう。

これは夜道でもいえるはずです。わたしはなぜか、この色の濃い遮光レンズをかけて夜道を普通に自転車で走れます。別に暗視スコープがついてたりはしません。たぶん、今の社会は夜道でも明るすぎるんだと思います。だって、電球がない時代の人は、もっと暗い夜道をわずかなランタンの明かりとかで歩いていたわけなので、今の人たちが明るすぎる夜道に慣れすぎているだけでしょう。

この夜の過剰な明るさは世界規模で深刻な光害になっていると報じられていて、星空保存運動なんかが各地で起こっているくらいです。ちなみに、通念に反していますが、夜道が明るくなると、犯罪は減るのではなく逆に増えるというデータがあります。夜道が明るいってことは、夜出歩く人が増えるし、犯罪者がターゲットを見つける助けにもなっちゃいますからね。このあたりの話を知りたい人は、吸い込まれそうな夜空が目を引く表紙の、本当の夜をさがして―都市の明かりは私たちから何を奪ったのかという本をどうぞ。

話が脱線しましたが、わたしは夜、遮光レンズをかけて自転車に乗るようになって、ここでもまたあまりの美しさにハッとするようになりました。高いお金を出して遮光レンズを作って一番価値があったのは夜の美しさだと断言できるほど、夜の景色が魅力的でたまりません。イメージとしては、19世紀ロンドンのガス灯で照らされた夜道でしょうか。どこかファンタジックで想像力を刺激するような、ほのかな灯りがお気に入りです。

そんなほのかな明かりが照らす夜道だと、比較的暗い公園の立ち木の奥などは、ビロードの漆黒のような深みのある黒を堪能できます。漆黒なんて寝るときに部屋を真っ暗にしたらいつでも見れるじゃない?と言われそうですが、これがまた面白いところです。漆黒というのは、真っ暗闇のとき、つまり漆黒の闇が美しいのではなく、ガス灯のほのかな明かりのような景色の中にぽつんと存在するときにこそ魅力的なのです。

この美しさを説明するには、レンブラントの絵画を引き合いに出すだけで十分でしょう。レンブラントは明暗のメリハリの利いた絵画で知られています。この強い明暗のコントラストは、イタリア語で「キアロスクーロ」と呼ばれ、美術用語として使われています。

▼レンブラントの絵(クリックで画像検索)

彼は特に、口径食(ヴィネット)と呼ばれる技法を用いています。これは、周囲を暗くして、人物の顔など目立たせたい部分をほのかに明るくすることで、絵の構図にメリハリをつける技法です。わたしが夜道を自転車で走るときに見る漆黒が、芸術的なまでに美しいのは、レンブラントの絵画のように明るい場所と暗い場所のキアロスクーロが利いているからです。

これもたぶん、電球が発明される前は、それほど珍しいものではなかったでしょう。月明かりが照らすくらいの夜道だと、森や茂みは、どこまでも深く溶けいるような漆黒だったはずです。さっきの本当の夜をさがして―都市の明かりは私たちから何を奪ったのかにも書かれていましたが、そんな月明かりの下にふと現れるそんな漆黒の闇は、当時の人々の想像力をかきたてたはずです。かつて作られた不気味な伝承や神秘的な物語は、夜にたたずむ漆黒の景色からインスパイアされたのかもしれません。過剰な明るさによる光害は、人々から想像力をも奪っているのです。

今では、こんな漆黒は田舎にしかないので、都会っ子は子どものころから漆黒をほとんど見る機会がありません。わたしもそうでした。だけど、ネオンやLEDや蛍光灯で明るく飾り立てられた都会の夜道でも、遮光レンズをかけていれば、街の片隅にふと漆黒を見つけて、そのキアロスクーロに感動することができました。遮光レンズをかけ始めて一年になりますが、いまだに夜道の美しさはあせません。

「あらたな恋に落ちたときのように」

この一年、わたしが出会った視覚世界の変化は、いまだに新鮮な驚きと感動に満ちています。はじめだけ心を揺さぶられたわけではなく、いまだに、外出のときに見る景色は芸術的ですし、ときにファンタジックな光景に釘付けになってしまいます。

この自分の体験を振り返ったとき、思い出されるのは、視覚はよみがえる 三次元のクオリア (筑摩選書)という本に載っていたある経験談です。

多くの医師がいまだに、弱視の治療は幼い子どもにしか施せないと信じているのだ。まさにこのせりふを、幼少期から不同視性弱視だったジョアン・レスター博士は、くり返し聞かされつづけていた。

ところが、65歳になって、発達検眼医に診察してもらってはどうかと友人から勧められた。

…キム医師は、検眼学による視能療法の訓練プログラムを処方した。…視能訓練を六回受けたのち、レスター博士は左目にコンタクトレンズをつけられるようになった。

はじめてコンタクトレンズをつけたときの体験を、彼女は次のように述べている。

「ふいに、世界が輝きを増した。説明しようのない喜びが爆発するのを感じた『まあ、なんてことかしら』と、わたしは金切り声をあげた……なんだか、ともづなを解かれて地面の上を漂いだしたようで、くらくらした」

レスター博士は毎朝、コンタクトレンズを弱視の目にはめるたびに、同じく突然の“説明しようがない喜び”を覚える。そして叫びたくなる。

まるで、新たな恋に落ちたときのように。

友人たちは、レスター博士はいまや別人みたいで、新しい冒険に対する好奇心や熱意が高まったと話す。67歳のいま、彼女は引退する気など毛頭ない。(p210)

65歳のレスター博士は弱視でした。一般的な眼科医は子どものころでないと弱視は治療できないと考えていますが、眼科医学のもうひとつの流派、検眼学の医者(オプトメトリスト)たちは、視能療法と組み合わせれば、成人の弱視を治療できるという論文を出しています。

日本では、検眼学はまだほとんど注目されていませんが、一般的な眼科検査では異常の出ないさまざまな目の問題、たとえば両目を協調させる力とか、ピント合わせの能力とか、動体視力とかは、オプトメトリストに診てもらわないとわかりません。視力に異常がなくても、こうした視機能の弱さから生活に支障が出ている例はよくあるそうです。わたしの場合は弱視ではありませんが、メガネを作ってくれたのはオプトメトリーに詳しいメガネ屋さんでした。

レスター博士は、オプトメトリストの視能療法を受けることで65歳にして視力を発達させることができました。そして。毎朝、見えるようになった新しい世界に「説明しようがない喜び」を覚えています。

この話のおかげで、わたしはようやく氣づけました。

そうだ、わたしが今日、紅葉にハッと息を呑んだときに感じたあの感覚は、一目惚れだったのだと。だから脳の美的判断領域が働いていたのだと。

わたしはこの一年、遮光メガネをかけて以来、何度も何度も、両目に飛び込んでくる絶世の景色と恋に落ちているのです。

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