春は雪融け目を覚まそう
花々ひょっこり顔を出し
まいにち色が増えてくる夏はおひさまはつらつと
緑いっぱい広がって
ひまわり畑が笑ってる秋は山々 ころもがえ
色とりどりに着飾って
あっちもこっちも踊りだす冬にはみんな寝静まり
雪の毛布にくるまれて
新たな年を夢みてるここは一年いつの日も
楽しいイベント盛りだくさんみんなの家にようこそ!
道北に引っ越してから1年の記念絵
久しぶりに頑張って絵を描きました。5ヶ月ぶりくらいかな。自然観察日記でちょっとした絵を描いてはいましたが、しっかりと1枚の絵を仕上げたのは久々です。
今回の絵は、道北に引っ越してから1年の記念絵です。この1年間に観察した自然の風景をたくさん盛り込んでみました。
ここ道北で過ごしていると、日々の景色があまりに美しすぎて、わたしの画力をはるかに超えてしまっていると感じます。絵に描くより、ただ目で味わう景色のほうが何倍もすばらしい。
知り合った地元の方に、もともと絵を描いていた人がいるんですが、大自然の景色があまりに美しすぎて、かえって描けなくなってしまったと言っていました。その気持ちがわかります。
わたしもすっかり、家にこもって絵を描くより、外で自然を楽しみたい、と思うようになってしまって、あまり絵を描く時間をとらなくなってしまいました。家にいるのがもったいなく思えて。
だけど、せっかく1年の節目だし、たまには絵を描こうと思って頑張りました。
描き始めたころは、まさかこんなに時間がかかって苦労するとは思わず。登場キャラクターが多めで、細かい描き込みや全体のバランスの調整に時間がかかりました。
ひとつひとつの植物も、自分の体験から、その季節の代表的な種類を選んでみました。むかし描いていた絵は想像上のものばかり描いていましたが、今回の絵の植物はぜんぶ現実のモデルがあります。
描くのは大変だったけど、この一年のわたしの感動とか体験を盛り込んで形にできたのでよかったです。だけど、しばらくちょっと絵は描きたくないかなーってぐらい疲れました(笑)
「絵を描くひと」と認識されること
じつは今回の絵は、最初、描く予定はなかったんです。だけど、わたしの絵を見てくださった方から、描かないの?と提案されて。
はじめは乗り気ではありませんでした。昔と違って、絵をじっくり描くだけの集中力がないので。
だけど、「絵を描くひと」としてのわたしの過去の作品を喜んでくれている人がとても大勢いたし、期待もしてくれていたので、久々にやってみよう、と思えました。
この「絵を描くひと」と周囲から認識してもらえるという話は、今日読んだナショジオのこの話に似ているなーと思いました。
冒険家と挑んだ北極600キロ、芸大生の彼女は何を体験したか? 写真21点 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
冒険家たちと大自然の中で北極点を目指した芸大生の女性は、はじめのうちは、絵を描くことを犠牲にして、みんなのペースに合わせることを選んだ。
だけど、まわりから「絵を描くひと」として認識され、期待されていることを知ってからは、自分にできる絵を描くという役割に頑張って取り組むようになった、という話。
その日から、絵を描く松永が復活した。きっかけはいろいろとあった。
遠征メンバーだけでなく日本で待つ事務局スタッフからも通信を介して、「絵は描いていますか?」と声を掛けられたこと。
自分が絵を描く人間だと認識されていることに気付き、肯定された気持ちになったこと。
「自分一人では来られないようなところに荻田さんやメンバーたち、色々な人たちのおかげで居られるのだから、描ける日は描こうと思ったんです」
わたしもこっちに引っ越してきて、大自然の中で自然観察したり、山に登ったり川を歩いたりしてきて、ネイチャーガイドできるくらいになりたい、と思って自然を満喫してきました。
もちろんそれはいいことだけど、わたしの個性として、まわりの人たちが、絵を大切に思ってくれているのも確かなんですよね。
絵を描くひとだからこそ、気づける自然界の美しさがある。同じように自然を味わっていても、アーティストだからこそ表現できるものがある。
だったら、時々は家にこもってでも、絵を描く時間をとらないといけないかな、と思いました。それがわたしがここでできる、自分だけの役割なのであれば。
わたしの場合、描くのはただの風景画やデッサンではないので、なおのこと、じかに見る景色や写真とは違う表現ができます。それはわたしにしか描けない絵です。
絵を描くのは大変だけど、絵を描くひとと認識してもらい、描いた絵を喜んでくれる人たちがいる、というのはとてもありがたいこと。
あちこちに興味が飛びすぎるうえ、バランスとりが下手なわたしだから、いよいよ時間と体力の足りなさに悩まされそう。生活をシンプル化するよう努めてきましたが、それでもカオスです。
これからもたまに思い出したときに絵を描く繰り返しかもしれないけれど、その「たまに」の時間を大切にしていこうと思いました。